鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第73話:「復讐」

 ――――槍?

 槍って何だ、と炭彦は思った。

 普通に生きていて、そんなものを見る機会はそうは無いだろう。

 

「じゅ」

 

 そんなものを肩に担いで飛び込んで来るというのは、普通ではない。

 異常だ。

 そしてその異常を目の当たりにして、炭彦は叫んだ。

 

「銃刀法違反だ――――っ!!」

「そこじゃないと思います」

 

 しのぶの冷静さが冴え渡っていた。

 ただ彼女から見て、今の状況は良くなったとも言えるし、悪くなったとも言えた。

 まず突然の乱入者は、ドアを蹴破っている。

 だから彼女の後ろには外が見えていた。脱出経路が出来たわけである。これは良い点だ。

 

 しかし一方で、槍を持った乱入者それ自体は、状況を悪化させるものでもあった。

 出入口に立っている、というのも悪い点だ。

 炭彦としのぶが外に逃げるためには、この女性の横を通り過ぎなくてはならない。

 つまるところ、自分達の運命はこの女性に握られている、ということだった。

 

一葉(ひとつば)(みそぎ)

「人の名前を勝手に呼ばないでほしいわね」

 

 珠世は、その女性――禊を知っている様子だった。

 これは、悪い方向に転がりかねない。

 もしも珠世と禊が仲間であれば、状況はむしろ悪化したと言えるからだ。

 ただ仲間というには、2人の間に流れる空気は剣呑なものだった。

 

「ふうん」

 

 じっと珠世を見つめていた禊は、どこか得心したような表情を浮かべた。

 

「最初に聞いた時、おかしいとは思っていたけれど。なあんだ」

 

 その笑みは、笑顔というには、余りにも友好の度合いが低すぎた。

 と、言うよりは。

 禊は明らかに、珠世を嘲弄していた。

 

「やっぱりアイツ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 その時、ドン、とクリニックの建物が震えた気がした。

 天井が――2階など無いはずなのに――砕けて、何か人間大のものが落ちて来た。

 1つ、2つ、3つ。まるで、禊――のそばにいる炭彦、しのぶもだが。

 禊を、取り囲むように3つ。それは落ちて来た。

 

「い、犬人げ……いや犬じゃない!?」

 

 化物だ。3人、いや3体の化物が落ちて来た。

 形や数には違いがあるが、一様に頭に角のようなものがあり、そして多様な体の形状をしていた。

 赤黒い肌、硬質な筋肉、あるいは長すぎる手足。爪、そして牙。

 犬の顔をしていないだけで、同じような化物がそこにいた。

 そして次の瞬間、3体の化物が、実に化物らしく咆哮したのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 端的に言って、これは禊にとっても予想外だった。

 

「何で()がいるわけ?」

 

 突如として現れた化物――鬼。

 その出現は、禊にとっては予想外、あるいは意外だった。

 ただそれは、この場に現れたことが意外ということでは無い。

 文字通り、()()()()()()()()が意外だったのだ。

 

 ――――欺の呼吸・弐ノ型『面子』。

 

 もっとも、出現したこと自体は問題ではない。

 脅威にならないものを、問題とは言わない。

 3方向から襲いかかって来た鬼達は、次の一瞬には全ての感覚を喪失していた。

 折れ別れた槍。それを持った禊の両腕が身体の前を一巡りすると、頚が3つ跳んでいた。

 

「危ない!」

「どこが?」

 

 炭彦の声に、そう応じた。

 もちろん、()()()()()()()()()()()()()()()

 注射器を一槍で払い、二の槍が顔面を目掛けて突き出される。

 一撃目を挟んだことで、致命の攻撃までに数秒の間があったおかげで、珠世は数歩を下がることが出来た。

 それができていなければ、今頃は顔面に穴が開いていただろう。

 

「アアッ……!」

 

 悲鳴を上げ、顔を押さえて、珠世が蹲る。

 それと同時に、頚を落とされた鬼達が灰となって散っていった。

 

「え、え、えええええ?」

 

 そしてこの時点で、炭彦の理解力はすでに限界だった。

 まず珠世の豹変としのぶの監禁。

 次に、クリニックの出口が消えてしまったこと。

 さらには消えた出口から槍を持った女性が乱入してきて、化物()を殺して。

 しかもそれが、灰になって消えてしまった。

 

「な、何がどうなって」

「炭彦君、炭彦君。気持ちはわかりますが、今は落ち着いて。何とか頑張ってください」

「は、はい! 何とか頑張ります」

「あれは、鬼狩り……です。たぶんですが」

 

 鬼を狩る者。すなわち鬼狩り。

 曾祖母から聞いた寝物語。

 血鬼術が実在するのであれば、鬼狩りが実在してもおかしくはない。

 

「へえ、伝わっているもんね。戦争で鬼狩りの家も随分と死んだのに」

「戦争……?」

「ええ、あれよ。大東亜戦争だっけ」

 

 ケラケラと笑ってそう言って、しかし次の瞬間には表情が消えていた。

 

「――――で」

 

 そして、蹲る珠世に、言った。

 

()()()()?」

 

 珠世が己の指を噛み、強く吹いた。

 渇いたその音は笛というには聊か奇妙に過ぎたが、しかし()()()はいたようだった。

 ドアの外から、何かが近付いてくる音がした。

 クリニックの庭先から回り込んでも来たのか、飛び込んで来たそれは、犬のように見えた。

 肉が腐り落ち、眼球のないものを犬と呼ぶのは憚られた。

 

「あら、これはちょっと不味いかも」

 

 言葉ほどには不味いと思っていなさそうな表情で、禊は炭彦に言った。

 

「ほら男の子、その()を頑張って守りなさいな」

「は、はい!」

「はい、良いお返事。それにしても、うちの男連中は何をしているんだか」

 

 やれやれと嘆息しながら、溜息ひとつ。

 ただそれは、化物に襲われている時にする表情ではなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 大きなくしゃみだった。

 犬井が唇に人差し指を当てて、しー、と言うと、獪岳は舌打ちした。

 その態度が何とも言えず、犬井は笑って肩を竦めた。

 

「さて、禊ちゃんが表で暴れている間に……っと」

 

 薬品室、というプレートがかけられたドアの前。

 クリニックの裏から侵入した――禊がそうだったように、外からは問題なく入れる――彼らは、その部屋に入ろうとしていた。

 ドアノブ、より具体的には鍵穴のあたりにしゃがみ込み、カチカチと弄っている。

 

「やっぱ、ぶっ壊した方が早くねえか?」

「待ちなさいって。何か仕掛けがあるかもでしょーよ」

 

 鍵穴に針金。

 実に原始的だが、それは薬品室の鍵が現代的な電子キーの類ではなく、古びた錠前だったからだ。

 セキュリティは極めて緩い。だからこそ、正しい方法で開けない方が危険だった。

 まあ、針金の開錠(ピッキング)が正しい方法なのかはさて置くとして。

 

「お、開いた」

 

 ほどなくして、鍵が開いた。

 ドアノブを慎重に回して、開ける。

 すると。

 

「うおっ、やっぱ何かあっ」

 

 ――――雷の呼吸・弐ノ型『稲魂』。

 

「――――った。って、フウ、流石あ」

「何だよ、雑魚じゃねえか。くだらねえ」

 

 開けた瞬間、中にいた鬼と目が合った。

 もっとも、犬井が何かを言う前に、獪岳が頚を斬ってしまっていたのだが。

 

「で、この部屋なのか?」

「らしいねえ。ええと、確か薬棚だったかな……」

 

 床に積もった鬼の灰を踏みしめながら、目的の薬らしきものを見つけた。

 ガラス戸にも鍵がついていたが、こちらも古い造りのものだった。

 古すぎて、今時の空き巣なら逆に対応できないかもしれないな、などとつまらないことを考えた。

 

「あったかよ」

「うーん……」

 

 ただ、鍵を開ける必要も無かった。

 何故なら、そんなことをするまでもなく、ガラス越しに中身を確認できたからである。

 結論から言うと、中身は空だった。

 

「無いじゃねえかよ。アイツの()()()()()?」

「いやあ、それは無いでしょ。()()()()()()()()()()

「だとすると、あの女か」

「だろうねえ」

 

 その時、獣の唸り声がした。

 それは犬井が聞き知っているものに比べると、やや湿度が高い音だった。

 まあ、()()()()から発される唸り声など、さしもの犬井も詳しくはない。

 

「犬……の、鬼か。鬼化した犬?」

「みたいだねえ。そして……」

 

 先程――もちろん、犬井達は知る由もないが――禊達に襲い掛かった、ゾンビのような犬。

 それが数匹、今しがた犬井達が入って来たドアから入り込んできていた。

 ただし、最後に入って来た犬だけは、まともな形をしていた。

 まるで、生きている犬のように。

 

「ああ~」

 

 その犬を見た瞬間、犬井は困ったような声を上げた。

 いや、実際に困っていた。

 どうすれば良いのか、と天を仰ぐ心地だった。

 

「マジかあ。いや、因果は巡るもんだねえ」

 

 その犬――()()は、ただ一言、いや一吠え。

 バウッ、と、吠えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ここで、おさらいをしよう。

 今現在、珠世クリニックには3つのグループが存在している。

 まとめると、このようになる。

 

 第1に、炭彦としのぶ。

 そして第2に、珠世と鬼。

 最後に乱入者。つまり禊や獪岳達。

 珠世クリニックの中で、この3つのグループが動いている。

 

「――――お茶にしませんか?」

 

 さて、ここで1つ()()()の話をしよう。

 珠世クリニックの外で起こっている出来事について、視点を移そう。

 まず、おかしなことが2点ある。

 

 ()()()は、珠世クリニックの前で――つまり道路の真ん中で――ビニールシートを広げていた。

 ここが公園や原っぱの空き地であれば、ピクニックにでも来たような様子だ。

 彼女達はそこに座り、片や水筒のお茶を出し、片やおにぎりを出していた。

 

「おにぎり、好きかしらぁ?」

 

 まさに、状況が間違ってさえいなければ、ピクニックにしか見えなかった。

 しかし、もちろんピクニックなどではない。

 

「あらぁ。どうしたの、柚羽ちゃん?」

 

 クイクイと袖を引かれて、榛名は首を傾げて見せた。

 袖を引いたのは、柚羽である。

 静かな瞳が、榛名を覗き込んでいた。

 彼女は珠世クリニックを指差していたが、それに対して榛名は柔らかく笑って。

 

「大丈夫よぉ。そっちは禊ちゃんが行ってくれてるもの」

 

 本人が聞けば「ちゃん呼びはヤメロ」と言っただろうが、幸か不幸か本人がいないので、誰もそれを指摘する者はいなかった。

 もっとも、仮に直接言われたとしても、榛名は呼び名を改めたりはしなかっただろうが。

 それに、と、榛名は正面に座る()()を見て、やはり柔らかく笑って。

 

「せっかくのお誘いなんだから、お断りしたら申し訳ないわぁ」

「わあ、嬉しいです。とっておきのお茶菓子を出しちゃいますね」

「あら、有難う。でも、良いのかしらぁ?」

 

 頬に手を当てながら、榛名は言った。

 

「貴女、()()()()を連れ戻しに来たんじゃないのかしら」

 

 そう言われた相手は、同じくらいの柔和な笑顔で返した。

 深夜。街灯の灯りの下、その笑顔は鮮烈な印象を見る相手に与えた。

 

「大丈夫です。あの子は……()()()()()()()()()

 

 ()()()()()

 胡蝶カナエが、そこにいた。

 明らかに異常な場所で、しかしいつもと変わらない様子で、そこにいたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ゾンビ犬、とでも呼称しようか。

 要は犬が鬼になったのだろうが、呼び名が無いのは(いささ)か不便なので、適当にそう呼ぶことにした。

 まあ、それも一瞬のことだろうと、禊は考えてもいたが。

 

()()()()()()()()()()()()。こんなので私をどうこう出来るなんて思っていないでしょ)

 

 ちらりと炭彦の方へと視線を向ける。

 

「うわ、うわっ。こっち来ないで~」

「わ、わ、わ。炭彦君。あぶなっ、右! 右ですよ!」

 

 当の炭彦はと言えば、ソファの上に跳んだり、棚に掴まったりと大忙しだった。

 これをしのぶを抱えながら出来るのは、ひとえに彼の身体能力ゆえだ。

 そして、呼吸を使っているからこそ、だ。

 その点、しのぶは普通の人間だった。

 

 だから、しのぶには禊の動きは見えない。

 ただ腕が一瞬ブレたと思えば、次の瞬間にはゾンビ犬が切り刻まれているのだ。

 しかし、炭彦の動体視力は禊の動きを捉えていた。

 流れるように腕が動き、穂先がゾンビ犬の喉元を正確に射貫(いぬ)き、頚を刎ねている。

 グロテスクだ。だがそれ以上に。

 

(綺麗だ)

 

 と、そう思った。

 桃寿郎の道場で見た剣技は、何というか、剛直だった。

 禊のような流麗さは、炭彦にとっては新鮮に映った。

 そしてそれは、炭彦が初めて見る()()()()()()()()

 

(ふうん)

 

 そして、禊もその視線に気付いている。

 悪い気分では無い。

 とは言え、禊には()()()()()()()()()()()()()()

 

(まあ、()()()が何を狙っているのかは知らないけど)

 

 ドッ、とゾンビ犬の頚を刎ねて、禊は身を低くした。

 明らかな突撃体勢に、珠世が目を見開くのが見えた。

 相手の狙いを知る最善の方法。

 

 それは、相手の懐に飛び込んでしまうことだ。

 そしてその上で、噛み砕く。

 噛み砕いて、見下ろして、そうするのが一番。

 

「チョー最高、でしょう?」

 

 その時だった。

 コン、と、どこかで金属が発する音が聞こえた。

 禊の耳はそれを正確に捉えたし、彼女の眼は聴覚から伝わった情報を見逃さなかった。

 外部から転がって来た、缶詰のような物体を。

 

発煙弾(スモーク)……!?)

 

 降って湧いた現代兵器に、さしもの禊も眉を顰めた。

 クリニックの待合室に、白煙が充満したのは、その数秒後のことだった。

 白煙の中に、何もかもが消えていった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その白煙は、当たり前だが炭彦達も飲み込んだ。

 催涙弾というわけではないようだったが、それでも、吸い込むと咳き込んでしまった。

 それは、()()使()()には致命的な意味を持っていた。

 

(いけない。呼吸が――!)

 

 ゲホゲホと咳き込みながら、炭彦は焦った。

 しのぶを離すようなことはしなかったが、煙のせいで方向感覚をも失っていた。

 というより、普通に生きていて発煙弾(スモーク)を浴びる経験などあるものでは無い。

 咄嗟に対処する、ということが炭彦には出来なかった。

 

「炭彦!」

 

 ――――幻聴だと思った。

 何故ならば、耳に届いた声を炭彦は知っていたからだ。

 ただしそれは、いるはずが無い声だった。

 だから、幻聴だと思ったのだ。

 

「こっちだ!」

「え、え……うわあ、怪しい人だ!」

「怪しくない!」

「いや怪しい……ゲホッゲホッ」

 

 そして、その誰かに腕を掴まれた。

 問題は、その誰かが顔全体を覆うマスクを――いわゆるガスマスクというものだろう――被っていたことだった。

 どこからどう見ても怪しいのだが、それがグイグイと腕を引っ張って来るのだ。

 

「……! げほっ。炭彦く、んっ。言う通り……に。ごほっ」

 

 しのぶの声が聞こえた。

 彼女には、このガスマスクの誰かが信用できると見えたのか。

 その理由は、炭彦にはわからない。

 

 けれど、炭彦はしのぶに従った。

 しのぶの判断を炭彦は信じていた。

 それに、この誰かの声と、掴んで来る手の感触を、知っているような気がした。

 だから、炭彦はしのぶと、ガスマスクの誰かを信じた。

 

「――――!」

 

 ガスマスクの誰かに手を引かれて立ち上がるのと、白煙が動くのはほとんど同時だった。

 そして動いた白煙の先に、珠世がいた。

 その顔の貼り付いた微笑は、今はどこか引き攣って見えた。

 まるで、()()()()()()()()()

 

「跳び込め!」

 

 振り下ろされる注射器から逃れるために、跳んだ。

 どこへ向かって跳んだのかは、わからない。

 白煙に目と喉を傷めながら、手を引かれるままに跳び込んだ。

 

「…………あ」

 

 ()へ出る一瞬、珠世の顔に誰かの手が見えた。

 その映像を最後に、視界が――光景が、切り替わった。

 クリニックの待合室が消えて、一瞬で、外の景色に変わったのだ。

 具体的に、コンクリートの塀と道路、それから夜空。そして。

 

「こんばんは、炭彦君。()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 そして、カナエの顔が逆さまに見えた。

 逆さまなのは、炭彦が、そしてしのぶがブルーシートの上に転がっていたからだった。

 いったい、どうして道路の真ん中でブルーシートなど敷いているのか。

 いやいや、問題はそこではないだろう。

 どうしてカナエがいるのか。そしてガスマスクを外した誰かが何故。

 

「か、カナタあ!?」

「……五月蠅いな。大きな声を出さないでくれる」

 

 何故、兄であるカナタなのか。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ど、どうしてカナタがいるの?」

 

 そう言いつつ、腑に落ちるところもあった。

 声と手の感触を知っているような気がしたのは、カナタだったからだ。

 そう思うと、警戒する気持ちが少なかったのも納得だった。

 ただ、それでも疑問は残る。

 

「もう、しのぶったら勝手に行っちゃうんだもの。心配したのよ~」

「ちょ、ちょっと、姉さっ」

 

 しのぶも同じだと思うが、今はカナエに頬を擦り付けられていて、それどころではなかった。

 さらに、輪をかけて混乱の原因となっているのが、()()()の存在だ。

 その人物は、お茶とおにぎりと食べながらまったりとしている様子だった。

 炭彦は2人の名前は知らなかったが、榛名と柚羽だった。

 

 2人は炭彦のことをじっと見ていたが、目が合うと軽く頭を下げて来た。

 炭彦も、ぺこりと頭を下げる。

 それから助けを求めるように、というより助けを求める心地でカナタを見た。

 だがカナタには説明する気がないのか、むしろそっぽを向いていた。

 

「うふふ。カナタ君は炭彦君が無事でほっとしているのよ~」

 

 それを見て、カナエがクスクスと笑っていた。

 

「カナタ君は恥ずかしいみたいだから。私から説明してあげるわね。でもその前に」

 

 そして、カナエは指先で炭彦の後ろを指差した。

 炭彦は素直に後ろを見て、そして息を呑んだ。

 

「え……?」

 

 そこには、()()()()()()()()()()()()()

 あの小さいが小綺麗なクリニックの姿は、そこには無い。

 整合性があるのは大きさだけで、それ以外は見る影も無かった。

 最初に入った時も、いや過去に来た時も、こんな外観では無かった。

 

()()()

 

 説明するその声は、しかしカナエのものでは無かった。

 振り向くと、道の向こうからスーツ姿の男性が歩いて来ているのが見えた。

 

「鬼化した人間、あるいは動物が、()()()()()と共に発症する異能のことだよ」

 

 その人物についても、炭彦は知っていた。

 ビジネス鞄を片手に、その男性は顔が見える位置にまで近寄って来た。

 

「まあ、見るのは僕も初めてなんだけど」

「と……!」

 

 さっきから自分だけが驚いているな、と、そんなことを思いつつ、炭彦は言った。

 

「やあ、すまないね。残業が長引いてしまって」

「父さん!?」

 

 そこにいたのは、カナタと炭彦の父、炭吉だった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 肉を削ぐ音がした。

 ()()()()顔面を両手で覆って、珠世がその場に膝を着いた。

 白煙は、まだいくらか残っている。

 

「オオ、オオオオ……ッ」

 

 顔を覆った両手の隙間から、くぐもった声が響く。

 指の間からは、ボタボタと血がとめどなく流れ出ていた。

 そしてその血は、珠世の顔の肉を()()()()の手指にこびり付いていた。

 

 ()()は珠世を見下ろしながら、そっと手を己の口元に寄せた。

 血のように紅い舌先が、人差し指の根元から先端までをゆっくりと這った。

 珠世の血を舐め取った彼女は、ふっと口元を(ほころ)ばせて、言った。

 

「とっても不味いですね」

 

 指の間から、苛烈な目が彼女を見上げていた。

 怒りだろうか。憎悪だろうか。

 血走ったその瞳からは、その者の激烈な感情を読み取ることが出来た。

 

「れ、ん……煉獄、瑠衣ィ……!」

 

 喉から絞り出されたような声は、酷く低かった。

 というより、それは()()()()()()()()()()

 瑠衣はそれに、ああ、と得心した顔をした。

 

「なるほど、()()()()()()()()()

 

 着物の袂から取り出したのは、飴玉だった。

 珠世クリニックの刻印が入った、治療のご褒美の飴玉だ。

 炭彦が健気にプレゼントしていたものだ。

 

「おかしいとは思っていました。()()()は、けしてこういう挑発(アピール)をするような人ではなかったですから」

 

 そもそも。

 

()()()()()()()()()()()()()()()

「……ああ、そうだ。そうだとも! 忘れるはずもない。78年前! 春の夜! 沖縄の浜辺だった!」

 

 ()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 70余年前、この国は戦争をしていた。

 地獄が、そこら中に当たり前に生まれる時代だった。

 人間がゴミ屑のように死んでいく。

 あの人は、それを、見て見ぬふりなど出来なかった。

 

()()()は、お前に喰われて――殺されたんだ!」

「……それで。私への恨みを晴らすために、わざと存在をアピールしたと。そのために、そこまでしたと」

「そうだ。私は……俺は」

 

 驚きか、感心か。あるいは他の何かか。

 ()()の顔が爛れて、その下に隠されていた()()が露になっていた。

 

「俺は、貴様を殺すために、今日まで生きて来たんだ……!」

 

 若い、青年の顔。

 見目麗しい珠世の顔の下にあったのは、まさに鬼の形相。

 復讐心の熱を受けて、瑠衣は言った。

 

()()()()()

 

 珠世の鬼、愈史郎。

 最愛の女性に成りすましてまで、瑠衣を誘き寄せた彼。

 彼は瑠衣に名を呼ばれると、表情をさらに歪ませた。

 瑠衣に名前を呼ばれることさえ汚らわしい。目がそう言っていた。

 

「気安く呼ぶな。虫唾が走る……!」

「そうですか。そうでしょうね」

 

 瑠衣も、別に何か会話をしようとしたわけではなかった。

 何故ならば、瑠衣の前に――()()()()に姿を現した時点で、愈史郎は()()()()()()

 鬼という種は、煉獄瑠衣には絶対に勝てないからだ。

 

 瑠衣の前に現れた鬼は、すべからく喰われるしかない。

 それは定められた食物連鎖であり、下剋上はあり得ない。

 だから、瑠衣は会話もそこそこに手を伸ばそうとして。

 

「その傲慢さが、油断が、貴様の弱点だ――――煉獄瑠衣!」

 

 愈史郎が叫んだ。

 

「今だ、茶々丸……()()!」

 

 ニャア、と、猫の鳴き声がした。

 足元を見ると、そこに猫がいた。

 珠世の猫。鬼の猫だと、一目でわかった。

 

 そしてその猫は、背中に金属製の箱のようなものを背負っていた。

 注射器が6本、飛び出しているのが見えた。

 そして次の瞬間、破裂音と共に、それが瑠衣に向かって撃ち出されたのだった。




最後までお読みいただき有難うございます。

何とか、無事にコロナから快復いたしました。

いやー、あれはヤバいは…(真顔)

皆様もどうかお気をつけて。

それでは、また次回。
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