鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第78話:「戦争の勝者」

 身体の中を()()()()、軽くなるのを榛名は感じた。

 

「……はあっ!」

 

 それで、自分に圧し掛かるしのぶを振り払うことが出来た。

 対するしのぶも、むざむざとそれを喰らう気はない。

 ふわりと、それこそ蝶のように舞って、回避してしまった。

 

「――――胡蝶!」

「え――――」

 

 杏寿郎の声に、反射的に身体が動いたのは、流石の一言だろう。

 だが声の意図がわからなかったから、完璧とはいかなかった。

 ただ、その場にいることだけは避けるべきだという判断のおかげで、命拾いはした。

 

 とは言え、右の鎖骨に刃が深々と突き立ったのは、無視できない出来事だった。

 何が刺さったと目線を下げれば、それは自分の日輪刀の刃先だった。

 瑠衣が引き抜き、投げ捨てたはずのそれを、瑠花が投擲したのだった。

 

「おっと」

 

 視線を再び前に戻した時、瑠花の掌が視界を覆っていた。

 対応が間に合わない。

 今から自分が何をしても、瑠花が自分の頭を握り潰す方が早い。

 そう思っていると、脇腹に重い衝撃が来た。

 

「……ッ! もう少し、優しく助けてほしいものですね……!」

「贅沢を言うんじゃねえよ。どあああああ腕が痛えええええ!」

 

 宇髄が助けに入らなければ、しのぶの頭は潰れたトマトになっていただろう。

 そして薄いも、禊に刺された腕が本調子ではない。

 それでもなお両腕で日輪刀を振るえるのは、忍としての技術と呼吸の力によるものだ。

 もっとも、痛みを全て消せるというわけではないのだが。

 

 ――――風の呼吸・捌ノ型『初烈風斬り』。

 瑠花の背中目掛けて、不死川の渾身の斬撃が振り下ろされた。

 纏った風で、日輪刀の刃が何倍にも膨れ上がって見える程だった。

 それを、瑠花は片手で受け止めた。

 

「こ、のおおおおおォォォォッ!!」

 

 不死川が満身の力を込めてもなお、ビクともしなかった。

 凄まじい怪力だ。

 だが怪力というのであれば、負けない者がいる。

 

「不死川さん、伏せて!」

 

 不死川が身を下げると、斬撃がしなりながら瑠花を包囲してくる。

 

「マタソレカ、面倒ダナァ」

「め、面倒!?」

「何でガッカリしてるんだ甘露寺……」

 

 伊黒の冷静なツッコミはともかく、瑠花はちらりと視線を流した。

 何だ、と、その場にいる全員が、警戒しつつも意識をそちらに向けた。

 そして、気配に敏感な宇髄を筆頭に、何かが来ると気付いた。

 

()()()()()()

 

 呟くような、瑠衣の声。

 次の瞬間、雷鳴の如き轟音が響いて来た。

 

「この音と、匂い……善逸か!」

 

 そしてその轟音から逃れるように、数人の男女がこの場に跳び下りて来た。

 

「ひゃあ、やっぱり怖いねえ。あんな技、まともに受けてられないって」

「クソがあ……!」

 

 犬井と、彼の肩に担がれる形になっていた獪岳。

 そして2人を護衛するような形で背を向けていた、柚羽だった。

 そうなってくると、当然、彼らと戦っていた者達もやってくる。

 

「遅イ」

「いやあ、おじさんこれでも柱相手に頑張った方だと思うんだけど」

「ヤレヤレ…………」

 

 目を閉じて、数秒の後、開いた。

 すると瞳の虹彩は金色ではなく、全身に広がった痣も消えて行った。

 

「…………有難う、姉さん」

 

 獪岳、と呟いて、地面に膝をついた。

 当の獪岳自身は何事かブツブツと恨み節のようなことを言っていたが、瑠衣が喉元の傷に触れると、視線を瑠衣へと向けて来た。

 数瞬の後、瑠衣が手をどけると、そこには傷口はなかった。

 

(何だ、今の。再生とも違う?)

 

 何が起こったのか、炭治郎にはわからなかった。

 ただ今の一瞬、瑠衣の匂いが強くなった。それだけは理解した。

 それが何か関係あるのかもしれない。考え続けた。

 

「さあ」

 

 しかし、考える時間は、さほど無さそうだった。

 

「決着を、つけましょうか。兄様。私と、兄様の、()()()

「そうだな」

 

 瑠衣の人生は、そして杏寿郎の兄としての人生は、ほぼ全てが重なっている。

 けれど、それはもう過去の話だ。

 ここから先は違う。だからもう、置いて行くしかない。

 ここから先に、2人の人生というものは、もう無いのだから。

 

 だから、ここで終わりにする。

 どうしようもなく、()()()()()()()()()()

 そして、この兄妹の望むものは、それだけは、皮肉な程に。

 他の何もかもは叶わなかったのに、それだけは、叶ってしまったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――()()からは。

 ()()からは、ただ、()()()だった。

 総力戦で、乱戦。

 ()()()()、だった。

 

 紅く燃える日輪の刃が夜を照らし、それを洗い流すかのように水の刃が迎撃する。

 そしてその迎撃を、濁流の如き別の水の技がさらに迎撃する。

 だが不思議なことに、この水の技は、彼が庇った日輪の技の方により良く似ていた。

 技の形、剣の足捌き。似通った太陽と水が、敵の迎撃を打ち払う。

 

 その隙間を、蛇と(リボン)(はし)る。

 柔の斬撃。しなやかに進んだ。

 それを断ち割ったのは、空を裂く回転斬り。

 だが空を届く程の音、轟音、爆音が、周囲を呑み込んだ。

 

 助けに動いた隻腕を、霞が包み、蝶が突いた。

 それを横目に、哄笑を上げるのは、女だ。

 鋼糸の女が、戦場を引き裂く。

 それを、若き獣と雷が追いかけた。

 

 暴風。そしてそれを迎え撃つさらなる雷鳴。

 それら全てを踏破して、守られて、陽光の斬撃が届きかける。

 しかしそれは、それでも、届かなかった。

 太陽は、決して届かない。

 

 何故ならば、その少女は完璧な生命体だからだ。

 動物も、植物でさえも、生きるためには太陽が必要だ。

 生命活動のほとんど全ては、太陽の光を前提にしている。

 しかし、彼女は違う。彼女は太陽の恵みを必要としない。

 

 生きるという行為において、何も必要としない。

 例えば、もしも地上から太陽が失われて、永遠の氷河に世界が覆われたとしても。

 あるいは空気が蒸発し、酸素は愚か、あらゆる気体が失われたとしても。

 いや、たとえこの惑星()が割れ砕けて、外側の深淵に漂うことになったとしても。

 

 彼女だけは、死ぬことはない。

 それは、かつて存在した鬼の(鬼舞辻)始祖(無惨)でさえも到達できなかった領域。

 これほどの戦いでも、いや、戦いで彼女の完璧さを揺るがすことは出来ない。

 日輪の刀を使う限り、太陽の呼吸に頼る限り、それは不可能だった。

 

 何故ならば、今一度言うが『()()()()()()()()()()』。

 それこそが、彼女の()()()()()()()

 太陽を拒絶する永遠性。そして何人も侵すこと叶わぬ完璧な肉体保存。

 概念として、完成した存在だ。

 

 だから、もしも。

 もしも、そんな彼女を打ち破る者がいるとすれば。

 そんなあり得ない存在が、あり得ると、すれば。

 

「――――――――瑠衣ッ!!」

 

 それはきっと、複雑怪奇な理屈ではなく。

 もっと、単純(シンプル)なもののはずだ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「煉獄!」

 

 と、補給の刀を投げたのは宇髄だった。

 彼はその場にいる柱の中で、最も視野が広く()()()だった。

 不死川でも、伊黒でも甘露寺でも、しのぶでも冨岡でも、この行動はおそらくしない。

 優し過ぎるか、あるいは責任感の強さ故にだ。

 

 そして、杏寿郎は実は聡い男だ。

 力押しのように見えて、良く細部に目が届く。

 母に似たのだろう、と、父である槇寿郎ならば言うだろう。

 

「感謝する。宇髄!」

 

 鞘をつけたまま地面に突き立った刀を、引き抜いた。

 鞘はそのままに、刃だけ滑らせて抜刀する。

 その滑りで、その重みで、良い刀だと、直感的にわかった。

 

「行くぞ、瑠衣!」

 

 ――――炎の呼吸・玖ノ型『煉獄』。

 杏寿郎が見せた構えは、やはりというか、それだった。

 乱戦を突破し、それでいて瑠衣の頚を取る技はそれ以外には無いからだ。

 その強い視線は、瑠衣だけを捉えている。

 

「無駄ですよ、兄様」

 

 しかしそれを見ても、瑠衣は動じない。

 動じる理由がないからだ。

 炎の呼吸の最大奥義であれ、いや、始まりの呼吸でさえ、瑠衣には無意味だ。

 

「どんな技でも……日輪刀では、私の頚を斬ることは出来ません」

 

 もちろん、そんなことはこの場にいる誰もが知っている。

 知っていて、なおもやる。

 杏寿郎がそう考えていることを、瑠衣は知っている。

 たとえ無意味と知りつつやる。それを、知っている。

 

 それが鬼狩り――いや。

 ()()だと、知っている。

 だから、言葉は意味を持たない。

 ただ日輪刀だけが、力を交わすことだけが意味を持っていた。

 

「……良いでしょう」

 

 向かってくる杏寿郎に、兄に、瑠衣は腕を開いた。

 自分の頚に触れた瞬間、杏寿郎の日輪刀は折れる。

 『煉獄』の技を放った直後の硬直を狙って、最後だ。

 そして1人1人、ゆっくりと確実に日輪刀を破壊する。

 

 補給が尽きるまで。そうすれば、決着だ。

 いかに小鉄が頑張ったとしても、原材料もなく、産屋敷の残した備蓄だけでは限界があるだろう。

 思ったよりも押されたが、しかし、それももう終わる。

 だから。

 

「来てください、兄様」

 

 豪。

 返事の代わりに、日輪刀が振り下ろされてきた。

 敵を見る杏寿郎の眼光は、どこまでも鋭く、強く、激しく燃えていた。

 そうして、衝撃が来る。

 

 炎の斬撃が、頚に、左の頸動脈のあたりに振り下ろされた。

 その衝撃に、瑠衣は目を細めた。

 さあ。

 さあ、これで終わ

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――咄嗟(とっさ)に。

 咄嗟に、左腕を上げたことが、奏功した。

 それはまさに反射と言うべきであって、瑠衣の意思の外で左手が動いたのだ。

 思考(瑠衣)よりも先に、反射(瑠花)が肉体を動かした形だ。

 

 しかし、そうしなければ、終わっていただろう。

 ただしその終わりは、瑠衣が思い描いていたものとは違うものだった。

 それを証明するかのように、目の前でクルクルと回っているものがあった。

 ()()()()()()()()

 

(――――斬られた!?)

 

 左の頸動脈。そこへ杏寿郎の斬撃が来た。

 そこまでは良い。

 本来ならば、瑠衣の頚に触れた瞬間に日輪刀の方が折れるはずだ。

 

「……ッ!」

 

 声は、上げられなかった。

 言葉の代わりに吐き出されたのは、赤い血だった。

 左手を挟み込んで攻撃の軌道を逸らしたとは言え、相手は『煉獄』だ。

 渾身の力で放たれた炎の呼吸の奥義を、片手では、完全に止めるまでには至らなかった。

 

 切っ先が喉を斬り裂き、傷口と口腔から血が噴き出した。

 肉体的なダメージ自体は、問題ない。すぐに再生する。

 しかし精神的なそれは、見た目以上に大きかった。

 日輪刀で自分の頚が切断されかけている。

 

()()()()()()()()

 

 それでも、そう考えた。

 だがこれは、焦りや混乱からの考えではない。

 むしろ逆だ。冷静に考えて、今の一瞬の出来事はあり得ないことだった。

 

 瑠衣には、瑠衣の肉体には強力な太陽耐性がある。

 だから日輪刀で瑠衣に傷をつけることは、まず不可能だ。

 しのぶの一撃は、あくまで眼球という例外を狙ったために成功したのだ。

 それも、二度とは通用しないだろう。

 

(だとすれば。そうだと、すれば)

 

 あり得ないことが起こった時は、前提を疑ってかかるべきだ。

 前提ではなく、結果から逆に辿(たど)る。

 

()()()()!」

 

 しかしその思考の間にも、杏寿郎の攻撃は続いている。

 瑠衣は攻撃を逸らしただけで、防ぎ切ってはいない。

 刀を返して、そのまま第二撃が襲いかかって来る。

 もちろん、『煉獄』続行だ。

 

 日輪刀は、瑠衣の肉体には効かない。

 しかし、杏寿郎の攻撃は瑠衣の肉体に傷をつけた。

 この2つから導き出される答えは、すなわち。

 

「――――敗れたり!」

 

 杏寿郎の刀は、()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その瞬間、戦場の全ての動きが止まった。

 それぞれに対峙する相手の前で足を止めて、杏寿郎と瑠衣の一瞬の攻防に目を奪われたのだ。

 確かに一瞬。

 しかしその一瞬は、永劫とも思える程に長いものだった。

 

「ああっ!?」

 

 声を上げたのは、まず獪岳だった。

 彼はてっきり、次の瞬間には杏寿郎が倒れていると思い込んでいた。

 それはこれまでの経緯を思えば、けして荒唐無稽な想像とは言えない。

 

 そうしている間に、杏寿郎の『煉獄』が続く。

 当然のように、狙いは頚だった。

 逆から放たれた二撃目。それを、瑠衣は右手で止めようとした。

 しかし次の刹那には、右手の手首から上が、瑠衣の腕から離れていた。

 

「不味いわぁ……!」

「……!」

 

 榛名と、そして柚羽。

 この2人は、口より先に身体を動かした。

 

「……行かせないよ」

「ド派手になあっ!」

 

 しかしそれは、時透と宇髄の横撃によって妨害された。

 そうして、この戦線もやはり止まる。

 動く者は、杏寿郎と瑠衣だけになる。

 

(お館様のお考えが的中したなァ)

 

 目の前の光景を見て、不死川はそう思った。

 日輪刀でまともに傷つけることが出来なかった瑠衣を、斬り付けることが出来た。

 そう。杏寿郎が使っている刀は、日輪刀ではない。

 

 ()()()()()()()

 だが、小鉄が全霊を込めて打った刀だ。

 だからそれは日輪刀にも劣らぬ業物(わざもの)であり、斬られるまで瑠衣も気付かなかった。

 それだけ杏寿郎の気迫が本物で、瑠衣の意識を引いたとも言える。

 

「これで……?」

 

 その時、ふと不死川の目を引くものがあった。

 誰かが自分に向かって来た、というわけではない。

 むしろ逆で、不死川が視線を向けた先にいる彼は、微動だにしていなかった。

 

 犬井だった。彼は、腕を斬られた瑠衣をじっと見つめていた。

 獪岳のように驚くでもなく、榛名や柚羽のように助けに動くでもない。

 ただ、じっと見つめていたのだ。

 まさに、食い入るように。

 

「…………なるほど、ねぇ」

 

 そして、第三撃。

 瑠衣の右手を斬った杏寿郎が、さらに刀を返して、『煉獄』を続行しているのが見えた。

 口だけでなく、眼窩と鼻腔からも血が噴いており、次の一撃が限界であることは明白だった。

 しかし両手を失っている瑠衣には、その最後の攻撃を止める術がなかった。

 ついに、杏寿郎の刃が、瑠衣の頚に届いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

()()()

 

 産屋敷輝利哉は、囁くような声で言った。

 その顔は、父に似て美しいとさえ言える白面は、すでに()()()()()()()

 歩行も困難になりつつあるのか、枕元には杖が置かれていた。

 

 そんな弟を、姉達が囲んで座っている。

 末の姉――くいなの腕には、産まれたばかりの男児と思わしき赤子が抱かれていた。

 赤子らしからず、泣きもせずに病床の()を見つめていた。

 その黒い眼は、どこか不思議なものを見ているような風にも見えた。

 

「あの時、剣士(子ども)達が束になってかかっても、瑠衣には敵わなかった」

 

 無惨を討ったあの日。そして、瑠衣が人間を辞めたあの時。

 鬼殺隊は敗北した。

 あの様は、敗北と表現するしかなかった。

 その点について、輝利哉に誤魔化すつもりは無かった。

 

「お館様」

 

 咳き込み、血を含む痰を吐いた。

 そんな主人――弟の口元を、かなたが清潔な布で拭った。

 輝利哉はそれに目礼して、言葉を続けた。

 

「けれど、あの時……唯一、瑠衣に傷をつけた者がいた」

 

 鬼殺隊の名のある剣士達が束になってかかっても、瑠衣には傷一つ与えることが出来なかった。

 日輪刀は折れて砕けて、何の役にも立たなかった。

 瑠衣はまさに、鬼殺の剣士達を歯牙にもかけていなかった。

 しかし、例外があった。

 それに気付いたのは、直接戦っていたわけではない、輝利哉だけだった。

 

()()()

 

 コロ。剣士ではない。というより、人間でもない。

 鬼殺隊においては、犬井という剣士の()()()という扱いだ。

 (もっと)も、本人が聞けば「おじさんの方がおまけなんだよなあ」とでも言っただろうが。

 

 しかし、()()()。コロは()()()()()

 柱に対しても、そして日輪刀に対しても、瑠衣は無敵だった。

 そんな瑠衣に対して、コロは()()()()()()()()()()()

 それは、傷と言うには余りにもささやかなものだったのかもしれない。

 

「……太陽の力では、瑠衣は討て(殺せ)ない」

 

 鬼狩り。日輪刀。全集中の呼吸。

 産屋敷家が千年間、積み上げて来たもの。

 そして鬼殺隊が、数百年間かけて築き上げてきたもの。

 

 ()()()()()()()()

 煉獄瑠衣を滅ぼす。

 そのためならば、過去の成功体験でさえ、あっさりと捨てる。

 それだけの価値が、希望が、コロの行為にはあったのだ。

 

()()()()()()()()()()()()()()

 

 信じて、待とう。

 そう思って、輝利哉は目を閉じた。

 剣士(子ども)達の勝利を信じて。

 そして、可哀想な剣士()が救われることを、信じて。

 待とう。そう、思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 身体に、異物が入り込んで来る。

 頚の皮と肉を鋼に引き裂かれていく感触に、瑠衣は目を見開いた。

 ここまで来れば、頚の切断を止める術は無い。

 なす術もなく、頚を刎ねられてしまうだろう。

 

 しかし冷静に考えてみれば、この行為には実は何の意味も無い。

 何故ならば、瑠衣は()()()()の怪物だからだ。

 それが日輪刀であれ違う方法であれ、頚を切断されたところで死にはしない。

 何ともないのだ。本来ならば、そんな(頚の)事態(切断)は。

 

(だ……)

 

 ()()()()()

 

(駄目、だ)

 

 本来ならば、何の意味も無い。

 しかし今回は間が悪い、いや、()()()()()

 他の誰かならば、頚を刎ねられたところで、それこそ無意味だ。

 次の一瞬で頚を再生して、それで終わりだ。

 

 ぴちゃっ、と、何かの雫が頬に触れた。

 

 雨か、血かと思ったそれは、涙だった。

 兄の、杏寿郎の目から溢れたそれが、瑠衣の顔に降って来たのだ。

 表情は変わらない。しかし、涙だけが溢れている。そんな風だった。

 嗚呼。やはり駄目だ。瑠衣はそれを、兄の涙を見て、やはりそう思った。

 

()()

 

 死の予感。いや、確信。

 頚を斬るのが他の誰かであれば、瑠衣はそんな感覚を得はしなかっただろう。

 しかし兄が、杏寿郎にそれをされてしまえば、話は別だ。

 心が、魂が死を想ってしまう。

 内面が死を自覚してしまえば、肉体の不死身など何の意味も無くなってしまう。

 

「瑠衣――――ッ!!」

 

 嗚呼。兄様。

 そんなに真っ直ぐに、見つめられてしまったら。

 私には、何も返しようがない。

 

「俺はお前を、愛していた!」

 

 それは何て、何て、殺し文句。

 そんな文句を言われたら。言われてしまったら。

 もう。

 もう、死んでしまうしかないではないか――――。

 

 

『――――――――それならば』

 

 

 ――――え?

 

中身(お前が)死んでしまうのであれば、構わないな?』

 

 誰かが喋っている。

 誰だ。姉か、瑠花だろうか。

 しかしそれにしては、何かがおかしい。

 何か、何かが、良くない。

 

『構わないな? この肉体(空き家)を私が使ってしまっても――――?』

 

 ――――違ウ。

 コノ声ハ、私ジャナイ。

 何カガ不味イ。何トカ。

 

「さらばだ、瑠衣!」

 

 私ガ、何トカシナケレバ――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 直感。

 一言で表現するとすれば、それしか無かった。

 その場にいる全員が、ほぼ同時に感じた()()である。

 

 柱達は、過去の経験で肌が粟立つのを感じただろう。

 炭治郎達は、それぞれの超感覚によって感じ取った。

 全ては、やはり一瞬の知覚だった。

 杏寿郎の刃が瑠衣の頚に届き、そして。

 

「やった……!?」

 

 誰かが、そう言った。

 全員の目の前で、瑠衣の頚が宙を舞うのを目撃したからだ。

 杏寿郎の『煉獄』。その最終の一撃により、瑠衣は頚を刎ねられた。

 

(何だ。この異様な胸騒ぎは)

 

 くるくると宙を舞い、放物線を描く瑠衣の頚。

 それを目にしても、炭治郎の胸中には勝利の安堵もなければ、別離の悲哀も湧いては来なかった。

 ただ、奇妙なざわめきあった。

 その胸中のざわめきが、炭治郎に、いや、その場にいる全員の緊張を持続させた。

 

「……! 何だァ、オイ!」

 

 その時、不意に倒れたり、膝をついたりする者がいた。

 榛名と柚羽である。

 特に榛名は、起き上がることすら出来ない様子だった。

 まるで。

 

(……退()()()に、戻っている?)

 

 その異変を正確に理解できたのは、蝶屋敷の主であるしのぶだけだっただろう。

 蝶屋敷の退院前、亜理栖の血鬼術で補助を受ける前の状態に近い、と。

 だが、それが意味するところは何だ。

 

「……ッ。クソ……!」

 

 獪岳も、不快なものを払うように目を擦っていた。

 犬井と禊は、それほど調子を崩している様子は無い。

 この違いについても、謎だ。

 

 あるいは、もう少し考察を進めれば、何かに気付けたのかもしれない。

 しのぶにはそれだけの頭脳があったし、他の者達もそれだけの経験値を持っていた。

 ただ、残念ながら、それだけの時間が与えられることは無かった。

 

「瑠衣さん」

 

 炭治郎は、声に出してその名を呼んでみた。

 意味の無い行為だ。

 そんなことはわかっていても、何故か、そうしてしまった。

 

 瑠衣の頚は、変わらずくるくると宙を舞っていた。

 炭治郎はそれを、目で追っていた。

 いや、その場にいる全員が追っていた。

 だから、全員が見た。

 

「瑠衣さ……」

 

 宙を舞う瑠衣の頚、その口元が、動くのを見た。

 鬼だから、首を刎ねても動くこと自体は何の不思議もない。

 だが瑠衣の唇が形作った音は、一瞬、その場の全員の理解が追い付かなかった。

 音は3つ。

 

「…………え?」

 

 ――――ニ。

 ――――――――ゲ。

 ――――――――――――ロ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――気が付いた時。

 次に気が付いた時、瑠衣は己が全裸であることに気付いた。

 衣類は愚か、肌着でさえ身に着けていない。

 生まれたままの白身を、外気に晒していた。

 

「……?」

 

 頚から下が、肉体が、あった。

 再生したのか。くっつけたのか。覚えていなかった。

 いずれにせよ、裸身を晒している理由にはならないが。

 

 身体には、当然だが、傷一つ残っていなかった。

 むしろ月明かりの下で、艶やかな黒髪や白磁の肌は輝きさえ放って見える。

 美しく均整の取れた、日本刀のようにしなやかな身体。

 傷どころか染みさえ無い。常にも増して完璧な肉体がそこにあった。

 

「な、に」

 

 それに比べて、彼女の周囲は異常だった。

 ()()()()

 瑠衣の周囲には、何も無かった。

 一言で表現すれば、こういう言い方になるだろう。

 

「何が、起こった、の」

 

 ()()()

 2000ポンドの爆弾でも爆発したかのような、巨大な窪み(クレーター)が、瑠衣を中心に広がっていた。

 よほどの()()だったのか、山肌は深く抉れ、周囲の木々は薙ぎ倒されている。

 全て、吹き飛んでいた。

 何も無い。誰も、いない。

 

「……あ」

 

 唯一、目の前に倒れている()()

 それだけは、知覚することが出来た。見分けることが、出来た。

 歩こうとして、失敗して、結局、這って近付いた。

 焦げた土で、顔が半分ほど覆われていた。

 

「あ、あ」

 

 這って、寄って、土を払った。

 頬から、顎、首筋。

 手は、そこで止まった。

 

 瑠衣の唇は、あ、あ、と、意味の無い音を漏らしていた。

 首筋で止まった手は、カタカタと震えるばかりで動かない。

 そこから下には、手を進められなかった。

 手で払うには、余りにも――余りにも、()()()()()()

 

「…………」

 

 その時、不意に、目が開いた。

 薄く、片目だけ。

 しかしその目も、どこを見ているともわからない。虚ろな目だった。

 

「う、あ」

 

 それでも、瑠衣の唇は意味のある音を発することが出来なかった。

 そして、やはり不意に気付いた。

 唇が、微かに動いていた。瑠衣のではない、目の前の男の――男だった、何かの。

 

 必死な顔で、瑠衣はその唇に耳を寄せた。

 もう、何でも良かった。

 何でも良いから、彼の音を聞きたかった。

 それ以外には、何も考えられなかった。

 

「……。……。……。」

 

 そして、彼の音を聞いた。

 ごく僅かな時間。ほんの一呼吸。

 けれど、それは。

 

「……ああ。ああああ……」

 

 それは、少女にとって。

 

「ああああああああああああああ」

 

 けして拭い去ることの出来ない、呪いの言葉となったのだった――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――かくして!

 かくして、少女は戦争に勝利した。

 もはや少女の生命を脅かす存在は、誰もいなくなった。

 

 鬼狩りの系譜は途絶え、その技術は失われ、やがて物語となり、最後には歴史となった。

 だが少女だけは、途絶えることも失われることも、物語となることも歴史となることも無い。

 永遠。そして不変。

 勝利の声(慟哭)歓喜の叫び(嗚咽)。嗚呼、何と美しい旋律(悲鳴)だろうか。

 

 少女の瞳からはとめどなく涙が、血が、血の涙が流れて、流れて、流れて。

 流れて流れて流れて流れて流れて流れて――――流れて。

 再び上げたその瞳。

 そこにはもはや、人の黒瞳は無く。

 ――――ただ、金色の鬼眼だけが、輝いていた――――。




最後までお読みいただき有難うございます。

う――――――――ん。

ナイス愉悦(え)

それでは、また次回。
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