――――
遊郭に通う男は、基本的に遊女より立場が上の人間だった。
侍。商人。小金を持った町人。
店で働く男衆も、立場も腕力も遊女よりずっと上。
遊女は商品、それも消耗品だ。
弱い。圧倒的に弱い立場。人間扱いでさえ、されることは無い。
そして禊は、そんな
だから彼女は、強い男が好きだった。強い誰かが好きだった。
「私はね、強いやつがタイプなのよ」
と言って、
嘘は吐いていない。
しかし、正確でもない。
何故ならば彼女は、強い男が好きなのではなく。
自分で自分を強いと思っている男が、最弱のはずの自分に組み敷かれる様を見るのが好きなのだ。
「……馬鹿ね。そんな顔をしなくても良いじゃない」
そう言って、禊は笑った。
ベッド脇のサイドテーブルにグラスを置いて、そのまま、青葉の頬に手指を伸ばした。
その際、肩にかけていただけの
それは窓から漏れ入る月明かりに照らされて、輝いているようにも見えた。
青葉は、そんな禊の裸身に目を奪われていた。
「別にアンタが弱っちいなんて言っていないんだから」
禊は、強い男が好きだ。強いものを見下すのが好きだ。
鬼狩りに加わったのも、強い鬼を弱い人間――の中でもさらに弱い女――が倒すという点に、
何事にも強い執着を持つことのない禊だが、その快感だけは何度味わっても飽きなかった。
だが不思議なことに、禊は自分が打ち倒して来た人間や鬼のことを余り覚えていなかった。
それ自体には興味が無かったのだろう。
と、それについては、自分で自分に対して冷めた結論を持っている。
「……さあ、もう少し寝なさいな。もうすぐ朝になるわよ」
今まで
荻本屋の旦那。それと、ああ、あの子。煉獄千寿郎。
その2人くらいで、後は余り良く覚えていない。
「おやすみ、アナタさま」
それから、嘴平青葉。
自分でも、不思議であり、面白いとも思う。
腕っぷしの強い鬼や男はこれっぽっちも覚えない癖に、そうではない相手は覚えていたりするのだ。
寝息を立て始めた青葉の髪を梳きながら、禊は窓の外を見た。
空が白み始めていて、夜明けが近いことを教えてくれた。
長い夜が、明けようとしていた。
◆ ◆ ◆
それは、本能に近い行動だった。
日輪の耳飾りと、そして刀。
守らなければならない、と、自然に思えたのだ。
「ぐあああ……!」
背中に強い灼熱感が走り、口からは勝手にくぐもった悲鳴が上がった。
刀を胸に抱えて背中を向けたために、攻撃をそのまま受けることになった。
瑠衣は炭吉の持つ刀を狙ったのだが、炭吉の行動には面食らった様子だった。
背中から血を噴いて倒れた炭吉の姿に、動きを止める。
血に濡れた自分の手を見つめて、唇を噛む。
だがすぐに気を取り直したのか、炭吉が抱え込んで離さない刀に手を伸ばした。
「ああああああああああっ!!」
しかし、それは出来なかった。
憤怒の形相で跳んで来た禰豆子の踵が、頚に打ち込まれたからである。
そして当然、『爆血』の発火が来る。
ミシミシと頚の骨が軋む音が響き、次の瞬間には、蹴りの威力で身体が浮いた。
「――――ッ!!」
その蹴りは凄まじい威力で、瑠衣の頚にめり込んだまま、瑠衣の身体で通路の壁を破壊し、リビングすら通過して、そのまま外へと飛び出す程だった。
ベランダが破壊され、柵が落下する音に、近辺に集まっていた野次馬達が悲鳴を上げ、身を竦ませるのが見えた。
(このまま地上で戦ったら、無関係の人達まで巻き込んじゃう……!)
怒りに身を焦がしながらも、禰豆子は頭の片隅でそう思った。
そして、その一瞬の集中の途切れを瑠衣は見逃さなかった。
血の炎に焼かれながらも、己が頚にめり込んだ禰豆子の足首を掴む。
そしてそのまま、握り潰した。
一瞬だけ痛みに顔を顰めた禰豆子だったが、空中で体勢を整えると、そのまま瑠衣の身体を掴みに行った。
瑠衣は禰豆子の片手を掴み、また同時に掴みに行った。その手を禰豆子がやはり掴む。
そして、再びの膠着。見る見る内に地面が近付いてくる。マンホールの刻印さえ判別できそうだ。
逃げ惑う野次馬の顔まで良く見えるようになって来た。
「――――相変わらず」
そのままの体勢で、大きく足を後ろに逸らしていた。
見ただけで禰豆子が何をするつもりなのか察した瑠衣は、声音に呆れた色を混ぜて言った。
「思い切りが良いですね」
「うん! それだけが――――取り柄だからね!!」
大きく逸らしたその足を、思い切り振った。
そしてそれは、着地のためのものでは無かった。
次の瞬間、周辺の地面がクレーターのように陥没し、爆発したのだった。
◆ ◆ ◆
そうして、竈門炭彦の
まず、家を失った。
ただそれは、親戚や知人の家に泊めて貰える――具体的には胡蝶家――ので、実は大した問題では無かった。
後の話になるが、爆発「事故」を取材するために新聞記者なるものもやって来たりはした。
ただそれも本当に短い間で、やはり大きな負担にはならなかった。
炭彦が失ったのは、そういう表面的なものでは無かった。
昨日と同じ今日が二度と訪れないかもしれないという、根本的な問題だった。
「……炭彦は……いるかな……」
病院へ向かう――例によってキメツ病院――救急車の中で、不意に父に呼ばれた。
そばには母やカナタもいたが、声をかけられたのは自分だけだった。
のろのろと父に近寄ると、血を失い過ぎたせいか、青白い顔の炭吉と目が合った。
炭吉は炭彦の顔を認めると、力なく微笑んだ。
「……これ、を……」
散々に破壊された家から救助された時、父は何かを持っていた。
花札のような耳飾りと、刀だ。
刀については救急隊員も問題視したようだが、緊急時ということで見逃されていた。
火事や地震で奇妙にも見える家宝を持ち出す人間もいるので、取り急ぎは不問にするようだった。
そして当然のことながら、炭彦はその刀のことを知っていた。
リビングの壁に飾ってあったものなのだから、物心ついた時から何度も見ている。
特に関心を持ったことはなかったが、ご先祖様から伝わっているもの、ということは知っていた。
知っていたが、それをどうして今、父が怪我をしてまで持ち出したのかはわからなかった。
「……これを、どう使うかは……炭彦が、決めればいい……」
それはいったい、どういう意味なのか。
炭彦には、わからなかった。
――――いや、わかっていた。本当は、わかっていた。
禊の話を聞いた時から。
気付きたくなかった。それだけだった。
「……お前が、どんな……選択を……しても……」
「……父さん?」
「……して、も……」
「父さん!? 父さん!」
刀を受け取ると、そこで力尽きたのか、炭吉は気を失ってしまった。
それは固く、重く。そして何故か、熱い、と感じた。
冷たいはずの刀を熱いと感じるのは、不思議だった。
熱に縋り付くように、炭彦は刀をぎゅっと抱き締めた。
◆ ◆ ◆
「……たく。どうなってんだァ、最近の野次馬共はよお」
そうぼやきながら、実弘はようやく野次馬が消えて静かになった事故現場を眺めた。
ただ、これを
何しろただの事故現場と言うには、荒れ果て過ぎていたからだ。
まずマンションだが、これは、下手をすれば建て直しが必要なのではないだろうか、と思えた。
一番被害が大きい一室――もちろん竈門家のことだが――は、完全に破壊されてしまっていた。
問題はその被害が上下の階にも出ていることで、消防が簡単に調べた限りでは、想像も出来ないような強い力が天井や床を打ち抜いた、ということらしい。
建物の構造上あり得ないことらしいが、現実に起こっているのだから仕方がない。
「それから、こいつかァ」
実弘の目の前には、大きな穴があった。
マンション前の道路なのだが、その真ん中が陥没していたのだ。
月のクレーターとやらはこんな感じか、というような、地盤沈下と言われれば信じてしまいそうな状態だった。
その下がどうなっているのかは降りて見ないとわからないが、流石にそこまで蛮勇では無かった。
「まずはこいつをどうにかしねぇとなァ。まあ、それァ
現場には、警察も含めて誰もいなくなっていた。
実弘だけが、何となく帰り損ねているような状態だった。
ただこの場に留まっていたところで、実弘も自分に何が出来るわけではないことを理解していた。
夜明けも近い。空が白み始めて久しかった。
だから、そろそろ戻ろうかと思った時だった。
誰かの気配を感じて、実弘はきょろきょろと周囲を見渡した。
具体的に言えば、わんわんにゃあにゃあという、小動物の鳴き声だった。
「……アア?」
と声を荒げて良く見てみれば、その気配は――陥没した地面の底から感じ取れた。
気配と言いつつ、気付いたのは、クレーターの底あたりで何かがもぞもぞと――それも、夜明け近い光量がなければ見逃したかもしれないが――動いていたからだ。
何だと思い目を凝らすと、まず
彼らは何かの周りで、しきりに鳴いている様子だった。
さらにその傍に黒い衣服のようなものを認めて、実弘は身を乗り出した。
それが気を失った
「……う……」
黒い着物に、同じく黒い髪が、目を凝らすと何とか見えた。
実弘は、その少女については知らなかった。
しかしその少女は間違いなく、今回の事件の中心人物の1人。
竈門禰豆子だった。
ただしその姿は、童女のように小さくなっていた――――。
◆ ◆ ◆
胡蝶家の人々は、避難してきた竈門家を温かく迎えてくれた。
ただ竈門家と言っても、父はキメツ病院に入院していて、母はそれに付き添っているから、胡蝶家に居候するのはカナタと炭彦の2人だけだった。
いずれにせよ、心身を休める場所があるというのは、幸福なことだった。
「あら」
「え」
しかし年頃の男女が同じ空間にいるとなれば、しかも普段はいないとなれば、事故が発生してしまうのは無理からぬことだろう。
例えば、脱衣所で衣服を脱いでいる時に遭遇してしまうという、ベタなことも起こり得る。
いや、必ず起こる。
「わ、ちょっと早く閉めてください!」
と、バスタオルで身体を隠しながら
入口で口元を押さえて、
逆じゃないかと思うかもしれないが、現実はこんなものであった。
「な、何ですか……?」
余りにもまじまじと見つめて来るので、何かあるのかと思い聞いてしまった。
すると、しのぶはにっこりと笑った。
「うん! 怪我とかはなさそうですね!」
どうやら、炭彦が怪我がしていないか気にしていたらしい。
そのこと自体は有難いのだが、何も脱衣場で診ることはないだろう。
そして不思議なことに、しのぶはいつまでも出て行こうとはしなかった。
正直なところ、ええ…と思ったが、それ言い出せる程に炭彦はコミュニケーション豊では無かった。
「2人とも何をしているの」
と、カナタがやって来た。
トイレに立ったのだが、脱衣場が騒がしいので、様子を見に来たらしかった。
そして炭彦としのぶの様子を見て、大きな、それはもう大きな溜息を吐いた。
「こんな時に、バカじゃないの」
と、冷たい視線と冷たい言葉を2人に向けて来た。
それは余りにも正論で、反論の余地を許さないものだった。
家と親があんなことになった日に。どう考えても悪いのは自分だった。
そのまま不機嫌を隠さずに歩き去って行くカナタの背中を、炭彦は見送ることしか出来なかった。
「炭彦君」
動くことが出来ずにいる炭彦に、しのぶは彼のために持ってきていた着替えを足元に置いた。
「今日はもう休みましょう。また明日。明日になったら、一緒にカナタ君に謝りに行きましょう」
その時のしのぶがどんな表情をしているのか、炭彦にはわからなかった。
目尻が熱く、視界がぼやけていて、何も見えなかった。
眠りたいと、そう思った。
◆ ◆ ◆
眠りたくないと、そう思った。
これまで何度も自分が無力だと痛感していたのだが、ここまで来るといっそ滑稽でさえあった。
滑稽。道化。そうとしか表現できない。
挙句の果てに、
死にたい気分というのは、きっとこういうことを言うのだろう。
我ながら相当に気弱だなと、そんなことも考える。
そんなことを考える自分さえ嫌悪してしまって、カナタはその場に蹲っていた。
そうしていると、誰かが自分の傍に立っていることに気付いた。
「カナタ君」
カナエだった。
見上げる気にはならなかったが、おそらくいつも通りの柔和な顔をしているのだろう。
彼女はいつだって、誰に対してもそうだった。
ただそれを、カナタは好ましいとは考えていなかった。
誰にでも優しいということは、実は誰にも優しくないと言うことだからだ。
「カナタ君」
しかし今日のカナエは、少し様子が違った。
「何をしているの。
はっとして顔を上げると、カナエがこちらを見下ろしていた。
その表情は、過去に見たことがない程に硬いものだった。
「……決めたのでしょう。炭彦君を守ると。決めたのなら立ちなさい。下を見ている暇はないはずです」
普段のカナエであれば、蹲っている者がいれば、膝をついてそっと助け起こすだろう。
しかし今のカナエには、そんな雰囲気は一切なかった。
転んで啼き喚く子供に、自力で立てという厳しい母の顔だった。
実際、この時の両者の感覚はそれに近いものだったかもしれない。
「カナタ君」
何も言えずに、立ち上がれずに、カナタはカナエを見上げていた。
そんなカナタに、カナエは言った。
「刀は、
ぐっ、と、拳を握った。
意識したわけではない。ただ、自然と身体が動いたのだ。
刀。父が守った三振り。そして、《あの家》の一振り。
使ったことは、もちろん無い。
現代で刀を使うような状況などあり得ない。
だがもしも、もしも使うことがあるのだとすれば。
使うべき者が、いるのだとすれば。
「残念だけれど、
だから、立って。
カナエの声は、良く通った。
けして大きいわけではない。ただ、無視することも聞き流すことも出来ない。
そういうカナエの声は、カナタは、けして嫌いではないのだった。
「……そうだね」
壁に手をついても良い。
無様でも、不格好でも、何でも良いのだ。
立ち上がりさえすれば、それで良いのだ。
クラスの女子はカナタが格好良いと言ってくれるが、本当はこんなものなのだ。
自分はけして、スマートでもエレガントでもない人間なのだから。
「それは、
そう言ったカナタに対して、カナエはこの時に初めて、微笑んで見せたのだった。
◆ ◆ ◆
珍しく、早くに目が覚めた。
いつもの炭彦であれば、文字通りいつまでも寝ていたい、と訴えていただろう。
何しろ彼は、眠るのが何より好きなのだから。
朝は遅刻ギリギリまで寝ていたし、休日は昼まで起きて来ない。それが自分だ。
だが今にして思うと、眠るのが好きな理由は、余り健全なものでは無かったと思う。
炭彦が眠ることが好きだったのは、夢を見るからだ。
亡くなった祖母の良く夢を見るから、ずっと寝ていたかった。
嗚呼、何て後ろ向きな理由なのだろうか。
『別に、後ろ向きでも良いんですよ』
夢は、本当に都合が良い。
夢の中では、いつもの公園は本当にいつも通りで。
そしていつも通り、瑠衣が自分の隣で微笑んでくれているのだ。
もうそんなことはないと、わかっているはずなのに。
本当に、夢というものは、自分にとって都合が良い。
『後ろを向いていても、前を向いていても。貴方は生きているのですから』
生きるということに、本当は前も後ろもないのだ。
瑠衣は、炭彦にそう言ってくれた。
それだけで、何かが許されたような気がした。
気のせいかもしれなくても、炭彦にはそう思えたのだ。
『生きているということは、それだけで尊い。それは、もう私には眩し過ぎるくらいに……』
けれど、世の中には、あるのではないだろうか。
生きているのが辛くて、考えることが苦しくて。
ただ蹲って、消えてしまいたいと、そう思うことがあるのではないだろうか。
それでも、生きることは尊いのだろうか。
いつまでも前を向けずにいる弱虫な自分に、何が出来るのだろうか。
自信が無かった。何も持っていないから、自信の持ちようも無かった。
『炭彦君。
それが辛いと感じた時、人は消えたいと思い込む。
でも本当は、それらはイコールでは無いのだ。
後ろ向きでも、疲れても構わない。
だって、生きるってしんどいじゃないですか。
そう言って微笑んだ瑠衣の顔を、炭彦は鮮明に思い出すことが出来た。
文字通り、夢に見ることが出来る程に。
『それにですね』
そして夢の中で、瑠衣はこうも続けた。
『別に
「それは違うと思う……」
という自分の声で目覚めたのが、ほんの数分前。
時計を見ると、普段の自分であれば絶対に起きていない時間だった。
けれど不思議なことに、まだ寝ていたい、とは思わなかった。
◆ ◆ ◆
早起きしたとは言っても、特にやることがあるわけでは無かった。
家があんなことになってしまったので、学校もしばらくは休むことになっていた。
学校に行けば嫌でも好奇や同情の目で見られるので、それは有難かった。
まだ胡蝶家の家人や、珍しくカナタも起きていなかった。
色々と考えて足を向けたのは、煉獄家の道場だった。
幸いなことに、
「……む!?」
どうして煉獄家の道場に向かったかというと、もしかしたら、と思ったからだ。
そして案の定と言うべきか、桃寿郎が誰よりも早起きして自主練に励んでいた。
「おはよう! 炭彦。良い朝だな!」
当然、桃寿郎も炭彦の身に何があったのかは聞いているだろう。
しかし彼は、いつもは来ない早朝に炭彦が現れても、何故と問うようなことはしなかった。
ただいつものように快活に笑って声をかけて、そして何も言わずに木刀を渡したのだった。
「こう! して! 素振り! を! している! と!」
そして、やはり何も言わずに炭彦の隣で素振りを始めた。
炭彦も、桃寿郎に倣って素振りを始める。
呼吸は、自然と出来ていた。
「無心になれて、好きなんだ!」
そして呼吸の訓練をした炭彦だからこそ、桃寿郎の言葉の意味もわかった。
無心になる、ということは、口で言うほど簡単なことではないからだ。
呼吸でも素振りでも、それだけに専心して没頭する。他のことは思考の外に置く。
そういう時には、疲れ切るのが良い。
素振りという単調な作業を延々と繰り返すのも、効果的だ。
繰り返すごとに、余計なものが削ぎ落されていく。
何となくで道場にやって来た炭彦だが、意外と理にかなった行動だったのかもしれない。
「桃寿郎君は、どうしていつも鍛錬をしているの?」
「うん? 俺か!? そうだな! 実は特に理由はないのだが!」
「あ、ないんだ」
「だが、そうだな。俺は身体を動かすのが好きだし、じっとしているのは性に合わないんだ!」
だからつい、何かに突き動かされるように行動してしまう。
強迫観念、というのとはまた違う。
言ってしまえば、燃料満載の機関車のようなものだ。
生命力に溢れている、とでも言えば良いのだろうか。
「心を燃やせ!」
それを、桃寿郎はそう一言で表現した。
「心を、燃やす?」
「ああ! ひいひいおじいちゃんの口癖だったらしい!」
もちろん会ったことはないのだが、と桃寿郎は快活に笑った。
「意味は良くわからないが、何となく口に出してしまうんだ!」
心を燃やせ。
なるほど、確かに――胸にすとんと、落ちて来るような気がした。
「心を、燃やせ」
呟いて、炭彦は木刀を振り下ろした。
◆ ◆ ◆
「…………いないじゃないか」
いつもの時間に目を覚ましたカナタ――彼は目覚まし時計がなくとも決まった時間に起きることが出来る――は、もぬけの殻の炭彦の布団の前でそう呟いた。
しかも、である。
忠臣蔵ではないが、布団はすでに冷たくなっていた。
布団を抜け出して、すでに結構な時間が経っている証拠だった。
寝坊助な炭彦が、いったいどういうことだろうか。
また胡蝶家のどこにも、いる気配が無いのである。
「まさかとは思うけれど。家出なんてことは……無いよね?」
昨日の自分の態度を思い出して、そう呟いた。
表情は変わらないが、その場でそわそわと歩き回る様子からは、相当に焦っている様子が見て取れた。
え、ないよね?
と、そう連続で呟き過ぎてもはや単語が溶けてしまいそうになっていると。
「……うん?」
急に、騒がしい音が遠くから聞こえて来た。
それはまるで陸上の
しかもそれは、徐々に近付いてきていて。
「――――カナタッ!!」
「うわびっくりした」
部屋のドア――ではなく、窓ががらりと勢いよく開いて、汗だくの少年が顔を出した。
カナタは酷く冷静に「びっくりした」と言ったが、本当にびっくりしたのだとその少年は知っていた。
「カナタ! 昨日はごめん!」
そしてカナタも、その少年が――炭彦が、本当にそう思っていることをわかっていた。
お互いだから、わかり合えた。本当だと信じ合うことが出来た。
それはきっと、幸福なことなのだろう。
「えっと、俺も昨日は少し言い過ぎ」
「それでね!」
「というか声でかいな」
「ごめん! 桃寿郎君のが移っちゃったかも!」
桃寿郎の家の道場に行っていたのか、と、カナタはようやく得心した。
確かに桃寿郎は常にやかま――元気だが、ずっと一緒に鍛錬していて移ってしまったようだった。
……いや、口調はともかく声量って移るものだっただろうか?
「それでね!」
「え、うん。何?」
何とか立ち直ったカナタに、炭彦は言った。
「あの人に、会いに行こう! もう一度!」
「……あの人って?」
いったい誰のことだろうか。
そして次に炭彦の口から出て来た名前に、カナタは一瞬、聞き間違いかと思った。
しかし炭彦の目は、あくまでも本気だった――――。
◆ ◆ ◆
「うわあ先輩、どうしたんですかその子?」
「いや、何て言うか……何だろうなァ?」
翌朝になってようやく派出所に戻って来た実弘に、後輩が驚いた声を向けた。
それはそうだろう。
マンションの爆発
実弘がおぶっていたのは、小さな女の子だった。
今どき着物なんて珍しいなと思いつつ、スヤスヤと眠るその子のために布団を出してやった。
仮眠用の薄い布団だが、無いよりはマシだろう。
それにしても、このあたりでは余り見ない子供だった。
「迷子ですか?」
「いや、何て言うか……」
「……?」
実弘にしては珍しく、酷く歯切れが悪かった。
迷子なら迷子とはっきり言うだろうに、今日に限ってどうして。
と、そこまで考えたところで、後輩ははっとした表情になって。
「ま、まさか誘拐……!」
「ぶっ殺すぞ」
「じゃあ何ですか? って、うわ、良く見たら服もちょっとボロボロじゃないですか」
凄んでは見せたものの、後輩の言うことはどれも尤もだった。
迷子にせよ何にせよ、派出所に連れて来るというのが警察官として正しい行動かと言うと、それは違った。
まして、後輩には言っていないが、爆発事故の事故現場に倒れていたのだ。
派出所に連れて来ないまでも、病院だとか、色々とあるはずだった。
「だあ、わかったわかった。お前らにも何か用意してやるよ」
コロと茶々丸がわらわらと実弘の足元にまとわりついて、スンスンと鼻を鳴らしていた。
まるで何かを確かめるような行動だったが、実弘にとっては移動の邪魔でしか無かった。
「うーん。俺にも良くわからねぇんだが」
ポリポリと頭を掻くような姿勢で、実弘は健康そうに眠る童女を見下ろしていた。
どうして事故現場から連れ帰るなどという、明らかに警察官失格のような行動をしたのか。
本当に、自分でも良くわかっていなかった。
ただ何となく、胸の奥で何かがちりついて、そうしなければならないような気がしたのだ。
助けてやらなければ、という気持ちが、自然と湧いて出たのだ。
気が付いたら、身体が勝手に動いてしまっていた。
「何だか、他人のような気がしなくてよォ」
自分でも、本当に何を言っているのかわからなかった。
何とも言えない表情でいる実弘を見つめて、しかし後輩は笑うようなことはしなかった。
けして笑わず、逆に酷く真面目な表情と声音で。
「え、まさかロリコン」
「歯を食い縛れェ」
最後までお読みいただき有難うございます。
だんだんと佳境に近付いて来た感がありますが、さて。
これ、どうやったら丸く収まるんだ(え)
それでは、また次回。