それにしても、良く眠る娘だ。
ずやすやと眠る禰豆子の寝顔を眺めながら、実弘はそんなことを思った。
子ども――少なくとも、背丈は子どもだ――の寝顔というのは、実に不思議だ。
ずっと見ていて、飽きないのだ。
ただの寝顔だろう、と誰かは言うのかもしれない。
しかし実弘にとっては、それは何時間でも眺め続けられるものだった。
保護した子どもでこれならば、自分の子どもが出来た時にはどうなることか。
「って、それは気が早すぎるだろォ」
と、自分で言って苦笑した。
そもそも相手がいない。
何より顔面まで傷だらけの自分に、嫁だの恋人だのが出来るとも思えない。
――――だからなおさらだ、と思うのは、流石にやめておいた。
「しっかし、そろそろどうにかしねぇとなァ」
やはり禰豆子の寝顔を眺めながら、そんなことを呟いた。
後輩に言われるまでもなく、今の状況が長続きしないことなどわかっていた。
ただ、何かが引っかかる。
胸の奥に感じる引っかかりが、実弘に行動を
「オイ、何とか言え。んん?」
禰豆子の枕元で丸くなっている茶々丸を
尻尾を僅かに揺らすだけだ。
そんな反応に苦笑しつつ、実弘はその場で立ち上がった。
夜のパトロールにでも行こうか、と思ったのだ。
「ごめんくださいな」
その時だった。
派出所の方から、誰か――女性の声が聞こえた。
わかりやすく言えば、交番に誰かが訪ねて来たわけだ。
(……妙だな)
と、実弘はまずそう思った。
理由は2つ。
まず第1に、深夜に交番を訪ねるような人間が珍しい。
あるとすれば、よほどの事情である。
だが聞こえて来た声は落ち着いていて、何かの事件性がある、というわけでは無さそうだった。
とすると、ますます
何よりも問題なのは、第2の理由。むしろこちらが本命とさえ言える。
つまり、聞こえて来た声は実弘の
「……! てめぇは……」
「こんばんは、お巡りさん」
そしてその推察は、見事に的中していた。
図々しくも椅子に座って待っていたその女性を、実弘は知っていた。
そこにいたのは、あの消えたバーの女主人、禊だった。
禊は実弘の姿を認めると、小首を傾げて妖しく嗤ったのだった。
◆ ◆ ◆
何の用か、と言おうとして、止めた。
禊が――相も変わらず煽情的なドレス姿で――デスクに、どう見ても槍としか思えない代物を立てかけていたからだった。
余りにも堂々としているので、実弘は思わず笑ってしまいそうになった。
「オイ、銃刀法違反にも程があるだろォ」
「あら怖い。逮捕でもしてみる? 無理だと思うけど」
あっさりと言ってくれる。
しかし禊の言葉が真実であることは、実弘にもわかっていた。
自分が100人いたとしても、目の前の女には敵わない。
それが直感というか、本能でわかっていた。
腕っぷしとは違う、別の何か。その何かが、実弘と禊を決定的に分けている。
そしてそれは実弘が、
まあ、それは実弘の責任というわけではないのだが……。
「……で? こんな時間に何の用だ」
「あら。困りごとをした善良な一般市民に対してそんな言い方をしていいのかしら。まるで尋問だわ」
「善良な一般市民はそんな
真っ当な指摘をしてみたところで、もちろん意味など無かった。
「ま、良いわ」
禊は椅子に深く座って、長い脚を惜しげもなく晒して足を組んでいた。
実弘は色香に惑わされるタイプではないが、交番のパイプ椅子にも関わらず「様になっている」とは感じた。
「実は
実弘は、表情を動かさなかった。
しかし表情を動かさなかったが故に禊が嗤うのを見て、内心で舌打ちをした。
そして半ば無駄と知りつつ。
「……知らねえなァ」
と言ってみた。
禊はそんな実弘をしばし見つめていたが、つい、と視線を実弘の後ろに向けて。
「
と言った。
「ばっ、出て来るんじゃあねェ……ッ!」
反射的に後ろを振り向いて、そう口にしてしまった。
自分で自分を殴りたくなるような、致命的なミスだとすぐに気付いた。
何故ならば、振り向いた先には
「なるほど。もう良いわよ、アンタ」
「てめぇ……!」
しかし実弘は、もう一度禊の顔を見ることは出来なかった。
そうしようとした直前、いや直後に、頚の裏側に強い衝撃が来たからだ。
断言する。油断などしていなかった。
ただその人物の気配の殺し方が、異常に上手かっただけだ。
「ごめんよ、旦那」
実弘が最後に見たのは、
◆ ◆ ◆
うーん、と、犬井は頭を掻いた。
「悪いことをしたねえ」
「思ってもいないこと言うんじゃないわよ」
犬井は、気絶した実弘を部屋の隅に移動させた。
それから、やはり「うーん」と言いながら実弘の顔を眺めた。
もちろん、
しかしこうして見ていると、
血筋なのか。あるいは他に受け継がれるものがあるのか。
そういう繋がりから外れてしまった犬井としては、もうそれを実感できる日は来ない。
これは感心なのだろうか。それとも憧憬なのだろうか。もはや、それを考察することも出来ない。
「で、いんのか?」
獪岳が入口から顔を覗かせて、そう言って来た。
禊はそちらを見もせずに、視線を宙に彷徨わせた。
ただその口元は、明らかに笑みの形に
「いる、っていうか……」
相変わらず、察しが悪い男だ。
禊は獪岳にそう思ったが、口には出さなかった。
何故ならば、言葉にする必要が無かったからだ。
ほら、感じるじゃあないか。
派出所の奥、開きっぱなしのドアの向こうから。
ピシピシと肌を打つ、そんな錯覚をしてしまう程の
ここにいるぞと、これ以上ない程に伝えているではないか。
「こんばんは。こうして会うのは久しぶりね」
最初、その背丈は子どものように小さかった。
それが一歩を進むごとに大きさを増し、ドアを潜る頃には大人の背丈になっていた。
急激な成長。あるいは元に戻ったというべきか。
いずれにせよ、そこには鬼が立っていた。
「竈門禰豆子。最後の鬼……まさにって顔だわ」
禰豆子は、憤怒の表情を浮かべていた。
目は血走り、額には血管が浮き出ている。
怒りの原因はわかり切っていた。部屋の隅で気絶している実弘である。
自分を助けてくれた実弘を傷つけられた事実に、怒っていた。
「おー……すげえ鬼気だなオイ」
「上弦の鬼を思い出すねえ」
男どもは呑気なものだ。禊はそう思った。
竈門禰豆子の放つ鬼気は、かつての上弦と比べても明らかに上だ。
鬼としての
竈門一族の血は、あるいは鬼舞辻無惨よりも鬼としての才に恵まれているのかもしれない。
「チョー最高」
素晴らしい。
それでこそだ、と禊は思った。
それでこそ、面白くなるというものだった。
◆ ◆ ◆
『キミは私を許さないだろうね』
モニターに映り込んだ文字を見て、カナタはじろりと視線を「声」の主へと向けた。
その声の主は、出会った時の3倍ほどの点滴やチューブを身体に差し込まれており、何なら目さえ開けられない状態だった。
もはや視線ですらなく、脳波で入力するタイプだと言う。
ここまで来ると、カナタにすらどういう技術なのかわからなくなって来る。
「確かに。俺はお前を許さないよ」
まず、それは当然のことだった。
嫌うしかない。
だがそれは、理由の1つでしかない。
「けど俺が一番許せないのは、
嘘、というのも少し違う。
厳密には、産屋敷は嘘は吐いていない。
彼が語ったことはすべて本当のことで、そういう意味では嘘とは言い切れない。
しかし言い切れないだけで、それは本質的には嘘とほとんど変わらないものだった。
『煉獄瑠衣は殺さなければならない』
事実だ。真実だ。本当だ。本音だ。
それが必要なことだと、確信している。
実際、それは正しい。
『それができるのは、この世で彼だけだ。竈門炭彦君だけが、煉獄瑠衣を殺すことが出来る』
「そうだろうね。お前が言っていることは、全部が正しいんだろうさ」
殺さないと宣言したはずなのに、殺すと言わなければならない。
矛盾している。明らかにおかしい。
これはいったい、どういうことなのか。
わからない。何もわからない。
そしてだからこそ、あえてカナタは
炭彦の傍ではなく、
それがベストだと、いやベターだと、カナタは判断していたからだ。
『なるほど、キミは……信じているんだね』
モニターの文字は、無機質だ。
産屋敷の感情は、そこから読み取ることは出来ない。
いや、仮に音声だったとしても、産屋敷の真意を読み取るなど誰にも出来ないだろう。
だから、カナタはここにいる。
『竈門炭彦君のことを』
「――――当然。この世の誰よりも」
この世の誰よりも、炭彦のことを信じている。
ただそれは、おそらく産屋敷が思っているような意味ではない。
結局のところ、産屋敷は炭彦を知らない。
あの炭彦が
◆ ◆ ◆
殺したくない。
しかし、殺さなければならない。
その矛盾した感情と事実の前に、炭彦は立っていた。
「私を殺してください。炭彦君」
そして、死んでほしくないと思う相手に「殺してくれ」と言われている。
炭彦の表情は、哀しみに染まっていた。
そんな炭彦に、瑠衣はやはり微笑んだ。
微笑んだまま、炭彦の頬に手を添わせた。
瑠衣の白い指先が、そっと炭彦の頬を撫でる。
さらりとした指先が、心地よかった。
けれど、その指先は余りにも冷たかった。
血が通っていない。ふと、そんな言葉が脳裏をよぎった。
「……私がどういう
「…………うん」
瑠衣は、人間ではない。
けれど思い返してみれば、最初から違和感はあった。
明らかに他の人間とは、何かが違うと感じていた。
それを、憧れで覆い隠していただけだ。
「優しいのですね。炭彦君は」
ふ、と目元を緩ませるその顔は、美しかった。
炭彦は目を奪われてしまって、だからこそ唇を噛んだ。
そんな炭彦から指先を放すと、瑠衣は一歩を下がった。
「瑠衣さん?」
何をするのだろうか。
そう思っていると、瑠衣はおもむろに着物の帯に手をかけ、そのまま解き始めた。
「ち、ちょっと瑠衣さん!? ダメですよそんな!?」
炭彦はぎょっとして、慌ててあたりを見渡した。
しかし彼の心配を他所に、辺りには相変わらず人気がまるで無かった。
この公園でここまで人がいないことなど、かつてあっただろうか。
「る、瑠衣さんってば!」
顔の前に手を
しかしその間にも衣擦れの音が続いて、嫌が応にも意識せざるを得ない。
ただ、それはそう長い時間は続かなかった。
衣擦れの音が止むと、翳した手の向こうから瑠衣の声がした。
「私を見てください。炭彦君」
その声が、余りにも真剣だったから。
だから炭彦も、恥ずかしがってはいられなかった。
翳していた手を下ろして、瑠衣を見た。
瑠衣は、着物の袷を解いていた。
帯は足元に落ちていて、左右に開いた着物の間から、瑠衣の身体が見えていた。
細い首筋から鎖骨、胸元、薄い腹から脚の内側。
白い肌が輝いて見えて、炭彦の目には眩しく見えて。
「え……?」
だからこそ、
瑠衣の下腹部。本来なら羞恥で目を逸らしてしまうその場所。
薄い腹が、奇妙に盛り上がって見えた。
その不自然な隆起は、しかし確かに。
「……顔……?」
人の顔らしきものが、浮かび上がっていた――――。
◆ ◆ ◆
――――100年前、その
煉獄杏寿郎を始めとする柱達との、
死を覚悟した瑠衣の意識に、何者かが話しかけて来た。
『構わないな? この
その時、瑠衣は気付いた。
それは確信だった。そして確信すると同時に、
下腹部のあたりに浮かび上がったそれは、人の顔だった。
おぞましい。
しかし何よりもおぞましいのは、瑠衣がその顔を知っていたことだった。
「
戦いの後、付近の泉で水浴びをした。
戦闘で汚れた身体を洗いたかったし、頭を冷やしたかった。
そして、その水面に映る形で瑠衣はそれに気付いた。
鬼舞辻無惨の人面瘡に。
まず思ったのは、あり得ない、ということだった。
鬼舞辻無惨は完全に滅んだ。
この目で見たし、だから上弦の鬼も消滅した。
――――待て、
「……黒死牟と亜理栖は、私が喰った。猗窩座は、兄様が斬った」
鬼舞辻無惨の死と同時に、消滅したわけではない。
いや、そもそも無惨はその気になれば他の鬼を死滅させることが出来る。
だとすれば、他の鬼の消滅は何の証明にもならない。
死んだふりをしたという可能性さえ、否定できない。
「……いいえ。そうだとしても、いったいどうやって私の中に」
自分は、無惨に鬼にされたわけではない。
自ら青い彼岸花を取り込んだ、まったく別系統の生き物だ。
鬼舞辻無惨の因子など、
……マサカ。モシカシテ。
「――――私カ」
無惨に鬼にされた女から生まれた瑠花。
鬼舞辻無惨の因子を持って生まれた
そしてその遺伝子が、上弦の鬼を喰ったことで強まったとしたら。
他の鬼の細胞の中に、鬼舞辻無惨が
「死ンデナオ、ココマデ不快ナ思イヲサセラレルトハ思ワナカッタヨ」
今のところ、鬼舞辻無惨の意識は感じない。
ただ顔が浮かんでいるだけだ。それ以上のことはない。
逆に言えば、
もう、本当に私以外に誰もいないのだから――――。
◆ ◆ ◆
眠っている、ように見えた。
瑠衣の下腹部に浮かぶ上がった
ただ、そこに存在しているだけだ。
それ以上ではない。否、それ以上になることを
「私は、もう
100年前のあの日、煉獄瑠衣は鬼殺隊と
瑠衣自身、もはや自分が鬼殺隊士だとは思っていない。
鬼狩りの名家、煉獄家の一員だとも、思っていない。
そんな資格は無いし、必要でも無かった。
しかし、だ。
しかしそれでも、
それは、
それだけは、何者にも譲ることが出来ないものだった。
「けれど、
もしも
瑠衣は、自分自身の人生を――あるいは鬼生を――否定することになってしまう。
だから何としても、
抱え込んだまま、
「ただ、私は不死です。不老不死に限りなく近い生き物です」
死にたくとも、死ねない。
太陽すら克服した
瑠衣は苦悩した。どうすれば良いかと考え抜いた。
そして辿り着いた結論が――――
「餓死……」
「私の
実際、途中まではそうなっていた。
しかしここに来て、
犬人間。そして愈史郎の襲撃だ。
それらは、無惨系統の鬼とは比較にならない程に質の悪い食糧だった。
不味かった。しかし「空腹は最高の調味料」だ。
食事をしてしまったことで、鬼を取り込んでしまったことで、瑠衣は延命した。してしまった。
そして、
何よりも問題なのは、食事が質・量ともに瑠衣を満足させるものでは無かったこと。
つまり瑠衣が弱り、
「だから、貴方に出会えたことは本当に奇跡でした」
生まれながらに、自然と呼吸を使えていた炭彦。
竈門炭彦を見つけたことは、瑠衣にとって奇跡だった。
彼こそが、瑠衣の光となった。
「貴方は、私
「どうか、お願いします。炭彦君」
どうか。
嗚呼、どうか。どうか、どうか、どうか。
どうか、私を、私達を、
「殺してください」
終わらせてください。
◆ ◆ ◆
あえて断言しておこう。
竈門炭彦という少年には、何の責任も生じない。
煉獄瑠衣を斬るという判断をしたとしても、何の罪も発生しない。
何故ならば、この問題の結論はすでに100年前に出されているからだ。
100年前、鬼殺隊の柱達と炭彦の祖先達は、瑠衣を斬るべく戦いを挑んだ。
その時点で、炭彦がすべき決断はすでに下されていたことになる。
炭彦がこれから行うことは、いわば
「…………」
日輪刀の柄に手をかけて、炭彦は瑠衣を見た。
瑠衣は微笑み、目を閉じた。
――――もしも。
もしも誰かが、瑠衣を殺せと――実際、そうなっている――言ったとしても。
炭彦は、相手が誰であれ反発し、反論し、反対しただろう。
瑠衣を守ろうとしただろう。
だが、当の本人が「殺してくれ」と望んでいるのであれば、どうするのが正解なのだろうか。
「瑠衣さん」
抜いた刀は、両手で持ってなおも重い。
100年前の物のはずだが、刃は良く研がれていて鏡面のようだった。
皮肉なことに、呼吸に乱れは無かった。
常中――どんな時でも、全集中の呼吸を維持できる。
瑠衣に、そう訓練されたからだ。
「瑠衣さん……!」
瑠衣は、微笑んだまま動かずにいた。
細く白い首筋を晒して、炭彦に身を委ねている。
炭彦には何の罪もない。
これは自分が望んだことなのだ、と、言外に伝えていた。
「僕は」
殺したくない。生きていてほしい。
けれど、瑠衣はそれを望んでいない。
瑠衣にとって、今のまま生き続けることは幸福ではない。
彼女にとっての幸福とは、ただ。ただ、死ぬことなのだ。
「僕は、貴女を――――……!」
日輪刀が、重い。
握り締めるだけ、振り上げるだけで、満身の力を必要とした。
だがそれは、刀の物理的な重さだけが原因では無かった。
炭彦の
そして、もう1つ。
「駄目ッッ!!」
と、誰かが炭彦の腕に掴まって、止めて来た。
振り上げた彼の腕に抱き着いて、全力で止めてに来た。
その膂力は人間離れしていて、炭彦の腕力では――呼吸で強化されているにも関わらず――ビクともしなかった。
「ね……禰豆子さん?」
それは、禰豆子だった。
マンションでの出来事以降、どこかへ姿を晦ませていた。
どうしてここに、というのが、炭彦が最初に思ったことだった。
「駄目……! 炭彦君は、そんなことをしちゃ駄目!」
必死の、涙ながらの、訴えだった。
そして同時に、逆方向の声が炭彦の耳朶を打った。
「どういうつもりですか。竈門禰豆子」
怒気を孕んだ、瑠衣の声だった。
「どうして、貴女が炭彦君を止めるのですか」
「――――どうして? そんなの決まっているじゃあないのよ」
そして、第3の少女の声が響き渡った。
公園に、高らかに。
「アンタの悔しがる顔が、見たかったからに決まっているじゃない。思った通り、チョー最高だわ」
禊の嗤う声が、響いたのだった。
◆ ◆ ◆
その場に現れたのは、禊だけでは無かった。
獪岳と犬井、榛名と柚羽もいた。
全員が、武装している。
それを認めて、瑠衣は口を開いた。
「
「久しぶり? ああ、アンタの感覚だとそうなるのね」
はっ、と鼻で笑って、禊は日輪刀の槍を肩に担いだ。
「まあ、確かにアンタとは久しぶりかもね。ほとんど話したことないし……ねえ?」
煉獄
禊がそう口にした時、確かに瑠衣の眉が動いた。
それは、禊の言葉が真実であることの何よりの証左だった。
「――――何デワカルワケ?」
「さあ、何でかしらね」
禊の態度は、
それがまた瑠衣の――瑠花の苛立ちを強めた。
「煉獄、瑠花……」
そして炭彦がそう呟くに至って、不快さを隠そうともしなくなった。
眉を立てて禊を睨むが、当の禊は気にした風も無かった。
「どういうことですか」
今まで話していた瑠衣は、瑠衣では無かった。
もしもそうだとすれば、すべての前提条件が変わってしまう。
死を望む言葉が瑠衣のものではないとしたら。
炭彦の苦悩は、その根底から意味の無いものになってしまう。
「僕に、嘘を吐いていたんですか」
炭彦は、禊に言った。
瑠衣と話したいと。瑠衣と会って、もう一度言葉を交わしたいと。
だから、こうして。なのに。
「瑠衣さん……!」
そんな炭彦の呼びかけに、瑠衣は――否。
瑠花は、顔を伏せた。
そして次に顔を上げた時、その瞳の虹彩は金色の輝きを放っていた。
すなわち、鬼の眼になっていた。
そして、大きな――それはそれは、大きな溜息を吐いた。
微笑みは消えて、苛立ったような表情が見えた。
そうして、瑠花は片手で前髪を掻き上げる仕草をした。
ワイルドな仕草も綺麗だなと、そんな馬鹿なことを考えかけて、炭彦はぶんぶんと首を振った。
「答えてください、瑠衣さん!」
「……アア、モウ。五月蠅イナ。瑠衣ハ今、ソレドコロジャナインダヨ」
音は同じだ。しかし、声は違う。
それは、不思議な感覚だった。
「ソレニ、別ニ嘘ヲ吐イテイタワケジャナイヨ。コレハ、瑠衣ノ
鬼舞辻無惨を抱えたまま死ぬ。
この計画は、間違いなく瑠衣の判断だ。
ただ、表に出て来られない事情があるだけだ。
だから。
「ダカラ、何モ変ワラナイ」
だから、瑠花は言った。
先程と変わらない言葉を、もう一度、炭彦に対して言った。
「私ヲ殺シテ」
言葉は同じ。
だけれども。
同じようには、もはや聞けなかった。
だから、炭彦は――――……。
◆ ◆ ◆
実のところ、炭彦には瑠衣と瑠花の関係がわからない。
同じ肉体を共有しているとか、鬼と人だとか、彼の理解を遥かに超えている。
炭彦にわかることは、たった1つだ。
「瑠衣さんと、話をさせてください」
自分が話をしたい相手は、目の前の
そしてそんな炭彦に対して、瑠花はじろりと視線を向けた。
「聞コエテイナカッタノ? 瑠衣ハソレドコロジャナインダヨ」
しかし、炭彦の目は真っ直ぐに瑠花を捉えていた。
この目を、瑠花は知っていた。
いや、その場にいる誰もが知っていた。
(お兄ちゃんと、同じ目)
禰豆子は、炭彦に兄の面影を見た。
彼女の兄である炭治郎も、こういう真っ直ぐな目をすることがあった。
強引ではない。しかし、退くということを知らない。そんな目だ。
けれど、炭彦は炭治郎ではない。
子孫なのだから、確かに似ているところはある。
しかしこの
そんな目に見つめられて、瑠花は目を細めた。
「……瑠衣」
と、呟いたのは瑠花だった。
彼女は、
まるでそこにいる誰かに尋ねるように。
「瑠衣、ドウスル」
しばらく、沈黙が続いた。
瑠花の視線は、宙を彷徨っているようでもあり、目に見えない何かを見つめているようでもあった。
わかっているのは、それを炭彦達は感じ取ることが出来ない、ということだ。
感じ取れない場所に、
「…………ウン」
そして、沈黙は唐突に終わった。
「ワカッタ」
中空から、正面へ。
瑠花は視線を元に戻した。
そして、笑った。
それが余りにも
「今、忙シイッテサ」
余りにも、答えとの間に落差があり過ぎて。
「い、忙しいってどういうことですか!?」
「イヤ、言葉ノ通リノ意味ダケド」
「ええええええ」
多忙につき、対応できません。
古今東西、これ程に使い古された断り文句もそうはないだろう。
そして実際に使われる側になってみると、想像していた以上にショックを受けた。
あるいは、途方に暮れた、という方が正しいかもしれない。
何しろ忙しいので時間が取れないと言われてしまえば、どうしようもないからだ。
その言葉に対して取れるこちらのアクションは、そう多くはない。
待つか。諦めるか。
諦めることは、したくない。だったら、
「
はっと顔を上げると、禊が隣に立っていた。
「相手の善意に期待するんじゃあないわよ。大体、恵んで貰った善意なんて何の意味もないの」
ぎゅ、と腕を抱かれて、そちらを見れあ禰豆子が炭彦を見つめていた。
その目は、負けないで、と強く訴えかけて来ていた。
「善意っていうのは、差し出させるものなんだから」
「いや、それも違うような……」
ただ、わかったことがある。
禊も禰豆子も方向性こそ違うが、言っていることは実は同じだ。
願いがあるのなら。意思があるのなら。
押し通して見せるべきでは無いのか、ということだ。
つまり、2人はこう言っているのだ。
――――我儘になれ。
謙虚も、遠慮も、ここでは必要ではない。
必要なのは、
「僕は」
会いたい?
違う。
会わせてほしい?
それも違う。
「瑠衣さんに、
「……まあ、まだ良い子ちゃんな雰囲気が残ってるけど」
初めてにしては、及第点だろう。
禊はそう言って、また笑ったのだった。
最後までお読みいただき有難うございます。
少し締め切りオーバー。
いやいやまだセーフ……セーフ?
それでは、また次回。