鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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毎回のように誤字報告をくれる皆様。
本当にありがとうございます…!


第84話:「血の海の中へ」

「マンガで読んだ話なんだけどね」

 

 教室の片隅で話すかのように、禊は言った。

 その口調はとても気安く、寛いでいる様子さえあった。

 

「強さっていうのは、()()()()()()なんだって」

 

 遊女とは、客を愉しませる存在だ。

 それは別に肉体的な意味だけではない。

 何しろ()()()()()()をせず、傍で一夜語るだけで満足だという男もいるのだ。

 だから遊女は、あらゆることに通じていなければならない。

 

 高尚な学問から、市井のゴシップに至るまで。

 どんな客が来ても、どんな男が相手でも、必ず満足させる。

 それが遊女の矜持であり、誇りなのだ。

 とは言え、それはあくまで「必要だから」頭に入れている、という話だ。

 

「私はそんなにマンガとかに感想持たないんだけど、それは「なるほど」と思ったわけ」

 

 強さとは、我儘を通す力。

 自分の意志を通す力。

 それが、強さの最小単位。

 

「まあ、そうは言っても。今のアンタじゃ逆立ちしたってアイツ(瑠花)には敵わないでしょう?」

 

 瑠衣に呼吸の訓練を受けたとは言え、炭彦自身は剣士ではない。

 長きに渡る飢えで衰弱しているとは言え、100年の差は大きい。

 天性の才能の片鱗(へんりん)は見えるものの、流石に無理があるだろう。

 

「だから、手伝ってあげるわ」

 

 とは言え、禊の言葉は意外なものだった。

 どうして、と炭彦は思った。

 炭彦と禊には、ほとんど接点がない。

 むしろ関係性を見れば、敵であってもおかしくはない。

 

「僕は、あの人に全然敵わない。弱いやつなのに……?」

「馬鹿ね」

 

 笑って、禊は言った。

 

「強さっていうのは、腕っぷしだけのことじゃないでしょう」

 

 その笑みは、煽情的で、あるいは挑発的で。どこまでも上からで。

 しかし、美しかった。

 自信に満ち溢れた。そんな上からの微笑み。

 それは瑠衣が見せたものとは全く違うが、それでも若い……いや、()()少年が見惚れるには、十分なものだった。

 

「……ハッ」

 

 危険なものを感じ取ったのだろう。禰豆子が炭彦の腕を強く引いた。

 まるで母親か姉だ。それがおかしくて、禊はまた笑った。

 実際、彼女は何も嘘は吐いていない。

 

 強さとは我儘を通す力なのであって、腕っぷしとイコールではない。

 腕っぷしは、手段の1つに過ぎない。美貌も、知識も、剣の技もだ。

 炭彦は、我儘をすでに1つ通している。瑠衣に会うという我儘を。

 禊はただ、それを認めただけなのだ――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 黙って聞いていれば、何を言い出すのかと思った。

 瑠花ではない。

 ()()が、である。

 

「いや、絶対お前そんな殊勝な奴じゃないだろ」

「あら、わかっちゃった?」

 

 獪岳の言葉に、禊は笑って頷いた。

 炭彦が我儘を通す姿に感銘を受けた。

 みたいなことを言っているが、大嘘である。

 

 いや、マンガの台詞に感心したのは本当だろう。

 しかし天地がひっくり返っても、禊が炭彦の行動に胸を打たれるということはない。

 確かに彼女は強い男が好きで、炭彦の頑固さも好ましいと思っているのだろう。

 だが、それ以上に彼女は。

 

「お前はどっちかって言うと、我儘を通せなくて「こんなはずじゃなかった」って顔をする男の顔を見る方が好きだろうが」

「あは、良くわかっているじゃない。もしかして私に気があるの?」

「死ね」

「嫌」

 

 そしてもちろんのこと、獪岳が禊に気があるということもない。

 むしろ嫌い合っている。

 そんなことはわかっている。

 わかっていてあえて言及したのは、()()()()()()()()

 

「そうよねえ。アンタは昔から、あの子のことが好きだったもんね」

「……ああ?」

「あら、違った? そうでもなきゃ、アンタみたいな奴が100年も付き合ったりはしないと思うんだけど」

「うっせーよ性格ドブスが。つーか、お前こそ今日は良く喋るじゃねえか」

 

 普段、禊と獪岳は会話をする方ではない。

 他の3人と違って、そもそも――禊の客に対するそれはまた別のもので――この2人は社交的ではない。

 と言うより、気が強い。そして我が強い。

 お互いに自分が一番だと思っている。

 つまり、()()()()()()()()()()()

 

「……アイツのことなんざ、どうでも良いんだよ。俺はな」

 

 だから話さなかった。それだけのことなのだ。

 衝突するとわかっていて、それを避けないような愚か者ではない。

 ただ、それは衝突を恐れているという意味と同義ではない。

 

「俺はただ、てめえが気に入らねえだけだ」

 

 ()()()()()()()()()

 昔からそうだった。

 気に入らない奴は、どいつもこいつもぶん殴って来た。

 

(なあ、善逸)

 

 だがそいつらも、もはや記憶の中にしか存在しない。

 言い替えれば、100年経っても記憶から消えない連中だ。

 そうなっていないのは、それこそ……。

 

「……それだけだ」

「あっそう。まあ、私はアンタのこと嫌いじゃないわよ」

「嘘吐けよ。お前、自分以外の人間は全員嫌いなタイプだろうが」

「さあ、どうかしらね」

 

 やっぱり、ムカつく女だ。

 その時の禊の顔を見て、獪岳は改めてそう思ったのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 いずれは衝突するだろうと思っていた。

 と言うか、今まで衝突しないのが不思議だった。

 しかし、とは言えそれが今日だとは思っていなかった。

 この時の犬井の思考を言葉にすると、そういうことになる。

 

「いやあ、()()はならんでしょーよ」

「あらぁ、()()()()じゃない」

 

 犬井の傍で、車椅子に座った榛名がクスクスと笑っていた。

 その膝には、懐かしくも古めかしい日輪刀が置かれている。

 膝掛けの上に置くには、(いささ)か物々しい。

 

 対照的に、車椅子の後ろ――つまり榛名の後ろに立つ柚羽は、腰に日輪刀を差していても違和感がない。

 喉の傷痕は相変わらず痛々しいが、それさえも貫禄に変えている。

 凛とした(たたず)まいというのは、こういうことを言うのだろう。

 

「あー」

 

 ガシガシと頭を掻きながら、犬井は言った。

 

「これは、裏切り、ってことで良いのかねえ」

「あらぁ、そうなの?」

「いやあ、そうなのって言うか。ねえ?」

「ん~、誰が誰を裏切ったの?」

「誰が誰をって。そうだなあ……禊ちゃんが、ボスを?」

 

 そう言う犬井を、榛名は下からちらと見上げた。

 口元を綻ばせるその顔は、どこまでも優しい。

 ただ、丸く開いた目は、口ほどに物を言っていた。

 

「あー、じゃあ……獪岳君が、ボスを?」

「あの2人は、瑠衣ちゃんを裏切ってなんかいないわぁ」

「ええ? じゃあ、どうして(バト)る雰囲気になっているわけ?」

「仲が良いからじゃないかしらぁ」

「それはまた、ポジティブな受け取り方なもので」

 

 しかし、意外ではある。

 禊が炭彦の味方を――真意は見えないとは言え――するとは意外だった。

 そして、それに対抗するのが獪岳だというのも意外だった。

 まあ、獪岳の場合は嫌いな奴の逆張りをしたがる傾向があるので、不思議ではないのかもしれないが。

 

「ちなみに、お2人はどう考えている感じなのかな」

「そうねぇ。別に良いんじゃないかしら」

 

 下から見上げたまま、口元を柔らかに綻ばせて、しかし目はそのままで。

 榛名は、犬井を見つめていた。

 それに、犬井は僅かに身を引いた。

 

「わたしは好きよ。獪岳ちゃんも、禊ちゃんも――瑠衣ちゃんも」

 

 それは、見ていればわかる。

 犬井の方から視線を切って、彼はそのまま肩を竦めて嘆息した。

 榛名の方は、そのままじっと犬井を見つめ続けていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 結果として、()()なった。

 瑠花に絡みに行った禊を、獪岳が遮った形だ。

 再び、炭彦自身が瑠花と向き合うことになった。

 

 元よりそのつもりだったというか、そうすべきというか。

 ついでに言えば、炭彦に殺されようとしている瑠花が彼に危害を加えるはずもない。

 だから禊も、邪魔をしそうな獪岳を先に止めに行ったのだろう。

 瑠花は炭彦に害意はない。しかし、だからこそ厄介だとも言えた。

 

(ど、どうしよう)

 

 たとえて言えば、城塞だ。

 城塞それ自体は、誰にも危害を加えるということはない。

 それだけでは、ただの建物。ただの壁に過ぎない。

 

 しかし、故にこそ強固。堅固。揺らがない。

 それ自体はただそこにあるというだけなのに、崩しに行こうとした瞬間、強力な兵器に変わる。

 壁を殴りつけたところで、こちらの手が怪我をするだけなのだ。

 いや、そもそも炭彦は瑠花を殴りつけたいわけではない。破壊は目的ではない。

 

(どうすれば、この人(瑠花)を説得できるんだろう)

 

 禊は炭彦の意思が気に入ったと言ったが、意思だけでどうにかできるわけではない。

 会いたい。瑠衣に。会って話がしない。

 しかしそのためには、瑠花に――()()()()の許可を得なければならない。

 ――――そう考えると、何故か無性に緊張の度合いが増してきた。

 

「大丈夫だよ。炭彦君」

 

 一歩前に、禰豆子が出た。

 気のせいで無ければ、身体が大きくなっているように見えた。

 少女の背丈から、大人の女性の背丈へと。

 肩幅と腰は細く、胸周りと下半身は太く。しかし膨らみは柔らかく。

 

 あまりにも変化が自然だったので、一瞬、瞬きをして自分の目の錯覚を疑った程だ。

 しかしそこにいたのは、確かに年上とわかる女性だった。

 肩越しに振り向いて、その女性が――禰豆子が、言った。

 

「全力を出せば、たぶん、少しの間なら互角に戦うことができると思う」

 

 炭彦の目的は、瑠花という壁を砕くことではない。

 とは言え、()()()()()必要はあるだろう。

 そうしなければ、()()()()()()に行かなければ、瑠衣に会うことは叶わないのだから。

 そしてその()じ開ける役目こそが、自分だ。

 禰豆子はそう言った。

 

「だから、()()()()()()()()()()()

 

 その背中が、女性らしく小さなその背中が、炭彦にはとても大きく見えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()

 炭彦が瑠衣に会いに行った時。

 禊が炭彦を手伝うと言った時。

 竈門禰豆子は、今日まで生きて来た理由を自覚した。

 

 きっと、兄も――竈門炭治郎も、そうだったのだ。

 炭治郎は、100年前の瑠衣との戦いに自分を連れて行かなかった。

 そのことについて禰豆子は納得していなかったし、何なら恨んでさえいた。

 けれど今、兄がそうした理由が、何となくわかったような気がした。

 

「何度ヤッテモ同ジダヨ」

 

 血鬼術『爆血』。

 瑠衣と――瑠花と対峙するにあたって、血の炎を肌に纏っていなければならない。

 この100年で会得した血鬼術のコントロールだが、このおかげで生き残って来れた。

 この血の炎の盾がある限り、瑠花の吸収に対抗することが出来る。

 ――――とは言え。

 

「キミジャ私()ニハ勝テナイ」

 

 とは言え、対抗できるということと勝利できるというこの間には、大きな差があるわけだが。

 

「キミノソレハ、アクマデ技術(スキル)。私達ノ()()トハ違ウ」

 

 瑠花の吸収は、彼女の肉体構造から来るものだ。

 だから途切れるということもないし、力尽きるということもない。

 対して禰豆子の『爆血』は、あくまで血鬼術。

 集中が途切れれば一巻の終わりだし、燃料切れもあり得る。

 

「言ッテオクケレド、100%私達ガ勝ツ」

 

 鬼同士の戦いは不毛だと言う。不死身同士で終わりがないからだ。

 しかし、それは違う。終わりはある。

 強者と弱者、勝者と敗者が決まる瞬間がある。

 ()()()()()によって。

 

「ソレデモ()ルワケ?」

 

 劣勢なのは、自分だ。

 禰豆子はそれを理解している。

 戦えば最初は互角。しかし徐々に差が大きくなっていくだろう。

 まして瑠衣は、最後の鬼である自分を見逃すことはない。

 

 負ける。今度は逃げられないだろう。

 だが、それでも。

 それでも、と、禰豆子は思った。

 

「――――当然!」

「人間ッテイウノハ、本当ニ理解デキナ(面白)イヨ」

 

 それはきっと、瑠花の心からの言葉だっただろう。

 正直なところ、禰豆子自身そう思わないでもない。

 しかし、これは性分なのだ。これが自分なのだ。

 一度こうと決めたら、必ずやり切る。

 けして譲らない、頑固者。

 

(そうだよね、お兄ちゃん)

 

 私達は、似た者同士なのだから。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 身を低くすると同時に、両手の爪で頚を掻き切った。

 瑠花のではない。

 禰豆子は、自分の頚の頸動脈を掻き切ったのだった。

 当然ながら傷口から血が噴き出し、激しく辺りに飛び散った。

 

(……何ノツモリダ?)

 

 瑠花は一瞬、禰豆子の意図が読めなかった。

 禰豆子はそもそも、持久力で瑠花に劣っている。

 鬼と言えど、血を――生命(エネルギー)を多く失えば、それだけ消耗する。

 要するに、限界値が近くなる。

 

 特に禰豆子の場合、血を媒介に術を使っている以上、血を失うことはリスクでしかない。

 通常の鬼であれば、人間を喰って補給することも出来るだろう。

 禰豆子のは回復手段は「眠り」しかない。

 しかし当然、この場で眠って回復など出来るはずがない。

 

「……!」

 

 ――――拳。

 禰豆子の意図を訝しんだ刹那の直後、眼前に禰豆子の拳があった。

 ()()()()()()()()、片腕を顔の横に立てた。

 その直後、その腕に禰豆子の蹴り足が打ち込まれた。

 

「……ッ。強イ……!?」

 

 拳は囮。本命は蹴り。

 そこまで読んだ瑠花だったが、禰豆子の蹴りの威力が想像外だった。

 大人の姿にまで成長したことで、肉体の基本性能(スペック)が最大まで上がっている。

 射程(リーチ)も長い。

 

「はああああああっ!」

 

 止められたにも関わらず、禰豆子は力尽くで蹴りを続行した。

 盾にした腕から、ミシミシと嫌な音が体内に響いてくる。

 受け切れない。そう判断して、受け流すことにした。

 蹴りの威力に逆らわずに、蹴りの方向と同じ方向に身体を回転させる。

 

「背中ガガラ空キダヨ」

 

 一回転してやり過ごせば、禰豆子の背中を捉えることが出来る。

 しかしそのまま攻撃を繰り出そうとして、出来ないことに気付く。

 禰豆子の蹴りを受け流したはずの片腕が、肘のあたりから千切れ飛んでいたからだ。

 受け流すだけでも、蹴りの威力に肉体が耐え切れない。

 腕は即座に再生できる。だから問題はないが、しかし。

 

(異常ナ力ダ)

 

 距離を取るべく後ろに下がれば、その分だけ禰豆子が詰めてくる。

 逃がすものか、という圧力をひしひしと感じた。

 

()()()()()

 

 これほどの力、通常ではあり得ない。

 実際、マンションで戦った際にはこれ程の力は無かった。

 

()()()()()()()()

 

 打ちかかって来る禰豆子に、瑠花はそう告げた。

 禰豆子は答えず、ただただ攻撃を打ち込み続けた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 それは、まるで暴風雨のような打撃の連続だった。

 長い髪を振り乱しながら、禰豆子が跳び、駆ける。

 瑠花は禰豆子が作る()()の輪の中にあって、一歩も動くことが出来ずにいた。

 

 右から跳び、殴る。

 左から跳び、蹴る。

 前から、後ろから、上から、あるいは潜り込んで下から。

 そしてその全てに異常な膂力が乗っていて、瑠花の肉体でさえ軋みを上げる程だった。

 

「必死ダネ」

 

 瑠花がそう指摘するまでもない。

 禰豆子は、最初から全力だった。出し惜しみをする考えが無かった。

 しかしそれが功を奏しているようには、とても見えなかった。

 

「それでも!」

 

 互いの拳を打ちあう。衝撃で、互いの拳が砕けた。

 再生の間に、後ろに半回転しての回し蹴り。これも互いに打ち合った。肘から先が折れ砕けた。

 その度に、血が噴き出して飛び散り、地面を朱に染めていく。

 あたりに血の匂いが充満し、(むせ)かえりそうだった。

 

 ()()()()、禰豆子は打撃をやめなかった。

 瑠花の身体が、全方位からの打撃にピンボールのように前後左右に揺れる。

 しかしそれだけ打たれてもなお、瑠花には有効打は入っていない。

 ただ、攻撃の密度はかなりの物だった。

 

(ココマデ念入リニ打タレルト、手ヲ出スタイミングヲ掴メナイ)

 

 禰豆子の攻撃は激しいように見えて、丁寧だ。

 大振りなように見えて、その実、小刻みに打ち込んで来る。

 それでいて、こちらが掴みに行けば跳んでかわして、別方向から攻撃を再開してくる。

 その攻撃に対処するために、やはり次の行動を制限される。

 

(ダケド、コレデ抜ケルト思ッテルワケジャナイダロウ)

 

 血をばらまく割に、血鬼術を発動させないこともそうだ。

 玉砕狙いというタチでもあるまい。

 何か狙いがあるはずだ。

 その狙いは何かと探っていると、気付いた。

 

(アノ子)

 

 誰かが自分達を、いや、自分をじっと見つめる視線を感じた。

 その視線の糸を辿って行けば、1人の少年が――炭彦が、こちらを見つめていた。

 穴が開くのではないのかと思える程、集中していた。

 そう、()()()()()()

 

(――――()()()()()

 

 あの眼には、()()()があった。

 こちらの一挙手一投足を、いやそこに至る動きのすべてまで見通そうという、強い意思を感じる眼。

 そんな炭彦の目に、瑠花は奇妙な懐かしささえ覚えたのだった――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠花と禰豆子の戦いは、炭彦にはとてもついて行けるものでは無かった。

 それ自体は無理もないことだった。

 何故ならば2人の戦いは、文字通り人間離れしたものだったからだ。

 速さも膂力も、人間とは比べ物にならない。

 

 だから、炭彦が2人の戦いに介入することは出来ない。

 変に手を出せば邪魔になるとわかっているから、何も出来ない。

 見ていることしか、出来ない。

 

(……何か)

 

 ()()

 今の自分には、それしか出来ない。

 視るという行為。それが唯一であり、そこに()()()()()()()()()()()()()

 

(何か、僕にも出来ることがあるはずだ。探すんだ)

 

 禰豆子も、禊も、自分に出来ることをやっている。

 だから自分も、何かをしなければ。

 禰豆子や禊のようにやれないのならば、何か他の方法で貢献すべきだ。

 

(良く視て)

 

 かっこ悪いと、思わなくもない。

 呼吸の訓練をして、剣道に打ち込んだのに、情けないと思わないわけではない。

 

(もっと)

 

 だけどそれは、何もしなくて良い理由にはならない。

 それに、禰豆子は言った。自分に対して、確かにこう言ったではないか。

 チャンスを逃さないで、と。

 禰豆子の言うチャンスがどういうものなのか、それはわからない。

 けれど、禰豆子は嘘は言わない。そう信じることが出来る。

 

(もっと、良く視るんだ……!)

 

 身体は、瑠花や禰豆子の動きにはとてもついていけない。

 目だけ。

 視力だけで、ついていくしかない。

 それ以外は、今は不要な物だった。

 

『素振りをしていると、自分が透明になっていくような気がしないか?』

 

 桃寿郎の道場で朝練をしていた時、桃寿郎がそう言ったことがある。

 その時は何とも不思議な物言いをするものだと思ったものだが、今は少しわかる気がした。

 集中だ。

 1つのことに本当に集中すれば、それ以外が()()()()()

 

(集中)

 

 不要な物を、()()()()()()()

 視るという行為、感覚。それ以外を閉じて、削って。

 本当に集中して、視て。穴が開く程に視続けて。そして。

 

(集中、集中、集中集中集中――――)

 

 そして瞬きさえ忘れたその瞳が、ほんの一瞬、僅かに揺れた。

 目を見開き、ただ1点に焦点を合わせ続けたその果てに。

 

(――――集中!)

 

 炭彦は、()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 視線を、感じた。

 否。

 ()()()()()()()()()()

 

(アノ眼)

 

 瑠花は、自分を見つめる炭彦の視線の質が変わったことに気付いていた。

 自分から視線を向けに行けば、当然ながら、炭彦の視線をぶつかる。

 ぶつかるはずだし、実際に2人は見つめ合う形になった。

 

 しかし瑠花は、炭彦と見つめ合っているという感覚を得ることが出来なかった。

 まるで観葉植物でも眺めている時のような、そんな気分だった。

 目の前にいるのに、その存在を掴むことが出来ない。

 この感覚を、瑠花は知っていた。

 

(トハ言エ、視エルダケジャアネ)

 

 視ることに夢中で、身体を動かすことが出来ていない。

 あれでは()()()()というものだ。

 本当の()()は、もっとえげつないものだ。

 その極みにいた人間こそが、あの継国縁壱だ。

 あの鬼舞辻無惨が恐れ、そして煉獄瑠衣が求めた者――――。

 

「――――どうして、炭彦君だったんだろうね」

 

 打撃を、身を回して避ける。

 遠心力で攻撃を繰り出すも、紙一重のところで禰豆子が避ける。

 お互いの攻撃は、お互いの肌を擦過するのみだ。

 だがその一撃が、皮膚を裂いて血を飛ばす。

 

「お兄ちゃんでも、カナヲちゃんでも。2人の子どもでも孫でもなく」

 

 禰豆子は鬼だ。

 人間化の薬を飲まなかったから、ずっと年若いまま肉体が劣化しない。

 人間だった兄も、当時の人間達もいなくなった。

 その子どもが死に、孫が死にとする内に、禰豆子は姿を隠すようになった。

 

 瑠衣から身を隠すという意味もあったが、何より、自分が異物だと感じるようになったからだった。

 もちろん、見守ってはいた。

 多くの鬼狩りの家が絶えていく中で竈門家が現代まで残っているのは、禰豆子が陰ながら守っていたからだ。

 

「どうしてこの時代の、炭彦君だったんだろうね」

 

 終わりにすべきではないのかと、思ったこともある。

 珠世がくれた人間化の薬を飲み、楽になるべきではないのかと、思ったこともある。

 人間の理に反する自分が、いつまでも生き続けるのはおかしいのではないのか、と。

 しかし今は、今日まで生きていて良かったと思えた。

 

「それはわからないけれど。でも、きっと」

 

 きっと、自分は。

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 今日、この時のために生きて来た。

 まるで天にいる誰かに差し伸べるように、禰豆子は右手を高々と掲げた。

 そして開いた掌を、握り締めた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 視界が焼かれた。

 そう思ってしまう程の爆発が、瑠花の足元一帯で引き起こされた。

 

「『爆血』カ……!」

 

 血鬼術『爆血』。爆発する鬼の血だ。

 爆風に、あえて逆らわなかった。

 そのままの勢いを利用して、爆心地から距離を取る。

 治癒の煙を上げる手の甲を払いながら、着地した。

 

 その足元で、再び爆発が起こった。

 当然、『爆血』の爆発だ。

 赤い閃光と共に、瑠花が再び爆発の中に消えた。

 負傷自体は問題ない。即座に再生する。しかし。

 

(コレハ、不味イ)

 

 持久力を削ってまで血を流し続けていた理由が、これか。

 『爆血』の()()()()

 戦いの中で、禰豆子の血は十分過ぎる程に撒き散らされている。

 すると、この連鎖爆発はしばらく続くだろう。

 

「はああああああっ!」

 

 この血鬼術の最も厄介なところは、爆発そのものではない。焼かれることでもない。

 血鬼術の効果が()()()()こちらに向く、ということだ。

 瑠花は焼かれるが、禰豆子は焼かれない。

 要するに、爆炎に拘束される瑠花を禰豆子が一方的に殴ることが出来る、ということだ。

 

「鬱陶シイナ!」

 

 流石の瑠花も、これは鬱陶しい。

 不死身とは言え、『爆血』に焼かれて無反応というわけにもいかない。

 どうしたって肉体の反射というものはあり、禰豆子はその隙を突いてくる。

 

 それでも強引に腕を振るうと、禰豆子は直進の勢いを落とさず、身を大きく沈めることでかわしてしまった。

 それどころか、そのまま潜り込み、右拳を瑠花の腹部に突き刺して来た。

 カウンターになり、さしもの瑠花も一瞬、息を詰めた。

 

「……ッ!」

 

 この時、炭彦は複雑な反応を示した。

 誰かが殴られる場面を目撃した時の、目を逸らしたくなるような表情。

 しかし同時に、今の彼には視えていた。

 

 警告を、と、頭のどこかで誰かが叫ぶのを聞いた。

 警告を、発しなければ。

 だが何を。()()を言葉で表現する(すべ)を、炭彦は知らなかった。

 この、()()()()()()()()()()()()()()()

 

「……忘レテイルワケジャアナイト思ウケレド」

 

 禰豆子の拳を腹部に受けたまま、瑠花は言った。

 いや、違った。

 瑠花は攻撃を受けていない。攻撃は、彼女の肉体には届いていない。

 

「く、あ」

 

 膝をついたのは、禰豆子の方だった。

 瑠花の腹部を深く穿っていたはずの右手。

 その右手の、手首から先が消えていた。

 その断面は鋭利な刃物で斬り落とされたというよりは、溶かされたかのように滑らかだった。

 

(ば……『爆血』の炎が、消えてる……!)

 

 そして、あれほど猛り狂っていた『爆血』の炎が消失していることにも気付いた。

 今も右手首の傷口からは止めどなく血が流れているというのに、()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「炎ゴト喰ラッテシマエバ、何デモナインダヨ。キミノ術ナンテネ」

 

 血の血鬼術。

 気が付けば、禰豆子の身体も少しずつ地面に――否、血の中に沈みつつあった。

 完全に、瑠花の射程圏内に囚われてしまっていた。

 

「呆気ナイモノダネ。モウ少シ粘ルカト思ッテイタケレド」

「……そう、だね。私も、もう少し頑張れると思ったんだけど」

 

 禰豆子の血は、瑠花の血によって喰われた。

 だから『爆血』は不発に終わり、今はこうして禰豆子本体も取り込まれようとしている。

 まさに、絶体絶命だ。

 このまま瑠花に喰われれば、いかに不死身の禰豆子と言えども死は免れない。

 そんな状況で、しかし禰豆子は――――笑っていたのだった。

 

「……何ヲ笑ッテイルノ?」

「別に。ただ」

 

 ()()()()()()()()()()

 そう言われてまず思ったのは、虚勢を張っている、だった。

 強がりを言っているのだ、と。

 瑠花の――もとい瑠衣の血の血鬼術の射程にあって、特に鬼が逃れる術はない。

 喰われて終わりだ。

 

「――――――――ハ?」

 

 ところが、そこで想定外のことが起こった。

 この文字通りの血の海に、誰も、いや何も残さずに喰い尽くされるだろうこの空間に。

 

「チョ、冗談デショッ!?」

 

 炭彦が。

 

「たああああ――――ッ!」

 

 炭彦が全速力で駆けてきて、そして。

 瑠花が生み出した血の海の中に、自ら跳び込んで来たのだった――――。




最後までお読みいただきありがとうございます。

バキは、いいぞ(え)

それでは、また次回。
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