鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第86話:「感謝」

 ――――いったい、どれだけの時間を歩いただろうか。

 途中から、数えることもやめてしまった。

 炭彦はただ、瑠衣のいる場所を目指して歩き続けた。

 

「本当ニ不思議ナ子ドモダネ」

 

 その足取りは、けして軽やかなものでは無かった。

 重い。時間を経るごとに、その足取りはどんどん重くなっていった。

 実際、炭彦は己の身体が鉛のように重く感じて仕方が無かった。

 重くて重くて、足を上げ下げするだけでも、想像を絶する程の努力を必要とした。

 

「ネエ、ドウシテ?」

 

 瑠花は、同じ問いを何度も投げかけていた。

 何か妨害をするでもなく、邪魔をするでもなく。

 ただただ炭彦の様子を見つめながら、問いかけるだけだった。

 

 曰く、どうしてそこまでするのか、と。

 

 炭彦がこの世界で――あえて世界と表現するが――瑠衣を探す条件は極めて厳しいものだ。

 まず瑠衣を見つけるためには、炭彦が「透き通る世界」に入っていなければならない。

 そうでないと、炭彦の肉眼にはあの赤い空間しか見えないのだ。

 それだけで、極度の集中力を要求される。

 

「他人ノ人生ヲ体験スルッテ言ウノハ、普通ノ人間ニ耐エラレルモノジャナイ」

 

 さらには、()()()()()を見つけなければならない。

 それ以外の場所に()()()()、瑠衣の過去を追体験することになる。

 この時に叩き付けられる情報量というのは、常人に耐えられるものではない。

 しかもそれを、炭彦は何度も繰り返しているのだ。

 

「普通、他人ノタメニソコマデスル奴ハイナイヨ」

 

 まさしく、1歩を進む度に心身を削がれている。

 心身から、全身から血を流しながら、炭彦は歩き続けていた。

 瑠花の目から見ても不思議な程に、頑なな意思でもって。

 

 だから瑠花は問うた。

 どうしてそこまでするのか、と。

 日輪刀で殺してしまった方が、ずっと楽なはずではないか、と。

 

「モシカシテソレハ、愛トイウモノダッタリスルノカナ」

 

 恋愛。慕情。そういった感情からなのか、と。

 それは確かに、鬼である瑠花には理解の出来ない感情であっただろう。

 人間の愛を、瑠花は理解することが出来ない。

 

「違います」

 

 だが炭彦は、それを否定した。

 では何故だ、と瑠花は問いかけた。

 それに対して、炭彦は。

 

「僕は、ただ……瑠衣さんに――――」

 

 そして、何回か、何十回か、あるいは何百か。

 気が遠くなる程の繰り返しの末、炭彦は遂に。

 ()()()()()に、辿り着くのだった――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 畳の部屋。

 畳の部屋、だった。

 

「…………」

 

 気が付くと、炭彦は8畳ほどの広さの部屋にいた。

 畳のい草の香り。障子(しょうじ)(ふすま)から差し込む陽の光。

 初めて来たはずだが、どこか懐かしさを覚えた。

 

 何となく、室内を見渡した。

 桐箪笥、鏡台に化粧箱。古びた市松人形に、掛け軸。

 そして、日本刀。

 刀掛けに置かれた日本刀――日輪刀だけが、平和なその空間において異彩を放っていた。

 

「…………」

 

 そしてその日輪刀の前に、1人の女性が座っていた。

 足を揃えて正座していて、背筋をピンと伸ばし、凛とした雰囲気を纏っていた。

 ただ余りにも静かすぎて、目の前にいるのに最初はその存在に気が付かなかった。

 そんなことはあり得ないのに、実際に気が付かなかったのだ。

 

 途端に、自信がなくなった。

 今、自分が目にしているのはどちらなのだろうか、と。

 自分がきちんと集中力を保てているのか、もはやその意識さえ曖昧だ。

 それ程までに、余分なものを削ぎ落してしまった。

 

「……瑠衣、さん?」

 

 声を出せるかどうかでさえ、自信がなかった。

 しかし幸いにして、声を出すことは出来た。

 そして自分の声を聞くことで、炭彦は自分という存在を再認識することが出来た。

 

 目の前にいる女性は、間違いなく瑠衣だった。

 見つけた、という高揚感は不思議と湧いてこなかった。

 ただ自然と、そうだと受け入れることが出来た。

 

「……瑠衣さん」

 

 瑠衣は背を向けたまま、炭彦が呼びかけても答えなかった。

 一歩近付いても、それは変わらなかった。

 二歩、三歩。反応は無かった。

 その代わりなのか、どうなのか。

 

 瑠衣の背中に近付く度に、身体が軋むような気がした。

 まるで全身に重しを追加されるかのように、一歩ごとに、しかし確かに。

 重い。重くて、理解する。

 ()()()()()()()()()()()()()()

 

「瑠衣さん」

 

 それでも、炭彦は声をかけ続けた。

 たとえ拒絶されていたのだとしても、構わなかった。

 それが瑠衣の意思だと言うのなら、それでも良かった。

 ただ、一言だけでも言葉をかけてほしかった。

 

(それだけで、きっと僕は)

 

 横を回り、正面に。

 そして炭彦は、ようやく瑠衣の顔を見ることが出来た。

 もう、最後に顔を合わせてから何年も経っているような気さえした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 違和感を覚えた。

 瑠衣の顔を見た瞬間、炭彦は強い違和感を覚えた。

 それが何か、と考えるよりも先に、それは彼の胸中に訪れた。

 

(何だろう。何か、変な気がする)

 

 白面、というのは、今の瑠衣のことを言うのだろう。

 血色が無い人間というのは、ここまで白い顔になるのか、と思った。

 しかしそれだけに、文字通り人外めいた美しさを瑠衣に与えていた。

 それはまさに触れ難く、侵し難いもののように思えた。

 

 ただ、だからこそ炭彦にとっては違和感だった。

 確かに瑠衣は、美しかった。

 だがそこには――どんな理由であれ――温もりがあった。

 その微笑みには、優しさがあった。

 

(僕は今、瑠衣さんの前にいる……はずなのに)

 

 瑠衣の前にいるという気が、どこからもしてこない。

 矛盾しているが、言葉にするとそういうことになる。

 温もりも優しさも感じ取れない冷たい美しさを前に、炭彦は戸惑った。

 

 不意に、瑠衣が目を開いた。

 

 金色に輝く鬼の眼ではなく、普通の黒瞳がそこにはあった。

 そこで初めて、人間らしい色が瑠衣の顔に浮かんだ。

 目をまん丸く見開いて、それはどこか、炭彦の存在に驚いているように見えた。

 まるで、初めて存在に気が付いたかのように。

 

「――――()()()()()()()()()

「え?」

 

 瑠衣が、初めて口をきいた。

 しかし初めての言葉は、拒絶の言葉だった。

 だが拒絶されていることは、最初に彼女の姿を見た時にすでに理解していた。

 だから、それで気持ちが挫けるということは無かった。

 とは言え、()()()()()()()()()()()()()

 

「――――出て行って!」

 

 バンッ、と音を立てて、障子の襖が開いた。

 不思議なことに、外が見えるということは無かった。

 しかし確かに、そこは()()()()だった。

 肉眼の視覚ではなく、感覚として炭彦はそれを理解していた。

 

「うわあっ……!」

 

 引かれた。いや、押された。

 その正体が何かはわからないが、炭彦の身体は彼の意に反してその部屋から外へと叩き出された。

 遠ざかって行く瑠衣の姿に、炭彦は手を伸ばした。

 何かを言わなければならない。そんな気がした。

 

「瑠衣さん……!」

 

 ただそれが何なのか、咄嗟にはわからなかった。

 拒絶されたという事実1つだけを渡されて、炭彦は追い出されることになった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「追イ出サレタネエ」

 

 目を開くと、そこはあの赤い空間だった。

 集中が切れたのかと思ったが、視界の端々に別のものが視えていた。

 どうやら完全に途切れたわけではなく、強制的に()()()切断された、ということらしい。

 ただその代償なのか、反動なのか――意識は、かなり朦朧としていた。

 

「ドウスル?」

 

 瑠衣――ではない、瑠花の声だけがした。

 たぶん、すぐ傍にいるのだろう。

 意識と視界が思う通りにならないので、姿を確認することは出来ない。

 床に蹲る自分を見下ろしているのか、覗き込んでいるのか。

 

 それは、どちらでも同じことだった。

 炭彦にとって重要なのは、その点では無かった。

 今の彼にとって重要なのは、彼が、辿()()()()()ということなのだ。

 そしてそれは、瑠花にとっても大事なことであるはずだった。

 

「そこに、いたんです……!」

 

 自分の掌を、見た。

 もちらん、そこには自分の掌があるだけだ。

 当然、何もない。何かを掴んだわけではない。

 しかし確かに、()()()

 

「瑠衣さんが、いたんです……!」

「……ソウダネ。ソコニ居タネ」

 

 瑠衣がいた。

 その事実一つだけで、炭彦は全ての疲労を感じなくなった。

 それが錯覚でしかないことはわかっている。

 しかし、その事実は確かに炭彦に力を与えるものだった。

 

「デモ、追イ出サレタネエ」

 

 そう、追い出された。

 出て行けと、はっきりと言われてしまった。

 瑠衣にそう言われるということは、成程ショックだ。

 

 しかし、違和感は消せない。

 先程の瑠衣には、やはり何か奇妙なものを感じた。

 何と言えば良いのか、一番気になったのは、目だった。

 自分を見つめるあの目が、どうしても気になったのだ。

 

「ドウスルノ? 諦メル?」

「……いいえ」

 

 まだ、何もわからないままだ。

 追い出された理由も、違和感の正体も、何もわからない。

 こんな状態で、胸を張って「瑠衣に会った」と皆に言えるだろうか。

 ――――言えはしない。

 誰も、いや炭彦自身が、納得しない。できるはずがない。

 

「諦めません。まだ……!」

 

 まだ、何も始まってすらないのだから。

 だから、まだ諦めない。

 幸い、まだ視線は完全には切られていない。

 今ならまだ、あの場所に戻ることが出来る。

 

「アア……」

 

 赤い世界を脱して、もう一度。

 もう一度、あの部屋へ――――……!

 

「ソウダ、ネエ」

 

 相変わらず、瑠花の姿は見えなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ふうううう、と、深い呼吸音が響いた。

 酷く疲れている。聞いただけでそうとわかる音だった。

 しかしそれも、無理からぬことだろう。

 何しろ、()()()()()()()()()()()()

 

「今のは……」

 

 ぐしゃり、と、前髪を崩した。

 そのまま掌に目元を擦り付けて、小さく呻いた。

 意識が曖昧なのか、強く(まぶた)を押しているようだった。

 

「いえ……それより、今は何時(いつ)……」

 

 随分と、長く眠っていた様子だった。

 この空間では余り意味はないのかもしれないが、敷布団が彼女の身体の形に歪んでいた。

 それだけで、彼女が長い間そこに横になっていたことがわかる。

 

 眠りとは、節約であり癒やしだ。

 禰豆子がそうだ。

 彼女は外部からのエネルギー補給――人間の血肉を捕食すること――ができない。

 そのため、代わりの補給方法として睡眠を採用している。

 

「今のは、まさか……? いえ、そんなはずが……。ここには、誰も……」

 

 禰豆子と同じ補給方法に頼ることになるとは、何とも皮肉だった。

 そして禰豆子を連想したせいだろうか、ある少年の姿が脳裏に浮かんだ。

 だがその少年は、もはや悠久の時の彼方にしか存在しないはずだった。

 

()()に……『()()()()()()』に、入って来られるはずが……」

 

 ()()()()は、煉獄瑠衣の内面世界の中でも最奥部に位置する。

 奥の奥。奥底を抜けた先の奥底。そういう場所だ。

 誰も入って来られない。

 瑠衣自身以外の誰にも、見つけられるはずがない場所。

 

 ただ、誤解を恐れずに言えば、これは瑠衣だけが特異というわけではない。

 誰の心にも、絶対に他人を踏み込ませない場所というのは存在するだろう。

 自分以外、いや、()()()()()()()()()()()()()()()が、誰の心の内にも存在するだろう。

 瑠衣の意識が沈んでいる場所は、そういう場所なのだ。

 

「……………………まさか」

 

 もしも。

 もしもこの場所に、自分以外の誰かが現れることがあるとすれば。

 それは、つまり。

 ()()()()()。そういうことに、他ならない――――。

 

「――――瑠衣さん!」

 

 そして、再びだった。

 少年の声が室内に再び響き渡り、彼女は、瑠衣はそちらを見た。

 そこには、自分を真っ直ぐに見据える少年の目があった。

 瑠衣の瞳が、本人の感情を表すかのように揺れた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 繰り返しになるが、炭彦がいる場所は、いわば煉獄瑠衣の精神世界である。

 より厳密には、瑠衣の――と言うより、瑠衣が()()によって奪い取った――()()()()()()だ。

 例を挙げれば、あの下弦の壱・魘夢(えんむ)の夢の血鬼術が近いだろう。

 

 つまりこの世界を視る者は、人外の視力を持っていなければならない。

 「透き通る世界」に到達した炭彦の眼は、その()()を見通す。

 そうやって道を辿り、瑠衣の意識が居る場所へと再びやって来たのだった。

 

「瑠衣さん……!」

 

 いったい、何度。

 今日の1日だけで、いったい何度、瑠衣の名前を呼んだだろうか。

 これ程までに人の名前を呼んだことはない。

 そして、これ程までに()()()()()()()()()()()()()()

 

「……出て行けと」

 

 返って来るのは、やはり拒絶の言葉だった。

 しかしそれ以上に感じるのは、やはり()()()だった。

 

「出て行けと、言ったはずです……」

 

 瑠衣は、日輪刀を手にしていた。

 抜いてはいない。ただ鞘を掴んでいるだけだ。

 しかし、その意思は明確だった。

 ここから出て行け。言葉の通りだ。

 

 だが、それでもやはり()()()があった。

 何かが違う、という意識が頭から離れない。

 目の前に瑠衣がいて、言葉を発している。意思を明確に示している。

 それなのにどうして、()()()()()()()()()()()()()

 

(おかしい。そこにいるのに、どうして……)

 

 それは、瑠衣が日輪刀を――普通の刀よりも短い小太刀――を抜いてもなお、変わらなかった。

 いや、もっと正確に言うのであれば。

 

(どうして、こんなにも遠く感じるんだろう)

 

 日輪刀の切っ先を向けられた後でも、その考えが変わることは無かった。

 そのまま、瑠衣が近付いてくる。

 常人には、その動きは俊敏なものに映ったかもしれない。

 しかし「透き通る世界」に入門している炭彦には、その一挙手一投足が良くわかる。

 

 けれど、炭彦は動かなかった。

 すると自然、瑠衣との距離はどんどん縮まっていくことになる。

 そのはずなのだが、不思議なことに炭彦にはその実感が湧いてこなかった。

 何故なのかは、やはりわからない。

 

(まるで……)

 

 ――――気が付くと。

 瑠衣の日輪刀の切っ先が、炭彦の胸に突き立てられていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()か。

 瑠衣に刺された瞬間、そして間近で顔を見た瞬間、炭彦は違和感の正体を理解した。

 どうりで、()()()()()()()()()()()

 

「ソウダヨ。キミノ思ッタ通リサ」

 

 瑠花の声がした。

 ()()()()()()()()()()彼女は言葉を発した。

 今にして思えば、不思議――いや、不自然だった。

 炭彦と行動を共にしていたはずなのに、どうして瑠花は瑠衣に話しかけなかったのだろう。

 

 いや、違う。その認識は正確ではない。

 少なくとも、瑠衣はずっと話しかけていたからだ。

 ただ、炭彦が誤解していただけだ。自分が話しかけられていると、誤解していただけだ。

 会話が噛み合わなかったのも当然だ。

 

(瑠衣さんには)

 

 瑠衣の日輪刀は、炭彦の胸を貫いている。

 ()()()()()()()()()()()

 痛みもないし、血も流れていない。

 まるで幻かホログラムかのように、擦り抜けている。

 

 そして、瑠衣の目だ。

 真っ直ぐにこちらを、否、()()()睨んでいる。

 だがその瞳に、炭彦はいない。映っていない。

 瑠衣が見ているのは、炭彦の()()()()()()()()()()

 

(瑠衣さんには、僕が視えてない!)

 

 ずるり、と、炭彦の胸から腕が生えて来た。

 背中から擦り抜けて来たそれは、瑠花の腕だった。

 血を、流していた。掌の真ん中を貫かれているのだから、当然だ。

 しかし怯んだ様子もなく、むしろ自分から掌を押し込んでいた。

 

「キミニハ感謝シテイルヨ、()()()

 

 瑠花の手はどんどん進み、瑠衣に近付いていく。

 瑠衣は表情を歪めながら、力の均衡を保とうとしているのか、両手で刀を握っていた。

 しかし、有利なのは明らかに瑠花の方だった。

 

「キミナラキット、瑠衣ヲ見ツケテクレルト思ッテイタヨ」

「どういう、ことですか」

「言葉通リノ意味サ」

 

 もしかして、と、炭彦は思った。

 何か、自分は何か、とんでもない取り違いを、していたのではないか。

 何か取り返しのつかないミスを、してしまったのではないのか。

 

「瑠衣ヲ見ツケテクレテ、アリガトウ」

 

 アハッ、と、瑠花が耳元で嗤った。

 そしてその頃には、炭彦を擦り抜けて、上半身が前に出ていた。

 瑠衣の目も、当然、そちらを見る。

 そう。()()が答えだ。

 

「アハ……アハッ、アハハッ、アハハハハハハハハハハハッ!!」

 

 瑠衣が見ていたのは炭彦ではなく、瑠花だったのだ。

 

()()()()()

 

 余りにも。

 余りにも、気付くのが遅かった。

 竈門炭彦は、己の無能を呪わずにはいられなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――赤い世界。

 

「どういうことですか」

 

 ()()()()()に戻って来た炭彦は、膝を着いたまま、そう言った。

 答えなど、とうにわかっている。

 わかっているが、聞かずにはいられなかった。

 

 もはやいちいち姿を確認などしないが、瑠花が傍にいることは理解していた。

 いないはずがない。

 ここは瑠衣の精神世界であり、()()()()()()()()()()()()

 瑠花が常に傍にいるのは当たり前のことだったのだ。

 

「これは、どういうことなんですか。瑠花さん」

 

 クスクスと、嗤う声がした。

 すぐ傍で、瑠花が嗤っていた。

 その事実に、炭彦はぎゅっと掌を握り締めた。

 

「ドウイウコトッテ。ワカッテイルデショ?」

 

 音がする。

 この赤い世界が、なくなる音がする。

 それは、この世界に致命的な何かが起こってしまったのだと、理解するには十分すぎるものだった。

 そしてそのトリガーを引いたのが、他ならぬ自分なのだと、炭彦は思っていた。

 

「瑠衣ヲ見ツケタンデショ」

 

 瑠衣を見つける。会いに行く。

 それが炭彦の目的だった。それは間違いない。

 ただ炭彦にとって想定外だったのは、()()()()()()()()()()()()()

 彼女もまた、瑠衣を探していたのだった。

 

「でも、あなたは瑠衣さんと話をしていた」

 

 そう、炭彦達の目の前で、瑠衣と対話する様子を見せていた。

 ()()()()()()()()、そうしていたのだ。

 事ここに及べば、流石の炭彦も理解していた。

 あれは、演技だったのだ、と。

 

「キミニハ感謝シテイルヨ」

 

 そんな炭彦に、瑠花は言った。

 

()()()()ノ妹ヲ外ニ引キ出シテクレテ」

 

 その言葉を受けた時の炭彦の表情は、言葉で表現することが出来なかった。

 様々な負の感情がない交ぜになったような、複雑な表情だった。

 その複雑な感情を煮詰めた先に表出したのは、怒りの感情だ。

 それは、温厚な少年である炭彦にとって、生まれて初めて感じるものだった。

 

「――――――――ッ!」

 

 炭彦は、叫び声を上げた。

 上げたと思う。

 日輪刀を握り締めて、生まれて初めて、害意を持って相手にそれを向けようとした。

 しかし、それが瑠花に届くことは無かった。

 

「竈門君!」

 

 誰かの腕が炭彦の頚にかけられて、身体が強く引かれたからだ。

 押し出されたのか、引き上げられたのか。判然としない。

 わかっているのは、自分がもうこの世界にはいられないと言うこと。

 遠ざかって行く瑠花の姿に、炭彦は手を伸ばした。

 そして、もう一度、何かを叫んだ。

 

「モウ一度、言ワセテホシイ――――…………」

 

 返って来たはずの言葉は、しかし、炭彦の耳には届かなかった。

 そして、すべてが暗転した――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()に帰って来たという意識を、炭彦はすぐには持てなかった。

 ただ目の前にあるのが地面だと気が付くと、一気に()()()に包まれた。

 土の手触り、肌に貼り付く空気。そして、外の匂い。

 ()()()()()()()

 

「う、うう……ううう……」

 

 すぐ傍で、誰かが呻き声を上げていた。

 覚えのある匂いと声に、炭彦の意識はすぐに覚醒した。

 その場に跳ね起きる。

 すると、着るものもほとんど着ていない瑠衣の姿がそこにあった。

 

 両手で己の身体を掻き抱くようにして、身体を前に倒している。

 その表情には、苦痛の色しか無かった。

 何秒かおきに発作でも起こしているのか、びくん、と身体が跳ねている。

 その度に唇から血の色の混じった唾が噴き出し、呻き声を上げていたのだった。

 

「る、瑠衣さん!?」

 

 ()()()()()()

 何の根拠もないが、炭彦はそう確信した。

 そして地面を這うようにして近付くと、その背中に手を置いた。

 

「う、あ」

 

 びくん、と瑠衣が身体を震わせたので、咄嗟に手を放した。

 だが瑠衣に触れたその一瞬で、炭彦の手は異様に気が付いた。

 触れた背中。その肌の下で、何かが蠢いているような感触があったからだ。

 

「ああ、あ。あああ……がっ、か……ま」

 

 苦し気に咳き込みながら、瑠衣は炭彦を見た。

 炭彦と、彼が持ち日輪刀を見た。

 

「かま……竈門、くん。私、を、き……」

 

 何が言いたいのかは、すぐにわかった。

 先程と同じだ。わからないはずがない。

 

「私を、斬って……こ、ころ……して」

 

 炭彦の全身に、再び滝のような汗が噴き出し始めた。

 何だったのだ。その思いが何度も頭の中を巡った。

 こうならないための努力だったはずなのに、何も変わっていない。

 

「は、はや……く。()()()()……()()()()……!」

 

 何も変わらず。再びの選択だった。

 しかも今度は、明らかに自分の失敗だった。

 瑠花を信じた自分が、瑠衣を追い詰めてしまった。

 それがわかる。わかってしまう。

 

 しかしそれでも、炭彦には出来ない。

 選べない。

 決断できない。

 選びたくない。決断したくない。

 

(ああ、駄目だ。決断できない……! 決断……!)

 

 そして、()()()()()()()()()()()

 瑠衣の身体から、その背中から、嫌な音がした。

 その音を聞いた瞬間、炭彦は、もう何をしても間に合わないということを理解した。

 

「あ、ああ……あ、あああああああああああ……っ!!」

 

 肉が、潰れる音がした。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――吐いた。

 何に対して嘔吐したのか、もはやわからなかった。

 緊張と自責の念からか、あるいは極度の疲労からか。

 それとも、目の前に広がる光景が余りにもグロテスクだったからか。

 

「あああああああああああぁぁぁ」

 

 悲鳴が聞こえる。

 瑠衣が、目の前で悲鳴を上げている。

 苦痛に、叫び声を上げている。

 ()()()()()()()()()()()()、のたうち回っている。

 

 瑠衣の背中から、何かが出てきていた。

 肉の塊のような何かが、ブチブチと音を立てながら膨れ上がっている。

 それは細い肉の管のような物で瑠衣の背中と繋がっていて、脈打ちながら肥大し続けていた。

 そう。今まさに、膨らみ続けていた。

 

「な、なに。何が、これ」

 

 胃の中身は、もうすべて吐き出してしまった。

 それでも身体の内側が引き攣るのは止められず、目の前がぐるぐると回転して見えた。

 もはや、冷静な判断が下せる状態では無かった。

 

「あああああああああああっ!」

 

 瑠衣が、悲鳴を上げる。

 肉塊が、肥大化する。

 目の前の光景は永遠に続くのではないかと、そんな風にも思えた。

 

「ああ、あああ、ああああ……ああっ……!」

 

 しかし、少しずつ。

 少しずつ、瑠衣の悲鳴が短く、そして小さくなっていっているような気がした。

 肉塊の勢いは止まらないのに、反比例するように悲鳴は小さくなっていく。

 それがいったい何を意味するのか。

 それさえも、今の炭彦には判断が出来ないのだった。

 

「馬鹿野郎ッ!!」

 

 そんな炭彦に、誰かが怒鳴った。

 まともな思考力の残っていない炭彦は、その声がどこから、また誰のものかもわからなかった。

 わからなかったから。

 

「――――ぼさっとしてねェで、斬れ! ()()()()()()()()()()ッ!!」

 

 わからなかったから、反射的に、声の言う通りにした。

 日輪刀を掴み、瑠衣と肉塊の間に伸びている管の束を、真上から切断した。

 細い管とは言え、肉を切断する不快な感触に眉を顰めた。

 さらに切断した管から、血とも粘液とも言い難い生温かい液体が噴き出して、炭彦の半身を汚した。

 

「あ――――……っ」

 

 この行動が正しかったのかは、わからない。

 瑠衣が倒れ伏して動かなくなったのを見て、さらに不安になった。

 しかし彼を安堵させる言葉は、意外な場所からやって来た。

 

「アア、今ノハ良イ判断ダッタト思ウヨ」

 

 瑠花の声だった。

 だがそれは、()()()()()()()()()()()()()()

 瑠衣とは別に、発された言葉だった。

 

「アノママダッタラ、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 肉が潰れ、掻き混ぜられる音の中から、その声はした。

 瑠衣から離れ肥大化した肉塊が、収縮するように小さくなり、掌サイズまで縮むと、逆にまた膨らんだ。

 しかし今度は肉塊のサイズにまで膨らまず、人間大のサイズで留まった。

 いや、人間の形を取り始めた。

 

 手足が伸び、胴体が――腹部、胸部が形作られ、そして最後に顔、髪の毛。

 赤い血肉が肌色に変化し、人間の女性の姿へと変わっていった。

 白い裸身。その腰にあたりに手を当てて、()()は目を開いた。

 何もかもを見下しているようなその眼には、金色の――鬼の瞳孔が、浮かび上がっていた。

 

「る……瑠花、さん……?」

 

 呆然と、炭彦は彼女の名前を呼んだ。

 煉獄瑠花が、そこに立っていた。

 瑠花は炭彦を見下ろしたまま、造られたばかりのその唇を開き、そして。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 いつの間にそこにいたのか、瑠花の背後から、脊椎を砕くようにして。

 自分の喉から飛び出した槍の穂先を見て、瑠花は目を丸くしていた。

 そしてそのまま、後ろへと視線だけ向けて。

 

「マジカヨ」

 

 と、潰れた喉で言ったのだった。




最後までお読みいただき有難うございます。

この作品ももうすぐ100万字に到達します。

100万字もお付き合いいただいた皆様に感謝を。

それでは、また次回。
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