鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第87話:「血の運命」

 早業(はやわざ)だった。

 巨大な鬼気を感じ取るや、禊はすでに駆け出していた。

 そして長槍形態の日輪刀を、その重量にも関わらず、片手で振り抜いた。

 禊はその手に、槍の穂先が相手の脊椎を砕く感触を得た。

 

「……まあ、うん。そうね」

 

 跳躍の勢いを利用して、そのまま槍を引き抜いた。

 とん、と一度地面を蹴り、二度目の着地で止まる。

 その間は、ほんの一瞬にも満たない。

 

「頚は弱点じゃないわよね。当然ね」

 

 しかしその一瞬で、相手――瑠花の喉は、傷一つない綺麗な状態に戻っていた。

 ただ唇の端に、噴き出した血の痕が残るばかりだった。

 そしてその血も、赤い舌が舐め取って消えてしまう。

 自らの血を舐めた瑠花は、余り美味くは無かったのか、軽く眉を(ひそ)めた。

 

「イキナリ酷イナア」

 

 言葉ほどには酷いとは思っていない様子で、瑠花は言った。

 致命傷が瞬きの間に再生する。

 その時点で、上弦以上の力ある鬼であることは確定。

 とは言えそれ自体は予想されていたことで、驚く要素では無かった。

 

 驚くべき要素があるとすれば、瑠花が()()()()()()()()()()()()

 これまで瑠花は、表に出てくる時は瑠衣の肉体を借りていた。

 瑠衣の意識が弱い時に表出し、瑠衣の危機を救う。そういう存在だった。

 それが今、独自の肉体を得て活動している。

 

「あら、酷いのはアンタの方じゃない?」

 

 槍の柄を肩にかけながら、禊は言った。

 その視線の先には、未だに状況が呑み込めずに呆然と座り込む炭彦の姿があった。

 当然ながら、身体的な外傷はない。

 しかし精神的な疲弊は相当なもので、顔色は蒼を通り越して白くなっていた。

 

「こんな良い子を良いように使って、酷いことするわねえ」

「いや、お前も大概だと思うぞ」

 

 獪岳のツッコミについては、誰も触れなかった。

 とは言え、事実として瑠花は炭彦を利用した。

 炭彦の存在がなければ、今の状況はあり得なかっただろう。

 ただただ純粋に()()()()()()()()()()()()()()

 その存在が、炭彦が、瑠花の計画には不可欠だったのだから。

 

「マア、ソウダネ」

 

 自分を見つめる炭彦に対して、瑠花は頷き、言った。

 

「キミニハ知ル権利ガアルヨネ。確カニネ。義務ガアルヨネ、私ニハ」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 そう言って、瑠花は笑った。

 その笑顔だけは、瑠衣にそっくりだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「ムカシムカシ、鬼舞辻無惨トイウ悪イ鬼ガイマシタ」

 

 千年を生きた鬼の首魁。

 人喰い鬼の伝説。

 鬼と戦う、鬼狩りと呼ばれた鬼殺の剣士達。

 

「長イ長イ戦イヲ経テ、鬼舞辻無惨ハ討タレマシタ」

 

 幾人も、幾年もの間、多くの犠牲を積み重ねて。

 鬼舞辻無惨は、鬼狩りの手によって討ち果たされた。

 彼を祖とする鬼はすべて滅びた。

 鬼に殺される者はいなくなり、日の本は平和になった。

 

 それは、かつて祖母に寝物語で聞かされた物語と同じだった。

 そこまでは、同じだった。

 と言うより、そこから先は人間には知り様も無かった。

 だから、そこからは――()()()()()()、誰かの話だ。

 

「トコロガ、鬼舞辻無惨ハシブトク生キテイマシタ」

 

 瑠花という、()()()()()()の存在。

 そして、煉獄瑠衣に捕食された鬼の細胞。

 それが瑠衣の中に僅かに残っていた。

 鬼舞辻無惨にとっても、意外だっただろう。

 

 おそらく無惨も予期していなかった。保険ですらない偶然の産物。

 煉獄瑠衣の中で彼は()()()、緩やかに、少しずつ、再生――いや、()()を果たしていった。

 瑠衣の肉体を依り代として、意識さえも覚醒させるにまで至った。

 

「ソレニ気付イタ瑠衣ハ、ドウニカシナケレバト思ッタワケ」

 

 鬼舞辻無惨の復活など、許すわけにはいかない。

 何故ならば、鬼舞辻無惨を討ったのは自分だという信念だけが、超人・煉獄瑠衣の心の拠りどころだったからだ。

 その()()を誰にも奪わせないために、鬼殺隊を、煉獄家を、捨てたのだから。

 

 だから瑠衣は、()()()()()()()()()()()()

 元々、鬼を捕食できない世界では長く生きれないことはわかっていた。

 生き残りの鬼――珠世や禰豆子ら――を最後に、飢え死ぬことを選んだのだ。

 そしてそれは、ある程度は成功していた。

 

「問題ハ、弱クナルッテコトダッタ」

 

 食べなければ飢える。飢えれば弱る。当然の理屈だ。

 しかしそれでも、完全生物とも言える煉獄瑠衣は、弱体化したところで問題はなかった。

 弱体化してなお、煉獄瑠衣を屠れる存在は地上に存在しなかったからだ。

 煉獄瑠衣という生物に、天敵は――外敵は、いない。

 

 だが、瑠衣の弱体化はある致命的な問題を孕んでいた。

 煉獄瑠衣は、()()に天敵はいない。()()()()()()

 しかし。もしも、もしも。

 もしも、()()()()()()()()()()()()

 その天敵が、()()()()()()()()()()()()()――――?

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣は、鬼舞辻無惨の復活を恐れた。

 故に緩やかな死を選び、鬼舞辻無惨の細胞の活動を抑制しようとした。

 そしてそれは、ほぼ成功していた。

 

 しかし、そこで瑠花は考えた。

 おかしいのではないか、と。

 そもそも何故、鬼舞辻無惨に怯えなければならないのか、と。

 

「逆デショウ?」

 

 鬼舞辻無惨に怯えなければならないのではない。

 鬼舞辻無惨()、怯えなければならない。

 何故ならば、無惨はまだ復活していない。

 瑠衣の体内に巣食っただけの、弱々しい細胞の塊に過ぎない。

 

 そんな存在に、どうして怯えなければならない。

 ()()()()()

 瑠花はそう思った。

 そう思い、思った時点で、彼女は瑠衣に対して()()することにした。

 

「それって」

 

 瑠衣と瑠花の関係性について、炭彦は詳しいことは知らない。

 ただ、姉妹だと、瑠花が言うのを聞いただけだ。

 そこに嘘はない。匂いで、それを理解していた。だから疑わなかった。

 けれどもしも、今の瑠花の話を信じるのであれば。

 

「それじゃあ、瑠衣さんは」

「はい。ちょっと待ちなさいな」

「え」

 

 前のめりになった炭彦の眼前に、禊の手の甲が入って来た。

 その手を追って視線を上げれば、禊の横顔が見えた。

 禊は炭彦に視線を向けることなく、そのまま話を続けた。

 

「どーでもいいのよねえ、そんなことは」

「話ヲ振ッタノハキミダト記憶シテイルケド?」

「はあ? わたしがアンタなんかに話を振るとかあるわけないでしょ」

「ジャアサッキノハ何サ」

「アンタの勘違いよ」

 

 その場にいる全員の目が文字通り点になったが、もちろんのこと禊はその一切を気にしなかった。

 禊が気にしていることがあるとすれば、それは他の面々とはやや違っている。

 

「それで結局、どうなったのかしら。アンタの中の無惨とやらは」

「私達ノ中ノ無惨? 知リタイノ?」

「ええ。是非、教えてほしいわね」

「……アハ」

 

 と、声を発して、瑠花は笑った。

 瑠衣と同じ顔で、しかし瑠衣がしない笑い方で、彼女は言った。

 

()()()()()()

 

 一時は意識を表出させるにまで至った鬼舞辻無惨。

 彼に誤算があったとすれば、それは()()()の存在。

 すなわち、彼と同等以上の強力な鬼が宿主(瑠衣)の中にいたこと。

 そして何よりも、力を取り戻しきる前に彼女(瑠花)に存在を露見するようなことをしたことだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――()()は、肉の塊のように見えた。

 赤黒く、表面は血管が浮き出て脈打っており、見ようによっては(まゆ)のようでもあった。

 あるいは、もっと的確に表現するのであれば。

 ()()()。それが最もしっくり来る呼び名だった。

 

『何だ。お前は』

 

 部屋、というのもおかしいか。

 何しろそこは煉獄瑠衣の体内なのであって、部屋という表現は正しくはない。

 一方で、確かに部屋である。矛盾しているようだが、そうなのだ。

 女性の体内にある()()に、()()は巣くっていた。

 

 ぎょろ、と、まず目が浮かび上がった。

 肉塊の中央に目玉があり、酷く不気味だった。

 それが眼下を見下ろして、こちらを見下ろして来る。

 その視線の圧力を一身に受けて、瑠花は笑ったのだった。

 

『何が可笑(おか)しい』

 

 瑠花の態度が気に入らなかったのか、天井にへばりついた肉塊から落ちて来る声には、確かな苛立ちが込められていた。

 すると肉塊が蠢き、音を立てて膨らみ始めた。

 

『気に入らない女だ』

 

 肉を潰すような嫌な音を立てながら、それはやがて人間大の大きさにまでなった。

 

「……だが、1つだけ褒めてやろう」

 

 長い白髪、全身に血色の痣のような紋様。鬼の瞳孔に鋭い牙。

 肉塊から上半身が生え、そのまま下半身までが露出を始める。

 まるで今まさに、生まれ落ちようとしているかのようだった。

 姿形は、かつての鬼舞辻無惨とは異なっている。

 

 しかし彼は確かに鬼舞辻無惨。正確には、その意識だった。

 煉獄瑠衣という海の中に混ざった、不純物。黒い染みの一滴。

 彼は瑠花を今度は両の目で見下ろすと、その顔に傲然とした笑みを浮かべた。

 

「この私に喰われに来たという、その蛮勇をな」

 

 凄まじい鬼気が、天井から瑠花を押さえ付けて来た。

 並の人間や鬼であれば、それだけで地面に顔を擦り付ける羽目になっていただろう。

 しかしその鬼気を受けてなお、瑠花の態度は変わらなかった。

 

「生意気な」

 

 その態度がよほど気に入らなかったのだろう。無惨の額に青筋が走った。

 彼は右腕を上げると、手首から先が消え、代わりにおぞましい肉の触手が伸びた。

 鉤爪のようにも口のようにも見える無数の穴が開いており、それがカチカチと音を立てていた。

 

「死ね」

 

 無惨が腕を振るう。

 すると触手が鞭のようにしなり、瑠花を目掛けて伸長した。

 それを見ても、瑠花はただ笑っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 もしも無惨が万全の状態であれば、結果は違うものになっていただろう。

 彼が「千年の鬼」であれば、瑠花と言えども相手にならなかっただろう。

 しかし無惨は誤解していた。

 なまじ()()の記憶を引き継いでいたがために、無惨は自分が――特に鬼に対して――無敵だと誤解してしまった。

 

「な――――!?」

 

 瑠花に放たれた触手は、確かに瑠花に届いた。

 しかしそれは、瑠花に触れることなく擦り抜けてしまった。

 そして、()()()と先端部が瑠花の足元に落ちたのだった。

 

 何が起こったのか。

 問いかけるまでもなく、答えは明確だった。

 瑠花に触れた瞬間、()()()()()()

 無惨が「自分が喰われたのだ」ということを理解するのに、数秒の時を要した。

 

「キミハ確カニ鬼舞辻無惨ダ」

 

 まるで何事も無かったかのように、瑠花の表情は変わらなかった。

 その後も第二撃、第三撃と触手が放たれてくるが、すべて同じ結果に終わっていた。

 無惨の表情から、みるみる内に余裕が失われていく。

 

「馬鹿な……馬鹿な! こんな、こんなことが!?」

「ダケド()()()()()()()()()()、私ニハ勝テナイ」

「生まれたばかりだと? 何を意味のわからないことを。私は、千年を……永遠を……生きて……!」

「イイヤ。キミハアノ時、滅ビタ存在ナノサ」

 

 鬼殺隊に討たれた鬼舞辻無惨が復活した。

 この認識が、そもそも間違っている。

 今の無惨と、鬼殺隊に討たれた無惨は()()()()()()()()

 ()()()

 

「ソノ証拠ニ、キミノ肉体ヲ構成スル細胞ハ()()()()()()

 

 瑠花の中にあった無惨因子の一部が、瑠衣の細胞を取り込んで以上成長した存在。

 それが、今の無惨だ。

 滅びた無惨が()()したわけではない。

 あくまで()()()()()()()()。すなわち、()()

 

「ツマリキミハ外側ガ無惨ナダケノ、何ノ力モナイ存在ナノサ」

 

 とん、と、瑠花が跳んだ。

 無惨に対して、手を伸ばすような仕草をする。

 それを見た無残は、当然、避けようと考えた。

 しかし己の身体の自由が効かないことに、すぐに気付いた。

 文字通り()()()()()()瑠衣の身体を通じて、動きを止められてしまったのだった。

 

「オイ……待て」

 

 当然、瑠花は止まらない。

 

「待て。嫌だ。こんな……!」

 

 何をされるのかを理解してるからだろう。

 無惨は首を横に振った。

 彼に許された自由は、もはやそれぐらいしか無かった。

 

「こんな、何も出来ずに……嫌だ。こんな終わり方は、私は……!」

「マア、何テ言ウカサ」

「やめ……!」

 

 次の瞬間、無惨の視界は瑠花の掌で覆い尽くされた。

 

「オ前ガ言ウナ、ッテヤツダヨネ」

 

 無惨の()()()()は、そこで終わった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「待ってください」

 

 話を聞いていた炭彦は、思わずそう言ってしまった。

 

「それって、つまり」

 

 鬼舞辻無惨が、すでに死んでいた。

 瑠衣の身体を蝕んでいた元凶が、実でもうとっくに消えてしまっていた。

 今の瑠花の話は、かいつまんで言えばそういうことだった。

 それ自体は、喜ばしいことのようにも聞こえた。

 

 だがそこに大いなる矛盾が存在することにも、炭彦は気付いてしまった。

 何故ならば、瑠衣を脅かす()()の根本が失われたのであれば。

 どうして、瑠衣はそのまま奥に()()()()()()()()()()()()

 

「アア、ソレハネ。トテモ単純(シンプル)ナ理由ダヨ」

 

 瑠花は笑って、人差し指で自分の唇に触れた。

 それはまるで、内緒話でもするかのような調子だった。

 

「瑠衣ニハ言ワナカッタノサ」

 

 瑠衣は、自分の中の鬼舞辻無惨が消えたことを知らなかった。

 意図的に瑠花がそれを隠したからだ。

 何よりも、瑠衣が自分が活動を控えることが――つまり生命活動の停滞こそが――無惨細胞の成長を抑制すると信じていたことが大きい。

 

「私ガソウアドバイスシタノサ。本当、姉ノ言ウコトヲ良ク聞く良イ妹ダヨ」

 

 瑠衣が、瑠花を信じてしまったことが大きい。

 そもそもの話。

 振り返ってみれば、瑠花が表に出て来るタイミングは常に決まっていた。

 瑠衣に命の危険が訪れた時、瑠花は表に出て来た。

 

 瑠衣が自分の身を守れなくなった時に、代わって瑠衣の身を守るのが瑠花の役目だった。

 その時に限り、瑠花は瑠衣の肉体の支配権を得ることが出来ていた。

 だがそれは、言い替えればこういう意味にはならないだろうか。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、瑠花は表に出ていられる、と。

 

「ソシテ、今ヤコノ通リサ」

 

 そうやって肉体の支配権を得ている間に、瑠花は少しずつ瑠衣の肉体を作り替えていった。

 鬼の部分と、人間の部分を()()()()()()()()

 慎重に。少しずつ。瑠衣に気付かれないように、ゆっくりと。

 

「本来、コウアルベキダッタノサ」

 

 赤子を孕んだまま鬼になり、死の間際に瑠衣を産み落とした実の母。

 瑠衣は鬼の子だ。

 鬼の眼を持って生まれた女の子だ。

 だがそれは、本来は瑠衣の(もの)では無かった。

 

 鬼の眼は、鬼の力は、すべて姉たる瑠花のものだった。

 瑠衣は鬼の姉の身体を()()()、生まれた子どもだったのだ。

 そしてそれは今、あるべきところに在った。

 すなわち、瑠衣は人間として。

 瑠花は鬼として、()()したのだった。

 

「共有物ナンカジャア無イ。私ノモノヲ、瑠衣ニ貸シテアゲテタダケサ」

 

 つまり、これが本来のあるべき姿。

 瑠花は鬼として、瑠衣は人間として。

 そう在ることが、この姉妹の本当の姿なのだと。

 瑠花は、そう言った。

 

「アハッ」

 

 瑠花は、嗤った。

 

「アハッ、アハハッ、アハハハハハハハハハハハハハッ!」

 

 両腕を広げて、大きく口を開けて。

 誰に(はばか)ることなく、哄笑した。

 まるで、自らの誕生を世界に知らしめるかのように。

 瑠花は嗤って。そして。

 

「ふ」

 

 そして。

 

「――――ふざけるな」

 

 そして、()()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ――――これほどに。

 これほどまでに誰かに怒りの感情を覚えたことは、無かった。

 今までの人生を振り返っても、初めてのことかもしれないと思った。

 それ程に、竈門炭彦という少年は怒っていた。

 

「瑠衣さんは」

 

 その声は、どこか震えていた。

 だがその震えが恐怖からではないことは、表情を見れば明らかだった。

 無。一見、炭彦は無表情に見えた。

 真っ白な顔で、何の表情も浮かべていなかった。

 

 だがその額に浮かんだ血管が、血走った目が、彼の感情を如実に物語っていた。

 余りにも強く握り締めたせいか、日輪刀の柄がミシミシと軋む音を立てていた。

 その握力は、ともすれば石でさえ握り砕きかねないと思える程だった。

 

「瑠衣さんは、貴女を信じていたんじゃないのか」

 

 妹だと、瑠花はそう言っていた。

 そんな瑠花を信じて、瑠衣は自分の生き方を――否、()()()()()()()()()

 それなのに、それは嘘だったのだと言う。

 今のこの状況になるために、瑠衣を油断させるために。

 

「僕は、難しいことはわからない」

 

 炭彦はまだ子どもで、事の善し悪しの判断は出来ない。

 しかしそれでも、わかることがある。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()

 

 誰かからの無垢な信頼を、裏切るということだ。

 まして、姉妹を。

 姉妹の信頼を利用して、目的を達成する。

 そんなことは許されない。許すべきでは、ない。

 

「どうして笑えるんだ」

 

 そんなことをしておいて、笑って良いはずがない。

 

「妹を騙して、どうして笑えるんだ。僕は、俺は」

 

 ミシリ、と、握り締めた日輪刀の柄から、何かが折れるような音が響いた。

 もちろん、実際に何かが折れたわけではない。

 ただ掌に、確かな感触を覚えただけだ。

 日輪刀の()()()()に何かが届いたような、そんな感触だった。

 

「俺は、お前を許さない」

「……キミニハワカラナイサ」

 

 わかるはずもない。

 わかろうとも、わかりたいとも思えなかった。

 炭彦はただ、瑠花の所業を許すことが出来なかった。

 だから日輪刀を握り締めたまま放さず、そして。

 

「どーでも良いのよ、そんなことは」

 

 立ち上がりかけたその時、眼前にいきなり禊の背中が出てきて面食らうことになった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 ()()()()()()

 その時、少女の心中を満たしていたのは、それだった。

 それはそうだろう。

 この期に及んで彼女が、誰が誰を騙したとか、善悪がどうだとか道徳がどうだとか、仁義礼智忠信孝悌がどうだとか、そんなものを気にするはずがない。

 

()()()()()()()()?」

 

 その場にいる誰もが気にしていただろうどれもを、禊は気にしていない。

 興味が無かった。そんなものには。

 遊女に何を期待しているのか、と言いたい。

 

「最初はさ、()()()に期待してたわけ」

 

 瑠衣が蒼い彼岸花を奪い、鬼殺隊を抜けたあの日。

 他の誰にも先駆けて、禊は瑠衣についた。

 この世で最も強い柱達が、束になっても敵わない存在。

 そりゃあ、瑠衣につくだろう。

 ()()()()()()()()()()()()

 

「それがよ? 手の込んだ自殺をやるから手伝えってんだから、もうガッカリ」

 

 柱達との「落とし前戦争」までは楽しかった。

 しかし、そこまでだった。

 そこから瑠衣は衰弱の一途を辿り、自分の完全さを自ら否定した。

 その時点で、禊はぶっちゃけ瑠衣への関心を半ば失っていた。

 

 ところがここに来て、瑠花が現れた。

 彼女は、瑠衣の持っていた最強の部分を奪い取ったのだと言う。

 彼女は、鬼舞辻無惨よりも強いのだと言う。

 何よりそんな話を聞くまでもなく、見ればわかる。

 瑠花の強さが。

 

「あんた、良いわねえ」

「マア、今サラ驚キハシナイケドネ」

 

 先程も不意討ちで喉を貫かれたわけだし。

 そう言って、瑠花は肩を竦めた。

 しかし戦意マシマシの禊を前にしても、瑠花は何もしようとはしなかった。

 話をするでも、戦うでもなく、何もしなかった。

 ()()()()()()()()()()()()()()()

 

「デモサ、一ツ大事ナコトヲ忘レテナイカナ」

「あら、何かあったかしら」

 

 繰り返すが、瑠花は何もしていない。

 いや、より正確に言い直そう。

 ()()()()()()()()

 

「……!」

 

 変化は、急激に起こった。

 ()()を理解していない炭彦の目には、特に急激に映った。

 それまでそんな気配すら無かったのに、禊が突然、その場に膝を着いたのだ。

 

「か……っ」

「禊さん!?」

 

 慌てて覗き込むと、禊は額に汗を滲ませて胸を押さえていた。

 呼吸が出来ていないのか、紫色に変色した唇が幾度か開閉を繰り返していた。

 先程までの自信に満ちた表情は消え失せて、苦し気に喘いでいた。

 

「キミ達ノ命ハ、今ハ私ガ握ッテイルンダッテコトヲサ」

 

 血鬼術『永遠の(ブラッド)輸血(ボーン)』。

 禊達を不老たらしめている、奇跡の御業。

 そう、禊達の全身に流れている血は、すべてが瑠衣の血だ。

 その血の流れを止めてしまえば、動くことさえ出来なくなるのは必定だ。

 

 禊はそれでも、笑おうとしたようだった。

 唇の端が僅かに笑みの形になったようだが、それまでだった。

 自分の頚の、頸動脈のあたりを押さえて唇を噛んだ。

 全身の血管が脈打っているのか、露出している肌の部分が不気味に蠢いていた。

 

「フン。ソレデ?」

 

 そんな禊を見下ろしながら、瑠花は興味も無さそうな声で言った。

 

「キミモ同ジ目ニ合イタイノカナ」

「あ、いやあ。おじさんは痛いのとか苦しいのとか、そういうのはちょっと遠慮したいかなあ、っと」

 

 へへへ、とどこか三下めいた様子で、様子を窺っていたらしい犬井が顔を出して来た。

 ガッチリとした体形の男が卑屈なポーズをとっても、しかし卑屈には見えなかった。

 というのも、実際に彼は、何も卑屈になりに来たわけではないのだ。

 彼は、()()に来ただけだったのだから。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「確認?」

「そうそう。1個だけ教えてほしいことがありましてえ」

「お前、その三下ムーヴは何なんだよ……」

 

 獪岳がすっかりツッコミ役になっている。

 彼の弟分がもしもこの場にいたなら、「え、何それ怖…」と呟いていただろう。

 そして炭彦には、もはや彼ら彼女らの関係性が見えなくなっていた。

 

 瑠衣が倒れ、禊が苦しんでいるのに、気にした様子が無い。

 心配するでも気遣うでもなく、普通に、いつも通りで。

 瑠衣のために怒った炭彦からすれば、理解の外に在るような、そんな人々。関係性。

 これを、何と言えば良いのか。炭彦の人生の辞書にはまだ無かっただろう。

 

「あんた今、瑠衣ちゃんから()()したと思うんだけど」

 

 人差し指を上げながら、犬井は言った。

 

()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

 数瞬の間、瑠花は――と言うか、その場にいる者達は――犬井の言葉の意味を、考えた。

 考えて、そして思い至ったのだろう。

 ああ、と、笑った。

 

「デキルトシテ、ドウスルノ」

 

 そう言って、瑠花は瑠衣を指差した。

 

()()()()()()瑠衣ヲ殺セッテ言ッタラ、ヤルワケ?」

「……! 何てことを……!」

「アア、マア、炭彦(ソッチ)デモ良イケド」

 

 瑠衣か、炭彦を殺せ。

 そう言う瑠花の声に、躊躇(ためら)いというのものは見られなかった。

 悩んだ様子もない。

 それもまた、炭彦には信じられないものだったが。

 

「それだけで良いのかい?」

 

 犬井の声もまた、酷く気安いものだった。

 彼は日輪刀を――それはもうあっさりと――鞘から抜くと、ゆっくりとした足取りで炭彦と瑠衣に近付いて行った。

 意図は、明白だった。

 

「やめてください。仲間でしょう!?」

「まあ、それを言われると弱いんだけどねえ」

 

 困ったように頭を掻いて、しかし犬井の歩みは止まらなかった。

 瑠花は、今はそれをただ見守るだけだった。

 

「そうは言っても、おじさんにも事情ってもんがあるからさ。悪く思わないでくれるかい」

「そんなの……!」

 

 どうするべきだ。炭彦は思考した。

 瑠衣や禊を抱えて逃げる。不可能だ。

 戦うか。相手は2人かそれ以上。やはり不可能だ。

 懇願は、今の様子から見ても無意味だ。

 どうすることも出来ない。そういう結論になる。

 

「ごめんね」

 

 そうこうする内に、犬井が目の前にまで来ていた。

 せめてもの抵抗に刀を突き出そうとするが、すかさず刃先を踏まれて防がれてしまった。

 そして、白刃が煌めき。

 赤い赤い、血の花が咲いた。

 

「…………イヤ」

 

 瑠花は、顔を手で覆うようにした。

 それは目の前で起こった惨劇から目を逸らす、というような仕草ではない。

 目の前の出来事について少し考えるような、そんな仕草だった。

 

 無理もない。

 すぐ傍で見ていた炭彦だって、目の前で起こった出来事に言葉を失っていた。

 繰り返すが、無理もない。

 誰だって、目の前で頸動脈が切られる様を見れば、そうもなる。

 

()()()()()()()()

 

 白刃を晒した犬井の日輪刀を掴み、自らの頸動脈を切った。

 簡単に言うが、これはとんでもないことだった。普通は死ぬ行為だ。

 当然、傷口からは血が噴き出し、ボタボタと地面に滴り落ちる。

 それはまるで、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「簡単じゃない。血が邪魔なんだったら、()()()()()()()

 

 そう言って、禊はゆっくりと立ち上がった。

 動けないはずの禊が、動いた。

 冷たい汗と熱い血潮を噴出させながらも、その顔には凄絶なまでの笑みが浮かべられていた。

 血の拘束で動けないなら、その血を排除すれば良い。

 そんなとんでもない理屈を口にする禊に、瑠花は。

 

「マジカヨ」

 

 と、再び呟いたのだった。




最後までお読みいただき有難うございます。

問題です。
ここからハッピーエンドに持って行くために必要なものとは?(え)

それでは、また次回。
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