心臓が止まれば、人間は死ぬ。
それは、肉体や他の臓器が活動するために必要なエネルギーを送れなくなるからだ。
そのエネルギーを運ぶのが、血液の役割だ。
すなわり血液とは、文字通り生命を支えているのだ。
「イヤイヤ」
血液の支えなくして、どんな生命も活動することは出来ない。
というより、そんなことは誰かに教えられるまでもないことだ。
学術的なことはわからなくても、血液を大量に失えば死ぬ、ということはわかるはずだ。
常識と言い替えても良いだろう。
どんな人間であれ、いや動物であれ、いやいや昆虫や植物でさえ、そんなことは理解している。
血を失えば死ぬ。繰り返すが、自明の理だ。
もしもそれを理解していないか、あるいは理解していてなお無視する者がいるとすれば。
それは、愚かという言葉でさえ生温く感じる程の愚行だろう。
「イヤイヤイヤ」
自ら頸動脈を掻き切り。
自分の肉体に流れている血液のほとんどを捨て去って。
それでいてなお身体を動かす。しかも全力で。
あり得ないことだ。あり得ないことなのだが。
「イヤイヤイヤイヤ」
「アリ得ナクナイ?」
再び自分の喉を狙いに来た槍先を、手の甲で――瑠花の肉体は、日輪刀よりも遥かに硬度が高い――弾きながら、瑠花は驚きの声を上げていた。
顔は笑っているが、それはどちらかと言えば呆れの色の方が濃かった。
原因は言うまでも無く、自分の自分の血を抜いた禊の
「流石ニサ、常識ッテ言ウモノヲ考エタ方ガ良イト思ウヨ」
「常識ぃ? 聞いたこともないわね、そんな単語」
まあ、仮にあったとしても?
「わたしは常識に従ったことなんかないわよ。常識がわたしに跪くなら考えてあげなくもないけどね」
――――欺の呼吸・壱ノ型『石跳び』。
かわされた槍が、一息で六槍に分割する。
分割して宙を舞った短槍の柄を打ち、蹴り、軌道が変わる。
そのすべてが瑠花の喉元を狙いに行くあたり、徹底ている。
禊の顔は、真っ白だった。
当たり前だろう。血液を大量に失っているのだから、血色が良かろうはずもない。
首から下だけが、流した
しかしその動きには、一切の乱れが無かった。
「キミ、本当ニ人間?」
「あら、失礼ね。そんなの決まっているじゃない」
その問いに対する答えを、禊は1つしか持たない。
「
それ以上でも、それ以下でもなく。
そこにはただ、1個の「我」があるだけだった。
◆ ◆ ◆
とは言え。
とは言え、だ。
さしもの禊も、今の状況に対して何も思わないわけではない。
自分の置かれた状況を理解できない程、向こう見ずではない。
手足の先は痺れていて、実はほとんど感覚が無い。
身体は何とか動かしているものの、実を言うと常中の呼吸を維持できていない。
そもそも酸素を行き渡らせる血流が体内に存在しないので、呼吸法の意味が無い。
できて一呼吸。いわばその一呼吸を、
(おまけに、こいつったら滅茶苦茶に強いじゃないのよ)
禊が穿つ必殺の一閃を、瑠花は全て難なく迎撃している。
正面からの攻撃は一切通用しない。
筋肉量、反射速度、体力に動体視力。全てが段違い。
ありとあらゆるパラメータで負けている。
(参ったわね)
こちらの状況は最悪。
相対している敵は万全。
そもそもお互いに万全だったとしても負けている。
その状況に。
(
禊は、白い顔で嗤ったのだった。
「おーおー、テンション上がっちゃってんなアイツ」
心底どうでも良さそうな顔で――実際、心底どうでも良いと思っている――獪岳が言った。
彼は日輪刀を肩に担いでいて、それで自分の肩をとんとんと叩いていた。
それは暇を持て余しているようでもあり、苛立ちを示しているようにも見える。
あるいは、その両方かもしれない。
「助けに行かなくて良いのかい?」
「……はあ? 何たって俺様があんな女を助けに行かなくちゃならないんだよ」
実際、獪岳には禊を助けに行くという考えは毛頭なかった。
さりとて、瑠花と戦うという選択肢もない。
と言うか、全身の血を抜いてでも戦うという考えが理解できない。
獪岳にとって、何を置いてもまず生きることが優先されるべきだったからだ。
「俺は他のことなんざ、どうだって良いね」
「……その割には」
「あ?」
「いや、その割にはさ。
獪岳の立っている位置は、犬井の正面だった。
それは瑠花と戦う禊との間のようでもあり。
そして、炭彦と――瑠衣の間に立っているようでもあった。
まるで、犬井がどちらにも行けないようにしているかのように。
「あ~、お前さあ。前々からさあ」
獪岳はガシガシと頭を掻き、一度天を仰いでから、言った。
「気に入らねえと思ってたんだよなァ」
「そうかな。おじさんは結構、お前さんのこと気に入ってたんだけどねえ」
彼らがいるのは、令和の日本では無かった。
大正初期の日本に、彼らはいた。
◆ ◆ ◆
炭彦は、怒りを感じていた。
目の前に横たわる瑠衣を見ていると、どうしても怒りが湧いてくるのだ。
それは瑠花に対しての怒りであり、そして自分自身への怒りだった。
瑠衣を騙して、自分をも騙していたと言う瑠花。
そして騙されていることに気付かず、間抜けにも瑠衣のところまで案内してしまった自分。
怒りを、憤りを感じずにはいられなかった。
腸が煮えくり返るとは、まさにこのことだろう。
もしも可能であれば、自分で自分を殴ってやりたかった。
「瑠衣さん……」
膝に抱いた瑠衣の身体は、冷たかった。
今の彼女が身に着けている物は、着物の羽織りしかない。
しかしそれだけが原因でないことは、明らかだった。
その白すぎる
「……呼吸を」
それでも、何をさせないといけないのかはわかっていた。
呼吸だ。
呼吸を、させなければ。
「呼吸をしてください。瑠衣さん」
全集中の呼吸を、させなければならない。
瑠衣は生気を失っているが、死んでいるわけではない。
起き上がることはないが、完全に意識を失っているわけではない。
例えて言うのであれば、溺れた直後の状態に近い。
だから必要なのは、声をかけ続けることだ。
そして、
そう、最初に瑠衣が自分にしてくれたように、だ。
「瑠衣さん、呼吸を。お願いします……どうにか……」
だが、どうすれば良いのか。
人命救助の方法など知らない。
まして全集中の呼吸のさせ方など、わかるはずもない。
どうすれば良いのだと、気が急き始めた時。
「大丈夫だよ」
禰豆子が、やって来た。
力を使い果たしているせいか、幼女のような姿になっていた。
炭彦には知りようもないことだが、ダメージの再生を優先した結果だった。
まあ、そこは今、注目すべき点では無かった。
「禰豆子さん。大丈夫って……?」
「うん。きっと……このためだったんだと思う。私が、今ここにいるのは」
ふ、と微笑んで、禰豆子はその場に膝をついた。
炭彦と瑠衣の顔を見て、ほう、と息を吐いて。
それから、空を見上げた。
「そうだよね、お兄ちゃん」
禰豆子は、天空にいる誰かに差し伸べるように、手を伸ばした。
そして、意を決したような顔をして、拳を握った。
すう、と、息を吸う。
それから、きょとんとした表情を浮かべる炭彦に微笑みかけた後。
「……ッ。起きろおおおおぉぉぉ――――――――ッッ!!!!」
と、叫んで。
その拳を、瑠衣の
◆ ◆ ◆
思えば不思議な関係だ、と、榛名は思った。
仲間、という括りで終わらせるには、100年という時間軸は
と言って、家族や同志という表現をするには、統一感というものが足りない。
馴れ合いというには、深い位置で繋がり過ぎているようにも思う。
「一緒にお握りを食べる関係、っていうのは、どうかしらねぇ。怒られちゃうかしらぁ」
「…………」
こくり、と隣で頷く柚羽に、榛名は苦笑を浮かべた。
実際、お握りの作り方と味は100年経っても大して違っていない。
多少の品種改良もあるのだろうが、米と塩は今も昔も同じだ。
100年経っても変わらない味、というやつだ。
まあ、禊や獪岳が聞けば「米と一緒にするんじゃねえ(ないわ)よ!」と怒るだろうが。
ただ榛名にとって、彼ら彼女らの関係はそういうものだった。
100年間、何の変化もない関係だった。
もちろん、それが正しいとか間違っているとか、そんな話をしたいのではない。
「ありがとう」
黙したまま、柚羽は車椅子に座る榛名の横顔に視線を向けた。
そこには、相変わらずの柔和な表情が浮かんでいた。
「ずっと、変わらないでいてくれて」
柚羽の瞼が、僅かに震えた。
そこで初めて、榛名は柚羽の方を向いた。
「わたしもね、本当は」
そしてその唇を、柚羽は人差し指を添えて止めた。
目を丸くする榛名に対して、柚羽は目だけで頷きを返した。
それ以上のことは、2人の間では必要では無かった。
100年前に、すでに
この2人が鬼殺隊に求めていたことは、実は100年前の時点で終わっている。
だからあの時、あっさりと瑠衣について鬼殺隊を出奔することが出来たのだ。
そんな共通項を持つ2人だからこそ、ここまでを一緒に過ごして来た。
「男の子達は、元気で良いわねぇ」
だからこそ、それを素直に表現できる男の子達が少し羨ましいとも思うのだ。
「まあ、でも。そろそろ……止めに入りましょうかぁ」
車椅子の背中の機構からエアーが抜け、蓋が開いた。
そこから二振りの日輪刀が半分ほど外に飛び出してきて、鞘が榛名の手の位置にまで傾いた。
それを見て、柚羽もまた自らの日輪刀に手をかけた。
「こらぁ、喧嘩しちゃ駄目でしょ~」
嗚呼、本当に。
我々の関係を、どう表現するべきだろうか。
柚羽もまた、そう思うのだった。
◆ ◆ ◆
何だか知らないが、外野が五月蠅い。
まったくもって不愉快だが、賑やかな中で
むしろ本職だ。どうと言うことはない。
「キミノコトダカラ、気ガ付イテイルト思ウケド」
「……何よ?」
「私ハ、別ニキミト戦ワナクテモ勝テルンダヨネ」
実際、瑠花はほとんど禊には攻撃していない。
する必要がないからだ。
わざわざ攻撃などしなくとも、血を失った禊はいずれ動けなくなる。
と言うより、こうしている間にも少しずつ動きは鈍くなっていっている。
そして何より、禊の呼吸は返し技が多い。
欺の呼吸などと
本人もそうだが、見た目の派手さに騙されると碌なことにならない。
逆に言えば、誘いに乗らなければ致命打を見舞われることも無い。
「マア、別ニ当タッテモドウッテコトハ無インダケドネ」
しかし、面倒ではある。
だから自分は戦わない。
打ち合いを避け、力尽きるのをただ、ただ待ち続ける。
だけど、と、瑠花は言った。
「キミ。実ハソレヲワカッテイテ、ヤッテイルヨネ」
「……は」
禊は、鼻で笑った。
こいつは何を言っているのかと、本気で思った。
「マア、良イケド」
嘆息ひとつ。
瑠衣は見下すような目で、禊を見つめた。
「デモネ、キミハドンドン弱ッテイク。私ノ倒シ方モワカラナイ。ソンナキミニ出来ルコトト言ッタラサ」
そんなものは、1つしかない。
「タダノ、時間稼ギダロ」
結局のところ、そうなってくる。
禊にも、自分の圧倒的な不利は理解できている。
そしてこの不利は、技術や根性で覆るようなものでは無いということも。
だからせいぜい、時間稼ぎにしかならない。
何の時間を稼いでいるのかなど、言うまでもない。
瑠衣だ。
瑠衣が戻って来るまでの時間を、あるいは炭彦が立ち上がるまでの時間を、禊は稼ごうとしているのだ。
「はあ?」
と、誰もが思うかもしれない。
普通ならば、瑠花の判断は正しい。
しかし、瑠花は結局のところ、禊という少女を知らない。
「わたしは普通に、あんたをぶっ殺してやるつもりだけど?」
それがわかって、瑠花は一瞬、呆気にとられたような顔をした。
それから、禊が舌打ちをするのが聞こえた。
何かと思ったが、すぐにわかった。
「…………ええ。ええ、貴女はそう言うでしょうね。禊さん」
視線を、そちらへと向ける。
するとそこに、足を引きずるようにして――何故か下腹部のあたりを押さえながら――やって来る、少女の姿が見えた。
もちろん、誰かなどと聞く必要も無い。
「瑠衣カ」
「ええ、ええ。私です。
はあ、と、苦し気な吐息を漏らして、瑠衣は頷いた。
◆ ◆ ◆
久しぶりに、
これまでの記憶は、薄い霧に覆われたかのようにはっきりしない。
ただ1つわかっていることは、自分が失敗したということだった。
目の前で立っている
「うわ、ひっどい顔」
「そこは触れないでいただけると……」
禊に言われずとも、今の自分が酷い状態なのはわかっている。
まず、あらゆる意味で
身体の中にあった全能感に近い力も、今はまったく感じ取ることが出来ない。
何より
あんな起こされ方をすれば、誰だって絶不調で目覚めるだろう。
おかげで今も下腹部に鈍痛が残っている。
けれどそのおかげで、自分は起きることが出来た。
起きることが出来たならば、立ち上がらなければならなかった。
何故ならば、それが。
「マサカトハ思ウケド」
瑠衣の手にある小太刀の一振りを見て、瑠花は言った。
「ソノ身体デ戦ウツモリ?」
わかっている。
瑠花は、瑠衣が持っていた力のほとんどを奪い取って行った。
何しろそのあたりに敏感な禊が向かって行った程なのだ。
瑠衣の手元に残っている力など、言ってしまえば残りかすのようなものだろう。
「それでも」
それでも、責務というものがあるだろう。
責任というものが、あるだろう。
何の責務か、何の責任かと言われるかもしれない。
もはや鬼狩りでも、煉獄家の一員でもない自分に課せられた何かがあるのか、と。
今は、はっきりと「ある」と言える。
それは、目を覚ました自分が最初に見たあの眼差しを目にした時に、確信した。
「意地ってものが、あるんですよ」
それにだ。
何よりもまず、誰しもが忘れているのかもしれないが、そもそも論としてだ。
片足を軽く地面から上げながら、瑠衣は言った。
それはきっと、すべての
「
足裏で地面を叩くようにしながら、瑠衣の身体が上下に跳ねていく。
とんとん、とんとん、と。繰り返し、小刻みに跳ねた。
それはもはや、懐かしいとさえ言えるような、そんな動作だった。
◆ ◆ ◆
日輪刀の色は、適性のある呼吸によって決まる。
いわば天性の才能がそのまま表れるわけだ。
そして己の
どこまでも、風の呼吸の才に恵まれていた、と言える。
(私の力を奪い取ったとするならば、
四方を
瑠衣の動きはすでに人智を超えたものだが、しかし当然のように瑠花は目で追ってくる。
身体を向けて来ないのは、どこから攻撃されても対応できるという自信があるからだろう。
ここが開けた空間だというのも、瑠衣にとっては不利だった。
例えば道場や森林のような限定空間であれば、左右だけでなく上下にも跳ねることが出来た。
だが、今はそれを言っても仕方がない。
それに、そもそもそこまでの体力的な余裕が無い。
(全力で動けるのは、保って……数分……!)
感覚でわかる。
意識が覚醒したとは言え、
今の自分は、言ってしまえば絞り切ったスポンジのようなものだ。
いくら振っても水気は出て来ない。
(短期決戦、で……!)
そして、
その呼吸音は、かつては良く聞いていたもの。
しかし今では、懐かしいもの。
ただ100年前に体得したその呼吸は、今でも瑠衣の身体に良く馴染んだのだった。
――――風の呼吸・壱ノ型『塵旋風・削ぎ』。
突進しながらの斬撃。この型は、瑠衣が最も多用する技だった。
思えば、師範である不死川もこの技を最も得意としていた。
それはこの技が、移動しながら攻撃できるという合理的なものだからだ。
「……意外ですね」
攻撃が受け止められることは、想定していた。
四方を跳び、突進して、全力の斬撃。
それを容易く受け止められたとしても、瑠花の力を思えば不思議ではない。
「別ニ、大シタ意味ハ無イヨ」
瑠花は、血で作った刀で瑠衣の斬撃を受け止めていた。
その気になれば指一本で受け止めることも、折ることも出来たはずだった。
それを、わざわざ血刀で受け止めた。
擦れ合う刃から、ギリギリという音が響いていた。
「……ふふ」
「何ガオカシイノ」
「ええ、いえ。何と言えば良いのか」
繰り返しになるが。
今までこんな風に考え方たことも無かったが。
「意外と、
そう言って、瑠衣は受け止められた日輪刀の刃を――瑠花ではなく、自分の刀の――握った。
以前であれば、皮膚でさえ強靭な硬度を誇る瑠衣の手が傷つくことは無かっただろう。
だが今は違う。皮膚は破れ、傷口が開き、血が流れる。
「何ヲ」
その血が。
「……『
紅く、燃え上がった。
◆ ◆ ◆
肌が、乾いていた。
いや、
座り込んだまま立ち上がれずにいる禰豆子を、炭彦は支えていた。
その禰豆子の顔が、まるで陶器が剥がれ落ちるように
「禰豆子さん、禰豆子さん……!」
「うん、うん……大丈夫だよ」
小さな声で喋るだけで、唇が割れて剥がれそうだった。
壊れかけの硝子細工のようだ。
炭彦は、禰豆子の身体を支えるために肩に腕を回している。
その手から伝わってくるのは柔らかさでも温もりでもなく、頼りない固さだった。
指先から感じるパキパキという感触を、他にどう表現すれば良いのかわからなかった。
わかるのだ。
この後どうなるのか。医者でもない炭彦にさえわかる。
だがそれを口にすることは、恐ろしくて出来なかった。
「……瑠衣さん、は……」
「瑠衣さんは」
炭彦が顔を上げるのと、
その火柱の中心にいる瑠衣の背中を、炭彦は見つめていた。
「瑠衣さんは、戦っています」
「そう……良かった……」
心の底からほっとした顔で、禰豆子は微笑んだ。
彼女自身はもう、自分の目で瑠衣の姿を見ることが出来ない。
「私、の……力。ほとんど、全部……あげちゃった……から」
つい先ほど、禰豆子は瑠衣を起こした。
鳩尾を殴りつけるという乱暴な起こし方だったが、確かに瑠衣の意識は覚醒した。
けれどその代わりに、禰豆子はあるものを支払った。
すべてを、瑠衣に託したのだ。
「だか、ら」
「禰豆子さん、もう喋らないで……!」
禰豆子は一応、鬼舞辻無惨系列の鬼ということになる。
しかし彼女自身の資質の高さによって、独自の進化を遂げ、系列を外れた特異な鬼だった。
人間の捕食が出来ない彼女の補給方法は、睡眠しかない。
非効率的だが、今までは何とか凌いできた。
しかし人間がそうであるように、睡眠による回復にも限界はある。
禰豆子の今の状態は、それを超えてしまった結果だった。
それが意味するところを、もちろん、禰豆子自身も理解していた。
理解していて躊躇しない。それが、竈門禰豆子という少女だった。
「だから、これだけ……」
禰豆子の手が、炭彦の手を掴んだ。
熱い、と、思った。
力は弱々しいのに、焼け付くような熱さがあって、炭彦は小さく呻いた。
「少ない、けど……大事に、だい、じに、つか……うん、だよ……」
禰豆子の声は、まるで祖母が孫にお小遣いをあげるような、そんな色合いが含まれていた。
けれどその熱さは、明らかにそれ以上の何かを炭彦に伝えてくれていた。
その熱さに、炭彦は呻き続けていた。
◆ ◆ ◆
「ウオオオオオオオオオオオオオオッッ!?」
瑠花が、悲鳴を上げていた。
『爆血』の炎に巻かれて、悲鳴を上げていた。
完全無欠なはずの瑠花に、『爆血』の火炎が効いていた。
「……何で燃えてんの、アイツ?」
禊の口から出た疑問は、当然のものだった。
瑠衣は鬼を喰う鬼だ。血鬼術でさえ例外では無い。
その力を得た瑠花が、血鬼術の炎で燃えるのはどういうことだ。
そもそも、なぜ瑠衣が禰豆子の血鬼術を使えるのか。
今の瑠衣には捕食能力は無いはずだ。
しかし現実に、瑠衣は禰豆子の血鬼術である『爆血』を使った。
これはいったい、どういうことなのか。
「
その時、禊に話しかけてくる男がいた。
犬井が、何食わぬ顔で――しかし微妙にボロボロな姿で――禊の傍にやって来て、そう言った。
「譲ったァ?」
「あの禰豆子ちゃんって子が、瑠衣ちゃんにさ。こう、ぼうっ、とね」
「…………ああ。
「ご名答」
禊が連想したのは、火移りだった。
貰い火と言った方が意味は通りやすいか。
言葉の意味としては必ずしも良い意味では無いが、要は他人の火を取るということだ。
「良い子ちゃんらしいと言えば、らしいかもね」
簡単に言っているが、尋常なことではない。
血鬼術は多くの場合、その鬼の根幹を表している。
それは性質であったり、深層心理の形であったり、色々だ。
そしてだからこそ、同じ血鬼術は1つとして存在しないのだ。
血鬼術を譲るということは、いわば自分の心臓を抜き取って相手に移植するようなものだ。
普通やらない。と言うより、出来ない。
もしも仮に、出来る者がいるとすれば。
その人物はきっと、他人のためなら自分の持ち物を分け与えてしまうような、超がつく程のお人好しだけだろう。
「つまらない血鬼術だわ」
心の底から、禊はそう言った。
「どこへ行くんだい?」
「決まっているじゃない」
『爆血』の炎が弱まるのを見て、禊は歩き出した。
「ぶっ殺しに行くのよ――――二人ともね」
それを聞いて、犬井は肩を竦めた。
もちろん禊はそんな犬井に見向きもしなかったし、犬井も期待していなかった。
肩を竦めた後、犬井も歩き出したのだった。
◆ ◆ ◆
息が切れて、瑠衣はその場に膝をついてしまった。
やはり今のこの身体では、全集中の呼吸を使った全力戦闘は数分と保たない。
せいぜいが、『爆血』の不意討ちを喰らわせるのが関の山だ。
「ウオオオオオオオオオオオオオオッッ!?」
『爆血』の炎に焼かれて、瑠花が悲鳴を上げていた。
この炎、『爆血』。この炎で、禰豆子は瑠衣の捕食を防いでいた。
逆に言えば、瑠衣はこの炎の
そして瑠衣が攻撃に使えば、瑠花は防御できないかもしれないと思った。
掌を見つめると、そこに不思議な紋様が刻まれていた。
それは、禰豆子の鬼化が進行した時に浮かび上がる紋様に良く似ていた。
そして実際、それは禰豆子の『火移し』の血鬼術によって刻まれたものだった。
自分の力を他人に分け与えるため
禰豆子らしい、優しい血鬼術だった。
(姉さん……)
炎に巻かれて苦しむ瑠花を、瑠衣は見つめていた。
その顔には、複雑な感情が見て取れる。
喜ぶわけでもなければ、疎むわけでもない。
これは、やらなければならないこと。
「お、何だよ。もしかしてもう終わっちまったのか?」
そう言いながら姿を現したのは、獪岳だった。
何故か微妙にズタボロになっていて、まるで今しがた一戦交えて来たかのようだった。
「獪岳、また喧嘩ですか?」
「おう、当然勝ったのは俺だ」
どうやら、喧嘩してきたばかりだったらしい。
良い年をして何をしているのかとも思ったが、今の自分の様子を客観的に
とても人のことを言えるような立場では無い、と思ったからだった。
「それで、もう終わったのか」
炎に包まれる瑠花を見て、獪岳がそんなことを言った。
瑠衣もまた、瑠花を見つめる。
『爆血』の炎は、確実に瑠花を捉えている。
その手応えは、瑠衣の掌に確かにあった。
しかし、だ。
「…………いいえ」
残念ながら、そして想定通り、終わりではない。
むしろ逆だ。
「むしろ、大変なのは……ここからですよ」
瑠花を巻いて上がる『爆血』の火柱。
煌々と揺れるその炎の中から、瑠衣を見つめる眼があった。
まるで獰猛な肉食獣が暗闇の中からこちらを見つめているような、そんな眼差しだった。
――――金色の瞳が、瑠衣を見つめていた。
最後までお読みいただき有難うございます。
かつての敵の技を使う。
……好き!(挨拶)
それでは、また次回。