鈍い音がした。
それは肌が裂かれ、肉が抉られる音だった。
次いで、血が流れ出る独特の灼熱感と不快感。
その感覚に、
「ソモソモサ」
静かな口調で、瑠花は言った。
「刺シタトコロデ、私ニハ意味ガ無イッテワカッテイルデショ」
瑠衣の刀は、瑠花の手の甲によって逸らされていた。
一方で瑠花の爪は、瑠衣の胸を引き裂いていた。
胸元の柔肌が痛々しく裂け、赤い鮮血が瑠花の手を濡らしていた。
そもそもが、意味の無い行為なのだ。
日輪刀では瑠花は
そんなことは瑠衣も、いやこの場にいる誰もが知っている。
「……ええ、もちろん」
血で汚れた唇を開いて、瑠衣は言った。
その表情は、意外な程に穏やかに見えた。
少なくとも、目論見が外れた人間の顔では無かった。
まだ何かあるのか、と瑠花は思った。
この状況下で何か瑠衣に打てる手があるのだろうか、と。
しかしいくら考えても、何もあるはずが無かった。
「マサカトハ思ウケド、後ロデコソコソシテイル奴ニ期待シテイルノ?」
「おっとお……」
視線だけを後ろに向ける。
するとそこには、犬井がいた。
その手には当然日輪刀があるわけだが、背中から斬られたとしても脅威にはならない。
姿は見えないが、さらに気配を探れば、柚羽や榛名もどこかにいるはずだった。
だが仮に2人が奇襲してきたとしても、瑠花には意味が無い。
何度も繰り返すが、日輪刀では瑠花は殺せないのだ。
いや、完全なる生物である瑠花を殺す方法など、もはやこの世に存在しない。
「いいえ」
しかし、瑠衣は否定する。
あらゆる意味で、否定した。
「貴女を殺すのは私です。姉さん」
どうやって?
そう視線で問う姉に対して、瑠衣は微笑んだ。
血に濡れた顔で、微笑んだ。
そうして、瑠衣は手を伸ばして来た。
何をするつもりなのか、瑠花にもわからなかった。
明らかに無理なことを、そして無駄なことを瑠衣はしている。
そうとしか思えなかったのだ。
だから何も対処せずに、
「
瑠衣の両腕が、するりと瑠花の頚に絡みついた。
このまま頚を取るつもりだろうか。
いや違う。
そのまま、瑠衣は瑠花に身を寄せて行った。
やがて、2人の間の距離はなくなり。
「ンン……!?」
ゼロになった。
◆ ◆ ◆
キス。
口づけ。
口吸い。
まあ、言い方は様々あるだろうが、行いは全て同じだ。
「ンン……!?」
お互いの唇を、合わせることだ。
瑠衣は目を閉じていたが、瑠花は目を見開いていた。
だから瑠花は、瑠衣の青白い顔を文字通り間近で見ることが出来た。
血を失ったせいか、瑠衣の唇は冷たかった。
しかし柔らかで、慣れ親しんだ匂いが鼻腔を
流石の瑠花も、これには流石に虚を突かれてしまった。
「……グ!?」
何かを嚥下した。
いや、鉄分めいたこの味を、瑠花は知っている。
このために、瑠衣はあえて瑠花の攻撃を受けたのだ。
口内を己の血で満たし、そして瑠花に口付けた。
その意図は明白だ。
(瑠衣ノ、血……!)
そして、瑠衣の血は今、
その血を瑠花に飲ませた。
つまり、この後には。
「血鬼術――――『爆血』……!」
流石に、声を上げることも出来なかった。
どれほどの達人も、あるいは強靭な防御力も、体内にまでは及ばない。
血とも炎ともつかない何かが、びしゃりと瑠衣の顔を濡らした。
「えっぐいわね、色々と」
禊がそう言った。
もちろん、彼女達も瑠衣の作戦のすべてを理解していたわけではない。
というより、話し合っている時間などは無かった。
ただ何かあるだろうとは思っていたので、隙を作る手伝いをした。
「あいつは元々えぐいこと考える奴だよ」
禊の日輪刀の1つを手の中で弄びながら――「触るんじゃないわよ」とすぐに鋼糸で引き寄せられた――獪岳が言った。
同期の頃からの付き合いの彼が言うと、妙な説得力があった。
「あー、でもさ。おじさんの目にはさ」
犬井はらしくもなく頬に汗など流しながら、珍しく言うかどうか迷っている様子を見せた。
しかし迷ったところで目の前で起こっていることは変わらないので、観念したように、言った。
「あんまりさ、その……効いていないように、おじさんには見えるんだけどねえ」
そう言う犬井の目の前で、瑠花が動いていた。
己の血で濡れた瑠衣の顔を、瑠花が掴んでいた――――。
◆ ◆ ◆
ぎしり、と、頭蓋骨が軋む音が聞こえた。
それでもトマトのように潰されないだけ温情があるのだろう、と瑠衣は思った。
そしてそれは、瑠花の
(痣が……!)
瑠花の痣がどんどん広がり、全身を覆っていくのが指の間から見えた。
それは肌のほとんどを覆ってしまい、もはや痣というより肌の色そのものが変化したと言った方が良かった。
黒い女。金色の虹彩を放つ瞳だけが異彩を放っている。
「コレデ終ワリ?」
ああ、他にもあった。
口内に垣間見える赤い舌に、妙に鮮烈な印象を受ける。
まるで今にもその口に飲み込まれてしまいそうな、そんな錯覚を覚えてしまった。
体内で『爆血』が爆ぜたはずだが、効いているようには見えなかった。
最初から効果が無かったのか、即座に再生したのか。あるいはその両方か。
いずれにしても、あと2発しかない『爆血』の無駄打ちに終わったのは確かだった。
瑠花には、まるでダメージは無い。
「く……!」
自分の顔を掴む腕に、手をかけた。
もちろんのこと、腕力で勝てる相手ではない。
いくら力を込めても、瑠花の拘束を解くことは出来ない。
「他ノ連中モ役ニハ立タナカッタネ」
禊や獪岳、あるいは犬井も、瑠花に有効打を与えることは出来ない。
仮に柚羽や榛名がさらに加わったとしても、結果は同じだろう。
何度でも言うが、煉獄瑠花は無敵だ。
完全なる生物であり、
「そうですね……絶対に勝てません」
そしてそれは、瑠衣が誰よりも良く知っている。
つい先程まで自分がそうだったのだ。知らないはずが無い。
知らないはずが無いのに、意味が無いとわかっていることを繰り返した。
何度も、繰り返したのだ。
「
瑠衣がそう言った、次の瞬間だった。
瑠花は自分の脇腹のあたりから、とん、と言う軽い音を聞いた。
禊達かと思ったが、瑠花の鋭敏な感覚がそんな奇襲を見逃すはずが無かった。
では何だ、と思い、視線をそちらに向けた。
「ハ……?」
そこにいたのは、炭彦だった。
あり得ない。まずそう思った。自分が気付かないはずが無い。
そこには今の一瞬まで、誰もいなかった。
だが確かに、炭彦はそこにいた。
遠くを見ているような、近くを見ているような、そんな不思議な
その手に持った
◆ ◆ ◆
かつて、珠世が限られた数だけ製造した薬品だ。
その効能は、文字通り鬼化した者を人間へと戻すこと。
より正確に言おう。
珠代の薬の効能は、
「カ……ナ……ッ!?」
馬鹿な、と、瑠花は思った。
自分の肉体に注射器を刺されるまで、炭彦の存在に気付かなかった。
いや、こうしている今も、炭彦の存在感は希薄なままだった。
「
透き通る世界。
その領域に至った者は、他者の肉体が透き通って視えるようになる。
さらには他者の肉体だけではなく、視界にある物――いや、自身の周囲にある全てを知覚することが出来る。
それはさながら、自分以外の時間が遅くなったように感じる程。
全集中の呼吸を習得した者がこの領域に達した時、彼の動きはすべて自然なままに行われる。
闘気も剣気も、殺気も害意も、そこには存在しない。
彼にあったのは、最初から1つだけだ。
瑠衣を助けたい。それだけが、彼の行動原理だった。
「コンナ、モノ……デ……!」
瑠花の肉体の中で、何かが急速に変化している。
そしてそれは、全身に広がりかけていた痣がゆっくりと引いていくことで外見的にも把握できた。
それはつまり、瑠花が弱体化した瞬間を全員が目撃した、ということだ。
「……今!」
「――――わたしに」
瑠衣は、瑠花の手を放さなかった。
むしろ掴んだ手に力を込めて、瑠花がそちらに一瞬、気を取られる。
そしてその背に、猛禽類の如く跳びかかる者がいた。
「――――指図するんじゃないわよ!」
――――欺の呼吸・弐ノ型『面子』!
二槍に分割した日輪刀で、禊が瑠花の背中に斬りかかった。
ぞぶり、という肉を引き裂く独特の感触が、禊の手に直接伝わって来た。
その事実が全員に周知された瞬間だった。
一瞬前まで無敵だったはずの肉体に、日輪刀の刃は通る。
傷口自体はすぐに塞がり、再生力の高さだけは健在のようだった。
だが攻撃自体は通る。それは大きな違いだった。
「今の貴女なら勝てそうですね――――姉さん」
姉の手に爪を立てながら、瑠衣がそう言った。
◆ ◆ ◆
人間は薬と呼び分けているが、その本質は毒と変わらない。
相手の意思に関係なく、一度投与されれば、その肉体を
その意味において、薬も毒も違いはない。
薬と毒の本質。それは、
「…………」
最初の一瞬は、静かだった。
だが次の瞬間、禊が斬り付けた背中の傷から、斬撃とは無関係に血が噴き出した。
出血というより、内側からの圧力に耐え切れずに噴き出した、という方が正しそうだった。
「ガ……グ……!」
体内で、意図しない変化が急速に起こっている。
それもただの変化ではない。
鬼の細胞を人間の細胞に変化させるという、異常事態だ。
もはや共通理解のようになっている珠世の人間化薬だが、その作用はもはや神の領域に達していると言える。
これがただの毒であれば、あるいは瑠花は即座に解毒しただろう。
鬼舞辻無惨でも可能だった。いや上弦の鬼レベルの者なら、簡単に出来ることだ。
だが珠世の作った「鬼舞辻無惨(とその系統)の細胞を根こそぎ滅する」というこの薬は、瑠花であっても容易には解毒が出来ない。
何故ならば、薬の効能に対抗しようと動かす細胞そのものが「鬼舞辻無惨(系統)の細胞」だからだ。
対応しようとする端から細胞が変質していくわけだから、対応そのものが出来ないのだ。
「……瑠衣イイイイイィィッッ!」
「悲しいですね、姉さん。結局、私達は
瑠衣と分かたれて純粋な鬼になってしまったからこそ、瑠花は人間化薬への耐性を失ってしまった。
以前の状態であれば、愈史郎の鬼化促進薬に
何故なら瑠衣は、
つまりは、ここに1つの残酷な事実がある。
すなわち瑠花が瑠衣から奪った力は、結局は瑠衣の持ち物であって、瑠花の物ではない、という事実だ。
結局、瑠衣と瑠花は違う存在だった。
しかしそれは、当然と言えば当然のことだったのかもしれない。
2人は同じ身体を共有する姉妹だが、しかし、同じ存在ではなかった。
「オ前……ッ」
「う、わ」
「はあい、駄目よぉ」
――――空の呼吸・壱ノ型『空裂』。
注射器を刺した炭彦の背を、瑠花が掴む。
そして掴んだその腕を、どこかから跳んで来た榛名が切断する。
「終わりです。――――終わりにしましょう。姉さん」
妹の宣告に、姉が奥歯が噛む音が響いた。
◆ ◆ ◆
腕を切断されたからと言って、瑠花は行動を変えなかった。
切断面から肉の鞭の如き触手を生み出して、炭彦へと伸ばす。
注射器を打ち込むことに集中していた炭彦は、それに対応できない。
「炭彦君!」
――――水の呼吸・参ノ型『流流舞い』。
そんな炭彦を瑠衣が胸に掻き抱いて跳び
目の前で弾け飛ぶ肉片に、炭彦が小さな悲鳴を上げる。
それでも、彼は「透き通る世界」を閉じなかった。
普通の人間には不可能な、超高度の集中。
その
「ハッハァ! どうしたよ、動きが鈍いじゃあねえかァ!」
自らも攻撃を繰り出しながら、獪岳は嗤った。
元々、彼は戦いを愉しむタイプではない。
彼はどちらかと言うと、勝つのが好きなタイプだ。
だから瑠花の動きが鈍り、一方的に攻撃が通る状況は、彼が最も好むシチュエーションと言える。
「ってオイ! 何サボってんだお前ら!」
「うっさいわね。指図するんじゃないわよ」
一方で、禊は手を止めていた。
血を失い消耗が激しいというのもあるが、嗜好の問題でもあっただろう。
彼女もまた獪岳と同じく、戦いそのものよりも勝利の方を好むタイプだ。
ただ禊が獪岳と違う点があるとすれば、それは彼女が獪岳よりも
そんな彼女の横で「たはは」と頭を掻いているのは、犬井だった。
彼もまた、戦いに参加する様子は無かった。
まあ、より正確に言うのであれば。
犬井は最初から今まで、
「おじさんは、まあ、他に用事があってねえ」
「……あっそお」
当然、禊は犬井の「用事」には全くと言って良いほど興味が無い。
興味は無いがしかし、その方が
「いったいどんな用事なのかしら」
そんなに
性格悪すぎだろ、と獪岳は思ったが、しかし彼は口には出さなかった。
「さあねえ。どんな用事だったかな」
そして、この直後だった。
誰にとっても、これで終わりだと思える。
そんな瞬間が、やって来る。
◆ ◆ ◆
――――何故だ。
瑠花は、自問していた。
――――どこで間違えた。
瑠花は、やはり自問した。
何も、何も間違えてなどいないはずだ。
そのためにこの100年。いや、
どれ1つを取っても、成功していた。自分は完璧だったはずだ。
ただ、想定外があったことは事実だ。
(マズ、コイツラダ)
禊や獪岳、榛名に柚羽、それに犬井。
瑠衣がこの連中に力を分け与えたのも想定外だし、この連中がそれに付き合ったのも想定外だ。
しかもメンバーの過半数が瑠衣への好意以外、もとい好意以上の理由でそうしているなど、どうやって想定できるものか。
普通、拒絶するだろう。何なのだ、この連中は。普通ではない。
(ソレト、コイツダ)
そして最大の想定外は、この時代に「
竈門炭彦。到達人。この時代における継国縁壱。
透き通る世界に到達した稀有なる少年。彼がいなければ瑠衣を誘き出せなかった。
炭彦の瑠衣への強い想いこそが、瑠花の計画に必要不可欠なピースだった。しかし。
(コイツガ、マサカ薬ヲ持ッテイルナンテ)
だから禰豆子の存在もまた、瑠花にとっては誤算だったろう。
彼女の存在が無ければ、炭彦は途中で挫けていたかもしれない。
今この瞬間のために今日まで生きて来たと、禰豆子は言った。
それはけして誇張では無く、事実その通りだったのだ。
「ア、ア、ア」
一般的には、臓器移植等の医学用語として有名だろう。
他人の臓器を移植した際に肉体が移植臓器を異物と判断してしまい、臓器としての機能を果たさなくなり、最悪の場合は命を落としてしまう。
今、瑠花の身に起きている事態は、そういうものだった。
「アア、アアアアア」
維持できない。
維持することが出来ない。この肉の器を、保つことが出来ない。
元々、自分の
瑠衣から人ならざる部分を
それを繋ぎ止める細胞が暴走してしまって、制御不能に陥ってしまう。
「アアア、アアアア、ル、イ――――御免ね」
「……え?」
維持できない。維持できない。
決壊する。崩壊する。
嗚呼、全てが終わる。
なにもかも、これでおしまい。
◆ ◆ ◆
――――何もかもが、
力も、命も、……も。何もかもが、失われていく。
失われて、失われて、手の中には、何も残らない。
「ドウシテダ」
呟いてみたところで、それらが自分の手の中に戻って来るわけでは無い。
虚しいだけだ。
それがわかっていても、口にするしかない。
人間とはかくも虚しい生き物なのかと、いっそ冷笑したくもなった。
ああ、いや。
そもそも自分は、人間ですらなかったか。
やはり冷笑。いや、嘲笑じみた笑みが、瑠花の口元に浮かんだ。
「いいえ、それは違います」
不意に、誰もいないはずの空間に声が聞こえた。
声の主はすぐ傍にいるようであり、遠くにいるようでもあった。
ただ、確かに耳に届いてくる。
「結局のところ、私達は……人間だったのです」
たとえ、肉体が鬼と化そうとも。
人体構造が変わり果てようとも、不老不死になろうとも。
結局、人間は人間でしかない。
何かに憤り、何かに哀しみ、何かを求めて手を伸ばす。
その姿は、人間と何も変わらない。
それは細胞の状態によって変わるものではない。
変わるはずのない、人間の生まれ持った
「人と鬼は正反対の存在ではなく、その根は同じなのですから」
人間と鬼の、千年の争い。
それはまるで、人間の内面世界の争いのようにも思えた。
理性と欲望の。
善と悪の。
心の相克。それをそのまま映し出したかのような。
「ソウダトシテモ」
根は同じだとしても、鏡写しに過ぎないのだとしても。
それでも、人間と鬼は違うものだ。
「ソノ証拠ニ、私ハ何ノ影響モ受ケテイナイ」
瑠衣とは違う。
父・槇寿郎からも、母・瑠火からも、兄・杏寿郎からも、弟・千寿郎からも。
何の影響も受けていない。
彼らとの関りは、自分に何の影響も与えなかった。
何も。
何も受け取らなかった。
何も、受け継がなかった。
だから自分は、瑠衣とは違う。
「ソレハ、オ前タチモダロウ」
結局、瑠花は声の主を見なかった。
それはもしかしたら、白衣を着た和服の女性だったかもしれないし。
書生姿の、目つきの悪い青年だったかもしれないし。
袴に刀の武士然とした男だったかもしれないし。
金髪の洋装の少女だったかもしれない。
「ダカラモウ、黙ッテ見テイロヨ」
物語の、
◆ ◆ ◆
メキメキと、肉が潰れるような音が響く。
いや、逆だ。内側から、さらに内側から、
細胞が、筋組織が、暴走するままに膨張を続けているのだ。
それはさながら、膨らみ切った水風船が内圧に耐え切れずに破裂する様のようだった。
実際、その場にいる全員の目には瑠花の姿が一瞬膨らみ、次の瞬間に弾け飛んだように見えた。
「ぞっとしますね。本当に」
「
それは、無尽蔵に成長を続ける肉塊とも言うべき姿をしていた。
赤黒い、あるいは紫色に染まったブヨブヨとした肉が、内側から折り重なるようにしてどんどん大きさを増して言っている。
表皮には大小の血管が脈打っており、脈の圧力によって、ところどころから赤い血が噴水のように噴き出していた。
それは、瑠花の肉体という殻を破って表に出て来た。
いや、正確には違う。あれは
瑠花の肉体は――瑠衣と共有していたものを除いて――この世に存在しない。
先程まで瑠花に見えていたものは、言うなれば粘土を
(人間化の薬で細胞変化を制御できなくなって、形を維持できなくなった……と言うわけですか)
それでも、薬を打たれたのが瑠衣であったなら、おそらく耐え切っただろう。
変化前も変化後も、それは瑠衣の持ち物なのだから。
だが瑠花は違う。
さっきも言った通り、他人の持ち物を自分の物にすることは出来ない――――。
「それで、どうするのよ」
「……
禊の言葉に、目を細めながらそう答えた。
瑠衣の眼には、肉塊の内部で荒れ狂う細胞暴走の様子が視て取れた。
例えて言えば、爆弾を爆発する前に処理することは出来るだろう。
しかし爆発してしまったら、どうすることも出来ない。
今の状況はそれと同じだった。手遅れとしか言いようがない。
「ま、待ってください」
その時だった。
瑠衣の胸の中で――色々な部位が当たって顔を赤くしながら――もぞもぞと、炭彦が顔を出した。
その
瑠衣はそれを見て、幾度か言葉を考える素振りを見せた後、言った。
「……
「はい……はい。
炭彦の言葉に、瑠衣は目を細めた。
禊や獪岳などは「うえー」という顔をしていたが、瑠衣は「そうですか」と頷いた。
そして、思う。
嗚呼、やはりこの子こそが、運命の子どもだったのだ、と。
「……優しいですね。炭彦君は」
そう言って、胸の中で少年の頭を撫でた。
また別の意味で朱色に染まる顔を見て、可愛いな、と思った。
そんなことも、また、思った。
◆ ◆ ◆
「状況をまとめましょう」
まず公園の周囲からは、人の声がほとんどしなくなっていた。
消防車や救急車、あるいはパトカーの音は遠くから聞こえるが、それも段々と数が減って来ているような気がした。
今、この周囲1キロ圏内には、彼女達以外の人間はいないと思って良いだろう。
ただしそれも、いつまで安心できるかはわからない。
肉塊と化した瑠花は、今もなお膨張を続けている。
もちろん無限ではないだろうが、それが被害の拡大速度に比例するというわけでもない。
つまり、可能な限り短期間で問題を解決しなければならない。
「まあ、私達は別にこの町がどうなっても構わないのですけれど……」
「だ、駄目ですよね? 放っておいたら駄目ですよね!?」
「いやー。マジでコイツを優等生だと思ってた隊士連中に見せてやりたいぜ」
瑠衣は獪岳に笑顔を向けた。獪岳は黙った。
瑠衣は炭彦に笑顔を向けた。炭彦はほっとした表情を見せた。
同じ行為なのに結果が真逆になるというのは、興味深い現象とも言えたかもしれない。
「女なら普通よ」
「うちの妹は素直な子だったからなあ」
「見せてなかっただけでしょ」
「いやあ、違うんじゃないかな。……え、違うよね?」
そして、問題の肉塊――瑠花についてだ。
彼女は今も膨張を、肥大化を続けている。
人間化の薬によって細胞分裂を制御できず、ただただ力を発露し、ばら撒いている。
このまま放置すれば、結果がどうなるかは誰にもわからない。
少なくとも、大きな被害が出ることは疑いないだろう。
「その被害を、姉が……
もちろん、今さら煉獄家の誇りがどうだのと言うつもりは瑠衣には無かった。
そんなことを言う資格は、自分には無い。
言おうとも思わない。
ただ、今この場で姉を止めることが出来るのは自分だけだ。
この場にはもう、父も母も、兄も弟もいないのだ。
だったら、自分が何とかするしかないだろう。
それこそが煉獄家で生きて来た人間がせめて果たすべき、最低限のことだと、そう思うから。
「炭彦君。もう一度だけ確認させてください」
「は、はい」
自分を見上げる炭彦の目には、純粋な信頼の色があった。
それはかつて、自分が家族や仲間に対して向けていたものと同じだった。
懐かしさと、寂しさと、少しだけの苦さ。
それらすべてを覆い隠すように、瑠衣は微笑んだ。
「炭彦君には、視えているのですね」
「はい。視えています」
透き通る世界。
その
それを確信して、瑠衣は頷いた。
「さてと、それでは……」
日輪刀を、握り締める。
呼吸を、整える。
それを見て取って、他の面々もそれぞれに日輪刀を構えた。
「
そして久しぶりに、瑠衣はある言葉を使った。
それはかつて、師範と呼んだ男から教わった言葉だった。
「見鬼、滅殺」
鬼を見たら、必ず殺せ。
師範の声が、風の音と共に聞こえたような気がした。
最後までお読みいただき有難うございます。
あくまで私は姉妹百合と言い張る(え)
さて、物語もいよいよ佳境です。
ここまで読んでくれた読者の皆様には今さら言うまでもないと思いますが、私はハッピーエンド至上主義者です(くもりなきまなこ)。
みんなで幸せになりましょうね!(綺麗な笑顔)。
それでは、また次回。