鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第92話:「煉獄瑠花」

 ――――伍ノ型までが、限界だった。

 炎の呼吸は9つあるのだが、瑠衣が会得できたのは伍ノ型までだった。

 より正確に言えば、型そのものは習得できていたが、技と呼べる程に昇華できなかった。

 何故ならば瑠衣の身体が、炎の呼吸への適性を有していなかったからだ。

 

「気にすることはない。瑠衣」

 

 かつて兄はそう言って、自分を慰めたものだ。

 ああ、いや。あの兄に限って、慰めたつもりなどないのだろう。

 きっと心の底から、素直に声をかけてくれたに違いないのだ。

 人それぞれに出来ることがあり。不要な人間などいないのだと。

 

 かつてはそれを、尊敬していたこともあった。

 今は、ただ眩しい。煌めくような思い出だ。

 兄は、煉獄杏寿郎は、瑠衣にとって――――太陽だった。

 だからもう、目にすることは無い。

 

(色変わりの刀。日輪刀)

 

 ()()()()()

 一言で言えば、それはとても簡単なことだ。

 だが、考えてみてほしい。

 呼吸の適性は、日輪刀が何色に染まるかで決まる。

 

 赤なら炎。青なら水。緑なら風。

 だがそれは、裏を返せばこういう意味になる。

 日輪刀を握るまで、()()()()()()()()()()()()()()()()()

 それ以外の方法では、その人間が何の呼吸に適応しているのかわからないのだ。

 だが考えてみれば、()()()()()()()

 

(日輪刀は、どうして色が変わるのか)

 

 日輪刀を打っていた刀鍛冶でさえ、その理屈はわかっていなかった。

 あるいは里長や各一族の長は知っていたのかもしれないが、今となっては語る者はいない。

 しかし、ヒントはあった。

 赫刀だ。

 

(痣者が日輪刀を強く握ると、体温が刀身に伝わり、(あか)く変わる)

 

 つまり日輪刀は、握った人間の体質を()()いるのだ。

 体温。握力。心臓の鼓動。血の流れ方。肺や横隔膜の収縮。掌の形。骨や筋肉の動き方。

 それらを視て、最も適した呼吸の色に刀身を変えるのだ。

 すなわち日輪刀とは、体温計であり触診器のような物なのだ。

 

(つまり、あるはずなんだ)

 

 ()()()()()()()()()

 もちろん、体質や所作を変えることは出来ない。真の適性は変えられない。

 けれども、一瞬だけ。この瞬間だけ、この一撃を放つ間だけ。

 今だけ、日輪刀よ、太陽の刀よ。既に黒刀に変わりし刀よ。

 赤色に、変わり給え――――。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 この時、瑠衣は集中を必要としていた。

 まず『煉獄』を撃つために、全身の力を――おそらくは最後の力を――余すところなく使わなければならない。

 しかもこの『煉獄』は最後の『爆血』を前提にしている。

 絶対に外すことが出来ない。

 

(目指すは一点。あいつの、頭部!)

 

 磔の女の部位から突撃し、斬り抉りながら核を潰す。

 そしてそれを成功させるためには、可能な限り正面から突撃をかける必要がある。

 真っ直ぐに行き、真っ直ぐに抜ける。

 力のロスを最小限にしなければ、おそらく最奥部まで進むことが出来ない。

 

 極度の集中は、瑠衣の眼に目指すべき核を視せていた。

 しかし逆に言えば、それ以外に対する視覚を放棄しているとも言えた。

 実際、瑠衣は『煉獄』を核に向けて撃ち込むことに集中していて、他のことは考えていない。

 そうでなければ、透き通る世界から弾き出されてしまう。

 

(この馬鹿マジで前しか見てねえ!)

 

 その他のことは、()()()()()()()()

 蜘蛛の手足が瑠衣を狙って動いたとしても、今の瑠衣には対応が出来ない。

 だからそうしたものは、獪岳が対処するしかなかった。

 機動力と広範囲攻撃に優れる雷の呼吸だからこそ、可能なことでもあった。

 能力的には可能だが、当然ながら、心情的にどう感じるかというのはまた別の話だった。

 

「お前! 後で覚えてろよ!」

 

 瑠衣の背中にそう悪態を吐いたところで、今の瑠衣には聞こえていない。

 それなら瑠衣を見捨てれば良いじゃないかと、他人は言うかもしれない。

 どうしてわざわざ援護するような真似をするのかと、きっと言うだろう。

 例えばあの小憎たらしい弟弟子(善逸)などは、そう言うだろう。

 

 しかし、考えてみてほしい。

 もしもここで獪岳が瑠衣を見捨てたとする。放置したとしよう。

 すると瑠衣はこう言うだろう。

 いや、口には出さないだろうが、目で言ってくるだろう。

 

「良いですよ。別に期待とかしていませんでしたから」

 

 ――――想像しただけで腹が立つ。

 もしも瑠衣に見下されながらそんなことを言われた日には、額を地面に叩きつけて死んでしまうかもしれない。

 獪岳にとって、瑠衣に見下されることはそれ程の屈辱なのだった。

 

 なので獪岳としては、瑠衣を援護する以外に選択肢が無い。

 そしてそれを瑠衣がきっと見透かしているだろう、とも思っている。

 だからさらに腹が立つ。余りにも腹が立って仕方がないので。

 

「オラァッ!」

 

 ――――雷の呼吸・弐ノ型『稲魂』。

 仕方がないので、獪岳はその鬱憤(うっぷん)を蜘蛛にぶつけるのだった。

 黒い稲妻が、戦場を駆け抜けていった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 炎の呼吸・玖ノ型『煉獄』。

 上半身を大きく()じり、そのまま突撃、全身のバネを利用して斬撃を浴びせる。

 豪()の権化とも言うべき奥義であり、その威力は線ではなく面を削ってしまう程だ。

 しかしその分だけ、放つ側に要求されるものも大きい。

 

(身体が軋む……! 筋肉が裂けそう……!)

 

 斬撃の力を溜める肝は、構えの時点の上半身の捻じりにある。

 この時点で身体に相当の負荷がかかるが、溜めた力を一気に放つ際の負担はその比では無い。

 おそらくこの『煉獄』を放った後、瑠衣の身体は壊れるだろう。

 眼前に蜘蛛の頭部――磔の女の姿が迫る中で、しかし瑠衣は躊躇しなかった。

 

(どうせ、後が無いんだから……壊れたって良い!!)

 

 どの道、最後の一撃なのだ。

 次が無いのであれば、技の後に身体に残るダメージなど考慮する必要は無い。

 そもそも失敗すれば、死ぬのだ。

 目の前の蜘蛛に踏み潰されるか、千切られるか、喰われるかして、死ぬのだ。

 

「オイ! ()るんだったらさっさとやれ!」

 

 獪岳の声。けして聞こえていないわけでは無い。

 ただ、答える余裕は無かった。

 (もっと)もその余裕があったとしても、攻撃に全て割り振っただろう。

 

「――――姉さんッッ!!」

 

 聞こえているのかは、わからない。

 しかし瑠衣は、目の前にいる蜘蛛に――その中にいるだろう瑠花に、呼びかけた。

 それは、かつて炭治郎がやったような、敵に攻撃を報せるものでは無い。

 思わず口を吐いて出てしまった。そんな呼びかけだ。

 

 百年。いや、それ以上だ。

 上弦と遭遇した無限列車の時から、いや生まれた時から、共に在った。

 こうしている今も、胸の内に喪失感を感じて止まない。

 だからそれを誤魔化すために、声を上げた。

 

(……変われ)

 

 そして、『煉獄』が完成する。

 刀身は『爆血』で燃えているが、まだ黒い。

 思い出せ。百年の向こう側の記憶を、思い出す。

 

(……変われ)

 

 兄は、父は、どんな風に刀を握って、どんな風に持って、どんな風に振っていた。

 それを見ていたのは、もうずっと昔のことだけれど。

 今でも鮮明に、思い出せる。

 ギシ、と、握り締めた刀の柄から音が響いた。

 

 心を燃やせ、と、父と兄は良く言っていた。

 瑠衣はそれを一種の精神論だと思っていた。

 でも、本当は違った。

 誰よりも、どの呼吸よりも熱く、熱く、呼吸を、体温を上げて。

 ()()()()と、そういう意味だった!

 

「か、わ、れ、ええええええええええええっっ!!」

 

 その刀身を、蜘蛛の頭に、磔の女に振り下ろした。

 確実に、女の胸に届き、肉を裂く鈍い感触が伝わって来て。

 そして。

 

「えええ――――……え?」

 

 ()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 一瞬、その場にいる全員の時間が止まった。

 瑠衣の日輪刀は、確かに蜘蛛の肌を裂き、肉を斬り裂いた。

 しかし、そこまでだった。

 核に到達する前に、瑠衣の――炭治郎の黒刀は、限界を迎えてしまった。

 

()()()!)

 

 攻撃に、『煉獄』に全てを振っていたので、気がつかなかった。

 黒刀に、()()()()()()()

 ぱっと見では気付かない。透き通る眼で視てやっと気づく程の小さな、しかし致命的な――()()()()だ。

 考えてみれば、当然のことだった。

 

 いくら綺麗に保存されていても、100年である。

 竈門家は剣士として家系を遺して来たわけでは無い。刀の保存状態には限界があった。

 そしてさらに悪いことでに、先ほど炭彦はこの刀で肉を斬った。

 その時に付着した血液に強力な腐食作用があり、深刻なダメージを鋼に与えていたのだ。

 

(マジでヤバい!)

 

 と思ったのは、この場である意味で最も正統な剣士と言えるだろう、獪岳だった。

 彼は、日輪刀が折れるという意味を誰よりも理解していただろう。

 もちろん、瑠衣は攻撃を続行するだろう。

 続行するだろうが、しかし厳しい。

 折れた刀では攻撃の威力も範囲もまるで違うからだ。

 

「……ッ!」

 

 それでも、瑠衣は日輪刀を振り上げようとした。

 どの道、今さら止めようがない。

 止めれば死ぬ。『爆血』も消える。だから止めない。

 続けるんだ。そう、思った時だった。

 

 ()()が、視界に入って来た。

 

 ()()()()()()()()()()()

 どこからともなく飛来したそれを、瑠衣は反射的に掴んだ。

 握り締めた柄に感触に、奇妙な懐かしさを感じた。

 それは炭治郎の黒刀よりも、より()()()()

 

(この、刀は……)

 

 赤い刀身。炎のような飾り。

 嗚呼、と、自然と嘆息した。

 潤みそうになる視界を、きっと横に振って。

 

「使え――――ッ!!」

 

 と、()()()()()()()()()()()

 いや、懐かしいというのは瑠衣の勝手な郷愁だ。

 何故ならばその相手は、瑠衣の知る人間とは違う。別人だ。

 

 ()()()寿()()()()()()()()()()()()()()()()

 彼はきっと、自分がどうしてそんな行動に出たのか、わかっていないだろう。

 わかっていないのに、そうしたのだろう。

 ()()()と、そう思った。

 

「燃えろ……!」

 

 『爆血』の()を、桃寿郎の――煉獄家の日輪刀に移す。

 炎は今にも消えそうで頼りないが、構わなかった。

 この刀は、それ自体が()()()()()()()()()

 

  ◆  ◆  ◆

 

 桃寿郎は、ほとんど無意識の内に行動していた。

 何かに突き動かされるように、彼は気が付けば刀を投げてしまっていた。

 自分でも驚く程のコントロールの良さに、自分で感心してしまう程だった。

 

「むう! 近付き過ぎたかもしれん!」

 

 思ったことは口に出さざるを得ない。そういう性格だった。

 しかし実際、行為に対する代償は小さくは無かった。

 蜘蛛の全身の目が、明らかに桃寿郎の方を向いていたからだ。

 血走った無数の目が一斉に自分の方を向いて、さしもの桃寿郎も怖気を感じてしまった。

 

「桃寿郎君!」

「来るな、炭彦!」

 

 蜘蛛の脚が自分の方へ向けられるのを、桃寿郎は意外な程に冷静に見ていた。

 もちろん、驚いてはいる。脅威を感じてもいる。何なら恐怖も感じている。

 しかし一方で、腹の底は落ち着いていた。

 まるでこの状況を何度も経験してきたかのような、そんな様子だった。

 

(とはいえ、これは駄目かもしれんな!)

 

 振り下ろされる巨大な金属の脚を前に、そんなことを思った。

 何しろ、桃寿郎自身は呼吸の訓練を受けていない。

 天性の才能で身体能力は高く、()()()()()()()()()()()が、本格的な鍛錬を経たものではない。

 

 姿勢は、刀を投げ終えた体勢から戻っていない。

 どうしても一呼吸の間が空く。

 だから今この瞬間において、蜘蛛の脚を回避することが出来ない。

 頭の冷静な部分が、次の瞬間には自分が死んでいる、と告げていた。

 

(しかし、不思議だ。何だったのだろう、さっきの感覚は)

 

 瑠衣が攻撃に動いた時、実は桃寿郎もすでに駆け出していた。

 ()()()()()()()()()()()

 強くそう感じた。そして感じた心のままに、桃寿郎は動いた。

 身体よりも、あるいは感情よりも、心の方が強かった。

 

(父上、母上、申し訳ございません)

 

 自分は親不孝者だ、と思った。

 だけどきっと、父も母も、今の自分の行動を認めてくれるだろう。

 それだけは、確信があった。

 きっと両親はわかってくれるだろうと、そう思った。

 

 そして、桃寿郎は自分の「死」を見つめた。

 目を逸らすことも、閉じることも無かった。

 驚くほど落ち着いた心境で、桃寿郎は自分の「死」を見つめて、否。

 ()()()、そして。

 

「勝手に」

 

 そして、鮮烈な鶴が桃寿郎と「死」の間に割って入って来たのだった。

 

「死んでるんじゃないわよ……!」

 

 鮮烈な赤色が、桃寿郎の視界で散った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 禊の日輪刀は、最大で6つの短槍(パーツ)に分割が可能だ。

 それらを鋼糸で繋いで操作する独特の剣技は、禊の性格と相まって強力無比な型を生んだ。

 独特で強力過ぎて他に使い手がいないと言う意味では、日の呼吸や月の呼吸にも匹敵するだろう。

 人によっては、何て寂しい型なのだろう、などと言うのかもしれない。

 

 しかし禊は、もちろんそんなことは気にしていなかった。

 自分の呼吸を他人に伝えるなど考えたこともないし、そもそも他人のことを考えたことが無い。

 禊はただ、愉しみたかっただけだ。

 この世を全力で、自分らしく謳歌していただけだ。

 

「この力と技でね」

 

 美貌。器量。教養。技術。

 己の持つ全てを使って、人生を愉しむ。

 けれどそれって、普通のことでしょう?

 

 誰でも、そうやって生きている。

 生きていくって、そういうものでしょう。

 我慢とか、遠慮とか、そんなことを考えていたらキリが無いったらない。

 だからもしも仮に、この世から去ることがあるのだとしても、悔いだけは残さないし。

 

()()()()()()()()()()

 

 そう言って、嗤うだろう。

 そして、()()()()()()()

 我ながら、徹頭徹尾趣旨貫徹。見上げたものだと思った。

 

 ただ1つ、ミスをしてしまった。

 それは禊にとってはまさに痛恨の極みであり、珍しく悪態を吐きたくなった。

 ただ、それは表には出さなかった。

 失敗の上塗りをするわけにはいかない。それは、遊女の矜持が許さなかった。

 

「だから、そんな顔をするんじゃないわよ」

 

 自分を()()()()桃寿郎の頬に、手を当てた。

 顔立ちも肌触りも、どこか懐かしい。

 もちろん、彼は千寿郎ではない。彼女の客ではない。

 けれど、100年前に()()()()()()()()()というのは、気分が悪い。

 素質や資産が引き継がれるというのなら、客としての継続も継続されるだろう。

 

「まったく」

 

 男というのは、単純だ。

 ほとんど話したこともないような相手でも、情のようなものを向ければ、感情を返して来る。

 生殺与奪の権を、簡単に明け渡して来るのだ。

 今だって、禊が少し腕を動かすだけで、頚から上が胴体と泣き別れしてしまうと言うのに。

 

()()()()()、泣き虫ねえ」

 

 酒が呑みたい。そんな気分だった。

 ただ、腹から下は潰れてしまったので、酒を流し込む胃がないことに気付いた。

 まあ、味はわかるだろうし、良いか。

 そんなことを、思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 そして、瑠衣の『煉獄』が完成する。

 煉獄の日輪刀で以って、()()()『煉獄』が完成する。

 しかしその偽物は、煉獄瑠衣という少女が重ねた100年の、全霊が込められていた。

 

「ハアアアアアァァァ――――ッッ!!」

 

 磔の女を縦に斬り裂いた。

 しかし、まだ進む。核はこの奥だ。

 この日輪刀もいつまで保つかはわからない。

 だから、初撃の勢いのまま突っ切るしかなかった。

 

 何よりも、瑠衣の肉体が先に潰れる。

 『爆血』の効果で敵の装甲を溶かし、『煉獄』の突撃力で斬り裂く。

 それで、終わりだ。

 成功するにせよ、失敗するにせよ。

 

「AAAaaa――――――――!!」

 

 蜘蛛が叫ぶ。苦悶の叫びだった。断末魔の叫びと言っても良い。

 

「……ッ」

 

 不意に、蜘蛛の()()()()()()

 胴体が沈み、まるで顎のように脚が逆側に、つまり瑠衣の側に向かって閉じた。

 包み込むように、脚が迫る。

 獪岳らの援護は、間に合わない。

 

(関係ない)

 

 このまま、()る。

 たとえ、この肉体がズタズタにされようとも。

 この蜘蛛の核だけは、何としても潰す。

 

 しかし、眼前にまで迫った蜘蛛の脚を、真横から一閃するものがあった。

 それは、砕けた槍――の日輪刀だった。

 槍の穂先が脚の関節を撃ち抜いて、瑠衣を守った。

 

「私の槍は6つしかない」

 

 ――――欺の呼吸・真参ノ型『八十八夜』。

 

「……なんて、言った覚えはないけど?」

 

 鋼糸を握り締めながら、桃寿郎に半身を支えられた状態の禊が嗤っていた。

 思い込みは良くない。欺の呼吸は、人の思い込みにこそ最も効果を発揮するのだから。

 ()()()の槍を忍ばせて撃ち抜くなんて、良くある話だ。

 

(禊さん――――)

 

 蜘蛛の体を縦に真っ二つに斬り裂いて、瑠衣の身体が縦に回転する。

 二つに分かれた蜘蛛の胴体が、どうと音を立てて地面に崩れ落ちた。

 そして、硬質な金属質な――それでいて、どこか液体のように揺れてもいる――(それ)を、そのまま空中で横に回転して、斬った。

 ゼリー状の物を斬った。そんな感覚が、掌に伝わって来た。

 

 一瞬、蜘蛛の体が膨張した。

 そして次の瞬間、一気に縮み、たわんだかと思うと、弾け飛んだ。

 黒い雨、黒い泥――そう思える黒い水滴が、周囲に飛び散り、雨のように降り注いだ。

 その黒い水溜まりの中に、瑠衣は落ちた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 泥の中、瑠衣は身を起こした。

 手の中を見ると、日輪刀の刀身が罅割れていることに気付いた。

 やはり炭治郎の日輪刀と同じで、元々限界が近かったのだろう。

 あるいは、役割を終えた、と言うことなのかもしれない。

 それは流石に、感傷的に過ぎるだろうか。

 

「……ああ、まあ、貴方だろうとは思っていました」

 

 顔を上げると、そこに獪岳がいた。

 雷の日輪刀を持った彼は、座り込んだままの瑠衣を見下ろしていた。

 そんな獪岳に、瑠衣はふ、と微笑んだ。

 

「きっといつか、寝首を掻きに来ると思っていたのですが。意外と、遅かったですね」

 

 獪岳との付き合いは、もう随分になる。

 同期だった。

 柱の弟子という共通項があったせいか、他人からは何かと比較されていたような気がする。

 瑠衣は余り気にはしていなかったが、獪岳は違っただろう。

 今は、それが理解できる。

 

「どうぞ」

 

 どの道、力は残っていない。

 完全生物としての力はすべて瑠花に奪われたし、日輪刀は壊れ、呼吸を維持する力も無い。

 これ以上ない程に、無力な状態だった。

 

 それに、とも、思う。

 もしも自分に引導を渡す役目というものがあるとして、獪岳は一番適任だと思えた。

 何故ならば彼は、彼だけは、ずっと自分を嫌っていた。

 最初から最後まで、同じ感情を向け続けてくれていた。

 

「…………」

 

 獪岳が日輪刀を振り上げるのを見て、瑠衣は目を閉じた。

 静かな数瞬が、しばらく続いた。

 不意に、空気を切る音がして、さらに足先で軽い音がした。

 肝心な衝撃は、来なかった。

 

「……?」

 

 少ししてから、目を開けた。

 すると、獪岳はいなかった。

 その代わりに、瑠衣の足先に日輪刀が突き立っていた。

 雷の紋様が刻まれたその日輪刀は、主がそうだったように、何も語っては来なかった。

 

「……私を殺したくて、ついて来てくれたのではなかったんですか」

 

 虚空にそう問いかけても、答えるものは無かった。

 しかし、衝撃は来た。

 横から少年が飛びついてきて、瑠衣は小さな悲鳴を上げて、衝撃に耐え切れずに倒れた。

 

「……残酷なひと」

 

 獪岳。何度も呼んだその名前は、もう誰にも受け取っては貰えない。

 そんなことを考えながら、瑠衣は手を動かして、自分に飛びついて来た炭彦の頭を撫でた。

 この子が泥で汚れてしまうな、と、そんなことを考えた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 何だあれは、と、禊は思った。

 まったく男というものは非合理的な生き物だ、と思わざるを得ない。

 格好をつけなければ死んでしまう生き物なのだろうか。

 まあ、ああいうのも見方によっては一種の美学と言えるのかもしれない。

 

「ほんと、バカみたい」

「まあ、男は大事なことはひとつ胸に秘めていれば、後はどうにでもなっちゃうからねえ」

「何それ。意味わかんないんですけど」

「あはは。まあ、男にしかわからないこともあるってこと、さ……っと」

 

 視線を巡らせて――何しろ、もう動かせる身体が無い――見れば、犬井が泥の中で何かをしていた。

 蜘蛛の残骸、黒い泥の中に手を入れて、何かを探している様子だった。

 どう考えても人体に良いはずが無いそれに、犬井は頓着(とんちゃく)せずに手を突っ込んでいた。

 

「……で、アンタは何をしているわけ?」

「いやあ、まあね」

 

 不意に、何かを泥の中から掬い上げていた。

 それは、小さな塊にも見えた。

 ただの石のようにも見えたし、金髪の西洋人形(ビスクドール)の頭のようにも見えた。

 それが何なのか、禊にはわからなかったし、さして興味も無かった。

 

 それがアンタの「大事なこと」なわけ?

 と、口に出そうとしたが、舌が回らなかった。

 まあ、それを大事そうに抱え込んで座り込む犬井の背中を見れば、答えは決まっていた。

 

「獪岳ちゃんは、行っちゃったのねぇ」

 

 榛名と柚羽は、相変わらず寄り添っている。

 最後までべたべたと、仲の良いことだと思った。

 獪岳はそういうのは嫌っていた。その点だけは、共感できた部分かもしれない。

 

(参ったわね)

 

 最後に考えることがそんなことだなんて、それこそ死にたくなってくる。

 最後。そう、最後だ。

 彼女達は、瑠衣の血鬼術によって事実上の不老長寿を得ていた。

 その瑠衣の力が失われた以上、不老の血鬼術も失われる。

 桃寿郎を庇わなくとも、どうせ寿命が尽きる運命だったのだ。

 

(地獄の鬼っていうのは、強いのかしらね)

 

 鬼と言っても、自分が知っている鬼ではなく、伝説に聞く地獄の極卒だ。

 きっと強いのだろう。何しろ、地獄で人間や鬼を虐め抜いているのだ。

 自分が殺した鬼は、今も地獄にいるのだろうか。

 閻魔大王は実在するのだろうか。実在するとすれば、やはり強いのだろう。

 

(愉しみね)

 

 そんな閻魔や地獄の鬼が、表情を歪めて膝を屈する様を思うと、自然とにやけてしまう。

 嗚呼、愉しみだ。

 本当に、愉しみだ――――。

 

「女の子が最後にする顔がそれって、ヤバくないかしらぁ」

 

 五月蠅いわね。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 その少女は、黒い泥の中で、仰向けに倒れていた。

 自分の命が尽きようとしていることは、理解していた。

 そもそも、指一本動かす力さえ残っていない。

 

「……姉さん」

 

 そんな少女に、瑠衣は声をかけた。

 炭彦に肩を支えられながら、仰向けに倒れる瑠花を見下ろしていた。

 僅かに目を開けて、瑠花は妹を見た。

 その眼には、もう何の虹彩も紋様も輝いてはいなかった。

 

「……上手ク……行カナイ……モノダネ……」

 

 そう、何も上手くいかなかった。

 瑠花が望み、思い描いたもののほとんどは、砂粒のように掌から零れてしまった。

 まあ、それも仕方なかったのかもしれない。

 何故なら瑠花は、この世に存在したことが無かったのだから。

 

「……私ハ結局……貴女ノ一部デシカ……無カッタ……」

 

 煉獄瑠衣という少女の中に、たまたま残った鬼の細胞。

 妹の生命力にへばりついていただけの、本来は死ぬべき(アポトーシス)細胞。

 それが、煉獄瑠花という少女の正体だった。

 奇跡のような確率で、たまたま自我や人格に似た何かが芽生えただけの、小さな存在だった。

 

 本体から一部の細胞だけで独立したところで、存在が維持できるわけが無かった。

 それでも、瑠花には後悔だけは無かった。

 たとえ僅かな時でも、この世界で存在を主張できたことは、彼女にとっては大いなる喜びだった。

 それに。

 

「有難う。姉さん」

「……ナニガ……有難ウ……ナノ……」

「姉さんは」

 

 はらはらと、瑠衣の頬を、血の滲んだ透明な雫が滴り落ちる。

 尽きたと思っていたそれが、何故か今は自然と溢れて来た。

 

「姉さんは、私を救おうとしてくれた」

「…………ハハ」

 

 この期に及んで、この妹は何を言っているのだろう。

 お人好しにも程がある。

 自分はただ、自分のやりたいことを、思うままにやっただけだと言うのに。

 嗚呼、面倒だ。もう何もかも面倒だから。

 

「……セイゼイ……残リノ人生ヲ……苦労スルト……良イ……」

 

 肉体が崩壊する。

 核を砕かれているのだから、当然だ。

 もはや抵抗しようとも思わない。

 余計な会話を、もうする必要は無い。

 私なんて、このまま、消えてしまえ。

 

「……普通ノ……人間トシテ……生キテ……」

 

 妹には、瑠衣には、何も残してやらない。

 煉獄瑠衣が得た力のすべては、自分が持って行く。

 化物としての煉獄瑠衣は、自分と一緒に地獄に堕ちるのだ。

 いい気味だ。そう思った。

 

(……嗚呼……ヤメテクレヨ……)

 

 死の間際、瞼の裏に浮かんだのは、煉獄家の人々だった。

 槇寿郎、杏寿郎、千寿郎に――そして、瑠火。

 こんな時に思い出すのが、それだった。

 けれど、瑠花はそれらを意識から振り払った。

 

(私ハ違ウ。オ前達カラ何ノ影響モ受ケテイナイ)

 

 何も継いでいない。

 ――――何も。

 だって。

 

「……ソレハ……瑠衣ノ……ダカラ……」

 

 だから、置いて逝く。

 光差す地上に、人間の世界に、置いて。

 このまま、逝かせて――――。




最後までお読みいただき有難うございます。

ハッピーエンドにしようとしたが、キャラクターに拒否されました(妄言)

この作品も随分と長期になりましたが、あともう少しちょこちょこ遊んで、締めにしようと思っています。

それでは皆様、もう少しだけお付き合いくださいませ。

それでは、また次回。
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