鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第93話:「平和な日常」

「――――豪華客船?」

 

 いつもの公園、いつもの場所。

 今となってはわざわざそんな場所で会う必要はない――隠れて会う必要がなくなったという意味において――のだが、今でも瑠衣は炭彦とそこで会っていた。

 あの戦い――煉獄瑠花との戦いから、すでに1年が経とうとしていた。

 その時間の経過を示すかのように、破壊され尽くした公園は元通りの姿を取り戻していた。

 

 以前と違う点があるとすれば、中央にあの「事故」の犠牲者を悼む慰霊碑が建てられていることだろうか。

 周囲の建物についても、竈門家のマンションも含めて再建がかなり進められていた。

 たった1年余りでそこまでの工事を進めてしまうあたり、産屋敷家の影響力は現代でも生きているのだなと、瑠衣は呆れ混じりに感心していた。

 まあ、それはさておくとして。

 

「……と、言うと?」

 

 瑠衣は頬に指を当てて、小さく首を傾げた。

 もちろん、豪華客船という言葉の意味がわからなかったわけではない。

 現代知識くらいは身に着けているし、それくらいのものは大正時代にもあった。

 

「えっと、産屋敷さんが誘ってくれて」

「なるほど」

 

 まあ、それくらいしかないだろう。

 こう言っては何だが、竈門家自体はさほど裕福な家庭とは言い難い。

 もちろん困窮しているわけではないが、気軽に豪華客船などに乗れるような家庭では無い。

 そんな炭彦が豪華客船などと言い出すとすれば、産屋敷関係しか思い当たらない。

 

「つまり船遊びですか。良いですね」

「……! はい!」

 

 瑠衣がそう言うと、炭彦は嬉しそうに頷いた。

 それを見て、可愛いな、と瑠衣は微笑んだ。

 名家とは言え武家の娘である瑠衣は、船遊びとか、そういった経験はない。

 

 ただ伝え聞くところによれば、なかなかに楽しいものと聞く。

 非日常の中で普段は出来ない経験をするだけでも、年若い炭彦には刺激的で面白いだろう。

 だから瑠衣は、微笑みながらこう言った。

 

「楽しんできてくださいね」

 

 しかし、そんな瑠衣の言葉に何故か炭彦は表情を暗くした。

 喜色から一転、何とも言えない哀し気な表情に変わってしまった。

 

(あ、あれ?)

 

 いったいどうしてそんな哀しそうな顔をするのか。

 今の会話に、そんな哀しい顔をする要素は何も無かったはずだ。

 その理由がわからなくて、若干の動揺と共に、瑠衣は頭の上に疑問符を浮かべたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 何をやっているんだ、と、二重の意味でカナタは思っていた。

 1つには、炭彦のことである。

 会話が止まってしまってワタワタと慌てている様子の弟に、何とも言えない微妙な感情を覚える。

 

 炭彦は相変わらず瑠衣にご執心――何故か本人は「そ、そそそんなことないよ!?」と誤魔化せているつもり――のようだが、あれである。

 今さら弟の女性の趣味をどうこう言うつもりはないが、すでに出会って1年である。

 ああも会話すらままならないと言うのは、流石に問題なのではないだろうか。

 

「まあ、それを覗き見している俺もどうかと思うけど……」

 

 そして2つ目には、今の自分の状況に対してである。

 今のカナタがどうしているのかと言うと、瑠衣と話す炭彦の様子を遠目に見ていた。

 いったい何をしているのかと、自分で自分に呆れてしまっていた。

 とは言え、彼は1人でそれをやっているわけでは無かった。

 

「うーん。なかなか上手くいきませんね」

「炭彦君は奥手だもの。仕方ないわよ」

「うむ! ここはやはり助け舟を出すべきではないだろうか! ……我ながら上手い!」

 

 カナタの下には――比喩ではなく物理的な意味で――しのぶ、カナエ、桃寿郎がいた。

 彼らは縦に並んで、物陰から炭彦と瑠衣の様子を窺っていた。

 彼らが何をしに来ているのかと言うと、簡単である。

 友人(弟分)の恋愛事情を応援(デバガメ)していたのである。

 

「桃寿郎君の発言はともかく……サポートに行ってあげた方が良い?」

「うーん。そうねえ……………………もう少し、炭彦君の頑張りを信じましょう!」

「姉さん、面白がってない?」

「あら、そんなことないわよ。炭彦君は可愛い弟だもの。こんなおも……大事なことって無いじゃない?」

「もう、姉さんは仕方がないんだから」

「そんなこと言って、しのぶだって興味津々なんじゃない」

「私は純粋に炭彦君のことを心配しているんです」

 

 何をやっているんだろうなあ、本当に!

 と、カナタは天を仰いだ。

 幼馴染の姉妹は、喜々として弟分の恋愛模様を見守っている。

 桃寿郎は付き合いは良いのだが、この方面の相談相手には向かない。

 額をぐりぐりと指先で押さえながら、カナタは小さく唸った。

 

「え、これもしかして俺が何とかしないといけないわけ?」

 

 最近のカナタは、順調に頭痛ないし胃痛持ちへと進化しつつあった。

 なお医学薬学に精通するはずの幼馴染の姉妹は、その原因について不明と診断してきた。

 この世の理不尽に憤慨(ふんがい)する、カナタなのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 寡聞にして、瑠衣は豪華客船などというものに乗ったことが無かった。

 船に乗った経験は幾度かあるものの、それらは移動のためのものであって、乗ること自体を娯楽とするものでは無かった。

 それもタンカーだとか軍艦だとか、大きなものでは無かった。だから……。

 

「……大きな船ですね」

 

 全長約300メートル。総トン数およそ10万トン。旅客定員2200名。

 これまでの瑠衣の――永い――人生でも、余りお目にかかったことが無い大きな船だった。

 視界を巡らせれば、右から左へ、船の端から端までを見るのに視界と首の可動域の大部分を使わなければならない。

 

 こんな大きな船に乗った経験は、今までにない。

 しかも2200人の客を乗せることが出来るこの船に、()()()()()()()乗る、などという経験はない。

 100年を優に超える瑠衣の人生において、数少ない初体験の1つと言えた。

 

「大きくて、明るくて……現代の船は凄いですね……」

 

 などと年寄りのようなことを言っているが、実際その船は見事なものだった。

 客室が複数階層あり、そのすべてに電気が入っているのだろう、船全体が太陽のように眩しかった。

 夜の港は暗いので、特にそう感じるのだろう。

 

「さて、それは良いとして。炭彦君たちはどこでしょうか」

 

 瑠衣は当初、ここに来るはずでは無かった。というより、来るつもりが無かった。

 それは1年前の、あるいはそれ以前のことを思えば、自分が船遊びに誘われるとは思っていなかったからだ。

 ただ炭彦が何やら必死な様子で「る、るるるる瑠衣さんもい、いいいっしょににに」と誘ってくれたので、思わず頷いてしまったのだ。

 

「バウッ」

「にゃあん」

 

 と、その時だった。

 聞き覚えのある鳴き声に、視線を落とした。

 瑠衣の足元に、1匹の犬と1匹の猫が寄って来ていた。

 

「あら、コロさん。茶々丸さん」

 

 鬼の犬と、鬼の猫。

 1年前の瑠衣であれば、おそらく喰い殺していただろう。

 ただこの2匹はけして瑠衣に近寄らなかったから、その機会が無かったとも言える。

 そんな2匹が普通に瑠衣に姿を見せる。

 郷愁のような、感傷のような。そんな感覚を覚えてしまった。

 

「こんばんは」

 

 そんな瑠衣に、声をかけてくる者がいた。

 機械の音声ではない。肉声だ。

 しかし、かつて聞いたような、心に染み入るような音では無い。

 喉が治りたての元病人、という表現が最もしっくりくるだろう。

 そしてそこに立っていた――否、車椅子に座っていたのは、文字通り元病人だった。

 

「……こんばんは、()()()()

 

 あの病室にいた現代の産屋敷家当主が、快復した姿でそこにいた。

 まさか産屋敷と挨拶を交わすことになるとは、さしもの瑠衣も考えもしなかった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 不思議なことに、産屋敷の容体はこの1年間で急快復していた。

 理由は判然としないが、当人曰く「呪いが解けた」ということだった。

 確かに代々の産屋敷家の当主は短命で、全身が(ただ)れるようになって死ぬのも同じだった。

 歴代の当主が生きている間に症状を快復させた例は、瑠衣が知る限りは無い。

 

 なるほど、確かに病気というよりは呪いと言った方がしっくり来るだろう。

 遺伝性の病気であれば、外部要因で快復することはまずあり得ない。

 この調子ならば、もう(しばら)くすれば完全に快復してしまいそうだった。

 まあ、(もっと)も、産屋敷の呪いが解かれたからと言って。

 

「やめましょう」

 

 今さら、瑠衣に感慨などは湧いて来ないのだった。

 

「謝ったり、謝られたり。貴方にそれをしても、されても、もう何の意味もないのですから」

 

 瑠衣と()()()の関係は、もう終わっているから。

 100年前のあの日に決別して、それで終わったのだ。

 だから改善にも悪化にも、もはや何の意味もない。

 意味を持たせる()()も、無いのだから。

 

「ああ、でも。ご招待いただいたことについては、お礼を申し上げますね」

 

 その点についてだけは、瑠衣は素直に頭を下げた。

 ただそれは、自分が招待されたこと自体に対するものと言うよりは。

 

「あの子達が、とても喜んでいるようなので」

 

 遠目に、自分を見つけて走って来る少年の姿に、瑠衣は目を細めた。

 その少年――炭彦の後ろには、彼の友人達の姿も見える。

 どこか懐かしい、100年前の面影を残す子ども達だ。

 もちろん、彼らは()()とは違う存在だ。

 

 けれど、たしかに繋がっている。

 繋いで、100年間繋ぎ続けて、今日ここにいる命。

 それは、自分には出来なかったことだ。

 人間として断絶してしまった自分には、あり得なかった未来だ。

 

「それは、良かったと思っています」

 

 眩しいものを見つめるような表情で、そう言った。

 実際、彼らは瑠衣には余りにも眩しい存在に映ったのだった。

 

「……そうか」

 

 そして産屋敷は、そうか、とだけ答えた。

 当然のことながら、当世の産屋敷は()()()()()()()()()()

 だから彼にとって、瑠衣は――鬼舞辻無惨と同じように――口伝で聞いただけの存在だ。

 それも、この世で最も恐ろしく、最も滅さなければならない存在として。

 

 そんな存在が、目の前で柔らかな微笑みを子ども達に向けている。

 この光景を見て先祖がどう判断するのか、それは彼にもわからない。

 ただ、悪くは思わないだろうと、そう思った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 中に入ってみると、想像以上の広さが待っていた。

 入船すると、まずシャンデリアや燭台型の灯りに照らされたホールが客人を出迎える。

 赤絨毯に、手の込んだ装飾の施された手すりの階段。

 上の階層までは吹き抜けになっており、天井に豪奢なシャンデリアが見て取れる。

 

 絵画や調度品に至るまで拘られているが、いやらしさはなく、瀟洒にまとめられていた。

 炭彦を始めとした子ども達は、当然だが、このような船には乗ったことが無い。

 そのために、ホールに入った時点で興奮の歓声を上げていた。

 

「わあ、凄いねカナタ!」

「このくらいで騒ぐなよ。恥ずかしいな」

 

 大喜びの炭彦にそんなことを言いつつ、しかしカナタもチラチラと周囲を見ていた。

 弟の手前平静を装っているが、端から見ていると隠せていない。

 そんな幼馴染の様子を見て、カナエは口元に手を当ててクスクスと笑った。

 

「もう、姉さん。笑ったら可哀想でしょう」

「うふふ。ごめんごめん。でもしのぶだってソワソワして、後で探検に行きましょうね」

「いやっ、違っ、これは姉さんが迷子にならないか心配しているだけよ!」

「あら、お姉ちゃんそこまで方向音痴じゃないわよ~」

 

 ドタドタと炭彦のところに駆けて来たのは、桃寿郎だった。

 彼はカナタのように興奮を隠すこともなく、顔を紅潮させて言った。

 

「炭彦! 船の中を探検に行こう!」

「うん!」

「ちょっと、他に人がいないからって勝手なことしたら駄目だよ。仕方ないな、俺もついて行くからね」

 

 言葉の上では止めつつ、自分もついていくとこっそり宣言するカナタだった。

 まあ、しかし年頃の少年少女が豪華客船なんていうものに乗り込めば、そんな風に興奮してしまうのは無理もないことだった。

 大人しくしていろと言う方が、この場合は無粋というものだろう。

 

「探検ですか。良いですね」

「あっ……る、瑠衣さんも、どうですか?」

「あら、私が一緒に行っても良いのですか?」

「も、ももも、もちろんです!」

 

 物凄い勢いで頭を上下させる炭彦に微笑みながら、瑠衣は「でも」と言った。

 

「その前に、産屋敷……さん、の説明を聞きましょうか」

 

 船旅の日程は、体験航海ということで2日間だけだ。

 明後日の夜にはこの港に戻って来る。寄港も無い。

 それでも非日常には違いない。

 少年少女達の胸は期待に膨らんで、嫌でも高まろうというものだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 説明と言っても、別に難しい話がされたわけではない。

 ただそれぞれの部屋の鍵と、行ってはいけない場所の説明があっただけだ。

 行ってはいけない場所も、船長室だとか機関室だとか、一般的に禁止される場所ばかりだ。

 その他、人が入っていない客室も基本的に入室禁止になっている。

 

「それでは、簡単にだが当船のスタッフを紹介するよ」

 

 それと、一部のスタッフの紹介があった。

 紹介されるのが一部に留まるのは、流石に全員を紹介できないというのが1つと、単純に乗客が少ないという点が1つだ。

 つまり、炭彦達に関わる人間が少ないので、他を紹介する必要がない、ということだ。

 

「船長の船木です」

「副船長と、設備関係も担当しております。坂本です。どうぞよろしく」

 

 まず、船長と副船長。

 乗客に関わるかというと微妙なところだが、オーナーである産屋敷の客ということで出てきているのだろう。

 これと言って特徴があるわけではない。どちらも初老の男性だ。

 強いて言えば、副船長の坂本はやや腹が出て小太りなことだろうか。

 

「料理長の立川です。明後日のランチまでですが、私の方で用意させていただきます。もしも苦手な食べ物などがあれば、どうぞお申し付けください」

 

 次に、40代くらいの女性。この船の料理長だ。

 料理人らしくコック服を身に纏っており、柔和な雰囲気の人物だった。

 

「客室を担当します。田村です」

「同じく。サリアです。よろしくお願いします」

 

 それから、いわゆるお世話係の立場になる人物の紹介になった。

 年の頃は、2人とも20代前半というところだろうか。

 どちらも制服を着た女性で、1人は名前からもわかる通り日本人では無かった。

 金髪白磁の、国まではわからないが西洋人だった。

 客室担当ということで、ある意味で子ども達に一番接する立場と言える。

 

「サリア君には外国人客の対応もお願いしていてね。ただ日本語は堪能(たんのう)だから、心配しないでほしい」

「航海中、何でもお申し付けくださいね」

 

 よろしくお願いしまーす、と、子ども達が声を揃える中で、瑠衣はそのサリアという女性を見ていた。

 大正時代を生きた瑠衣にとって、外国人とこういう形で接する機会はあまり無かった。

 大して興味も無かった。

 強いて言えば、戦時中に多少関わり合いを持った程度だろう。

 

「よろしくお願い致します」

 

 そう言って頭を下げて来るサリアに、瑠衣もまた目礼と会釈を返したのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「良し、では探検に……むう!」

 

 関係者の自己紹介も終わって、さあ探検に行こう、というところで桃寿郎のお腹が鳴った。

 空腹には敵わないと皆で笑って、それなら部屋に荷物を置いて、先に入浴してしまおう、という話になった。

 瑠衣はそれを、少し離れて眺めていた。

 

 子ども達がきゃっきゃっと楽しそうにしている姿を見て、自然と口元が(ほころ)ぶ。

 流石に、あの輪の中に入るような年齢――見た目は10代のままだが――では無い。

 他に大人がいないので、気持ちとしては引率に来たという感覚が強い。

 と言うか、竈門家と胡蝶家の親達はどういう心境で来るのをやめたのか。

 

(まさか、私を信頼して……と言うわけでも無いでしょうにね)

 

 それこそ、まさか、というものだ。

 しかし実際に竈門の親も胡蝶の親も来ていない以上、子ども達のことは自分が見ていよう、と瑠衣は思っていた。

 (もっと)も、産屋敷家の船でそうそう危険などあるはずもない。

 それに……。

 

(もう、鬼もいないのだから)

 

 瑠衣に考えを察したわけではないだろうが、足元にコロと茶々丸が寄って来ていた。

 確かに彼らは鬼だが、もはや意味の無い属性だった。

 ああ、いや。それともお目付け役なのだろうか、この子達は。

 そう思うと、妙な納得感があった。

 

(鬼のいない世で、私は何をすれば良いのだろう)

 

 ふとした時に、考える。

 考えても栓無きことだが、結局のところ瑠衣は現代の人間では無い。

 とは言え、他の普通の人間のように生きることは出来ない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

(まあ、今考えても仕方のないことですが……っと)

 

 その時、不意に両腕を掴まれた。

 何事かと思って顔を向けると。

 

「ええと……どうかしましたか?」

 

 瑠衣の腕を掴んでいたのは、カナエとしのぶだった。

 胡蝶家の娘。名前と言い顔と言い、まさに先祖返りの娘達だった。

 性格や雰囲気もそっくりで、同一人物だと言われれば信じてしまいそうだ。

 もちろん、そんなことはないわけだが。

 

「うふふふふ」

「え……ええ?」

「すみません。姉さんが待ち切れないみたいなので」

「待ち切れないって何が……うわ力強っ」

 

 そんな2人にぐいぐいと引っ張られて、瑠衣は歩き出した。

 どこに向かうのか、そんなことは言うまでも無い。

 大浴場だ。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 今にして思えば、胡蝶姉妹のことが瑠衣は苦手だった。

 そこまで親交があったわけではないが、けして付き合いが短かったわけでは無い。

 胡蝶姉妹の人となりも、好意を抱きこそすれ嫌う要素は無かった。

 しかしそれでも、両者の関係はせいぜいが「同僚」止まりだった。

 何故か。理由はひどくシンプルである。

 

「きゃあっ、瑠衣さんってお肌スベスベ~」

「いや……あの……近……」

「もう。姉さんったら失礼ですよ。……それにしてもウエスト細いですね」

「ええ……いや……だから……」

 

 本質的に、胡蝶姉妹が()()()だったからだ。

 カナエは見た目通りだが、しのぶも真面目に見えて姉とそっくりである。

 姉妹仲が良いせいなのか知らないが、スキンシップも激しい。

 それも、めちゃくちゃ激しい。距離感が凄い。

 

(い、今どきの子って、こんな感じなのでしょうか……?)

 

 豪華客船というだけあって、船内の大浴場は大きなものだった。

 ただ湯船が広いというだけでなく、壁や柱、鏡に洋風の装飾が施されていて、ヨーロッパのどこぞの宮殿を模したと言われても納得してしまいそうだった。

 柔らかめの照明が明るすぎず暗すぎず、湯気の中でも視界を通してくれていた。

 

「だいたい、スベスベで細いと言ったらお2人の方でしょう」

「えー、そうかしら? しのぶはたしかに細いけど」

「姉さんは単純にむ……一部が大きすぎるだけでしょ」

 

 先にも言ったかもしれないが、瑠衣の肉体は現代日本人のものではない。

 大正時代の、平均的な女性のものだ。

 現代の女性とは食べている物も、遺伝子情報も違う。

 

 身長も、身体的なサイズも、現代と大正時代では全くと言って良いほど違う。

 具体的に言えば、身長は高く、()()()()()はよりメリハリがついている。

 しかも大正時代とは健康状態が雲泥の差だ。肌の白さや張りも全く違う。

 つまるところ、どう考えても勝負にならない。

 

「ふふ、お楽しみいただけていますか?」

 

 その時、部品の補充に来たらしい田村と目が合った。

 シャンプーやら何やらを並べながら、こちらを微笑ましそうに見ている。

 まあ、端から見れば年頃の少女達がはしゃいでいるように見えるのだろう。

 

(1人は100歳を優に超えていますけどね)

 

 もちろん、そんなことは言えないわけだが。

 

「うふふ、そーれっ」

「わっ、ちょっと姉さんやめてよ。もう!」

「あはははっ」

 

 左右からじゃぶじゃぶとお湯をかけられる羽目になりながら、瑠衣は熱を孕んだ吐息を吐いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 意外なことに、食事はビュッフェスタイルだった。

 この少人数で非効率的なような気もしたが、その考えはすぐに改められた。

 育ち盛りの子どもが集まって、コース料理の量で足りるはずが無かったのだ。

 

「うまい!」

 

 特に、桃寿郎の食欲は旺盛(おうせい)どころの騒ぎでは無かった。

 彼のテーブル――の脇には、彼が使っただろうお皿が柱の如くうず高く積み上げられていた。

 ちなみに1つ1つの皿に料理は山盛りにされていた。

 そして回収していないのではなく、回収が間に合わない速度で新たに積まれるだけである。

 

「もうキミ、料理の盆ごと持って行ったら良いんじゃない?」

 

 と呆れて言うのはカナタだった。

 尤も、その彼にしてもすでに何度かおかわり済みである。

 比較的小柄な炭彦も同じで、カナエやしのぶでさえ慎ましやかにモリモリ食べている。

 育ち盛りとは、侮り難いものだった。

 

「もうなくなった!? うちの息子どもより凄いわ~」

 

 という料理長・立川の悲鳴とも驚愕とも取れる声が、厨房から聞こえて来たとか来なかったとか。

 

「うまい! うまい! うまい!」

 

 桃寿郎は一口食べるごとに、料理が美味しいと主張していた。

 それでいて少しも食べ零さないのだから、器用なものである。

 思ったことを言っているというより、癖のようなものなのだろう。

 

「よし! おかわりだ!」

 

 豪快かつ、しかし音を立てずにお皿を置くという器用な芸当をやってのけて――親の教育の賜物(たまもの)と思われる――桃寿郎は席を立った。

 その時、桃寿郎は視線を感じた。

 む、と目を向けたその先には、瑠衣がいた。

 彼女は目をまん丸く見開いて、桃寿郎をじっと見つめていた。

 

「…………ああ」

 

 桃寿郎が自分に気付いたと思ったのか、瑠衣は「ごめんなさい」と謝った。

 その表情は苦笑というか、けして意地の悪いものでは無かった。

 

「少し、知り合いに似ていたので」

「……そうか!」

 

 知り合いとは、誰のことだろうか。

 一瞬そんな考えが頭を(よぎ)ったが、口には出さなかった。

 何故かはわからないが、口に出してはいけないような気がしたのだ。

 それに何より、腹の虫を前にすれば大体のことは些事であった。

 お腹を鳴らしながらおかわりを取りに行く桃寿郎の背中を、瑠衣はまた苦笑の目を向けていた。

 

「ねえ、カナタ。もしかして瑠衣さんって桃寿郎君のこと」

「知らないよ」

 

 そしてカナタは、心の底からどうでも良さそうにそう言った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「うわ、暗いなあ」

 

 夜半、トイレに立った炭彦は、廊下の暗さに思わずそう言った。

 お風呂と食事の後、皆で船を探検し、談話室でゲームなどに興じた。

 解散したのはほんの30分ほど前だ。

 ただたくさん飲み食いしたせいか、すぐにトイレに行きたくなってしまった。

 

 廊下は消灯されていて、小さな誘導灯が僅かな光を見せているだけだった。

 30分ほど前までは十分な明かりがついていたのに、子ども達が寝静まったと思って消されてしまったのだろうか。

 いずれにせよ、トイレまでの短くも暗い道のりを歩かなければならなかった。

 廊下の壁に手をつきながら、ゆっくりと進んだ。

 

「……あれ……?」

 

 そうして少しすると、炭彦は眉を寄せた。

 目を閉じて、スンスン、と鼻を鳴らした。

 

「何だろう。この臭い」

 

 炭彦は鼻が利く。

 だから遠くから漂ってくる臭いも、かなり正確に嗅ぎ分けることが出来る。

 ただその臭いについては、すぐには何の臭いだ、と判別することが出来なかった。

 

 その臭いは、廊下を進むごとに少しずつ強くなっていった。

 料理の匂い、というわけでは無い。食堂は遠い。

 トイレの臭いでも無い。と思う。

 もっと生物的で、そう、サファリパークで感じるような、()()()()()()

 

「……()()()()()……?」

 

 しかし、ここは海の上だ。動物などいるはずもない。

 茶々丸とコロは、鬼であるせいか、自然物の匂いが実はしない。

 だから、こんな――()()()()()()()()()()()()

 

「何か、いる……?」

 

 自然と、歩く速さはゆっくりとしたものになっていった。

 周囲が静かなせいか、自分の心臓の音が良く聞こえるような気がした。

 薄暗い廊下の先、その暗闇で、何かが動いたような、そんな錯覚を覚える。

 

 いや、はたしてそれは錯覚だったろうか。

 あれは、実在するものではないのか。

 しかし()()は、余りにも、おぞましく――――。

 

「炭彦くん」

 

 はっとして、炭彦は後ろを振り向いた。

 いつの間にそこにいたんか、ほんの数歩後ろの位置に、瑠衣が立っていた。

 浴衣に羽織をかけた姿で、いつもの着物姿よりは緩く感じて、炭彦はどぎまぎしてしまった。

 瑠衣は不思議そうな顔をして、そんな炭彦を見つめた。

 

「どうしたんですか。こんな時間に」

「えっと、ちょっとトイレに」

「……? お手洗いなら自室にもあるでしょう」

「…………あっ」

 

 そうだった。忘れていた。炭彦は恥ずかしさで顔を赤くした。

 船と言っても豪華客船。いわばホテルである。 

 自室にもシャワーとトイレが設置されていることを、今思い出した。

 部屋もろくに見ずに船内探検にかまけていたため、外の共用トイレの存在しか頭に無かったのだ。

 

「さあ、廊下は冷えます。お部屋まで送りますから、戻りましょう」

「い、いえ。僕が瑠衣さんを送ります!」

「大丈夫ですよ。子どもなんですから、遠慮しなくても」

「もう高校生なので!」

「ふふ……では、お願いしますね。行きましょうか」

 

 そうして、炭彦は元来た道を引き返した。

 いつの間にか、あの臭いも感じなくなっていた。

 

「…………」

 

 そして炭彦と歩きながら、瑠衣は廊下の向こう側に目をやった。

 炭彦が歩いていたその先に、視線を向けた。

 しかし何も言わず、感心も興味も向けず、すぐに前を向いた。

 前を歩く少年の背を追って、瑠衣は歩いた。




最後までお読みいただき有難うございます。

これからは平和な日常編です。
不穏なことなんて少しもありません。
だってほら、鬼いないし。

私はここに誓いましょう。
もう瑠衣が苦しんだり傷ついたりすることはない…と!(くもりなきまなこ)
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