鬼滅の刃―鬼眼の少女―   作:竜華零

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第96話:「育手」

 ――――紅い円卓。

 血のように紅い円卓に、やはり血のように紅い背の高い石の椅子が6つ並んでいた。

 埋まっているのは、その内の4つだ。

 

「――――サリアが死んだ」

 

 誰かがそう言った。

 それは、起こった事実をただ淡々と伝えるだけの言葉だった。

 この場にいない同胞の死を伝えるその言葉に、他の3人は三者三葉の反応を見せた。

 

「ハッ、アイツ死んだのか。まあ、たかだか500年そこそこしか生きていない小娘だ」

 

 1人がそう言った。

 他の3人に比べて、遥かに大きな体躯(たいく)

 その声もまた、肉体に合わせたように大きく響くものだった。

 声を発するだけで、その場の空気がビリビリと揺らぐような気さえしてくる。

 

「どうせまた1人で調子に乗ったのでしょう。若気の至りで死ぬとは、愚かなことです」

 

 1人がそう言った。

 他の3人に比べて静かな声だが、しかしどこか冷然としていた。

 自分以外の誰にも興味が無い。

 実際、他の誰をも見ずに、手遊びなどに興じていた。

 

「とは言え、殺されたというのは問題であろう。我らの沽券(こけん)に関わる」

 

 1人がそう言った。

 声質は固く、厳格そうな雰囲気が滲み出ていた。

 同胞の死を悲しむというよりは、自分達の威厳の方を案じている様子だった。

 どこか神経質そうに、指先で椅子の肘置きを叩いている。

 

「いかがなさいますか」

 

 最初に発言した1人が、第五の人物に声を向けた。

 それは最初から椅子に座ることなく、いや話の内容にさえ関心は無いのか、離れたところで()()()()()()

 これは比喩でも何でもなく、文字通り宙に浮いているのだ。

 その背には、黒い羽根が生えていた。

 

「我が()よ」

 

 王と呼ばれたその人物は、声をかけられても特に振り向きはしなかった。

 退屈そうに、いや、実際に退屈なのだろう。

 黒い一対の翼は、子どもが足をぶらぶらさせるように、ゆっくりと動いていた。

 

「そのような些事、私の耳に入れるまでも無いことだ」

 

 だが、と、王は言った。

 

「サリアを殺した女狩人(ハンター)には興味がある」

 

 ()()

 王は言った。

 

「殺せ! その女狩人(ハンター)を。私の前に血を献上せよ」

 

 暗闇の中で、血の色の双眸(そうぼう)が紅く輝いた。

 殺せ、と、王は繰り返し言った。

 サリアを殺した鬼狩り――――煉獄瑠衣を殺せ、と。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「――――廃倉庫、ですか」

 

 ある日、瑠衣は産屋敷の呼び出しを受けた。

 呼び出しというには(いささ)か丁寧過ぎるそれに応じて屋敷を訪れると、産屋敷は皆と――豪華客船が出航した港――の近くにある廃倉庫の話をした。

 それは、瑠衣が調査を頼んでいた件でもあった。

 

 例の、吸血鬼の件である。

 豪華客船の乗員は全員、産屋敷家のチェックをクリアしている。

 にも関わらず紛れ込まれていた。

 それ自体が由々しき事態だが、逆に言えば、何か痕跡が追えるはずだった。

 その調査の中で出た「廃倉庫」だ。無関係ではないだろう。

 

「サリアは度々、その廃倉庫に立ち寄っていたようだ」

「その倉庫は産屋敷家の所有ですか?」

「いや、違う。だからこうやって調べるまで、サリアが立ち寄っていたことにも気付いていなかった」

「その倉庫に所有者は?」

「…………()()()()()()

 

 一つ頷いて、それ以上は聞かなかった。

 

「これが廃倉庫の写真だ」

「……当たり前ですけど、ただの倉庫に見えますね」

「そうだね。ただ、中まではわからなかった」

「どうしてですか?」

 

 産屋敷家の調査が、外観で終わるとも考えにくい。

 そう思って聞いたのだが、産屋敷は小さく首を横に振った。

 なるほど。と、瑠衣はやはりそれ以上は聞かなかった。

 聞いても栓のないことだ。

 

 ただ、それだけに信憑性(しんぴょうせい)が高かった。

 と言うより、ここまで来るとわざとだろうと思えた。

 隠れるつもりが無い。そうとしか考えられない。

 つまり、こちらを誘っているのだ。

 

「……罠ですね」

「うん、我々も同じ見解だ」

 

 鬼――吸血鬼、とサリアは自分達のことをそう呼んだ。

 一般的に、吸血鬼は夜に力を発揮し、太陽が弱点とされる。

 その点は日本の鬼と同じだ。ならば、やりやすい。

 太陽を克服した吸血鬼がいるのかはわからないが、克服していたとしても、夜の方が強力なはずだ。

 すなわち、瑠衣がこの廃倉庫に向かうとすれば。

 

()()()()()()、その廃倉庫とやらに向かいます」

「夜に行くのかい?」

「ええ、その方が色々と都合が良いでしょう」

 

 そう言って、瑠衣は席を立った。

 瑠衣の背中を追いながら、産屋敷は言った。

 

「しかし、1人で行くのは……」

「いいえ?」

 

 首だけで振り向いて、瑠衣は笑った。

 

「1人では行きませんよ」

 

  ◆  ◆  ◆

 

 気になる異性に呼び出されたら、年頃の男の子ならばドキッとするものだろう。

 それも学校の下駄箱に手紙――しかも毛筆らしき文字で――という古典的な方法。

 もう、期待するなと言う方が無理というものだった。

 

「すみません! お待たせしちゃいましたか!」

 

 今日ばかりはランニングマン呼ばわりもやむなし。

 そんな気持ちで、学校からいつもの公園までダッシュで向かった。

 呼吸遣いらしく、息一つ切らせずにかなりの距離を走った。

 先に来ていたらしい瑠衣は、いつものベンチで炭彦を待っていた。

 

「こんにちは、炭彦君」

 

 炭彦の顔を見て微笑むと、瑠衣は読んでいた文庫本を閉じて膝に置いた。

 流行りの小説ではなく、古典というところが瑠衣らしく見えた。

 そこまでであれば、炭彦はいつものように笑顔を浮かべていただろう。

 しかし瑠衣の隣に()()()が座っていて、炭彦は困惑した。

 

「おお、炭彦か! あまり待っていないぞ。俺も今来たところだ!」

 

 桃寿郎が元気な声で手を上げていた。

 今まで、瑠衣との待ち合わせで桃寿郎がいたことは無い。

 いったいどうして桃寿郎がいるのだろうと、思春期の少年の脳内を色々な考えが駆け抜けていった。

 ま、まさか、と良からぬ考えが思い浮かびもしたが。

 

『いや、無いよ。桃寿郎だよ?』

 

 と、頭の中のカナタが呆れたようにそう言ったことで、すぐに正気を取り戻した。

 

「2人とも、日輪刀は持ってきていますね?」

「あ、はい。普段から持ち歩くようにって言われていたので……」

「うむ! 道場から持ってきた!」

 

 炭彦と桃寿郎の手には竹刀袋が握られていて、それを確認して、瑠衣は頷いた。

 

「さて、それでは行きましょうか」

「行くって、どこへですか? もうすぐ日が暮れちゃいますけど」

「む、夕飯か!?」

「ふふ、お夕飯の前に、すみませんが私に付き合ってくださいね」

 

 クスクスと笑いながら、瑠衣は公園の入口へと歩き出した。

 その先には、いつの間にそこにいたのか、黒塗りの車が停まっていた。

 見るからに高級車というのがわかる。

 一緒にいるのが瑠衣でなければ、近付かずに離れていただろう。

 

「そんなに時間はかからないと思いますから」

 

 車の前で立ち止まって、瑠衣はそう言ってまた微笑んだ。

 それに対して、炭彦と桃寿郎はお互いを見やって、それから瑠衣の方見て、頷いたのだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 寡黙(かもく)なのかそう教育されているのか、運転手は何も話さなかった。

 そして瑠衣も行き先を告げなかったので、炭彦はそわそわと車の外を見たりしていた。

 すると、何となく見覚えのある道を走っていることに気付いた。

 

「あれ、ここって……」

「はい、港の近くですよ」

 

 あの豪華客船に乗って港だ。

 車は静かに港の区画に入って行き、段々と明かりも少なくなっていった。

 どうやら、同じ港でも随分と寂れた区画に向かっているようだった。

 

「船で見た怪物のこと、覚えていますか?」

「……はい」

 

 もちろん、覚えている。

 あの豪華客船で、船員の多くを殺害した透明な触手の怪物。

 余りにも鮮烈なその光景を、忘れることは出来ない。

 

 そこで、炭彦はハッとした顔で瑠衣を見た。

 瑠衣は自分に目を向けて来た炭彦に対して、ゆっくりと頷いて見せた。

 それでようやく、炭彦は自分が呼ばれた理由を理解した。

 

「大丈夫ですよ」

 

 そんな炭彦を見て、瑠衣は言った。

 

「私がいますから」

 

 言われてしまった、と、炭彦は複雑な気分になった。

 本当は、男の自分がそう言わなければならなかったのに、と。

 その時、不意に車が停まった。

 降りましょうか、と瑠衣が言ったので、炭彦も桃寿郎もそれに従った。

 

「ここは……?」

「倉庫に見えるな!」

 

 桃寿郎の言う通り、倉庫があった。

 というより、そういう区画なのだろう。周囲には倉庫しかなかった。

 しかし他の倉庫が――それなりに雑然としつつも――手入れされているのに対して、炭彦達の前に(そび)え立つ倉庫は、酷く荒れていた。

 壁は錆びや罅割れが目立ち、トタンの一部は割れてさえいた。

 

(……()()

 

 そして何より、炭彦は敏感に()()()()()

 倉庫の中から漂う、嫌な臭いに。

 この倉庫の中には、人間では何かが存在している。

 まだ倉庫の扉を開けてもいない時点で、炭彦はそれを理解した。

 思わず、足が(すく)んでしまった。

 

「さて、それじゃあ2人とも」

 

 対照的に、瑠衣はまったく緊張した様子を見せていなかった。

 ゆっくりとした足取りで倉庫に近付きながら、目は炭彦と桃寿郎を見つめていた。

 

()()()()()()()()()()、2人とも」

 

 そう言って、瑠衣は倉庫の扉を開けた。

 扉を開けた途端、嫌な臭いが一気に強まった。

 まるで、腐った空気がそのまま外に逆流してきたかのようだった。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 意外なことに、廃倉庫の電気はまだ生きていた。

 てっきりこっそり入るのかと思ったが、瑠衣は正面から堂々と入った。

 そして、入口横の電気のスイッチを躊躇(ちゅうちょ)なく入れたのだった。

 

「ほう! コソ泥のように嗅ぎまわるかと思ったら、存外に豪気な奴だな!」

 

 そして、相手も姿を隠すことを躊躇していなかった。

 廃倉庫の中には、目立つ物は何も無かった。

 壊れかけの照明が照らすのは、埃の積もった床と、いくらかの壊れた台車や木箱くらい。

 その中に、1人の大男が立っていた。

 

「しかし東洋人はやはり行儀が悪いな。ノックもせずに勝手に上がり込んで来るとは」

 

 巨体。まさにその言葉が当て嵌まる男だった。

 身長は2メートルを遥かに上回っているだろう。

 横幅も広い。筋肉が巨木のように肥大している。

 着ているスーツは仕立てが良さそうに見えるが、巨体のせいではち切れそうになっている。

 

 それ以外の特徴は、欧米人、ということくらいしかわからなかった。

 話している言葉が日本語なのが、印象のアンバランスさに拍車をかけていた。

 それから、牙だ。

 口の端に、犬歯にしては鋭すぎる牙がちらりと見えた。

 

()()()

 

 そんな男を見上げるようにして、瑠衣がそう言うのを炭彦は聞いた。

 

(……吸血鬼?)

「吸血鬼って何だ?」

「と、桃寿郎君……」

 

 流石の炭彦も声に出さない方が良いと思っていたが、桃寿郎は普通に声に出した。

 だが炭彦の呆れは、すぐに引っ込んだ。

 ()()()()男が、瑠衣の後ろにいる炭彦と桃寿郎の方を向いたからだ。

 その意識が、2人へと向けられる。

 

「あ……」

 

 不意に。そう、まさに不意に、だ。

 男に視線を向けられたその瞬間、身体が重くなった。

 まるで重りでも背中に乗せられたかのように、ずしりと重くなったのだ。

 

 それは例えて言うのであれば、貧血の時の、血の気が引くようなあの感覚に近かった。

 男は何もしていない。ただ見つめただけだ。

 それだけなのに、蛇に睨まれた蛙のように、動けなくなってしまったのだ。

 身体は驚くほど冷たく感じるのに、背中にはじっとりとした汗が浮き出る。

 

(……怖い……)

 

 それは、恐怖だった。

 かつての2つの戦いは、無我夢中だった。

 緊張する間も恐怖する間も炭彦には許されなかった。

 しかし今は、通常の状態で炭彦は敵と相対することになった。

 いわば、炭彦は今日が()()だった。

 

「大丈夫ですよ」

 

 瑠衣の背中が、男からの視線を遮った。

 それだけで、ふ、と身体が軽くなった。

 

「あんな奴、私がやっつけちゃいますから」

 

 まるで近所に買い物にでも行くかのような口調で、瑠衣はそう言った。

 

  ◆  ◆  ◆

 

「我が()よ」

 

 光の消えた紅い円卓に、少女の声が響いた。

 それを聞いているのは、黒い羽根の女だった。

 鴉のような鳥の羽根ではなく、蝙蝠のそれだった。

 ふよふよと動くそれは、自分に声がかけられると、ついと止まった。

 

「クアドが例の狩人(ハンター)に接触したようです」

「…………そうか、まずクアドが当たったか」

 

 く、と、蝙蝠の女が笑った。

 くくく、と身を震わせるその姿は、どこか幼くも見えた。

 それに合わせて、蝙蝠の羽根も小さく動いた。

 

 声をかけた少女は、それ以上は何も言葉を続けなかった。

 それ以上に報告することがないのか、あるいは発言を求められていないと考えているのか。

 それとも、そもそも()()()()()()()()()

 

「セッカとサドはどうしている?」

「クアドとほぼ同時期に上陸し、それぞれに縄張りを決めたようです」

「なるほど。一番単純なクアドが最初に感づかれたわけだな」

 

 くくく、と蝙蝠の女が嗤った。

 円卓の席は6つ。

 1つは永遠に欠けた。2つはここにあり、3つは席を外している。

 今2人が話しているのは、その3つの席のことだった。

 

「それにしても面白い。クアドは我らの中で最も単純で粗暴だ。そんな彼奴(きゃつ)が最初に狩人(ハンター)(まみ)えることになろうとはな」

 

 隠れるのが下手というのも、考え様かもしれないな。

 蝙蝠の女はそう言って、また嗤った。

 それを静かに見つめる少女は、蝙蝠の女をじっと見つめるだけで、やはり何も言わなかった。

 

「お前はどう思う?」

「私ですか」

「そう。クアドはどうすると思う」

 

 問われれば、答えは返す。

 今も蝙蝠の女に問われて、小さく首を傾げて見せた。

 その仕草はやはり、どこか幼く見えた。

 そして答えは、(よど)みなく出て来た。

 

「クアドならば、正面から狩人(ハンター)に戦いを挑むでしょう」

「そうであろうな」

 

 蝙蝠の女は、1つ頷いた。

 

「ならば、その後はどうなるか。彼奴が狩人(ハンター)に戦いを挑み、その後は」

「その後は」

 

 答えは、やはり澱みなく返って来た。

 

「クアドの剛力に、ただの人間では抗し得ないでしょう」

「くくく、そうだな。そうであろうよ」

 

 蝙蝠の羽根が、愉快そうに震えていた。

 少女の紅い双眸(そうぼう)が、それをじっと見つめていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 吸血鬼の男――クアドは、両腕を瑠衣に対して振り下ろした。

 丸太のように極太の腕は、触れるだけで瑠衣の頭蓋(ずがい)を割ってしまいそうだった。

 そして実際、直撃すればそうなっていただろう。

 

「ハアッ! 逃げ足だけは達者だなァッ!!」

 

 とんとん、と跳躍の音が響く。

 廃倉庫の床を砕いたクアドが顔を上げると、瑠衣の姿は天井の(はり)にいた。

 梁を、柱を跳躍し、壁を跳ね、床を滑った。

 

 目にも止まらぬ速度で跳び回る瑠衣の姿は、常人では目で捉えることさえ出来ないだろう。

 たとえ鬼であっても、十二鬼月クラスの実力でも無ければ追えないだろう。

 巨体のクアドもまた、そのスピードについて来られない。

 

「――――なぁんて、思ってるんだろうがァ!!」

 

 廃工場が揺れた。

 地震と錯覚する程の衝撃は、クアドの踏み込みの音だった。

 

「……ッ!」

 

 瑠衣の着地の瞬間を狙った突撃。

 丸太のような太い腕が、広げられた掌が、瑠衣の顔面を目掛けて振り下ろされる。

 突撃の勢いも乗せられたそれは、風よりも音よりも先に瑠衣の皮膚に届こうとしていた。

 瑠衣は目を細めて、身を低くした。

 

 そしてそのまま瑠衣は身体を横に半分だけ回転させ、クアドの手の甲を叩いた。

 もちろん、それで攻撃を止められるわけでは無い。

 少なく見積もっても、クアドの膂力は十二鬼月クラスだ。

 だからこれはむしろ、瑠衣の身体をずらすための()()だった。

 手を弾き、攻撃から自分の身体を逸らし、空中に逃げた。

 

「フンッ、それで――――」

 

 グン、と、クアドの上半身があり得ない角度に曲がった。

 腰のあたりが180度回転し、駒のようになった。

 当然ながら、両腕もその動きに追随してくる。

 

「――――逃げたつもりかよォッ!!」

 

 瑠衣は空中だ。そこから方向を変えることは出来ない。

 自分を追撃して来る太い腕に対して、二振りの小太刀を重ねて盾にした。

 そしてその盾に、クアドの拳が直撃した。

 瑠衣の肉体に、久方ぶりの衝撃が走った。

 肉体の内側から、骨と筋肉が軋む音が響き渡った。

 

「ぐ……ッ、……!」

 

 ゴムボールか何かのように、瑠衣の身体が吹き飛んだ。

 まず床にぶつかり、ついで廃工場の壁に激突、脆い壁を砕いて外に転がり出た。

 廃工場そのものが、崩れかけて傾いた。

 吸血鬼の哄笑が、工場の中で鈍く響いた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 それは、時間にしてほんの十数秒の攻防だった。

 

「フンッ! 何だ。口ほどにも無い奴。サリアの小娘はこんな程度の奴に()られたのかよ」

 

 だから炭彦と桃寿郎には、瑠衣があっという間に倒されてしまったように見える。

 と言うか、実際にそうだった。

 瑠衣はクアドに殴り飛ばされて、廃工場の外にまで吹き飛ばされてしまった。

 

「や……やられてしまったのか!?」

「瑠衣さん!」

 

 助けに行こうとした時、クアドが2人の行く手を遮った。

 その瞬間、瑠衣が遮ってくれたあの重圧が再び2人の少年の全身を押さえ付けて来た。

 首のあたりから押さえ付けられているような、そんな感覚だ。

 2人の表情からそれを悟ったのか、クアドは顎先を撫でながらニヤリと笑った。

 

「何だ、こっちはただのガキかよ」

 

 戦わなければ、と、頭ではわかっている。

 竹刀袋から日輪刀を抜き、その切っ先を向けるべきだ。

 そう、頭ではわかっている。

 

 それなのに、身体が動かない。

 恐怖ならば、1年前も、豪華客船の時も感じた。

 しかしあの時と違って、炭彦は自分の身体が動かせなかった。

 まるで自分の身体が、自分のものでなくなってしまったかのように。

 

「まあ、さっさと片付けて――――血を貰うとしよう」

 

 白い牙が、クアドの口の端から覗いた。

 唇を舐める紅い舌先が、近付いてくる一歩が、さらに恐怖感を増す。

 竹刀袋を握る手に力が自然に力が籠り、鞘がカタカタと音を立てた。

 

(た、戦わなきゃ)

 

 意識は、炭彦にそう告げている。

 桃寿郎も同じだった。

 そもそも動物は、死の危険を前にした時に、本能的に2つの行動を取ろうとする。

 すなわち、逃走か、闘争か、である。

 

 しかしそれは、ある程度までの話だ。

 恐怖が一定のレベルを超えてしまった場合、人間はまた別の反応を示す。

 硬直だ。

 本当の恐怖を前にした時、人は硬直してしまう。

 

(僕が)

 

 その硬直を解くには、相当の意思の力が要る。

 死の恐怖をも超えるような、強靭な意思が。

 

(僕が、戦わなきゃ……!)

 

 それは。

 

「ほおう?」

 

 それは、戦う意思を示すには、余りにも(ささ)やかなこと。

 身体は動かせず、恐怖の硬直も完全には解けず、しかし。

 目だけは、敵から逸らさなかった。

 

「クソ生意気な目つきだ。気に入らねェ」

「――――あら、そうですか?」

 

 不意に聞こえた声に、全員の目がそちらへと向いた。

 そしてそこには当然のように、声の通りの人物が立っていた。

 炭彦が思わず声を上げると、その人物はふ、と微笑んだ。

 

「私は、その目が可愛くて仕方ないのですけど」

 

 瑠衣が、額から血を流しながらそこに立っていた。

 

  ◆  ◆  ◆

 

 瑠衣が血を流している。

 着物の下も傷を負っているのか、手首の先から滴った血の雫が、刀の切っ先から床にポタポタと落ちていた。

 痛々しい姿なのに、しかし瑠衣の表情は逆だった。

 

「ああ? 何だよ、そのまま寝ておけば死なずにしんだかもしれねぇのに」

 

 クアドが嘲るようにそう言った。

 しかしそれでも、瑠衣の表情はどこか晴れやかだった。

 両手に小太刀を持ち、切っ先を床に向けて、血の印をつけながらゆっくりと歩いている。

 

 一歩進む度に、艶やかな黒髪が揺れる。

 薄暗い倉庫の中、どこからか漏れる光に照らされて、薄く緑に映えて見える。

 それはまるで、この世の者ではないかのようだった。

 

「どうしたよ、何とか言ったらどうだ」

「……そうですね」

 

 風を斬り、小太刀の切っ先を一度振った。

 紅い雫が舞い、滴っていた血を払った。

 

()()()()

「はぁ?」

 

 クアドが怪訝そうな顔をした。

 それだけ、瑠衣の言葉の意味がわからなかったのだろう。

 そして実際、瑠衣は()()()()()()()()()()()()()()()

 

「呼吸は身体能力を強化するだけではありません。こうして傷口を塞ぎ、応急処置をすることも出来ます」

 

 ()()()()()()()()()()

 炭彦には、それがわかった。

 ()()()()()()

 瑠衣は、炭彦に呼吸の使い方を講義している。

 まるで、いつも通りの公園にいるかのような錯覚を、炭彦は覚えた。

 

「コツとしては、お腹の下(丹田)に力を込める感じでしょうか。太い血管の1本1本を、まずは意識するところから始めましょう」

「――――オイ」

 

 しかし、当然のことながら、クアドには瑠衣の言っていることはわからない。

 瑠衣が目の前の、自分自身を殺しかけている脅威(吸血鬼)を前にして、それを無視するような真似、普通では考えられない。

 だが実際に、瑠衣はクアドの存在を無視していた。

 

「まあ、とは言え、攻撃を喰らわないに越したことはありません。呼吸使いは超人ではないので、怪我をすれば消耗しますし、何より痛いですしね」

「オイ、おま」

「鬼と言えども、五体を持つ存在です。動きには限界があり、また傾向もあります。良く視て観察して、最善の距離を見極めるようにしましょう」

「ふざ……」

「鬼と戦う上で重要になるのは、異能の存在です。鬼殺隊では血鬼術と呼ばれていましたが、対策の種類は実はそう多くありません。基本的に、先に潰すか。発動後の隙を狙うかです」

「ふざけるなァッ!!」

 

 とうとう、クアドが激昂した。

 ただでさえ大きな肉体がさらに膨れ上がり、瑠衣を覆い尽くさんと襲い掛かった。

 炭彦が叫び声を上げた。そして。

 

「――――さて、では最後に」

 

 ()()()()()()

 2度、重みのある物体が床に落ちる音がした。

 節くれだった細い肉の塊が2つ、クアドの足元に落ちていた。

 それは、クアドの両手。その手首から先だった。

 

「ヌ、オォ……ッ!?」

 

 いつの間にか、瑠衣とクアドの位置が入れ替わっていた。

 クアドは膝を着いていて、彼の斜め後ろに瑠衣が立っていた。

 小太刀の切っ先が、気が付けば再び朱に染まっていた。

 そして今度のそれは、瑠衣の血ではないことは一目瞭然(りょうぜん)だった。

 

「最後に、鬼の斬り方を教えましょう」

「キ、様アアアァ……!」

 

 ギリギリと歯軋りするクアドを、文字通り尻目に、瑠衣は言った。

 鬼の斬り方を教えると、そう言った。

 その言葉を向けたのは、やはりクアドでは無い。

 瑠衣が見ているのは、炭彦、そして桃寿郎だった。

 

 これは。

 これは、戦いでは無かった。

 これは、訓練だ。

 煉獄瑠衣から、竈門炭彦と煉獄桃寿郎に対する、鍛錬だった。




最後までお読みいただき有難うございます。

少々遅刻しました…。

それはそれとして、おねショタ師弟って、良いとは思いませんか(え)

それでは、また次回。
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