「…シャルリア、って…まさか…!」
驚愕で目を見開かせる私に、ミキータはそのまさかよ、と頷いた。
「シャルリア…?」
「…天竜人だよ、それも私が思ってた以上にお人好しの」
「え…!?」
レベッカちゃんも天竜人は知っていたみたいだ。だからこそここまで驚いているんだろうけどね。
私だって驚いてるよ、そりゃ、シャルリアは心の優しい人だと思ってはいたよ?だけどまさかここまでだとは…私、ちょっとシャルリアの事過小評価し過ぎてたのかも。
「って、だったらゆっくりしてる場合じゃない!」
シャルリアが無数の暴徒に追われてるって事でしょ!?モネの事も大事だけど、今は命に危険が迫ってるシャルリアを優先すべきだ。
「レベッカちゃんは、せっかくだからお父さんと会って来たらどうかな?護衛はミキータ、お願いできる?」
「キャハ、任せて頂戴!イリスちゃんの頼みならなんだって、幾らだって聞くわ!」
「はは…無理だけはしないでね?」
ミキータらしいけど、私の為なら本当に何だってしそうだから心配だ。私にとっては嫁を失う事が1番悲しい事だから、その辺は見極めて行動してくれると思ってはいるけどね。
「…本当に、良いの?そこまでしてもらっても、私にはその恩を返せるだけの物がないわっ!」
「良いって、嫁になってくれればそれで」
「嫁…ふふ、アイリスっていつもそうやって茶化すのね」
「む…茶化してないけど」
そこだけは勘違いしないで欲しいけど、私はいつだって本気だ。
「あと、私の名前はイリス、ハーレム女王になる女だよ!!」
「……?」
れ、レベッカちゃんが純粋過ぎて心が痛い。
ハーレム女王って言葉の意味が分かって無さそうで辛い…。
「と、とにかく、私は今からシャルリアを探しに行くから、ミキータ、レベッカちゃんを宜しくね!」
「ええ、イリスちゃんも気をつけて」
…状況とか全然違うけど、なんだか仕事に行く夫を見送る妻みたいな流れだよね。
……ええい!
「ミキータ、ちょっと」
「?どうし…っ」
クイ、と腕を引っ張ってミキータの腰を曲げさせる。そして、それで下がって来たミキータの唇目掛けて私の唇を押し当てた。
時間もないから、本当に軽く触れるだけのソレを交わし、私はいきなりキスをした羞恥心から逃げる様に外へ飛び出すのだった。今更羞恥心を感じるなんておかしいかな。
因みに中には顔を真っ赤に染めたレベッカちゃんと、いきなり過ぎて放心し、既に本日の夜の運動についての事を考えているミキータが残されたのだった。
***
「はぁ…はぁ…っ!!」
今やドレスローザの街並みは普段の様子からは考えられない程の異質に包まれていた。
逃げる女を追いかけるのは、パッと見でも1000人は下らない人並み。その全員が瞳の色を無くし、ただ女を追いかけるだけの機械の様に走る。
「…この、ままでは…!!」
やはり操られているからか、走っているとは言ってもその速度はそう速くはない。女──シャルリアが全力で走れば逃げ切れる速度ではあるが、全力で走ってしまえば体力は簡単に底を尽く。それに全力で走っていない今も既に疲れは出ているのだ。
シャルリアも、2年前の怠惰な生活をしていた頃に比べれば遥かに体力はついただろう。しかし、今みたいに1.2時間走り通しというのは経験した事もなく、常に全力に近い速度で走らなければいけなくて、少しでも転べば追いつかれるという極度の緊張もあり、今のままではいずれ追いつかれるだろう事は目に見えていた。
…それと、もう一点。
ただでさえ暴徒達だけで手一杯だというのに、つい数分前、1人の援軍が暴徒側に加わった。
光の無い瞳の暴徒達とは違い、あくまでも自分の意思でシャルリアを追っているそいつは、他の暴徒達よりも遥かに強大な敵だと認識せざるを得ない。
何が面白いのか常に口角を吊り上げているそいつは、まるでいつでも殺せるとでもいうかの様にシャルリアの背後2mの距離を付かず離れずで追いかけてきているのだ。
「キャー!いつまで逃げ続けるつもり?そろそろ諦めろよ!天竜人!」
「諦める…?私は、何があっても彼らの命を諦めはしません…!」
援軍の正体はドンキホーテ海賊団、ディアマンテ軍幹部『デリンジャー』。
彼の当初の任務はベラミーの暗殺から始まり、ルフィ達…つまりドフラミンゴにとって邪魔になる存在を殺すように指示されていた。
ベラミーの暗殺はバルトロメオの妨害により失敗に終わってしまったが、その後は予定通り他の幹部達と共にルフィらを消せば任務は完了…となる筈だった。
しかし、デリンジャーだけには別の任務が言い渡される事になる。それこそが現在街で起きている暴徒達の統括。指揮権の付与だ。
そういう事情もあって、デリンジャーは暴徒達と共にシャルリアを追っているのだ。が、現在デリンジャーはかなり気分が高揚している状態であり、本来ならばすぐにでも殺せるシャルリアをわざとじわじわ追い詰める様に、楽しむ様に行動していた。
「ねェ、どうして天竜人がこんなトコで、そんな格好で居るのか教えてよ!それを教えてくれたら、一思いに一撃で殺してあげるわ!」
「なら、まだ言えませんわね…!はぁ…く…!」
シャルリアは逃げるしか出来ないが、この暴徒達を助ける為の希望が全くない訳では無い。
彼女の脳裏に浮かぶのは、朝に見た黒髪で赤い瞳をしたメイド服の少女。どうしてメイド服を着ているのかは分からなかったが、あの少女が誰なのか…それが分からない彼女ではない。
そう、この国には今彼女が居る。ならば信じればいい、彼女を。自分が憧れて、焦がれたあの子を。こんな状況を作り出した元凶を叩いてくれれば、暴徒達は間違いなく解放されるのだから。だから自分はそれまで逃げ続ければ良い。
「…そう、ならもういいわ、いい加減飽きて来た所だし」
「ッ…!」
「鬼ごっこは楽しいけど、こうも一方的だとねェ!」
「ぅぐ…!?」
ハイヒールの靴底で背中を蹴り込まれ、尖ったソレが突き刺さる様な痛みに顔を顰めて地面を転がる。
かなりの威力で放たれた蹴りで強制的に吐かされた空気を取り戻す様に慌てて肺に取り込み、急いで立ちあがろうとした瞬間に頰を蹴り飛ばされて近くの壁に激突する。
早く起き上がって逃げなければいけない。自分が死ねば、暴徒達は目的を失ってまた罪なき民を襲い始めるか、自分達で潰し合いを始めてしまう。それだけは阻止しなければと、シャルリアは心に炎を灯すが…。
「…っ、あ、れ…っ」
がくがくと膝が笑って立ち上がる事が出来ない。先程の衝撃で目が回り、視界もぐにゃぐにゃだ。
…それもその筈、彼女は戦闘員ではないのだ。実力者であるデリンジャーの蹴りをまともに2発受けてこうして意識を保っているだけでも上等であり、普通ならば既に気絶していてもおかしくは無い。
「キャー!頑張るのね!だけど無駄な努力、もう殺すから!!」
「…っは…ぁ…ぅ…」
暴徒達もシャルリアに追いつき、デリンジャーの後ろで待機している。彼が命令を下せば…すぐにでもシャルリアの儚い命は終わりを迎える事だろう。仮にそうしなくとも、デリンジャーが後一撃加えれば呆気なく死ぬ。
それが分かっているからこそ、シャルリアは現状を打破する一手を考え続ける。そんな奇跡みたいな一手など存在しないと分かっていても、あの人に恥じる自分では居たくないから。
「…あァ、分かった!アレね、あなた…誰かが駆けつけてくれるだとか、自分が引き付ければその間に〜とか思ってるのね!キャー!無駄な努力!ゴミの考えそうな事!!」
「っ…」
自分が考えていた事を当てられ、シャルリアはピク、と肩を震わせた。
それを見たデリンジャーの顔が更に愉快な表情へと染まっていく。
「ぷ…くく…キャハハハ!!!バカじゃないの?あなた、自分が何なのかまるで分かってないわね!あたし達はあの方に忠誠を誓ってはいるけれど、普通の人が天竜人の為に何かすると思う!?」
「…私の為ではありませんわ、今もそうして苦しんでいる、あなたの後ろの民の為。私の命に価値など無い事は承知しています。私は…この国の民達を救う為に此処にいるだけです」
「キャーーハハッ!!!それよォ!救うって、そんな事するわけないじゃない!せっかくの天竜人を殺せるチャンスよォ!?」
「そんな事の為に、民達の手を汚させる人など居ません!!」
あまりにも民達を下に見た発言にシャルリアは声を荒らげた。…もしくは、彼の言葉に同意してしまいそうになった自分自身を鼓舞する為か。
シャルリア自身も分かっている事だ。この2年間、色んな土地を旅して生きて…自分が天竜人だと明かした事は何度かある。
誰にでも教えていた訳では無い。2年間の旅の中で、お世話になった人に少し話すくらいだった。結果は……言わなければ良かったと後悔するばかりではあったが。
もう天竜人ではないと幾ら伝えようとも効果はなく、ただ天竜人であったという事実がシャルリアに重くのしかかる。事実天竜人であった頃は彼女も残虐の限りを尽くしていた。その罪を少しでも贖えればと…そう願って生きてきた。
「善行を幾ら積んだって、過去の自分が消えるわけじゃないってのに!あ、もしかして…この国に来てる女王達に期待してる!?キャー!だったら残念…!今頃彼女はシュガーの能力でオモチャになってる筈よ!」
先程も言ったが、今、デリンジャーはかなり気分が高揚している。だから自分の発言の矛盾に気付かなかった。
そしてシュガーの能力を知らないシャルリアは最悪の未来を想像してしまう。オモチャになった…つまり、この国に存在していた生きるオモチャ達は皆…人間が姿を変えただけの存在だったのだ。
つまり…イリスもそうなっているという事は…。
「……っ…」
シャルリアの希望が、無くなったという事に他ならない。
否、ただその情報を聞いただけならば、彼女は見てもいない情報など信じられないとイリスの事を信じ続けていただろう。
だが…、
(善行を幾ら積んでも、過去の自分は残る…)
そんな事、言われなくとも分かっている。とシャルリアは唇を噛む。
分かっていたんだ、そんな事は。それでも、そうするしかシャルリアには道が無かった。
イリスに会いたい、もう一度会って、話が出来るくらいに誇れる自分になりたいと思った。だからこの2年…必死に努力を積み重ねて来たんだ。
変わりたかった。優しくなりたかった。人を傷つけたくなかった。誰かを救いたかった。…それでも、“シャルリア宮”はいつまでも“シャルリア”を離してはくれない。
その事実から目を逸らして、染み付いて落ちやしない汚れを善行という水で洗い流した気になっていただけだ。
汚れた身は、心は…流した水すらも黒く濁らせて溶けてゆく。
「…ぅ…く」
結局、自分の事しか考えていなかったと自覚して、結局、あの頃の自分と何一つ変わっていないと認識して…そのあまりにもどうしようもない事実に涙が溢れ落ちた。
間違っていたんだ、最初から。
イリスに胸を張って会える様な、誇らしい人間になりたいだなんて…そう思う事自体が間違いで。
天竜人として生まれ、自らの欲を満たす為に民達を奴隷の様に扱った17年間が…消える筈もない。
(なのに、私は…!懲りずに、まだ…!)
自分がいかに救いようの無い人物なのかを再度自覚しようとも、それでも、目の前の民達を見捨てる気にはなれなかった。
こんな自分が誰かを救うなど烏滸がましいかもしれない。どれだけ誰かを救ったって、あの人の隣に立てる訳がない。
「あ、ぁああああ!!!」
これはもう意地だった。自分勝手でも良い、傲慢でも良い。最低な存在でも良い、生きる価値なんて無くて良い。
だけど、やっぱり苦しんでいる人を見捨てたくない。だからシャルリアは気合いだけで立ち上がった。
壁に背を預けながらも、何とかその足で立ち、涙に塗れながらもその瞳には決意が宿る。
「キャー!じゃあそろそろ、くたばりなさいよ!!」
被っていた帽子を破り捨て、デリンジャーはその角を前に突き出して突進する。
シャルリアにはそれを避ける手立てはない。もう、死からは逃れられない。
だけどその瞳はなおも気高く、迫る死に恐怖を感じつつも、自分の気持ちに正直に微笑んだ。今の自分に出来る最大限の時間稼ぎを成した。だからどうか、民達を救ってほしいと思いを胸に。
(ああ…だけど、こんな…“人”にも成れなかった愚か者だけれど…、もし、もし…許されるのならば)
瞳を閉じる。脳裏に浮かぶのは、あの黒髪の少女で。
(もう1度だけで良いから…貴女様と、言葉を交わしたかった)
ドォォオオンッ!!!!
そして、衝突する。
まるでその場に隕石でも降ってきたかの様な衝撃音が辺りに響き渡った。
吹き荒れる風が、その激しさを物語っているみたいだ。なんて、ぼんやりとシャルリアは思考する。
……。
…………。
(……?)
何だ、とシャルリアは眉を寄せた。自分はあの角に貫かれたのだろうか。だけどそれにしては痛みを感じない。それに何やら、酷く安心する匂いが鼻腔を擽るのだ。
「────なっ…!!?」
いつまでも届かない衝撃の代わりに、目の前からデリンジャーの驚愕した声が聞こえ、シャルリアは何かあったのかと目を開き────、
「……え?」
思わず、声を漏らした。
何故ならそこに居たのは、自分が求め続けていた人物で。
何よりも焦がれた英雄で。
自分が人でも神でもないと気付かせてくれた恩人で。
「…あっぶな…、大丈夫?怪我はない?シャルリア」
シャルリアが憧れて、想い続けた少女──イリスが、デリンジャーの角を受け止めてそこに立っていた。