「いっ、イリス様、急にどうされたのですか?」
「急に?ううん、私はシャルリアを見た時からずっと、ずーっとこうしたかった。……だけど、ちょっと周りが騒がしいと思わない?」
「え?」
イリスの瞳がギラリと光る。それを見たミキータはルフィ達に目配せをし、作戦を実行するべく動き出した。
まず、戦力として心許ない人達は先に大量の小舟で避難させた。そうしないと遠慮の無い言い方をしてしまえば邪魔になると判断したからだった。そこにはローやベラミーなどの実力者も護衛を兼ねて同行させていた。
残ったのはそれぞれの代表格。幸い、この場には王華も叶も居るのだ、
とは言っても、小舟の数にも限界はある。全員が避難できた訳ではないのだ。
「まずはプランAから!ロビン、頼んだわよ!」
「ええ!──イリス、楽しそうね?」
「ロビン!うん、でも、ちょっと騒がしいというか、どうして私達以外の人も居るのかなぁって思って」
ロビンはその言葉にニヤリと笑みを浮かべ、するりとイリスの腕に自らの腕を絡ませた。その際、きちんと胸は押し当てている。
「私もミキータも、勿論シャルリアも……みんなイリスとベッドでアソビたいと思っているわ。だから……寝室まで行きましょう?優しい人が用意してくれているわよ」
「え?なんで行くの?ここじゃダメ……かな?私、今すぐが良い!」
「……、それは……」
下手に返答は出来ない、とロビンは思考を張り巡らせる。自分がこの役割を与えられたのは、こういった事態でも臨機応変に対応出来る様にする為なのだ、と鼓舞する。
そう、臨機応変に行かなくてはならない。例えばここで「他の人には見られたくない」だなんて言ってしまえばどうなるか?恐らく今のイリスは「じゃあ寝室に行こう」とはならない。きっとこういうだろう──「じゃあ他の人は邪魔だから、みんな海に捨てちゃおう」。そうなってしまえば大乱戦が始まってしまうので、なんとか避けて通るべく必死に最適な言葉を探して……。
「私、今日はイリスに押し倒して欲しい気分なのよ。柔らかいベッドの上で……どうかしら?」
「そうなんだ!じゃあ、はい!」
「え?」
イリスがしゃがんで甲板に触れると、足場がふかふかのベッドの様に柔らかくなった。
これで良いでしょ?とばかりにニッコリと笑みを浮かべるイリスに、ロビンは冷ややかな汗が背中を伝うのを感じた。
「ベッドまで移動するなんて面倒だよ、今ここで、みんなでしよ?……ね、ルフィやゾロ達もそこに居るんでしょ?私の嫁以外、ちょっとの間だけ海に飛び込んでてくれない?」
「鬼かてめェは!!」
「おに?違うよ、女王だって!ねー、王華もなんとか言ってやってよ!」
「う、うーん……」
木材の柔軟性や弾力等を倍加してまで今すぐの行為にこだわりを見せるイリスに王華は声を唸らせる。
プランAは失敗だろう。だが、言葉だけで寝室に連れ込むのは今のイリスを相手には厳し過ぎるという事は判明したのだ。何も得なかったという訳でもない。
「……うん、よし、実力行使で行こう」
「やっぱりこうなるんですか……」
プランAとは言ったが、そう何通りも作戦を立てている訳ではない。時間も限られていたのだから当然だが、残された作戦……とも呼べない様なそれはとてもシンプルなモノだった。
ずばり実力行使、力での無力化作戦だ。
「みんな、殺す気でやってよ!加減を知らないイリスは怖いよ!」
「私から行きます!『プロテクション』!!」
「ッ!?ダメ、カナエちゃん!!」
ミキータが叫ぶが、一歩遅かった。杖を顕現させた叶が、それを振るってイリスとロビン、そしてシャルリアを膜で覆う。本来ならイリスだけを拘束したかった所だが、その2人はイリスに近過ぎた為分断が出来ず一緒に囲ってしまう他無かったのだ。
そして、それこそが叶の犯したミスでもあった。
「行きます!『ウォー───」
「らァっ!!」
膜内を水で満たす対能力者用の必殺技。だけどそれは、水魔法が発動する前に膜を覇気で壊される事によって失敗に終わってしまった。
その上、叶は“イリスの嫁”を巻き込んで攻撃しようとしたのだ。今の話が通じない怪物に対してその様な事をしてしまえば……一体どうなるのかなんて火を見るよりも明らかだった。
「叶……?今、私の嫁に攻撃しようとした?」
「っ!」
明確な敵意をぶつけられ、叶は一歩後ずさる。幸い、女と言うこともあってかいきなり攻撃を仕掛けられる事は無かったが、これでもう怪物の警戒レベルはMAXになってしまった。つまり、奇襲はかけられない。むしろイリスから攻撃される可能性が芽生えてしまった事にもなる。
「い、イリス様っ、私なら大丈夫です!それよりも早く寝室に行きませんか?空の下もまた一興かもしれませんが、やはりそういう事は屋根の下で……」
「でも、シャルリアはどこに居たって魅力的な女性だよ。それなら陽の光に照らされて、その美しい顔がよく見える外の方が良いと思わない?」
「っ、は、はいぃ……っ、い、イリス様の御心のままにっ!」
「もう少し粘れよッ!!」
チョロすぎるシャルリアにウソップがツッコミを入れた。どうやらツッコミ程度ではイリスの怒りを買う事はないらしい。
「イリスの嫁を巻き込む様な事をするのはやめよう、ただでさえ酔って支離滅裂なのに怒りまで追加されちゃったらもう手が付けられなくなる」
「王華、みんなもごめんなさい……もう少し考えて動くべきでした」
「気にする事はないれすよ、カナエ!」
「ああ、元はと言えばどっかの誰かさんがジュースと酒を入れ替えたせいなんだからな」
自分を責める様に言う叶をレオとイデオが言葉で励ます。
そのどっかの誰かさんは、あの一撃で有名な渡ってはいけない川を渡りかけていたので、現在全力で船医が治療に取り掛かっていた。
そしてロビンはロビンでこの状況をどうにか打破しようと策を巡らせていた。シャルリアは既に陥落している、例え今話しかけたとしても恐らく上の空だろう。
とはいえ、出来る事などそう多くはない。ロビンは絡めていた腕を解き、シャルリアの手を取った。
「イリス、外でするんでしょう?なら、まずはあの人達を蹴散らさないとダメね。私とシャルリアは危ないから少し離れてるわ」
「えー……離れなくてもいいよ?私、ちゃんと守るから!」
「私がイリスの足手まといになりたくないのよ。……ダメかしら?」
そう言って悲しそうな顔で軽く俯けば、イリスは「ぅ……」と端が悪そうな顔をした。その隙をついてロビンはシャルリアと共にイリスから距離をとった。
これで戦闘に巻き込まれる事は無くなり、イリスが怒る様な事態は未然に防げた筈だ。王華はロビンに軽く頷いて礼をし、しゃがんで床に触れる。そうすればイリスがフカフカにしていた床は元通りの質感に戻り、戦闘もしやすくなった。
「行くよッ!ルフィ、ゾロ、私に続いて!!叶は後方から支援をお願い!!」
「おう!」
「もうあいつには今後何があっても酒は飲ませねェ……!」
「任せて下さい!『プロテクション』!」
ダッ!と王華が甲板を蹴りイリスへと一瞬で距離を詰めた。その後ろをルフィとゾロが追い、叶は前衛3人の体の周りに薄いプロテクションを纏わせた。
通常のプロテクションよりも更に脆くなってはいるが、そんじゃそこらの鎧よりかは頑丈だ、何もないよりかはマシだろう。
「この酔っ払いめ!目を、覚ませぇ!!
「ゴムゴムのォ!JET
「三刀流!煉獄鬼斬り!!」
初手から100倍を切った王華が、遠慮も何も無しに全力で拳を振り上げた。本気でやらなければ意味がない、手を抜いて勝てる相手ではないからだ。
ルフィとゾロも続いて攻撃を放つ。が、イリスはなおも焦る事は無かった。
「
「へっ?」
「おォっ!?」
イリスはまず王華の拳を確実かつ丁寧に視て避けると、その次に迫っていたルフィの
当然、ゴムであるルフィはその勢いでイリスの後方までぐーんと伸び、体は海の上だ。
「くらえっ!
「何それ!?」
ぐいっと力強くルフィの腕を引っ張れば、ゴムの性質で勢いよく戻ってくる。振りかぶった力に引っ張る力が乗って、今のルフィは棍棒と言うよりは弾丸に近かった。ゴムゴムの
「うわァァ!!?危ねェ!!」
「ひゃ、
ドォオン!!と大きな音を響かせて王華の展開した巨大掌にルフィが突っ込んだ。打撃判定になるのでルフィ自身にダメージはないものの、王華の手の平にはピリピリと少なくない痛みが走る。
「っつ〜〜!!船長を容赦なく武器扱いってどうなってるの!」
「オレに任せて下さいだべ!先輩方!!」
次にバルトロメオが指を結んで前に出れば、イリスを叶のプロテクションの様な小さなドームが包んだ。四皇レベルの一撃を誇る『キングパンチ』さえも無傷で耐え切るバリアの中で、イリスは一人困った様な顔をしていた。さっき船長を投げたとは思えないほど普通の表情で、まるで酔ってなどいないみたいだ。
「良い判断ですね、所でバルトロメオ、あれは足元にも展開出来てますか?床を壊されて突破されたりなどは……」
「大丈夫だべ、足場に隠れて見えねェだけで、キチンと円形のバリアになってらァ」
叶は小さく頷いた。それなら、あの中に『ウォーター』を入れてやれば終わりだ。
「行きます、『ウォーター』!!」
バリアの中を一杯に出来るだけの水が瞬く間に生まれ、イリスを呑み込む。コロシアムの時と違って足下にも隙は無いので足場を壊されて突破される事も無い。
後は最後まで油断せず、このままイリスの息が続かなくなるまで『ウォーター』を継続させて、最後に弱った所を叩いて勝利だと叶は小さくため息をつく。
「おかしいわ……」
「何がです?」
ぽつりと呟いたミキータに叶が反応する。王華はミキータの感じている違和感に同じく気付いているのか、神妙な顔で頷いていた。酔っ払いを相手にしている顔ではない。
「キャハ、カナエ、イリスちゃんは確かに強いわ、誰よりもね!だけど、それでも悪魔の実の能力者である以上は水が弱点なのよ」
「はい、だからコロシアムではイリスにも上手く通じて……、……なるほど、確かに、おかしいですね」
能力者のくせに何故かある程度水を克服しているイリスだが、その弱点は完全に消えて無くなった訳ではない。水に浸かって力が抜けるという呪いを乗り越えただけで、水中で能力が使えない事に変わりは無い。
だからこそ、今のイリスは異常だと言えた。何故なら、水に呑まれているというのにも関わらず『女王化』が解けていないのだ。
水の中のイリスは苦笑しながら頰を掻いて上を指差し、バルトロメオに向かって「に・げ・ろ」と口を動かしている。
明らかに様子のおかしいイリスに、水中なのに女王化が解除されていない事実。そして、そんなイリスからのメッセージ。
「……ッ!危ないわ!!ニワトリ君!!上よ!!後ろへ跳んで!」
真っ先に気付いたロビンが大声を出したが、一歩遅かった。
咄嗟に上を向いたバルトロメオの目の前に見えたのは、拳。一撃で落とされてしまうと経験が理解してしまう程のソレが目の前まで迫っていた。
「
「グベッ!?」
けれどもバルトロメオの顔は何とも幸せそうだった、ブレない男である。
「キャハ……!
「褒めてる場合か!!」
ブレないと言えば彼女もそうで、こんな時でも頰を染めて主の活躍に喜びを見せる。これが活躍かどうかはともかくとして。
そんなミキータにツッコミを入れたウソップも自身の相棒である黒カブトを構えている。仲間に攻撃をする事を躊躇ってる暇すらないのが酔っ払いイリスという存在だった。
バルトロメオが倒れた事でバリアは無くなり、その中に居た
状況は刻一刻と悪くなっていっていた。
話し合いは通じない。そして戦力も削がれていく。
「こうなったら……!ミキータ、ロビン、シャルリア!全力で寝室まで走って!案内はオオロンブス、任せた!」
「白い女王!何か作戦を思い付いたのか!?」
「何その呼び方……って、今はいいか!うん、作戦って程じゃないけどね!ただ時間との戦いになるから急いで欲しい!」
作戦の詳細は分からなくとも王華の指示にミキータ達は頷き、走るオオロンブスの背を追いかけて行った。
当然イリスがそれを許す訳がなく、嫁達を連れ去ろうとしているオオロンブスへと銃の形を模した指先を向ける。
「ゾロとルフィは私と叶と一緒にイリスを迎え撃つよ!ウソップ、レオ、イデオ、サイは待機!!」
王華はイリスが
「『ボルケーノ』!!」
甲板が赤く染まり、イリスの足下からマグマの様な炎が吹き出した。だけどそれも後方へ飛んで軽く躱される。
「甘いです!!」
「っ!?」
着地する寸前、着地地点が同じ様に赤く染まったのを見てイリスは初めて焦る様な表情を浮かべ慌てて宙を蹴り軌道を変える。
だが、急いで方向転換した事によってその先に待っていた刀にまで気は回らなかったみたいで、そこには事前に先回りしていたゾロが技を放つ寸前だった。
「一刀流──
「だぁ!!」
咄嗟に小太刀を引き抜いてガキン!と攻撃を防ぐ。とはいっても防いだだけで、攻撃をする為に抜いた訳では無く大した倍加もかけていない為鍔迫り合いとなる。
そう、鍔迫り合いだ。つまり、無防備だった。
とはいえその隙は一瞬だろう、きっとすぐにでもこの怪物は対応して、底知れない力でゾロを吹き飛ばし攻撃を再開する。
だけど、
「『リベラシオン』ッ!!!『テレポート』!!」
「ギア、
酔っ払いを止めるだけに全力である。
『リベラシオン』。それは叶の持つ『魔法』の力を極限まで解放するという意味を持つ。
この状態になった叶は効果時間の30秒間のみ最強となり得るのだ。その主な効果として『テレポート』の回数上限解放などがあり、つまり今日使い果たした『テレポート』でも今なら再使用可能という事である。
そして、叶の『テレポート』によってイリスの頭上に転移したルフィが腕に息を吹き込んで振りかぶった。
黒く太い腕はぐんぐんと大きくなって、遂にイリスへと落ちていく。
「ゴムゴムのォォ!!
「王華、今です!!」
「任せて!」
ルフィの拳がイリスへと落ちる直前、王華が甲板に手を当てた。そして最初イリスがした様に甲板をベッドの様に柔らかくする。柔らかさや伸びる量だけでいえばそれ以上だ。
こうやって何かしら対策しなければ船を壊してしまうのでやったものの、これだとイリスへのダメージが下がってしまうというデメリットもあった。が、時間稼ぎには十分になる。ゾロも巻き込まれる前に飛び退いて躱し、拳の落下地点にはイリスだけが残った。
そして、大きな黒腕がイリスを甲板へ押し潰す。
まるでトランポリンの様に甲板が沈み、ルフィも遠慮無しに全力を注ぐ。
「おおおォォ!!!」
ズシン!ズシン!と断続的にルフィの拳から衝撃がイリスへ伝わっていく。だけどルフィの顔には焦りが見えた。
結果として使用はしなかったが、ドフラミンゴとの戦いで最後の決め技として使おうと思っていた技がコレなのだ。だというのにも関わらず……押し返され始めていた。
「うぐゥ……!!」
巨大な黒腕がゆっくりと持ち上げられていく。こうなってしまってはもう巻き返せないだろうが、ルフィは全力で迎え撃った。
「邪魔」
「ごへッ!?」
しかし無念にも、ルフィの全力は容易に跳ね除けられて瞬時に距離を詰められ、脳天に踵を落とされた。覇気の込められた一撃にルフィは倒れ、次に王華に向かって飛び出そうとして──。
「さっすがルフィ!時間稼ぎは十分!!叶、お願い!!」
「はい!!行きます、『テレポート』!!」
「──っ?」
転移の魔法陣がイリスの足下に出現し、直後、イリスの姿がその場から掻き消える様に居なくなった。
行き先は、もはや言うまでもないだろう。
「まったく……お騒がせ過ぎますよ、あなたの半身は」
「あははー……お酒が入るとああなのは2年前から変わんないねぇ……」
困った顔で笑う王華に叶が立ったままもたれかかった。いきなり始まった予想外の敵との戦闘で色々と疲れが出た様で、王華も何も言わずに受け入れる。
何はともあれ、こうして今回の騒動は幕を下ろしたのだった。