会話もなく、少し重苦しい空気のまま私達はビッグ・マムが待つという部屋に辿り着いた。
大きな扉からも想像出来たけど、その中もかなりの広大さを誇るダイニングとなっていて、奥の上座にはこの部屋の中に居ても圧迫感を覚える程の巨体がこれまた大きな椅子に腰掛けていた。
「遅かったねェ、ジェルマ……、あァ?お前らだけかい?」
「ええ、色々あって、こちらは私とサンジだけよ」
ギョロリと大きな目玉でレイジュを睨んだのは、まず間違いなくこの国の主、ビッグ・マムだろう。大家族って意味だけじゃなく、その体も『ビッグ』らしい。
「ママ、土産を持ってきた」
「オーブンじゃないか、土産ってのは……」
「こいつだ」
ぽい、と放り投げられ、ビッグ・マムの横に転がされた。扱いが雑で色々物申したいけどここは我慢だ。今はまだバレる訳にはいかない。
「女王イリス、どうやらお仲間を連れ戻しに来たみたいだが、裏切られてそのザマだ」
「ああ、こいつがイリスか。マママ……!魚人島であれだけ吠えておいて、何とも情けない姿じゃねェか!」
「だけど油断は出来ない。こいつを縛っているのは海楼石製らしいが、さっき俺に覇王色をぶつけて来た。俺の力が抜ける程の圧をその状態で放てる時点で怪物だ」
覇王色?使った覚えはないんだけど……、……もしかして、さっき体重を倍加させたアレかな?私の体重が増えたんじゃなくて、自分の力が抜けたって解釈したんだ、すっごい都合の良い……。
「うちの
そういうとビッグ・マムはレイジュへと視線を向け、厳しく目を細めて口を開く。
「今日はジャッジの奴も来るって聞いてたのにどうして居ねェんだ。まさかオレとの約束を破るとは良い度胸してんじゃねェか」
「それについては完全にこちらの落ち度よ、ビッグ・マム。確かに私達は女王を確保する事に成功したけれど、その際に父や弟達は深傷を負わされてしまったの。幸い、私は女だという事もあって助かった……だから今私とここに居るサンジ以外は治療中よ。でも明日の結婚式までには間に合うわ」
「ふむ……沙彩と同じ実力の者を相手にしたのなら仕方ないだろう。ママ、ここは穏便に行こう、明日の式に差し支える訳にはいかない」
へぇ、沙彩はかなり実力的には信頼されているみたいだね。さっきビッグ・マムに怠け者とすら呼ばれていたけど、そんなに動く事が無かったのだろうか。
…………ていうか、もしかしてこの雰囲気のまま食事に入るつもり??私はどうせ食べられないだろうし、地獄じゃん……。
***
一方その頃、鏡の世界──『ミロワールド』内にて。
「……っうく……!ま……だ、痛みます、わね」
目に見える全てが歪であり、壁はうねり、無数の鏡が存在するこの場所で、壁に埋め込まれている鏡を背にシャルリアは座り込んでいた。
その身を包む衣服は所々が焦げており、なんとか人に見せたくない部分は隠せているという状態の彼女は何故か仮面で顔を覆っている。
「……あの人、どういうつもりなのかは分かりませんが……、く……次に会った時はお礼を言いませんと」
シャルリアは徐に仮面を外した。
外気に触れるのは、麗しい美女の肌では無く……生々しく爛れた、酷い火傷の痕が見える顔で。
「──とはいえ、この顔では……イリス様にも、幻滅され……る事はないでしょうね。あの方がこれくらいで幻滅する筈、ありません……」
自分がどんな姿になろうとも、彼女ならば受け入れてくれる。そんな確信がシャルリアにはあった。実際、普段のイリスを見ている者なら誰でも行き着く回答ではあるが。
確かに面食いな所もあるイリスだが、1度嫁にすると決めた人物に対してはかなりの甘さを発揮するのだ。食う面が無くなった所で今更お残しをする様な人ではない。
……のだが、それは結局イリスの問題である。誰が好き好んで醜くなった己の顔を最愛の人に見せられようか。
そうは言っても、このままイリスから離れる事などそれこそシャルリアには出来そうもなく。2年の時を経て、遂に見つけてもらったというのに。
ならば、このまま直ぐにイリスと合流して、己をこんな目に遭わせた『熱男』に仕返しをしてもらうか?それは否だ。
「あの方……確か名は、『オーブン』……でしたか」
これは実力不足でありながら、敵地で単独行動という悪手を打ってしまった自分の失態である。それならば……尻拭いは自分でしたかった。
もう1度オーブンと闘い、彼を下し、何の憂いもなく彼女のそばへ戻りたい。それこそが現在シャルリアが考えている無茶で無謀な未来だ。
「……オーブン。次は、負けませんわ」
「バカ言ってんじゃないよ、お前がオーブン兄様に勝てる訳ない!」
唐突にシャルリアが背を預けている鏡の中からその様な声が響く。だけどシャルリアは驚いた様子も無く、痛む体に鞭を打って鏡から少し離れた。
すると、その鏡の中から1人の女が顔を見せる。高い身長もあってかローブにも見える程丈の長いドレスを身に纏い、緑のもこっとした物体を背に付け、長い鼻と左右に広がる奇抜な髪型をした彼女の名はシャーロット・ブリュレ、ビッグ・マムの8女だ。
「そうですね、今の私なら……例えどれだけの幸運に恵まれようとも敵う相手ではありません」
「ウィッウィッ、案外素直じゃないか。分かってるならバカな事は考えずに……」
「なので、負けない様に作戦を立てますわ」
「立てんで良いよ!!死にたいのかい!?」
「死にたくはありませんが、無様に泣きつくだけの女にもなりたくはないですわ」
そんなシャルリアの言葉にブリュレは分かりやすく表情を歪めた。駄々をこねる子供に腹を立てた親の様な表情でも、実際の所は敵同士である筈なのだが。
だからこそシャルリアはこの状況に感謝をしつつも疑問を感じていた。
「助けて頂いてこの様な物言いもどうかとは思いますが、何故私を助けたのですか?私とあなたは本来敵同士でしょう」
それを聞くな、と言わんばかりにより一層表情を不快に歪めたブリュレが視線を逸らす。口をもごもごと動かしてはいるが、そこから言葉が発される事はなかった。
あの時、シャルリアはドレスローザ以来の『死』を感じていた。
立ちはだかったのはオーブンとシャーロット・フランペ。どちらも彼女より実力が上だった為か、実際に攻撃を仕掛けてきたのはオーブンだけであったが……結果は惨敗。反撃の余地すらもなく目に捉えられない速さで接近され、そのまま体に数発の殴打、更に掌で顔を掴まれ焼かれるという有様であった。
1発1発がシャルリアにとっては即死級のダメージであり、死ななかったのは本当に運が良かったのとブリュレが居たからだ。彼女がシャルリアに簡易的な治療を施し、こうしてミロワールドにて匿っているからこそ命を繋げていると言える。
「……分かりました、そこまで言いたくないのなら、無理には聞きませんわ」
気にはなるが、優先順位はそこまで高くないので一旦折れる事にし、対オーブンの戦術を幾つも脳内に思い浮かべては却下していく。
そもそも実力が離れ過ぎているのだから作戦を立てる事すら厳しいのだ。
「……やはり、完成させるしかありませんわね」
残された時間は多くない。自分がこの島に辿り着き、敗北してこの鏡の世界に来てから既に数日が経過している。イリス達ならサンジを奪還するのにそう時間はかからないとシャルリアは踏んでいた。
「遅くても、後1日……それまでに間に合わせてみせましょう」
「はァ……あたしは止めたからね、もう知らないよ!」
ブリュレはそう言うが、そもそもシャルリアからすれば1度命を救ってもらっているのだ。これ以上を望むのは頼り過ぎというものだろう。
「本当にありがとうございます、ブリュレ。どんな思惑があれ助かりましたわ。あなたの家族を倒してしまう事になるのは心苦しいですが……」
「礼なんて要らないよ!精々無様にやられちまいな!ばーか!!」
そんな捨て台詞を残し、ブリュレは再び鏡の向こうへと消えていった。
その先でペローナやチョッパーに見つかり良い様に利用される事となる彼女だが、それはまた別の話である。
「……では、早速始めましょう」
ここから追い出さなかった時点で、ブリュレは完全にシャルリアを見捨てた訳ではない。それに気付いてしまった以上、シャルリアはその好意を無駄にしない為にも痛みを無視して行動を開始するのであった。