「は、早く来すぎちゃったかな」
いつも待ち合わせに使っている交差点近くに2時間も前からそわそわそわそわと落ち着かなく待っているのを、道行く人が物珍しげに見ては去っていく。
みんなを待っている私の顔はどこからどう見ても恋する乙女で、まるでデートの待ち合わせみたいだ。私にとってはそれくらいの意気込み…いやそれ以上の覚悟をして来ているんだけど。
服装もかなり気合を入れてきた。
いつもは面倒くさいから適当に済ましてるんだけど、今日の為に新調した程なのだ!
綺麗だと自負している白髪に合うよう、白を基調としたニットにブラウンのロングスカートで清楚感をバッチリ醸し出してきた。麦わら帽子があれば完璧だけど…ここの風景には合わないから断念…。
「王華ー!」
「あ!」
パァ、と顔を輝かせる。
おお、みんな可愛い!!良かったーオシャレしてきてて…浮くとこだった。
「王華くるの早すぎだよー、まだ約束の15分前じゃん」
「とか言って、あなたも先程そこで会ったんですし、同じくらい早いじゃないですか」
「それよりあんた達見なよ王華の服!珍しくお洒落してるわ!可愛いー!」
美咲、叶、沙彩の順に話す。
みんな楽しみにしてたんだ!…沙彩にはまた今度何か奢ろう。
という訳で全員集まったのですぐ映画館に向かった。と言っても場所はすぐそこだったから、楽しくお喋りしてたら直ぐに着いたけど。
「どうする?上映時間まであと30分くらいあるけど」
「じゃ、私ポップコーン買ってくる」
「美咲、私はMでお願いね」
「私はSでお願いします。ドリンクは適当に」
「へーい」
美咲がポップコーンとドリンクを買ってくれている間に、残った私達は4人分の席を予約する。
あ、良かったー、丁度4人分真ん中の席が空いてるね。
そして私達は、美咲が帰ってくるまで適当な雑談で時間を潰した。
昔からそうだったんだけど、私にとってはこの雑談1つ気が抜けない。何気ない一言でポロリと漏らしてはいけない本音を漏らしそうになるからだ。それに今は例の映画前…こんなタイミングで自滅する訳にはいかないから、普段より一層気を張っておかねば!
そんな感じで張り詰めた(私だけ)会話もそこそこに、美咲が手にカゴを持って戻ってきたので、入場可能時刻になっている中へみんなで揃って入り、指定した席へと座った。
「楽しみだね、映画」
「そうだねー。あんまり見ないジャンルだからちょっと新鮮かも」
「…そ、そうだね」
ちょっとそれには共感できそうに無いけど、楽しみなのは一緒だしいいか!
それにこの映画、普通に楽しみだ…!
…あ、照明が落ちて暗くなってきた。
「………」
公開されてそれなりに日は経ってるのに、周りの席はまだ沢山埋まっている。
私達4人の会話もぴたりと止み、お決まりの泥棒さんの映像が流れ終わって本編が始まった。
***
「“おんこい”、すっごく良かったね!!」
「それ」
「感動しました」
映画を観終わり、近くの喫茶店でランチタイムを取っている時に美咲がそう言った。2人も叶の言葉に間髪入れず返している。
“おんこい”とは、今回みた映画…『女達の恋』の略称だ。
「楓…私はきっと、生まれ変わってもあなたを愛すよ」
「きゃー!愛して!私を愛して!」
「それ、終盤の主人公のセリフですよね」
キャッキャと盛り上がる3人に、否が応にも期待が高まる。
まさかここまで上手く行くとは…、恐るべし流行映画。
「王華は面白かった?」
「え?うん、予想よりずっと面白かったよ!」
「そうよねー…私、同性愛に対してだいぶ理解高まった気がする」
あははと軽く笑って、緊張で味が良く分からないサラダを口に運んでいく。
…これなら、みんなに打ち明けられそうだ。
でも、やっぱり1日置いた方がいいかな、いやいや、そんな事してたらまたいつもの隠す日々に戻るだけだし…。
……そうだ、気合入れろ、私!だってこんなチャンスもう2度とないかもしれないんだから…!
映画ブーストで私の弱い心を奮い立たせるんだ。勇気を出せ!
「あ、あのーーーーー」
「でも、私達の中の誰かが、私達の誰かを好きになってるかもしれない…って考えたらちょっと困るよね」
「!!」
言葉は…出なかった。
その言葉の意味を瞬時に理解することが…幸いにも出来たからだ。
「反応に困りますね、身近にそういう人が居るって思った事もありませんし」
「でも私、男を好きになった事ないけどね」
「あなたはそもそも好きな人出来たことある?聞いたことないんだけど」
確かに、と笑って美咲に返す沙彩。
…しまった、みんなの前で私を隠し続けた弊害が出ちゃった…。
みんなにとって私は、恋愛にはまだ興味がない、という設定なのだ。実際は興味ありまくりだし、女の子が好き過ぎるんだけど…今の流れでそれを打ち明けられる程私の心臓は頑丈にコーティングされてはいない。
「や、やっぱり、普通の恋愛が1番だよね!流行映画とは言ってもさ、その……、……」
…結局、こうして私は逃げるんだ。理解ができない“普通”を着飾って、自分を隠す為に仮面を被る…。
「私さ!!」
ーーーそんなの、もう、イヤだ…!
「ん?」
「どしたの王華?」
いつまでも隠し続けて、思ってもない恋愛観を知った風に口にして、笑った顔の仮面を張り付けて、心でずっと泣く日々は…もう…!!
「さっきの映画さ、なんていうか、女の子が女の子を好き、とか、そんな感じだったと思うんだけど…!」
「そんな感じというか、まんまそうだけど…どうかした?歯切れ悪いじゃない」
「わ、私もさ……そうなんだよ、ね」
……い、言った…。
言ってやった…!!
ずっと隠してたけど…今、私は3人にだけ…言えたんだ…!!
「そうって、何が?」
「え?まさか王華って…その」
「っ……うん…!」
ぎゅっと目を瞑ってみんなの答えを待つ。
これ以上、私から言葉を紡げる程の勇気は出ない。…私が打ち明けた事で、困らせるかもしれない。それはさっき叶も言っていた事なんだから。
だけど…私は…!
「……まぁでも、王華は王華でしょ?」
「え?」
ゆっくりと顔を上げると、困ったように眉を下げながらも、だけど笑って私を見る3人が居た。
「反応にはやはり困りましたけどね。とりあえず今度からは王華の前で着替えるのだけはやめようと思いました」
「はは、もともと叶は胸無いんだから、見られて減る物なんていたいいたいっ!ごめん叶!私が悪かったからっ!」
「……みんな」
ぽろり、と涙が一筋流れる。それを皮切りに、まるでダムが決壊したかの如くポロポロと溢れ出て止まない。
「ちょ、王華…!…そうね、辛かったんだね」
「あのー、とりあえず外出ない?流石に周りの目が痛いというか…」
「…っ、うん、みんな、ありがとう…っ」
そうして、私達は会計を済まして店の外へ出た。
お金を払う時も終始泣きっぱなしだった私を見てみんなは呆れてるし、店員はドン引きしてるし…だけど私は、それ以上に幸せな気持ちで包まれていたんだ。
…私が出した勇気は、確実に実ったよ…!
「じゃ、今日はとことんまで遊ばない?王華の告白記念に!」
外に出てすぐ、美咲が私の腕を取ってそう笑った。2人も間髪入れずに承諾の返事をし、私には聞かずそのまま引っ張られる。
「わ、ちょっと、美咲…!」
「何〜?今まで親友にそんな大事なコト隠してたんだから、少しは付き合ってくれるんでしょ?」
「っ…うん…!夜のホテルまで付き合うよ!」
「付き合い過ぎです!…でも良かった、王華…今までで見た中で1番楽しそうな笑顔ですよ」
そ、そうかな…でも、それはみんなのお陰だよ…!受け入れて欲しいとは思っていたけど、まさかここまですんなりと全てを肯定して貰えるなんて思ってなかったから…笑顔が止まらないの!
「じゃあ行こうか、ラブホ」
「沙彩も何を言ってるんですか!?」
「あはは!もう、みんなにそこまで頼んだりしないよ!…まだ」
「まだ!?」
…こんな冗談を言える様になるなんて、本当に今日は勇気を出して良かった。また出てきた涙をみんなに気付かれない様にそっと拭い、私達は今日を楽しく過ごす為に歩みを進めた。
その後、適当にショッピングを楽しんだり、カラオケに行ったり…している事はいつもと変わらないのに、私は堪らなく楽しくて仕方が無かった。
その日はみんなと別れるのすら惜しくて、また少し涙が出ちゃった程だ。泣いてばかりで情けないけど…
***
王華と別れた後の3人は、普段よりも晴れやかな気持ちで帰路についていた。
勿論今はイリスの記憶外の出来事だ。これは
「それにしても驚いたわ、あの王華がねー」
「あれ程完璧に整った顔立ち…そもそも全体的に綺麗な容姿なのに恋人が出来ないのはおかしいと思っていましたが…」
「もしかして、私達の誰かを狙ってたりして?」
「王華なら良いかなってくらい可愛いけどねあのコ。流石に本当にそうなったら少し考えはするけど…」
こうして3人で帰るのはいつもの事だ。別に王華を除け者にしてる訳ではなく、王華は徒歩なのに対して3人は電車を利用しているから同じになるのである。
ただ今回いつもと違うのは、その話題が王華の話だけだという事だろう。
「……?」
「どうしたの、美咲」
「いや…なんか、見られてる気がして」
視線を感じた美咲が振り返っても、そこは今まで歩いてきた道が続いているだけだった。
そこまで複雑な道でもないし、誰かが隠れる場所なんてあの電柱くらいなものだ。
まさかそんな所に隠れる人が居るわけないか、と美咲は気のせいだったみたい、と言ってまた歩き出した。
「…驚いた〜、まさか、入州さんがねぇ…」
まさか、の電柱に隠れていた王華達の同級生の1人がニヤリ、と下衆な笑みを浮かべる。
さっきの会話は本当にたまたま聞こえただけだったのだが…幸運だった。まさかこんな場所であの女の弱みを…人に知られたくはないだろう情報を盗み聞けるなんて思っても無かったからだ。
「前からウザい女だと思ってたし…」
間違いなく、今まで見てきた女の中で1番綺麗な顔立ちをしているという事実も苛つく要素ではあったが、自分が好意を抱いた男があの女に惚れていたのが何より許せない。
要するに、ただの嫉妬と逆恨み。彼女はその中で少し…狂っていた。
「そうだ…良い事思いついちゃった…♪」
狂気の笑みを張り付けて、女は鼻歌混じりで軽やかに歩く。
自分が行う事で何がどうなるのかなど女の頭には無い。ただ欲しているのは、憎い恋敵への復讐…と呼ぶのも憚られる、ただの八つ当たり。
歪んだ恋に狂った女の歌は、王華への憎悪で旋律を彩らせて、不気味に…だけど妖艶に音を響かせていた。
***
今日は朝から機嫌が良かった。何故なら、昨日私は3人に秘密を打ち明けて…そして受け入れて貰ったからだ。
「ふんふん♪」
学校へと到着し、3年B組の教室へと辿り着いた私はウキウキ気分でガラ、と扉を開けた。
なんにも隠す必要が無くなって…今日から今までよりずっと楽しい毎日が送れる…その事実だけでどうしても頰が緩んでしまう。
「……?」
そう思っていたのだけど、私が扉を開けた瞬間、教室に居た同級生のみんなが私を見てきた。
…何?私遅れた?…いや、まだ来てない人もちらほら居るよね、美咲達もまだっぽいし。
「…お、おはよう」
…返事がない。何だろう…凄く、イヤな予感が…。
私を見てクスクスと笑って近くの友達とコソコソ話してる人達も居れば、私と目が合うなり慌てて逸らしたり、あからさまに嫌悪感丸出しで見てくる人達も居る。全員が全員そうではないが…。
「なんなの……。……え」
かなり不快な気持ちになりながらも、自分の席へと歩いて鞄を机に置こうとした時…私は目を疑った。
ありふれた、陳腐な行為の“ソレ”を見て…私の体の至る所から嫌な汗がじんわりと出てくる。
机の上には、それはもう無数に私が同性愛者だと言う事に対する悪口で埋め尽くされていたのだ。