女の腕を掴み、引き寄せる。
きっと、好奇心からなのだろう。こんな悪夢の奥にまで踏み込んだ愚か者だ。意味深に腰掛けている死体に関心など示さない筈も無し。それに漁村への鍵は私が握っているのだから、多少なりとも知恵が回る者であるならば調べないはずもないのだ。
だから、そんな狩人に向けて私は言うのだ。冷酷な助言を。警告を。宣言を。
女は突然生き返った私に迫られても動じる所かその可愛らしい顔を火照らせ、我が師が時折見せる偏執にも似た眼差しを向けている。機能性を求める狩人らしからぬ、これまた可愛らしい見た目の、それでいてやや実用的な物も合わせた服装だった。
彼女もまた、私と生まれを同じとする穢れた血の持ち主なのだろうか。一部の服装が私の装束と似通っているのだ。しかし彼女からはそう言った、特別な血の匂いは感じない。
まぁ、良い。秘密は甘い物だ。だからこそ、恐ろしい死が必要なのだ。
……愚かな好奇を忘れるような恐ろしい死が。
彼女もまた、死に逝く者なのだから。
剣を抜いた私に、彼女は羽織り物を少し広げて一礼して見せた。可憐な少女に相応しいその行為は、およそ私という異端を恐れてなどいないように見えた。そして言うのだ。
「御迎えにあがりました、マリアお姉様」
不思議な娘。いや、狩人だった。彼女はそれから漁村で捨てたはずの落葉を取り出すと、それまでの礼儀作法を捨てて狩人らしい構えをして私に対峙した。
所詮、この者は悪夢を受け止めきれずに狂ってしまったのだと……その時は思っていたが。
ただただ、彼女の狩りによる蹂躙が待っていただけだった。私は本来の力を出し切った上で敗北し、その血の遺志を持ち去られ、挙句の果てに懐かしき夢へと誘われた。同じような末路を辿った師と、久方振りの再会を果たしたのもその時だった。
彼女が月の魔物を打ち倒し、人を完全に辞めてしまう前の話だ。
私達はマミの提案により仁美の見舞いに赴く事になった、という事は記憶に新しいだろう。今は帰り道、陽は落ちかけ、今日もまた狩りの時間がやって来ようとしている。ちなみに恭介は、夢でコテンパンにやられた疲れで今日は狩りに参加できない。授業中も死んだように寝ていた。
ただ、そうだね。今日の狩りは、いつものように単純なものでは無いだろうさ。なんてったって、ここが分岐点なのだから。私の計画と彼女達魔法少女のね。
世間話というものは良いものだ。ヤーナムでは世間話をする相手などほぼいなかったし、唯一情報交換をしていたアルフレートは胡散臭かった。夢の住人もまた同じ、ゲールマンは昔見せなかったような満足気な顔で私やマリアお姉様を眺めているし、マリアお姉様もあまり話してくれない。人形ちゃんはそもそも夢から出た事がないから世間を知らない。
このみとあやかくらいだろうか、まともな話ができるのは。ヤーナムの住民が狩人を蔑んだ理由の一つに、コミュ障が入っていても不思議では無いな。
「……ごめん、ちょっと用事できちゃった」
ふと、さやかが背中を向けて歩き出す。私とはまた異なる、月の香りを脳で感じる……月光が何かを導こうとしているようだった。
「え、さやかちゃん?」
「ちょっと美樹さん?」
まどかとマミの制止も振り払い、さやかは駆け出す。私かい?いいのさ、月光が何をしようとしているのかは分かっている。それに今、さやかが導かれる事による成長は必要なものだ。それを止める理由は私にはない。利用できるものは利用しなければなるまいよ。少女以外はね。
「では、私達は仁美に会いに行こうじゃないか」
マイペースを装って、私は二人を先導する。これで良い。役割とは正しく、己の為すべき事なのだ。
光の糸。さやかはそれを見つけ、友を置き去りにしてただ追いかける。気がつけばその糸は消えていて、人通りの少ない河川敷へとやって来ていた。
代わりに現れたのは佐倉杏子。つい昨日、導きのままに戦った相手だ。杏子は何気ない顔でリンゴを貪り、警戒するさやかに言う。
「ちょっと面貸しなよ」
聡明な彼女には分かる。今日の彼女は戦いのために来たのではないのだ。さやかは彼女の言うがままに、その背中を歩いて追う。
「聞いたよ、あんたあの男に振り向いてもらいたくて契約したんだって?」
「マリアから聞いたんだね」
「あいつそういう名前なのか。まぁいいや。驚いたよ、あんたはてっきりもっと自己犠牲的なもんかと思ってたのに。それに比べて、あの緑の奴はなんだい?あの男に成長してほしいって……サイコパスにでもなれって?魔女をあんな惨たらしく倒す一般人なんて初めて見たよ」
ここまでは前座であると、今の彼女なら理解できる。きっと月光の導きと師の教えが無ければ彼女は怒りのままに食ってかかっていたに違いなかった。
ただただ、哀れみを目の前の少女に向けるのだ。
辿り着いた先は、焼け落ちたであろう教会の跡地。一般的ではないその光景は不思議と悍しいものは感じなかった。杏子はリンゴを食べ尽くし、茎の部分を投げ棄てる。そして新たに取り出した果実をさやかに投げ渡した。
「食うかい?」
さやかは、そのリンゴを眺めた。丸く、甘みの乗ったそれはとても美味しそう。問題は、このリンゴの入手経路だった。きっと合法的に持ってきたものではないだろう。マミからも聞いている。彼女は今、住むべき所を持たぬ流れ者なのだ。
「……食べ物を粗末にすべきじゃないよね」
「そうだな」
さやかは一瞬の迷いの後、それを齧る。禁断の果実とは良く言ったものだ。導くためには、時に自らの正義とぶつかる必要もあるのだろう。
眩しい笑顔を杏子に向け、彼女は言う。
「これで共犯だね」
「あんた……」
そんな、試すような杏子の行為をさやかは乗り切って見せた。それどころか、杏子の心に潜む何かを焚きつけても見せる。心にかかったモヤを、強引に打ち破る。佐倉杏子とはそんな魔法少女ではないのだと自らに言い聞かせるのだ。
気を取り直し、杏子は話をする事にした。
「あんたさ、自分自身のために契約したんだろう?ならどうしてもっと魔法を自分のために使おうとしないんだい?巴マミとなんか組んで、街のためだ、人のためだってさ。それで坊やが振り向いてくれるのかい?」
「随分な質問だね。でも、あんたなら分かるんじゃないかな。杏子」
「いいや分からないね。魔法なんてものは徹頭徹尾自分の私利私欲のために使うべきなのさ……正直、イカれてるよあんたら」
まぁ良いや、と。杏子は自らの主張を聞かせるために話を続ける。
「坊やの心が欲しいんだろう?ならあんたら二人がいなきゃ生きていけなくすればいいじゃないか。例えば……手足を潰すとか、ね」
不敵に笑う杏子を、たださやかは無表情で見つめ続けた。
「それは私の導きに反する」
「ふん、またそれかい?まぁ良いよそれでも。でもね、あんたには覚えておいて欲しくてね」
杏子はリンゴの入った袋を椅子に置くと、崩壊しかけた十字架を眺めた。その瞳は儚気で。魔法少女の導きとなりたい少女の心に刺さるものだ。
「ここはね、私の父さんの教会だったんだ」
そうして杏子は語る。自らの出自を。正義を語り、見向きもされない父の話を。そんな父のために魔法少女となり、偽りに気がついた父親が取った行動を。それは決して幸せな話ではないが。どうにも教訓染みているのだ。
次々とリンゴを貪り、杏子は言う。
「あたしの勝手な祈りが家族を壊したのさ。他人の都合を知りもせず、自分勝手に祈ったせいでみんな不幸になっちまった」
茎が床を転がる。ただただ、さやかはそれを聞いていた。
「その時誓ったんだよ。もう他人のために力を使いはしない……この力は全て自分のために使いきるって」
暗い意思がそこには宿っていた。さやかはそっと彼女に近寄る。杏子は自嘲気味に笑い、振り返る。
「奇跡はただじゃないんだ。使えばそれと同じくらい絶望が撒き散らされる。そうやって差し引きをゼロにして、世の中のバランスは成り立ってるんだよ」
さやかは瞳を閉じた。
「杏子。私はね、魔法少女がそんなに正しいものじゃないってことは分かってるつもりだよ」
その言葉は、杏子にとって刃物に等しい。
「誰にも理解されないで魔法少女は戦って、あんたみたいに罵られて、挙句絶望してさ。今の話だって、やりきれないよね」
「……なら、分かるだろ。私達はもっと自分勝手にやっていいのさ」
「そうかもね……でもさ、杏子。そんなに自分に嘘を付く必要はないんじゃないかな」
杏子にとって、美樹さやかという少女は毒だ。
「私はね、杏子。光の糸を見たんだ」
ならばさやかは導かねばならない。この絶望を経験し、今や曲がってしまった魔法少女を。
「暗い夜に、でも確かに見たんだ。月光の導きを。だから私は折れないよ。魔法少女が絶望するなら、私はその子たちの光の糸になりたいの」
「だから、それは」
「分かってる。きっと、まともな人生なんて歩めない。それでもやらなきゃならないんだ。杏子、私はあんたの光にもなりたいんだよ」
かつて目指した正義を見た気がした。巴マミと二人で戦った、あの懐かしい光を、感じた気がした。
杏子はもう何も言えなかった。これ以上言っても、きっとこの少女は折れない。自分のように志半でグレるなんて事はあり得ないのだと理解してしまった。
杏子はさやかの手を振り払い、後退りする。
「違うんだって!魔法少女なんだ、もうそれだけで十分なんだ!他に望むものなんて無いんだよ!」
「杏子、これだけは覚えておいて。私はいつでも自分の正義のために戦うんだ」
さやかは杏子に背中を向ける。もはや言葉は要らぬ。美樹さやかという少女は、既にただの魔法少女ですら無いのだろう。
月光と呼ばれる者は、かつてのヤーナムで導いた者を思い出す。その者も正しく人々を導くために戦い続けていた。それを人は、英雄と呼ぶのだろう。
夜の工業地帯にチェーンソーの騒音が鳴り響く。全てを壊し、切り裂き、殺す音だ。仁美は魔法少女の衣装を血に染め、一心不乱に魔女と使い魔を切り裂いていく。
それはかつてヤーナムの墓地で見た神父のように。血に狂い、狩りに狂った者の末路なのだろう。
死んで動かない魔女を執拗に斬り刻むと、切らした息を整える。鼻には血の匂いが充満していた。かつての同類を、この手で殺したのだと満足し、その血をこれでもかと浴びる。
悲しいかな、仁美よ。だが悲しむなかれ。すぐに私が楽園へと誘うだろうさ。少女達が安心して暮らせる━━天国へとね。
仁美は開いた瞳孔を背後に向ける。そこには師である黄色の衣装に身を包んだ魔法少女と、友人で有る狩人、そして酷く眩しい桃色の少女が立ち尽くしていた。
「ああ……血を下さいな」
チェーンソーの回転が増す。刃にこびり着いた血と肉片が舞った。
「魔女の血を。穢れた血を。ついでに、人の血を。く、ふふふふ、たまりませんのこの匂い。狂ってしまいそう……えづくじゃありませんか」
マミはその顔を強張らせ。まどかは今にも泣き出しそうな顔で。ただ、仁美を見ているだけしかできない。
「魔法少女の末路が魔女なら……狩らなきゃなりませんわ。ねぇ、白百合さん」
そうだね。私はそれだけ言って、落葉の鋒を仁美に向けた。
身体から得体の知れない何かがはみ出してしまった、人ならざる者へ。彼女はもう、帰っては来れない。ならば狩るしか無いだろう。
THE PRIESTESS
美徳の魔女、プリエステス