マンションの部屋を出て、
そうやって、健康のためとか何とでも理由は付けられるが階段の手摺りに手をかけた時、あの子と会ったのだ。随分と懐かしいあの子に。
そう、
何度も経験してきた私だけれど、
“
“
デヴィッド・ボウイ、世界を売った男より。解釈和約
少年は端正な顔をぐしゃぐしゃにしながら老師の前に跪いた。跪いた、と言うよりも四つん這いになって土下座をしたと言う方が正しいだろう。
息を切らし、鼻水を垂らし、涙を零し、震える身体を地に這いつくばらせ車椅子の前で懇願するのだ。その様子にはかの老師、ゲールマンも見ていられるものではなかった。
獰猛に狩人という強さを求めた輩は少なくはない。更なる力のために血に塗れ、そしてそういった輩は須く血に飲まれ獣と化す。獣狩りをしている気になって、獣になってしまっては洒落にならないだろう。
だからゲールマンはそういった輩には向き合うことをしない。そもそも、この夢に招かれる事もないだろうが。
だがこの少年はどうだ。大切なものを守るために、若くしてプライドや何やら全てを投げ捨て、こうして車椅子で日々少女と弟子の狩人を眺めるだけの日々を送る老人に頭を下げる。そこまでして力が欲しいのだと。
「僕は、奴を殺したい」
擦り切れた声で彼は望む。
「あの化け物から、大切な人達を守りたいんです。だからどうか、僕を強くしてください」
少年は愚かではない。力には力で対抗しなければならない。啓智は確かに必要だ。だが争いとは、啓智を持ってしても起こり得るのだから、必然的に力が必要になるのだ。
ゲールマンは渋ったように唸る。正直彼には決めかねる問題だ。恭介は、この少年が倒したい化け物は彼の師であり老人の弟子だからだ。それに今の夢の所有者はあの百合の狩人だ。であれば、その配下にあるゲールマンが易々と頷いて良い問題でも無くなる。
「あの女ではない、貴方に教えを乞いたいんです。最初の狩人」
と、そんな困り顔の老人の肩に手を置いた者がいた。時計塔のマリア……老人が一心に愛を傾ける女性であり、狩人だった。
「いいんじゃないかな、老師よ。リリィには私から言っておくさ……奴も私の頼みは断れまい」
マリアがそう言うと、ゲールマンはようやく折れたようだ。義足を軋ませながらゆっくりと立ち上がると、膝を着いて少年の肩に手をかけた。
「少年よ、頭を上げ給え」
言われるがまま、恭介は老師の顔を見上げる。そこにはいつもの呆けたような老人の顔は無い。人生を極めた、荘厳な古狩人の顔だけがあった。
「君に何があったのかは分からない。どうしてこういった行動に至ったのかも」
思い出すのは、あの化け物が大切な人を殺そうと迫る瞬間。そしてそれを守る自分。大して何もできずに殺されるあの痛み。
「だがそれでも良いだろう。もう教える事も無いと思っていたが……私が君に、彼女とは違った狩りを教えよう」
灰は灰に。塵は塵に。人は誰しも自らの宿命からは逃れられぬ。それは狩人も同じであって、助言者であるゲールマンもそうなのだ。
ならば、彼はまた自らの役職に復帰するだけだ。最初の狩人、狩人の助言者。ゲールマンは再び、若者に狩りを伝授する。獣狩りならぬ、上位者狩りに熱を傾けるこの少年に。
教室に入るや否や、視線が痛い。もちろんその視線の主はさやかと仁美である訳で。それでも私はなんて事は無いように彼女達にも挨拶を済ませ、自分の席へと座る。なぁに、かつてヤーナムで受けた洗礼に比べればこのくらい可愛いものだ。罵倒と嘲りは狩人には付き物だとルドウイークも言っていた事だし。
マミも今頃自分の教室に着いた頃合いだろう。昨日は本当に、情熱的だった……失神してしまう程には。
昨日の事を思い返し、一人瞑想に耽っていると、先に来ていた隣の席のほむらが口を開いた。
「よく来られるわね」
「そうかい?だって言ったじゃないか、私は敵ではないとね」
「そう。いいわ。ワルプルギスの夜を倒すために手を貸してくれるのなら、別に」
あくまで彼女はドライだ。でもそれで良いのだろう、ほむらの目的はただワルプルギスを排除し鹿目まどかを守る事なのだから。今の私としてもそっちの方が都合が良い。
昨日のマミとの会話を思い返す。もちろんそっち方面の会話じゃない、真剣な今後について……ワルプルギス討伐についての議論だ。
今後、我々は目先の脅威であるワルプルギス討伐に向けて動くことになる。正義感の強いマミやなぎさは街の平和を脅かす超弩級の魔女を放っておく事を良しとしないし、狩人としても獣は狩らなくてはならない。それに、そんなに大きな魔女なのだ。さぞかし美しくて強い魔法少女の遺志を宿しているだろうから、夢に案内しなくては。
私のハーレムはまだまだ終わりを迎える事はないのだ。
昼食の時間となり、私とマミはいつものように屋上でお弁当を食す事となった。そしてそれは、日頃屋上を使用していたまどかやさやか、そして仁美も同じであるわけで。私達は、昨日の気まずい空気を背負ったまま邂逅を果たしていた。
警戒するさやかと仁美はまどかを背中に隠すようにしている……やめてくれ、その対応は傷付く。そんな中、昨日の一件以来ある種の成長を遂げたマミが謎の余裕を醸し出しながらベンチに座って見せた。
「ご飯の時間よ、みんな。いがみ合う時間じゃないわ。ほら、みんな座って。サンドイッチを作ってきたの、食べましょう」
そう言われ、さやか達は渋々向かい合ったベンチに腰をかける。私はゆったりとマミの横に座ると、学校の時計塔からこちらを監視するほむらと目があった。
「ほむら、君も来ると良い!」
そう彼女に提案すれば、時間が止まる。止まった時の中で、ほむらは華麗に飛んで私たちの目の前に着地してみせた。再び時間が進めば、唐突に現れた彼女にさやかは驚いたのだ。
お互い会話が無いまま昼食が進む。こう言う時、やはりまどかはその重苦しい空気に耐えられないわけで、時折愛らしい目をこちらとさやか達に向けて様子を伺っているようだ。
しばらくそんな時間が続いて、ようやく皆が食べ終わった時だった。ふと気になる事を対峙する四人に問いかける。
「織莉子とキリカは、あの後どうしたんだい?」
あの訳わかんない二人の事?とさやかが首を傾げれば、代わりにほむらが答えた。
「何もせずに帰ったわ。貴女、あの二人に何をしたの?」
「どう言う意味かな」
「呉キリカに変化はほとんど見られなかったわ。でも、美国織莉子は違う。あれだけ敵対的だった彼女がまどかを崇拝するようになっていたの……原因は、貴女じゃなくて?」
「てぃひひ……なんか、聖女様とか女神ってずっと言われてて……聞いてて恥ずかしくなっちゃった」
顔を赤らめるまどか。恥ずかしがる彼女も可愛い。
「さぁね。そもそも、少し前に彼女達の問題を解決してあげたのは君にも言ったね。それ以降特に接触もしていなかったんだが……」
けれどね、と私は。私なりに推測した事を言ってみる。
「きっと、織莉子は啓蒙を高め過ぎてしまったんだ。何かを予知したせいで、人の身には余る啓蒙を得てしまった。だからだろうね、昨日の彼女からは前とは異なる狂気を感じたよ」
何を見たのかは分からないが、きっとその予知において私の存在は彼女にとって都合が悪いのだろう。だから殺意全開で襲いかかってきた。彼女は聡明だ、恩人である私に攻撃をするなんてそれくらいしか考えられない。
「まぁ良い。君達の脅威でなければね……さて、さやかと仁美。君達はワルプルギスの夜についてはどの程度まで知っているのかな?」
「凄い強い魔女で、近いうちに街にやってくるってのはほむらから」
ふむ、その認識は概ね間違いでは無いが……まぁ良い。
「ほむら、ワルプルギスの夜が現れるのはいつだい?」
「……4日後よ」
「4日!?もうすぐじゃない!どうして早く言わないのさ!」
さやかにそう責められ、ほむらは目を逸らす。きっと伝え忘れていたのだろう。可愛いところもあるじゃないか。
「仕方ないじゃない、最近は色々立て込んでいたし……そもそも、武器の調達で忙しかったんだから」
ほむらが夜な夜な非合法な方法で武器をかき集めていることは知っていた。しかし、夢を駆使して物を収納する私が言うのもアレだが、小さな盾にあんなに大きな物が入るのだろうか。私が見ていた限りでは、大型のトラックをすっぽりと収納していたぞ。それに盗まれた方は大慌てに違いないし処分もされるだろう。あまり褒められたものではないな。
私は最後のサンドイッチを頬張ると、今度はさやかと仁美に話題を振った。
「二人とも、恭介とは話したかい?」
「……はい」
警戒する仁美が頷いた。
「そうか……ふむ」
「何が言いたいのさ」
考え込むような仕草をする私をさやかは睨む。
「いや、なに。昨日の夜から恭介が何やら私の住処で動き回っているようでね……同居人の老人に聞いてもボケているだけだし、お姉様に聞いても無視されるし……」
マリアお姉様に電話をかけた時の事を思い出す。昨日の事だ、マミの隣で寝ていると何やら使者達が騒いでいたから話を聞いてみれば(実際には彼らが用いた紙芝居での伝達)恭介が聖杯に潜って血晶石を集め回っているらしいじゃないか。聖杯の事は彼に話した事は無かった。となれば、ゲールマンかマリアお姉様に唆されたか。まぁ電話をかけてもゲールマンは耳が遠くて会話にならないし、マリアお姉様は即座に電話を切るし……
ちなみに電話は私がこちらの世界に来た当初に買い与えた。もちろん人形ちゃんにもだ。最近のマリアお姉様の趣味は動画配信サイトで猫の動画を見る事らしい……初めてあんなに狩り以外で生き生きしたお姉様を見たよ。
何にせよ、おめでとう恭介。君はこれで立派な地底人だ。そしてようこそ、確率とデブが支配する地獄へ。そのうちあのデブ達もやる気を失くすに違いない。
「あんたお姉さんなんていたの?」
「血は繋がっていないがね。それに、勝手にそう慕っているだけだ……そうそうさやか、君に個人的に聞きたい事があるんだ」
「何さ」
考えるのは、さやかの脳に居座るルドウイークの事だ。彼の事だから悪さはしていないだろうが、念のために聞いておく。
「ルドウイークを知っているね」
「先生の事知ってるの?ああ、そういえば先生も狩人だって言ってたっけ……知ってるよ。最近は夢に出てこないけど」
「ああ、出てきていないのか。なら良い。ただ、彼に会ったら言っておいてくれ。貴方の居場所なら用意するとね」
聖剣ともあろう狩人の居場所は少女の夢の中ではない。あるとすれば、狩人の夢だ。あそこならば狩場に困ることもない。いくら正義の狩人と言えども本質は血に酔っているのだから。それに、さやかに良い影響ばかり与えるとも思えない。月光が何を考えているのかは別として。
「あんた……先生とどういう関係?」
「敵だね。でも、それも過去の話さ。直接話した事はほとんどないが、それでも私は彼という英雄を好ましく思っている。英雄には英雄に相応しい場所を用意してやらないとね」
大きなお世話かもしれないが。それに、きっとだ。あの時のルドウイークは私に遺志を継いで欲しかったのだろうが、実際私に人々を導く事などできない。少女はともかくとして。その辺りの弁明もしたいのだ。
まぁ良い、と。私は立ち上がってマミの手を引く。
「ワルプルギスの夜との戦いは私も手を貸そう。どんな少女の成れの果てかも気になるしね」
「そう言って、ほんとはあんたのハーレム要員を増やしたいだけでしょ」
「もちろん。でも、それが救いになるのであればそれで良いではないかね?気高すぎる君には分からないかもしれないが、ね」
「やっぱり、私にはちょっとキツイわ」
バッサリとさやかに切り捨てられる。まぁ良いのさ。百合は百合同士で馴れ合えばね。
今日も呪われた聖杯に潜る。いつもの狩人装備一式にノコギリ鉈、そして獣狩りの短銃を手に。恭介は血に酔っている。狩りにも酔っている。それは狩人としてあるべき姿だ。だが同時に、血晶石にも酔っているのだ。理想の血晶石を手に入れるために奔走する。
だが、一人ではない。この呪われたトゥメル=イルの聖杯は危険である。ただでさえ深度が最大である事に加え、この呪われた聖杯は体力を半減する。いくら肉体的に強靭な狩人と言えども、ちょっとした攻撃で死ぬ可能性が出てくるのだ。だから、助言者が必要になる……恭介のような駆け出しの狩人には。
「帰って良いかな」
時計塔のマリア。長身でスタイル抜群、透明感のある声で一部界隈では大人気の狩人は、ボソッと呟いた。手にはスマートフォンが握られており、当たり前だが電波の届かない(そもそも基地局すらヤーナムには無い)この場所では大好物の動画も見られない。
戦闘においては比類無き強さを誇る狩人である彼女だが、どうやら狩人の夢に連れて来られてからは狩りに対する情熱も失せているようだった。
「それは困ります。道中はともかく、あの3デブは僕では荷が重いですから……」
私の時とは桁違いな程お姉様に対しては礼儀正しい恭介。仕方なくマリアお姉様はガックリと項垂れながら彼の後を歩いていく。
「ちなみに今日は何回くらい聖杯に潜る気だい?」
そう言われ、レバーを守っていたデブを狩り終えた恭介は答える。
「物理27.2%のスタミナマイナス血晶石が出るまでです」
お姉様は言葉を失う。下手をすれば夜中潜る事になるのだから。
部屋を入るなり3デブがダルそうに走ってくる。一日中色々な狩人に襲われていればそうもなろう。この聖杯に潜るような狩人からすれば彼らは単なる血晶石の道具でしか無いのだから。守り人とは名ばかりの哀れなる犠牲者だ。一時期私も潜りまくったからね。
何はともあれ、デブ達はあっという間に狩られた。真っ先に近接武器持ちが仕留められ、残された銃持ちデブは、え、あと俺だけ?といった顔をしている最中に内臓攻撃。
そして落とすは物理27.2のスタミナマイナス血晶石。一発目でこれが出るとは運が良い。
「よし、これで満足だろう。私は帰って動画を見る」
「待ってください、あと一つは欲しいんです。もう一回潜りますよ」
夢に真っ先に戻ろうとしていたマリアは絶句した。
「恭介、妥協も必要さ」
「いいえ、強さを手に入れるためには妥協はいりません。ほら、はやく夢に戻ってください。また聖杯文字を入れないと」
「最近の狩人は面倒だね……」
結局、その夜は一日中聖杯に潜る事になった二人。恭介はお目当てのものが出て喜ぶが、その後ろでは疲れ果ててゲールマンによる労いの言葉を無視して動画を見るお姉様が。猫達がお姉様の心を癒す事を祈ろうじゃないか。
雪が降る。風に乗って運ばれる水の結晶は露出した肌を痛めるほど刺激していた。
手足の感覚はほとんど無い。元々ひ弱な少女の身体でおまけに色素も薄い、凍傷になって腐り落ちるのはそう遠く無いだろう。人間とはそんなものだ。弱くて儚い、なんと不完全な生き物だろうか。
だからだろう。人とは願いを抱かずにはいられないのだ。そうしなければ前を向いて歩けない。今まで積み上げて来た失敗と死体の数々を踏み越えていけないのだ。
それでも、その少女は動けなかった。身体のあちこちにある怪我だけじゃない。目の前の光景に、私は心が折れているのだ。
雪原に死体が転がっていた。一つだけじゃない、無数にだ。私はそれらを見てただ立ち尽くすだけだった。
一番近い死体に目をやると、輝きを失った瞳と目が合った。知っている瞳だった。エメラルドのように美しい瞳が可愛らしい、仲の良い少女だった。鈍臭い自分をいつも助けてくれる、頼り甲斐のある少女だった。
胸から下が無いのだ。内臓は白い雪の上にぶちまけられて赤黒く染めている。吐き気すらも出て来ない。現実味がなさ過ぎる。あんなに強くて格好良い正義感ある少女が、こんな惨たらしく死ぬなどと。
ここには、そんな死体が無数に転がっている。その異常さに気がつけたのはそれから数時間してからだった。
一気に心からの震えが身体を襲い、膝から崩れ落ちる。魂が濁っていく感じがした。左手の中指を見てみれば、魂の代用品である指輪の宝石が濁っている。
獣のように、あれだけ仲の良かった少女の死体を漁る。ポケットから服の中に至るまで、彼女は漁り尽くす。そして目的のものを見つけた。綺麗な装飾の、小さな何か。
それを指輪に近づけると、魂が浄化される。濁っていた指輪は本来の白さを取り戻すと少女に生きる力を与える。その白さは、少女の髪の色にも似ていた。
流れるような美しい白髪をかき上げると、少女は立ち上がる。仲の良い者の死体を踏みつけ、臓物を踏み潰し、歩く。
「嫌だ、死にたく無い、魔女なんかになりたくない」
訛りのない、消え入るような声で彼女は呟く。最早彼女は人間ではない。だが化け物になるつもりもない。
「治さないと、身体、綺麗にしないと」
少女は歩く。どこにいくでもなく。
それは遠い昔、違う世界。少女は異形となってしまった身体の治療法を求めてひたすらに歩いた。