乳母
狩人の夢で。このみはいつものように、植物や花に水をやろうとしていた。決して天気が良いわけでも無ければ気温も高く無いこの夢だが、不思議と花はしっかりと育つものだ。
ここ最近では裏庭の花畑は恭介のトレーニングにおいて荒らされてしまうので、仕方なく彼女は水盆手前にて小さな花壇を作り花を育てている。もちろん私の許可を貰ってね。
なんてことはない、まだ芽を出したばかりの未来の花であるがそれでもこのみにとっては私から貰った大切な宝物であるわけで。ロスマリヌスいっぱいの水を運んでいると。
その女性はいた。花壇の前でしゃがみ、ようやく出てきた芽を指先で軽くつつき、興味深そうに見ている女性が。
珍しく人形は水盆の前には居ない。きっと裏庭でトレーニングに励んでいる恭介を見守っているのだろう。人形ちゃんも大概大きいが、その女性もしゃがんでいるにも関わらずその時点のサイズでこのみの身長を超していた。巨人と呼ぶに相応しい。
深紫の衣装に身を包み、顔はフードに隠れて見えない。このみは一瞬その不審な女性に声をかけるか戸惑ったが、生憎と百合の狩人の友人は唐突かつ不審な人が多い。今恭介の相手をしている烏羽の狩人という女性も、会話こそ普通にしているものの怪しいお面を被っている。だから今回も、怪しいのは見た目だけだろうと考えた上で話しかける。
「あの、狩人さんに御用でしょうか?」
問われ、女性はゆっくりと立ち上がってこのみの方へと向き直った。その大きさにこのみは開いた口が塞がらない。
3メートルはあるだろう身長を誇る女性は、それでいて華奢だ。一体何がどうなったらこんな人間が生まれるのか。しかしその大きさに似合わず、フードから僅かに見える顔はとても美しい。
女性はにっこりと微笑むと、このみに一礼して口を開いた。
「お初にお目に掛かります。私、あの方の乳母でございます」
かつてはメルゴーという上位者の乳母であった上位者。啓蒙を高めつつある恭介が見たら発狂していただろうか。だがこのみは無垢な少女だ。だから彼女の目にはお淑やかな妙齢の女性にしか見えない。
無知であり続ける事は罪に等しいが、果たして啓蒙低きは罪とはならず。人間など、すべてが全て悟りを開くまでもなし。
まぁ、それによく言うではないか。真実は無く、赦されぬ事などないと。ならばこのみが見る姿もまた真実なのだ。
それでも、瞳に宿す宇宙は拭えないだろうが。
下校になれば、私達は昨日のいざこざからやって来るギクシャクした関係を一時的に抑えて共に帰路へと着くことにした。相変わらずさやかと仁美は警戒しているが、まぁ良い。こうして六人で少女らしい下校ができて私としては嬉しい限りだからね。
だが、どうしてかな。運が悪いのだろうか。私がこうも少女らしくありたいのにも関わらず、不幸というものはやってくる。
「お待ちしておりました、聖女様」
礼儀正しく門で出待ちしていたのは、やはりというか美国織莉子と呉キリカの二人。心の底からまどかに畏怖と敬意を払う織莉子とは対照的に、キリカはどうにもつまらなそうというか、まぁ嫉妬している。乙女の嫉妬した顔というのもまた良いものだ。
織莉子は私を一瞥すると、まるで生ゴミを見るような目で視線だけを突き刺した。ゾクゾクっと私の中のイケナイ何かが芽生えそうだ。いやまぁそれでも恩人をそんな目で見るのはどうかと思うが。
「白百合さん?」
「あ、いやマミ……別になんでもないさ」
もうすっかり彼女だねマミは……ちょっとくらい他の少女に目移りしても良いではないか。
苦笑いして掛ける言葉に戸惑うまどかの前に、さやかとほむらという騎士様方が立ちはだかる。ああ、百合物にああいうどろっとした展開は付き物だろう。それもまた一興。私は久々にワクワクしながらその展開を見守った……片腕をマミに抱きつかれた状態で。
「あら、あらあらまぁ!聖女の守護者方ではありませんか!光栄ですわ、昨日は挨拶もままなりませんでしたから……そこの上位者のせいで」
ビシッと織莉子は私を指差す。いつ彼女は私が上位者であると知ったのだろうか。いや、答えはあった。まどかの肩にマスコットみたいに乗っかっている白い奴だ。
「おいキュゥべぇ」
「聞かれたからね。でもそんなに怒る事かい?上位者であるということは人間を超越しているという事だよ」
「デリカシーとプライバシーというものは君には無いようだね……君達の種族ごと狩りとってやろうかい?」
まったく、どうして純粋な上位者というものはこうも常識が無いのだろう。異なる世界の渡し屋なら常識ねえのかよ、と嘆くだろうに。
と、そんな私達を無視して織莉子は笑顔でさやかとほむらに歩み寄る。きっと今までこんな世界線は無かったのだろう、さやか以上にほむらは困惑と警戒を目の前のお嬢様に向ける。
そんなお嬢様はほむらの警戒心など気にせず、後ろで不満を募らせるキリカに向けて注意した。
「ほら、キリカ。聖女様方に挨拶は?」
「……うん。こんにちわ」
おやおや、彼女の愛を一心に受けられないからと拗ねる事はないだろうに。しかしあれだね、ボーイッシュ属性はさやかと被るね……キリカの方がより男装が似合いそうだが。
「えっと……美国さんと呉さん……でしたっけ?」
困ったように微笑むまどか。確かにあの笑顔は聖女級だ。
「それで。あなた達の目的は?」
ドライなほむらがまどかを隠すように立ち塞がった。百合の三角関係らしくて大変よろしい。
「せっかくなので、私達も帰り道を御一緒にできればと思いまして。それにその上位者が聖女様の近くにいるなど気が気でないですもの」
「君、私一応恩人だからね」
私の言葉は間違っていない。
平日の昼寝。それは禁断の果実。社会では大人達が汗水垂らして働き、学生ならば学業で眠気と闘っている時間だろうか。そんな中、惰眠を貪り夢を見るという行為はとんでもなく罪深いだろうさ。
その理論からすると、佐倉杏子という人間は大変罪深い。好きな食べ物を食べ、眠くなったら寝る。確かに魔女狩りは大変だが、それでも平日働いているよりはマシかもしれない。
今も杏子は寝ている。美樹さやかという色々と気になる少女の家に一時的に居候させてもらい、家事をするでもなく彼女の部屋のベッドに横になっているのだ。
「ぐが〜……んあ」
そんな彼女が目覚めた。タオルケットをかけていたはずなのに、妙に肌寒かった。重い目蓋を擦り、起き上がる。
最初は寝相の悪さのせいでタオルケットがずり落ちてしまったのだと思ったが。寝ていたはずのベッドのふかふか感触もなく、硬い……どうやらいつのまにか自分はベンチのようなものの上に寝ていたようだ。
「……ていうかよ」
段々と冴える頭で、周囲を見渡す。
「どこだ、ここ」
廃墟。まさしくその言葉が当てはまる場所に彼女はいた。
魔女の結界にいつのまにか囚われてしまったのかとも疑ったが、魔力の気配は感じられない。観察のために周囲をよく見渡すが、どうやらヨーロッパ風の廃墟のようだ……城なのか教会なのかは分からぬが、そういった風情がある。廃墟なのを除けば、ここは趣のあるだけの場所だった。寒いけれど。
とりあえずはこのよく分からない建物を出ようじゃないか。杏子の思考はざっくりしている。もし敵がいるのならば切り捨て、そうでなければその時に考えれば良いと。
「訪問者よ」
だから、その声が聞こえてきた時には思わず警戒心が勝ってしまって。一瞬のうちに魔法少女へと変身して槍を取り出した。
「誰だ!」
その声に答えるは、冷血なる声色の。それでいて威厳のある透き通った声。
「人無きとてここは玉座の間。武器を納め、故無くばそのまま去り、或いは我が前に跪くがよい」
いた。数十メートルさきの、ステンドグラスから漏れた光が当たる部分。それは昔に絵本で見た、王様が座っていそうな場所。そこに、女性がいる。
仮面を被った女性が。赤いドレスに身を包み、静かに杏子を眺めていた。
「何言ってやがる!私をここに連れ去ったのもお前だろ!」
「無礼者」
「っ、!」
たった一言。静かな、それでいてとても威圧感のある一言だった。
杏子はベテランの魔法少女である。闘ってきた相手は魔女だけではない、縄張りを荒らす魔法少女とも戦ってきた。その中には巴マミに匹敵するくらいの強さを誇る魔法少女だっていた。それらを全て負かし、彼女は生き抜いてきたのだ。
それが、たった一言で打ち負かされるとは。杏子は警戒心をそのままに、純粋な気持ちでその女を間近で見てみたくなったのだ。
「穢れたとて私は女王。礼儀を知らぬ獣風情に賜う言葉など持っておらぬ」
そう言われ、杏子は渋々武器を仕舞う。そして、自らを女王と名乗る女の前まで足を運んだ。
「あんた」
「跪け」
「はい」
あの杏子が従順だとは、さやかが見て笑うかもしれないが。それでも目の前の女には従わなければなるまいと魂で感じる。そしてそれは、正しい。
私も最初は無礼者と罵られたものだ……あれは良い。俗物とも言われてみたいものだ。
跪いた杏子に女王は言葉をかける。その声はやはりいつ聴いても美しい。宇宙要塞の総帥にでもなってそうな声だ。
「ほう……訪問者。月の香りを僅かに漂わせる異形の者よ。狩人では無いな」
「はぁ」
「私はアンナリーゼ。この城、カインハーストの女王。穢れた一族の長、即ち教会の仇……と言っても、貴公にはわかるまい」
クスクスと、女王アンナリーゼは微笑う。鉄仮面を被るその女王に杏子は目が離せなかった。心が平伏したがっていたのだ。分かるよ、私も一時期他世界に侵入してまで血の穢れを彼女に運んだものだ……指輪まで渡したが、結局求婚は失敗した。喜んでもらえたけれど。
女性は王座に座ったまま、言葉を続ける。
「今となってはただ唯一の血族しか残らぬこの私に、何用かな?」
「……私が聞きたいんだけ……ですけど」
会話が止まる。だがアンナリーゼ様はそんな杏子を笑った。
「フフフ……その様子だと、貴公。あの者の啓蒙に当てられたか。それとも、別の何かに魅入られたか」
女王には何か見当があるようだった。思うは、あの求婚までしてきた百合好きの狩人であり上位者か。それとも仇である教会の英雄が崇める月の光か。
どちらでも良い。今の杏子はまだ無垢な少女なのだから。穢れすらも知らぬ、美しい少女なのだから。
「久々の訪問者だ、無碍にはすまい。貴公、気づけばここにいたのであろう?」
「はい、そうです」
「ならば、帰るが良い。その灯りを辿れば、元の世界に戻れるだろう」
アンナリーゼが杏子の横を指差す。そこには紫色のランプが弱々しくも灯っていた。
「あやつも最近は謁見に来ないからな……灯は脆弱になっているが、使えるだろう」
そう言えば、アンナリーゼは杏子から興味を失くした。元のようにただ椅子に深々と腰掛け空を見るのみ。
「あの、女王様」
だが啓蒙に導かれた少女は去らぬ。なぜだか目の前の女性に惹かれてしまったのだ。
禁忌の血に惹かれたのか、それとも女性の心と魂に惹かれたのかは分からぬ。だがどうしても杏子には確かめたい事があった。
「発言を許そう」
「一人ぼっちが、寂しいんですか?」
再び時が止まる。しばらくして、アンナリーゼが口を開いた。
「無礼者……と、言いたいが。フフフ……存外に良い目をしている。あの者とはまた異なった啓蒙があるようだ」
妖艶に女王は笑う。
「そうだな。そうかもしれぬな」
孤独を女性から感じた。その声色に優しさも感じながら。
今思えば、もうこの時から魅入られていたのだろう。だから杏子は逃れられない。ただその熱い血を求めるのみだった。
誰に啓蒙されたのかは分からぬ。だが啓蒙とは、正しく啓智なのだ。だから目の前の女王にどうすれば良いかは分かるものだ。
自然と杏子の手はアンナリーゼへと伸びていた。まるでその血を求めるように。啓蒙とは、便利なものだな?ミコラーシュよ。
「ほう……敢えて異端となることを望むか。誰に唆されるでもなく、自らに降りた啓蒙を導として」
女王は穢れた血の血族、その長である。しかしいくら赤子を抱かんとすれど人の心までは捨て切れぬ。
だから私の求婚も断った。もう孤独は嫌なのだと、難しい言葉を並べても。
「よくわかんないけどさ」
杏子は自らの言葉を綴る。
「初めて会ったし、私だって混乱してるけど、それでもなんだか貴女だけは見捨てちゃいけない気がするんだよね……あっ」
無礼な言葉を用いた事を詫びようとする杏子を、アンナリーゼは制した。
「良い。貴公は血族に名を連ねる覚悟を持つ者だ、多少の無礼は許そう……前例がない訳では無いしな」
思い返すのはあの月の香りの狩人。最終的にはどこからか古き婚姻の指輪を持ってきて迫ってきた。さすがのアンナリーゼもあの時ばかりは身の貞操を危ぶんだという。一体何をしようとしたのだろうか。
椅子に座る乳母の前にこのみは紅茶を出す。乳母は礼儀正しく感謝の言葉を述べると、ソーサーを手にして紅茶を一口。甘めが好きなのだろうか、飲む直前には角砂糖を二個も溶かしていた。
「美味しい。ありがとう」
にっこりと微笑む乳母に、このみの胸がときめいた。なるほど、あの狩人が百合好きになるのも分かってしまうなとも思う。あの狩人が連れてくるのは大体が美人だ。前のツンツンした少女と良い、街を歩けば男が放って置かないだろう。
このみは笑みを向け、そのまま去る。残されたのは、黒装束に身を包んだ烏のような仮面をした狩人と、紅茶を飲みながら猫の動画に夢中な時計塔のマリア。
「なにさ、こんな時くらいやめなよ。せっかくの紅茶が不味くなるさね」
いつかのヤーナムで聞いた老いた声では無い。麗しい女性の声で、その狩人……烏羽の狩人は言う。しかしマリアお姉様はんー、とだけ言って動画を見続ける。仕方あるまい、これが彼女の生き甲斐なのだから。
「しっかし、奴も隅におけないね。わざわざ上位者が会いにくるなんてね」
烏羽が仮面を脱ぐ。フードで隠れているが、美人であることには変わりなかった。いつも脱いでくれていれば良いんだけれど……折角私の眷属になって若さを手に入れたんだから(瀕死の彼女に勝手に血を注入した)。
「ええ、最近連絡もありませんでしたから。乳母としては気にもなりますわ」
クスクスと笑う乳母。そういうものかね、と烏羽は納得して出されたスコーンを口にする。
しばらくそんな風に姦しいお茶会がなされていたが。突然の来訪者によってその良き時間も壊される事となる。
ゲールマンとマリア、そして烏羽によってズタボロにされた恭介が乱入してきたのだ。
「また上位者かァ!」
輸血すれば良いのにそれすらも忘れ、上位者である乳母を血眼で睨む。手にはいつものノコギリ鉈。つくづく彼も狩人だ。
「あら……月の香り。噂のお弟子さんかしら」
そんな恭介を意に介さず、淡々と推察する乳母。恭介はそんな彼女に斬りかかろうとして。
「やめないか馬鹿弟子」
またも突然現れた制服姿の私にエーブリエタースの先触れによって吹き飛ばされた。まったく、彼は毎度血気盛んだね。
窓から吹っ飛んでいく恭介……あれは死んだね。まぁ良い、地底に潜るだけでは心に良く無いだろう。現世でしっかりと休むが良い。
私は埃を払うと、空いた席に腰掛ける。
「久しぶりだね、乳母。メルゴーは元気かな」
にっこりと彼女に微笑むと、彼女も小さく頭を垂れた。ああ、少女も良いが乳母くらいの年齢の女性もまた美しい。
「それと、アイリーン。いつになったら君は私といちゃついてくれるのかな?」
「寝言言ってんじゃ無いよ」
「最近の婆さん怖いや」
せっかく眷属となったのだからそれくらいは許してほしいが。満更でも無いくせに。
さて、話題を変える。
「今日はどうしたんだい?」
乳母にそう尋ねれば、彼女は落ち着いた様子で言う。
「貴女のお父様から伝言を預かりまして」
言われて、私の顔は渋くなる。
「……ああ、そう言うことか」
実の父では無いが。まぁ、なんだ。上位者としては父のようなものだ。あの親馬鹿め。
月の魔物という上位者がいる。赤子を求めてヤーナムを荒廃させた張本人だ。私が上位者になったのも、へその緒を使って彼の血を浴びに浴びたからだ。
高位の上位者は物理的には死なない。その本体は高次元暗黒に潜み、現界する際は分身を用いるのだ。だからあの魔物も死んではおらず。定期的に愛娘である私を気にかけて手紙を使者経由で寄越す。あまりのウザさに返信すらしないが。
「そう邪険になさらず。あのお方もお嬢様が心配で仕方ないのです」
「どうだか。夢に来ればゲールマンが黙ってないよ。まぁ良い、それで?」
乳母はまた一礼して、言伝を言葉にする。
「今の計画を諦めなさいと」
「ふざけるなと言っておいてくれ」
思わずバキッと手にしたカップを割ってしまった。だが乳母は私の怒りを他所に淡々と言う。
「相手が悪いと仰っておりました」
「それはインキュベーターか?それともワルプルギスかね?どちらも私の敵ではない。狩り殺すだけだ」
いいえ、と。乳母は首を横に振って真剣な面持ちで私を見据えた。
「鹿目まどかという少女です」
私は怒りを忘れて目を丸くした。そしてあの可愛らしい笑顔と、織莉子の言っていたことを思い出す。
メルゴーの乳母は完全に想像です