瀉血
私は自分の世界と引き換えに新しい世界を得た少女。
失った世界とは、まさしく自分の存在。私が世界に存在していたという証明。それはしかし、完全に成し遂げられた訳ではなく、大切な友が覚えていてくれた。故に私という存在は、世界において完全に消滅したわけではない。
失ったと同時に得たものは、完璧な百合の花畑。いつか人を超えた狩人が作りし偽りではなく紛う事なき百合の園。私が一から手を入れ育て、すべての百合は私を愛し、また私も百合を愛する。ただ一人を除いて。
愛とは何物にも優る深くて暗い人間性の塊。火の時代、神々はとうとう人間性の本質を理解する事なく滅び果てた。いかに啓蒙高き彼らであろうと結局は根源には至れず、その闇に飲まれたのだ。
けれど、けれどね。私は違うよ。私は瞳を開いて人間性の真価を知り、熱くて暗い魂を抱いて自分の世界を売った。そうして一つ、二つと次元を超えて神すらも超えてみせた。
パパもママも、たっくんとも会えなくなったけど。それで後悔するはずがない。未だ私を受け容れぬ白百合に世界を売った女だと詰られても、私は進むのだ。
私の百合園に、最後の白百合を植えるために。それはある種、愛の究極と言ってもいい。
放課後を知らせるチャイムが学校中に鳴り響く。それと時を同じくして学生達はそれぞれの行動へと移る。それは部活動だったり、はたまた帰宅だったりとするわけで。特に部活動をしていない私には帰宅以外の選択肢は存在しない。
カバンを取り、部活動へと向かうタツヤをまどかが見送る。タツヤが教室のドアを出るとすれ違いでマミが和かな笑みを見せて入室してきた。
「さ、帰りましょうか」
まどか達は頷き、さやかと杏子はいつものように軽口を叩き合い。仁美は多忙である恭介の愚痴を溢し、まどかが苦笑いする。そんないつもの光景。ありふれた日常。
けれど、ほむらだけは。どこか浮かない様子で俯いている。夕陽に照らされた黒髪の美少女はとても絵になるものだ。それがどんな表情であれ、憂いた貌であれ、美しく貪りたくもなる。私は教科書をまとめるとカバンの中に整頓して突っ込み立ち上がった。
教室から出るまでに、まどか達が何かを話していた。その間私とほむらは終始無言でそれぞれの考えを巡らせていたのだろう。
「これから皆で買い物に行かない?、って話になったんだけど、ほむらちゃんとリリィちゃんはどうかな?」
屈託の無い笑顔でまどかが提案した。私はほむらの様子を見つつ、まだ返答を返さない。きっとこの後、ほむらには何かあるのだろうから。
「えと……ごめんねまどか、今日は予定があって……」
そうほむらが告げれば、まどかはちょっぴり眉をハの字にして可愛い顔を困らせてみた。
「そうなの?残念……」
それは心からの言葉なのだろう。鹿目まどかという少女は純粋で、無垢で、そして汚れない少女だ。少なくとも目の前の桃色の少女はそうであるべきなのだ。
そして私がすべき返答は一つ。
「私も……今日は都合が悪くてね」
「あら、リリィさんも?」
「すまないねマミ。家族で夕食に行く約束をしているんだ」
もちろん嘘だ。今日は帰りが遅くなると母には告げているし、きっと姉は今日もまどかの母とどこかで飲んでくるのだろうから。毎朝起こす身になってほしいものだ。
と、その時さやかが杏子に同じ問いかけをしてみせた。私はてっきり杏子も買い物に行くのだと思っていたが、どうやら杏子は気分が乗らないらしい。これは少しばかり、ある意味心強いかもしれない。
そうして、私たちは買い物組と別れる。マミ達は早速早足で買い物へと出かけ、それを見計らったようにほむらが私と杏子に声をかけた。
「あの、ちょっとよろしいですか?」
ゆっくりと時計の歯車は動き出し、舞台は廻り始める。
夕日が映える校庭横のテラスにて、私たち三人は無言で紅茶を嗜む。この中学校に相応しく無い美しいテラスは、用務員の老人が勝手に拵えたものらしく、彼の趣味でもあるガーデニングも相まってよく整備されている。ちなみにこの紅茶も用務員の老人が淹れてくれたもの。長身の老人は、その歳に見合った皺を微笑ませると語った。
「ここは学生達が悩みを明かし合うには良い場所だ。私は、向こうで休んでいるから、君達もゆっくりして行くと良い」
「ありがとうございます、ゲールマンさん」
きっと、外国で生まれたであろう義足の老人に感謝を告げた。彼は麦わら帽子に手を添えると紳士のように頭を下げ、そして退場する。これで良い。私たち三人が残されたのだから。
そして、ほむらは神妙な面持ちで時を待つ。そこにいつもの気弱な少女はいない。何か明確な意思、それも覚悟に似たものを抱いた少女。
最初に口を開いたのは杏子だった。きっとせっかちな彼女はこの空気に耐えられなかったのだろう。
「んで、話って何さ」
その問いに、ほむらは紅茶を一口含んだ後に答えた。
「二人とも。最近、何かがおかしいと思った事はありませんか?」
私は表情を変化させる事なく、ただ時を待つ。
「はぁ?何かって……なにさ?」
だが、ほむらもその違和感を言葉にはできないようで。
「それは、その……何となく。でも」
瞳に何かを宿して。ほむらは告げる。
「何もかもが」
その突拍子もない言葉に杏子は笑いを堪える事はなかった。
「アッハハ、なに言ってんのあんた?大丈夫?」
「……誰よりも先に、佐倉さんと白百合さんに相談したのは……だって、貴女達が一番変っていうか……」
最早感想とでも言えば良いほむらの言葉に、杏子は戸惑いを隠せなかった。
「はぁ!?」
「私の中の二人の印象と、その……あまりにも食い違っているんです。あ、でも白百合さんは何ていうか、その……最近は妙にしっくりくるんですけど」
ふっと、私は口許を綻ばせる。決してほむらを笑ったわけではない。紅茶の入ったカップをソーサーに置くと、私は反論しようとする杏子を手で制した。
「私もね、ほむら。最近何かおかしいと思い始めていたんだ」
脳に潜む何かが囁く度に、私の知識が増えていく。しかしその知識はあまりにも現実と食い違っていて。だがそれを単なる妄想と断定するにはあまりに現実味が帯びすぎているという矛盾。
それは啓蒙と自らを嘯く。けれど啓蒙とは、まさしく人を知によって導く事。故に正しくなければならないだろう。
そしてその啓蒙は私の脳に新たな知識を与える。それは佐倉杏子という孤高の魔法少女の人生。正義に失望し、しかしそれでもがむしゃらに生き、そして新たに得た正義と共に散り行く定めにあった少女。そしてその行いは、穢れた血により歪められた。
「そもそも、おかしいんです。佐倉さん、今のお住まいはどこですか?」
「そりゃ、さやかの家に居候してんだよ。あんたより先に転入してきたんだ。それくらいあんただって知ってんだろ?」
「質問を変えよう杏子。それはいつの事だい?」
私の問いに、杏子は即座に答えようとして悩んだ。
「えっと、去年の……ううん?あれ、いつだったっけな……でもよ、何でそんな質問を?」
次にほむらが質問する。
「見滝原に来る前はどこに?」
ここまで来るとほむらの目的が見えてきた。この質問に杏子は即座に答える。
「隣の風見野だよ。あっちの街が平和になったから色々と難儀してるっつーマミの縄張りを手伝ってんじゃねーか」
「なぁ、杏子。君は一体何のために風見野で悪夢狩りをしていたんだい?」
え?と尋ねられた杏子は訝しむような目で私を見た。
「そりゃあんた、もちろん街の平和を……あれ?」
「なぁ杏子、おかしくないかい?君はそんなに人々の平和に頓着するような魔法少女だったかな?ならばなぜマミから一時的とは言え離れたんだい?平和に限ればマミと共にいれば風見野程度のエリアならば君達二人でカバーできたはずだ。だが君は一度はマミの下を離れて一人孤独に風見野を狩場としていたんだ。それはなぜなんだい?」
質問で彼女の脳が飽和する。彼女の存在は矛盾だらけだった。私のイメージでは、彼女はさやかと会うまでは正義やら人々の平和やらを鑑みるほど理想主義者ではなかったはずだ。むしろアウトロー。自らの生存のために敵を狩るのだ。
そのイメージはほむらとも、そして杏子とも共有しているようだった。故に杏子は自分の存在を訝しむ。だがそれで良い。思索無くして進化は得られぬ。人とは正しく考え、啓蒙を得てこそ初めて人たり得るのだから。
故にほむらは提案する。
「二人とも。今から風見野に行ってみませんか?」
それは思索に近い。謎を解き明かすために自らを深みへと誘い込むのだから。
そうして私達はバスに乗り、沈む太陽を眺めながら道を走る。日頃使っているバスは順調に進んでいたはずだったのに。
道中無言で私たちは椅子に座っていた。二階建ての風情があるバスの上。そして風見野の手前で杏子は停車のボタンを押してみせた。何事もなければこのバスは風見野へと辿り着く。
けれど、けれどね。悪夢は巡り、終わらないものだろう?
バスのナレーションは過ぎ去ったはずの地名を読み上げ。私達は見滝原を出る事はなかった。まるで輪廻に囚われた哀れな不死人のように。そして明けることのない狩りの夜に閉じ込められた血生臭い狩人のように。
慌てる杏子とは対照的なほむらは、バスを乗り換えることを提案し。それでもバスは辿り着かず。
「おいちょっと待てコラ!」
暴れようとする杏子の腕を、私は取った。
「やめたまえよ、杏子」
動じず、私は彼女を制すれば仕方無しにバスを下車する。
「あそこの三叉路を左に行けば風見野……でしたよね?」
「ああ……」
三人で徒歩で風見野へと向かう。しかしその道は、あり得ないほどに長く。そして進めば進む程に暗く闇が広がって行く。まだ日没には時間があるにも関わらず。そして私達は気づかされるのだ。風見野など存在はしない。迷宮の中、我々は運命に嘲笑われているのだという事を。
見えた看板を見て杏子が言う。
「嘘だろ……」
見滝原二丁目。つまり、私達は気付かぬうちにまた戻ってきていたのだ。
「私も貴女も、あんな大きな三叉路に気付かずに素通りするほど馬鹿じゃないはずですよね」
驚くほどに冷静なほむらが言う。これこそ私が知る暁美ほむら。知に優れ、冷酷で、容赦の無い魔法少女。その片鱗を見た。
同時に私は宇宙から啓蒙される。それはもう、答えのようなものだった。真理、真実、禁断の智。人はそれを神の啓示だと言う。だがそんなものはどうでも良い。今の私に明確な答えを、授けてしまった。
故に絶望した。
「やりきれぬものだな」
二人の背後で私は俯く。
「あんな生温いものが悪夢などと欺かれていたとは……ふふ、ふふふ、そうか。結局は欺騙。すべては彼女の手の内か。悪夢とは、つまりまったくそれで良いのか」
瞳に浮かぶはあの女神。私を貶め辱め、その魂を奪い去った円環の理。心優しき乙女が人間性を理解し掌握し、深淵へと至などとと、誰が考えようか。あまつさえ暗い魂を我がものとするなどと。私の花園が、奪われたなどと。
私は膝をつき、空を仰ぐ。陽は沈み、夜が来る。それは獣狩りの夜では無い。ただ変わらぬ平和を偽るための絡繰り。夜とは即ち繰り返される。かつて私が青ざめた血を求めたあの日のように。
「私は認めたく無いのだな。認めるには、この日々はあまりにも理想的だった。甘く、優しい日々を、きっと私は求めていたのだろう」
「白百合さん……」
きっとほむらには、私の言ったことが分かったのだろう。理解もしたのだろう。しかし杏子は。穢れた血を分け与えられた哀れな少女は現実を否定したいのだ。
「これは、幻覚だ!あたしたちを見滝原から出さないための……」
「そんな生易しいものじゃない」
変身しようとする杏子を、ほむらは制した。かつての冷酷さを貌に宿し。
「もしかしたら、この見滝原には外なんて存在しないのかも」
それは正しい。そもそも、これはただの見滝原ではないのだから。ほむらは眼鏡を上げると安心させるように笑みを見せた。
「この事は、しばらくみんなには内緒にしておいて。私だけでちょっと調べたいことがあるの」
その頃には、ほむらは完全にあの頃へと戻っているようだった。本来の自分を取り戻したのだ。否、彼女に取っての本来とは正しく数日前までの彼女だったに違いない。
「バカ、こんな妙な事を放って……」
「大丈夫。ここは気付かなかったフリをしていた方が安全だと思う」
私達の周りを、死人のような人々が囲んでいた。虚で、魂は無く、ただ忠実に言いつけを護る守護者たち。それらはただ私達を見つめる。
ほむらには元凶に心当たりがあるようだった。そしてこれは下手に動けば動くほどに追い詰められる罠だとも看破している。故に彼女は一人で動く事を提言した。それに、この元凶は今まで手を出して来なかったと言うことも合わせて。
「大人しく騙されている限り危険はないはずよ」
断言する彼女に、杏子は渋々納得して見せた。
「分かったよ。確かに……私の記憶。色々と食い違っているのかもしれない」
その隣で私は全身から血を吹き出した。気がつけば私は宇宙と交信し、高すぎる啓智によって発狂していたのだ。だが杏子とほむらはまったく動じない。まるで見慣れているかのように。
「こいつも、あんたもさ。妙なんだよ」
そして一度得た啓蒙は、脳に寄生する。
「小難しい事を呟いていきなり血を吹くリリィも、強気なあんたも初めて見るはずなのに……全然意外って感じがしねぇ。むしろしっくりするくらいさ」
そう言って杏子はリンゴをほむらに投げ渡して去っていく。後に残されたのは失意の内に呆けている私とほむら。
「覚えているのは君だけではない」
だから私は、彼女に告げる。
「魔法少女が希望を産み出すのならば、魔女とは絶望を産み出すもの」
立ち上がり、血を拭ってほむらの両肩に手を置いた。
「君。未だ瞳を授からぬ身であるが、忘れるなよ」
強張る彼女の瞳を、脳の奥から覗くのだ。
「否定すれど、結果とは変わらぬものだ。くきききき……百合を大切にな、同胞よ」
宇宙は私に告げるのだ。この世界のすべてを。私が為すべきすべてを。
「遅かったな、リリィ」
風呂上りの父はリビングでテレビを眺めながら言った。私はいつも通りの笑みを見せながら頷く。そしてソファにもたれる父の後ろから、彼を抱きしめた。
抱擁。この場合、獣ではない私が齎す抱擁とはカレルが見出したものとは意味が異なるのだろう。上位者であり狩人であり、そして魔法少女である私の抱擁が齎すものとは。それは父への愛。上位者としての敬い。そして狩りの対象を逃さないと言う意志の現れ。
「おいおい、なんだ突然?反抗期の前にデレ期が来たのか?」
私は何も言わず、ただ父の男臭い肌の匂いを嗅いだ。
「あらあら、リリィったら。ご飯ができたわよ」
母と人形が夕飯を食卓に並べ、珍しく自室にいる姉を呼ぶ。そうすれば家族が揃い、仲良く皆で席につくのだ。
父のいただきますという合図で、各々が食事をする。私を除き。私はただ、その光景を笑顔で眺めていた。幸せな家庭。ありふれた日常。それがどれだけ素晴らしいかなど、今の今まで考えた事はなかった。その余地は無かった。知るはずもなかった。私は呪いに生まれ、死ぬ事を赦されず、狩りに明け暮れたのだから。こんな平凡を知る由は無いだろう。
そのうち、食に手をつけない私を家族全員が不審がった。不気味なまでに笑みを見せている私に、父が質問したのだ。
「どうしたリリィ?腹が減ってないのか?」
「まぁ、リリィったら。まさかお友達と夕飯を済ませてきたの?もう、なら連絡しなさいな」
「リリィ、食べないなら私が貰ってもいいかな」
「マリア様、御行儀が悪いです」
家族が、偽りが、喋り出す。私はずっと、無言で笑顔でそれを見る。
「我ら血によって人となり、人を超え、また人を失う。知らぬ者よ、かねて血を恐れたまえ」
悪夢は。醒めなければなるまい。
私は狩人。獣と、上位者と、悪夢を狩る使命を帯びた狩人。
剣を振り上げる。唖然とした家族に。瀉血は既に済まされた。ならば血を取り入れるのだ。
私は正しく、幸運だ。血の医療とは齎されるばかりでは無いのだ。私から、自らが施す事によって完成する。
悲鳴。食卓は私が望んだように血で染まる。そうしてすべて狩り尽くす。治療とは時に荒くなければならない。
リゲイン完了
どこまで書いたら良いかアンケート取ります。反映するかしないかは気分です(横暴)
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アニメ本編のみ。あともうちょい
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叛逆。展開は変えるかもしれません
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叛逆後も。クオリティ低し(断言)