時計塔のマリアの憂鬱
時計塔のマリア。その名はヤーナムにおいてはありふれた夜の噂の一つである。
曰く、古狩人であったと。曰く、獣狩りの夜の中、血に酔いしれていつしか理性を失ったのだと。そんなたわいも無く証拠も無い噂。だが共通して語り継がれている事は彼女が絶世の美女であり、獣に対して猛威を奮ったという事だ。
事実、悪夢で出会った時計塔のマリアはトゥメルの血の能力も相まって驚異的な強さを誇った。分離する刃は長く重く、そして多彩な技に応えるだけの精巧さを誇り、振り撒く血はそのすべてが剃刀のような鋭利さを持ち、燃え滾る血族の証は火炎瓶など比較にならぬ。離れれば左手のエヴェリンで容赦無く射抜かれ、その隙に内臓を引き抜かれるだろう。
確かに彼女は強い古狩人だった。美しく、悪夢の中に佇む一輪の花だった。それはこの、百合の狩人が保証する。
そして今、彼女の装束は気高い狩装束ではなく。ややくたびれた安物のビジネススーツを着込み、流れるような銀髪は少しばかり跳ね、目の下にはクマができている。そこにかつての誇り高き狩人の姿は無い。残念な美人が仕事で疲れているだけだ。
おまけに彼女の背には酔い潰れた女性がぶら下がっている。時折嗚咽し嘔吐しかける彼女は、小百合マリアという懐かしい偽名を用いる時計塔のマリアの、今の上司。
鹿目詢子。あの偉大なる聖女、鹿目まどかの母である。
「詢子さん、絶対吐かないでください」
うんざりしたようにマリアは背後の上司に言う。だが上司はあーだのうーだの要領を得ない回答をするばかりだ。
どうしてこうなったのだと、毎回思わずにはいられない。自分はヤーナムの狩人であり獣を狩る事こそが役目なのに。なぜあの悪夢に引き続き自分は一見滝原市民として、こうして毎日デスクワークに励んでいるのだろう。
そもそも彼女達、現青ざめた月の眷属であるならば夢に帰ることができるのだからこの役職を放棄できるのにそうしないのは、ただマリアが勝手に消え去って鹿目詢子に怒られるのが怖いからだ。彼女は本当に恐ろしい。それこそ聖杯に潜む獣など取るに足らないくらいに。……夢に消えたならば直接怒られる事もないのでは?
とにかく、これはもう恒例行事だ。ストレスの溜まった上司に連れられ飲み屋を梯子し、アルコールに酔えないマリアがおぶって彼女を家に連れて行く。奢ってもらえるとはいえ、それをほぼ毎日続けていたらいくら狩人とて身が持たぬ。これをアルハラと言うらしい。
「詢子さん、ほら、着きましたよ」
「う〜……マリア胸小さい」
「狩りますよ」
おんぶされているのをいい事に上司がマリアの胸を揉む。いっそのこと狩ってしまおうかとも思ったが、そんな事をすればあの女神が何をするか分からないし、マリアの妹という事になっている上位者も非難するだろう。
鹿目家に辿り着けば、いつものように妻の帰還を待っていた夫が申し訳なさそうに出迎えてくれた。彼に詢子を任せば、ぐでっとフライパンの上の卵のように彼女は倒れ込む。
「すみません小百合さん、いつもいつも……今紅茶を淹れてきますね」
草食系っぽい旦那さんが上司を担いでリビングへと消えていく。上司曰くあの気弱そうな旦那さんもベッドの上では獣と化すらしいが、マリアにはどうでも良い事だ。我が家ではそんな事は決して起こり得ない。なぜなら皆が皆、血は繋がっていないし(特殊な事情は除く)、そもそも不死人に性欲は無い。父は父で、妹の父をしっかりとこなせていると言う事が幸せらしいし、母役の上位者も母という役割が気に入っているらしく毎日マリアと妹を甘やかしている。その妹も、最近はやたらと少女達を連れ込んで何かをしている……想像に難くはないが。
「はぁ……」
玄関に座り込み、マリアは項垂れた。死して尚悪夢に囚われ何年も迷い込み秘密を暴こうとする輩を排除してきた彼女だが、こんなのが毎日続いていくと考えるとストレスしか溜まらない。救いがあるとすれば休日に通っている猫カフェくらいだろう。
一人悲しく哀れな独身女性は紅茶を待つ。すると、背後の二階へと続く階段から気配がした。小さな足音だ。
「ママ、帰ったの……」
振り返れば桃色の髪をした少女。時計塔のマリアを見て固まる少女が、そこにはいた。可愛らしいトレードカラーのピンク色のパジャマを着た女神。彼女はマリアを見て何を思ったのだろうか。
目の合った二人は何も言わず、しばし見つめ合う。
「まどか、どうしたの……」
また、来客が来た。この場合マリアの方が来客だがどうでも良い。彼女をここに繋ぎ止めた張本人、即ち悪魔である暁美ほむらが、グレーのパジャマを着て階段を降りてきたのだ。
ほむらはキッとマリアを睨み、まどかの前に立ち塞がる。何を勘違いしたのかは知らないし興味が無い。ただマリアは疲れた瞳で青春を謳歌する彼女達を見ただけ。
「……えっと、マリアさん?ママを送ってくれたんですか?」
可愛らしい小動物のようにおどおどとするまどかが尋ねる。どうしてあんな男勝りの女性から彼女が生まれたのかが分からない。どう見ても父親の育成が良かったのだろう。
いや、欲望の末に女神になる辺り素質はあるのか。
「君の母君、もう少し後輩の事を労ってもいいんじゃないかな」
「えっと……ごめんなさい」
しょんぼりしてまどかは謝る。
「言う相手を間違えているわ、狩人。それにまどかのお母様は貴女が思うほど乱雑な人じゃない」
ほむらの言う通り相手が違うが、その感想は少々鹿目家に偏っている。恋は盲目とはよく言うものだ。少女を愛する故にその母親すらも信仰の対象としているようだ。
「……そうだね、すまない。背中に吐かれそうになるのも胸を揉まれるのも、全部私の責任だ」
だが文句を言わずにはいられないほどにはストレスが溜まっていた。もちろん仕事中の上司はとても頼り甲斐があるし、きっと生まれる場所が違えば英雄になる素質だってあるくらいの人間性だ。
「うぇはは……ほんと、ごめんなさい」
と、その時だった。彼女の父が紅茶を手にやって来たのだ。彼は三人を見据えると、一瞬考えて提案した。
「えっと、良かったら皆でリビングで紅茶を飲みませんか?明日は休みですし……タクシーもお呼びします」
ハンドバッグから取り出した古びた懐中時計を眺める。もうすぐ日付が変わってしまうが、明日は休みだしタクシーも呼んでもらえるとなれば甘えても良いだろう。何より、いくら酒に酔わない彼女でも疲労は溜まっていた。家に帰る前にリフレッシュする事が悪い事だとは思わない。
パタンと懐中時計の蓋を閉め、頷いた。すると旦那さんはにっこりと笑い三人をリビングへと迎え入れたのだ。
出されたハーブティを一口飲む。しじみ汁並みに身体に染み渡るそれは、凝り固まった時計塔のマリアの表情筋を和らげた。氷のような美貌がふやける。そんな顔を見て、ほむらはふと呟いた。
「よく見てみれば、全然似てないのね」
それが自身と妹の事を指していると言う事は分かった。それは当たり前だ、似ているのは肌の色と髪の色くらいだろう。瞳の色も異なれば、顔の造形や身長も違う。似ているのは胸のサイズだけ、とはトップハットを被った白い畜生の言葉だ。
マリアはカップをソーサーに置くと、切れ長の瞳をほむらに向けた。
「君……ほむら、だったか。どうしてここに?」
黒髪の美少女であり悪魔である少女に問いかける。すると彼女はきょとんと真顔で首を傾げた。
「私がまどかの家にいる事がそんなに不思議かしら?」
「うぇへへ……今日はお泊まり会なんです」
なるほど、とマリアは心中で納得しハーブティーを一口。ふと、その長身故にちらりと目の前の少女二人が机の下で手を繋いでいるのが見えた。百合の花が咲いているのは妹だけだと思っていたが、そんな事はないようだ。それもそうだ、そもそもこのピンクの少女も百合故に女神になったのだから。そしてこの悪魔を自称しているらしい黒髪の乙女も。
どうやら知らぬうちにそれが割とスタンダードになったらしい。理解できない他人の心を勝手に想像して、マリアはため息をついた。
「君達は付き合っているのかな」
唐突に、そんな風に尋ねれば二人は相応の年齢らしく顔を赤らめた。どうやら人を超えても羞恥心というのはあるらしい。妹には欠如しているが。
「えっと……はい」
「まどかぁ……」
肩を寄せ合い、二人は頬を擦り付け合う。この前野良猫に餌をあげた時もこんな事されたなぁ、なんて失礼な事を考えていると、旦那さんがトレーに何かを乗せてやって来た。狩人の嗅覚に入り込むは甘いお砂糖の匂い。彼お手製のお菓子のようだ。
旦那さんはトレーをテーブルの中央に置くと和かに言った。
「良かったらどうぞ。ハーブティーにも合う洋菓子です」
パウンドケーキだった。見た目はどう考えても一個人で作れるものを超えている。彼は優秀な料理人のようだ。これにはさしものマリアも目を輝かせる。甘いお菓子を嫌いな女子はいない。
そしてそれは、目の前の少女二人も同じ事。二人は感嘆を漏らせば、ふと我に帰った。
「う、食べたいけど……カロリーが……」
「わ、私も……流石に夜中には……」
躊躇う少女二人を前に、マリアはいただきますと一言添えてパウンドケーキを手に取った。そして一口。甘くてふわふわなケーキが口の中に広がる。すっきりとしたハーブティーも相まって、これは魔力を有しているのではないかと疑いたくもなった。
「おいしい。ありがとうございます」
夢に囚われた狩人ならば、食事や睡眠は必要ではない。その夢が悪夢であるのならば尚更だ。彼女はあの時計塔の頂上で、何も食さず飲まず、ただひたすら秘匿に励んでいたのだから。
だがやはり、こうして悪魔の陰謀に巻き込まれ肉体を得てからというもの、食欲や睡眠欲というものの有り難みと気難しさはやはり良いものだ。
美味しそうにクールにケーキを頬張るOLを見て、まどかとほむらは喉を鳴らした。いかに女神や悪魔とて、その根本は少女であるのだから甘味を欲するのは仕方のない事だ。
「……まどか、食べないの?」
「え?」
「ああいえ、まどかなら少し食べても可愛いままだから問題無いんじゃないかしら、うん」
どういう理屈なのだろうか、この悪魔は最愛の友が最初に食べるのを待っているようだ。どちらか片方が手を出せば、罪悪感は減るだろうから……神に叛逆するのが悪魔ではなかったのか。
「……ほむらちゃんこそ、そんなに痩せてるんだから食べてもいいんじゃない?私はほら、結構肉がつきやすいし……マミさんほどじゃないけど」
さらっと先輩を売る後輩。だがマミの場合、そのカロリーは全て胸に行く。まさしく女子の敵。
「あら、少しお肉がある方が抱き心地が良くていいんじゃないかしら……」
「もう、ほむらちゃんたら……」
どうしてそうなると、マリアは黙々と食べながら思う。気がつけば罪のなすり付けあいからイチャつきに変わっているではないか。二人とも父が隣にいるのにも関わらず抱き合っている。これが啓蒙曰くルミナスというやつか。
出会いなどない時計塔のマリアには関係が無いが。会社の男達はどうにも美人すぎるマリアを避けているし、仮に誘って来たとしても魅力が無い。かつて慕っていた……という言葉では足りぬ程には心酔していたゲールマンはもう老体で、今では中学校で用務員として花壇に熱を上げている。
「……百合とは甘いものだな」
口と心が甘ったるい。どれもこれも鹿目家のせいだ。
夜遅くに家に帰れば、不眠の父は変わらずリビングで読書に勤しんでいた。もうすぐ夏だというのに風変わりな暖炉は燃え盛り、しかしそこからは暑さは感じない。ただ暖かく、何か魂に響く熱だ。不死人曰く、それは不死が心を寄せる篝火だという。その光が、父役である月の魔物を照らす。
ふと、集中していた父がマリアの存在に気がつく。
「遅かったな」
渋いバリトンボイスが耳に入る。どうやらこの声も彼の持つ偉大な
「本当の親でも無いでしょうに。月の魔物は余程今の生活を気に入っていると思える」
「こらマリア、お父さんだろう。少なくとも今はな。確かに今の生活は想定外の出来事の産物に他ならないが、お前は気に入ってないのか?」
そう言われ、会社でのストレスフルなやりとりと休日の心が洗われるような出来事を交互に思い出す。
「常に狩りの中に身を投じるよりは、良いのかもしれません」
そう言えば、父は笑う。どうにも掴めない上位者だ。百合の狩人はあんなにも下心丸見えだというのに。
マリアが寝るために自室へ向かおうとすれば、不意に父が彼女を止めた。
「ああ、マリア。その、コーヒー飲まないか?少し作り過ぎてな、あー、お前さえよければだが」
「……寝る相手にコーヒーを?」
別にその配慮は悪くは無い。仮にマリアが目の前の上位者のように眠りにつく事がないのであれば快く承諾していただろう。しかし明日は休日、休日となれば猫カフェが待っている。故に体力を回復させるためには眠りにつかなくてはならない。
「あぁ、そうだな。すまない……あぁだが、その〜……あんまり今は、上に行かない方がいいと思うぞ」
上、つまり寝室のある二階。
「何故?」
「その、なんだ。説明がし辛いんだが……リリィが友達を呼んでてな」
どうやら中学生女子の中でお泊まり会が流行っているらしい。しかしそれくらいは別にどうでも良い。きっとベッドに身を投げ出せば寝てしまうのだろうから。多少騒いでいても構わぬ。
「気にしません」
「そうか。あぁ、それじゃ、お休み」
「ええ、月の魔物」
お父さんと……と言いかける父を無視して階段を登る。確かに妹の友達が来ているらしい、扉から光が漏れている。それでもマリアは気にせず、自室に入れば寝巻きに着替えてベッドに寝転ぶ。
程よい疲労が彼女を深い眠りへと誘う。想像していた以上に疲れていたようだ。すぐに眠れるだろう。
「……?」
ふと、隣の部屋から声がする。話し声……ではない。まるで獣に襲われて逃げ惑う人々のような、そんな声。
思わず耳を澄ました。澄ましてから、後悔した。それは妹と、その友の声。攻め立てるような声と許しを乞う声。もうやめて、という妹の嬌声と、まだまだ、という少女達の声だった。
「……」
眠れない。眠れるはずがない。秘密は甘いものだ。知らぬが仏、知らなければ良いものを、彼女は知ってしまった。
妹達は盛っているようだった。一度気になってしまったものは何度でも気になって眠れるはずもない。その間、ずっとマリアはクマのできた瞳を開けていて……妹たちの戦いが終わったのは、陽が昇る頃。それでもマリアは猫を捨てきれぬ。昼時になると重い身体を動かし、父と母に心配されながら猫カフェへと向かった彼女は、猫に埋もれながら寝た。
どこまで書いたら良いかアンケート取ります。反映するかしないかは気分です(横暴)
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アニメ本編のみ。あともうちょい
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叛逆。展開は変えるかもしれません
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叛逆後も。クオリティ低し(断言)