━━どこもかしかも獣ばかりだ……貴様もどうせ、そうなるのだろう?
得物を獣の死体から引き抜き、およそ神父とは思えぬ外套と帽子に身を包む男が呟く。目には古びた包帯が巻かれ、それはまるで人の身に潜む何かを目にしないようにと覆い隠しているようだった。
神父はーーと言っても、ヤーナムでは神父という役職は無く、その通り名は彼が余所者であることの証であるーー寒空に白い吐息を吐き散らす。まるでその白さが、僅かばかりに残った彼の人間性とでも言わんばかりに、彼は血に、狩りに……何よりも、自らの獣性に呑み込まれていた。
例え愛する者が目の前にいてもそれは変わらなかっただろう。所詮、獣は獣だ。人間性など糞と共に吐き出してしまったに違いないのだから。
だから、神父は気が付かない。その頭上、屋根の上には彼が自ら殺めた愛おしい者が無残にも亡骸と化してしまっている事を。
そして、そんな獣へと身を堕とした者を狩るのは私。狩人なのだ。故に私は武器を取らねばなるまい。それこそ、古き狩人への餞別なのだから。
━━匂い立つなぁ。たまらぬ血で誘うものだ……えづくじゃないか……ハハハ、ハッハハハハハッ!
狩人は狩りに優れ、無慈悲で、血に酔っていなければならない。それを履き違え、呑み込まれた挙句獣へと身を落とすなど……哀れだよ、神父。貴方にはまだなすべき事があるだろうに。それすらも血と共に流れ落ちたか。
私は血に酔いしれ、されど人は忘れぬ。狩人なのだから。
月の香りを振るわせながら、私は醒めることのない悪夢へと降り立ってしまった者を狩る。
それは、私が初めて彼と対峙した時の思い出だった。
「確かに……どこもかしこも獣だらけだ」
闇夜を照らす月光を浴び、私は背後で息を殺し近づく者に呟いた。まだ月は満ちておらず、三日月が僅かに姿を現すのみだがその姿のなんと美しいことか。
ヤーナムでは見られない。血のように赤い月、それすらも幾度の繰り返しの狩りで見慣れてしまっていた私にとって、あの力なき月は余りにも魅力的だった。
私は振り返らず、ただ月を見上げながらほむらに問いかけた。
「君もまた、既に獣なのかい?」
ほむらは立ち止まると、右手に携えた拳銃をこちらに向ける。その拳銃は、無骨で、機能的で、殺意に満ちていて、されど僅かな美しさを持つが獣狩りには適さない粗悪品とでも言えようか。
彼女は冷酷な中にも確かに熱を帯びた使命感と、僅かながらの恐怖心を瞳に抱きながら私を見据えている。
「貴女を排除するわ、白百合マリア」
私は腰掛けていた外灯の上で立ち上がると、振り返って彼女を見下ろした。ほむらの感情が手にとって分かる。彼女は、月夜に照らされ影となる私の姿を見て悪魔を連想したようだが……それは違う。私は狩人で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ、乙女達が愛おしい、偏愛を抱くだけの狩人なのだ。
私は人形の服の外套を翻し、落葉を夢の中から取り出す。かつては真のマリアの持ち物であり、しかしその心弱さ故に井戸へと投げ捨てられた一振りの仕掛け刀。
「だから奴らに呪いの声を。赤子の赤子、ずっと先の赤子まで……」
「私の心を代弁するのは辞めなさい……狩人」
心を覗かれるのがそんなに怖いことだろうか。否、心とは宇宙である。宇宙とは誰のものでもない、ただあるのみ。海と呪いと同じように、宇宙もまた底は無く、故にすべてを受け入れるのだから……その事実から目を背けるなかれ、私と同じく時を繰り返す同胞。
海のような笑みを彼女に向けると、ほむらの背筋が凍った。だが知らねばなるまい、そして狩らねばなるまい。彼女からすれば、私は宇宙の使者と同じく獣なのだから。
「百江なぎさを契約させたわね。どういうつもり?」
「……ほむら、君は天国を見たことがあるかね?」
「は?」
ほむらは訳がわからないと言うように、顔を顰めた。それでも私は構わずに言葉を連ねる。
「そこはまさしく、すべてを受け入れる……愛も、憎悪も、呪いさえも。私はあの漁村に、確かに天国を見たのだ」
「それが何か関係があるのかしら」
あるとも。私は静かに笑いながら彼女に諭す。
「魔法少女も狩人も。同じく呪われている。私はただ、彼女達の燈となりたいだけさ……闇夜の陰りに、しかし確かな安らぎと導きを。それだけなのさ」
されどほむらは分からぬ。啓蒙低き人の身で、否魔法少女の身では、超次元的思索へと辿り着いた私の願いは分からぬ。
狩人もまた、そういう存在だ。宇宙的思索に身を置く上位者と戦うだろう。それは、理解が足りぬ証拠。人とは、ただ啓蒙を集めれば良いわけではない。考え、理解し、対話することが大切なのだ。そしてその次元に辿り着いた人間もまたいる。ウィレーム。ビルゲンワースの学長である彼は、人でありながら上位者たる。
ならば私は如何にして狩りを全うするのか。獣のみならず、今となっては同胞の上位者までをも狩り取るのだろうか。
決まっている。それは私が、上位者であり人間であるからに他ならない。私は、人間であり上位者なのだから、獣を狩ることも、上位者を殺すこともする。逆説的に、人を殺め、思索することもある。それだけなのだ。
「そう。話は無駄という訳ね」
「解っていただろう?人間とはそんなものさ……だからこそ、愛おしくなる」
右手に剣を、左手に銃を。エヴェリンを腰のホルダーから抜き取ると私は両手を広げる。かかってこいと、挑発するように。そして彼女もまた私に応えてくれるだろう。
彼女は狩人で、魔法少女なのだから。
「君が刃を向けるというのならば私も礼儀を尽くそう。狩人に言葉は不要、ただ血に酔い、狩りに酔うのみ……だろう?」
自己完結の魔法少女、暁美ほむら
刹那、雨のような弾丸が目の前に迫る。私は瞬時に加速して街頭から飛び降りると、一瞬にして後方へ下がったほむらを追撃する。
これで良い。本来狩人とはこうあるべきだ。私は加速し、瞬時に彼女の目の前に迫ると落葉を振るった。
「ッ!」
ほむらはそれを見切り、バックステップで回避すると拳銃をまたしても撃ち込んでくる。誰がどう見ても、牽制でしかないそれを。
狩人の回避……所謂ステップと呼ばれる行為は、一時的にその存在を夢と同化させる。つまり、この現実とは一瞬おさらばするということ。故にその瞬間は重要ではない。明らかに攻撃が当たる場所にいたとしても、その存在は消えるのだから攻撃もまた当たらない。
これが、月の香りの狩人に赦された……ある種の神秘。だから斬撃でも、大きな獣の攻撃でも、前に進んで潜り抜けることが出来る。
私は前にステップし、弾丸を避けるとお返しとばかりにエヴェリンをただ彼女に向けて放った。
「ぐっ!」
狩人の射撃とは精密である必要は皆無。無論当てなければ意味はないが、こと対人ではどこに当てようとも相手の隙を作れればそれでいいのだ。
速すぎる銃撃はほむらの理解を超えていたようだった。彼女は盾の時計を作動させると、時を止めて迫り来る水銀弾を回避した。
同時に、彼女は私の背後へと回り……時間が動き出す。
「馬鹿な!」
背後で驚くほむらに、私は落葉の後端に備え付けられている刃を突き刺す。だがそれを食らうほど柔ではない、ほむらはそれに反応すると、左手の盾で鋒を防いだ……が。
如何に硬度のある盾で斬撃を防げても衝撃は打ち消せない。狩人の、血の遺志によって強化された膂力は少女如きの身体を最も容易く吹き飛ばした。
それはそうだろう。狩人は、獲物に対して内臓攻撃と呼ばれる手刀を繰り出す事がある。いくら弱っているとはいえ、獣の硬い皮膚を容易に裂き、内臓にまでその手先を達せるのだから、弱いはずがない。
「ぐあッ!」
いくつかある外灯にバウンドしながら激突するほむらへ、私はゆっくりと歩いて近づく。ほむらにとっては狩りであるかもしれないが、私としては手解きをしているくらいの感覚でしかない。仮に彼女がヤーナムに潜む他の狩人と戦うならば、もっと早く殺されているに違いない。
少女が苦しむ姿は好ましくはない。それは私が百合と少女を愛する狩人だから。それにほむらは、これまで見た中でも私の心を射止めるものを持っている。傷つけてまで奪おうとは思わない。
「君もまた、友に呪われているね」
脳震盪を起こしながらも立ち上がるほむらに、私は語り掛ける。
「甘いものだろう、呪いは。そうしてその身を呪いへと深めていく。人間とはつくづく、救いようがない」
笑いながら、しかし私は言う。
「だからこそ、人間はやめられない」
ほむらが盾から何かを取り出す。彼女はピンを抜くと、それを私目掛けて放った。爆弾の類であることはすぐに分かった。問題は、この程度の小さな爆弾から、それなりに距離があるにも関わらず全力で逃れようとするほむらだった。
私は瞬時にステップで爆弾から離れる。同時に爆発。爆風と、細かな破片が私の背中に無数に突き刺さった。
狩人のステップは、こういった持続する範囲攻撃に弱い。そも爆風というのは考えている以上に素早いものだ。音を超え、光に迫る勢いでやってくるそれを避ける事は容易いが、熱風が持続するのが問題だった。
加えて、破片。これは私が予期していない攻撃だ。いかに啓蒙高い私と言えども、今の存在は人。限界がある。これが蛞蝓か異形であるならば話は変わったかもしれないが……とにかく、私は貧者の血晶石が発動するくらいにはダメージを受けた。
「鼓膜も破れたようだ」
吹き飛ばされながらも冷静に分析し、着地する。
「やはり、ただの人間ではないようね」
ほむらは魔力で回復したようで、先程の衝撃を物ともせずに佇んでいた。手には拳銃ではなく、少女の身体には不釣り合いな機関銃のようなものを持っている。
「狩人さ……なるほど、やはり文明とは侮れないものだ。ヤーナムにも同じものがあれば狩りが楽に行えたかもしれないね」
そうして、輸血液を自身の太腿に刺す。劇的に回復していく身体。傷口に刺さった破片など、治る肉と皮膚がそれを押し除けて取り除いて見せた。
そんな異形を見て、ほむらはより一層顔を顰めた。確かに、血で傷が治るとは普通考えられないだろう。しかし、ヤーナムとはそういうものだ。
「さて、ほむら。私に傷を負わせた褒美だ。一つ質問を赦すよ」
両手を広げ、敵意がないことを示す。ほむらは警戒を止めないまま、口を開いた。
「鹿目まどかに手を出さないで」
「……命令だな。まぁ良い。それは、魔法少女にするな、という事でいいね?」
「ええ、その通りよ」
私はふぅ、と息を吐いて言う。
「私は麗若き乙女を穢す趣味は無い。本人がそれを望めば別だが。元より、友人であるまどかをインキュベーターのいいようにさせるつもりもない……君も、そうだろう」
「……どこまで知っているの」
「それが質問かな?ふむ……粗方。まどかの危うさも、君の使命も、さやかの儚い恋心も、マミの孤独な仮面も、そしてインキュベーターの目的も。理解しているさ」
私は、啓蒙高き上位者なのだから。
「なら、なぜ百江なぎさを……」
「おっとほむら、それは約束違いだ。質問は一つまで……今日の狩りごっこはおしまい。それについてもいずれ知るだろうね。だが、悪いようにはしないさ。私は心のある狩人なのだから」
そう言うと、ほむらは黙り込んだ。そして得体のしれない化け物を見る目で私を睨む。悲しいな、君のような優しい人間がして良い目では無い。
私は穴が空いた外套を翻すとまたしても月に背を向ける。そして狩人の確かな徴を使用した。
「では、また。明日学校で会おうじゃないか。ほむらちゃん」
夢へと私は還る。そうして残されたのはほむらただ一人。彼女はしばらく私のいた場所を見つめると、歩いてその場から立ち去った。
「人形ちゃんごめん、お裁縫得意だったりする?」
「お帰りなさい、狩人様。お洋服が破れたのですね」
狩人の夢。私は実の所、人形ちゃんとお揃いの服が爆風と破片によってズタボロにされたことに心が折れそうだった。半ベソかきながらいつものように佇む人形ちゃんにお願いする。しかし人形ちゃんは表情を変えずにただ言う。
「私は手先が器用ではありませんので……このみ様なら、お得意かと」
そう言って人形ちゃんは夢の中の庭、かつてはゲールマンと戦い月の魔物を下した場所で白薔薇を選定している少女を指差す。栗色のボブカットの魔法少女……かつては薔薇園の魔女であった、ゲルトルート。又の名を、春名このみ。
私はカンストスタミナをフルで使って彼女にダッシュすると、後ろから全力で抱きついた。
「このみちゃあああん!お裁縫してえええ!」
「わ、ちょっと狩人さん!?」
そんな、獣狩りの夜では見られなかった光景を見て、人形は優しく微笑む。その後ろで、車椅子の上でゲールマンもまた、自らの後継者を温かいような、偏愛が篭った目で眺めたのだ。