リコーデッド・アライバル   作:suz.

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第一部 Into the New World
新世界より


 声が聞こえる。あどけなく、あたたかい呼び声が。

 

 

 きみ、起きて。起きて——?

 

 

 懐かしい声は、遊作が六歳のときもたらされた天啓だ。白い部屋にたったひとりで監禁され、繰り返し繰り返しデュエルを迫られ疲弊した遊作のこころを、彼の呼びかけが現世につなぎとめてくれた。

 地獄の日々を耐えるには正気を失ったほうが楽だったのかもしれない、だが、彼がすくい上げてくれなければ遊作は生きていられたかもわからない。

 

 つながりとは、必ずしもやさしくてあたたかいものばかりではない。

 

 恐怖、憎悪、嫉妬——そうした強い感情ほど深く深く記憶に根を張り、意思に影響を及ぼし、やがて人と人とを争わせる。

 かつてはログというログを消し去り、誰の記憶にも残らないように暮らしていた遊作だったが、ボーマンとの戦いのなかで自身に向けられている無数の糸の存在に気付いた。

 

 その糸を手繰れば、あるいは——と、誰にも言わずに旅に出た。

 

 Aiは少し先の場所へ行っただけだ。

 だからその()()()()まで探しに行く。

 

 

 羅針盤を残して消えた寂しがりやを迎えに。

 

 

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 

「——……ん、」

 

 誰かの名前を呼ぼうとしたくちびるが不明瞭なうめき声を発して、藤木遊作は長いまつげをふるわせた。うたた寝から覚めた視界は白黒くっきり二色に分かたれていて、上半分は目深にかぶったパーカーのフードであることを、一拍遅れて自覚する。

 下半分の白は、真昼の眩しさだ。カウンターテーブルに突っ伏して居眠りをしていたら、なんだか懐かしい夢を見てしまったようだった。

 

「あ、起きた。遊作はお昼もう食べた?」

 

 焼き鮭の皮を器用な箸づかいで剥ぎながら、(たける)が覗きこむようにことんと首を傾ける。大学進学とともにまたDen(デン) City(シティ)へやってきた穂村尊は、学部こそ違えど同じDen City ユニバーシティで学ぶ学友である。

 その左手にホールドされた茶碗では白米がごく標準的な山型を描いており、いつも持参している弁当の姿は見当たらない。今さっき昼食を食べ始めたところなのだろうと、遊作は覚醒しきらない頭で分析した。

 このDen City ユニバーシティ学生食堂の日替わり定食(ランチ)は和食・洋食・菜食の三種類だ。いずれも学生の財布にやさしい価格設定で、白米と味噌汁はおかわり自由。一杯目はスタッフがよそってくれるが、二杯目以降はセルフサービスなので大盛りになるのが常である。盛り付けから見て、尊はまだおかわりには立っていない。

 

「ああ……」と曖昧な肯定を発しかけた遊作だったが、かぶっていた黒いフードが背後から容赦なく剥ぎ取られた。

 

「はいダーウート! 遊作ちゃんは1限目終わってからずーっとここでご就寝でした!」

 

「やめろ、(アイ)……おまえはバイト中だろう。真面目に働け」

 

「愛ちゃんは視野が広いんだよ。んで、もうシフト終わってあがる時間だ」

 

 得意げに胸を張ったAi(アイ)は、ここの学食でアルバイトをしている。新学期開始一ヶ月にして早くも名物スタッフだ。

 Ai専用SOLtiS(ソルティス)SOL(ソル)グループの総合経営責任者にまで出世した財前(ざいぜん)(あきら)の厚意により特別に貸与されているものだが、維持費は自腹だし、人型である以上は交通費だって遊作と同じだけかかってしまう。電脳空間と違って毎日同じ服を着ているわけにもいかないからと、身なりに気を遣うAiはみずからアルバイトという待遇を選んだ。(おかげで二人暮らしのクローゼットはすっかりAiに私物化されてしまっている)

 AIのくせにすっかり生活感を身につけたAiは、大学のロゴがプリントされたエプロンをとると、ひらりと手を振った。

 

「おねむのおにーちゃんの代わりに、愛ちゃんが昼メシ買ってきてやるよ」

 

 ウィンクをひとつ、軽快な足取りで売店に向かう、人間態のAi。出くわした女子と二言三言交わしては黄色い歓声をあげられているのも、もはや見慣れた日常の一コマである。

 藤木くん、と呼ばれているのは、表向きは『遊作の双子の弟』ということにしているからだ。

 

 藤木 愛と名乗っている。

 

 女の子みたいな名前だねと雑談を持ちかけられれば「俺ってば最初は目だけだったからさー」とおどけてみせるくらいには正体を隠していないくせに、長袖とタートルネックを着用した姿は人間とまったく区別がつかない。

 SOLtiSのせいで失業したと非難轟々だった二年前の一悶着なんて、みんなもう忘れてしまったのだろう。

 

『大人気だな、Aiは』

 

「うわっ、不霊夢(フレイム)、外にいるときは出てくる前に一声かけてってば」

 

『む。驚かせてしまったか?』

 

 シャツの襟元から顔を出した不霊夢は、ごそごそと這い出すと、尊が差し出した手のひらからテーブルに降り立つ。今の不霊夢は『ソリッド・ビジョン』という立体映像なので質量はないのだが、足場があるとやはり落ち着くものだ。

 不用意にログを残さないようにと、デュエルディスクではなく卓上が定位置となった。

 しゃんと背筋を伸ばして腕組みする不霊夢の姿は、初めて出会った三年前と変わらない。そこにいてくれることがまだ信じられない心地で、尊は首から提げている小さな巾着袋を手のひらで抱きしめるようにそっと握った。

 遊作を挟んで静かにうどんをすすっていた仁も、困ったように眉尻を下げる。尊にならって肌身離さず持ち歩いている黄色い宝石のなかには、まだ見ぬ『光のイグニス』が眠っているという。

 

 イグニスの〈(コア)〉だという謎の石が持ち帰られたのは、この春の出来事だった。

 

 二年といくばくか昔、五体のイグニスたちはボーマンによって吸収され、消失したかに思われた。ところが彼らの〈核〉が、サイバース世界に残留し続けていたらしい。サイバース世界が林檎なら、その種のように六つ、ずっと眠っていたというのである。

 高校一年生の秋に音信を絶った遊作は、Aiが使っていたカードの記憶を道しるべにイグニスの〈核〉を探し出し、電脳世界から現実世界へと持ち帰ってみせた。

 その後、SOLグループとハノイ騎士との間で何らかの密約が交わされ、イグニスの肉体(ハード)に相当する〈核〉はパートナーに返還される運びとなった。鴻上博士の罪そのものである六体のイグニスをそのままにしておくわけにはいかず、かといって今のSOLでは持て余したのだろう。不霊夢の本体である〈炎の(コア)〉は穂村尊の手に、〈光の核〉は草薙(くさなぎ)(じん)に、〈水の核〉は財前葵に、そして〈地の核〉と〈風の核〉のふたつはハノイの騎士のもとに、それぞれ委ねられている。

 AiにはSOLテクノロジー社乗っ取りの前科があることから、〈闇の核〉だけはSOLの金庫に厳重に保管されているものの、人質になる代わりにSOLtiS一体が無期限に貸し出されている。おかげで日常生活は自由なものだ。

 遊作は何食わぬ顔で大学生になり、Aiは廃盤になったSOLtiSに入って人間ごっこ。それもこれも、イグニスとそのオリジンであるふたりを目の届くところに置いておきたいSOL側の思惑ありき、財前社長の温情ありき、そしてハノイの騎士の監視ありきの措置である。彼らの目の黒いうちはSOLにもハノイにも脅かされる心配をしなくて済むのだから、メリットの方が多いくらいだろう。

 そもそもイグニスに本体(ハードウェア)があったことなど、本人たちですら青天の霹靂であったのだ。Aiは見覚えのありすぎる六つの石の形状になんとも形容しがたい微妙な顔をしたし、〈炎の核〉は《アチチ@イグニスター》そっくりで、不霊夢の反応もまたお察しである。

 どうやら、イグニス——十三年前にSOLテクノロジー社が生み出した意思を持ったAI——には、多くの謎が残されている。

 

 大事なものならアパートの部屋に置いておくより手元にあったほうが安心だと考え、尊は不霊夢の棲む〈炎の核〉を頑丈な革製のポーチに入れて肌身離さず持ち歩くようにしていた。

 重たいペンダントからは不霊夢がデュエルディスクにいたときと同じようにちょいちょい顔を出し、尊を激励したりdisったりする。

 二年半ごしに戻ってきた、いとおしい日常。

 なのに不霊夢と過ごす日々には言い知れぬ不安がつきまとう。

 尊の葛藤を察してか、ついと箸を持ち上げた仁が思い出したように話題を転換してみせた。

 

「たける、今日はお弁当ないんだね」

 

「ああ、うん。今朝は綺久(きく)が一限から授業だったし……ってか朝忙しい日は作んないよ」

 

『綺久嬢が弁当をこしらえなかったのは三度目だぞ、尊。大学入学から五週間、多忙な朝にも二度は弁当を持たせてくれていたわけだ。きみにはもったいないくらいマメな女性だな』

 

「どこから目線だよ……綺久はただの幼なじみで、都会で女の子の一人暮らしは心配だからだって何度も言って、」

 

「えーそうかあ? 同棲中のカップルにしか見えねーけどなあ」

 

 Aiがどさりと遊作の頭上に購買部の紙袋を乗せ、にまにまと人の悪い笑みを浮かべる。昼ドラ好きは相変わらずだ。

 そうだ、とさも名案を閃いたようにポンと手を叩く。

 

「遊作ちゃんにも俺が-Ai-妻弁当作ってやろっか! 《うまま@イグニスター》なんつって」

 

「ちょっと黙っていろ……」

 

「はいはい、ごちそうさま!」

 

 白米をかきこみながら尊が話題を打ち切ると、不意に、学生食堂のざわめきが色を変えた。壁や柱をとりまく無数の画面が、まるで花吹雪でも吹き荒れたかのように一斉に、同じTVニュースを映しだす。

 

 ——HDR(ヒドラ)コーポレーション最新型ヒューマノイド〈Hi-EVE(ハイヴ)〉の快進撃!!

 

 各々が手近なモニタに目を向ければ、スクリーンのなかでは女性型のAIが軍服姿の男から表彰を受けているようだった。同じ女性型AIでもパンドールとは異なり、どこかロボットじみた無骨なフォルムだ。

 機械には相変わらず疎い尊だが、背筋を這う不穏な予感に眉根を寄せる。

 

「ハイヴ……? デュエリストか何か?」

 

「ヒドラ社って言ったら、ソル社がアンドロイド部門を売却した新興企業だよね。あれはソルティスの後継機と見ていいのかな」

 

 仁が確認するように遊作、そしてAiを振りあおいだ。

 

「なんだ、俺より詳しいじゃねーか草薙弟」

 

「十年分の遅れを取り戻さなくちゃいけないから、勉強はしてるつもり」

 

「へえ、殊勝なココロガケだな」

 

 俺もこの二年間のことはよく知らないしな……と、Aiはくちびるに指先をあてた。むう、と押しつぶす。

 遊作に連れ帰られるまでの約二年の間、 Aiは〈サイバース世界〉に建てた墓のさらに下で眠っていたのだ。スリープ状態になっていたらしく、その期間に起こっていた出来事はログデータでしか知ることができない。

 SOL社公式ホームページにはSOLtiSの製造開発は二年前に打ち切られたと記載されており、財前からも今Aiが使用しているこのボディがSOLtiS最後の一体なのだと聞いた。LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)の英雄Playmaker(プレイメーカー)とその相棒の帰る場所として特別に保存してくれていたものを、ありがたく使わせてもらっている。

〈ハノイプロジェクト〉に端を発する十三年間、非人道的所業の枚挙にいとまがないSOLテクノロジー社だが、さすがにDen City全域のセキュリティを一手に担う、いわば公共インフラ企業である。国内に競合他社が乏しいこともあり、そうやすやすと潰れるわけにはいかなかったのだろう。さいわいにしてLINK VRAINSはAiによる無制限解放のせいで登録ユーザー数が大幅に増加していたし、ライトニングの反乱後LINK VRAINSを閉鎖させたクイーンは更迭済み。新CEOの財前は、SOL社の経営を立て直すためリカバーに奔走。〈ハノイの騎士〉との結託を決断。AI開発とアンドロイド製造から手を引くことで、図太くもSOLの復興を成し遂げていた。(おかげで社員をまるごと解雇するというAiの暴挙はすんなりと闇に葬られた)

 そのときSOLからアンドロイド部門——SOLtiSの開発プロジェクトおよび製造施設——を買収したのが、くだんのHDR(ヒドラ)コーポレーションだ。国内での信用が著しく落ちたSOLtiSを軍事用に改良し、海外に輸出して急成長を遂げたらしい。

 学生食堂を賑わすニュース番組はAIの平和的軍事利用を賞賛し、女性型ヒューマノイド〈Hi-EVE〉の活躍を讃えている。

 なんでも海の向こうの遠い国で、紛争を終結に導いたのだとか。

 

「俺がいようがいまいが、戦争は避けられなかったってことか……」

 

 ため息めいて独り言ちれば、遊作の視線が気遣わしげにAiを射抜く。それにはゆるく首を振って応じ、Aiは仁のうどんを魔法使いのようにくるくる指差すと「のびるぞ」と笑った。

 仁は話題を逸らされたことに不満を述べるでもなく、どんぶりを持ち上げて口付け、ぬるくなったスープを飲み干す。

 その胸元にぶらさがるお守り袋の中から、光のイグニスは出てこない。

 無意識のうちにライトニングに相談を持ちかけようとしていたAiの手が、不意につかまえられた。

 

「愛。おまえが何を考えているのかは知らないが、SOLは今LINK VRAINSの維持と発展に専念している」

 

「わかってるよ、遊作」

 

 今この瞬間にも、遠い国では戦争をしている。しかし遠く遠い異国の話だ。LINK VRAINS経由でどこへでも行けるこの時代、物理的距離なんかよりもネットワークから隔離された場所のほうが深刻に遠い。地続きじゃない世界(ワールド)で何が起こっていようとも、観測できないものは()()のだ。

 そうだ、Hi-EVEがどんなAIだろうと、Aiには知ったことではない。今は藤木愛としてパートナーと一緒に暮らしている。イグニスもみんな戻ってきて、みんなで力を合わせて人類とイグニスとの共存の道を模索していく。そういう未来が目の前には開かれている。

 SOLテクノロジー社がアンドロイド製造開発部門を手放したのは、おそらく財前晃からAiへの謝罪の意でもあるのだろう。アースの一件を経て、SOLは自社をAIを取り扱える器ではないと判断し、切り捨てたのだ。

 人類の後継種として意思を持ったAIを創造するという無茶な計画のために六人の子供を拉致監禁した〈ロスト事件〉の真相が(おおやけ)になることこそなかったが、同じ過ちを二度と繰り返しはしないという決意表明だろうと、若き社長殿の英断をAiはおよそ好意的に受け止めている。

 もしSOL以外から第二第三の鴻上博士が生まれたとしても、また〈ハノイプロジェクト〉のような無茶な計画がまかり通っても、それは人類の愚かしさでしかない。人工知能研究に関してはDen Cityが最先端というわけではないのだ、別の世界でどんなAIが生きていても死んでいても、それを感知することは不可能である。

 沼に足をとられかけた思考を遮るように、遊作とAiのポケットから同時に電子音が響いた。

 

「メールだ」とAiが虚空につぶやく。

 

 携帯端末を確認した遊作は、顔をあげると尊、不霊夢、仁を見渡す。

 

「……財前晃が、LINK VRAINSの件で俺たちに頼みたいことがあるそうだ」

 

 一緒にきてくれるか、と遊作が示したホログラムディスプレイには、Playmakerとその協力者宛てのメッセージが綴られていた。

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