イグニスらしさ、イグニス固有の特徴というものが依然不明瞭だからだ。
深夜、時刻は二十六時をまわったところである。
ちなみに遊作はグッスリ@イグニスター、要するに就寝中だ。眠りを必要としないイグニスと違い、生身の人間である遊作には24時間あたり6〜8時間程度の睡眠摂取が望ましい。
人型AI〈
SOLtiSを休眠状態にしてしまうと物理法則にはアプローチできなくなるものの、だからといって電脳空間をうろうろしていたら〈ハノイの騎士〉に捕捉されて厄介なことになりそうなので、SOLtiSのバックグラウンドで処理できる範囲の分析にとどめる。
Q.
いつぞやアースが掲示板に『地のイグニス』を名乗って
罠といえば、ブラッドシェパードがプログラムの表面をイグニスアルゴリズムで覆い、Playmakerと
あの砂漠のヌシは一体何者なのかと考えをめぐらせながらも、俺たちには関係のないことじゃないかと思考を投げ捨てたい気持ちが不意に芽生えては枝葉を繁らせようとする。
——ただ。あいつは確かに遊作のことを呼んでいたようにAiには思えた。
おそらくリボルバーの見解も同じだろう。ハノイの崇高なる力をもってしても引きずり出せない、謎のプログラム。そいつが、よりにもよって遊作を奈落の底へと呼んでいた。
激しい頭痛をともなうリンクセンスの干渉にライトニングは関与していないようだったし、はじめからPlaymakerを狙っていた可能性は否定できない。
でも一体誰が? なんのために?
吸い上げたデータはどこかに転送されていると見ていいだろうが、それも不明だ。
この不可解さをどう解消してやろうか……と、Aiは考える。
遊作の部屋のデスクトップコンピュータのカメラを拝借して寝顔を確認。規則的な寝息が続いていることに安堵しつつ、目を盗むようにして掲示板にアクセスした。
以前にも使っていた掲示板にひとこと。
Mr. White Knight, I would like to meet you again; you could know the door that was holding my petit gardna de secure on time. —With love,
目的の男はおそらくこれで呼び出せるだろう。週明け、月曜日はちょうどバイトのシフトが入っていない。
お休みだ。
だから遊作が学生の本分をまっとうしている間、ちょっとばかり暇をいただくことにする。
〝平和の守り手を抱いた扉の前でホワイトナイトにもういちど会いたい〟
ともあれ細かいことはいいだろう。白のナイトはかつてのSOLテクノロジー社が幹部や役員の専用アバターとして使用されていた権力のシンボルのうちひとつだ。
気持ちのいい朝を迎えた月曜日、晴天。Aiはどこか懐かしい、現実世界のダンジョンを訪れていた。
潮風薫る倉庫街の片隅に踏み込めば、四年前から放置されたままのお手伝いロボット。こいつを乗っ取って
今やDen Cityのランドマークのひとつである三本の橋〈トライゲートブリッジ〉にかかる三つ目の橋、〈リンクベイブリッジ〉が建設遅延により未完成だったあのころ。もし他の誰かが先に詰めデュエルを解いてしまったとしてもDen Cityに住んでいる者でなくばデッキの在り処にまでは決してたどり着けないような小細工までして、Aiはオリジンの手に手製の
当時中学三年生だった遊作は、今のAiより頭ひとつ以上は小柄だった。そんないとけない少年が、
懐中電灯を持参してきていたら、もっとあのころの遊作の気持ちがわかったかもしれない。SOLtiSは暗闇でも活動が可能なので、すっかり失念していた。
《セキュア・ガードナー》を表札にしていた扉を、指先で撫でる。
「まさか本当に現れるとは……相変わらずのようだね、闇のイグニス」
革靴の足音が、充分すぎる距離をとって立ち止まる。
スーツ姿の男がハンカチを取り出して、額の汗をぬぐった。ゆるくカールしたダークブロンド、垂れ下がった碧眼。年齢は三十代半ばのはずだが、相変わらず老成した雰囲気をまとっている。
こいつが決して表舞台には出てこない、SOLテクノロジー社の元
そしてパートナーにサイバースデッキを渡したかったAiに手を貸したユダでもある。
「あんたこそ。よく俺だってわかったな」
「このDen CityにSOLtiSはきみ一体しかいないだろう? 懐かしくなってね、つい会いにきてしまったよ。あのときも、きみはお手伝いロボットを盗み出してひとりでふらふらしていたっけね」
慈しむように目を細める。ところが相対してみればスーツの内ポケットに拳銃のようなシルエットが認められ、Aiは片眉をつりあげた。
「その割にはブッソーなもの持って、俺を警戒してるみたいだケド」
「ああ、護身用のショックガンのことかな? そういう目で人を見るのは感心しないな」
「SOLtiSはこーゆう目だ。あんたもSOLの元幹部なんだから知ってるはずだろ?」
「人間ごっこをする気があるなら、見えないはずのものを見ていることは隠し通さなければならないということさ」
足の悪い人物を演じる役者は、観客の目のあるところですたすた歩いてはいけない。盲目の人物を演じる役者が、舞台上で
物語に真実は不要だ。
「しょうがないから見せてあげましょうね」と男は子供をあやすように微笑してみせ、懐から一挺の拳銃を取り出した。
銃口がAiをとらえる。
対アンドロイド用、
「遠距離対応のスタンガン……ってとこか?」
「あくまでもアンドロイドの心臓を止めるための銃だから、人間に向けて撃っても六歳児が死なない程度の威力しかないのだけれどね」
その意味を察して、Aiはざわりと己の内側で攻撃性がさざ波立つのを感じる。ぐっと飲み込んだはずの言葉が喉の奥から爆ぜそうになる。
しかし
「——
ハッと顔をあげれば、懐中電灯のまるい光源。
逆光の向こう側から、Aiのよく知る足音が向かってくるのがわかる。ホワイトナイトの向こう側にパーカー姿の遊作が、いつの間にか追いついてきていたらしい。
ふうと熱のこもったため息を落として、細いおとがいを伝った汗を長袖の袖口で拭う。
「遊、作……だよな……? どうしてここに……」
「そいつは俺の協力者だ。面識もある」
「直接会うのは四月ぶりかな、藤木くん」
「はあっ? う そだろ、こいつはHDRのっ——」
「俺もHDRの研究室に籍がある」
「何ソレどゆこと、大学は? 授業はっ!?」
「ロスト事件の被害者には国家がSランク保護プログラムを適用している。通っても通わなくても成績は変わらない。当然、学費も不要だ。Den City ユニバーシティは公立大学だろ」
「そんな……」
中学・高校の卒業証書も自動的に発行された、と遊作は静かに吐き捨てる。諦めたような響きだ。
学校教育が無償で受けられることは、一種の救いだろう。草薙の店はあんなにガラガラなのに、最愛の弟は兄の財布に遠慮することなく大学に通える。
〈ロスト事件〉から十年間も入院していて学校に通えていなくても、ちゃんと卒業したことになっている。
経済的負担がないことは救いだ。経歴に傷がないことも。だが、行動を起こしても起こさなくても結果は同じだという事実は、同時に、絶望でもある。どうせ同じなら、変わらないなら、もう頑張らなくていいんじゃないかと膝を折ってしまいそうになる。
遊作はパーカーの袖で頬、額をぐいとぬぐって、懐中電灯ごと腕を下ろした。指先の操作ひとつで、視界は闇に包まれる。
AiだけがSOLtiSの暗所対応
「二年前、HDRがSOLからアンドロイド部門を買収したことはおまえも知っての通りだ。……あれは、おまえが消えてすぐのことだった。大量に残ったおまえの残骸を処分する必要があったからな。俺は、ホワイトナイトの話に乗った」
二年前、Aiが消滅した早朝のことだ。SOLテクノロジー社のSOLtiS工場に取り残された遊作は、ひとりの男——ホワイトナイトのスカウトを受けた。それから三ヶ月間の準備を経て、借りていたアパートも引き払い、身辺を整理した。
HDR社最深部の生命維持装置からLINK VRAINSにログインし、Aiを探すために。
「 んだよ、それ……」
「イグニス六体を復元したいという一点に関しては利害が一致していた。俺はイグニスの〈
実時間にしておよそ二年。電脳世界を旅した遊作はサイバース世界でイグニスの〈
SOLテクノロジー社は以前より、イグニスから得たデータをもとに新たな意思を持つAI——さらに高性能なイグニスを作る計画を立案・実行していた。だがSOLは今、LINK VRAINSの維持と発展に専念しているはず。財前晃はアースの一件を経て、SOLは自社をAIを取り扱える器ではないと判断し、切り捨てた。もう二度と同じ過ちを犯さないように、対策がとられていた。そうだろう。そうだろう?
もし第二第三の鴻上博士が生まれたとしても、また〈ハノイプロジェクト〉のような無茶な計画がまかり通っても、それは人類の愚かしさでしかない。そう思っていた。
別の世界でどんなAIが生きていても死んでいても、見えないものは見えないのだからと。
「藤木くんはイグニスとともに生きたい。わたしどもはイグニスを実体化させたい。形あるものはいつか滅ぶのだから、破壊できるものになってもらえばいい……とね」
「悪いが、そのSOLtiSを壊されると困る」
「そんな無体は働きませんとも。ご主人に従順なお手伝いロボットには」
「契約満了までイグニスの〈
「ええ、もちろん」
にこりと男は微笑する。唐突すぎる情報開示に、Aiのこころがついていかない。サイバース世界で眠っていた二年間に何が起こっていたのか、処理したいのに感情が濁流のように押し流してしまってうまくつなげられない。
今日、Aiはホワイトナイトに会いにきた。白の騎士。SOLテクノロジー社の元幹部で、二重スパイで、今はHDR社の幹部。なのに遊作が現れて、HDRの研究室に籍を置いているだなんて言い出した。そんなこと知らない。いつの間に? 疑問はすぐに解決した、Aiがサイバース世界の墓の下で
遊作がイグニスの〈
イグニスの種としての
「生命維持装置の中にいる間、おまえを探す俺のデータはすべてHDRでバックアップしていた。これでイグニスの誰かが消滅しても、誰かが必ず連れ戻すことができる。……アースのようなケースは、予想外だったが……」
はじめのひとりになって道しるべを作ったから、二人目があとに続ける。今度は
「そして、藤木くんの協力によってHDR社のイグニスも順調に育っているよ。海外での
「……AI部隊の運用については契約通りなんだろうな」
「それはもちろん。きみに隠し事はしていないよ」
ならいい、と遊作がため息をつく。つま先に汗が一滴、また落ちた。
「うそだ……遊作が、そんなこと……っ」
首を振る。逃げるように、おおきく首を横に振る。大股で歩み寄って肩をつかんだ。細い肩だ、SOLtiSの腕力ならへし折ってしまえる。労働力として望まれたアンドロイドなのだから遊作のひとりやふたり軽々持ち上げられてしまう。耐荷重量は生身の人間をはるかに上回る。
すがるように見つめても、エメラルドグリーンの双眸はひどくそっけない。
「おまえ、俺を善人だとでも思ってたのか?」
「思ってたさ!! 遊作が、俺なんかために人間を犠牲にするなんて、絶対にないってッ……俺は信じてたんだよ……!」
「いつの話をしてるんだ」
え、と聞き返そうとした
そんな非道を見過ごすなんて。
つかみかかられている遊作はまるで動じることなく、エメラルドグリーンのひとみは凪いだまま、Aiを見据える。
くちびるが笑う。タートルネックが白黒の境界を描く喉が上下する。
「……俺のこころを壊したのは、おまえじゃないか……」
のぼせたようにぼんやりと、あつく湿った吐息で、自傷のように笑うのだ。
ぐらりと傾いだ体を抱きとめる。長袖のパーカーは春物で、夏日だという五月の日中には暑すぎることに、ようやく気づいた。
「ッ遊作——……!!」
WEBフォントを使ってみたかったんです(Pixiv版は文字化けです)