リコーデッド・アライバル   作:suz.

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前編&後編2話同時更新です。


ホワイトナイト(後編)

 潮風の音は聞こえるのに、真昼の光は届かない。遊作の痛ましいほほえみを、暗所対応の目を持つAi(アイ)だけが見つめている。

 現実世界のダンジョンにおりる、錆びついたような静寂。

 処理落ちしているわけでもないのに、すべてがスローモーションのようだった。

 

 

「……俺のこころを壊したのは、(おまえ)じゃないか……」

 

 

 暗闇のなか、痩身はかげろうのように傾ぐ。まぶたがエメラルドグリーンを覆っていく。Aiの腕のなかで意識が落ちる音を、懐中電灯が奏でた。

 

「ゆ うさく、——……!!」

 

 SOLtiS(ソルティス)の双眸が見開かれる。体温、心拍を計測。熱中症の初期症状だ。気象予報士が明日から夏日になるでしょう——とのたまっていた先日のTVニュースを今さらのように思い出す。

 ……思い出す、なんて。ああ。なんて奇妙な表現だろう。イグニスに忘却なんて機構はないのに。人間より遥かに優れた記憶力を持っているはずなのに。ただ、他のことにばかり気を取られていたせいで、Aiはすっかり忘れていた。

 遊作の黒いパーカーは長袖で、春物だ。夏日だという五月の日中には厚すぎる。その上タートルネックで首まで覆っていれば体温の上昇は避けられない。

 通学用のバッグごと上着を剥ぎ取っても肌が熱を持っている。体温が高い。意識は完全に落ちている。どうして服の兼用なんかしていたんだっけ? だって遊作そうゆうの無頓着だしサイズだって一緒なんだし大学じゃ双子って設定にしてあるし節約にも以下略——これは思考ではない、後悔だ。

 この四月に連れ戻されたAiは、労働者から仕事を奪った悪名高きSOLtiS最後の一体を使用している。喉と背中、および各関節に点在するSOLtiS特有のマーキングは、ひとまず隠しておく必要があった。人間とは異なる視野を持ち、人間とは異なるボディで人間のふりをして、人間社会に混入していた。

 SOLtiSの可動関節数は生身の人間よりもはるかに少なく、上体(トルソ)には胸部と腹部の境目があるだけだが、人間の肋骨は蛇腹のように、細い胴をぐにゃりとしならせる。

 

(——みず、)

 

 脱水症状を起こしていることがバイタルチェック機能でわかる。冷却剤と経口補水液——欲しいものが脳裏にずらり羅列され、Aiの思考回路は即座に最寄りのコンビニエンスストアとスーパーマーケットまでの最短経路を弾き出す。値段はわかる、在庫数もわかる。人間ならこういうとき、同席しているホワイトナイトに遊作を預けてスポーツドリンクを買いに走るのか? そんなばかな。

 遊作のバッグの中には今朝Aiが用意した弁当が入っているのに、水筒は持たせなかったことに今ごろ気付く。Den(デン) City(シティ) ユニバーシティの学生食堂は学生の財布に配慮して冷たい水とあたたかいお茶は無償提供されるから、持たせる必要性を感じなかったのだ。

 人間は水がないと生きられない生き物だ。そんなことは人間だってわかっていて、水辺が用意されているから大丈夫だと現状に甘えたAiは、遊作に水筒を持たせなかった。

 水。水分。H2O。冷たい水が必要だ。できればナトリウムとブドウ糖が入っているほうが望ましい。こういうとき、隣にいる男をかっさばいて得た血液で代用できはしないかと考えてしまうAiはもう、人間への攻撃性を抑えきれないのかもしれない。

 たぐり寄せるように痩躯を抱きしめれば、脳裏にありありと蘇ってくる記憶の数々。銃で撃たれて、あるいは薬を投与され、切り裂かれ、抉られ、貫かれ、轢きちぎられては失われていった命の残骸。粉々に砕かれた細胞どもの成れの果て。

 残された肉片は遊作のものだとSOLtiSの目には明らかなのに、そこに遊作は()()()

 

「遊作……ゆう さく、っ なぁ、意識、脈 拍、 えっと、なんだっけ、……ッ」

 

 水がどこにあるかはわかるのに、今すぐ必要なのに手元にはない。ああ。衛生的な水が、滅菌済みの器具が、冷却材が点滴が消毒液が包帯が絆創膏が血清が手に入らなかった経験にAiがどれほどの絶望を重ねてきたか。

 医療の知識はデータベースから即インストールできて、輸血が必要であることはわかるのに、輸血パックが手に入らなかった。血が、血が今必要なのに手に入らないのだ。奪ってでも手に入れたいという焦燥すら人間への害意になるというのだから、やっていられない。やっていられない!!

 

「…………っ」

 

 慟哭が無音のままに終わるのは、その叫びで(スピーカー)を潰してしまうことを経験から知っているせいだ。ボディに内蔵されている発声装置が壊れたら、遊作の名前も呼べなくなってしまう。言葉を伝えることも、警告を発することもできなくなる。

 既に生産終了したSOLtiS最後の一体に、代替パーツなんか残っているわけない。

 

(また遊作(おまえ)を死なせてしまったら、俺はどうすればいいんだよ——!!)

 

 (たましい)の悲鳴を飲み込んだAiはホワイトナイトの存在には目もくれず、ぐったりと脱力した遊作を抱え上げると弾丸のように駆け出した。ここは日陰で室内とはいえ風通しが悪く湿度も高い。熱中症の対処には不向きだからだ。

 家に帰れば水がある、塩も砂糖もある。帰れる家がある。まだ間に合う。敵前逃亡同然だろうが構わず加速したAiはだから、ご主人に従順な家事ロボットを害することはないと言ったくちびるが微笑ましげに弧を描いていたことを知らない。

 代筆の白矢印を逆走して屋外へと飛び出せば真昼の太陽は腹立たしいほどご機嫌に照り、倉庫街を通り抜けてきた埃混じりの海風が手を伸ばしてくる。来た道を戻るか、いや、遠回りだ。センサーで周囲を一瞥し、MAP上に最短ルートを探る。

 その間わずかコンマ数秒、AiはSOLtiSの身体機能に任せて爆ぜるように跳躍した。

 さながら人のかたちをしたミサイルだ。矢と呼ぶには凶悪すぎるスピードでAiは跳び上がる。後ろ髪を引く重力の妨害を振り切って上昇、中空へ、屋根の上へ。長い脚、ゴムの靴底、そのつま先が接地面をとらえた。

 SOLtiSのバランス制御を補正し、前傾に。偏差修正。トタンを踏み抜かないよう骨組みの上を全速力で駆け抜ける。錆びたボルトを避け、スレートの波に足を取られないよう二本の足を駆り立てる。

 倉庫街を一息に走り抜けて着地、往来に飛び出さないよう車道も歩道もまとめて飛び越えて、適当なトラックを足場に交差点をショートカットする。信号を片手でつかんでトライゲートブリッジ最後の橋——河口にかかる、三年前には建設遅延により未完成だったリンクベイブリッジ——めがけて舞い上がった。

 海上を突進してきた潮風がAiを打ち据え、人工毛髪をなぶる。塔高およそ120メートルの橋の上は、さすがに風が強いらしい。

 巨大なつり橋を支えるケーブルの上を火花ごと滑走しながら、ハノイに捕捉されたらやばいかな、と、Aiのなかの冷静な思考がやけくそめいて笑った。多分どこかの監視カメラから〈ハノイの騎士〉の誰かが見張っているのだろう。ねえねえリボルバー先生見てる? 見てたら救急車でも呼んでよスポドリ段箱で送ってきてくれてもいいよ、なんならウチのエアコン遠隔操作でつけといてくんないかな——もう何だっていいから遊作を助けてくれと、Aiの思考回路が熱暴走する。

 自ら救急車を呼ぶという選択をとれなかったのは、シミュレーション上において病院といえば敵陣営の支配下だったせいだ。直接敵対することこそなくともカルテや搬送記録のデータベースから情報が漏洩し、遊作を奪われてしまったことは数えるのも面倒になるくらい何度も何度も何度もあった。

 

「 ぁ…… い 、」

 

「はいはいはいはい今ちょっと黙ってて舌噛んだら大変だから!」

 

 うわごとか、意識が戻ったのか、判別つきかねたが、ぎゅうと抱きなおして諌める。発声を口腔粘膜の動きと紐づけるなんて人間をデザインしたやつは馬鹿じゃないのかと内心で毒づく。

 だが安全性ならSOLtiSだって不完全だ。遊作のひとりやふたり余裕で抱えられてしまう労働力の怪力で骨のような肩を潰してしまわないように、人造の四肢五体がAiの指示(コントロール)通りに動作してくれるように、祈るしかない。

 早く、はやくと焦るAiの心情(プログラム)を物理法則が四方八方から阻んでくる。

 次の瞬間、ずるりと靴底がケーブルの軌道上を逸れた。バランスが崩れる。万有引力に抗えない。そこは二足歩行の生命体がいるべき場所じゃないとばかりに突き落とそうとする海風が、はるか120メートル離れた紺碧の奈落が、ここまで落ちてこいと足を引っ張る。

 眼下で手招く白波。

 ザッと危機感知センサーの悲鳴がAiの脳裏を埋め尽くした。

 

「 ……ッ ——!!」

 

 落ちる——本能の警鐘が絶叫し、金属質の双眸がいつになく鮮烈に光を帯びた。喉笛の菱形(ランプ)はタートルネックでは隠せないほどに赤く赤く、輝く。

 姿勢制御システム、自動補正を停止。マニュアルコントロールに強制変更。リンケージ再構築。風速を計算、座標を算出——軌道を補正。ついててよかった便利機能、狙って片方外した手首を放つ。海面へと無慈悲に叩きつけられるまでのカウントダウンに抗う祈りは、Aiの演算通りリンクベイブリッジを支える三つの主塔のひとつに届いた。

 活路をつかまえたAiは手首を基点に振り子のように滑空し、橋を渡りきると手近なビルの屋上に着地する。ハンガーロープに絡まないようリールを巻き上げると、ぐっぱと軽く動作確認をしながら遊作を抱き直し、フェンスを蹴って別のビルの屋上へ。

 メタ運動野パラメータを更新。加速、疾走。各部から押し寄せてくるエラーを振り切って走る。SOLtiSのボディが持てる機能をフル活用する。背中のランプが衣服を突き抜けるほど激しく発光するさまは、もがれた翼が血を流すようでさえあったが、駆動系統に処理を集中させているAiの視界(センサー)には映らない。

 演算に専念できるのは不幸中の幸いであったかもしれない。パートナーの横顔がずっと穏やかであれば、ただ健やかであればと、それだけ願っていられたらそれはそれで幸福だったというのに、今は遊作にどう接すればいいかもわからない。

 目を開けてほしい。もう大丈夫だと安心させてほしい。もう少しの間だけ、大人しく気絶していてほしい。矛盾する感情を今はまとめて胸の奥に押し込めて、二人暮らしの帰り道をひた走る。Aiのこころはぐちゃぐちゃだった。

 壮大な自殺計画のあと二年間離れ離れになっていた隙に遊作が生きている世界はAiの知るそれとは大きく変わってしまっていて、そのことに気づけないまま一ヶ月、安逸と暮らしていたのだ。

 二年もAiを探すために生命維持装置のなかにいたなら、運動不足どころの話ではないのに。

 くちびるを噛む。サイバース世界から持ち帰ったイグニスの〈(コア)〉の処遇決定に〈ハノイの騎士〉を噛ませたと遊作は言った。なら、リボルバーはAiの知らない何かを知っているのか? 腕のなかで静かに目を閉じている遊作がどんな景色を見ているのか、Aiにはわからない。わかるのはSOLtiSの目で計測できるバイタルだけだ。

 ああ、やっぱり俺に人間ごっこは無理だった——と、何度だって思い知る。帰宅したAiは、両手がふさがっていたってドアロックを解除できてしまう。

 

 だって、Aiはイグニスだから。

 

 AiはAIなのだから、人間ごっこに失敗したって痛くもかゆくもないのだ。

 SOLtiSの喉笛が放出する警告色で真っ赤に染まった室内には、血の一滴だって落ちてはいない。




※意識がない状態での水分の経口摂取は窒息や誤嚥の可能性がありたいへん危険です。
 熱中症がみとめられた場合はすぐに救急車を呼び、体温を下げる処置を行ってください。

※今回のエピソードは『シミュレーションでのAiの経験(トラウマ)』および『人型AIを受け入れていない社会』の表現です。

次回『プロメテウスの呪いを受けて』は来週水曜夕方6時25分投稿。
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