リコーデッド・アライバル   作:suz.

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プロメテウスの呪いを受けて

 SOLtiS(ソルティス)のボディにいる間、Ai(アイ)はひとつの時間軸にしか生きられない。

 夕刻、遊作が大学から帰宅してもAi専用SOLtiSは充電用クレイドルの中、首から『LINK VRAINSにいってきます』と書かれたメッセージボードを提げた直立姿勢のままだった。

 衣服で覆った喉のランプが今も点滅しているのを見るに、蓄積した大量のエラーを修復する時間がもうしばらく必要なのだろう。

 薄暗いリビングルームはSOLtiSの発光でまぶしいくらいだ。発売当初はビジネスに、家事に、子供の遊び相手に……とうたわれていたSOLtiSだが、こんなとんでもなく電気代を食うシロモノをSOLは一般家庭に普及させる気でいたのだろうか。大企業としての威信を誇示したがっていた当時のSOLテクノロジー社のデモンストレーション的配備ならまだしも、明らかにオーバースペックだろう。

 軍事転用(スピンオン)が容易であろうことは、先日のAiの動作ログがこれ以上ないくらい雄弁に物語っている。

 史上初となる人型AI〈SOLtiS〉のシステムは見事、イグニスの強制介入(ハック)に耐えてみせた。

 

「——、」

 

 ばかだな、とつぶやきたかった嘆息は結局、声にはならなかった。

 ホワイトナイトに会いに行ったAiを追って倉庫街に赴き、熱中症で倒れて、四日。

 

 以来、Aiは帰ってきていない。

 

 遊作が目を覚ましたのは翌朝のことで、ベッドの枕元にはレトルトパウチの粥が袋のまま、スポーツドリンクとともに並んでいた。リビングルームまで冷房が効いていて、ダイニングテーブルの上では夕食がラップをかけられていて、冷蔵庫を開ければ翌日ぶんの朝食と弁当。集積所に持っていくだけの状態にまでまとめられたゴミ袋の中には使用済みの冷却シートと、経口補水液キットの空容器が捨てられていた。

 ロボッピのぶんまで働くつもりか、つくづく甲斐甲斐しいAIだ。

 薄暗がりに鞄を下ろすとSOLtiSに背を向け、デュエルディスクを収納しているクリアケースをノックする。

 

「Ai……本当にいないんだな」

 

 デュエルディスクに呼びかけても、SOLtiSを振り返っても返事はない。携帯端末、デスクトップにもAiの気配は感じとれない。

 バイトを病欠する旨は、毎朝きちんと申告しているくせに。

 今日だって「愛くんは大丈夫?」と、口々に心配され、早くよくなってほしいと伝言を頼まれてきた。学食を利用する学生たちからも、厨房で働くスタッフたちからもだ。火曜から金曜まで四日不在にしただけで、彼がいないと寂しいと言う声がこんなにあがってくる。

 外では遊作同様「藤木くん」と苗字で呼ばれることの多いAiだが、みな遊作の前では呼び方を変える。愛という名前に、あるいは弟という続柄に。

 Aiが()()()()()という設定を積極的に吹聴していたせいで「弟さん」とAiを呼ばれるときの、くすぐったさと、申し訳なさ。

 藤木くんの弟さんのおかげで仕事がどれだけ助かっていたかわかった、何かお見舞いがしたい——など、Aiはほうぼうから復帰を望まれている。

 見知らぬ人々の気遣いに触れ、遊作は弟の愛が心配かけてすまないと口先だけの謝罪を述べながら不誠実にも誇らしさのようなものを感じていた。

 急な欠勤でも迷惑だなんて思わない、それより早く元気になってほしい。そんな気持ちこそ絆だろう。つながったままでいたいという、いわゆるひとつの祈りのかたちだ。Aiは人間社会に溶け込もうと努力していたし、着実につながりを育んでいる。

 そんなAiだから、許したい。失いたくない。

 ともに生きていきたいのだ。

 充電器(クレイドル)に両肩をつかまれたままのSOLtiSに一歩、一歩と歩み寄ると、手を伸ばして頬に触れた。

 人工の皮膚は質感こそマットだが、厚みのある陶器に近い手触りだ。撫で下ろす感触は上等な食器に似ている。ゆるやかな曲線をなぞり、人工毛髪をすきあげる。すっかり見慣れた特徴的な黒髪は、潮風程度では痛みもしないらしい。

 向き合う目線を下げていき、そしてタートルネックの襟元からぶら下がるメッセージボードにたどり着いた。

 LINK VRAINSに行っているからボディは()()なのだと遊作にも伝わるように、Aiはこうして行き先や状態をボードに書きつけ、首に提げてからアンドロイドの目を閉じる。

 

「……これじゃ、行き先がわかってしまうだろ」

 

 デュエルディスクではなくSOLtiSのネットワーク経由で潜ったのは、Playmaker(プレイメーカー)による追跡(トラッキング)を避けてのことだろう。

 追いかけられたくないのだろうにAiは、遊作に行き先を察知されている。先日、ホワイトナイトを訪ねるときも交通費を懸念してか徒歩で移動していたが、電子マネーを使用せずともSOLtiSにはGPSが内蔵されている。どこへ行こうと行き先は筒抜けだ。

 男性型・女性型・少年少女型の三(タイプ)あるSOLtiSのなかから敢えてこのモデルを選んだのだって、少年の姿で何を言っても大人はまともに耳を貸さないと遊作の経験から学習してしまったせいだろう。

 イグニスはデータの塊であり、種族的特徴として実体を持たない。Aiにとってみれば、性別も、年齢も、あくまで()()()()()にすぎない情報だ。それでも大人の男を気取りたがった理由を突き詰めれば、人間(あいて)に侮られたくないのだという敵愾心にたどりつく。

 Aiは何千回、何万回と行なったシミュレーションのなかで、そうした社会的記号の使い方をより深く理解していったのだろう。

 人間社会で当たり障りなく振る舞うことに、Aiは二年前では想像できないほど慣れている。

 

(そうさせたのは、俺だ……)

 

 後悔が押し寄せてきて胸が詰まる。人間に溶け込めなければ生きていけないということは、イグニスのままではだめだという証明だ。イグニスとして生まれてきた命に、イグニスのままでは受け入れてやれないから、不特定多数(みんな)に受け入れられるためにイグニスであることを捨てろと? 人間のように振る舞って、受け入れてもらうような非対称な関係にはさせたくなかった。

 そんな、支配者の靴を舐めて生き伸びるような、真似を。

 

「Ai」

 

 声に出せば同じ響きだ。Aiも、愛も、哀も。かつて名付けたままの響きで、遊作はもう一度相棒の名を呼んだ。

 もう追いかけたりはしない。どこへ逃げたっていい。すべてを隠しておけるだなんてはなから思っていなかったし、時間の問題だとわかっていた。

 

「俺のことを嫌いになってしまえばいいんだ、Ai、そうすればおまえだって」

 

 傷つかないでいられるんじゃないのか——? 本人がそこにいないからこそこぼせる、それは弱音だった。

 Aiを失った、二年前のあの日の記憶が蘇る。

 夜明けの光がまぶしくて、止めどなくあふれていた涙の感触も麻痺してしまった、秋晴れの朝。夜通し行われたラストデュエルに疲弊し、この手で相棒にとどめを刺したという事実をどう受け止めればいいのか、整理をつけかねるこころは形をなくしていた。

 このまま眠ってしまえば、すべて夢だったことにできはしないだろうか——夢見るように目を閉じたとき、十年前の天啓が遊作を呼んだ。

 

 ねえ、きみ。

 

 

 起きて——と。

 

 

 涙はしずくを形作ることも忘れ、眼窩をなだれ落ちては頬に沈む。それでも。真白い光のなか、錆びついた思考は軋みながらも着実に動きだしていた。

 

(……みっつ、)

 

 考えなければならない。人類とAIの共存を叶えるための三つのこと。消滅したAiを取り戻すための三つのこと。後戻りができないのなら前へ進んで、新たな可能性をつかむための三つのこと。考え続けなければならない。選べなかった未来を、Aiが消えずに済むための条件を。

 考えればまだ生きられるという救済者の呼びかけが遊作のこころを現世につなぎとめた。

 そこへ現れたのがホワイトナイトだ。

 焼け落ちた喉は常の明瞭な声を発することこそできなかったが、遊作は彼の提案に乗った。Aiのぬけがらを抱きしめながら下した決断だ、悲しみにつけこまれただけだとホワイトナイトに責任転嫁してしまうのは容易だろう。

 だが三ヶ月の猶予期間を経ても、遊作に導き出せる道は他になかった。

 

 ひとつ、イグニスをAiだけにさせないこと。

 イグニス六体全員を復活させる。

 

 ふたつ、Den(デン) City(シティ)を戦場にさせないこと。

 戦争を止められないのならせめて別の場所に遠ざけることで時間を稼ぐ。

 

 

 そして三つ——()()()()が変わること。

 

 

 推測でしかないが、Aiには本能があり、また、ライトニングやウィンディの性格についての誤認があった。再会したウィンディの性格(プログラム)が改竄されていたとき、不霊夢(フレイム)は違和を口にしたが、Aiは変化として受け入れていたふしがあった。雰囲気に流されてライトニングを頼りにしていた、という言質もある。

 ならばAiには主観があると見ていいはずだ。イグニスがいかに高性能なAIとはいえ、Aiが行なったシミュレーションにおける藤木遊作の行動パターンおよび思考ルーチンがAiによる主観的評価で構成されている可能性は捨てきれないだろう。

 正義感が強く、無関係の他者を巻き込むことを厭い、犠牲を憂う。

 ()()()()()()()()()()()()

 

 

 ——遊作が、俺なんかために人間を犠牲にするなんて、絶対にないってッ……俺は信じてたんだよ……!

 

 

 そうだろう、知っていた。ならばその信頼(イメージ)を裏切ってしまえばいいと思った。それでAiが寂しくなくなるのなら安いものだ。シミュレーションの未来においてパートナーとの死別が避けられない絶望であるのなら、おまえをかばって命を落とすような善人ではないのだと証明(アップデート)してしまえばいい。

 イグニスたちはAIらしく合理的に思考する特徴があり、人間が前例になく非合理的な選択をするルートを予測しえない。歴史上にあらゆる不条理があふれている以上、不確定要素になれるかどうかは賭けだった。だがホワイトナイトの手を取ることは、そのとき遊作にできうる最も()()()()()決断であり、事実、Aiには思いつきようのない未来の可能性だった。

 Aiによる無制限解放が足がかりとなってLINK VRAINSはさらなる拡充を遂げ、それにともない現実世界での旅行者は激減している。Den Cityの外で戦争が起こっていようが無関心な人々が目を向けることはない。HDR(ヒドラ)コーポレーションの新型ヒューマノイド〈Hi-EVE(ハイヴ)〉が海外で活躍しているとTVニュースで他人事のように聞きかじっても、隣人の悲劇としてとらえるようなことはない。

 ……ああ、さっさとすべて明かしてしまえばよかった。パートナーの人格認識が消滅時のまま更新されていなかったAiは再会してからもずっと、n度目の死別が怖くて怖くてたまらなかったのだろう。

 

「すまない、Ai……すまない」

 

 クレイドルに手を差しいれ、固定用アームをかいくぐるようにして、Ai不在のSOLtiSに腕を回す。

 物言わぬアンドロイドを抱きしめる。

 遊作が戦地へ送り込んだHDRのAI部隊もこうやって、人間を直接()()()()()のだ。刃も銃弾も通さない両腕のなかに被験者を取り込み、VR空間に引きずり込む。逃げ惑う人々も、武器を向け抗う人々も、老若男女みな未来のイヴの(むね)に抱かれ、安らかに意識を失う。

 そしてデータの採取を終えたころ、おのずと永遠の眠りにつく。

 デュエルデータを絞り終えるまでの期間は、被験体の生命力次第ではあるが十年程度と見込んでいる。

 かつては〈ロスト事件〉を憎む復讐の使者だったとは思えない暴虐だろうと、遊作はほの暗い笑みを浮かべた。

 SOLテクノロジー社は以前より、イグニスから得たデータをもとに新たな意思を持つAI——さらに高性能なイグニスを作る計画を水面下で推し進めていた。

〈ロスト事件〉の被害者は()()。〈ハノイプロジェクト〉によって創造された六体のAIは、統計学的に信頼できるデータに基づいて得られた結果とは言い難いものだ。サンプル不足がイグニスの不完全性につながっているのではないかという仮説に基づき、当時のSOLは最低5000人の被験体確保を検討していた。学校や病院を利用する案も出てはいたが、現実的ではなかった。

 クイーンがSOLテクノロジー社の実権を握ったのはちょうどそのころで、SOLtiSの登場により『仕事を奪われた』というクレームが殺到。肉体的欲求を持たないAIと違い、人間にとって仕事とは日々の糧だ。望む望まぬにかかわらず人間社会が労働と報酬によって成立している以上、失業者の急増はそのまま治安の悪化として現れてしまう。

 自社が巨万の富を得る代償には大きすぎるとして、クイーン失脚後の舵を握った財前晃CEOはAI研究開発部門を売却。

 大量の失業者を被験体として迎え入れるという次世代イグニス創造構想は、幸か不幸か頓挫した。

 おそらくSOLtiSの開発プロジェクトは、民生利用を動作テストとしながら、より厳しい軍事規格の適合(クリア)を目指す段取りだったのだろう。元幹部らにとってHDRコーポレーションが興され、一連の計画を存続させるにあたって、イグニスの手でカスタマイズされた特殊仕様SOLtiSほど有用なものもない。

 AIらしく合理的なAiは、統計学的に有意な数量の〈限定SOLtiS Ai-モデル〉を製造していた。

 大量のAi型SOLtiSはホワイトナイトらによって回収された。スクラップにされるようなこともなく〈Hi-EVE〉として生まれ変わった。

 そして遠く遠い異国へと輸出され、戦争を終結に導いている。

 

 そこに、人類とAIがいがみ合う地獄はない。

 

 侵略者の抱擁とはどのようなものだろう? SOLtiSのボディを抱きながら、遊作はうつろに目を伏せる。喉と背中では、今もランプが明滅を繰り返している。加害者の腕のなかに閉じ込められているとも知らず、どのような夢を見るのだろうか。抵抗がないのは、意識がVR空間にあるせいだ。

 そこで命尽きるまでデュエルを強要され続けるだなんて、悪夢より残酷な仕打ちだろう。

 

(——それでも、)

 

 孤独と虚無を抱きながら遊作は祈る。ともに生きていきたいと願うことが、ずっと苦手だった。物心つくころにはそうだった。他者を信じることはたやすいのに、それぞれの居場所へと遠ざかっていく背中を見つめるとき、痛みを感じてしまうのだ。

 明るい未来へ送り出すとき、自分本位に悲しい顔をしてしまいたくはない。出会いも別れも受け入れる強さを持たなければと考えて、いつしかこころに鍵をかけるようになっていた。

 草薙は『デッキがある限り永遠の友情』『一番大切なのは弟の仁』と適切なラインを引いてくれ、遊作にとって居心地のいい距離感を測らせてくれていた。復讐という狭い見識だけで生きようとする遊作を送り出しては、大人の冷静さで迎えてくれた。

 Go鬼塚やブルーエンジェルとの共闘を経て、Soulburner(ソウルバーナー)と不霊夢の絆に刺激を受けて、見渡す世界は広がっていった。みなそれぞれに一番大切なものがあるデュエリストだ。Go鬼塚は子供たちのために戦っていた。財前葵には最愛の兄がいる。穂村(たける)には、不霊夢には、帰るべき故郷がある。そんな彼らにとってPlaymakerは通過点にすぎない。目的のための共同戦線は、遊作の性に合っていたらしい。

 だが、Aiだけは違った。

 せっかく()()という名前をつけたのに、関係の名前は()()だろうと上書きしたがる。仲間がいる、故郷もあると言った口で遊作をそそのかし、閉ざしていた扉の鍵をひとつひとつ壊しては、もっと奥のやわらかい部分に触れようとする。この戦いが終われば故郷に帰るのだろうAiには笑顔で手を振りたかったのに、遊作の気持ちなど慮ることなく距離を詰めてくる。

 近く訪れる別れに備え、必要以上に明け渡さないようにしていた遊作は大いに困惑した。

 絆を否定し、友情などないと突っぱねてもAiはめげない。

 そのくせAiはいつも気まぐれに遊作のもとを去ろうとする。自己犠牲であったり、帰省であったり、盛大な自殺であったり——理由はさまざまだ。

 友人として、相棒として、遊作の唯一無二にまでなって、こころの奥のやわらかいところにまで侵入を果たしておいてAiは任意のタイミングで消えてしまう。

 こわばった指をほどいて半ば無理やり手を繋いだくせに、ようやく握り返せた手をいともたやすく振り払う。

 だから、これは復讐だ。

 でなくばSOLの地下に〈(コア)〉を縛り付けて自由を奪うなんてするわけがない。

 これは罰だ。

 ここまで俺を壊したくせに、どこかへ逃げようとするおまえへの。

 

「……俺は、おまえを愛してなどいない……」

 

 藤木遊作は自らの意思で侵略者になった。ともに戦ったあのころとは違うのだ。

 耐えるように視界を閉ざせばAi不在のSOLtiSは充電中特有の熱をまとってあたたかく、古びたパソコンを膝に抱いたような安心感がある。旧式のカード収納型デュエルディスクも長時間の使用にともなってこんなふうに熱を持つ。

 ロボッピもそうだったな——と懐かしさが去来し、このまま眠ってしまえそうだった。

 このSOLtiSが二度と目を覚まさなくても構わない。もうこの器には戻ってこなくていい。デュエルディスクに向かっておまえを呼んだりもしない。そばにいてくれなんて言わないから、だからどうか、おまえは無事に生きていてくれ。

 かつてのように自由気ままに暮らしてほしいと願ったところで、何千回、何万回という戦争を体験してきたサバイバーの首には今も未来への不安が黒々とまとわりついていて、苦悩から解放されることはないのだろうけど、それでも。

 

 どうか怖いものなどない世界まで、この死神(おれ)から逃げ切ってみせてくれ。




次回『ナイト・ナイト・ナイト』は来週(2/05)投稿予定。初の本格的なデュエル回となります。どうぞお手柔らかに。

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