それにしても、生身で呼び出されるというのは不思議な感覚である。遊作たちがSOLグループ本社ビルまでやってきたのは午後の講義を終えた夕刻だった。
ここに呼ばれるのは、遊作が持ち帰ってきたイグニスの〈
居心地悪そうな
無機質な廊下には品のいい調度品が適度に置かれており、
案内されるがまま扉をいくつかくぐると、財前晃が出迎えた。社長室らしく重厚な応接用ソファには葵とアクアの姿もある。先に来ていたらしい。
「急な呼び出しにもかかわらず応じてくれて感謝する」
「で?
Aiが軽い調子で進み出れば、財前は気を悪くするふうもなく首肯する。
「歩きながらで構わないかな」と断ってカードキーをかざすと、奥の壁が左右に割れた。
音もなく口を開けたのは一部屋ほどのスペースがありそうな隠しエレベーターだ。人知れず内蔵されていた精巧なギミックに、仁が小さく歓声をあげた。
壁には絵画を飾った瀟洒な箱は一同を乗せ、音もなく地下へと降りていく。(内装が真っ白でないのは、〈ロスト事件〉被害者を招き入れる場合を想定した配慮なのかもしれなかった)
そして、財前は厳かな口調で切り出す。
「LINK VRAINS内のNPCが年々増加していることは、知ってくれているだろうか」
「NPC……?」
「動物や昆虫、植物——LINK VRAINSには未知の生き物が棲んでいる。それを
もとよりLINK VRAINSはイグニスの作り出したデータマテリアルから成る我田引水の箱庭だ。大元であるサイバース世界は地球上の資源や文化を模倣して創造されているので、LINK VRAINSの風景を彩っている草木は当然のように生きている。空には翼を持つ動物がいるし、水底には水棲生物がいる。世界とはそういうものだろう。
「近年、NPCの凶暴化が見過ごせなくなってきた。大型の肉食動物、毒を持つ昆虫に襲われればフラッシュバックも深刻だ。そこで、ほかでもないきみたちに調査を依頼したい」
『それは、その生物たちが我々イグニスが作ったデータマテリアルなのかどうか確認せよ、ということでいいのだな?』
「その通りだ」
「まあ、俺たちの誰かが作ったものだし……俺たちならわかるだろうけどよ。そういう調査に関しちゃゴーストガールやブラッドシェパードがいるんじゃないのか」
「ふたりには二年かけて多くのサンプルを持ち帰ってもらっている。ハノイの騎士が解析を続けているが、イグニスアルゴリズムに非常によく似ているものの、完全に一致するとは断言できないそうなんだ」
エレベーターの扉が開く。すると白く清潔な部屋の中央には三日月のようなクレイドル型のログインブースが三脚。
見覚えのある形状を目の当たりにして、Aiが片眉をつりあげた。
「……リボルバーが使ってたやつと似てるな」
「お察しの通り、ハノイの騎士から提供された技術だ。きみたちに調査を依頼するにあたってSOLグループは可能な限りの情報と設備、報酬、保証を提供する用意がある」
「へえ?」
挑戦的にくちびるをつりあげ、Aiは率先してデバイスに近付いた。リボルバーからの
あちらに想定されているのだろうメンバーは、おそらく
だが草薙仁が回復していること、このところ最も頻繁にログインしていること、デュエルの腕前が確かであることは、ネットワークの監視者様なら当然承知のはず。仁は十年におよぶ入院生活で低下した運動機能を取り戻すリハビリとしてVR空間を利用しているにすぎないが、戦力として数えていいデュエリストである。わざわざ頭数から弾いておく意図が読めない。
罪滅ぼしのつもりか、……それともライトニングを警戒したか?
「よし。それじゃ、こいつは遊作、尊、仁の三人で使ってくれ」
「ちょっと。わたしもいるのだけど?」
「こう言っちゃあ悪いけど、あんたはアクアのオリジンじゃないからな。はぐれたとき面倒そうだ」
「わたしがアクアとはぐれるようなことがあるっていうの?」
「何があるかわかんないってことだよ」
『……葵。Aiには何か思うところがあるようです。今は彼を信じましょう』
アクアのフォローに、Aiがそっと双眸をゆるめて謝意を示す。そして換気でもするように周囲を歩き回ると、パートナーの左腕をつかまえた。
デュエルディスクを媒介するため、ログイン中は遊作に折り重なるような格好になるが、それはご愛嬌というやつだ。
「俺は遊作ちゃんのお膝でログインすっから問題ないとして」
「おまえたちは、いいのか?」
遊作が振り返ったのは、尊と仁だ。
今なら葵という交代要員も確保できている。
「僕は行ってみたいな、ライトニングが出てきてくれるかもしれないし。……兄さんには、できれば内緒で」
『わたしも協力する用意があるぞ。久しぶりのLINK VRAINSだ、里帰りのようで悪くない』
「俺は——……うん、いいよ。不霊夢の力になりたいし」
「よし、じゃあ決まりだ」
Aiが遊作の左手を持ち上げ、依頼主を見据える。財前はひとつ頷いて、遊作、尊、仁の三人をリクライニングシートにうながした。
現在、SOLグループと〈ハノイの騎士〉は共闘関係にある。どのような取引があったのかは部外者である遊作やAiには明かされないが、かつてはイグニスを奪い合って敵対していた組織は表立って手を取り合うに至った。
今から三年前——SOLテクノロジー社はサイバース世界のありかを特定し、再び膨大な情報資源を手に暴利を貪ろうとした。一方で〈ハノイの騎士〉はイグニスを抹殺しようとしていた。今も忘れない、遊作とAiが出会うきっかけとなった一連の事件だ。
あのころは〈ハノイの騎士〉の襲撃を受け、Aiがサイバース世界を隠しただけでネットワーク効率が30%以上も低下するほど脆弱だったSOLのサーバーは、Aiが消滅してもほんの数ヶ月で持ち直せるほど強固なものになった。遊作の手で再び人間社会に連れ戻されたイグニスたちはもうネットワーク上に独自の世界を作ることもなく各々の殻にこもり、パートナーのもとで
それでも風は吹いている。
Aiはパートナーの膝に乗り上げると、耳元にくちびるを寄せた。
「……遊作」
エメラルドのひとみが鏡のようにAiをうつして、長いまつげをそっとまたたかせる。静かな首肯だ。目を閉じる。
そして三組のオリジンとイグニスを送り出すように、ログインアラートが走り抜けた。