(予告からタイトル変更しました)
まあ、よくある話だ。
きっと珍しくもなんともない、ありふれた崩壊だった。
顔を上げればすぐそこに、最愛の弟が十年もの間入院していた国立病院があるせいだろう。開店前にひとりで買い出しを行うとき、その傾向は顕著だった。
家族が壊れた、あのころのことが何度も何度でも脳裏をよぎるのだ。
独立開業の理由も、出店場所の選定基準も、すべて
だから、目の前で意識データを奪われたときの無力感といったらなかった。
どんなにそばにいても俺では救えない。守れない。ようやく弟が帰ってきてくれたという希望をへし折るように、また目の前から消えてしまう。
回復した仁と三年近く一緒に暮らしていながら、その不安が今も拭えないのだから情けない。
十三年前——弟がランドセルを背負ったまま神隠しに遭って消えてしまったXデーを、草薙は生涯忘れることはできないのだろう。
八つ歳の離れた弟と、一緒に登下校したことは一度もない。仁は小学一年生になったばかりだった。事件発生当時の草薙翔一は中学生で、小学生の、しかも低学年だった仁とは時間割が大きく異なる。部活動に精を出し、サッカー部でレギュラーを張っていたこともあり、とっぷりと暗くなったころ帰宅するのが常だった。
あの日も同じように部活を終え、サッカーボールとともに帰宅した。夕刻のことだ。母が憔悴しきった様子で玄関口まで駆け出してきて、学生服の両肩を掴んだ。
「仁は一緒じゃないの?」
「母さん?」
「仁を知らない? あの子、まだ帰ってこないのよ」
「え? でも、いつもなら——」
「そうよね、おかしいでしょう? おかしいわよね、学校の先生にもお友達のおうちにも連絡したのに」
「待ってよ母さん、一体何が——」
押し殺した早口の詰問が矢継ぎ早に繰り出され、逃げるように振り返れば、玄関のドアが黒々と口を開けていて、まだ靴を脱いでいない足が、目に見えない怪物に捕らえられたように動かない。
今まさにたどってきた帰路が、途方もなくおそろしい魔物に見えた。
(……じ ん、)
その日からの半年間は、地獄だった。
円満な家庭というのはさまざまな要素によって成り立っている。精神的安定。経済的余裕。社会的地位。草薙一家は父親と母親、子供は男の子がふたり。長男の翔一はスポーツ万能で、次男の仁は素直で明るい。治安のいい郊外に庭付きの一軒家を構えて仲良く暮らすという、世の中の理想を具現化したような家庭環境だった。
なのに——いや、だからこそ、ほころびが生じれば家族の形を止めることすらできなくなった。
警察に相談しても仁の足取りはつかめない。探していますと昼間は街中でずっとビラを配り続けるようになった母は不在がちになり、学校から帰宅しても食卓どころか冷蔵庫にも何もない。弁当を作って持たせてもらえることはぱったりなくなり、やがてテーブル上に小遣いが放置されるだけになった。
朝にはいつものように仕事に出て行く父を、母が見咎める。
——仁が心配じゃないの!? こうしているうちにも仁は……!
言い争う両親を見ていると、喉の奥で、胸郭のなかで、何かがすり減っていくような心地だった。
自宅にいるのが苦痛になって夕方遅くまで帰宅せずにいたら、母が「心配したのよ」「翔一までいなくなったらお母さんはどうしたらいいの」「仁はいつ帰ってくるの」「はやく帰ってきて」と泣き喚く。
ああ、もうこの
家族なんだから助け合わなければという自制心と、見る影もなくなった母の面影のコンフリクトを、十四歳で
ごめん、母さん——空虚な謝罪を述べながらも、病的な焦燥に取り憑かれて泣く母のことを、気味が悪いと思ってしまった。
父も同じ思いだったのだろう、ため息をついて目を逸らし、無言を貫いていた。
やがて、同時期に何名かの児童が姿を消していることがわかった。三人だとも、十人だとも、不明児童の人数は曖昧なまま情報が錯綜し、同時多発的に発生した誘拐事件はマスコミによって〈ロスト事件〉と名付けられた。
弟は必ず無事に帰ってくると信じていても、昨日も今日も、待てど暮らせど、事件解決の糸口は見つからない。面白おかしく報じられるニュース番組は、もはや連続殺人事件のような扱いだった。
近隣で犬の屍骸を見つけたという見ず知らずの
ちょうどそのころAIによる自動運転車両の事故が多発しており、……これで被害者家族が正気を保っていろというほうが無茶だろう。
ところが、気の遠くなるほど陰鬱な日々は、唐突に終わりを告げた。
被害児童六名が保護されたという一報が入ったのだ。
警察からだった。救急病院にいるという知らせを聞いて両親は車で家を飛び出していった。夜半であったから、明日には弟に会えるという希望を胸に就寝した。
半年、半年だ。半年もの間、家族は幼い弟を探してかけずりまわって疲弊した。長い時間だった。ひとり欠けただけの食卓も、ようやく家族団欒に戻れる。
仁さえ戻ってきてくれたなら、やさしい母親が戻ってくる。頼れる父親も戻ってくる。
居心地の悪い家のなかに、希望の光が帰ってきてくれる——そんな夢を見られたのは、ほんのわずかな時間だけだった。
弟のこころは、帰ってこなかったのだ。
仁は素直で明るい子だから、壊れてしまった家族を元に戻してくれるはずだという浅はかな考えはがらがらと音を立てて崩れ去った。
まだ新しい勉強机も、二人部屋のベッドも、想定されたように使われることはもうないのだろう——描いた未来が塗りつぶされる。当たり前の日常は書き割りでしかなかったのだったと、残骸を自分の足で踏みつけて初めて知った。
どうして元気なまま帰ってきてくれなかったのだろう、と、考えたこともあった。だが、ある日突然誘拐され、連れ去られた半年前のままで帰ってくることができなかった幼い弟に、一体どんな落ち度がある?
両親はほどなくDen Cityで一番大きな病院に仁を預け入れることを決断した。家でできることなど何もなかったからだ。意識があるのかないのかさえ、判別することができない。父も母も医療の知識はなかったから、専門家に任せる以外の選択肢が生じえなかった。
Sランク保護プログラム対象者は国立医療機関を無償で利用できるとわかったときの母の横顔を、忘れることはできないだろう。
仁を愛していなかったわけじゃない、わかっている。
ただ、何もできなかっただけだ。……頭では、わかっている。
どうしようもないまま家族のこころはバラバラになり、両親は顔を合わせることも避けるようになった。憔悴する母には、誰も寄り添えなかった。父の苛立ちはもっともだった。平静を欠いた人間のそばというのは落ち着かないものだ。泣かれてもどうすればいいかわからない。いつ取り乱すかわからない天災のような相手を、どうやって宥めればいいのか。明るく快活だった昔の面影を追ってしまうことへの罪悪感を、どうやって飲み込めばいいのか。
弟は誘拐されていなくなって、生きて帰ってきてくれはしたものの、言葉のひとつもかわせない。
円満だった家族の日常は、もう二度と戻らない。
みんな悲しいのだ。わかっていても、ひとりで悲しむには、一介の中学生にすぎない草薙翔一は幼すぎた。
サッカーの試合に勝っても、喜んでいる心の余裕を自責の念が押し流す。仲間たちと同じようには笑えない。チームメイトが弁当を広げる輪から抜け出して、隠れるように菓子パンを流し込む。好きでもないものばかり食べていた。
朝は暗いうちから登校した。小学生の通学時間帯をあからさまに避けた。小学校もまともに行けなかった仁。同世代の友達と笑いあう姿は、本来あるべきだった仁の日常だ。どうして仁はそうではないのか、悲しみは嫉妬に変わる。
楽しみを見つけることにも罪悪感がともない、サッカーはやめた。好きなものだから捨てることにした。
衝動のように光に背を向け、ハッカーの道を志したのも、弟のためではなく自分自身のためだ。
弟をあんなふうにした犯人に復讐してやりたい。犯罪者になってでも見つけ出して、絶対にこの手で殺してやる——! そんな激しい感情だけが、魂の救済だった。
中学でも高校でも広く浅い付き合いしかできないまま、大学を中退して独立したのが二十歳のときだ。弟が入院している病院のすぐそばの広場にフードトラックの出店を決めた。何かあったときすぐ駆けつけられるように……なんて自分自身への言い訳にすぎず、ホットドッグワゴンは逃亡のための足だった。
あれから、六年あまり。
どうして仁でなくてはならなかったのかと運命を呪わない日はなかったが、遊作と
あんな悲劇がなければよかった——と恨みがましさが沸き起こったとき、イグニスたちとの絆まで否定するような言葉を吐き出してしまってはならないと、自制心で踏みとどまる。
とにかく今は、大学生になった仁に学校生活を謳歌してほしかった。未来の選択肢を増やしてほしいという願いもあるが、学生でいられる時間は短い。国家が適用するSランク保護プログラムのおかげで医療費も学費もすべて免除されているのだ、今しかできない経験をしてほしかった。
ふうと肺腑の奥まで換気するように大きく息を吐いて、草薙は買い出しから帰り着いたホットドッグワゴンのバックドアの鍵を開ける。
積み込む荷物は以前に比べればずいぶんと少ない量だ。売り上げ以前に外出者の減少が顕著で、
とはいえ今日は金曜だし、定時退社時刻をすぎたあたりからは客足もいくらか戻るだろう。
荷物を積み込み終えるとドアを閉め、扇風機をまわす。エアコンのスイッチを入れる。
するとデスクトップでランプが点滅しているのがふと気になって、草薙はコンソールパネルを開いた。
(メール? どうしてこの端末に……)
わざわざCafé Nagiに届くようにメッセージを送ってくるとは。不信感と緊張感が草薙の背中を冷たくする。
そこへ追い討ちをかけるように、バックドアが開いた。
「ただいまー。もうすぐ開店の時間だよね?」
「……仁 、」
「兄さん? なに、その画面……メール?」
▼
兄ほどではなくとも、プログラミング言語に精通していてよかったと思う。
草薙仁の所感はその一言に尽きた。
Café Nagi内のモニタは表示されるにあたって一定の法則下で暗号化され、一見して読めるようにはできていない。タイムラグなしで読解できるようになるまでまるまる二年かかってしまったが、今の仁ならば遠目からメールを盗み見ることなど容易である。
遊作や尊には見えていない遠い場所、小さな文字、不明瞭な図柄がはっきり視認できてしまう視力は、むしろAiや不霊夢に親近感を覚える。僕ってAIっぽいのかな、とも思う。だが、どうせ十年ぶんのサボりが吉と出ただけなのだろう。勉強時間も読書量も十年ぶん少ないということは、視力が落ちるほど目を使ってこなかったということでもある。
(……AIとは性能が違うし、ね)
決断が遅い、文法が誤っている、などなど日々ライトニングのダメ出しを食らっている身でAIとは、さすがに大きく出過ぎだとしても、記憶力ならいいほうだ。……それだってメモリに余裕があるせいだろうが。
ともあれ、仁は見たものを見たまま暗記するのが得意だった。
メッセージ内に指定されていた座標を目の前にして、足を止める。
早回しで夜になったような闇のなか、コンクリートジャングルの異名がふさわしいオフィスビル街の裏通りに人の気配はない。建物に遮られた夕陽が二重三重の影を作るのか、まるでダンジョンだ。海風がひぃひぃ不気味に泣き声をあげていて、いかにも人を遠ざけそうな雰囲気である。
潮風にさらされたせいか錆びついた古い鉄の扉、立て付けの悪そうなドアに手を伸ばした瞬間、胸元のピカリ——もとい〈光の核〉からふわりと仁のティンカーベルが飛び出した。
手の甲に降り立ったライトニングはドアノブを回させまいと仁の手を踏みつける。
『それで、先ほどきみが唐突に思い出した忘れ物とはなんだ』
「……兄さんは心配性だから」
『質問の回答になっていない』
「翔一兄さんが心配性だから、僕は『忘れ物思い出しちゃった』って嘘ついて指定座標にひとりで来た。これでも答えになってない?」
にこりと笑んでみせて、仁はドアノブに手をかけ、ゆっくりと回す。
『仁!』と小言を重ねようとするライトニングはソリッドビジョンなので落ちたりはしない。
LINK VRAINS内ならまだしも、現実世界では実体がないのだ。触覚的に触れられるはずのない立体映像を当たり前のように肩や手のひらに乗せてしまう尊と不霊夢の呼吸の合い方にぞっとしたのは、ライトニングと出会って間もないころだった。(一体どうやってタイミングを合わせているのか、仁には皆目見当もつかない)
仁が盗み見たメールは二件、ひとつは〈
もうひとつは
イグニスとオリジンに何事か起こるかもしれない、気をつけておいてくれ——という内容。
しかも情報源は藤木遊作、Café Nagiの端末に転送したのは〈ハノイの騎士〉だと添えてあった。最強の矛と盾のタッグだった元相棒に先んじて遊作は財前CEOとリボルバーを頼っていた……という事実に、あの兄は内心ショックを受けていたに違いない。
だから、仁は自発的にHDRの誘いに乗る格好で、ここまで出向いてきた。
鍵のかかっていなかったらしいドアノブは侵入者を歓迎するようにガチャリと音をたてる。慎重に慎重に扉を押し開けた、次の瞬間だった。まるでコウモリが一斉に飛び立つように闇色の鉤爪が飛び出し、無数の腕が仁を捕らえようと渦巻く。
一撃で頭ごと吹き飛ばしてしまいそうな、恐怖の渦。凶暴性を凝縮したように仁めがけて鋭い爪が襲いかかる。
『仁!』
ライトニングが身構えたが、しかし仁はきょとんと目を瞬かせただけに終わった。
「こいつって《闇より出でし絶望》だっけ? ソリッド・ビジョンも大きいと迫力あるなぁ!」
『…………』
思わず顔を歪めたのはライトニングだ。猛烈な勢いで首をねじ切ろうとしたモンスターの強襲を受けておいて、第一声がこれとは。〈ロスト事件〉中の記憶を消費してしまったとはいえ、こうも怖がる様子がないのが誰のせいなのか、思い当たる節がありすぎていたたまれない。
ところが目的の座標に向けてダンジョンへの侵入を果たした仁はといえば、のんきなものだ。次から次へと獰猛な牙を剝きだすモンスターに動じることなく、まるで博物館でも冷やかしているような調子でぐんぐん地下へと続く階段を降りていく。
「見て、ライトニング! 《メガロスマッシャーX》だよ、すっごく大きい!」と眼前で大口を開けられてもこのありさまだ。
ソリッド・ビジョンには質量がないと、頭で理解していても目をつぶるとか、……あるだろう、そういった反射が、人間には。
まったく肝が座っているというか、神経が太いというか——。
『きみは存外したたかなのだな』
「
『きみのその態度は、襲いかかってくる展示物を楽しむものではないだろう』
LINK VRAINSのイベントにはデュエルを解さないモンスターとのふれあいも開催されており、サファリイベントも存在している。だが、仁の反応は
眉ひとつ動かさないまま、仁は所在なげに指先で前髪の端をつまむ。この三年でいくらか伸びた闇色の髪を軽く引っ張って、その手を落とした。
「まあ……兄さんの前なら怖がってみせたかもしれないけど。今はライトニングしかいないし」
『草薙翔一の前では自分を偽っていたと?』
「偽ってるわけじゃ……僕は兄さんの可愛い弟でいたいんだよ。いいとこだけ見せときたい気持ち、ライトニングにもわかるんじゃない?」
『……ならば、なぜ自ら危険を冒す』
なぜ嘘を重ねる? 理解不能だ。心配をかけたくないのなら安心させてやればいいだろう。こんな汚らしい地下階段を降っていないで草薙翔一のもとに戻り、忘れ物とやらが嘘だったことを明かして謝罪を述べて、ふたりで夕食でもとればいい。そして博物館でも美術館でも行けばいいのだ。
開店時間直前とわかった上で兄を置き去りに飛び出す確信的な振る舞いは、心配性の兄を案じる弟の行動パターンではありえない。明らかに矛盾している。
「
だって遊作もPlaymakerも、尊も
彼らはみんな仁ではなく兄の味方だ。遊作なんて口を開けば「草薙さんが」「草薙さんは」「草薙さんの」。僕の苗字も草薙なんだけどなあ、と思いつつ聞き流してきたのは、遊作が草薙家の救世主だからだ。
藤木遊作という精神的支柱がいてくれなかったら、帰る場所が残っていなかった可能性が高い。仁が入院していた十年のうち一年間、およそ一割もの間、遊作が兄を支え続けてくれた。彼の「草薙さんの弟が元気になってよかった」は、そのまま、遊作が僕の帰る場所を守ってくれてよかった……という意味にもなるのだ。ただでさえ人生経験不足の仁には共通の話題というものが少ないのだし、文句をつけるのは不義理というものだろう。
『……それで、きみは共犯者にわたしを選んだと』
「ライトニングなら付き合ってくれるって信じてるよ」
にっと白い歯を見せた仁は、今まさにいたずらを行おうとする少年のようだ。消去法で選ばれたと明かされていい気分ではなかったが、思いのほか気を悪くすることもない。
あてつけがましくため息をついてみせても、オリジンは怖いもの知らずにずんずん進んでいく。
そして新しいステージにでも登るような階段に足をかけたその瞬間、パキンと何かを踏む音がした。
アラートがデュエルディスクに走り抜ける。
——
「……う、わっ?」
突如闇に包まれた空間に、何やらギミックが作動したことを足元の振動が伝えてくる。
仁はふらつきながらもとっさに周囲を見渡し、どうやら広い空間へ出たらしいことを優秀な視力で把握した。階段だと思って足を乗せた段差はフラットになり、ホールのような部屋にたどりついた……といったところか。いや、もともと広い空間だったのかもしれない。どこまでがソリッド・ビジョンで、どこまでが現実なのかは触れてみなければわからないし、階段を降ってきたこと以外は何もわからない。昇りの階段なんて最初からなかったのだろう。
懐中電灯もなくライトニングだけが頼りの狭い視界で、目を凝らす。すると、ちょうど真正面に小さな何かがうごめいているのが見えた。
白い壁の手前にいるのは、モンスターだろうか。小柄だがシルエットからして恐竜族のように見える。
腐っても人類史上最高性能のAIだ。フィールドの向こう側で行く手を阻む白い城壁——チェスの駒が敵対デュエリストのアバターであることに気づかないわけがなかった。
白のルーク——かつてのSOLテクノロジー社が幹部や役員の専用アバターとして使用していた、権力のシンボルのうちひとつ。
電子制御の盤面を一瞥する。互いのライフは4000。フィールドは縦列にA, B, C, D, E; 横列に1, 2, 3, 4, 5の番号がそれぞれ振られている。
相手の魔法&罠ゾーンは[A1], [B1], [D1], [E1]の四ヶ所がセットカードで埋まっているものの、メインモンスターゾーンは[B2]の《ベビケラサウルス》一体のみ。エクストラモンスターゾーンも[B3]・[D3]の二ヶ所ともに空白。
チェスの棋譜と同じ並びと考えれば[A1]は
2ターン目——後攻1ターン目を開始したければ、自らドローを行えばいい。
『……仁。きみは今すぐに草薙翔一のもとへ帰れ』
「ライトニングはどうするのさ」
『ここに残る。当然、わたしの〈
「なら僕も残るよ! ライトニングを置いていけない」
『ここは戦場になる。君のいるべき場所ではない』
「だったらなおさら引けない! ここで引いたら僕はいつまでも
『それは事実だろう』
さも理解不能だというように、ライトニングが露骨に顔をしかめた。草薙翔一と草薙仁は実の兄弟であり、仁は弟である。先ほどは自ら望んで可愛い弟を演じているとのたまった口で、何を言うのか。
文法的矛盾を嘆かんばかりのライトニングに、仁は言葉をつまらせる。
「……経験不足はわかってる……心配かけたいわけでもないよ」
悪気があってそのように呼ばれているわけじゃないことは重々承知している。遊作が兄のことを「草薙さん」と呼称するのも、Aiが「草薙」「草薙弟」と呼び分けるのも、今に始まったことではない。習慣だ。Café Nagiでバイトをはじめたのも遊作が先だったのだし、不満があるわけではない。
……ただ。兄からプログラミングを習っていると、折に触れて「遊作は俺なんかよりずっと腕がよくてな」と自慢される。尊もAiも、ライトニングも、そのことを一言だって否定しない。それだけ遊作が優秀だということだろう。頭がよすぎるせいで何を考えているのかいまいち読めないけれど、Aiが
今の仁はどうあがいても遊作の下位互換だし、兄の下位互換だ。遅れをとっていることを十年の月日のせいにして、守られる側のままでいたら、いつまでたっても前へは進めない。
兄には兄の人生があるのだ。未来には、遊作がいてくれたから棒に振らずに済んだ人生が残されている。
兄さんの可愛い弟でいてあげたい。
自慢の弟になれたらいい。
十年ぶん、人生の歯車を鈍らせてしまったぶんを返さなくちゃならない。兄にも、遊作にも。それができるくらい回復したのだ。Playmakerがいてくれたおかげで。
「だから、きみが僕を守って」
『接続詞について復習が必要か?』
「だってライトニングは僕を守りたいんでしょ。挽回の機会がほしいって顔に書いてある」
『自惚れるな。わたしはそのような人道的なAIではない!』
「ほーら図星だ! どうしてそうゆう悪者みたいな言い方ばっかするのさ!」
『……きみに何がわかる』
「知らないんだからわかるわけないだろ? なんならこんなふうに誰かと喧嘩したのも十三年ぶりだけど何か文句あるわけ」
『…………』
ついに二の句が継げなくなったライトニングを、仁は拗ねた子供のように睨みつけた。なんだかんだできみは僕に弱いだろう、という勝利宣言だ。
自分自身を盾にしてしまえば責任感の強いライトニングは自責の念で自滅する。口喧嘩というものは弱みを握っている側が優位に立つものだ、生まれてこのかた十八年
「ライトニングがダメダメなイグニスなのは、全部ひとりで抱え込もうとするからだってフレイムが言ってたろ。アイも、ライトニングは悪いAIじゃないって言ってたじゃないか。きみの仲間がきみを信じてる。それだけで僕がきみを信じる根拠はじゅうぶんだ」
『わたしがきみしたことを思えば——』
「また十三年前の事件の話? 覚えてないからわからないよ」
『それはわたしがきみの記憶を、』
「もういいよ、しのごの言ってないで僕と一緒に戦って。僕を助けて。僕を支えて! 僕がこれから進む未来を、今からきみが照らしてくれればいい話だ」
できるよね? ——念を押す。兄には蛇蝎のごとく嫌われている、博学多識のティンカーベルに。
今度こそ使命を果たしてみせろと迫る。
『……本当に、きみはしたたかだな……』
いいだろう、とライトニングが不承不承を装って腕を組む。パートナーに振り回されるという経験は思いのほか新鮮だ。
仁は満足そうに微笑して、左腕にパートナーを招いた。デュエルディスクが光を帯びる。
「僕のターン、ドロー!」
『久遠の慟哭より(中編・後編)』は来週(3/11)更新予定。
デュエル構成で無茶したせいで間に合いませんでしたが、見かねた友が監修についてくれたので俄然よさげに仕上がりそうです!
【追記】3/8現在デュエル構成待ち中。→3/13: 次回『久遠の慟哭より(中編)』は3/18更新予定です!(引き受けてくれた友人に感謝!!)
残るエピソードは『久遠の慟哭より(後編)』『ダブル・アクション』『神殺しの弾丸(前・中・後)』『ラストナイト』『愛に生きろ』です。どうぞ最後までお付き合いください。