——時間はいくばくか遡る。
Aiを置いて
窓辺にかかるカーテンは夕焼けに染まり、Aiの喉笛が放つ光も元の色に戻ろうと赤と青を混ぜ合わせている。エラーの修復が終わり、あとは充電完了を待つばかりといったところか。このペースなら明日の朝にはいつも通りに目を覚ますだろう。
イグニスの演算は、人間でいう行動に相当する。シミュレーションを封じるには、こうして
SOLtiSの回路のなかで眠っている以上、今の
未来の可能性は無限に存在するが、イグニスのシミュレーションによれば、どのようなルート分岐においても人類は滅ぶのだという。
……それはそうだろう。遊作は諦観のため息を落とす。
形あるものはいつかなくなる。人間も、世界だって例外ではない。今は充電中の
そうなればAiが
(この世界には、出てこられなくなる——)
二人掛けのソファから緩慢な仕草で立ち上がると、遊作はクレイドルに眠るSOLtiSを見上げた。
アームに両肩をつかまれて直立しているこのアンドロイドは、厳密に言えばAiではない。
〈
なのに、夕焼けを透かすカーテンに頬を照らされるSOLtiSにAiそのものを見出してしまうのは、藤木遊作が実体を持つ種族であるがゆえなのか。
エメラルドグリーンの双眸が、すうと悼むように細くなる。
いつだったか遊作は、Aiと不霊夢に「イグニスが安全に暮らせる場所を作ればいい」と提案したことがあった。ないのなら作ればいい。俺も草薙さんも協力する——それが、一介の高校生にすぎなかった遊作にとって精一杯の気遣いだった。
だが、それは
遊作の諦観とはいえ、Aiにとっては残酷の証明だろう。
のちにAiは、人の世でともに生きることはできないと何百回、何千回という
ともに歩めない未来を変えなければ、Aiを復活させてもAiのシミュレーション結果は変わらない。
イグニスを六体すべて復活させ、戦場をこの
遊作はだから、死の商人の手を取ったのだ。
SOLtiSを見上げ、遊作は静かにクレイドルを通り過ぎると、音もなく跪く。
そして一息にコンセントを引き抜いた。
持ち主の手によって充電を強制中断されたアンドロイドは喉笛の光をすうと落ち着かせる。これでAiの自律機動は封じたも同然だ。
LINK VRAINS内でアバターを睡眠状態にしてきたから、Aiはしばらくの間こちらの世界には出てこられない。
誘導ネットワークの稼働範囲まで近づけば安全な移動が可能だとしても、パソコンデスクは遊作の部屋にある。携帯端末も、デュエルディスクも、今から遊作が持って出かける。
時間稼ぎとしては上等だろう。
ため息をもうひとつ追加して、遊作は二人暮らしのクローゼットを開いた。
ハンガーごとざらりと揺れた衣服は、Aiが勝手に選んだものばかりだ。
服装に無頓着な遊作は、こんなにバリエーションが必要なのかと何度か疑問をぶつけていたが、Aiは「どうせサイズ一緒なんだし遊作ちゃんもいっぺん着てみろって!」と取り合わなかった。
バイト代が入ったらすぐに使いたがったAiは、もとより人間社会に長居するつもりはなかったのかもしれない。
膝をつく。カーテンのように垂れ下がる布の向こう側を覗き込めば、そこには段ボール箱がひとつ眠っている。
見えない場所の掃除まではやらなかったAiがついぞ見つけることのなかった、秘密の箱。
ずるずると引きずり出して、テープによる封印を解いていく。
箱の中にしまわれていたのは、透明なビニルに覆われた黒いスーツだった。
よしんば見つかっても「大学の入学式で着てそれきりだ」と嘘をつけばAiを丸め込んでしまえるような、シンプルなビジネススーツ。「就活でまた着るから触るな」という言い訳も用意してあったのだが、Aiはクローゼットの奥にしまい込んであったこれにはたどりつかなかったようだった。
ビニルを破き、八つ当たりのように引き裂いていくと、ハンガーにかかったままのスーツの襟には〈
白のポーン。——藤木遊作が
裏切りの証明ともいうべき品を出してきたのは、万が一のとき身元を証明するためだった。
Aiとの戦いに制服を着ていったようなものだ、負ける気はなくとも何が起こるかはわからない以上リスクヘッジは必要だろう。身分証明書の役目を果たしてくれるものが、遊作にはこれしかないのだから。
着ていたパーカーを脱ぎ落とし、Tシャツから頭を抜く。そして袖を通した制服ではない白のシャツは、ひどく冷たく感じられた。
まるで喪服のような着衣を乱雑に整えると、箱で隠してあった隠し戸の扉に指を引っ掛ける。爪が割れそうな負荷があったが引っ張り開けて、その奥へと手を伸ばす。
小さな手を引けば、ローラーによってすぐに遊作のもとへとたどり着いた。うっすらと埃が積もってしまっているのが申し訳ない。
「……ロボッピ。Aiを頼む」
答える声はない。電子回路がショートしてしまったのだ、目覚めることはもうないだろう。オーバーホールしてコンデンサーあるいはコンプレッサーをすげ替えても、遊作の知るロボッピはもう帰ってこない。
電化製品とはもとより、回路を守るために完全放電するよう設計されているものである。長期間通電させないことでデータが初期化される可能性は、ロボッピが遊作のもとへ来るより前から持っていた防衛機構だった。
ロボッピが動かなくなったとき、遊作の胸に去来したのは、かつての俺も自分の記憶を初期化することで生きながらえたのではないか——という仮説だった。
ならばロボッピを修理して、もう一度はじめからロボッピと暮らしてもいいのではないか。〈ロスト事件〉から救出された遊作にはなかった『帰る家』になってやれるのではないか——そんなふうに考えたこともある。
だがロボッピが最期に帰りたがったのは、遊作と過ごしたあの部屋だった。ろくに家電もなかった安アパートだ。仲間だってほしかったろうに電子レンジのひとつもなく、いつもロボッピがひとりぼっちで留守番していた、あの。
戻らない日々は過去に置き去りにすると決め、〈HDR〉のピンバッジつきの上着をつかんだ遊作は、その黒いジャケットで左腕のデュエルディスクを覆う。
二人暮らしの部屋を後にし、玄関を出ればオートロックの錠が落ちる。廊下は防犯カメラが見守っている。電子制御のエレベーターで一階まで降り、ロビーでは受付ロボットに見送られる。赤外線を検知した自動ドアが道を開ければ、むっと押し寄せてくる夏の気配をエアコンの風が押し戻す。自動運転の乗用車が行き交う大通り。空には人から人へと荷物を運ぶ宅配ドローン。
これほどまでにAIが普及していながら、Den Cityは、SOLtiSが生きる街にはならなかった。
部屋をふりあおぐ。
Den CityとLINK VRAINSは重なっている。
薄々感じてはいたことだが、AiがLINK VRAINS内に作ったダンジョンと海辺の倉庫街の座標をイグニスアルゴリズムに変換したとき、LINK VRAINSはこのDen Cityの複製であることがわかった。
ミラーLINK VRAINSと理屈は同じだ。三年前、リボルバーがAiを追いかけて《ヴァレルロード・ドラゴン》で飛翔した空はLINK VRAINSであり、同時に現実世界でもあった。
解析を続けていれば、例の砂漠のありかも割り出すことができた。
あの蟻地獄の底は、HDRコーポレーションの地下だ。
すべてのデータベースにおいて何もないことになっている、存在しないはずの研究室。
Aiの消滅後二年の間に増築され、工事の痕跡は隠蔽されている。検索したデータを参照しなければならないAIには決して見つけられない場所に、その地下研究室はある。
行かなければならないのは誰なのか、火を見るよりも明らかだろう。
すうとエメラルドグリーンの目を細め、気配を探れば、LINK VRAINSの
(……Ai。俺はおまえに無事でいてほしい)
願うことはそれだけだ。今度こそ未来を変えてみせるから、——だから。
おまえは大人しくそこで眠っていろ。
▼
砂竜巻が吹き荒れ、砂漠をえぐる。すり鉢型に穿たれた奈落の底へと、落ちる。落ちる。落ちていく。
目を閉じてしまわないように、色あせたアメジストをこじ開け続ける。
砂漠の底へと落下するリボルバーはそして、ネットワーク一切が遮断された場所にいることを肌で理解した。
まぶしいのか、あるいは暗闇なのかもわからない。時間経過も曖昧だ。ただ、どこかへ落下している——そのことだけが確かだった。
しかし鴻上了見には、昔から、理屈では説明しかねる第六感があった。当初こそ〈ロスト事件〉通報の後悔が身体症状として現れたのかと疑ったが、類似の症例は
それどころか、不可思議な
後悔がどうして自身に都合のいい能力などもたらそうか。
知らず識らず握りしめていた右手のひらで、デュエルディスクを覆う。デジタルカードスロットが回転し、エクストラデッキから一枚のカードを呼び出す。
喚び出す。
「顕現せよ、ヴァレルロード!」
主人の叫びに呼応するように、鋼鉄の飛龍が咆哮する。実体化した《ヴァレルロード・ドラゴン》の黒い翼が光線を力強く羽ばたかせたが、落下に抗うことができない。
どうやらリボルバーは落ちているのではなく、奈落の底で発生している吸引力によって吸い寄せられているようだった。深淵へと至る回路は一体どこまで続くのか、深奥には何が待ち受けるのか。何も見えない砂時計にされるがままただ落ちるわけにはいかない。
未知なる地底に照準を合わせ、《ヴァレルロード・ドラゴン》の腹の弾倉が獰猛に唸る。
「
衝撃波に待機がたわむ。空気がどうんと重く揺らぎ、轟音がリボルバーを中心に広がった。
その一撃がトリガーになってしまったのか、重力場が法則性を一変させる。
「……ヴァレルロードッ……!」
強烈な風の腕に突き落とされたかのように、奈落へと落ちる速度が増した。引き摺り下ろそうとする流れに抗う間もない。
もがくような咆哮が響く。竜の姿がデータの破片となって舞い散る。そして無様にも叩きつけられた無機質な奈落の底で、リボルバーはどうにか、こわばる指先を拳に握った。
全身をしたたかに打ち付け、各関節部が悲鳴をあげている。アバターには内臓などはいはずだろうに、肺腑の奥に砕かれた呼吸の破片がふかぶかと突き刺さっているかのようだ。
咳き込む。破損を示す赤い
ふうと細く息を吐き出す。乗機もろとも投げ出された座標に狂いはない。
デュエルディスクのコンソールを呼び出そうとしたリボルバーの意識を揺り戻したのは、覚えのある気配だった。
足音が聞こえてくる。こちらへ近づいてくる。
リボルバーは顔を上げ、歩み寄る足音の主を確認しようとしたが、逆光に阻まれて届かない。
わかるのはただ、白衣の男がひとり、そこに立っていることだけだ。
「……父、さん」
「鴻 上博 士……——リボルバーっ?」
取りこぼした声にかぶせるように、よく知る声が跳ね上がる。エメラルドグリーンを大きくみはった藤木遊作が歩調を急がせ、なぜ、と取りこぼす。
電脳世界と現実世界のあわいで、男はゆったりとふたりの闖入者を振り返った。
『現れたか』
「イグニスはどこだ! この研究室は〈HDR〉のイグニスがいるべき座標のはずだ」
なのになぜ、死んだはずの鴻上聖博士——
疑問と確信をないまぜに、倒れ伏したリボルバーのくちびるが不自然にひきつった。
「父 さん……あなたが
信じられないと大きな目をこぼれんばかりに見開く遊作と、そして最愛の息子に向けて。
白衣の男はゆったりと、その旨を肯定した。
『いかにも、わたしが七体目のイグニス。属性は《神》だ』
【次回予告】
その姿は、かつて復讐を誓った加害者のもの。
その姿は、三年前に旅立った父のもの。
現実世界と電脳世界に分かたれしふたつの憤怒が、今ふたたび邂逅する。
この抵抗が、神への反逆が、たとえ人類の未来を閉ざすとしても。犠牲のない今日を願うほどに、人類はよりよき明日から遠ざかってしまうのだとしても。
ささやかな祈りさえも吹き消そうとするのならば、遊作は。
「あの日、抜け殻になったAiのデッキに一枚だけデータが残されたままのカードがあった。それがこれだ! すべてを裁きし三本の矢——《
次回、『神殺しの弾丸』——鋭意改稿中。
Into the VRAINS!!
※諸般の事情により、次回の更新は4/15以降になります。
<諸般の事情>ラストデュエルがタイムリーに不謹慎な内容だったため、投稿を一時自粛します。エタりたくないので4/15には更新再開できるよう改稿を行ってはいますが、面倒になったら9月23日(水)夕方6:25にそのまま投稿しますので覚えていたら読んでやってください。詳細は活動報告にて。</諸般の事情>