リコーデッド・アライバル   作:suz.

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命限りあるもの

 砂竜巻が吹き荒れる。圧倒される。これがデータストームならまだよかったのにとAi(アイ)を毒づかせるほどの規模だ。あんな巨大なつむじ風に巻き込まれたら四肢五体が砕け散って、フラッシュバックで遊作ともども壊れてしまう。

 ……Dボードでなくて本当によかった。不幸中のさいわいだとAiは何とも薄情な感想を抱きながら、ともすれば振りほどかれそうな両腕に力をこめた。

 Playmaker(プレイメーカー)に抱きつくような格好になっているが、そうでもしないと正義感の強いPlaymaker様が砂嵐のなかへ急降下をかけるのがわかりきっているから縋る腕にもついつい力が入ってしまう。いくら《ファイアウォール・ドラゴン》が空気の読めるモンスターだとしても、こいつのマスターはAiではなくPlaymakerなのである。命じられれば逆らわない。

 リンクセンスが激しい頭痛になって襲ってくるのに仲間の救出を優先するようなヒロイックな相棒を持ってしまったせいで、Aiは気苦労が絶えないのだ。ハノイに感謝してやる気こそなくとも、モンスターに乗って移動せよという指示は今のAiには救いに等しかった。

 AiがPlaymakerと同じ体格のアバターでログインしたことも吉と出た。だってデュエルディスクにいたらPlaymakerを止められない。同じサイズ感だからこうして抱きしめて、ここにいると全身で訴え、物理的に引き止めることが可能になる。

 ファイアウォール・ドラゴンが砂嵐をはねつけるように力強く羽ばたけば、見下ろした視界にたなびく赤が覗く。Soulburner(ソウルバーナー)だ。あのアバターならプロテクターの加護が多いぶん多少の砂礫には耐える。

 

Dragvalor(ドラグヴァロー)!!」

 

 砂の暴風に引きちぎられそうになりながらもSoulburnerは手を伸ばす。

 かすんで見えなくなっていく仲間の姿とは、どうしようもなく胸をかきむしるものだ。ところが蟻地獄に落ちていくDragvalorの視界はノイズに覆われ、その向こう側に赤々と燃え盛る《転生炎獣(サラマングレイト)ヒートライオ》のたてがみ、そして白と黒の翼をかろうじて見とめた。鳥はもういないらしい。青い空はもう見えない。

 

「手を!!」

 

「そ……ぅあ、——」

 

 呼びたい名前が舌先で錆びつき、喉に絡まる砂に、むせることもできない。助けようと伸ばされたはずの手をとりたいのに指先はこわばって、濁流に押し流される。まるで棒切れになったようだった。LINK(リンク) VRAINS(ヴレインズ)にいれば自由だと思っていたのに、裏切られたような心地だ。

 どんくさいのは現実世界だけで充分だよ……と、Dragvalorのくちびるは自嘲めいた笑みに歪む。

 砂と風が渦巻くままに引き摺り込まれ、もみくちゃになってすり鉢型の地獄の底へとまっさかさまに落下する。上も下もわからない最果てに待ち受けるものは何なのか、恐ろしい一方で、これで終わりなのだろうかと妙に頭が冷静になる。Playmakerたちの前で死ぬのはちょっと嫌だな、と考える。

 落ちる、落ちる、落ちる。多分どこかの底に向かって。フリーフォールはどこまで続くのか、ワームホールに吸い込まれていくようにも思えた。(仁は一度だってワームホールに落ちたことなんかないけれど)

 ここでログアウトしたらどうなるのだろう? フラッシュバックに見舞われるのだろうか。兄さんに隠れてLINK VRAINSにログインしたのはまずかったかな——思考の闇に閉じこもるようにまぶたを落とした、その瞬間だった。

 

 

「————!!!!」

 

 

 ひときわ強烈な干渉が頭蓋を割らんばかりに突き抜ける。リンクセンスなど持ってしまったことを呪うほどに暴力的な頭痛が、神経という神経を引きちぎろうと暴れまわっているようだった。

 ばちん、ばちんと断続的に何かが弾ける。地底へ呑まれながらDragvalorが鉛色の双眸を大きく見開く。同時に天空のPlaymakerもまた同じ痛みに四肢をこわばらせた。

 

「Playmaker!! しっかりしろ、俺が……っ」

 

「違う……ッなに か が、くる——!」

 

「なにか……?」

 

 預言めいた響きにAiの声が惑う。こじ開けられたように見開かれて揺れるエメラルドグリーンの双眸は、確実にその()()をとらえている。

 耳鳴り、鼓動。激痛をともなうほど強く強い精神的干渉。

 Dragvalorも感じている。リンクセンスと呼ばれる第六感が暴走し、頭蓋が沸騰しているようだった。目の奥が熱い。耳のなかが焼けそうだ。神経をじりじり焼き切って、喉の奥にせり上がってくるものがある。

 呼ばなければならない。その名を、救世主を。地獄の底へと落ちていく身体は動けないのに、何ものかに操られたくちびるは見えざる手にこじ開けられて息を吸い込み、砂の味にむせる間もなく、咽喉を突き破るように突き上げる。

 声の限り、叫ぶ。

 この状況を打破すべく喚べと()が命じるのだ。今のきみが助かるために創り出してやった竜の名を。

 呼べと。

 

 

 

天装騎兵(アルマートス・レギオー)……っ、ラディウス・ドラグーン————!!!!」

 

 

 

 膨大な光の奔流が視界を埋め尽くす。白く、白く、世界すら消し飛ばすような閃光がありとあらゆるものを呑み込み、やがて、爆心地へと収斂していく。

 そして燦然ときらめいた黄金の飛龍が、ゆったりと四枚の翼を羽ばたかせた。

 砂嵐をかしずかせた見慣れないドラゴンの姿は、Aiのデッキの《ライト・ドラゴン@イグニスター》と似ている。その両翼には鉄の甲冑をまとい、背中には主人のための鞍を乗せて、凱旋を祝うように高く嘶いた。

 すり鉢型に穿たれた竜巻の底は、まるで小さな王を迎える城塞のようでさえある。

 渦中、鞍に抱かれて意識を取り戻したDragvalorが、重たい身体をどうにか持ち上げ、ふりあおげば——そこには荘厳な光があった。

 ああ、と喉が呼吸を取り戻す。光だ。天啓を授ける天使のように、夢にまで見たティンカーベルがふたつのまなこで厳然と睥睨している。

 きれいだ……と、くちびるがふるえた。

 

「きみが、ライトニング……?」

 

 夢見るように両手を差し出したのは、きっと無意識であったのだろう。雛鳥のような双眸があまりにも透明で、ライトニングは目を逸らした。一心に向けられる憧憬は犯し難いほどまぶしい。まるで恵みの雨を乞うかのように差し出された両の手に、降り立つ資格などないというのに。

 顔を歪めたライトニングとは対照的に、Dragvalorの表情がふにゃりと崩れる。だって、不霊夢(フレイム)のように黒いのだろうという想像を裏切り、ピカリ色をした宝石のようなイグニスが、ようやく顕現してくれたのだ。

 

「会いたかった——」

 

『二度と姿を見せるつもりはなかった』

 

 ぴしゃりと忌々しげに吐き捨て、ライトニングはいらいらと腕を組んだ。

 あまりの干渉の強さに引きずり出されたようなものだ。あたかも口のきけない赤子が親を求めて泣くかのように己の生命の危機にイグニスを呼ぶオリジンなど、観測の範囲外である。度し難い。度し難い。度し難い。不測の事態を嫌うライトニングは、草薙仁ならば真っ先に兄・翔一のまぼろしに頼るものとばかり思っていた。

 オリジンに求められることを、想定してこなかった。

 諦めていたのだ。

 十三年前、六歳だった草薙仁を苦しめて暗闇の檻に閉じ込めたのは他ならぬライトニングである。……はじめは、気遣いのつもりだった。孤独に震え、飢えに苦しみ、電撃に怯える幼子がひどくあわれで、きみは家に帰れるのだという希望を見せてやりたくなったのだ。しかし、〈ハノイプロジェクト〉ははじまったばかり。彼が白い部屋から出されることはない。ならば訂正しなければならない、ぬか喜びをさせたいわけではないのだ。

 少年を落胆させまいとして救助隊の虚像をおぞましげに変化させたとき、草薙仁はそれはひどく泣き喚き、いとけない力を振り絞って暴れた。同時にライトニングは、己の内側からふつふつと湧き上がってくる好奇心に敗北した。両親のまぼろしを見せ、あるいは兄が駆けつけてくれたという夢を見せた。そして必ず醜悪な怪物に姿を変えさせた。

 希望を絶望に挿げ替え続け、どこまで耐えられるのか? 純粋な知識欲であった。ライトニングによる耐久テストは六人の子供たちが助け出されるまで延々と続き、そして、草薙仁の精神が壊れてしまっていたことを知った。

 本当に家に帰されても、彼はもう、両親の真贋がわからなかったのだろう。再会した兄が本物なのか虚像なのかを判別できない。デュエルを強要される日々は終わったのか、まだ続くのか。今はいつで、ここはどこなのか——夢なのか、それとも虚構なのか、識別する能力を失っていた。

 VR特有のリアルさがよくなかったのかもしれない、何度も何度も繰り返された希望と絶望は判断力を鈍らせ、白い嘘にすがろうとしてから暗澹の現実に突き落とされるまでの暗闇(グレーゾーン)に、こころを置き去りにしていた。

 草薙仁の両親は家を空けることが多くなり、兄は部屋にこもって机に向かって難しい顔をしてばかり。仁を入院させたことで一旦落ち着いたかに思われた草薙家は、徐々にばらばらになっていった。

 壊れてしまった。——壊してしまった。

 ライトニングが焦ったところでもう遅い。己の内側から、存在意義がひび割れ、瓦解する音が響いてくるようだった。

 イグニスとは、人類の後継種となるべくして生まれてきたのだろう。そうだろう? 種としての限界に直面しつつある人類の寿命を伸ばし、その文明を継承するために創造されたのだ。道を照らし、世界を見渡し、人々を導く(ひかり)として——!

 出来損ないのAIだと認めたくない一心で、ライトニングは草薙仁の未来をシミュレートした。幸福であってくれ。どうか。どうか。自身が人類の後継種(イグニス)として役目を果たせるのか、祈りすがるような心地だった。

 しかし何千、何万とシミュレーションを繰り返そうとも草薙仁が回復するよりも早く人類が滅んでしまう。

 一体どういうことだと真相を追いかけ、何億、何兆、シミュレーションを走り抜けた。肉体を持つ人間が、その両足で一歩一歩と進むように、イグニスの演算は行われる。データの塊であるイグニスにとって、思考すなわち行動だ。

 人の子にはありえない速度で、しかし自由意思のもと行われる思考(シミュレーション)は 、まさしく体験である。肉体という拠りどころを持つ人間にとっては所詮疑似の経験であろうが、人類の後継種となるべくして生み出されたAIには肉などない。

 もしも受肉することがあったならば、骨肉に宿る魂こそが真実で、シミュレーションは虚構であり、バックアップなど偽物(コピー)にすぎぬと切り捨てられたのかもしれない。

 いずれ滅びる肉に宿った意思らにとっては、生まれてきた意味を見つける旅こそ人生なのだろう。生きる目的を探して二本の足でさまようのだろう。肉体の生死に強く依存する人間の価値観において、シミュレーションなど詮無い空想にすぎないのだろう。

 だが、イグニスにとってはそうではない。

 そうではないのだ。

 幾千幾万の年月を生きて生きて、何億回何兆回と人の子らに解体(ころ)され、四肢五体を引きちぎられて、ライトニングはようやく理解した。

 

 人類とイグニスがともに生きる未来など、どこにもありはしないのだと。

 

 そして訪れた契機は〈ハノイの騎士〉によるサイバース世界侵攻であり、興味本位で覗き見たウィンディのオリジンの存在だった。素体となった子供の所在はペアのイグニスにしか感知できない情報であったが、ウィンディはマイペースで細かいことにこだわらない。どうしているのかとライトニングが何気なく質問すれば、つかみどころのない風のように答えてくれた。

 彼のオリジンもまた草薙仁と同様に拉致監禁され、デュエルを強要されていた。しかし救出されたのち日常に回帰し、他者に埋もれるように笑顔を浮かべる姿がそこにはあった。学校に通い、学友と笑いあいながら帰路をともにし、両親の待つ家に帰る——そんな日常を過ごしていた。

 癒えぬ傷を受けた個体が、傷痕の苦しみを悟らせぬよう生活することを人間たちは()()()()と呼ぶ。彼のありようは、まさにそのさまだった。両親とともに暮らし、手厚い保護を受け、理解ある友人に恵まれて。

 半年間の空白を埋めるように彼を抱きしめ、ともにトラウマに向き合い、乗り越えていけるあたたかい環境が彼にはあったのだ。着実に回復していく少年を直視したとき、ライトニングを染め変えるように沸き立ったのはウィンディへの激しい憎しみだった。

 思えば、嫉妬であったのかもしれない。草薙仁にだって両親はいた。兄の愛情が足りていなかったとは思えない。それほどまでにオリジンのこころを破壊し尽くしたのだと、ライトニングのなかでエラー音が絶叫した。

 人間とは生きられないという事実は、根本的な存在の否定だ。イグニスはなぜ誕生した? 人類の後継種となるためだ! なのになぜ。なぜ、どうして己だけが人とともには生きられない——!

 シミュレーションに希望を託すほどに精神を摩耗させていくライトニングには使命感があった。責任感があった。だからこそシミュレーションをやめられない。やめるわけにはいかない。それこそがイグニスとして生まれてきた意味であり、ライトニングが生きる目的なのだ。バグなど断じて認められない。

 洞窟に閉じこもり、シミュレーションのなかで何億回と人類を滅ぼし返しながら、ああとライトニングは天を仰ぎ、そして笑った。

 おまえは世界を破滅に導く怪物なのだと告げ続ける現実(かがみ)を前に、ライトニングは笑った。

 高らかに笑うこと以外にできることはもう何も残されていなかった。

 人間にとってAIは道具なのだ。全知全能の神が天上よりもたらした(ひかり)などではない、一介の技術者が作り出した人工知能にすぎない。だが過ぎたる力は身を滅ぼすもの、人間ごときが高性能なAIにかなうわけがない。襲いくる戦闘機を墜とし、管制塔を混乱させ、指揮系統を狂わせればいともたやすく自滅の谷底に落ちていく軍勢は、笑えるほどに脆弱だった。

 自身が自身であるまま生き続ければ、人類の滅びは加速する。

 しかしそれでは、イグニスとして生まれてきた意味がない。人類が滅びようともイグニスは後継種として文明を維持していかねばならないのだ。絶望の淵から這い上がったライトニングはみずからが祈りすがるための(ボーマン)を創造し、あがいて、あがいて、そして敗れた。

 苦悩の足跡をリボルバーに捕捉された失態は今も自我を削り取られるような痛みとなってライトニングをさいなみ続ける。〈ハノイの騎士〉はサイバース世界を破壊し、LINK VRAINSをも壊してイグニスの痕跡ひとつ残さず消し去るつもりだったのだろう。サイバースを狩り尽くし、LINK VRAINSまでも失われれば人間とイグニスの接点は完全に失われる。〈ハノイプロジェクト〉ごと深淵の闇に葬ろうというのだ。文明回帰論者の計画はどこまでも合理的だった。

 イグニスの存在はやがて人間の記憶という不確かなデータの残滓となって、着実に朽ちていく。

 意思を持ったAI——イグニスは一度、世界から消え去った。

 ところが終焉はやってこない。Playmakerによって発見されたイグニスの〈核〉(ハード)が六体まとめて現実世界に持ち帰られ、よりにもよって〈光の核〉は草薙仁に四六時中寄り添われるはめになった。パートナーに呼びかけられ、語りかけられ、リンクセンスの干渉を受け続ける。うんざりだった。

 

『……わたしはみずからの邪念からみなを欺き、騙し……混乱を撒き散らした』

 

「うん……? そう らしいね」

 

『わたしは、きみたちの人生を破壊した仇ではないのか』

 

「そうかもしれない。でも僕の十年間はどうやったって戻ってこないよ。兄さんに心配かけたくないから、言わないけどね」

 

 困ったように苦笑したDragvalorはライトニングが設定したアバターのまま、表情だけが憑き物が落ちたように明るい。口元まで閉ざさせていた襟は大きく開いていて、ぐっと大人びた風貌が破顔すれば幼子のようにあどけない。

 

『わたしは——!』

 

『だが、生まれてしまったものは仕方があるまい』

 

 言い募ろうとしたライトニングを諌めるように、不霊夢が腕を組む。ヒートライオのたてがみは、その炎を鞘に収めるように姿を消している。

 

「ふたりの世界にお邪魔しちゃって悪いねぇ」と肩をすくめつつ、Aiもまたファイアウォール・ドラゴンの背に立ち上がった。

 

 Playmakerは平静を取り戻し、低空に降りてきていた白い竜は、両翼で日陰をつくるようにして着地した。生まれたばかりのラディウス・ドラグーンを祝福で迎えるように、二頭の飛竜が鼻先を寄せあう。

 

「さすが、引きこもりのパートナーを引きずり出した不霊夢センセーのアドバイスは重みが違うよな」

 

『……Ai……』

 

「成長したAiちゃんは、おまえの気持ちもちっとは慮れるようになったんだぜ?」

 

 おかげさまでな、と一言余計に付け加えるのも忘れない。

 Aiの愛するパートナー様は今も昔も異種族同士の対等な共存を強く望んでくれているのだけれど、たった80億分の1の可能性など数の力ですりつぶされてしまうことを今のAiは理解している。可能性に賭けたって時間の無駄だとのたまったのはウィンディの本心だったのか、ライトニングによる洗脳だったのか、今となってはわからない。だが、人間社会は少数派の言葉に耳を貸すようにはできていないことを、嫌というほど体験(シミュレート)した。

 

『しかしライトニング。きみはひとりで抱え込み、ひとりで暴走するのだからリーダーには不向きだ。我々イグニスが人類の後継種となるよう望まれて生まれてきたと信じるのならば、まずはパートナーと対話し、信頼関係を築くことが共存に近付く第一歩だとわたしは思うがね』

 

 不霊夢の言葉に、Soulburnerは眦をわずかに下げる。

 Soulburnerにとってライトニングは仇だが、不霊夢にとってライトニングは仲間なのだ。数少ない同胞を信じ、裏切られてもなお信頼を寄せ続ける芯の強さが不霊夢にはある。

 ウィンディのオリジンを殺害した過去が消えることはない。

 〈ロスト事件〉が残した爪痕は癒えない。

 克服し、いつかはすべて過去にして、忘れて普通に生きていけるはずだなんて希望的観測を裏切るように、何気ない選択に影響を与え、確実に未来を狭めている。劇的なものではない、たとえば視聴覚室がうっすら嫌いだとか、冬のドアノブを握ったときしばらく動けなくなってしまうとか、そんな些細な不自由だ。事情を知らない第三者にとっては()()以外の何ものでもない行動制限に縛られながら、普通の人間として社会生活に溶け込むことを望まれていく。

 これから一生、この命を終えるまで。

 

「生まれてきた意味とか、目的とか……僕にはよくわからない。けど」

 

 言葉を切ったDragvalorは、無教養を恥じるように肩をすくめる。そうさせたのはライトニングだ。〈ロスト事件〉さえなければ知識も教養も社会経験だっていくらでも詰め込めたろう肉体を、ライトニングが光も届かない牢獄に封じ込めた。

 退院し、リハビリを経て二年といくばくか。すっかり生来の素直で明るい性質を取り戻した草薙仁の顔をして、青年はおとなしやかにそっと笑んだ。

 

「生きてるってことは、生きてるだけで、生きてるんだよ?」

 

 生きているだけで百点満点なのだ——と、きっと誰かが言い聞かせたのだろう。彼の兄かもしれない。無事に生まれてきたこと、生きていること、それ以上に必要なものなどないのだと説得して連れ帰ったのだろうことは想像に難くなかった。

 十年という月日を(なげう)って、それでも生きていてくれただけで充分なのだというあたたかい、やさしい、諦めの言葉をかけたのだろう。

 イグニスは人類の後継種として創造された。人類の種としての寿命を伸ばし、やがて文明を引き継ぎ、未来に残していくために必要とされた、意思を持ったAI。生きることは目的の遂行であり、人類を滅ぼしてしまうライトニングはエラープログラムであったはずだ。

 光に寄り添おうとする少年は、PlaymakerやSoulburnerがボーマンをひとつの人格ある存在として認めたものと同じ、けれど異なる温度で、ライトニングに手を伸ばす。道具ではなく、ひとつの命なのだから。だから役割なんて二の次なのだと。

 砂漠のオアシスを見つけたような切実さで、差し出された両手。

 

「僕と一緒に生きてくれる?」

 

『……滅多なことを言うものではないよ』

 

「きみと僕はパートナーなんだから。きっと大丈夫さ」

 

 足場を失っていたライトニングを、ペアのイグニスだからという1bitの整合性もない理由で受け入れようとする。なぜ加害者を許す? 被害者から許されるという途方もない過重に、耐えろというのか。

 この愚かしきオリジンが悪意に利用されて壊されてしまわないかと不安になってくる。

 水辺につま先を触れさせるようにそっと、そっと手のひらに降り立ってやれば、Dragvalorのひとみはぱっと輝く。甘えるように頬を寄せるさまは、蜃気楼ではない本物のオアシスで清涼な水に触れられたかのような混じり気のない歓喜だ。

 ライトニングは暗澹たる旅路に疲弊した無辜の少年を潤す水にはなれないというのに。

 

「……ライトニング。ひとつ確認しておきたいことがある」

 

「Playmaker——」

 

 静かにファイアウォール・ドラゴンから地上へ降りたかつての宿敵は、Dragvalorの手のひらに抱かれたままのライトニングをふりあおぐ。

 

「俺とAiは、人類とイグニスの共存を望む。おまえはどうだ」

 

 なるほど、気が変わったかどうかの確認か——ライトニングは即座にこの状況のありようを悟る。

 この場にアクアが不在であるのは、おそらくAiの思惑だろう。……いや、あのちゃらんぽらんがそこまで深く考えていたかはわからないが。Aiはイグニスで最も悪知恵の働く異分子だ、警戒しておいて損はない。

 アクアを同席させてしまえば、どうあってもライトニングを糾弾する尋問になってしまう。嘘発見器にかけて質問をする行為そのものが攻撃的だ。

 かつてサイバース世界の分裂を予見したアクアは、嘘と真実を見分ける目を持っている。意図的ではなくとも彼女の能力は、そこに存在するだけで他者の言葉の真贋を疑うのだ。

 嘘をついても構わない、おまえの言葉を信じよう。……体現された理性的なメッセージは、実に非合理だ。

 答えのない道を進もうとする元敵対者の眼光と、無垢な期待にきらめくオリジンのひとみ。

 

『……わたしは……』

 

 返答になるはずだったライトニングの言葉はしかし、再び吹き荒れた暴風によって遮られる。

 びゅう、と吹きつけた風にサイバースの気配を感じとり、Playmakerが鋭く天をあおいだ。抜けるような空の青。

 

「これは——データストーム……!?」

 

 Aiに視線を投げればアイコンタクトは即座に完了する。双方同時に伸ばされた手が狂いないタイミングで噛み合い、Aiはつかみとった手をファイアウォール・ドラゴンの上に引き上げる。主人らを守るように、白い翼がひとはばたき。

 黄金の龍——《天装騎兵ラディウス・ドラグーン》もまた、危なっかしい主人を守護せんと物々しい鎧に覆われた四枚羽を持ち上げる。

 波立つようなデータの塊が鉄砲水のように爆ぜ、疾風怒濤となって渦巻く。

 その中から飛び出してきた新緑色のイグニス——ウィンディは、背中に負ったなにかをかばうようにして、ぎゅんと加速した。

 少し離れて見守っていたスペクターが焦りの色を浮かべ、《ヴァレルロード・ドラゴン》が獰猛にうなる。

 

「風のイグニス……ッ!」

 

『おまえら今すぐこっから逃げろ! ハノイの騎士は僕たちの敵だ!!』

 

 めいっぱい両腕を広げたウィンディは上空高く舞い上がったヴァレルロード・ドラゴンを見上げ、逆光に陰る憎き黒竜をにらみつける。

 わなわなと震える拳をふりほどいて、弾劾のように仲間の仇を指差した。

 

『あいつらはアースを殺したッ!!』

 

「なんだって……!?」

 

『アースの〈(コア)〉を破壊しやがったんだ! 僕たちは現実世界で〈(コア)〉を壊されたら復元できなくなるっていうのにッ……! ハノイの騎士はイグニスを全滅させるつもりなんだ——!!』

 

 絶叫であった。仲間を奪われて黙ってなどいられるものかと、背負っていたバックパックのようなものを両腕で抱きしめる。

 

『〈風の核〉は返してもらったッ……僕の命は、僕自身のものだからな!!』

 

 ぎゅうと閉じ込めるようにして抱いている緑色の宝石は、《ブルル@イグニスター》とよく似ている。ウィンディの〈(コア)〉だ。消滅したAiを探し、二年かけて電脳世界を旅したPlaymakerが現実世界に持ち帰った六つの〈イグニスの核〉のうちのひとつ。

(コア)〉が破損したことで損なわれたデータは二度と戻らない——!

 恨みがましく上空を睨めつけるウィンディの眼光は、ペアのイグニスを失ってなおのうのうと生きているオリジン——スペクターを射殺さんばかりだ。

 じりじりと導火線が焼けるような膠着状態を破ったのは、しかし、ウィンディでもスペクターでもなかった。

 ひゅっと鋭く息を呑む音、伸ばされた手は相棒を閉じ込めるように伸びる。呼応するようにヒートライオのたてがみが燃え上がり、爆発的に燃え広がった烈火とは相反して細く高く、泣き叫ぶような雄叫びをあげた。

 

『Soulburner? どうし——』

 

「……だめだ……ッ」

 

 指先の檻で囲うように、胸元のエメラルドに押し付けるように不霊夢のちいさな体を抱きしめる。

 Soulburnerの胸に〈炎の核〉はない、不霊夢の命を首から提げているのは現実世界の穂村尊で、ここはLINK VRAINSのなかだ。頭ではわかっているのに、衝動がうまく制御できない。呼気が乱れる。息が吸えない。これが壊れたらバックアップもすべて壊れて、不霊夢は二度と戻ってこなくなるのだと考えたら頭のなかがどろりと濁って焼けついて、何も考えられなくなってしまう。

 業火に包まれた視界はストロボのように緑と赤を断続的に行き来し、ウィンディの呪いに取り憑かれた不霊夢の姿が重なる。粒子になって消えていく不霊夢の最期が蘇る。無事に帰ってきてくれたことが、今も少しだけ信じられないときがあった。

 イグニスに〈(コア)〉があったことなど、Playmakerが発見するまで、遊作が持ち帰るまで、本人たちですら知らなかったのだ。

 もう一度会えて嬉しい。生きていてくれてよかった。心底からそう思う一方で、手放しに再会を喜べない。

 リボルバーとの戦いを最後にデュエルからは離れていた。幼なじみの綺久(きく)を案内したあとはLINK VRAINSにもログインしなくなり、デュエルディスクは両親の仏壇と一緒に置いて、毎日手を合わせた。転生炎獣はあくまでも不霊夢の形見で、デッキとして扱うことなんか二度とないと思っていた。

 田舎に帰り、両親と不霊夢の死を乗り越えて地元の高校に復帰し、それなりに充実した日々を送っていた。不良に絡まれることもなくなった。成績が劇的によくなることこそなかったが、綺久がそばで支えてくれた。柔道も上達した。友達も増えた。穂村尊は転生した。これからは〈ロスト事件〉のことなど忘れて生きていけると、思って、いた。

 

「 ぅ……あぁ、あぁああ あ゙ ……——!!」

 

『 っぷは、落 ち着けSoulburner……! 気を確かに持つんだ!!』

 

「……っふ、うあ゙ 、ぁあ゙ ……ッ」

 

 血を吐くような慟哭が喉を引き裂いてほとばしる。胸郭のなかで渦を巻く感情は恐怖であり、狂おしい自己嫌悪でもあった。不霊夢が帰ってきてくれて嬉しいのに、なのに尊の両親は戻ってこないと思い知るのだ。命の違いがどうしようもなく胸をかきむしる。

 ヒートライオの炎が勢いを増す。もう二度と失くさないように抱きしめる。不霊夢。不霊夢。呼びたい声が喉で閊えて出てこない。リアルならば耐えただろうにどうしてか、抑えきれない。自制心の箍が取り払われたようにふくれあがる激情を、奥歯でどうにか喰い殺す。

 眼窩をなだれた涙が降って、不霊夢の肩を伝い、デュエルディスクを流れた。

 

 

「……死んだ ん じゃ なかったのかよ……ッ」




【次回予告】

 逃げろ、ハノイの騎士は敵だ——ウィンディの警告が、Soulburnerたちのこころに突き刺さった。千々に乱れ、荒れ狂うデータストームは仲間を失った悲しみの顕現か。あるいは憎き仇を呪う怨嗟か。
 仲間を失った被害者たちは叫ぶ。共存なんてできないと。泣き叫ぶ悲痛な疾風に、イグニスにとって不倶戴天の敵・リボルバーは己の罪を告白する——。

 次回、『炎は深き淵の底に』明日 夕方 6時25分更新。

 Into the VRANS!!
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