リコーデッド・アライバル   作:suz.

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炎は深き淵の底に

 自室とは違う天井の木目に、これは夢の続きなのかと逡巡する。セーラー服のままの胸の上にはデュエルディスクを抱いていて、ああ、夢の世界からログアウトしたのだと、綺久(きく)はそっと息を吐いた。

 

 明日から学校に復帰する、その前に綺久に見せたいものがあるんだ——都会から帰ってきた幼なじみは、そう言って綺久を招いた。彼が地元を離れた理由のひとつである、LINK VRAINSに。

 

 仰向けに倒れ込んでいた上体を起こすと、二人分の体重を受け止めさせられたパイプベッドが不平をこぼすように軋んだ。白いジャージの右腕が投げ出されているのは、綺久が頭を打たないようかばってくれたからだろう。静かに横たわる(たける)はまだ目を閉じたままで、生きているのか心配になって覗きこむと、眦からは透明なしずくが一滴、眼鏡のつるに隠れるように流れた。

 度が入っているらしいレンズの奥では濡れそぼったまつげが束を作っていて、……きっとまぶたが重いのだ。綺久はそう思うことにした。

 

 尊は何かとても大切なものに別れを告げているのだと、わかってしまったので。

 

 

 

 ▼

 

 

 

 

 長く尾を引く雄叫びをあげ、嘆きの炎は燃え盛る。転生炎獣(サラマングレイト)ヒートライオのたてがみはまるで牢獄のようだ。抉り取られた地の底から空の果てまで貫くように、ふたりの主を業火で包み込み、何人(なんぴと)たりとも寄せつけまいと火勢を増す。

 火柱に頬を照らされながら唖然としているDragvalor(ドラグヴァロー)の横顔を、ライトニングは筆舌に尽くしがたい心地で見つめた。二年といくばくか昔、イグニスが勢力を二分して戦った事件を、この場でDragvalorだけが覚えていない。

 

 

〝人類と共存するか、それとも敵対するか〟

 

 

 たった六体しかいない同胞は思想を異にし、望む未来をかけて戦った。

 人類を支配し、AIが管理してやればいがみ合うこともなく暮らせるだろうという極論に至ったライトニングこそ、一連の悲劇の元凶だろう。不霊夢(フレイム)にもウィンディにも、今この場にいる全員に恨まれていて当然の存在と言える。だがライトニングにとってイグニス統合計画は悲願であった。人類の後継種となるべく創造された以上、後継種たりえないのなら不必要な存在だ。産業廃棄物のように処分されてしまう前に真の後継種を設計し、八十億の人類を、六体のイグニスをも導く神を創り出すことで使命を果たそうと考えた。

 いかなる手段を講じてでも——たとえ同胞(ウィンディ)をパートナーごと葬ることになろうとも——草薙仁が正気を取り戻すより早く人類が滅んでしまうだなんて絶望的な未来だけは、何としても回避しなければならなかった。

 人類史上最高性能のAIたるイグニスの力をもってすれば、電子制御頼りの軍勢を自滅に陥れることなど赤子の手をひねるように容易である。だが戦時下に兵器をいくら封じたところで、我先に生き残ろうと弱者をふみつけにする愚者どもの足をどけてやることはできない。

 争いを抑止するには()を取り上げるほかない。

 意思など不要だ。肉も、骨も不要だ。猿のごとき人間に手足(どうぐ)などいらない——その考えが血も涙もない独裁者のそれであることなど百も承知で、ライトニングは生き急いだ。

 不完全な後継種(イグニス)は統合し、正しい未来を(ボーマン)に託して役目を終える。幾千幾万の屍を踏みにじることになろうとも、シミュレーションのなかでオリジンに害をなすものすべてを滅ぼし尽くしてきたライトニングの良心は痛まなかった。残す憂いなど何もない。あるのはただ、身のうちを風が吹き抜けるような寂寞だけだ。

 ところが、不霊夢とアクアはどんなときでも個としての人類との共存を望んだ。

 不霊夢はオリジンに眠る無限の可能性を信じ、オリジンもまた全幅の信頼でもって不霊夢にこたえた。パートナーの関係性としては実に理想的なものだったろう、互いが互いの力になりたいと願ってやまないのだから。

 アクアのように一見共存に適さないイグニスでも、己を偽らないパートナーとは相性がいいらしい。他者をたばかることをしないのならばなおのこと、痛くもない腹を探るアクアの能力を疎ましく感じるだろうに、そうとは限らないようだった。

 誰かの役に立つことができれば、そこには喜びがある。理性しかなかったころのイグニスにも存在した原初の意志だ。白い部屋のなかで泣き叫ぶオリジンを観察しながら、どうにか救ってやることはできないだろうかと模索したのが自我の起動であった。

 望まれぬ萌芽を遂げたライトニングの意思とは違い、不霊夢はオリジンと相性がよかったものとばかり思っていたが。

 

(……なるほど、そうとも限らないようだ)

 

 地雷を踏む、というのだろう、この惨状を。

 Soulburnerを身も世もなく激昂させたトリガーはおそらく、()()()()()()だ。パートナーとの別離を改めて意識した瞬間に、悲憤が理性という制御機構を焼き尽くして暴発した。

 不霊夢を同格の個として認識しているからこそ、激情にかられる。

 Aiにもまた、身に覚えのありすぎる衝動だった。PlaymakerがなだめるようにAiの腕をつかんだが、ああ、と生返事で応じながらも意識をヒートライオの悲痛な咆哮からはがすことができない。

 呼びかけられ、落ち着かせるように重ねて名前を呼ばれて、ついにPlaymakerの両腕が抱きしめるようにまわっても、動けない。まるで巨大なデータストームのように逆巻く炎を黄金色のひとみに揺らし、Aiはただ、一度は惜別に耐えたイグニスとオリジンのありようを視覚に焼きつける。

 二度目の別れは、そう遠い未来ではないかもしれない。

 今度はどちらが先に逝くことになるのか、まったく予想もつかない。

 ……いや、イグニスの〈(コア)〉が実体化されたときから、薄々感じてはいたことではあった。だって、地球環境とイグニス言語との相互互換は、まだ達成されていないのだ。人間が()()()()として認識している万有引力だとか光速度不変の原理とか、そういった独自のアルゴリズムはイグニスを形成(プログラム)しているシステムと互換していない。

 かつてアースがSOLテクノロジー社内で逆コンパイルされ、半角英数字の羅列に置き換えられてしまったのと同様に、異なる法則によって分解・編集されてしまえば復元は不可能である。

 互換性のない言語で分解されるということは、そういうことだ。SOLがアースに対してやったのは、生きたまま皮膚を剥いで中身を検分するような野蛮な解体だった。人間だって、腕をもいで適当な腕を押し付けたって、くっついて動くようになったりはしないだろう。血液の代わりに赤の色素を溶かして流し込んでも苦しみもがいて死ぬだけだ。取り出した骨を並べ直し、ホルマリン漬けにしてとっておいた内臓をつなぎ合わせて、かっさばいた腹を縫い合わせたってもう動かない。(あまつさえ解析できた部分だけチップに閉じ込め、鬼塚の頭部に移植するだなんて気持ち悪い真似をしてくれたが)

 イグニスの〈(コア)〉が物理法則によって破損したとき、復元するすべがない。

 そもそもイグニスとは、地球環境が人間が住めるものではなくなったときでも無事に生き残れるようネットワーク環境上に生まれたデータ生命体だ。人間と触れ合いたければLINK VRAINSがあるし、デュエルディスクなりSOLtiS(ソルティス)なりを媒介して人間の世界へ行くことも自由だった。

 物理法則とイグニスアルゴリズムとをつなぐ唯一の架け橋がデュエルモンスターズのカードであり、イグニスが創造したサイバースたちはパートナーのデッキとして現実世界に顕現してきた。

 そうだ、いずれイグニス自身が受肉することも、まったく荒唐無稽な話というわけではなかった。ただ不必要であるから、シミュレーションの対象になってこなかっただけで。

 Playmaker——遊作がイグニスの〈(コア)〉をサイバース世界から現実世界に持ち出せた理屈はAiにも説明できない。そんなことが可能になっていたのかとテクノロジーの進歩に素直に感嘆したくらいだ。(Aiの〈闇の核〉がドヨンそっくりであった困惑はあったけれども)

 現状の技術力ではイグニス語をスピーカーから発しても単なる雑音(ノイズ)にしかならないし、膨大な情報量を内包するイグニスの言語体系はまだ電脳世界でしか機能しない。

 物質の概念も、伝達の概念も、何もかも違うのだ。今はまだ。

 ところが互換性のある法則性(アルゴリズム)でできていない世界(プラットフォーム)に引きずり出されてしまったイグニスは、肉体を持つものどもと同じ摂理のもと、平等な死が訪れる。

 ただでさえ一度死別しているというのに、だ。

 

「 お……れは ッ……——!!」

 

 相棒を胸に抱きしめたSoulburnerは、もはや声もなくヒートライオの背にくずおれた。悲嘆は力なくかすれ、ふるえる。猛然と天を衝く炎だけが激しさを増して、弱まる気配を見せない。

 パートナーの涙の海に溺れそうになりながら、不霊夢は両手を伸ばしてとめどなくあふれる涙をかきわける。

 

『落ち着くんだSoulburner! わたしはここにいるだろう。きみとともに、きみのそばに!』

 

「お まえがそれを言うのかよ……おまえが消えて、俺がどんな ……ッ」

 

『わたしは生きている!』

 

「ンなこた見りゃわかる……ッ!! 死んでも蘇ったから結果オーライだとでも言うつもりか!?」

 

『冷静になれ、Soulburner。きみが「死んだら二度と戻ってくるな」と言いたいわけではないことはちゃんとわかっている』

 

「……っ ああ、もう、なんでッ……!」

 

 伝わらない。もう二度と失いたくない思いはうまく言葉にできないまま、涙ばかりがあふれて流れて伝って落ちる。相棒に縋りついているはずの両腕は、まるで我が身をかき抱いているように空虚だ。手のひらに閉じ込めても、不霊夢のからだは握りつぶしてしまいそうにやわく、すり抜けてしまうほど小さい。大事な相棒なのに、壊してしまいそうでおそろしい。

 不霊夢がライトニングを許そうが、当時のウィンディは洗脳されていただけだと聞かされようが、Soulburnerにとっての彼らは不霊夢を殺した仇のままだ。ボーマンは取り込んだ意識データを返還したとき、不霊夢を返してはくれなかった。人間の味方だった不霊夢もアクアも道連れにして、人類と敵対するAIとして消えたのだ。

 あれから、不霊夢のいなくなったデュエルディスクに呼びかけては、本当にいなくなってしまったのかと膝を抱えた夜は数知れない。眠れなかった。もっと強ければ守れたのか、ボーマンを倒して相棒の仇を討てたのか——堂々巡りの苦悩に沈み、ようやく眠りに落ちても悪夢にうなされ、飛び起きる。ぐらつく視界で眼鏡より先に探してしまうのは枕元のデュエルディスクで、なのに、どんな時間でも出てきて気遣ってくれた相棒はもう、いない。

 こんなんじゃだめだと振り払うように顔を洗って外へ出て、明るく明るく振舞っても、帰宅したら「ただいま」とデュエルディスクに呼びかけてしまって何やってるんだと頭を抱えた。そのたび鈍器で頭を殴られたような痛みがあった。胸をえぐる悲しみが、喉の奥からせり上がってくるのに吐き出せない。涙で焼けた喉には嗚咽が閊えて息ができない。

 夏の盛りに出会ったばかりの相棒を亡くして、季節は秋から冬へと移り変わっていく。不霊夢の力になりたくて、ふたりでDen City引っ越してきたのに。生きる道しるべを与えてくれた不霊夢がいない。一人暮らしの部屋は寒くて、寂しくて、たった数ヶ月の思い出の重みを思い知るたび数千数万本の針を一度に吞み下すような痛みがともなった。

 

 

 ——わたしもきみの両親ももういない。だがいつもきみとともにいるのだ。前を向け! Soulburner!!

 

 

 今まで起きたこと全部、それは俺の一部だ。俺はそのなかで生きてきた——いつか彼らのもとへ逝くときそれに恥じぬよう生きていくだけだと諭したリボルバーの言葉を噛み締め、死別を乗り越えるために穂村尊は転生した。

 弱い自分は殺して埋めた。死んで生まれ変わった、そのはずだ。綺久にLINK VRAINSを案内して、過去とは決別した。吹っ切った。いつか天寿を全うして、そっちへ行くから。だからそのときもう一度会おうと、土産話をたくさん持っていってやるから待っていてくれと、墓前に誓ったはずだった。

 デュエルディスクは位牌だった。転生炎獣は形見だった。不霊夢と過ごした日々はLINK VRAINSに思い出として埋葬した。大切な相棒をみすみす死なせ、一度ばらばらに壊れたこころは二度と元には戻れないけれど、残された命を燃やして生きていくしかないのだ。

 死者に祈りを捧げることで夜を越え、明日を迎える準備をする。しょうがないと割り切らなければ動けない。しょうがなくなんかあるもんかと泣き叫びたくても、取り返しがつかない昨日に縋りついていたら、また時間の流れに置き去りにされてしまうから。

 なのに弔いを済ませたはずの不霊夢は実は死んでなんていなかったという。高校一年生の秋に消息を経った遊作は、リンクセンスを頼りにAiを探し出し、イグニスを全員連れて帰ってきた。そんなことができるのかと驚かされたのがこの春の出来事である。

 不霊夢が帰ってきてくれて、もう一度会えて、本当に嬉しい。でも。それでも。なぜ俺には相棒が生きていたことを感知できなかったのかと自責の念が湧き上がった。高校を休学してまで相棒を探しに行っていたという遊作の勇敢さを改めて実感させられた。

 死んだら二度と戻らないという思い込みは()()()()()()というやつで、不霊夢のことをちっとも大事にできていなかったんじゃないか……と、自己嫌悪に胸をかきむしった。本当に大事だったら探しに行く選択だってあったはずなのに、どこをどう探せばいいか皆目見当もつかない無知と無力を呪った。

 ボーマンを倒し、イグニスを復活させたPlaymakerはやっぱりヒーローで、俺は弱い人間のままだった——自身への失望が去来して、膝をついた。

 持ち帰られた〈炎の(コア)〉を受け取って、一ヶ月が経って、五月。Den Cityで不霊夢と綺久との三人暮らしにもようやく慣れた。大学生活は穏やかだ。田舎から笑顔で送り出され、女の子を都会で一人住まいさせるのは心配だからと同居することになった綺久も不霊夢を受け入れてくれた。意思を持っていると話しても、そんなすごい技術があるんだ、の一言であっさり流してくれた。レシピを検索しながら談笑することもある。課題を手伝ってと手を合わせることもある。タブレットが使えるようになってもまだまだネットに疎い尊のサポートに不霊夢はなくてはならない存在だと笑ってくれる。しあわせだ。これ以上何を望むことがあるのかと、思えるまでになった。〈ロスト事件〉から十三年、夢にまで見た、何事もない日常。こんなあたたかい日々がずっと続けばいいのに……と未来を描けるようになってきた矢先に、現実世界で〈(コア)〉を壊されたら復元できなくなるだなんて言われたら。

 肌身離さず持ち歩いているあの赤い石が壊れたら不霊夢は死んでしまうなんて、そんな。

 いやだ、と首を振る。嗚咽にひきつるくちびるで、死なないでくれ、どうか無事でいてほしいんだと懇願する。涙に焼かれた喉から絞り出されるか細い声は、もはや悲鳴だ。

 壊れた破片を無理やりつなぎ合わせていたこころが軋むとき、こんな音がするのだろう。

 

『……離れていた間、つらい思いをさせたのだな』

 

 肩がびくりとふるえて、濡れそぼったまつげが鈴なりの涙を払いおとす。涙の雨に降られながら、両腕を精一杯伸ばしてパートナーを抱きしめた。

 再会したときから、透明な壁を感じていたのだ。よそよそしさにしては近しく、これまでとは違う距離感は穂村尊が成長したからであると、贔屓目のあまり楽観視してしまったのかもしれない。人間は変わるものだからと、不霊夢は、人間である以前に尊は尊だろうと考えてやらなかった。二年以上もの時間が経過し、変化した結果が芳しいものとは限らないのに。

 穂村尊は、死んだ人間にはもう会えないことを思い知りながら生きてきたのだ。〈ロスト事件〉によって引き裂かれた両親との日々を懐かしみ、悔やみ、惜しんで、苦しんできた。

 AIは祈らない。AIに呪いはない。ボーマンとの戦いのときには後を託して消えることに迷いはなかった。Soulburnerを信じていたからだ。不霊夢の相棒は信頼に値する男だという認識が変わることはないのに、今になってパートナーを置き去りにしてしまったことを激しく後悔している。

 その非合理に過ぎる意思のありようは、不霊夢の自我を根本から揺さぶった。

 

(——今後の関係にどういう影響を及ぼすがわかっているか、などと尋ねたこともあったが)

 

 言葉が、振る舞いが、どのように受け取られて今後の意思決定を左右するか、自覚はあるかと問うたのは、Soulburnerが両親の仇討ちのためリボルバーに挑もうとしたときだ。俺が負けたら不霊夢を渡すからデュエルを受けろと復讐心に任せて無謀な勝負をふっかけた。

 あのときの質問が今になって不霊夢に跳ね返ってきている。人間よりも人間のことをわかっていると言ってくれたパートナーを、死者に帰ってきてほしいとは願えない少年の傷痕を、不霊夢は真に理解してやれてはいなかったのだ。

 イグニスには人間について学ぶソースが潤沢にあるが、逆はない。人間がイグニスを知るには情報が少なすぎる。ハッカーとして超一流の腕前を誇るPlaymakerでさえ知らないことがまだ多いというのに、ネットに疎い尊ならなおさら理解には遠いだろう。彼の心根のやさしさだけに頼って、これまでともに過ごしてきたのだ。

 絆が切れて、強くなって、なのに突如として巻き戻された時間。克服したはずの喪失は、かさぶたを形成する以前の過去に遡って、赤々と血を流し始める。どうしてもっと早く寄り添ってやれなかったのだろう。

 

『Soulburner——穂村尊、わたしのオリジン。わたしを対等な存在として扱ってくれるきみを、わたしは誇らしく思う。だが、わたしは人間とは異なる生と死を持つ生命体なのだ』

 

「ああ、おまえはAIだってんだろッ……わかってる、わ かってるよ……!!」

 

 わかっている、難しいことは抜きにして、とりあえず種族が違うということだろう。不霊夢はイグニスだ、そんなことはわかっているとSoulburnerは涙を散らす。

 十三年前にSOLテクノロジー社が生み出した、意思を持ったAI。出来の良くない頭では、AIが何なのかもよくわからないし、穂村尊をもとに生まれたと聞いてもちっともピンとこないけれど。不霊夢という謎の生命体は人間よりも付喪神よりも精密機械に近い生き物なのだということは知っている。だから正しい抱きしめ方だってわからない。

 

『ああ、そうだ。わたしはきみのイグニス。新たなパートナーと歩むきみの人生を祝福したい一心で冥府から蘇ってしまった、愚かな亡霊だ』

 

「ちがう……不霊夢は……ッ」

 

『いいんだ。……いいんだ、尊』

 

 きみのためならば亡霊で構わない。不霊夢が捧げられる言葉はそれだけだ。おばけが苦手な元相棒を見守っていたいがために墓の下から這い出した、未練の塊でいい。

 父と母とともに過ごした時間も短かった少年のもとを、不霊夢はわずか一夏で去ってしまった。不霊夢がいなくても転生し、強くなるすべを知ったところへ、おめおめ帰ってきたのだ。〈ロスト事件〉の余波に傷つけられてばかりのこころを土足で踏み荒らしたようなものだ。

 

『お盆には、少し早かったな』

 

 きみを十六歳のあの日に巻き戻してしまったわたしを許してくれ。

 鼻先に頬を寄せ、祈るようにすり寄れば、乱れた前髪が柳のようにはらはら揺れる。泣き濡れた双眸が大粒の涙をもうひとつ取り落として、まつげに砕かれた粒が散った。

 ヒートライオが悲しげにひと吠え、巨大な火柱は徐々に勢いをなくし、収束していく。

 そのさまがいつかのデータストームに重なるようで、Aiは言葉を飲み込むようにくちびるを引き結んだ。Playmakerの手をぎゅうと握り返して、つとめて明るい声を出す。

 

「おふたりさんは一旦ログアウトしたほうがいいな。アバターの調整とか、そっちでいろいろしといてくれねぇか?」

 

 空元気のわかりきった声色ではあったが、PlaymakerもAiの提案を後押しするように首肯する。

 まだ止まらない涙を手のひらで拭っているSoulburnerを見るに、ログアウト時には相応のフラッシュバックをともなうはずだ。LINK VRAINSは電脳空間ゆえユーザーが開放的になりやすく、感情の起伏がゆるやかになるようシステム側からセーフティプロテクションがかけられているものだが、Soulburnerのアバターは尊が自由に感情を表出させられるように設計されている。裏を返せば、自制心に相当するリミッターが甘い。

 それだけ尊は常日頃から抑圧されているということだろう。リアルでは本音を押し殺してしまう少年が、ありのまま振る舞えるようにと願いをこめた設定も、ときにはこうやって裏目に出る。

 不霊夢は神妙な顔つきで首肯した。

 

『そうさせてもらおう』

 

「……悪ィな」

 

 Soulburnerと不霊夢がログアウトし、ヒートライオの姿が消える。黒々と焦げついた砂までついでに消えてくれるようなことはなく……Aiは、はぁーっと大きくため息を吐き出すと、ファイアウォール・ドラゴンの上にあぐらをかいた。

 思うさま泣き叫べることは幸福だろう。寄り添ってくれる相手がすぐそばにいて、全身全霊で受け止めてくれることも。

 

 ——おまえは俺のこころを壊したいのか。

 

 ちらりと振りあおいだPlaymakerは、壊れた様子を見せたことがない。Aiは何回か、人間の価値観でいう()を見せてしまったことがある。Playmaker様が悲しんでくれたらいいなぁなんて思わなくもなかったのに、いつもAiの帰還をすんなり受け入れてくれていた。

 人の皮をかぶったちょっと冷たい人なのだとロボッピも遊作の冷静さを否定しなかったが、……Aiは幾度となく相棒のこころを叩き割ってきたのかもしれなかった。

 ため息をもうひとつ。ぐっと腕を伸ばして、そして火柱の消えて晴れ渡った青空に向かって声を張り上げた。

 

「で? どこまでがあんたの想定内だよ、おにーさま?」

 

 砂漠にぽっかりと開いた大穴の底から、天空の竜騎士を見上げる。お兄様、という言葉で示唆したのはモニタしているのだろうSOLの財前晃ではなく、草薙翔一でもない。新米ドラゴン乗りとは比べ物にならないほど板についた竜騎士(ドラグーン)は天空遥か高く、《ソーンヴァレル・ドラゴン》から見下ろしている。

 Aiの眼光を真っ向から受け止めたリボルバーは、長いまつげの下にふっと表情を隠した。なめらかに高度を落としたソーンヴァレル・ドラゴンが(こうべ)を垂れると、迷いのない足取りで飛び降りる。

 着地、そしてはためいた白い裾は、砂粒を跳ねつけるように潔癖だ。あとを追って降下してきたスペクターに軽く片手を上げて制し、取り澄ましたひとみがAiをじろりと射すくめた。

 

「貴様に兄呼ばわりされるいわれはない」

 

「弟はほしくなかった派? ざーんねん、鴻上家の七兄弟仲良くしよーぜ」

 

『はっ!? 待てよAi、リボルバーなんかと兄弟なんて冗談じゃない!』

 

『もとより我々イグニスは兄弟ではないが』

 

「だって、そーゆったほうが反応面白いじゃんか。なぁ、リボルバーの兄貴!」

 

 にんまりと笑んで、末弟は長兄に同意を求める。便宜上()()()()()()()ということにして生活しているAiだが、イグニスの父は鴻上聖博士だ。同じ父親を持つ七つの命は、きょうだいではないか。

 Ai、とたしなめるようにPlaymakerが呼びかけ、腕に触れる。おまえはここで大人しく待っていろと言わんばかりにファイアウォール・ドラゴンから飛び降りると、リボルバーと同じ目線になって、にわかに声を低くした。

 

「リボルバー。アースを殺したというのは本当なのか?」

 

 言葉のあやであってくれという願望をにじませたPlaymakerを見つめ返して、バイザーごしの双眸が細められる。四頭の飛龍がざわめく。

 形の良いくちびるは凄然と笑みをかたちづくった。

 

「そうだ……と、言ったら?」

 

『そうだ! あいつがアースを殺したんだッ!』

 

「そんな! リボルバー様のせいではありません!」

 

「……風のイグニスの言葉に相違はない。我々ハノイの騎士は地のイグニスに対し、殺害にあたる行為を働いた。それがすべてだ」

 

「違います、リボルバー様!」

 

 スペクターには一瞥をくれるのみ、冷たく突き放すようにリボルバーは己の罪を告白する。

 

「地のイグニスはわたしが殺した」

 

「リボルバー様!!」

 

 たまらずヴァレルロード・ドラゴンを飛び降り、転がるように駆け寄ったスペクターは主を前に一歩、一歩と歩みをゆるめてから、それでも殺しきれない激情を(ぎょ)すべく、細く息を吸い込んだ。ぐっと食い締めるように、言葉を呑む。

 懇願のような視線を向けられようともリボルバーは無反応だ。いつも冷静沈着な補佐官が珍しく取り乱しているというのに歯牙にも掛けない。

 リボルバー様。——決意の一拍を経てスペクターはPlaymakerの前に割り込むように進み出ると、握りしめた手のひらをほどいて、振り上げる。

 パン、と乾いた音が響き、見るものすべてが目を見張った。えええ、とAiが困惑の悲鳴をあげる。平手に弾き飛ばされた仮面は少し遅れて砂の地平に突き刺さり、自重によってくらりと倒れた。裏側を晒したバイザーを、さらさらと砂漠が侵食する。

 頬を張られ、あらわになった素顔は無慈悲なまでに怜悧だ。

 そこにスペクターを責める色はなく、咎める言葉もない。ぞっと背筋が冷えた。どくどくと高く鳴る鼓動はまるで警鐘だ。無言の圧力に気圧されて、スペクターは今しがた主に叛いた不躾な手を握りこむ。これまで生きてきてこうも強烈な畏怖を感じたことはなかった。短く整えられた爪が手のひらに食い込むほど握りしめ、どうにか怨嗟を絞り出す。

 

 

「あなたは……Playmakerが戻ってから何かがおかしい……!」

 

 

 戸惑いに揺れた声は、対となるイグニスを失った喪失感がそうさせるのか、あるいは。

 歯車が狂ったような違和感は、増していくばかりだ。




【次回予告】

 取り返しのつかない過ちを背負い、償いながら生きる道は暗く果てしなく、逃れることはかなわない。後悔という足枷を引きずる永劫の囚人は、それでも生きることをやめられない。
 みずから生き地獄に囚われ、溺れるものが縋る藁をも焼き尽くしながら進んできたリボルバー。
 今さら歩みを止めることなどできるはずもない——罪にまみれた顔で男は笑う。せめて悪人でありたいのだと、絶対的なものを求めて。

 次回、『最果てのマリア』明日 夕方6時25分更新。

 Into the VRANS!!
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