『架空の財閥を歴史に落とし込んでみる』外伝:戦後の新線 作:あさかぜ
前話の『関西新路線②』で、近江鉄道改め関西急行鉄道(関急)による米原~玉造の新線が建設されたが、1971年の都市交通審議会答申第13号で京都側の新線建設と大阪側での地下鉄乗り入れが検討された。史実でも同様の計画があり、場合によっては第二京阪線構想は現実していたかもしれない。
因みに、「第二京阪線」の名称の由来は、1971年当時建設中だった第二京阪道路(全通は2010年)に沿うか地下を通るルートが検討されていた為である。
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京都市の地下鉄構想は、1968年から始まる。唯一狭軌だった堀川線の設備更新と輸送力強化、並行する市電烏丸線の輸送力強化を目的に、堀川通に地下鉄を通す計画が立てられた。計画では、上賀茂神社付近を起点に堀川通を南下、塩小路通とぶつかる付近で南東に方向を変えて京都駅に至る。京都からは烏丸通を経由して南下し、鴨川沿いを通りながら京阪国道(国道1号線)に入る。京阪国道を南下して久御山を経由し、関急本線の上津屋に至り関急と直通する。
当初の予定では近鉄京都線の竹田を経由する事になっており、竹田及び京阪本線の中書島~淀に中間駅を設置して両線に乗り入れる事になっていた。しかし、直通が複雑になる事、近鉄・京阪のターミナルでの売り上げの減少などから、両社が直通に否定的となった。この話を関急に持ち込んだ所、京都への乗り入れに意欲を示した事で、直通先は関急一本になった。
但し、条件として京都以南は関急の路線とする事となった。これは、京都乗り入れをしたい関急の要望であったが、京都市としても財政問題で揺れていた事もあり、京都で分割され北側は京都市が南側が関急がそれぞれ保有する事となった。
近鉄・京阪としては、関急のこれ以上の拡大に猛反対だった。しかし、京都市は関急の京都乗り入れに賛成であり、沿線自治体からも鉄道が通り京都や大阪の市内に乗り入れられるメリットは大きいとして反対しなかった。
そもそも、両社が地下鉄乗り入れに賛成の意向を示していればこの様な事にならなかった訳であり、後の祭りでしかなかった。
1974年、京都で地下鉄及び関急新線の起工式が行われ、上津屋・京都・北大路の3か所で工事が始まった。予定では、近鉄京都線を潜った先から上津屋までが高架となり、それ以外の区間では地下線となる。軟弱地盤や遺跡の多さから工事は遅れ気味となり、開業は1981年5月29日となった。この開業も、関急側は全線開業したものの、京都市営側は北大路までであり、北大路~上賀茂神社の開業はもう少し時間が掛かった。
最終的に、北大路~上賀茂神社が開業したのは1988年6月11日の事だった。
地下鉄の車輛は、史実の烏丸線と同じ10系が導入された。電圧や車体の大きさなどは史実通りだが、関急の軌間が1067㎜の為、地下鉄の軌間も1067㎜となっている。
地下鉄の開業に伴い、関急にも地下鉄直通用の車輛が増備された。「1100系」と名付けられたこの車輛は、地下鉄10系の車体に史実の東葉高速鉄道1000系の前面を付けたイメージとなる。直通時に導入されたのが試作車と1次車、地下鉄全通時に導入されたのが2次車となっている。
共に6両編成で投入され、京阪間の各停や急行の運用に就いている。
京都初の地下鉄の開業は、メインストリートである烏丸通の混雑の緩和になるとして歓迎された。また、京都市内から乗り換え無しで大阪市内に行けるメリット、主要観光地である上賀茂神社へのアクセスとなる事もあり、概ね高評価だった。
一方で、建設費の高さによる高運賃が悩みの種であり、直通客や観光客以外の利用者は決して多くなかった。京都市民にとって市内交通の要は依然として路面電車であり、「地下鉄は路面電車の代替にならない」と改めて認識される事となった。
関急の京都延伸によって、京阪間に新たなライバルが生まれた。特に、最も近隣かつ滋賀大阪間でも競合関係の京阪にとっては死活問題であり、本数の増加や高速化、付加価値の創造などに着手する様になる。
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一方、大阪側は玉造から長堀通を経由して、伯楽橋西詰から大正通に入り大正を経由して鶴町に至る地下鉄との直通計画が立てられた。この路線は輸送量が小さいと見込まれた事から、当初は新交通システムか小型地下鉄での建設を予定していたが、関急との直通を想定した事から規格が変更となった。
計画は1971年から存在したが、内容が固まったのは1978年だった。関急が実際に利用されるかの判断が付かなかった事、御堂筋線の混雑解消が優先された事などが理由だった。
1984年に建設が始まり、玉造では直通が行える様に改良工事が行われた。大正~鶴町の地盤の緩さから来る道路と高架の一体工事が遅れた事で、当初の予定だった1990年内の全線開業は不可能となった。1990年3月20日に先に工事が完了した玉造~心斎橋が開業し、「長堀線」と名付けられた。運転開始と同時に、関急との直通運転が開始した。
残る心斎橋~鶴町が開業したのは1996年12月11日となった。
長堀線の車輛は、コストダウンを意識した設計となっている。当時大阪市交通局が導入を進めていた新型車輛である80系が導入された。この車輛は、御堂筋線や千日前線などの新20系シリーズ、谷町線や堺筋線、中央線の70系シリーズ(※1)の親戚とも言え、同じ1067㎜・直流1500V・20m級車体・4ドアの四つ橋線にも導入された(※2)。
長堀線の開業によって、関急は1100系(3次車)を増備した。だが、京都市営地下鉄直通時から10年経過している為、主要機器の変更や更なる軽量化が図られた。後に、1100系の試作車・1次車・2次車も更新工事で主要機器を3次車に合わせる事となる。
長堀線の開業によって、関急は大阪市内へのアクセスが実現した。中心街である梅田や難波へは御堂筋線に乗り換える必要はあるものの、百貨店や高級店が多い心斎橋へ一本で行ける事は大きかった。また、古い町並みや廃工場などが多かった鶴町付近の再開発が進み、高層マンションや大型量販店の進出が進み、人口増加に寄与した。
中央線とは大阪市を東西に横断、私鉄との直通、起点がウォーターフロントという共通点があり、重複している部分も多い。しかし、直通先の違い(長堀線:京都、中央線:奈良)や目的の違いから完全な競合相手とはなっていない。
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(京都市営地下鉄堀川線)
・上賀茂神社
・北山
◎北大路:京都市電北大路線(北大路堀川)
・上御霊前
◎今出川:京都市電今出川線(今出川堀川)
・下長者町
◎丸太町:京都市電丸太町線(堀川丸太町)
・二条城前
◎四条:京都市電四条線(四条堀川)
・五条
◎七条:京都市電七条線(七条堀川)
◎京都:JR東海道新幹線・東海道本線・山陰本線・奈良線、近鉄京都線、京都市電烏丸線・河原町線(京都駅前)
↓関西急行鉄道京都線と直通
(関西急行鉄道京都線)
↑京都市営地下鉄堀川線と直通
◎京都:JR東海道新幹線・東海道本線・山陰本線・奈良線、近鉄京都線、京都市電烏丸線・河原町線(京都駅前)
◎九条:京都市電九条線(九条烏丸)
・十条鳥羽
・水鶏橋
・鳥羽大橋
・下鳥羽
・大手筋
◎三栖:京阪本線
・巨椋池
・御牧森
・久御山
・上津屋
↓関西急行鉄道本線に直通
(大阪市営地下鉄長堀線)
↑関西急行鉄道本線と直通
◎玉造:JR大阪環状線
◎谷町四丁目:大阪市営地下鉄谷町線
◎長堀橋:大阪市営地下鉄堺筋線
◎心斎橋:大阪市営地下鉄御堂筋線、大阪市営地下鉄四つ橋線(四ツ橋)
・西長堀
◎千代崎:阪神西大阪線(岩崎橋)
◎大正:JR大阪環状線
・泉尾
・大正区役所前
・千鳥公園
・平尾
・大運橋
・鶴町
※1:史実の66系。この世界の大阪市営地下鉄は直通運転が多い事から(谷町線が京阪と南急、堺筋線が阪急と南急、中央線が近鉄。全て1435㎜・直流1500V・架線集電方式)、導入本数が多い。
※2:この世界の四つ橋線は南海と直通している。大国町~住之江公園は御堂筋線の支線扱いとなっている。