『架空の財閥を歴史に落とし込んでみる』外伝:戦後の新線   作:あさかぜ

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東海新路線②:伊勢臨海鉄道

 かつて、近鉄名古屋線の海側に別の路線が存在した。近鉄伊勢線であり、この路線は津市の江戸橋を起点に津新地・松ヶ崎・新松阪・徳和を経由して、外宮付近の大神宮前の区間だった。

 多くの区間で近鉄山田線やJR紀勢本線・参宮線と並行しているが、これは「伊勢電気鉄道(伊勢電)」が建設した為である。

 

 伊勢電の歴史はここでは詳しく記さないが、参宮急行電鉄(参急:大阪電気軌道の子会社で近鉄の前身の一つ)と伊勢・名古屋の進出競争を繰り広げていたが、名古屋延伸を巡っての贈賄事件、伊勢電のメインバンクである四日市銀行(現・三重銀行)が取り付け騒ぎに合うなどして経営不振に陥った。これによって伊勢電は競争に敗北し、1936年9月17日に参急に合併された。参急は1931年3月に宇治山田まで、1932年4月まで津まで開業していた為、旧・伊勢電は「名古屋伊勢本線」という名称ながら、江戸橋~大神宮前は事実上のローカル線となった。

 その後はローカル線となりながらも複線電化で存続していたが、日中紛争(※1)と大東亜戦争によって戦争は激化し、産業上重要な路線の輸送力強化に努める一方、不要不急な路線の休止や単線化が行われた。伊勢線(※2)も並行する参宮線と山田線の存在から、1942年8月11日に新松阪~大神宮前が廃止となった。また、残る江戸橋~新松阪も津新地~結城神社前を除いて全線で単線化された。これらの資材は名古屋線の複線化などに転用されたという。

 

 何とか存続した伊勢線だが、ローカル線かつ並行路線という事で利用者が伸び悩んだ。その為、昭和30年代には既に廃止が検討されていた。その為、名古屋線で計画されていた1435㎜への改軌工事も(※3)、伊勢線についてはそのままとされた。

 それが、1959年9月26日に上陸した台風15号(伊勢湾台風)によって、東海地方が大打撃を受けた。豪雨による増水や暴風による高潮によって、河口部など低地を中心に水害が深刻だった。名古屋線・伊勢線も被災し、特に名古屋線は多くの区間で路盤の流出などの被害が生じた。

 一方で、この被災による復旧と合わせて、予定されていた改軌工事も前倒しされた。急ピッチで工事は行われ、11月27日に全線の復旧と改軌が完了した。12月12日からは大阪線・山田線との直通運転も行われ、長年の悲願だった名阪・名伊特急の直通運転が実現した。

 

 伊勢線も復旧したが、既に廃止が予定されていた為、改軌はされなかった。そして、残る江戸橋~新松阪は1961年1月22日に廃止となった。

 廃止の翌年の5月12日、鉄道敷設法が改正されて新しい路線が編入された。第75号の3だが、『三重県津附近ヨリ松阪ヲ経テ伊勢ニ至ル鉄道』とされ、「南伊勢線」の仮称が付けられた。目的は「沿線予定地の工業開発、廃止された近鉄伊勢線の代わりに貨車の乗り入れの実施」だが、このルートの前半は近鉄伊勢線と重複していた。後半も廃止された区間を経由していたが、予定では海岸寄りのルートを通る事になっていた。

 

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 当初、近鉄は伊勢線を廃止する予定だった。しかし、沿線から貨車の乗り入れの継続と海岸寄りに伊勢市まで延伸して欲しいという要望が挙げられた。三重県沿岸部が工業地帯として開発される計画がある事は近鉄も知っており、伊勢線がその地域と一部重複している事も知っていた。

 しかし、この頃の近鉄は奈良電気鉄道(京都線)や三重電気鉄道(志摩線・湯の山線、三岐鉄道北勢線、四日市あすなろう鉄道内部線・八王子線)、信貴生駒電鉄(生駒線・田原本線)の買収、鳥羽線や難波線、新生駒トンネルの建設など拡張の真っ只中であり、これ以上の新規事業を行うのは難しかった。また、沿線の開発が不透明な地域への延伸はリスクが大きい事も、参入に消極的になった。国鉄線として整備してもらおうという動きもある事も拍車を掛ける。

 

 一方で、国鉄線として建設されるには鉄道敷設法に編入される事、予定線から建設線に昇格される事、建設される事、そして開業という流れになる。その為、開業までに長時間掛かり、とてもではないが沿線自治体はそこまで気長に待つ事は出来なかった。現状、津~伊勢市の国鉄線建設運動が存在するが、実を結ぶかは不明だった。

 そこで浮上したのが、近鉄と自治体、有力企業が共同出資して新会社を設立、伊勢線をその会社に譲渡して残る区間を開業させようというものだった。この方法なら鉄道敷設法に編入する必要が無い事、専用線の建設を行い易い事などのメリットがあった。近鉄も単独建設で無い事から負担も小さく、影響力を維持出来た為、決して不利益な案では無かった。

 だが、この方式は臨海鉄道の建設でよく見られるのだが、1960年時点では何所も行っていなかった。この方式で設立された最初の会社が京葉臨海鉄道だが、会社設立が1962年11月20日とまだ先の事だった。法整備が進んでいない事が最大のネックだった。

 この判断が付かなかった事が伊勢線の存廃問題と合わさり、当初は1961年に廃止予定だったが、3年間の様子見という名の現状維持が決定された。そして、1962年に南伊勢線が鉄道敷設法に掲載された。

 

 1963年8月、近鉄は伊勢線の臨海鉄道化に舵を切った。前年に京葉臨海鉄道が、同年の6月に神奈川臨海鉄道が設立された事で、臨海鉄道に対する明確な根拠が確立された。伊勢線を流用して津~松阪港~伊勢市の臨海鉄道が計画された。

 同年11月1日、近鉄・国鉄・自治体・企業の出資で「伊勢臨海鉄道」が設立され、同日付で伊勢線が譲渡された。合わせて、米ノ庄~大口~伊勢市の免許を申請し、これは1964年2月に認可された。また、「江戸橋~津新地の改良」の名目で津~津新地に付け替える工事も申請し、こちらは1964年3月に認可された。

 予定では、起点を津に変更し、津新地で伊勢線に合流する。津新地から米ノ庄までは既存線を流用し、米ノ庄から松阪港方面にルートを変える。概ね国道23号線の南勢バイパス(※4)に沿う形で伊勢市に向かい、宮川を越えた所で進路を南に変えて山田線に合流する。宮町を出たら参宮線と合流して伊勢市に至る、という事になっている。

 

 1964年7月、津付近の路線付け替え工事及び米ノ庄~伊勢市の建設工事が始まった。付け替え工事は短い区間の為、年内に完了した。これ以降の運転は津~新松阪となった。運転区間の変更と共に、日本鋼管津造船所(現・ジャパンマリンユナイテッド津事業所及びJFEエンジニアリング津製作所)など沿線の工場への専用線が開業した。

 その後、貨物輸送の早期実現の為に米ノ庄~大口~松阪港が1965年2月に開業し、セントラル硝子の貨物輸送が開始した。残る大口~伊勢市の建設も進められ、1965年11月に開業した。

 これにより全線が開業したが、全線開業と貨物輸送の実施が優先された為、開業から約1年は米ノ庄~伊勢市の旅客運転は実施されなかった。旅客運用が始まったのは1966年9月からだった。同時に、米ノ庄~新松阪は廃止となった。

 

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 伊勢臨海鉄道は、近鉄から譲渡された路線については電化されていたが、津への乗り入れ時に非電化に切り替えた。電化設備などは撤去されたが、設備が再設置可能となっており、新線区間も電化が可能な設計になっている。また、将来的な輸送力強化や国鉄線のバイパスとしての性格もある為、全線で複線化が可能な用地が確保されている。

 

 車輛は、国鉄のキハ20系に準じた「キハ6600形」が投入された。この車輛は、車体構造や各種計器類は暖地向けのキハ20形に準じているものの、ドア配置は酷寒地向けのキハ22形に準じている。デッキが付いていない事を除けば、内装もキハ22形に準じている。1964年の付け替え工事完了時に2両投入され、全線開業時に3両、全線旅客営業開始時に3両が増備された。その後も増備が続けられ、1970年までに合計18両が導入された。

 だが、開業から数年はキハ6600形の増備が間に合わなかった為、国鉄からキハ07形やキハ04形を4両ずつ払い下げてもらった。共に戦前製だが、使い勝手の良い大きさや増備が完了するまでの繋ぎであった為、数年間はこれで問題無かった。これらは1970年までに全車廃車となった。

 旅客用車輛以外に、貨物用として「ID55形」ディーゼル機関車が投入された。国鉄のDD13形が基となっており、手頃な大きさや性能から多くの臨海鉄道や私鉄でも派生型が活躍している。1963年から1971年まで合わせて8両が投入された。

 それ以外にも、構内入換用の小型ディーゼル機関車を数両配備したが、こちらはID55形が揃うと使い道に困り、1975年までに全車廃車となった。

 

 ダイヤだが、旅客列車は全線を運行する列車が6時から22時まで40分毎に1本の間隔で運行していた。伊勢線時代と比較すると増便であり、時間も偶数時なら0分か40分、奇数時なら20分と分かり易くなった。その合間に津~香良洲や大口~伊勢市の区間運転なども存在する為、地域の足となる様に設定された。

 貨物列車も設定されたが、津~雲出や津~松阪港が殆ど。大口の貨物輸送がこの区間しか存在しない為である。農産物や郵便など小口の輸送も実施しているが、モータリゼーション到来と重複した事で15年程で終了となった。

 

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 開業したものの、貨物・旅客共に奮わなかった。沿線が工業地帯として開発される予定だったが、四日市ぜんそくの影響で中止になった為である。その後のオイルショックによって、新規開発は完全に白紙となった。これによって、沿線が工業地帯として開発される構想は幻となった。

 工業地帯として整備されなければ、労働者とその家族が沿線に住む事は無い為、宅地開発も低調だった。バスより本数が多い事から地域住民の足として重宝されたものの、本来の目的とはかけ離れたものとなった。

 

 このままでは存続は難しいと判断され、不動産開発や近鉄の一部事業の委託など多角化が勧められた。特に熱心だったのは、繊維工業や食品加工業、玩具製造などの軽工業向けの工業団地の整備だった。沿線の工業開発が失敗した理由は、石油化学や製鉄など重化学工業がメインだった為であり、その反省と都市部から追い出された軽工業の受け皿を目的とした。

 名古屋・京阪神に近い事から、繊維や食品関係が多く移転した。玩具については、水害が多い事から敬遠された。その代わり、家具製造が移転してきた。

 工場の移転によって労働者とその家族の移住が見られたが、多くは地元住民が雇用された為、宅地開発は大きなものとならなかった。また、これらの製品は軽量で輸送量が少ない為、貨物の収入は大きく増えなかった。

 それでも、収入を増やす事には成功した。決して安心出来る状況ではないものの、数年から10年程は何とか保てる状況にまでは落ち着いた。

 

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 2020年現在、伊勢臨海鉄道は存続している。貨物事業はJFEやジャパンマリン関係の製品の輸送は未だに続いている。そして、1978年に松阪港に中部電力が石炭火力発電所を建設した事で、発電所から生じるフライアッシュや脱硫用の炭酸カルシウムの輸送という大きな需要を獲得した。これによって、伊勢臨海鉄道は苦境を脱する事に成功し、中部電力も株主として名を連ねる事になった。

 旅客輸送も、沿線の開発によってある程度の人口の定着が見られている。しかし、大きな街との繋がりや弱い事、名古屋に直接行けない事などから利用者は伸びていない。

 

 車輛については、未だに全通時からのキハ6600形が存在する。保守部品等は国鉄末期からJR初期にかけて、キハ20系列の部品を大量に購入した事で、現在でも使用に耐えられる状況になっている。1980年頃から冷房化も実施され、現在までワンマン化や保安装置の更新などが行われた。

 それでも、導入から50年以上経過している事、運用コストの高騰などから、2015年から「キハ2100形」が投入されている。この車輛は、関東鉄道のキハ5000形が基となっているが、扉配置や車内の座席配置などはキハ6600形に準じている。

 2015年に1両が導入され、その後は1年に1両のペースで増備が行われている。それに伴い、2020年現在までに5両のキハ6600形が廃車となっている。

 機関車は老朽化から4両が廃車されている。残る4両も10年以内に廃車になると見られている。代替車として、2013年から「ID60形」ディーゼル機関車の導入が行われている。これは神奈川臨海鉄道のDD60形と同形式で、2020年までに3両配備されている。

 

 鉄道事業だけでなく、不動産事業(土地造成・駐車場運営・貸しビル業)や近鉄・JRの駅の委託などを行っている。また、子会社で倉庫業や運送業、小売業などを行っている。これらの事業は1980年代から広げられ、少しでも収益を増やす事が求められた。

 どの事業も収益を上げており、今後も続けていく事となっている。特に、不動産事業と倉庫業が収益源となっており、新たな事業の核と位置付けられている。




※1:この世界でも日本と中華民国は戦争状態になったが、日本が内陸部への進出をしなかった。その為、後世の呼び名として「日中紛争」となった。
※2:大阪電気軌道と参宮急行電鉄が1941年3月15日に合併して「関西急行鉄道」となった。これに合わせて路線名の整理が行われ、旧・伊勢電の区間は江戸橋を境に名古屋線と伊勢線に分断された。
※3:桑名~名古屋の開業は参急子会社の関西急行電鉄(関急電)が行ったが、早急に開業させる為に伊勢電の計画のまま開業させた。その結果、名古屋線は1067㎜、大阪線と山田線は1435㎜と直通出来なかった。
※4:松阪市と伊勢市を結ぶ。1970年に事業化、1975年に暫定2車線で開業、1994年に4車線化で開業した。この世界では伊勢臨海鉄道と一体で計画された。

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