聖剣伝説3逆行   作:畑中

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1話: 旅路の果てに

 

 人の運命は、99パーセントまで、予め決まっている。だが、残り1パーセントに、未来があり、夢がある。

 人はその1パーセントを、こう呼ぶ。

 希望と──

 

 

*****

 

 

 長い夢を見ていた。

 夢の中でホークアイは、世界を魔族から救おうと奮闘する勇者であった。やらなければいけないことがある、と焦燥感に駆られてホークアイは目を開けた。

 しかし夢はあっという間に記憶の器からこぼれ落ちて、もはや長い夢を見たという余韻しか残っていない。

 

「──ゆめ……」

 

 起き上がって枕もとを確かめると、じっとりと湿っている。

 窓の外を眺めると、空が茜から紫へと色を変える頃合いだった。随分長く眠ってしまっていたらしく、ひどい倦怠感だ。

 

 ──今日の予定をどうにも思い出せない。

 髪も結わずに寝間着のまま、ホークアイはぼんやりと部屋から抜け出し、外に出た。

 

 夕日で真っ赤に染まった砂の大地を裸足で踏みしめた。熱された砂は足の裏の皮を焼いたが、今は何故だかその痛いほどの熱さを感じていたかった。

 耳をすますとナバール要塞のそこかしこで、鍛練に勤しむ若者たちの掛け声や、仕事の計画についての熱心な議論や、まだ日も暮れる前から酒に飲まれている親父たちの濁声が聞こえる。闇に乗じる稼業の都合上この要塞に昼夜の区別はなく、いつだって活気に溢れている。

 

 ああ、ナバールだ。

 ホークアイは渇いた空気を目いっぱい吸い込む。日頃は鬱陶しい、砂を含んだ風が、何故だか懐かしい。

 

「ホーク」

 

 と、爽やかな男の声がホークアイを愛称で呼んだ。ホークアイは声の方向に目を向けるが、男は夕日を背中にしょっていて、逆光が影を落としてその顔を隠している。

 砂地とは思えない軽やかな足取りで男は二歩三歩とホークアイに近づき、ホークアイの寝間着や裸足を見咎めて、「何てカッコだ」と苦言を呈した。

 

「部屋に戻れ。親父のことについて、話が──」

「イー、グル……」

 

 ホークアイは思わず名前を呼んだ。声が掠れていたのは喉の渇きの所為だが、震えていたのは何と言い訳しよう。

 収穫目前の稲穂のように輝く金色の髪、快晴の海のような深い青の瞳。砂漠の者らしくない色を身に纏いながらもその男は、砂漠によく似合って堀が深く整った見目をしていて、砂と汗の匂いをさせている。

 ナバール盗賊団の首領フレイムカーンの実子であり、次期首領。ホークアイとは兄弟のように育った、かけがえのない親友だ。

 

「イーグル……」

「……ホーク?」

 

 イーグルの名を繰り返すホークアイを不審そうに見て、イーグルの目には心配の色が浮かぶ。イーグルはホークアイの顔を間近にし、ホークアイの目尻から頬を伝う涙の乾いた跡に気が付いたようだった。

 

「ホークアイ。何があった?」

 

 顔を覗き込まれ、その声で名前を呼ばれて、ホークアイの平常心は胸に込み上げる感情の波に押し流された。理由はわからなかったが、ひどく悲しい。そしてこの上もなく嬉しい、また生きて会えたことが!

 涙は一粒こぼれ落ちるともう止まらなかった。後から後から溢れ出て、イーグルをぎょっとさせた。

 

「な、何故泣く?俺に、何かできるか?」

 

 動揺を隠せないイーグルの指がホークアイの頬を強く拭うが、止まる気配のない涙は手を濡らすだけだ。ホークアイは茫然とイーグルを見つめ、嗚咽もなく、ただただ大粒の涙をぼろぼろと溢した。

 イーグルはホークアイの涙を拭うのを諦めて、「やれやれ」とホークアイの体を引き寄せてきた。おさなごを相手するかのように、イーグルの手がホークアイの背中をとん、とんとゆっくり叩く。

 ホークアイは体を強張らせたが、少し戸惑った後は、震える腕をイーグルの背にぎこちなく回してしがみ付いた。目の前にある身体の存在を確かめたかった。生きている体温の温かさを知りたかった。ホークアイはイーグルの肩口に顔を埋め、涙が止まるまで、イーグルの心臓の鼓動を数えた。

 

 そうして涙の流れるままに任せたが、その衝動が収まって我に帰った後、ホークアイは恥ずかしさで顔を上げることができなくなっていた。一体全体、何をやっているんだろう。顔を見るなり突然の号泣、そして胸を借りて子どものように縋り付いている。イーグルのシャツは肩口から胸元にかけて涙の染みが大きく広がり、色を濃くしている。

 醜態を見せたどころではない奇行だった。自分らしくないにも程があり、気が振れたと思われたっておかしくない。いったい自分の情緒はどうなってしまったというのだろう。

 ホークアイは顔を上げないまま血の気を引かせて、なんとか誤魔化せないかと混乱しきった頭を巡らせる。が、指一本動かせない固まりきったホークアイに、イーグルが気が付いた。

 

「……お前、もう正気に戻ってるな?」

「う……ん……そうとも言える」

「良かった。お前までおかしくなってしまったら、俺は──……」

 

 と、イーグルが言葉尻を濁す。身内の異常な行動を目の前にすれば、不安になるのも当然だ。ホークアイはイーグルの肩口で涙を拭い、意を決して顔を上げる。

 

「ごめん。もう大丈夫だ、心配かけた」

「気にするな。何があったか、話せるか?」

「それが、俺にもわからない……いや、多分──夢のせいだ」

「夢?」

 

 イーグルの顔を見た瞬間の、濁流のように込み上げた『また生きて会えたことが嬉しい』という感覚。物心がつく前からずっと共に育ってきて、日を開けて会う方が珍しいような日常なのに。

 

「もうほとんど忘れちまったんだけど、妙にリアルな夢でさ。現実とごっちゃになって……」

 

 夢にはぼんやりと霞がかかり詳細は思い出せないが、その中にイーグルの姿がなかったことは確かだ。その夢は、イーグルの死から始まる、復讐の旅路だった。

 

「こわ〜い夢見て泣いてたってことか?そうか、そりゃまあ仕方ない」

 

 と、イーグルは揶揄うように口元をニヤリとさせた。ホークアイは照れくささを誤魔化すように、イーグルの肩口を殴って抗議する。

 

 イーグルと話していると、「おーい、ホークアイ」とよく似た姿の二人が声がかけてきた。ナバール盗賊団の誇るニンジャの中でも一番の腕利き、双子のビルとベンである。

 

「ああ、そこにいたか。今部屋に行こうと──……」

「明日の仕事のことなんだが、編成を──……そ、その目はどうした、ホークアイ」

 

 双子はホークアイたちの姿を見てぎょっと目を丸くした。

 双子とホークアイは仕事でもチームを組んで、難題を任されることも多い。お互いに、背中を任すに足るという信頼がある。

 そんな彼らに泣き腫らした後の真っ赤な目を見られたと気付いて、ホークアイは恥ずかしさに紅潮しつつ、「いや、これは──」と、さっと目を隠して誤魔化そうとした。その姿はどう見えただろうか、双子は眉間に皺を寄せる。

 

「寝間着のホークアイをイーグル様が泣かしている……!?」

「察するにこの状況は、痴情のもつれか、あるいはジェシカに関することか」

「あのホークアイが泣くほどだ、相当のことがあったに違いない」

「興味は尽きないが、我らが首を突っ込んで無事に済む案件とも思えん」

「退散するが吉だな、ベン」

「そうしよう、ビル」

 

 この双子特有の、お互いの呼吸を知り尽くしたテンポ良い会話だった。穏やかな声でお互いに名前を呼び合うその様子がとても懐かしい。

 ホークアイはビルとベンの血色のいい肌や、光の灯った目や、よく動く表情を見て、何故だか泣きたくなった。

 

「ビル、ベン。良かった……俺──」

 

 一度決壊した涙腺はゆるく、泣きそうだと思った時には、もう遅かった。その目からぼろぼろと零れ落ちる滝のような涙に気付き、ビルとベンは驚きのあまり、同時に後ろに跳んだ。

 

「な、なんだ?!何なんだ?!」

「気をつけろベン、催涙ガスかもしれん?!」

 

 きょろきょろと辺りを確認して戦闘態勢に入る双子の、目にも留まらぬ速さが今だけは滑稽だ。滅多にみられないほどの動揺を見せてくれる双子を、イーグルが喉の奥で笑った。ホークアイの奇妙さには目を瞑り、イーグルはもうこの状況を楽しむことにしたようだった。

 

「お前らぁ、俺の弟分を泣かして、ただで済むと思ってないだろうな」

「えええええ?!な、何もしてません俺たちは?!なあっビル?!」

「誓って何もしてません、何も知りません!」

「お前らの顔見て泣いてるんだからお前らが原因だろーが!」

「むむむ無実だ!冤罪だー!」

 

 ホークアイの目にはイーグルが楽しんでいることは明らかだったが、双子はいらぬ嫌疑をかけられて、声を張り上げて無罪を主張する。

 いつの間やら騒ぎを聞きつけてざわざわと周囲に人が集まりだした。要塞の窓から顔を覗かせる者もいれば、扉から出てきて囃し立てる者もいる。その中に青いワンピースのジェシカや、ネコ族のニキータの姿も見えた。

 

「ホークアイ、大丈夫?!ちょっと、馬鹿兄さん、ホークアイに何やらかしたのよ?!」

「妹よ、真っ先に疑われてお兄ちゃんは悲しい……」

「アニキ、そんなに泣くと、お腹がすくにゃ?何か持ってきますにゃん!」

 

 もう好きにしてくれ、といった気持ちでホークアイは泣き笑った。

 みんなの前で涙を見せるなんて冗談でも御免だったが、もう恥ずかしいなんてそんな次元はとうに超えてしまった。ナバールの皆の顔をひとつずつ見渡して、そのひとつひとつが涙の一粒となった。

 

 愛しいナバール。たった一つの故郷。何気ない日常のひとつひとつが、何よりも幸せだと感じた。

 

 

 

 

 

 

 

 その日以来、ホークアイの周りでは奇妙な事象が相次いだ。

 まず第一に、知るはずもない事柄を言い当てることができるようになった。例えば、ある日の仕事のターゲットの富豪が、今は汚い金に目が眩んでいるが本来は家族思いの優しい男で、盗みに入られた後は心を入れ替えて家族のために誠実に働くようになるということ。例えば、ニキータがネコ族の故郷にジョセフィーヌという恋人を残してきていること。その日の朝食が何だったか思い出せるのと同じように、それらの情報を当然のようにホークアイは思い浮かべることができた。知っているはずもないのに。

 

 第二に、周りの連中が弱くなった。ホークアイは盗みの腕こそナバール随一と自他ともに認めていたが、こと戦闘に関すると話は別だった。しかし、どんな手練れでも、ホークアイに敵う者はいなくなった。

 

 「ホークアイお前、俺の知らぬ間に一体どんな訓練をしたんだ」

 

 模擬戦の最中、初めてホークアイに膝を付かされたイーグルは、信じられないといった様子でホークアイを問い詰めた。ホークアイはそれに対する回答を持っておらず、その答えを一番知りたいのはホークアイ自身であった。

 

 

 ある日、ホークアイが仕事を終えてナバールに戻ると、要塞は妙な活気にあふれ、いつになく騒がしかった。盗んだ宝を宝物庫に収める暇もなく、首領の間に呼び出される。どうやら首領フレイムカーンから、重大な交付がなされたらしい。

 嫌な予感と共に急いで首領の元に参じると、フレイムカーンとイザベラが待っていた。首領は先月、砂漠で行方不明になった際イザベラに命を救われ、それ以来彼女を相談役として侍らせている。

 

 ホークアイはそのいやに婀娜っぽい女がどうしても好きにはなれなかった。首領の命の恩人だと紹介された時は深く感謝して快く盗賊団に迎え入れもしたが、その女が来てからというもの、首領は人が変わったように表情を出さなくなり、床に伏せることも多くなってしまった。

 ホークアイはイザベラを無視し床に膝を付き、首領への礼を表した。

 

「ただいま戻りました、首領」

「ご苦労……」

 

 首領フレイムカーンの声は低く沈み、目の光もくすんでいる。ほんの一ヶ月前、砂漠で行方不明になる前のフレイムカーンはその炎の王の名に相応しく激情に生きる血気溢れる男であったのに、今は見る影もない。

 フレイムカーンはホークアイの養父でもあり、恩師である。フレイムカーンに拾われナバールに加わらなければ、今こうして生きているかも怪しい身の上だ。盗賊団の一員として首領フレイムカーンに忠誠を誓っているが、フレイムカーンは首領である前に父のような存在であった。盗賊という生業ながらも誇り高く、熱い心根の養父をホークアイは誇りに思っていた。女にうつつを抜かし、本来の姿を失ってしまっている今の養父の現状には違和感しか感じない。

 

「お前たちがいない間に、すでに皆には伝えたが」

 

 首領の代わりに隣のイザベラが口火を切る。フレイムカーンともあろう者が、こんな女に代弁を許すとは!

 

「我がナバール盗賊団は、本日をもって解散し、新しくフレイムカーン王の統治する、ナバール王国建国をめざす」

「!」

 

 ホークアイは驚きのあまり、顔を上げてフレイムカーンとイザベラを見つめた。イザベラは気にした様子もなく言葉を続け、フレイムカーンに至ってはぼんやりと宙を見ていて、ホークアイが視界に入っているのかも怪しい。

 

「いつまでも、こんな辺境の荒れた土地で、くすぶっている場合ではない。世界規模でのマナの変動の影響で、我々の生命線である、オアシスの湧き水が枯れ始めている。砂漠を捨て、新天地に『ナバール王国』を築くのだ!まず、北の山岳地帯、風の王国ローラントを占領する」

「お待ちください、首領!盗賊団をやめるなんて、そんな馬鹿なことが──」

 

 ホークアイは立ち上がって首領フレイムカーンに抗議したが、イザベラがフレイムカーンの前に立ちはだかり、ホークアイを睨みつけた。

 

「これはもう決定事項だ。反論は聞かない」

「そんな……首領!フレイムカーン様!」

「これから作戦会議を開く。お前たちは休んでいろ」

 

 と、イザベラが促すままフレイムカーンは立ち上がり、イザベラの後に続いた。その目をホークアイに向けもしない。

 呆然とするホークアイのすぐ横を二人が通り抜けた時、ホークアイは冷たい夜の風の真っ只中に裸でいるような心地がした。ぞわりと全身が粟立ち、猫を前にした鼠のようにカタカタと震えた。

 

 猫。それは比喩ではない。先ほどイザベラに睨まれた時、何故だかホークアイの眼には、猫に似た大型の捕食獣の姿とイザベラが被って見えたのだ。

 

 

 

 

 自室の窓からはナバールの様子が広く見渡せる。どんなに夜が深まっても要塞の明かりは消えずに誰かが酒を飲んでいるものだが、今日は盗賊団の解散と王国の設立が告げられたことで、常よりも一層ざわついている。先ほど仕事からナバールに帰ってきた時の、あの奇妙な雰囲気はこれだったのだ。

 落ち着かない団員たちを自室の窓から見下ろしながら、ホークアイは一人憂いていた。ホークアイにとって、このナバールの要塞は家だ。盗賊団の団員達こそが家族だ。この要塞を捨てて、盗賊団を解散するなんて冗談でもなかった。仲間たちの間には急な話に戸惑う者もいたが、しかし多くは開戦に色めきだっているようで、その様子にも苛立ちが募る。

 

 ホークアイはローラントを相手に開戦などまっぴらごめんだった。ナバールは義賊であって、決して兵士などではない。

 それに、何かもやもやと霧のようではあるが、払いきれない不安がホークアイの胸の内で燻っているのだ。絶対にこの戦争を起こさせてはいけないという確かな予感であった。何としても、女の美貌に不抜けてしまった養父フレイムカーンを説得せねばならない。

 

 女の美貌。いくら命の恩人で、仮に惚れてしまったのだとしても、あの豪傑フレイムカーンが果たして女一人の言いなりとなるなんてことがあるだろうか……何か怪しげな呪術でも使われているのだとしたら、この一ヶ月の生気の失われた様子にも説明がつくのではないだろうか?

 

「ホークアイ。戻っていたのね」

 

 考え事のあまり、後ろから近づく気配にも気付かなかった。振り返ると、ジェシカが後ろ手に不安げな表情でホークアイを見ていた。フレイムカーンの実子であり、イーグルの只ひとりの妹。イーグルとジェシカの間に挟まるようにしてホークアイは育ってきて、ジェシカはホークアイにとっても妹のようなものだ。

 

 ジェシカはホークアイの横に並び、窓の縁に手をかけた。今日、あんな宣言があったばかりで、ホークアイの悲しみに沈む理由も知った顔だ。ホークアイの口からは止めどなく不満と不安が流れ出た。

 

「……フレイムカーン様は、一体どうなされたのだろう?以前のフレイムカーン様は、盗賊であることを誇りにしていた。それなのに、こんなに簡単に盗賊団をやめるだなんて!それに、あのイザベラを、命の恩人というだけで、自分の右腕として盗賊団の実権を握らせている……いったいどうしちまったんだ!?」

「……パパは、きっと皆のためを考えて、そう決めたのだと思うの。井戸の水が枯れてしまったら、ここで生きて行く事は、難しい。だから……」

「だから、あれだけ嫌っていたはずの『王様』になるってか?」

 

 ジェシカが口にしたのはフレイムカーンの選択を庇うかのように肯定する言葉で、ホークアイはカッと頭に血が上った。

 どこか冷静な部分が、このまま血が上ったまま会話を続ければ引っぱたかれる、と確信に満ちた予言をする。

 

「はっ!フレイムカーンの名が泣くぜ!俺達は、貧しい民から平気で金を巻き上げるような、『王制』を許さなかったはずだ」

「パパの事を悪く言うのはやめて!」

「おいおい、まさかジェシカまで、『お姫様』に憧れちゃってるんじゃないだろうな?」

「!」

 

 侮辱の言葉にジェシカの顔色が変わる。しまった、とホークアイが思ったときには、パァンと小気味よい音が部屋に響いていた。数瞬遅れて、左の頬がじんじんと熱を持ち始める。頬を打たれたのだ。

 ジェシカは瞳に涙を浮かばせながら、言葉もなく走り去ってしまった。

 

 残ったのは、泣かせてしまった罪悪感と頬を打たれた痛み。そしてもう一つ、何故叩かれる前から叩かれる予感がしたのだろう、という疑問だった。

 

 

 

 

 

 

 ホークアイがイーグルの部屋を訪れると、イーグルは来るのを待っていたという顔でホークアイを迎えた。

 

「ホークアイ……ローラント侵攻の件、お前も聞いたな。最近、どうも親父の様子が変だと思わないか?」

 

 疑問形ではあるが、有無を言わさない確信に満ちた問い方だった。

 

「ああ。俺もそのことで話があって、来た。フレイムカーン様は、きっと、あのイザベラって女に操られているのだと思う……」

 

 疑いは既に芽吹いていたものの、言葉にすると確かな説得力を持って響いた。きっとそうに違いない、という希望や予感ではなく、当然のことを当然知っているように、すとんとホークアイの胸の内に落ちた。

 何故だか分からないが、ホークアイは、フレイムカーンがイザベラに操られていることを頭の何処かで知っていたのだ。霧が晴れ、曖昧としていた輪郭が見えたような、ぼんやりと忘れたものを思い出すかのような感覚だった。ホークアイは知っていたのだ。何故?

 

「そうか。やっぱ、俺たちはガキの頃から兄弟のように一緒に育ってきただけに、考えることも同じだな!」

 

 ホークアイの内心で起こる混乱には気付かずに、イーグルはニッと歯を見せて笑った。ホークアイの同意を得て、イーグルの中にも芽吹いていたイザベラへの疑いは確信に変わったに違いない。

 

「様子がおかしくなったのは、先月。親父が砂漠で行方不明になり、イザベラに助けられ、一緒に戻って来てからだ……あの女、何か魔術でも使って親父を誑かしているに違いない。もう、我慢できん!今日こそアイツの化けの皮を剥がしてやる!」

 

 と、イーグルは父親譲りの激情で鼻息荒く武器を手に取る。

 

 その瞬間、ホークアイは戦慄した。理由はわからない。だが、行かせてはならないことは知っていた。ホークアイはなりふり構わずイーグルの腕に縋り付いて、今にも乗り込んでいこうとするイーグルの足を止めた。

 

「ま、待ってくれっ……!だ、駄目だ。行っちゃいけないっ!」

「どうしたって言うんだ。お前も来い、ホーク」

「駄目なんだっ、俺たちじゃ、まだ、美獣には敵わない……!フレイムカーン様が操られているんなら、同じように、お前が操られたっておかしくない!頼む、何か他の手立てを探そう!」

 

 必死の説得の真中、イーグルが操られるかもしれないという可能性には吐き気を催した。まるで見たことがあるかのように鮮明に、その様子はホークアイの脳裏にありありと浮かんだ。肌は紫を帯び、刀身をこちらへと向けるイーグルの、自我を失い、感情の欠落した面差し。

 そんなことは万が一にもあってはならない。そんなことが、もう二度とあってはならない。

 

「ビジュウ……?イザベラのことか?」

「っ!美獣……そうだ、あいつの本当の名は、美獣……」

「何故そんなことを知ってる?」

 

 イーグルに肩を支えられて、ホークアイはベッドに座らされた。血の気は引いて寒気がして、がたがたと痙攣するかのように体が震えた。ホークアイは己の中から湧き出る記憶の整理に無我夢中で、爪をイーグルの肌に食い込ませた。イーグルの腕から血がにじむ。

 

「美獣……あの女は、人間じゃない!このままだと、みんな……みんな殺される。世界は魔界に変わる!!」

「ホーク、落ち着け!大丈夫だ、深呼吸してみろ」

 

 美獣の正体は猫の魔獣である。邪眼の伯爵と名乗る赤い目の男と共に、黒の貴公子という魔界の王に仕えていて、彼らはこの現世を魔界に変えようと企んでいるのだ。ナバールやローラントは、その足がかりに過ぎない。様々な情報が急にはっきりと輪郭を持ち始め、ホークアイを襲った。イーグルに伝えたいことがたくさんあるのに、そのどれもが言葉にならない。イーグルの体に縋りつき、浅く呼吸を繰り返すのが精一杯だ。

 

「イーグルっ……イーグル……美獣は、イーグルの、仇で──……」

 

 伝えたいことは何も言葉にできないまま、ホークアイの意識は白く霞んで行った。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 マナの剣は砕かれ、マナの樹ももはや根を残すばかりで、その面影はない。緑豊かだった聖域は死せる地と化し、魔界の住人が我が物顔で闊歩している。

 魔王、黒の貴公子は古代の王子の体を捨て去り、悪魔の姿でホークアイ達を打ち破り、新たな体、ローラントのエリオット王子の体へと入り込もうとしている。まるで、古い衣服を脱ぎ、新しい服に着替えるように。

 ホークアイは、血溜まりに沈みながら王子が魔王に喰われるその様子を目に映していた。体は指一本動かず、痛みも寒さももう消えて、まだ死んでいないのが不思議なくらいだった。

 血溜まりの中には、長い旅を共にした雪の国の王女とハーフエルフの少女の姿も見える。ピクリとも動かず、気を失っているのか死んでいるのかすらホークアイにはわからなかった。

 ホークアイ達は負けたのだ。マナの剣を失い、希望のみを支えに戦ったが、あと一歩のところで力が及ばなかった。そしてその敗北は、この現世が魔界へと変貌してしまうことを意味していた。彼らにとって利用価値のなくなった人間は皆殺しになるのかもしれない。魔物の餌となるために生かされるのかもしれない。どちらにせよホークアイ達の敗北は、この世界を破滅へと導く。

 

『……アイ、……ホークアイ……』

 

 フェアリーの呼ぶ声が脳に直接響いた。無事だったかとほっとできるはずもない、か細い声であった。時折啜り上げるような音も混じっており、彼女が泣いていると知れた。

 

『うぅ、ごめんね、こうなったのも私のせい……』

 

 自分を責める懺悔が、ホークアイの脳に響く。ホークアイは、きみのせいなんかじゃない、と慰めようとしたが、フェアリーには伝わっていないようだった。

 

『もう、この世界は終わり。でも、僅かに残ったマナと私の命と引き換えに、あなたたちの魂を別の時間軸へ……過去に送ります。ずっと私の宿木だったあなたと、マナとの親和性がとびきり高い彼女たちなら、きっと成功するはず……』

 

 泣いてばかりだった声に、覚悟が混じる。

 過去に送ると、フェアリーはそう言っただろうか?ホークアイの意識は掠れてしまって、もう思考する力も残っていなかった。フェアリーもそれを分かっているのだろう、返事を求める様子はない。

 

『またあなたに全部背負わせることになってごめんなさい。でも、どうか、この世界の二の舞にはさせないで……』

 

 それ以上、何かが聞こえることはなかった。

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 誰かの啜り泣く声がして、ホークアイの意識は浮上した。またフェアリーが泣いているのだろうか?ホークアイたちが血溜まりに沈む中、自分の導いた方向が間違っていたのだと、彼女は何度も懺悔してきた。

 

 ホークアイが眼を開けると、深い青の髪が飛び込んできた。枕元で、ジェシカが泣いている。さきほどのビンタと、目尻に涙を貯めた泣き顔が鮮明に思い出された。

 

「……まだ、泣いてるのかジェシカ」

「!ホークアイ!目が覚めたのね、良かった……!」

 

 ジェシカはずっと泣き続けていたのか、眼は充血し大きく腫れて見たこともない酷い様相になっていた。ホークアイは申し訳なく思う。ジェシカの頬に手を伸ばすが、上手く腕は上がらなかった。

 

「さっきは、意地悪言ってごめんな、ジェシカ。王制は嫌いだし、お前を本当のお姫様にはしてやれないけど、俺はいつだってお前のこと、お姫様だと思って──……」

「ばかっ、丸々三日も寝てて何言ってるのよ!ばか!ホークアイのばかっ、人の気も知らないで!」

「三日?」

 

 記憶と現在が混じり合って混沌としていた意識が急にはっきりと形を持った。

 フェアリーの言葉が正しいのならば、ホークアイは過去へと魂だけ渡ってきたということになる。ここ最近感じていた予感の数々は、未来でまさにホークアイ自身が体験したことだったのだ。

 

 ホークアイはさっと顔色を変えた。寝ている場合ではないとホークアイは勢いよくベッドから起き上がった。ぼろぼろと大粒の涙を零すジェシカに掴みかかり、ジェシカは息を詰まらせる。

 

「イーグルは!イーグルは何処だっ!」

 

 折角フェアリーがその命を掛けてもう一度ホークアイにやり直すチャンスを与えてくれたのに、今度もイーグルを死なせてしまったのかとホークアイは血の気を失う。

 ジェシカは顔を歪ませ、ぼろぼろと涙の量を増やした。

 

「うっ、うっ、ホークアイ、イーグル兄さんが……っ、兄さんが、パパを刺したのっ……!兄さんは反逆の罪で、地下牢にっ」

「まだ、生きてるんだな!」

 

 イーグルはきっと、ホークアイがおかしくなったのを美獣のせいだと思っただろう。一人で美獣の元へ向かったに違いない。そして以前のホークアイのように囚われてしまった。

 しかし、まだ生きている。その事実はホークアイを歓喜に震わせたが、喜んでばかりもいられない。

 ジェシカの首には、あまりいい趣味だとは言えない首輪が付けられていた。死の首輪だ。

 本当のことを言えばジェシカの命がないと前回ホークアイが脅されたように、今回はイーグルがそう脅されたのだろう。死の首輪を外すことができるのは呪った本人である美獣だけ。死の首輪が付けられた以上、ホークアイもジェシカに本当のことを話すことはできない。ホークアイはジェシカの両肩をつかみ、ジェシカに迫った。

 

「ジェシカ、しっかりしろ。兄を信じられないのか?」

「あたしだって、何か事情があったんだって信じたい!でもっ、でも兄さん、聞いても何も答えてくれなかった……!」

「話せない事情があるんだ。ジェシカ、このままだとイーグルは処刑されてしまう。俺はイーグルを連れてナバールを出る。ナバールはこれから、大変なことになる……。みんな、正気を失うだろう。きっと、殺される者も多い。お前も、酷い目に合うかもしれない。でも、すまない、お前を連れて行けない」

 

 死の首輪について知っていることは、ホークアイも多くはない。だが前回は、ひどく衰弱していたがジェシカを助け出すことはできたのだ。つらい思いをさせるのは心苦しいが、彼女の命を優先するためには置いていく方が確実だった。

 

「何を言ってるの、ホークアイ!やめて、あなたまで捕まってしまったら、あたしは……!」

「今は何も信じてくれなくていい!ただ……待っててくれ。ナバールがどうなっても、希望を捨てないでくれ。必ず、迎えに行くから」

 

 なんとか力強い声でジェシカを説き伏せようとするが、ジェシカはふっと表情を失わせた。

 

「もう無駄よ……兄さんの処刑は、今日だもの……」

「!」

 

 人の運命は99パーセント、予め決まっている──ホークアイの脳裏に、以前聞いたそんな言葉が蘇る。

 別の占い師の老婆は、100パーセント決まっている、と断言していた。全ての道筋は最初から最後まで決まっていて、覆すことなどできないのが運命。無駄な努力はせぬことだと、皺を深くして笑っていた。

 

 イーグルは、死ぬ運命だとでも言うのか。覆すことはできないと言うのか。堪らずホークアイはジェシカを押しのけて部屋を飛び出した。窓から差し込む光は既に赤く、夕日が地平線に触れようとしている。イーグルが死んだあの時もこんな真っ赤な夕方で、世界は茜に染まっていた。

 99パーセント、運命は決まっている──老婆の声が木霊する。

 だが、残った1パーセントを拾い上げに来たのだ。

 イーグルを処刑だなんて、そんな馬鹿なことをさせてたまるものか。次期首領の処刑などという馬鹿馬鹿しい決定を誰も止めることができないなんて、美獣の支配は既に深刻なところまで進んでいる。

 

 部屋から飛び出すと、直ぐにニキータとぶつかった。ニキータは扉を一枚隔てたところでホークアイとジェシカの会話を聞いていたらしく、その大きな目を涙に潤ませていた。前回、ホークアイの脱走を助けてくれたのはこのいじらしいネコ族の男であった。彼は倉庫から牢屋までの抜け道を掘り、ジェシカにかけられた呪いについて教えてくれた。

 ホークアイはニキータの毛むくじゃらの手をとり、走り出す。

 

「ニキータ!走りながら話す、来い!」

「あ、アニキ、オイラ、牢屋までの抜け道を──」

「わかってる、ありがとう!死の首輪について、イーグルに話すのは今からか?」

 

 ニキータに先導し、ホークアイは地下牢ではなく真っ直ぐに抜け道へと繋がる倉庫へと向かう。迷いない足取りとホークアイの様子に、ニキータは「理由はわからにゃいけど、何もかもご存じにゃんですね、アニキ」と目を白黒させて息を呑む。

 

「死の首輪については、もう抜け道から壁越しにお話済みにゃ。抜け道は、あと壁を壊すだけにゃんです。アニキ、イーグルさんからの伝言をお伝えしますにゃ。『目が覚めたら、ジェシカを連れてできるだけナバールから離れろ。死の首輪の呪いを解く方法を探せ。復讐なんて考えるな。ジェシカを頼む』……以上ですにゃ。アニキ、イーグルさんは脱獄する気がにゃいんです。イーグルさんの処刑にゃんて馬鹿げた決定が反対されないのは、イザベラの洗脳支配が少しずつ広まりつつあるからで、イーグルさんはそんなナバールの状態に責任を感じているんです。無実の主張もできず、殺されることになっても、仲間たちや親父を捨て置いて逃げる訳にはいかないって。ナバールが滅ぶのなら運命を共にするって、頑なで──」

「はぁ?馬鹿だろ、らしくもない。そいつ、ほんとにイーグルか?」

「オイラの言うことにゃんか、聞いてもくれません。オイラ、旅支度をしてきますにゃ。アニキ、この火薬で壁を吹っ飛ばして、イーグルさんを連れてきてくにゃさい!」

 

 ニキータの管理している倉庫につくと、ニキータはそう言ってホークアイに幾何かの火薬を渡した。火薬を受け取って、ニキータが掘ってくれた抜け穴を全速力で駆け抜ける。すぐに煉瓦の壁へと行き当たり、牢からの細い光が僅かな隙間から差し込んでいた。ホークアイは戸惑いなく火薬の全てをセットして火をつけた。

 ドォンと爆発音と同時に壁が弾け飛び、天井と共にガラガラと崩れ落ちる。

 

「あり?火薬多すぎたかな」

 

 煙の向こう側では、爆風に吹き飛ばされたイーグルが鉄格子に叩きつけられてへばりついている。石礫と埃を全身に被ってはいるものの、五体満足で元気そうだ。

 

「良かった、イーグル!無事だったか」

「いや、今ので大怪我したよ。爆破に巻き込まれて全身に石浴びて満身創痍だよ!お前、三日も昏睡状態だと思ってたら突然こんな目に合わせて何なんだよ、お前こそ無事で本当に良かった、心配かけるのもいい加減にしろ!」

「元気そうで良かった。さっ行こう、ナバールを出るぞ」

 

 ホークアイはイーグルの手を取って走りだそうとするが、イーグルは動こうとせず、ホークアイは前につんのめる。振り返ると、優しい目をして苦笑していた。

 

「ホーク、ニキータから伝言は聞いたんだろ?俺は逃げる訳にはいかない。ナバールと運命を共にするつもりでいる。だが、最期に、お前の顔が見れてよかった。お前と生きれて、幸せだった」

「なに最期気取ってんだ?伝言は聞いたが、聞いただけだ。その通りにしてやる謂れはない。いいか、お前を殺させやしない。例えお前が死ぬつもりでも関係ない。引き摺ってでもつれていく」

「……いつになく強引じゃないか。お前のわがままなら聞いてやりたいがな。しかし俺には責任がある。イザベラを、親父の恩人としてナバールに迎え入れた。そのせいでナバールが崩壊しようとしているのに、責任を放り出してナバールを捨てるなど、俺には──」

 

 ホークアイは皆まで聞かず、握りしめた拳をイーグルの頬に打ちつけた。にぶい音がして、イーグルは壁に背中をぶつける。

 

「っ……」

 

 まさか殴られるとは思いもしなかったのだろう。イーグルは、きょとんと丸くした目をゆっくりホークアイに向けた。

 

「──言ったろ、引き摺ってでもつれてくって。比喩のつもりはない」

「……こんなブチ切れてるお前は、初めて見たな。お前はここのところ、見たことなかった一面ばかり見せる」

「俺だって、こんな馬鹿なお前は初めて見たよ。潔すぎるのは逆にカッコ悪いぜ、イーグル。責任っつーのは生きて果たすもんだ」

 

 ホークアイがそう言うと、イーグルは少し沈黙した後、静かに頷いた。

 

「……お前の言う通りだ。手を煩わせてすまないな。殴られて、漸く目が覚めた気分だ。思えば、倒れる前のお前も、イザベラについて何か知っている様子だった。わかったよ、この件についてはお前に従おう」

「助かるよ。お前を引き摺って運ぶのは大変だろうと心配してた。ニキータを待たせてあるから、さぁ行こう」

 

 今度こそイーグルの手を取って走り出す。今度は素直についてくるイーグルに、ホークアイは漸く安堵の息を漏らした。

 抜け道はニキータの体に合わせて掘られているため狭く、イーグルはところどころ壁や天井に引っかかっている。昔、ここを走ったのはニキータと自分だった。今はイーグルと走っている。

 イーグルはホークアイの様子を不思議に思っているようだが追及はせず、「ジェシカは?迎えに行くのか」と走りながらホークアイに尋ねた。

 

「ジェシカは置いていく。死の首輪はいずれ外れる。無理に連れ出すよりも、今は衰弱覚悟で美獣の傍に置いておいた方が安全だ」

「確かなのか?」

「推測だ。でも、博打じゃない。安全策でいく」

「……わかった」

 

 渋々、といった声音だが頷いてくれた。ホークアイとてジェシカを置いていくのは本意ではないが、前回と同じ道筋を辿りさえすればジェシカは助かるのだ。衰弱させてしまうのは可哀そうだが、道筋を変えてしまう博打は打てない。

 

 抜け道を抜けると、倉庫ではニキータが慌ただしく駆け回っていた。ホークアイの後ろにイーグルの姿を見つけて、ほっと目を緩ませる。

 

「アニキ、イーグルさん!少にゃいですが、路銀と、役に立ちそうにゃのを詰めておきました。これをお持ちくにゃさい」

 

 ニキータから荷を受け取り、ホークアイはニキータが用意した荷物がふたつしかないことに気が付いた。前回同様、ニキータはナバールを出る気がないのだ。ここが魔族によって牛耳られていると知りながら、ホークアイについてくる気がない。

 

「お前も来るんだ!こんなところに残る気か」

「アニキ、オイラには戦う力も体力もにゃいにー、足手まといにしかにゃりません。ジェシカさんは、つれていけにゃいんでしょう。オイラじゃ何の役にも立たにゃいし、アニキのお考えもわかりません。それでも、ジェシカさんのおそばにいることはできますにゃ」

 

 ホークアイは言葉が返せなかった。時間を惜しんで何の説明もしなかったホークアイの意図を汲み上げ、ニキータなりに最善を考えてくれたのだと知れた。いじらしいネコ族への愛しさが込み上げる。先に言葉を返したのはイーグルだった。

 

「お前が残ってくれるのなら頼もしい。ジェシカを頼んだぞ、ニキータ」

「はい、イーグルさん。どうか、アニキを頼みます」

 

 と、ニキータはイーグルに向かって深々と頭を下げた。たまらなくなって、ホークアイはニキータに飛びついて、やわらかい体をぎゅうと抱きしめた。苦しいだろうにニキータは、短い腕をホークアイの背中に回す。ホークアイの腕の中にすっぽりと収まるほどに小さく、まわした腕は毛皮の中に埋まる。

 

「どうか、くれぐれも、ご無事で──」

 

 カンカンカンカン、と要塞中に鐘が鳴り響いた。イーグルがいないことに気が付いた見回りの者が鳴らしたのだろう。爆発音を含めて考えると、遅いくらいである。

 

「行ってくにゃさい、アニキ!」

 

 後ろ髪を引かれつつも抱擁を解いて、ニキータに別れを告げてホークアイは走り出した。その後ろにイーグルが続く。

 

 外に出ると日はとうに落ちていて辺りは暗い。灯りを持ったナバール兵たちがイーグルを探して走り回っている。

 

「いたぞ!ホークアイも一緒だ!」

 

 ふたりを止めようとナバールの仲間たちが次々と現れるが、ホークアイはその全員をみねうちで気を失わせていく。一度目は苦戦したこの脱出劇も、一度目の記憶を完全に得た今となっては容易い。イーグルは何かもの言いたげに後ろからついてきて、ホークアイの動きを観察していた。

 

 

 

 追手をあらかた撒いて、要塞の出口に辿り着くが、よく似た二つの影が要塞の岩門の上に立っていた。一筋縄ではいかない気配に、ホークアイも足を止める。後ろでイーグルが「さすが、疾いな」と二つの影に感心する。

 

「警告の鐘が鳴ってから、まだ数分と経っていないのに先回りしているとは。さすが、ナバールの誇るニンジャ軍のエースを張るだけのことはある」

 

 影は、ビルとベンであった。ふたりはイーグルの賛辞に苦笑して、「次期首領様からの世辞、光栄です」と肩を竦めた。

 

「一足先に、ホークアイが昏睡から目覚めたとの一報を受け取りました。ここで待機するには、それだけで充分な理由」

「こいつは必ず脱獄を手助けするだろうと思っておりました。首領殺害未遂についても、何か事情がお有りでしょう」

「我々やジェシカには言えなくとも、ホークアイになら真相を話すと思ったのです。イーグル様がフレイムカーン様を傷つけ、ナバールを裏切るなどとは毛ほども思いません!」

 

 と、ビルとベンは声に悔しさを滲ませながら言った。イーグルの無実を、彼らは信じてくれているらしい。

 たったひとりでナバールを脱出した一度目の旅路には無かった邂逅だ。前回、ビルとベンと再会を果たしたのは彼らが既に正気を失ってしまった後、ローラント城奪取の折と、そして──

 

 突如、ホークアイの瞼の裏に、かつての記憶が鮮やかに蘇る。

 真昼の火炎の谷。見下ろせば手は真っ赤に濡れ、握りしめた刀身からは鮮血が滴り落ち、灼熱の砂が血を吸いこんで赤黒く染まる。

 

「……っ!!」

 

 あまりに鮮烈な記憶だった。その時の絶望や無力感、生々しい感触さえもありありと蘇って、ホークアイは受け止めきれずに眩暈がした。ふらついた体を、背中からイーグルが支えた。

 隙だらけのふたりを、双子は狙ったりはしなかった。マスクで判別はつきづらいものの、沈痛な面持ちでホークアイたちを見つめている。武装はしているといえど、その手には武具さえ握られていない。

 

 美獣に脳を犯され、傀儡と化したビルとベンの姿を思い出す。闇の力を得て、そして呑み込まれた虚ろな瞳。殺すしか彼らを止める方法はなかった。ジェシカを救うために、ホークアイはその手でビルとベンを殺した。

 

 ──今の双子には、話が通じる。何故なら彼らは、まだ脳を侵食されていない。まだ正気の目をしている。

 ホークアイは崩れ落ちそうになる足を叱咤して、気力を振りしぼった。

 

「ビル、ベン、お願いだ、説明は必ずするから、今は俺と一緒に来てくれ!ここは、すぐに──」

 

 ホークアイを遮って、双子は「言っておくが、」と言葉を重ねた。

 

「俺たちはあんたらと違って、王国の設立にも、ローラント侵攻にも賛同している。このままオアシスが枯渇すれば、砂漠で生きていくことは不可能だからだ」

「他の健全な土地を手に入れるのは必要なことだ。ナバールの民、全員のために。俺たちは、大事なものを守るためになら、侵略者にだってなる。例え、名前を変え体制を変え、砂漠という故郷を捨てても、ナバールの結束は揺るがないと信じている」

 

 説得は無理だ、と悟ったホークアイは二の句が継げなかった。

 双子の主張にも理がある。人は、大事なものを守るためになら何だってする。彼らは、ナバールのために侵略者となると覚悟を決めている。

 イザベラと名乗る女の正体は魔族で、王国設立も戯言にすぎず、ナバールを傀儡に変えようとしているなんて世迷言を、何と説明すれば納得してもらえるというのだろう。しかしこのまま諦めて置いていけば、双子やナバールの仲間たちは美獣の操り人形と化す。説得できないのならば、昏倒させて無理やりにでも連れて行くか?だが、こんな砂漠を体格のいい大男ふたりを背負って走るなど不可能だ。置いていけば前回と同じことになると知っていながら、同じ轍を通ることしかできないのか。

 

「イーグル様。王国に賛同できるようになったら戻ってきてください、ホークアイの馬鹿もつれて。その頃には首領もお目覚めになるだろうし、イーグル様の冤罪も晴れるでしょう」

「今日のところは、見逃します。行ってください!すぐに他の連中も集まってきます。ホークアイ、くれぐれもイーグル様の足を引っ張るなよ!」

 

 ぎぎぎと音をたてて要塞の扉が開く。双子はほとんど着の身着のままでてきたホークアイたちのために、物資のつまった麻袋を投げてよこしさえした。動けないホークアイの代わりにイーグルが麻袋を拾い、ホークアイの手を引いた。

 

「行くぞ。やつらの好意を無駄にするな」

「……っ、ビル、ベン……!」

 

 ホークアイとイーグルが扉を通過すると同時に扉は閉じる。いつの間にかビルとベンの姿は門の上から姿を消している。無力感を振り払って、ホークアイは「待てっ、ひとつだけ聞いてくれ!」と叫んだ。ビルとベンは既に闇夜に紛れて見えないが、まだそこにいる気配がする。

 

「あの女がおかしいことに気が付いても、決して逆らうな。逆らおうとする者がいれば、殺される前に全力で止めろ。ナバールはすぐにぐちゃぐちゃになるだろうけど、必ず、助ける。だから……だからそれまで、みんなを、頼む……!」

 

 双子の気配は少し戸惑うようにその場に留まったが、追手たちの気配が集まってくるざわめきとすれ違うようにして消えた。

 ホークアイはもう一度要塞を仰ぎ見てから、声に出さぬまま別れを告げて要塞を後にした。事情が見えていないイーグルはホークアイを見つめていたが、まだ何も聞かずにホークアイの後ろに続いた。

 

 

 

 

 

 

 ナバールを脱出したイーグルとホークアイは丸々一晩走りきり、明け方が近くなる頃、サルタンまでの道中の小さな村で足を止めた。疲労困憊のふたりは宿をとり、漸く一息ついた。

 普段から通り慣れた道程だったが、妙に手こずった。ただでさえマナの減少に伴い、魔物たちは狂暴化の一途を辿っている。さらに、三日三晩牢獄に閉じ込められていたイーグルは本調子ではなく、この村にもホークアイが肩を貸しつつなんとか辿り着いたのだ。

 イーグルは倒れるようにして宿屋のベッドに寝転がった。ホークアイが思ったよりも、はるかにイーグルの疲労は深刻なようであった。ホークアイは横のベッドに腰掛けて、薄いマットレスを軋ませる。

 

「……美獣たちはローラント侵攻への準備に追われているから、深追いはしてこない。でも……悪いけど、少し休んだら出発するよ。サルタンの定期便に間に合いたい」

 

 と、ホークアイはイーグルに声をかける。やるべきことは多い。もう一度初めからやり直せる機会を得たからには、できることは全部やってやりたい。黒の貴公子に勝つことだけが目的ではなくなった。一度目の旅路の中で死んでいった人々を、今度は救うことができるかもしれないのだ。

 やるべきことは山のようにある。この時期、一斉に世界情勢は動いていた。優先順位を間違えることは許されないが、誰かを優先して誰かを取りこぼしてしまうなどまっぴらだった。

 だが、その為には人手がいる。一度目の旅の仲間である、雪国の王女やハーフエルフの少女のことが頭をよぎった。今際のフェアリーの言を信じるならば、彼女たちも、きっとホークアイのように戻ってきているだろう。いつどこで合流できるかはわからないが、幸い、今、ホークアイはひとりではなかった。

 

「まずはローラントのジョスター王に、侵略について警告したい……けど、アストリアにも行かなきゃならない。パロからは別行動だな。ローラントの方は頼めるか?」

「アストリア……?確か、ウェンデルに向かう巡礼者が立ち寄る小さな村だったか……光の司祭様に死の首輪のことを聞くのか?確かに司祭様なら、いい知恵をお持ちかもしれないが」

 

 イーグルは疲労を滲ませて、寝転がったままホークアイに目を向けてそう言った。ホークアイは頭を横に振る。

 

「……いや、実は獣人が、人間界への侵攻を目論んでる。真っ先に聖都ウェンデルを叩くつもりなんだ。ジャドは占領され、アストリアは殲滅される。その前に、アストリアの住民を避難させてやらないと」

「……?」

 

 あまりにも脈絡のない話の内容に、イーグルは言葉を失った様子だ。

 イーグルはゆっくりとベッドから起き上がって、ベッドの縁に腰掛けた。ホークアイと向き合って、膝を突き合わせる形になる。

 

「……お前の頼みなら、なんだってするさ。でも、説明も何もなしにってワケにはいかない。ホーク、そろそろ、お前がそんなことを言い出す理由を教えてくれてもいいんじゃないか」

「……そうだよな。何から説明すればいいか……」

 

 やはり、どう足掻いてもそこに触れないわけにはいかない。ホークアイは押し黙った。

 何と説明すれば、信じてもらえるというのだろう。自分は聖剣の勇者で、未来から戻ってきたなどと言う者がいたならば、ホークアイだって狂人の烙印を押したに違いない。気が違ってしまったとイーグルに思われるのは怖かった。

 

 イーグルは促しもせずに思慮深くホークアイの顔を見つめ、ホークアイが口を開くのを待っている。ホークアイは覚悟を決めた。傷つかないといえば虚勢になるが、狂人と思われたって、いつかわかってもらえたらそれでいい。

 

「……──俺、未来を知ってるんだ。今からおよそ、一年後の未来まで。一度、全部体験して、フェアリーの力で戻ってきたんだ」

 

 ホークアイは「砂漠の井戸やオアシスの水位が下がっているのも、マナの樹が枯れ始めたことが原因なんだ」と、概要をできるだけ順序に沿って話し始めた。

 

 

 マナの樹が枯れ、たったひとり生き残ったフェアリーが光の司祭に報告を、と人間界に降りてきた。その時、偶然出会ったのがホークアイだった。もう力が尽きかけていたフェアリーは仕方なくホークアイを宿主に選び、ホークアイは聖剣の勇者となってしまった。

 聖域への扉を開けるため、フェアリーの促すまま精霊を集め、聖域でホークアイは聖剣を抜いた。だがフェアリーは誘拐され、聖剣も奪われ、マナストーンの中から神獣たちが解放された。神獣にも美獣にもなんとか辛勝するが、結局、ホークアイたちは黒の貴公子の力の前に敗れてしまった。

 

 

「死ぬって覚悟した時、フェアリーの声が聞こえたんだ。フェアリー自身の命と引き換えに、俺たちの魂を過去に送るって言ってたよ……覚えているのは、そこまでだ」

 

 と、ホークアイは長い話を締めくくった。イーグルは質問もせずに、考え込んで口を閉ざしたままだ。

 ホークアイはイーグルの心境を推し量って、「信じられなくて当然だ」と苦笑した。

 

「俺だって、もし俺のことじゃなかったら、気が違ってしまったと思うさ。だから、俺のことを信じろとは言わない。気が狂ったと思ってくれて構わない。ただ、狂人の戯言につきあってやると割り切って、今だけは俺の言う通りにしてくれないか」

 

 ホークアイがそう言葉を重ねると、イーグルの眉間に深い皺が刻まれた。少しの沈黙ののち、イーグルは不快を顕にして呻る。

 

「確かに、にわかには信じ難い話だった。だが、その言い方はムカつくな。信じなくていいだと?狂人だと思えだと?俺が、お前を信じないと思ってるのか。そんな深刻な顔してるお前を、俺が狂人だと思うと、お前は思うのか。お前のその臆病なところは欠点だ。予防線なんか張るな」

 

 指摘されて、ホークアイはどきりとした。言われてみれば、予防線に間違いなかった。狂ったと思われたって傷が浅く済むように、自らそうしてくれと言った。イーグルの瞳に映る自分の顔が、泣きそうに歪む。

 

「ホーク。お前が俺に言うべきたった一つの言葉は、『信じてくれ』だ」

「……っ、」

「言えないか?」

「……信じて、くれ。信じてくれ──」

「わかった。信じる」

 

 イーグルは睨むようだった表情をふっと解いて、笑った。イーグルの大きな手がホークアイの頭の上に置かれて、髪を優しく撫でられる。

 

「随分と大変な旅をしてきたな、ホーク。でも、もう大丈夫だぞ」

 

 視界が滲んだと思えば、温かいものが頬を伝った。自分がぼろぼろと涙を零していることに気付いたのは、イーグルの指に拭われてからだった。

 イーグルは「お前、こんなに泣くやつじゃなかったのにな」と、目を細めた。

 

「お前が、俺の顔を見るなり泣き出した日を思い出すな。あの日、お前は戻って来たんだな?思えば、お前はあの日を境に強くなり、更に知らないはずのことを当然のように言い当て始めた……お前はあの日、夢を見たと言っていた」

「……まだ、戻ってきた自覚がなかったんだ。記憶がぼんやりしていて、ただの夢だと思ってた」

「先ほどお前が話してくれた旅路の中に、俺はいなかったな。だが俺がついて行かないはずがない。……俺は、死んだんだな。お前が旅立つ前に、ナバールで──」

 

 イーグルが確信を持ってそう言ったので、ホークアイは息を呑んで、言葉を返せなかった。沈黙を肯定とみなしたイーグルは、「それで、強引に俺を逃がそうとしたんだな」と納得顔だ。

 

「お前をそんな大変な目に合わせて、ひとり死んでるなんて、その死んだ自分に腹が立つ。そして、処刑を受け入れようしていた、この俺自身にも、腹が立つ。また、お前に全部の責任を押し付けてしまうところだった。そういえば、助けてくれた礼もまだ言っていなかったな。お前は、俺の命の恩人だ。ありがとう、ホークアイ」

 

 ホークアイの滲んだ視界の中で、金色が膝まで落ちた。イーグルが腰を折り曲げて、頭を下げたのだ。ホークアイは慌ててその肩を掴んで頭を上げさせる。

 

「れっ、礼なんて止めてくれ!俺だって、お前には何回も助けられてるし、今更、俺たちの間で礼なんてっ、そんな、他人、行儀な……」

 

 言いながら、ホークアイの眼からは貯まりきれない涙が、雫となってどんどん頬を滑り落ちていった。こんな水分が一体どこに貯まっているのか、自分でも驚くほどの涙の量だ。ごしごし擦って涙を拭こうとすると、イーグルが手首を掴んで止めて、指で撫でるように拭ってくれる。

 

「礼を言うのは、俺の方なんだ、イーグル、ありがとうっ……」

 

 美獣に操られ、刀身を向けてくるイーグルの虚ろな瞳を、はっきりと覚えている。美獣の魔法を一時的に跳ね返し、ホークアイに生き延びろと言った、あの瞳の光を覚えている。美獣の攻撃に跳ね飛ばされて、命の光を失っていく瞳の冷たさを覚えている。

 

 だが今、イーグルは生きている。頭を撫でてくれる手は重い。突き合わせた膝は温かい。もう二度と見ることのできないはずだった青い目は優しい光を湛えて、ホークアイを映している。

 

「っ、生きててくれて、本当に、ありが、とうっ……!」

 

 イーグルは、ホークアイの頭を撫でながら、「生きてるだけで礼を言われたのは初めてだ」と苦笑した。

 

 

 

 

 

 

 

 









ホ「今だから言わせてもらうが、イザベラが怪しいからって『もう我慢ならん!化けの皮を剥がしてやる!』って無策で突っ込むの、まじ無謀だし馬鹿だと思う!短気なんだよこの無鉄砲!」
イ「……面目無い……」
ホ「このあほ、まぬけ、ひとりで死んでんじゃねえよばーか!」
イ「ごめんごめん、泣くな泣くな」
ホ「くそ……」
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