イーグルたちはサルタンの砂浜でブースカブーに別れを告げ、火炎の谷へと向かった。
一面の砂、砂、砂である。日中の温度は摂氏40度を越え、焼けるような暑さだ。更に、砂漠の過酷な環境に対応し進化した魔物たちが次々と襲いかかってくる。マナの減少によって魔物たちは凶暴化の一途を辿っていて、昔よりも魔物たちは強い。
それらを次々に砂に沈めていって、三人での砂漠横断は順調に進んだ。七人の時よりも魔物の殲滅スピードは落ちているはずなのに、進行が早い。先頭を行くホークアイの足が速いのだ。
七人の時、ホークアイは常にアンジェラ王女や幼いシャルロットの足に合わせていて自然と全体が遅くなっていたが、今日のホークアイは砂漠に慣れないリース王女を気遣う余裕もなく、どんどん砂漠を進んでいく。女尊男卑のいつものホークアイらしさが失われているが、それだけ焦っているということか。リースは泣き言も漏らさず、必死にそのスピードに食らいついている。実に健気なお姫様だ。
「ホーク。リース王女が」
イーグルは見かねて前を行くホークアイに声をかける。ホークアイは振り向いて、リースが少し遅れていることに気がつくと、しまったという顔をした。
「ごめん、リース。急ぎすぎてた」
「こちらこそすみません、遅れてしまって。ジェシカさんという方が危ないんでしょう」
「いや、まだ時間に余裕はあるんだ。でも、つい焦ってた。よくないな」
と、ホークアイは自らのストールを取って広げて、器用にリースに巻いた。抱き合うような近い距離と「こっちの方が涼しいから」と囁く声に、リースは白い頬を桃色に染め上げる。
動揺して一歩下がろうとしたリースが砂に足を取られて、転倒しかけたのをホークアイが抱き止めた。桃色の頬が真っ赤に変わる。
ホークアイがリースの白い手を優しくとって立たせて、「大丈夫?」とリースの顔を覗き込んだ時、リースはふいに口を滑らせた。
「ジェシカさんって、ホークアイさんの──」
リースはハッとしたように自分の口を塞いだ。ホークアイはきょとんとした後、にこっと笑った。
「ジェシカは恋人じゃないよ。妹みたいなモンかな。イーグルの妹だし」
「そ、そうですか……突然ごめんなさい、立ち入ったことを」
と、リースは焦ってホークアイから離れて、先を急ぐ。その横顔が少しホッとして見えたのは見間違いじゃないだろう。ホークアイとイーグルもその背中を追う。
イーグルが思うに、リース王女はホークアイに恋をしている。
アマゾネスに囲まれた生育環境を思えば、異性に免疫がないのも当然だし、ホークアイの顔が甘くて端正なのも悪い。正義感溢れる性格や、救国の恩人となったのも大きいかもしれない。
ホークアイも、リースに悪い感情はないはずだ。唯一無二の特別だとまでは言わないが、リースを好いているのは確かだろう。同情し、信頼し、よく気にかけている。アンジェラ王女やシャルロットに対するような気軽さもなく、丁寧に女性扱いして、時には色目も使うこともある。
ジェシカは妹だとホークアイはハッキリ言ったのだから、どちらかが勇気を出せばその恋は簡単に成就しそうだ。とりあえず、この旅の間くらいは。
一行は砂漠を進む。ホークアイがリースの足取りを気にかけるようになって少し速度は落ちたが順調だ。砂漠に慣れたホークアイとイーグル、アマゾネスとして山岳の過酷な環境で鍛えられたリースの組み合わせは、砂漠では最適なメンバーだっただろう。
数日かけて灼熱の砂漠を超えて、イーグルたちは火炎の谷へと入った。火炎の谷は真昼の砂漠よりも高温で、体中の水分が蒸発してしまうような熱さだ。砂漠のモンスターよりも強さを増したモンスターたちを倒していき、三人は火炎の谷の奥、マナストーンの元へと辿り着く。
真っ赤に輝く溶岩に囲まれた小さな足場に、その要石は浮かんでいた。
『サラマンダー!お願い、力を貸して欲しいの!』
イーグルの中からフェアリーが現れ、熱された大気の中に叫んだ。すると、溶岩の中から燃え盛る炎の塊が空気を揺らしながら現れた。それだけで、体感温度が少し上がる。火の精霊、サラマンダーだ。
フェアリーがサラマンダーに事情を説明すると、サラマンダーは興奮しさらに炎の温度を上げた。
『おう、任せとけッ!うおおおぉぉッ!燃えてきたぜーッ!』
と、サラマンダーは暫くの間周囲の火のマナを使ってブレイズウォールのような火柱をいくつも作って熱を発散させた。発散させて満足したのか、火傷を恐れて縮こまって待っている三人に気が付くと、『おう、わるいなッ!』とイーグルの中に溶けて消えた。
そしてこれで、火の精霊サラマンダーの力を手に入れたことになる。シャルロットたちが無事ウンディーネを連れてくることを考慮すれば、残りの精霊はルナとドリアードの二体だ。
『さぁ、風の回廊以来のマナストーンね。クラスチェンジできるかどうか、試してみましょう!どっちが先にする?』
「では、私が」
フェアリーの問いかけにリースが一歩前に出た。リースはマナストーンに長槍の先で触れ、目を閉じた。周辺のマナが振動する。
『闇か光か、決めた?簡単には後戻りできないから、慎重にね!』
少し待つと、リースのマナに変容が見られた。彼女の強さと成長を、マナストーンが認めたのだ。リースは振り返って頷く。ホークアイが「おめでとう」とにこやかに拍手をした。
「キミは闇クラスか。何か理由があるのかい?」
「火山島で、シャルロットちゃんがあの赤い目の男のデス・スペルを耐え切れたのは、闇側へのクラスチェンジのおかげだろうと、アンジェラさんが仰っていて……私も、そうなるべきだと思ったんです」
「ははぁ、なるほどね。シャルのやつ、闇の魔法への耐性がぐんと上がってたもんな」
「はい。私はアンジェラさんのように、光のクラスになったからといって敵の弱点が付けるようになるわけじゃないでしょうし」
と、リースはイーグルにマナストーンの前を譲る。入れ替わってイーグルはマナストーンに歩み寄った。
「イーグルはやっぱ光か?治癒術の才能を埋もれさせるのは勿体ないしな」
「さて……」
背後でホークアイが言うのに曖昧に答えて、イーグルは手のひらでマナストーンに触れてクラスチェンジを願った。
すると、マナストーンから朧げにイメージが伝わってくる。なるほど、ホークアイが言っていた「なんとなくわかる」というのはこれらしい。
闇か光か、イーグルは未だ決めかねていた。ホークアイと同じ光の道を選ぶのも悪くない。逆の道を選んで補い合うのも悪くないだろう。どちらがより良い道なのかイーグルが悩んでいると、脳の中に溶け込んでいる精霊たちがイーグルに語りかける。
『光クラスに進むっスよ!宿主さんには、至高のヒーラーになれる才能があるっス。どんなアンデッドも敵じゃあなくなるし、死んでさえいなきゃどんな重傷者だって……』
『妖精の宿木よ、我が闇を選ぶが良い……汝の未来に、闇は欠かせぬものとなろう。必ずや、我が眷属である闇のマナを必要とする日が汝に来たる。汝に仇なす者の精神に作用する、深淵の支配を……』
(……ふむ)
イーグルの脳内で行われる光の精霊ウィル・オ・ウィスプと闇の精霊シェイドによるプレゼンテーション合戦をよく聞いて、イーグルはどちらに進むか決めた。
そうしてクラスチェンジを終えて振り返ったイーグルのマナの様子を見て、ホークアイは金色の目を丸くする。
「闇クラス?……意外だな。お前のイメージとちょっと違う」
ホークアイの持つイーグルへのイメージがなんとなく察せられて、イーグルは苦笑した。治癒術士としての印象が強すぎるのか、ホークアイは何故か聖人を見るかのような目でイーグルを見ることがある。イーグルが俗物に過ぎないのは誰より知っているだろうに。
「ホーク。お前のガバガバな計画を、俺がなんとか形にしてやろう」
ホークアイの不思議そうな表情を見返して、イーグルは口角を上げた。
ホークアイの計画は大雑把にこうだ。
ナバールの中に忍び込み、ナバールの団員を一人ずつ連れ出し、拘束して、ディーンの拠点に隔離する。
美獣の影響下から抜け出せば、いつかは洗脳も解けるのだ。それはニキータが洗脳から脱していることからも明らかだ。永続魔法など存在しない。個人差はあろうが、いつかは解ける。
ローラント城の奪還の際に分かったことだが、美獣の支配はそれほど複雑な行動を取らせることはできず、仲間を呼ぶとか騒ぐとか、そんな行動は取らない。ただ命じられたまま、見つけた侵入者を殺そうとするのみだった。その習性を利用すれば、乱戦にならず少しずつ外に連れ出すことが可能なはずだ。
ホークアイが言うには、火炎の谷に美獣がジェシカを連れてくるのにはまだ時間がある。イーグルたちは火炎の谷を出てナバールへと向かった。
クラスチェンジを終え、イーグルは自分が段階飛ばしで強くなったのが砂漠のモンスターたちとの戦闘でわかった。クラスチェンジが強くなるための近道だというのにも頷ける。
久しぶりに帰ってきた、闇夜のナバール要塞はかつての喧騒の見る影もなく異様な雰囲気だった。盗賊団には昼も夜もなく、かつてのナバールでは深夜でも騒いでいる男たちがいたものだが、今では誰の話し声もなく静かだ。代わりに、あちらこちらでモンスターがのそりのそりと蠢いている。
イーグルたちは、最愛の妹ジェシカをナバールに置きざりに、ここを旅立った。ニキータが見守っている手筈とは言えど、ジェシカはたったひとり、こんなところで過ごしているのか。
「ホークアイ。ジェシカは?」
「……まだ地下牢に閉じ込められてるはずだ。美獣はジェシカの魂をマナストーンの封印を解く触媒に使うつもりで、その時に首輪は外される。助けられるのは、それからだ」
声をひそめたイーグルの問いにホークアイも小声で答える。
胸糞悪い話だ。大事な妹の命を、使い捨ての道具のように扱われるのは我慢ならない。ふつふつと湧いてくる怒りを、深呼吸で鎮める。
そんなイーグルを見てホークアイは何を思ったのか、「ごめんな」と声を震わせた。
「今、俺たちは危ない橋を渡ろうとしてる……前回通りに進めば確実にジェシカは助かるのに、他のやつも救いたいからって、自分から筋道を外れようとしてる」
と、ホークアイは長い睫毛を伏せて、怯えるように小さく縮こまる。イーグルは火山島で、死ぬやつを誰もかれも救いたいなんて驕ってくれるなと、そうホークアイに言ったことを思いだした。暗闇で分かりにくいが、ホークアイは顔色も悪いように見える。
「俺は前回、ビルとベンを殺した」
と、ホークアイは重罪を告白するかのように、呼吸を浅くして吐露した。直接聞いたことはなかったが、きっとそうだろうと思っていた。
代わりに驚いたのはリースで、息を小さくハッと飲む。リースにとってあの双子は憎い相手だが、ホークアイにとっては失い難い大事な仲間だ。
「あいつらを殺して、そしてジェシカを助けて、その代わりあいつらの魂が触媒に使われてしまった。ジェシカの代わりがビルとベンだったように、例えビルとベンをここで助けても、他の誰かが代わりになって、触媒として捧げられるだけだろう。それでも、ビルとベンの命を諦めたくない」
と、ホークアイは拳を握る。それは震えていて、ホークアイの恐怖を物語っていた。イーグルはそれに手のひらを重ねて、震えを止める。
「俺はこうも言ったぞ。救いたいやつは救えばいい、抱え込める分だけ抱え込めばいい、俺も手伝うってな」
ビルとベンの命を諦めたくないのはイーグルだって同じだ。安全な道筋を外れるのは確かに怖いが、ホークアイにビルとベンを殺させる方がもっと怖い。人一倍仲間思いのこの親友に仲間を手にかけさせるなど、真っ平御免だ。
「諦めなくていい。やり直せばいい。一緒にな」
イーグルがそう言ってホークアイの拳を強く握ると、ホークアイも漸く息を深く吸って頷いた。改めて覚悟を決めたらしい。
作戦を詰めて、イーグルとリースはナバール要塞の壁に上り、見張りのナバール兵を探した。あえて、こちらの姿は隠さない。
見張りの兵はすぐにイーグルたちを見つけてくれた。
「鼠がまぎれこんだようだ、ビル」
「排除しなればならないな、ベン」
幸か不幸か、引きが強いと言うべきか、ビルとベンだ。最初はもう少し簡単な相手から始めたかった。だがこの双子にこの作戦が通用するのなら他の誰にだって通用するだろうし、必ずクリアしなければならない相手なのは間違いない。
イーグルとリースは踵を返して壁から飛び降り、ナバール要塞の敷地から出た。
そしてビルとベンはイーグルたちの後を追ってきた。陽動は成功だ。双子と付かず離れずの距離を保ち、岩場に囲まれた砂地に出る。ここなら、多少騒いでも要塞までは届かない。
リースは双子のうちベンの相手をし、イーグルはビルの相手をしながら双子を引き離しつつ深追いさせる。
そこで待つホークアイは、既に魔法の構築を完成させていた。
「スリープフラワー!」
ホークアイの魔力と木のマナは桃色の花びらとなってビルの周りを舞い散った。しかし、ビルは平然としている。魔法を無効化され、ホークアイは驚きに息を呑んだ。
「効かない……?!」
「美獣様からまた新たに闇の力を授かった我らに、まだそんな子供だましが通用すると思ったか?もうそんな魔法は効かん!」
ローラントで懲りたのか、どうやらスリープフラワーは対策済みらしい。ビルは不敵に笑い、両手でいくつかの印を結んだ。水遁の術だ。突如何もない空中から滝となって現れる水をホークアイは体を捻って避ける。
「くそっ!また、殺すしかないっていうのか……?!」
眠らせられないとなれば、殺さずに勝利するのは難しい。だからと言って、雑兵と違い言語能力の残るビルとベンを相手に逃げてしまって、美獣に報告でもされればもうナバールに忍び込むのは難しくなる。
「ホークアイ、交代だ!」
と、戸惑うホークアイに代わってイーグルは後ろに下がった。ビルの攻撃をホークアイに受けさせて、イーグルは深呼吸して魔法の準備を整える。ホークアイは「何を──」と物言いたげにしたが、状況がそれを許さない。
「なんとかする。殺すなよ。時間を稼げ」
ビルと肉迫するホークアイにそう言って、イーグルは慎重に魔法の構築に集中する。なんとかすると豪語したものの、闇のマナを使役するのはこれが初めてだ。
「…………──此に在るは欺瞞と混沌の秩序、汝の霊肉明け渡し傀儡なれ」
闇夜の砂漠に、イーグルの詠唱が響く。シェイドのマナが闇属性を増幅する。イーグルは練り上げた闇のマナと魔力を解放し、ビルに向けた。
「目ェ覚ませ、馬鹿どもが!ブレインジャック……!」
イーグルの放った魔法は黒い矢となって、ビルの頭を貫いた。闇のマナの矢は額当ても皮膚も頭蓋もすり抜けて、ビルの脳に入り込む。
「う、ぐあ、あっああああああああああぁぁぁぁ!」
脳みそに痛覚はないはずだが、ビルは劈くような悲鳴をあげて砂地に蹲った。イーグルの脳もびりびりと痛いほど痺れる。ビルの中に入り込んで、視界がビルとつながって、自分のものと重なって二重に見える。ビルの脳内で叫ぶ。
『ビル!闇の力に身を委ねるな!お前が一体誰なのか、思い出せ!』
『お前は、誰だ!?俺の、俺の頭の中に入ってくるな!!』
ビルと繋がった意識が悲鳴をあげる。ばちん、とイーグルはビルの意識の中から弾き出された。眩暈がする。イーグルの倒れそうになる体を「イーグル!」とホークアイが支えた。
「いったい、何の魔法だ?」
「……美獣と同じさ」
ホークアイの質問に、イーグルは少しだけ口角を上げてみせる。
「毒を以て毒を制す、ってやつだよ。対象の精神に介入して、支配し、思い通りに命令できる。勿論、格上の相手には効きゃしないが」
それは、美獣がナバール盗賊団の団員たちに使った闇の呪術と同じ場所に属する魔法であった。魔族一行御用達の、封じられるべき闇の魔法だ。イーグルがクラスチェンジに闇クラスを選んだ理由である。
闇の魔法そのものは悪ではない。魔法にしろ、道具にしろ、使う者の意思によってそれらはどちらにでも染まる。闇クラスに進んだからといって心までが闇に堕ちるわけではないし、心の正しい者が使えば、本来の用途ではない、違う使い方ができる。
「”影響下にある支配のリセット”、それが今回の命令だ。ビルは今、脳みそを書き換えられているんだ」
本来は洗脳のために使う魔法を、洗脳解除のために使った。洗脳を洗脳で打ち消すのだ。ホークアイが信じられないとばかりに息を呑む。
そして、ビルの痛々しいほどの悲鳴が止む。
ビルは呆然とした顔で顔を上げて、目の前にいたホークアイとイーグルを見上げた。その目は虚ろさをなくし、光が戻っている。
「…………イー、グル、さま?……ホークアイ……?」
ビルは掠れた声でふたりの名前を呟いた。イーグルとホークアイはビルの正気が戻ったのを確信し、ビルに駆け寄って膝をつき、その体を支えた。
「ビル!俺たちがわかるんだな?!」
「わ、わかる……」
ホークアイの問いにビルが小さく呟く。驚愕と恐怖の混じりあったような表情をしていた。
「お、俺が、今まで何を……していたのかも、わかる。俺は、取り返しのつかないことを……す、すまない、すまない、おっ俺は……!」
操られていた間のビルの記憶は失われることなく、ビルの中に残っているらしい。ローラントの王子の鍵を奪い風を止めて、落城を手引きした。罪のないローラントの国民を数多く殺した。仲間であり、家族であるホークアイたちに刃を向け、殺そうとした。何よりも誇りに思っていた盗賊団を、跡形もなく瓦解させた魔族の駒となって。
「ホ、ホークアイ……お、おれは、お前を殺そうと……ゆ、許してくれ」
「許しを請いたいのは俺の方だ!俺は、一度お前たちを……──」
と、ホークアイは泣きそうに顔を歪ませた。一度目の旅路のことを今ビルに話しても混乱させるだけだと気付いたのか、言い直す。
「イーグルがお前の洗脳を解いてくれなかったら、きっとお前を殺してる。でも、許してくれとは言わない。だから、お前も言うな」
「俺を、まだ仲間だと思ってくれるのか……」
「当たり前だ!俺たちは、家族だろ?!」
と、感極まったホークアイが叫ぶ。
リースは少し離れた場所でベンの相手をしながらもイーグルたちを注視していて、ホークアイのその様子に現状を察したらしい。双子に連携されないように離していた距離を詰める。
こちらに逃げてくるリースを見て、イーグルはもう一度闇のマナを集めて練り始めた。
「ホーク、ビル、感動の再会は後にしろ!ベンの洗脳も解くぞ」
「お、俺も戦います。あいつのことは、俺が一番よく知ってる」
と、ビルがホークアイを支えに立ち上がって、まだ操り人形のベンを見た。
ひとりでベンを相手に時間稼ぎをしていたリースは消耗しているようで、白い手足を血に濡らしている。後で治癒術をかけてやらねばならないが、まずはベンの対処が優先だ。リースはビルの正気を取り戻した様子を見て何か言いたげにしたが、飲み込んで無言でベンの相手を交代する。
ベンは相方のビルが刃を自身に向けてくるのを見て、漸く双子の片割れが寝返ったことに気がついたらしい。双子の強みは、個々の術技よりもその連携にある。その強みを活かせずベンは一旦距離を取ろうと影に潜ろうとしたが、ビルの足払いがそれを許さない。ビルにとっては、ベンの次の行動は手に取るように把握できるだろう。
ベンの相手はビルとホークアイに任せて、イーグルは魔法に集中する。体内を流れるマナと魔力をひとつに集めて、闇の術式を構築する。二度目だ、要領もわかってきている。
「汝の霊肉明け渡し傀儡なれ──ブレインジャック!」
ベンの頭を、黒い矢が貫いた。
「ああ、良かった、ビル、ベン……!!」
ホークアイは正気を取り戻した双子に抱きついてぼろぼろと泣いた。気障なカッコつけを常とするホークアイが体裁もなくむせび泣く様子に、双子は顔を見合わせて戸惑いつつも、その背中に腕を回して抱き返す。
本来ならば、死んでいたはずの命だった。ホークアイ自らの手で殺した命だった。ホークアイは「ありがとう、イーグル」と涙を拭いながら顔を柔らかく綻ばせる。イーグルはつい誇らしくなりながらも首を横に振った。
「礼にはまだ早い。他の連中も助けるのに、この二人だけで満足してもらっちゃ困る」
と、イーグルは魔法のクルミの中身を齧った。たった二発で弾切れだ。精神支配の魔法は回復魔法よりも消費する魔力が遥かに大きく、連発はできなそうだ。こんな消費量なのに、長期間に渡りナバール盗賊団全体を支配するとは、美獣の魔力の底知れなさを今更ながら思い知る。その美獣も、ナバールに入り込んでから全体を掌握するまで、一ヶ月以上かけていたではないか。
「作戦を変えよう。今助けるのは諦めて、時限爆弾を埋める」
「時限爆弾?」
「俺の魔力だけじゃ、そう何人も何人も正気に戻すのは無理だ。だけど幸い、闇のマナと魔力は洗脳されてるあいつら自身が持ってる。魔法の構築式だけ埋め込んで、足りない魔力とマナはあいつらを操ってる闇の魔力を吸い取って発動する、時限爆弾にしてやるんだ。それでいいなら、まぁ一部隊分くらいはできる」
「時間がたてば、自然に正気に戻るってことか?魔物の巣窟で突然目が覚めても、危険じゃないか」
「ならトリガーを設定しよう。聖域に踏み込んだ時に一斉に発動するように。時限爆弾を埋められなかったナバールの連中も助けるように、命令を組み込む。どうだ?」
イーグルは自分のこめかみをトンと叩いて、中に何かを入れる動作をする。ホークアイはハッとしてイーグルを熱く見つめた。
「……いけるかもしれない……聖域に入りさえすれば、美獣は聖剣を手に入れるためマナの樹のところまで行く。盗賊団は美獣にとって用済みだ。それなら、全員助かるチャンスがある。ああイーグル、ホントお前って、サイコーだ!」
と、ホークアイが飛びついてきたので、軽くいなして頷く。
「爆弾の種を植えるだけなら、わざわざひとりひとり呼び出す必要もない。忍び込んで、片っ端から植えていこう。ビル、ベン、手伝ってくれるか」
「俺たちを正気に戻した魔法をナバールの皆にもかけるっていうなら、勿論手伝います。聖域がどうこうは意味不明ですが」
と、ビルとベンは言ったが、難色を示したのはホークアイだ。
「ビルとベンを巻き込むのには反対だ。こいつらを、もう危険な目に合わせるべきじゃない。死ぬ運命が覆されたって保証はどこにもない」
「死ぬ運命?」
「どういう意味だ」
と、ビルとベンが疑問符を浮かべる。それを無視して、イーグルは首を横に振った。
「ホークアイ。もし死神が俺の時みたいにこいつらにも執着するなら、俺たちにはこれ以上できることはない。フェアリーは他にいないんだからな。死神がこいつらに目を向けないことを祈れ」
「……」
運命に目をつけられたなら、いくらホークアイの側にいても遅かれ早かれ死ぬだろう。イーグルが今生きてるのは、勿論ホークアイのおかげもあるが、フェアリーに宿主として選ばれたからだ。ビルとベンも同じ運命ならば、いくら干渉を繰り返しても生かすのは難しい。
しかし確証はないが、きっとイーグルの運命は特殊なケースだ。何故なら一度目死んだはずのジョスター王は未だ何事もなく生きている。続報こそ確認していないが、アンジェラの書簡で命拾いしたというフォルセナの兵士たちも、シャルロットのおかげで助かったというアストリアの住民たち、先のローラント無血開城の折で死ななかった双方の兵士も。彼らが改めて死んだという話は聞かない。
運命が特別殺そうとしているのは、今のところイーグルだけだ。それが何故なのかはわからないが、ビルとベンがこのまま生き続けられるなら、この仮定への疑惑が深まる。
たとえ仮にビルとベンの運命にも死神がついていたとしても、正気に帰った以上、ホークアイに刃を向けることも、ホークアイが彼らを自らの手にかけることもなくなった。それだけでも、正気に戻した価値は充分にある。
ホークアイは渋々といった様子で頷き、疑問符を浮かべて説明を求めるビルとベンに、自分が未来から戻ってきたことを話した。今までの経緯や、聖域での戦争を掻い摘んで説明する。ビルとベンは眉間に深く皺を刻みながらも納得した。
「信じないわけにはいかんな。事実、お前とイーグル様が逃げ出した日、お前は色々知っている様子だった。お前の言っていた通り、あの女は人間じゃなかったし、ナバールはぐちゃぐちゃになった」
「それに俺たちの知っているホークアイより、よっぽど腕が立つしな」
と、ベンは揶揄うように笑みを作って、ビルも「確かに」と笑う。ホークアイは不満げに口をすぼませて拗ねた様子を見せるが、双子とこんなやりとりができるのが嬉しいと顔に書いてある。双子とホークアイはよく仕事でもチームを組んでいて、ホークアイはイーグルやニキータの次くらいにこの双子と仲が良かった。
リースはイーグルたちの会話を黙って聞いていて、見かねたビルが「この女子は?」と尋ねる。
「あんた、見覚えあるが……」
「……私はリースです。弟が世話になりました」
嫌味が出るのも、リースの気持ちを思えば当然だ。この双子にいい感情はないだろうに、正気に戻す手伝いをしてくれただけ有難い。
ビルとベンはリースの顔をまじまじと見て、同時にハッとした。
「あんた、ローラントの王女か。あの王子の、姉さんの」
ビルとベンは二度に渡ってリースの目の前でエリオットを拐った。一度は取り戻したが、ローラント奪還の折、エリオットは再び美獣の手に落ちた。
「王女……謝って許されることではないが──」
「エリオットがあの場にいたのは、弟自身の選択による過ちでした。美獣に操られていたあなたたちを、責める気はありません」
リースは双子の謝罪を遮るが、その顔は強張っていて、感情が理性についてきていないのは明らかだ。なんとか憎しみを抑え込んで、平静を保っている。
「ナバールのみなさんを助けましょう。今はそれが先決です」
と、リースはこれ以上の会話は無しだとばかりに顔を背けた。その自制心に感謝しながら、イーグルはビルとベンに目配せして、今は止めろと伝える。ビルとベンは戸惑いつつも頷いた。
双子を仲間に加え、イーグルたちは魔物の占拠するナバール要塞に忍び込んだ。
ビルとベンに美獣の所在を尋ねるが、どうやら洗脳下にある間はぼんやりしていて、命令以外を気に留めることはなく、美獣の現在地はわからないらしい。だが雑用に呼び出されるのは首領の間か寝室で、大抵はそこに居ると思われる。むやみやたらに要塞の中をうろつくことはないだろう、というのが見解だ。
少しばかり曖昧な情報ではあるが、それを信じるより他はない。美獣と鉢合わせだけはごめんだ。
首領の間や寝室から離れた場所にありモンスターも少なそうな居住区に向かって、そこで鉢合わせたのはニキータだった。
パロの桟橋で別れた後、どうやら無事にナバールに帰還し潜入していたらしい。ニキータは「あっ、アニキ!」と歓喜して、ホークアイと抱き合う。ホークアイの肩越しにビルとベンの姿を見つけ、ギョッと瞳孔を大きくして柔らかい毛を逆立たせる。
「び、ビルさん、ベンさん……?!」
「どうどう、大丈夫。もう双子も正気に戻ってる。イーグルの魔法が美獣の支配を打ち消したんだ。他の連中にも同じ魔法をかけに来た」
と、ホークアイがニキータの毛皮を撫で付けながらフォローした。双子は片手を上げて「おう」と挨拶して、正気を証明しニキータを安心させる。ニキータは目を白黒させながらも、「す、すごいにゃ、イーグルさん……!」と感嘆の声を上げた。相変わらず飲み込みの速い男だ。
「ニキータ、無事で良かった。ジェシカは変わりないか?」
「日に日に憔悴していってるにゃ。このままじゃ、危にゃいと思う。でも、まだ死の首輪が……」
「美獣が外すのを待つしかない……大丈夫、もうすぐだから。ジェシカの傍に居てくれてありがとう、ニキータ」
洗脳の解けた身で、この魔物の巣窟にいるのはさぞ恐ろしかっただろう。
だがニキータが無事ということは、美獣は洗脳下にあるナバール兵の支配が解けても感知しないということだ。それなら、死の首輪さえ外れればジェシカを助けるのは容易い。
「美獣の所在はわかるか?」
「あの女は留守ですにゃ。どこに行っているのかは知らにゃいですけど、いつも留守にしたら少なくとも四、五日は帰ってこにゃい」
「行き先はダークキャッスルかもな。何にせよ不在は好都合だ」
「でも、いなくなってからしばらく立つから、そろそろ帰ってくるかもにゃ」
「なら、急ごう。イーグル、いけるか?」
「ああ。情報助かる、ニキータ。ありがとう」
美獣が留守なら、こそこそする必要もない。値千金の情報だ。
更に、略奪した物資の管理を任されているというニキータはイーグルたちの作戦を聞いて、倉庫から魔法のクルミを大量に拝借してきた。ナバールではこの有能なネコ族のおかげで、猫の手も借りたいという慣用句は、もっと有能なやつが欲しい、といった意味に変わりつつある。
要塞を徘徊するモンスターたちは、砂漠の野生のモンスターより強力なものばかりだ。それらをビルとベン、リースでなんとか片付けながら、居住区のナバール兵をホークアイが片っ端からスリープフラワーで眠らせる。その眠りこけたナバールの仲間のうち非戦闘員の女子供はスルーして、聖域に派遣されるであろう戦闘員にイーグルは精神支配魔法の構築式を埋め込んでいく。
美獣の洗脳下で痩せこけた、見知った仲間たち。慕ってくれる部下や昔からの古株の親父たちも皆、虚な目をしていて別人のように見える。彼らを死なせるわけにはいかない。その目に光を取り戻してやりたい。
イーグルの精神力とクルミが枯渇するまでそれを続けて、朝を過ぎてから一行は要塞を退散した。
その後イーグルたちは万全に準備をして、そしてその日は訪れた。雲ひとつない快晴の真昼だ。ナバール要塞に帰ってきた美獣はビルとベンを呼び出して、憔悴しているジェシカを外に連れ出した。
どうやら、ビルとベンが支配下から外れていることには気付かれていない。長い間ビルとベンを蝕んでいた闇のマナはビルとベンに染み込んでいて、おいそれと消えるものではないのが幸いしたようだ。
ホークアイが言うには、前回の旅路で火炎の谷に入る前、美獣たちとの遭遇時、既にジェシカの死の首輪は解かれていたらしい。予想通り、ジェシカを牢から連れ出す際に美獣は死の首輪を外したようで、ビルとベンに引き摺られるようにして歩くジェシカの首に、呪いの首輪はない。
ホークアイたちの前回と同じく、砂漠から火炎の谷につながる岩場で、イーグルとホークアイは美獣の前に姿を現した。憔悴しているジェシカをこんなところまで連れ回させたのはかわいそうだが、要塞の近くでやってナバール兵たちを呼び出されでもしたら目も当てられないので仕方がない。
「ジェシカを返してもらおう、美獣!」
「ぼうやたち。まるで、私がここに来るのを知っていたかのようじゃないか……」
美獣は面白がるかのように、真っ赤な唇を横に引く。
「邪眼の伯爵を退けたらしいね。ははは、奴は怒り狂っていたぞ。お前たちが一体何なのか、興味が湧いてきたよ。黒の貴公子様の予言でも、邪魔な存在になると読まれている……放置すれば、必ずより大きな脅威となるだろう!私自ら、ここで殺してやろう!」
と、美獣がジェシカをビルとベンに預けたまま、イーグルたちに近づいた。殺意の重圧が凄まじい。遥か格上の相手から放たれる殺意にイーグルとホークアイはすぐにでも逃げ出したい本能に駆られるが、戦闘体勢で充分に引き寄せる。
美獣がジェシカから離れるのを、双子はずっと待っていた。視線の合図だけで、双子はジェシカを抱えて同時に岩場から跳んだ。美獣が振り向いた時には、既に魔法も射程外だ。
「お前ら……何をしている?洗脳が解けている……?!」
美獣が踵を返してビルとベンを追いかけようとするのを、ホークアイがナイフを投擲して妨害した。その間にジェシカを抱えたビルとベンは待機していたバレッテに飛び乗って、バレッテは全速力で砂漠を走り出す。あっという間に充分な距離だ。あのバレッテはブレインジャックによってイーグルの支配下にあり、このままジェシカを乗せてディーン近くまで走り抜けてもらう手筈だ。
「モンスターが、人間の指示に従うだって……?!」
美獣は信じられないとばかりにそれを見送って、振り向いてイーグルとホークアイを睨む。そしてイーグルに目を合わせて、ふと気が付いたかのように片眉を上げた。
「そうか……フェアリー憑きのぼうや、あんたが、『上書き』したってわけだ。少しばかり、納得したよ」
双子の洗脳支配を解き、魔物を操っているのがイーグルだと美獣は当てたみせた。精神支配魔法なら、人間も魔物も意のままにできる。同じ呪術をより高練度で操る美獣がからくりを察するのは不思議ではない。
「覚えてるかい?ぼうやが父親を刺したあの日……」
と、イーグルをじろじろ見て美獣は思い出話を始めた。ひとりででもこの女の正体を暴こうと無謀にも立ち向かった、あの日だ。イーグルは美獣に操られた。お前が刺させたのだろうがとイーグルは苛立って睨み返す。美獣は笑みを深くする。
「私はぼうやにフレイムカーンを殺させようとしたんだ。もうあの男を使わなくたって、盗賊団の掌握はほとんど完了していたからね。だが、あんたは私の支配に抗って、父親を致命傷には至らせなかった……あんたが生まれ持った闇の魔術への精神耐性、その適応力なら、魔族御用達の闇の呪術を扱いきれるのもおかしくない」
どうやら、イーグル自身も覚えのない才能を褒められているようだ。何故か隣のホークアイがハッとしたような顔をする。
美獣はストールと帽子を脱ぎ捨てて、艶やかな髪と白い腕を広げて惜しげもなく砂漠の太陽に晒した。
「ひとつ、教えておいてやろう。黒の貴公子様はもうひとつ予言をお読みになられた。妖精の寄生主よ、お前の死をな。だから、ぼうやたちがここで死ぬのは決定事項なのさ。私の奴隷を奪ったその魔力見せてみろ、小僧!」
美獣はメキメキと筋肉を盛り上げ、肌も白い毛皮に覆われる。人から獣に変貌するそれはケヴィンで見慣れたものだが、獣化したその姿は巨大な猫のようで、獣人とは違う種族なのは明らかだ。初めて見るその迫力と美しさに、美獣と名乗るのも納得できるような気がした。
この獣化した姿こそがこの女の本当の姿なのだと、本能が訴える。喰われる側と喰う側のラインがしっかりと引かれて、人としての本能が今すぐ逃げろとイーグルをかき立てる。
美獣は爪と牙を剥き出しにして、咆哮した。ナバールのほぼ全員を操る魔力を持ち合わせながら、人間の身体能力では敵うはずもない並外れた体躯。勝ち目は見えない。
「イーグル!」
「わかってる!」
美獣に圧倒されていた固まってしまったイーグルをホークアイが呼ぶ。ここではないが、ホークアイは前回も美獣と戦って勝っているという話だ。どんなに恐ろしく見えても、勝てない相手ではないはずだ。
イーグルは「出番だ、お前ら!」と岩影に待機させていたモンスターたちを呼び出して美獣を襲わせる。ジェシカを運ぶためのバレッテ同様、事前に精神支配済みだ。魔物の支配は、人間を相手にするよりも遥かに簡単だった。闇クラスにクラスチェンジしたシャルロットが魔物を召喚し使役できるように、闇のマナは魔物の支配と相性がいい。
飛び出してきたコカバードを美獣の爪が切り裂いて、羽と血が舞う。ダークプリースト数体がイビルゲートを同時に発動させて、美獣を囲む。闇のマナが生命力を奪うが美獣は意に介さず、イビルゲートを突っ切ってホークアイとイーグルに向かって跳んだ。
美獣の爪がホークアイを襲う。ホークアイは二刀で防いだが、そのまま後ろに吹き飛んだ。爪自体は防いだはずだが、衝撃波でざっくり腕が切れて骨の白さが見える。
イーグルは魔物らを美獣に突っ込ませながら治癒術を唱える。魔物らの攻撃が通らなくても、肉壁になってくれればそれで充分だ。
鼻から何か垂れてきて、血の味がする。
「こんな複数体も操りながら自らも戦うのは、さぞ難しかろう。マリオネットよりも、オートマタにするのをお勧めするよ、ぼうや!」
と、美獣は魔物を蹴散らしながら薄く笑う。ホークアイに放ったヒールライトは発動したが、治りが遅い。美獣の言う通り、魔物のコントロールに気を取られて、やり慣れた治癒術なのにいつも通りにできなかった。
美獣が盗賊団の皆を操っているのは自動式で、単純な行動しか取らせられない分、負荷が軽い。糸操り式なら意識するだけで細かな行動を指定できるが、操り糸が繋がっている分、余分に魔力も吸い取られて術者の消耗が激しい。そして、この脳への負担。やってみて初めてわかったが、これは普通の人間にできることじゃない。
イーグルは鼻血を手の甲で拭って、魔物たちの支配を放棄した。これ以上無理に続けても自滅を招く。
まだ生きている魔物たちはイーグルの支配から解放されて、状況に一瞬固まるが、美獣という遥か格上の存在に気が付くと一斉に逃げ出した。美獣はそのうちの一体のコカバードの首根っこを掴むと、「魔力切れを起こしてるね、ぼうや」と猫の目を細め、周囲に闇のマナを渦巻かせた。白い毛が逆立つ。
「いらないなら、私が頂くとしよう。従え、虫ケラ共!」
イーグルが手放した魔物たちを闇のマナが包んだ。魔物たちはぐるんと白目を向いて、奇怪な鳴き声を上げる。それらは正気を失った様子で、次はイーグルたちに牙を向いた。
その時、砂漠に「皆の者、放て!」とリースの声が響いた。
一斉に、青空に黒い筋が無数に飛び、大量の矢が美獣に向かって降り注いだ。美獣は大きく後ろに跳んでそれを躱すが、矢は魔物たちを貫いてほとんど絶命させる。
矢が飛んできた方向を見上げると、岩場の上に仁王立ちしたリースが、後ろに向かって更に指示を飛ばした。
「第二射、構え!」
「あれは、ローラントの王女……アマゾネスたちまで来てるのか!?」
リースが「放て!」と手を振りあげ号令を飛ばすと、その後ろから更なる無数の矢が飛んで砂地に影を作る。美獣が大きく舌打ちをする。
「ふん、用意周到なこと……今日のところは引こう。覚えておいで!」
美獣はわずかに宙に浮き、ぐにゃりと歪に曲がったと思えば掻き消えていた。空間移動の魔術だ。美獣が消えた地面に矢が降り注ぐ。
退いてくれた。イーグルはホッとして砂地に膝を落とした。ホークアイから美獣は強いと聞いてはいたが、聞きしに勝るとはこのことだ。だが多勢を相手にするのは嫌いだという期待が当たって良かった。前回の火炎の谷でも、美獣はニキータの援護で他に仲間がいると思って退いたことがあるらしい。
「う、うまく行きましたね……!」
「タイミングばっちりだったにゃ!」
と、リースとニキータが岩場から降りて来る。勿論アマゾネスの部隊など呼んではいない。
アマゾネスたちだと勘違いさせた矢の数々は、皆で夜なべして作った仕掛けであった。リースの号令でニキータがロープを引けば、全ての矢が発射される。こういったカラクリはイーグルもホークアイも得意分野だ。罠の仕組みを応用し、リース単独ではなく、援軍が来たと思わせたのだ。
ハッタリ頼みではあったが、退けた。実力ではまだまだ敵わないが、これでも充分な勝利だ。
慣れない闇魔法の連発と脳を酷使し過ぎたツケが来て、どうにも頭が痛い。
ジェシカと双子を追いかけてディーンにあるナバールの拠点のひとつに移動し、ジェシカの様子を見に行く。
ビルとベンに甲斐甲斐しく看病されながら、ジェシカはベッドに横になっている。目に見えてやつれていて、一回り小さくなっているような気がした。
「兄さん!」
ジェシカはイーグルたちに気がつくと、興奮に頬を紅潮させてベッドから立ち上がろうとした。イーグルは「体力落ちてるんだから、あまり興奮するな」と押し留め、そしてシーツの上から強く抱きしめた。
「すまんなジェシカ、今まで、つらかったろう」
「謝るのは私の方だわ。牢の中で、ずっと後悔していたの。あの時、なんで兄さんを信じなかったんだろうって。兄さんとあんな別れ方をしたまま、牢の中でひとり死ぬのかって、ずっと怖かった。ずっと謝りたかった。兄さんを信じてあげられなくて、ごめんなさい……!」
「お前は、そんなこと気にするな。俺は、お前が元気でいてくれれば、それでいいんだ」
腕の中のジェシカは記憶にあるより細くて骨張っていて、髪も肌も荒れ果てて、らしくないにおいをさせている。最愛の妹をその腕に抱きしめて、張り詰めていた感情が漸く緩む。
腕を解いて、横のホークアイのために場所を開けると、ホークアイは大事なものを扱うようにジェシカをそっと抱きしめる。ジェシカも縋るかのようにホークアイの背中に細い腕を回し、お互いを確かめ合う。
「ジェシカ、俺もごめん。お前を、ひとりでナバールに置き去りにして──」
「……いいの。ニキータが何度も牢の前まで来てくれて、励ましてくれたわ。ホークアイが助けてくれる、だから信じて耐えてくれって。だからあたし、待っていられたわ。来てくれてありがとう、ホークアイ」
と、ジェシカの目の端から涙が伝う。ずっと牢の中で孤独だったジェシカを、ニキータが支えてくれていたらしい。やはりニキータにジェシカを頼んで正解だった。
ジェシカに必要なのは休息だ。今は休ませてやろう、と退散しようとするイーグルたちを止めたのはジェシカだ。現状がどうなっているのか知らないままでは休むに休めない、とホークアイの腕を掴んだまま事情の説明を請った。ナバールに置き去りにされた理由を、ジェシカも知りたいだろう。
この妹は言い出したら聞かない。仕方ない、とホークアイが隣のベッドに座って、一度目と今までの話を手短にする。一度死んで戻ってきたこと、今はイーグルがフェアリーの宿主であること。
イーグルがビルとベンの洗脳を解き、要塞に忍び込んで遅効性の精神支配魔法をナバール盗賊団のみんなにかけたくだりで、「兄さんがそんな魔法を……」と驚くジェシカにホークアイはこんなことを言った。
「美獣に言われてハッとしたが、イーグルには闇魔法の才能や耐性があったんだ。……今思えば、一度目の旅の始まりも、それに助けられたのかもしれない。あの時も、イーグルは一時的に美獣の支配を振り払って、戦えない俺に回復魔法を使ってくれた。あれがなかったら……何もかも、始まる前に終わってた」
と、ホークアイはイーグルの知らない時間軸の話をする。
別の時間軸の自分が、ホークアイを苦しめるだけでなく助けもしたのだと知って、イーグルは胸のつかえが下りるような気がした。一度目の自分は只々無鉄砲に愚かに死んで、全てをホークアイに背負わせた阿呆だと思っていたから。
そしてホークアイが粗方説明し終わると、ジェシカはベッドに横になったまま、顔をくしゃりと歪めて「どうして?」と掠れた声を震わせた。
「どうしてホークアイと兄さんが、そんなことをしなくちゃいけないの?偶然選ばれたのが、どうしてホークアイなの。どうして兄さんなの。何で、あなたたちが世界のために戦わなければならないの。他の人じゃいけないの?ねぇ、そんな危険なことやめてよ!」
と、ジェシカが感情のままに喚く。
ジェシカとて、普段ならばこんな風に見境なく縋ったりはしないのだ。だが長期間の孤独と呪いによって体力も精神も蝕まれていて、冷静さなどすり減って残っていない。
ホークアイは優しくジェシカの頬を撫でて宥める。
「ジェシカ。俺は、偶然選ばれたのが俺で良かったと思ってるよ。他の誰かが選ばれてたとしたら、こうしてやり直せることはなかった。イーグルが生きてる今の世界もなかった。ナバールが崩壊するのをただ耐えて、誰かが世界を守ってくれるのをただ待ってるなんて、そんなのはごめんだ」
「なら、あたしも連れて行って。そこの女の子も仲間なんでしょ、女だから連れてけないなんて言えないはずよ!」
ジェシカはリースに目線を向けてそう言って、ベッドから立ち上がろうとした。案の定ふらりと傾いて、床に倒れ込みそうになったところをホークアイが支える。
「無茶するな!呪いは解けたとはいえ、まだ万全じゃないだろ。ついてきたいなら、まず体を治してから言うんだな」
体力が殆ど戻ってきていないのはジェシカ自身の方がよくわかっているだろう。泣きそうな表情でホークアイに縋り付いた。
「……帰ってくるのよね?ホークアイも、兄さんも、無事に帰ってくるのよね?」
ホークアイは可愛い妹を抱きしめて、涙が伝うその頬に口づけを落とした。
「……必ず。必ず、魔族を倒して、帰ってくるよ。だから、待っててくれ」
ジェシカの耳元で、押し殺したような声でホークアイがそう言う。ジェシカは大粒の涙と流しながら、ホークアイの頬にキスを返した。
ジェシカは疲弊しているのに、結局長話をしてしまった。休ませるため、看病してくれるニキータを置いてイーグルたちは部屋を出た。
部屋では黙ってジェシカとホークアイの親密なやりとりをじっと見つめていたリースが、ついに口を開く。
「ホークアイさんって、ジェシカさんが好き、なんでしょうか」
独りごちるかのような小さな声だったので、話しかけられたのかも分からず返答に困る。しかしホークアイはしっかり聞いていて、困ったように眉尻を下げて笑った。
「……──ジェシカのことは、世界で一番愛してるよ。リース、キミがエリオットくんを世界で一番愛してるのと同じようにね」
と、ホークアイは曖昧な言い方で一線引いた。
その答えにリースはぱちぱちと瞼を瞬かせ、その意味を少し考える。そして少し傷ついた顔をして、目を伏せて「……そう、ですね。私も、エリオットを愛してます」と口をつぐむ。
どうやら彼らは、恋に火をくべるのをやめるらしい。昔のホークアイだったなら、あるいはこんな旅の最中でなかったなら、若者らしく一時の恋を楽しむこともできただろうに。
お互いに好いていても、ホークアイにはナバールがあって、リースにはローラントがある。お互いの一番大事なものが何なのか、彼らはよくわかっているのだ。いくら恋を燃え上がらせても、お互いがお互いの一番になり得ることはない。
あるいは、イーグルやジェシカ、エリオットといった身内の後押しがあれば、一歩踏み出すのかもしれない。だがイーグルとてホークアイを易々と他所の国にやるつもりはない。国境を越えた恋の応援はできない。だから、イーグルは何も言わなかった。
少し気まずいホークアイとリースを横目に、ビルとベンはお互いの顔を見て、意志を確認し合ってからイーグルに詰め寄った。
「ジェシカ嬢が無理でも、俺達はつれていってくれますよね」
「多少消耗してはいるが、戦える。足手纏いにはなりません」
「あんたたちに助けられた命なら、あんたたちのために使いたい」
と、双子が矢継ぎ早に口々言うので、イーグルはホークアイに「だとよ、ホークアイ」と振った。双子がイーグルに聞くのはナバールでの立場上仕方ないが、この旅のリーダーはあくまでホークアイだ。ホークアイは眉間に皺を寄せる。
「……お前たちが仲間になるなら、頼もしいよ。だけど俺たちに命を預けるとかそういうつもりなら断る。俺はお前たちに生きてて欲しいだけだ」
「ホークアイとイーグル様が命をかけてるのに、俺たちが命をかけない理由があるか?少しでも戦力になれるならそれでいい」
「世界なんて大層なもんを救おうとは思えんがな。だがお前のやることは、結果的にナバールのためにもなる、そうだろ?」
「俺たちは、汚名を返上し以前のナバールを取り戻したい。フレイムカーン様が愛したナバール盗賊団を。その誇りを」
と、ビルとベンは熱く語った。王国の設立が首領フレイムカーンの望みでなく美獣の計画だったと知って、瓦解する前の盗賊団こそが守るべきものだったと気付いたのだ。
ナバール盗賊団と一括りにしても色んな奴がいて、義賊としての正義に燃えるやつもいれば、単純に食い扶持のために居座ってるやつもいるし、フレイムカーンの人柄と行動力に惚れ込んで人生を捧げているやつもいる。
その中でも、ビルとベンは親父の熱烈な信奉者だ。親父の王制嫌いは相当で、その影響が悪い方向に暴走してエリオットを奴隷商に売っ払うという行動になったのだろうと思う。親父が盗賊団を解体し、砂漠を捨てローラントを乗っ取り国を設立するとなれば、亡国の王子は生きているだけで邪魔になる。ローラントを侵略し民を殺し、義賊としての誇りも塵と消え去っていたあの時、王子を殺さずに売っ払ったのはなけなしの慈悲かもしれない。
「戦力は多い方がいい。突っぱねる理由はないさ。だろ、ホーク」
と、イーグルはビルとベンの肩を持った。ビルとベンの気持ちはよくわかる。イーグルにとって、大切なのは世界そのものよりもホークアイやジェシカを含むナバールだ。それを守るためなら、世界救済でもなんでもやってやる。
「……ああ。ビルとベンが来てくれるなら、出来ることも増える。……不思議な気分だ。ビルやベンと一緒だなんて──」
と、ホークアイは戸惑いながらもビルとベンの同行に同意した。ビルとベンはその顔を見て笑う。
「何言ってる、仕事でいつも組んでただろ。お宝を盗るのはお前、陽動や見張り、いざという時の戦力は俺たち」
「今までと同じさ。お前の後ろを守る、それだけだ」
ホークアイはハッとした顔をして、それから泣きそうになって、誤魔化すように「もうお前らに守られるような俺じゃないさ」と双子の肩を小突いた。
それから双子はリースに向き合って、おもむろに跪いた。
「リース王女。謝って許されることではないが、謝罪したい。申し訳ない」
「……操られていたんでしょう。全ては、美獣の責任です」
「いや。思えば、既に操られている者も多かったろうが、ローラント侵略のあの時、俺達は正気だった。美獣の口車に乗せられて、本気で、ナバール王国の設立がナバール全員のためになると思っていた。水が枯れては、砂漠では生きていけないからだ」
「エリオット王子の捕獲は美獣の命令だったが、奴隷商に売り払ったのは俺たちだ。首領を差し置いて偉そうに仕切っている美獣と、飢えも知らずぬくぬくと育っている王子への意趣返しだった」
「あんたやローラントの人間には、殺されたって仕方が無いことをしでかした。許して欲しいとは言えない……いつか、どんな償いでもする」
と、ビルとベンは頭を下げてリースからの断罪を待つ。リースは槍の柄をぎゅっと強く握りしめ、その腕が震えている。一触即発かと身構えかけるが、杞憂だった。リースは大きく深呼吸をして、双子を見下ろした。
「わかりました。いつか、必ず償って貰います。だから……必ず、生き残って。絶対に、ホークアイさんやイーグルさんを悲しませたりしないで」
リースの真剣な真っ直ぐな目に貫かれて、ビルとベンは「必ず」と、強く頷き返した。
イ「ビル、ベン、お前らその格好じゃもろナバールのニンジャだし、着替えろ。今や世間じゃナバールは悪党だからな」
ビルベン「わかりました、イーグル様」
ホ「ついでに見分けつくようにしてこいよ。俺とイーグルはともかく、リースが困るだろし」
リ「別に困りません。その人たち個人個人を見分ける必要がある時がくるとは思えませんから」
ホ「し、辛辣……!」
ビルベン「着替えてきました」
イ「……」
ホ「……」
リ「……双子の区別以前に、その辺のモブ市民と区別がつきません。顔にでっかく名前書きましょう。あ、筆記具ないので槍で書いてもいいですか?」
ホ「せ、せめて名札にしよう!な!」
ビルベン「ど、同行するの考え直していいですか?」
イ「ダメ」