「アンジェラしゃん、シャルロットのすてきなかんがえ、きいてくれる?」
忘却の島を飛び去って小さくなっていくフラミーを見ながらシャルロットがそう言うと、アンジェラは「多分、同じこと考えてるわ」と口角を上げた。元々アンジェラとは気が合うが、付き合いももう随分と長くなって、思考回路も似通ってきたようだ。
ビルとベンの号令でナバール兵たちはローラントの船に乗り込み、アマゾネスたちと共に出航して島を去っていった。
置き去りにされたシャルロットたちに残された移動手段は不時着したアルテナの空中ナントカカントカだけだ。フェアリーの宿主がいないとブースカブーは言うことを聞かないし、フラミーはホークアイたちに風の太鼓ごと持っていかれた。
アンジェラが「さ、みんなギガンテスに乗ってちょうだい」と、残された一行をアルテナの船へと誘導してくれる。
「整備は終わったわ。ちゃんと飛べるから安心して」
「助かる。まずどこの神獣を最初に倒すか決めようぜ。強いって言ってたドランか?」
と、デュランが悠長なことを言う。
「ちっちっち、デュランしゃん。ホークアイしゃんのいってたことをちゃんときいてまちたか?」
「ナバールのニンジャたちが、アマゾネスと協力して風の神獣と戦うのよ。神獣を倒すのは別に私たちじゃなくたって構わないってこと。ド派手にいきましょ」
「ド派手?」
「うっしっし、み〜んなまとめて、まきこんでやるでち!」
世界中のマナストーンの封印が解かれ、神獣が世界に放たれた。それは災厄となり世界を滅ぼすという。世界中の誰にとっても、他人事ではあり得ない。
だから、世界中のみんなにも当事者として戦ってもらう。それがシャルロットとアンジェラの決断だ。
各国の中心となる面々が揃っている、と旅の一行を評したのはジョスター王だったか。確かに全員がそれぞれ祖国の統治者にコネを持つ。対応できない神獣は闇の神獣以外にはいない。
「風の神獣ダンガードはローラントとナバールが。倒し次第ナバールは火の神獣ザン・ビエ討伐に向かうでしょうから、後回しでいいわ。水の神獣フィーグムントはアルテナに任せてちょうだい。フォルセナの担当は、宝石の谷ドリアンにいる、土の神獣ランドアンバーよ」
「ひかりのしんじゅうライトゲイザーはウェンデルたんとうでち。きのしんじゅうミスポルムも、ディオールのエルフたちにやってもらえばいいでちね」
「月読の塔のドラン、獣人、任せて。強いヤツと戦う、みんな求めてる」
ケヴィンは自分の拳をぶつけ合わせて頷いた。すぐにケヴィンは指笛で大鷲を甲板に呼び出し、飛び上がって脚を掴み、大空に消えていった。
無事にギガンテスも忘却の島を飛び立って、アンジェラの指示に従ってフォルセナへと進路を取った。操船するアルテナ兵たちからは、さすがに緊張が見て取れる。先のフォルセナ侵攻もまだ記憶に新しい。
「どう考えても、こんな空飛ぶ魔法の船でフォルセナはまずいぜ。アルテナ丸出しだ。戦争仕掛けたの忘れたのかよ」
「アンタがいるじゃない。拡声器あるからよろしく」
「拡声器?」
一度目の旅路の忘却の島で、砲弾を打ち込まれたときに聞こえた紅蓮の魔導師の声を思い出す。やっぱりアルテナは不思議な道具を持ってるなぁ、とシャルロットは感心した。カガク、とかなんとかイーグルは言っていたか。
「そういえばアンジェラしゃん、アルテナにはかえらなくていいんでちか?」
「一刻も早く帰りたいに決まってるじゃない。きっと、お母様の洗脳も解けたでしょうし……」
理の女王を操っていた紅蓮の魔導師の背後にいた竜帝は死に、おそらく女王も正気を取り戻したはずだ。アルテナにはもう戦争する理由はなく、女王が事の次第を把握すれば、情勢が落ち着き次第すぐにでも賠償がなされるだろう。
「でも、今のアルテナ軍の指揮官は、私だから。お母様に会いたいからすぐに帰るっていうのは、ただのワガママだわ。正気に戻ったお母様に操られていたときの記憶があるかもわからないのに、帰れば指揮系統のトップはお母様に戻る。イチから状況を全部説明して、相談して、指示を仰いで、ってなると意思決定に時間がかかりすぎるもの。そうしてる間にも神獣は力を増してくんだから、私が指揮官でいられるうちにあれこれ終わらせたいの」
だからまだ帰らない、と前を見据えて唇を噛むアンジェラは、昔のアンジェラと比べると別人のようだ。すっかりリーダーの顔をしていて、カッコいい。こりゃあ惚れても無理ないな、とシャルロットはデュランをチラ見した。案の定すまし顔を取り繕っている。幸あれ。
山間を通り、アルテナの巨大な空中要塞が空から街に影を落とす。あわや戦争かとフォルセナ中が騒めいたのが船上からも見えた。すぐにフォルセナ中の兵士たちが武器を持って城壁に並び始める。中庭に大砲の準備を見て、デュランは慌てて魔導拡声器を手に取った。
「へ──陛下、こちら、デュランです。この船に攻撃の意思はありません。アルテナの王女アンジェラと、永久中立国ウェンデルのシャルロットが、各地の神獣の対処について、対話を望んでいます。街の外の高原に、船を降ろします。えー…、繰り返します。こちら、デュランです。攻撃の意思は──」
操舵士にギガンテスをモールベアの高原に降ろしてもらい、デュランはアンジェラとシャルロットをつれて、フォルセナの兵士を刺激しないように三人だけで船を降りた。
一方、フォルセナ側からは大勢の兵士が武装し隊列を組んでやってくる。兵士たちからはピリピリと緊張が伝わってくるが、アルテナの魔導船を目の前にしては仕方あるまい。
兵士たちの隊列が割れてその中から現れたのは、デュランが言った通り、英雄王その人だった。救世の英雄リチャード陛下はこんなとき自ら話し合いに臨むお人だ、とかなんとか。
「デュラン、久しいな。宝石の谷から強力なモンスター共が溢れ出してきた、という報告は受けておる。恐らく、伝説にある災厄の神獣ランドアンバーが蘇った……今は国難の時じゃ。アルテナを引き連れ、どういうつもりかな」
「陛下。フォルセナだけではありません。魔族によって世界中のマナストーンの封印が破られ、世界中で神獣が蘇りました。時間が経つごとに神獣は力を増し、いずれ一つとなり、世界を滅ぼします。そうなる前に、アルテナやウェンデルと協力し、神獣を討伐したく存じます」
「協力要請か」
「はい。フォルセナは剣士ばかりで、アルテナ兵は攻撃魔法の使い手ばかりでバランスに欠けます。フォルセナにも治癒術の使える兵士はいるものの、圧倒的に数が足りません。フォルセナの兵士を派遣する代わりに、アルテナから魔法使いを、ウェンデルから神官を借り受けられます」
「言い分はわかる。その利益も。だが兵士たちの感情をなおざりにして、おいそれと組むことはできんな。不平不満のあるままアルテナ兵と組んだところで、連携も何もあるまい。ウェンデルとの協力には否はないが」
「リチャード陛下」と、アンジェラが恭しくお辞儀をする。
「先の戦のこと、アルテナを代表して謝罪いたします。大変申し訳ございませんでした。アルテナには賠償の用意がございますわ。闇の呪術により、悪の傀儡となっていた母も、今は正気に戻りました。もう二度とあのようなことは起こりません。母との会談の場を設けるのは如何でしょうか」
「ふむ……」
英雄王は、「ヴァルダとは、話をせねばならないと思っていたところだ」とすぐさま謝罪と同盟を受け入れた。なんとなく私情が入っているような気がしたのは気のせいだろうか?
簡易的に同盟締結の書面を交わして、英雄王はアンジェラやシャルロットと握手をした。周りの兵士たちへのパフォーマンスとしての握手だと思ったが、アンジェラを見る英雄王の目は妙に熱がこもっている。確かにアンジェラはシャルロットに次いで世界で二番目にいい女だが、娘でもおかしくない年齢の女を狙う気なのかこの初老は、とシャルロットは背筋がぞぞぞとした。英雄王リチャードに伴侶はいないはずだ。英雄王と、その信奉者デュランと、アルテナ王女の三角関係なんて見ていられない。泥沼だ。
「つまり──討伐すると魔王を強化してしまうため、勇者たちが魔王を討つまで時間を稼ぎつつの討伐が最良である……ということですな」
「そう、ですけれど……推奨いたしませんわ。時間が経つ毎に倒しにくくなりますから。今は谷の奥に引っ込んでいても、いつ人里に出ようとするか分かりません」
「我々フォルセナのみならば短期決戦も致し方ないが、神官や魔法使いがお借りできるならばその限りではあるまい。なに、無理はいたしませぬ」
と、英雄王はアンジェラにいいところを見せようとするみたいに、シャルロットたちに都合のいいことを言ってくれる。
それからその場にアルテナ兵とフォルセナ兵の上官らも呼び出しての会議となり、それぞれ貸し合う人員の数を決めた。
早速フォルセナに貸すアルテナ兵を船から降ろし、逆にフォルセナの兵士たちを船に乗せた。一応、比較的アルテナに悪感情のない人員を選んでくれたらしいが、さすがに兵隊同士はギクシャクしている。まぁお互いの部隊の代表であるアンジェラとデュランがあの仲だ、打ち解け合うのも時間の問題だろう。
借りた兵士と吊り合う分だけの神官を連れてくる約束を交わして、ギガンテスは高原を飛び立った。向かうは勿論ウェンデルだ。シャルロットにとっては、旅立ったとき以来の帰郷だ。
ギガンテスがウェンデルの上空に現れると、当然だがフォルセナ同様、街中騒ぎになった。シャルロットが船から魔導拡声器を使って「いまからひろばにおりまーち!どいてね〜!」と告げると、蜘蛛の子を散らすように広場が空く。デュランが「さすがに雑すぎるだろ」と苦言を呈した。
シャルロットが先頭に立ってギガンテスを降りると、見知った神官が顔を上気させてドタバタと走ってきた。
「しゃ、シャルロットちゃん、はやく、神殿に!」
と、事情を説明している暇もないとばかりにシャルロットを急き立てる。
シャルロットは何だか不思議な予感がして、デュランもアンジェラも置いてひとりで走り出した。背後から「ちょっと?!」とアンジェラの声がする。
光の神殿はいつもの静謐さを捨て去って、ざわざわと戦争の気配を漂わせていた。どうやらこのウェンデルでも、光の古代遺跡からモンスターたちが溢れ出てきてその対処に追われているらしい。
神官たちが錫杖や剣を手に取り、隊列を作っている。その中にはディオールで見たエルフたちの姿も混じっていて、その異様さを際立たせた。
隊列の横を風のように走り抜き、階段を駆け上る。バタン!と音を立てて司祭の部屋の扉を開け放つ。
ベッドで上体を起こした祖父の横に、佇むふたつの影。ひとつは妖精王、もうひとつは──
「ヒースっ……?!ヒースでち?!」
「……シャルロット」
と、優しい声音で、ヒースがシャルロットの名前を呼んだ。シャルロットはヒースの腰に飛びついて、わんわん泣いた。
死を喰らう男に連れ去られ居場所のわからなかった、かけがえのない大切な人。ヒースを連れ戻すことが、世界救済より何よりいちばんの目的だった。そのためにシャルロットは旅立ったのだ。ずっとずっと、会いたかった。涙は止まることを知らずに、ヒースの服をびしょびしょに濡らしていく。
「……仮面の道士が死に、自我を取り戻したんだ。長い間、心配をかけてすまなかったね。ごめんね、シャルロット……」
「ううん、ううん。あやまらないで。かえってきてくれて、うれしいでち。ヒース、もう、どこにもいかないで」
ヒースは黙って、そっとシャルロットの肩に手を置いて、頭を優しく撫でてくれた。それに何か含みを感じて、シャルロットはヒースのお腹からびしょびしょの顔を上げた。ヒースは優しく微笑んでいる。
ベッドの上の祖父が皺枯れた声で「おお、おお、シャルロット……」と必死に手を伸ばしていたので、シャルロットは仕方なくヒースを離して祖父にハグされてやった。
「ああ、シャルロット……お前が、妖精王殿とエルフたちを説得してくれたそうじゃな。ヒースと、妖精王殿、エルフ達、皆のおかげで、禁呪の呪いはすっかり取り除かれた。心から、ありがとう」
祖父は、禁呪を使って滝の洞窟に結界を張り、長い間体を蝕まれていたのだ。以前より頬は痩せこけて、全体的に萎れている気がする。
シャルロットは、「としよりなんだから、もうムチャしちゃダメでちよ」と祖父を抱きしめ返した。妖精王が羨ましげに見つめてくるので、妖精王にもハグして「よーせーおーのおじーちゃんも、ありがとでち!」と可愛く礼を言った。
「でもヒースがもどってくるんなら、よーせーおーのおじーちゃんはショウジキひつようなかったかもでち!とおいところまでこさせて、ごめんね、おじーちゃん」
「いやいや、引っ張り出してくれて、感謝しておるよ。エルフたちも、久しぶりに村の外に出て活き活きしておる。引き篭もりには、多少の荒療治は必要ということかの」
と、妖精王は長い口髭を抑えて笑った。
その横でぼそりと、「そのおかげで、私にも時間が残された」と、ヒースが小さく呟いた。
「シャルロット、君が導いてくれた妖精王様とエルフたちのおかげで、私にもまだ余力がある。それを使って、シャルロット、君の助けになりたい」
「ヒース……」
嫌な感じがした。
見た目はいつものヒースなのに、においが違うからだ。いつもは香油のいい匂いがするのに、今日はなんだか、違う臭いがする。きっと、まだ仮面の道士の闇のマナがヒースの身体の中から抜け切っていないからだろう。
ヒースは戻ってきた。偽物でもなんでもなく、ヒースその人なのは確かだ。もう、シャルロットをおいてどこにも行かない。
ヒースの匂いが、幽霊船で出会ったようなモンスターたちの匂いに少しだけ似ていることには、気付かなかったフリをした。
*****
イーグルたち五人を乗せたフラミーの空の旅は順風満帆とはほど遠かった。ダークキャッスルのある大陸周辺の海域は強い嵐で、数日経っても嵐は去る様子を見せない。侵入を阻むための人為的なものなのか、イーグルを付け狙う死神の悪戯なのか判別できず、一行は雷鳴の鳴り響く嵐の中、痛いほどの大雨と風に打ち付けられながらも無理してダークキャッスルへと飛んだ。
フラミーの羽毛を掴む手が雨で滑ったのと突風に煽られたのが重なって宙に投げ飛ばされた時は死ぬかと思ったが、紅蓮の魔導師による咄嗟の空間移動の魔法で命拾いした。
「た、助かった……ありがとう」
「……?今のは、俺が?」
ホークアイとイーグルに感謝されて、紅蓮の魔導師は不思議そうに首を傾げる。紅蓮の魔導師にとっては無意識下の魔法だったようで、他人を助けるなんて行動を自分がとったことに驚いていた。ロキが「それだけ、竜帝のマナが抜けているということだ」と淡々と言った。イーグルはホークアイほど紅蓮の魔導師を信用していなかったが、その件で認識を改めた。アンジェラが彼を「昔は悪いヤツじゃなかった」と評したのも、どうやら信用できそうである。
結局フラミーで降り立つことができたのは、ダークキャッスルのそびえる山の麓にある洞窟の近くだ。
「どちらにせよ、フラミーの毛皮の真っ白さじゃ、この嵐の中でも目立って仕方ありませんから……気付かれずに近付けるのはこの辺りだと思います」
と、リースがフラミーを慰めるように言った。
深く、暗い洞窟だ。少し覗いてみるが、まるで灯りがない。漂ってくる濃厚な闇のマナと魔物の気配に、気分が悪くなりそうだ。
ホークアイが言うには、暗闇の洞窟はダークキャッスルへと続いていて、道中に闇の神獣が復活させられているらしい。
暗闇に足を踏み入れようとするイーグルたちを、「は?馬鹿か」という紅蓮の魔導師の声が止めた。
「何のために連れてこられたのか分からん。あそこに見えてるのに、何でわざわざモンスターの巣窟を通らなければならんのだ」
と、紅蓮の魔導師は空間移動の魔法を展開させて、五人を包んだ。
視界がぐるんと回って、気がつけばダークキャッスルの下に立っていた。ホークアイがひゅう、と口笛を鳴らす。
「いいね、これ。是非、ウチにもひとり欲しいな……あんた、アルテナ嫌ならナバール来ない?」
と、ホークアイは最大級の賛辞を送っている。ロキも「やはり上手いな。こうも不純物の多い嵐の中では、私ではこうはいかん」と褒めている。
「確かに便利だな。これで、城の中まで行けるのか?」
イーグルの問いに、紅蓮の魔導師は侮蔑の表情を浮かべつつ、「中の構造が解らないんだから無理に決まってるだろう」と否定した。
「そこまで万能じゃない。貴様くらいの運の悪さだと、転移した先で壁と同化してジ・エンドだな。まぁ、行けてバルコニーか。そんなこともわからないのか?」
「悪いね、わからなくて。ところでお前の口の悪さは、竜帝のマナが抜けたら治るのか?」
「悪いな、生まれつきだ」
出来ないのならば仕方がない。もう一度紅蓮の魔導師に空間移動魔法を使ってもらい、五人はダークキャッスルのバルコニーに降り立った。
バルコニーの窓から中を覗く。イーグルたちが生まれる遥か昔に流行った建築様式だ。灯のない暗い城の中を、うようよと高レベル帯の魔物がうろついている。
一目見て、察する。ここに来るのは、まだ早い。イーグルと同じく、二度目のクラスチェンジを終えていないリースも顔色を悪くしている。マナの女神に与えられたマナをもってしても、まだ、全然足りていない。
紅蓮の魔導師がふんと鼻を鳴らした。
「どうやら、器じゃない半人前が二名ほどいそうだな。やめといた方がいいんじゃないか?」
ロキも頷き、「無駄死にだと言っただろう」と紅蓮の魔導師に同意を示す。イーグルは悔しさに唇を強く噛んだ。言い返したいが彼らより実力が劣るのは確かで、弱者が何を言い返したところで負け犬の遠吠えだ。
「入るなら先にクラスチェンジを──」
「いいや、一刻も早く、フェアリーは助けなきゃならない。俺に考えがある」
と、ホークアイはロキの言葉を遮って、魔力を練り始めた。木のマナだ。それを見て、紅蓮の魔導師が興味深そうに片眉を上げる。木属性魔法に素養のある人間は少なく、木属性で何ができるのかは、あまり知られていない。
「……不正のギュゲスよ、汝の隠匿の指輪を貸し与えたまえ──トランスシェイプ!」
同時に、ホークアイの姿が消えた。いや、目を凝らせば、そこにいる。そこにいるという確信があってようやく見える程度に、透過している。なんて、コソ泥向きの魔法ばっかり覚えるヤツなんだろう。シーフになるために生まれてきたような男だ。感動だ。
ホークアイは同じ魔法を一人ずつ全員にかけていき、「一度なら、大抵のダメージは無効化できるはずだ」と言った。
紅蓮の魔導師が「ほう?」と感嘆の声を上げる。
「実に面白い。貴様こそ、コソ泥なんてやめてアルテナに来たらどうだ?」
「お誘いドーモ。でも残念だけど、骨を埋める場所はもう決めてるんでね」
紅蓮の魔導師の面白くない冗談をホークアイは上手に躱す。ホークアイが魔法大国でもやっていける使い手だと認められたのは誇らしいが、ホークアイがナバールから去るわけがない。
「さぁ、行こう」
ホークアイが音を立てずに窓を開け、透明化した一行はダークキャッスルの内部への侵入した。
イーグルの手を引いて、城内を練り歩く魔物の横を素通りし、複雑に入り組んだ城内を先導し、扉や壁に仕掛けられたギミックをホークアイは難なく解いていく。
「完璧に覚えているのか?」
「んなワケない。ま、なんとなく分かるよ、二回目だし。覚えてないトコは勘だから、盲信は禁物」
とホークアイは言ったが、一行はまるで危うさなく城を登っていった。二回目とはいえど、こいつの勘の良さには舌を巻く。
暗い城の中をしばらく進み、イーグルたちは広いホールに出た。先頭を行くロキと紅蓮の魔術師が警戒するように足を止める。ホークアイが短く「来るぞ!」と言った。
その時、ホール全体の空気が揺れた。全員のトランスシェイプが解けて、目を凝らさずとも姿が見えるようになる。攻撃を受けたのに痛みもないのは、トランスシェイプのダメージ無効化によるものか。
「ふん、何か臭いと思ったら……やはり、ドブ鼠共が紛れ込んでいたか」
いつの間にか、ホールの真ん中に影が浮き上がっている。黒いマントに身を包んだ顔色の悪い男。邪眼の伯爵だ。
「あの獣臭い餓鬼め、ろくに伝令もできなかったようだな。神獣を倒しもせず、この羽虫を取戻しに来るとは……」
邪眼の伯爵は小さな箱を手に持っていて、それを大事そうに懐にしまった。ちらりと見えた薄い箱の中で、フェアリーは標本のように翅と手脚を伸ばされて、手首足首に細い針を刺され、箱の底に止められていた。悪趣味にもほどがある。
ホークアイは静かにブチ切れながらも冷静で、カウンタマジックをイーグルに、続いてリースにも施す。守られている。
「火山島での、あの日の屈辱──忘れていないぞ!!」
と、邪眼の伯爵は腕を広げて召喚魔法を発動させた。カーミラクイーンにブラッディウルフ、ゴーストたちが複数転移してきて、広いホールを埋める。魔物たちを盾に、邪眼の伯爵は更なる詠唱に入る。紅蓮の魔導師もすぐに魔法の詠唱を始めるが、ブラッディウルフの体当たりに中断せざるを得なかった。ロキがそれを切り捨て、紅蓮の魔導師はロキの後ろに陣取った。
リースが召喚されたゴーストに魔防ダウンをかけて、「イーグルさん!」と合図を送ってくる。なるほど、今のイーグルにとってこの城のモンスターたちは格上だが、リースのサポートがあるのなら。
「────ブレインジャック!」
洗脳支配の魔法だ。さすが闇の城と言われるだけあり、闇のマナに満ちている。
魔物の精神掌握は人間のそれよりもいくらか簡単で、ゴーストの一匹はイーグルの支配下に容易く落ちてきた。それを使って他の魔物に攻撃を仕掛けさせ、リースがもう一匹に魔防ダウンを使ったのを見計らってそいつもブレインジャックで撃ち抜く。
ホークアイはイーグルの側から離れる気がないらしい。近寄ってくる魔物に対処しつつ、隙を見てロキと紅蓮の魔導師にもカウンタマジックを施し、邪眼の伯爵自体はロキ達に任せるつもりのようだ。まぁ、イーグルの今の状態ではいつ何が起こるかわからないので有り難い。
ロキと紅蓮の魔導師は案外上手く連携して、邪眼の伯爵を追い詰めている。イーグルも支配下にある魔物たちに雑魚共の相手をさせつつ、数を減らしていく。
圧倒的だ。カウンター覚悟でカウンタマジックを破壊しても、次の詠唱の間にホークアイがどちらかには掛け直している。邪眼の伯爵に勝機はあるまい。
「くっ……!」
邪眼の伯爵は息を切らして床に膝をついた。どうやら、決着のようである。
ロキがトドメを刺そうと近寄ったその時、突然ロキのカウンタマジックが弾けた。カーミラクイーンのドレインキスが、密かに発動していたらしい。邪眼の伯爵が口角を釣り上げて笑った。
「デススペル!!!!」
力が尽きたふうを装って、詠唱していたようだ。至近距離から闇のマナがロキを襲う。避けられない。即死魔法が正面から直撃する。ホークアイが「ロキさん!」と焦った声を上げる。ここで彼を失っては、デュランに合わせる顔がない。
だが倒れるかと思われたロキは、平然としている。邪眼の伯爵は、ロキを見上げて顔を引き攣らせた。
「な……なぜ」
「──残念だったな。私はもう、とっくに死んでいるんだ」
振りかぶった大剣が降ろされ、邪眼の伯爵の首が飛んだ。
「フェアリー!しっかりしろ!」
残った雑魚の殲滅もロキたちに任せて、イーグルは邪眼の伯爵の死体からフェアリーを取り戻し、手速く丁寧に針を抜いた。フェアリーはかろうじて瞼を震わせて、イーグルの顔を見ると、イーグルの中に溶けていく。
『無事で良かった、イーグル……ありがとう……少しだけ、休ませてもらうね』
と、頭の中でか細い声が聞こえた。失ったマナをイーグルから補充せねば、顕現することすら難しいらしい。
だが、ようやくイーグルの中にフェアリーが戻った。それは、イーグルの運命が再び未知数になり、死神の目が外れたことを意味する。
ホークアイは心底ほっとした顔をして、無言でイーグルの背中に頭を強くぶつけてきた。どれだけ心配をかけていたか、聖域でホークアイの記憶を覗いた今ならば、己のことのようにわかる。きっと、生きた心地がしなかっただろう。
「ふん。これで目的達成か」
と、紅蓮の魔導師がイーグルたちを横目に、疲れを滲ませる。リースが不安そうにホークアイを見た。ホークアイはその視線に気がついて、にこりと人好きのする笑みを浮かべた。
「安心して。こんなところまで遥々来て、君の大切なエリオットを放って帰らないさ」
どうやら、フェアリーを回収してホークアイにも心の余裕が出てきたようだ。無意識だろうが、数々の女子を落としてきた色男の顔と声とで、リースを元気づけようとしている。
「ホークアイさん……ありがとうございます」
「ビルとベンとも約束したしね。エリオットを取り戻したら、君は旅を抜けてエリオットと一緒にローラントに戻りな」
「馬鹿を言わないでください。最後まで付き合います」
「そうか……ありがとう、リース」
と、ホークアイは目元を緩める。
リースはぐっと涙を堪えているように目を潤ませて、頬を紅潮させてホークアイを見つめた。
「あの……ホークアイさん。こんな時ですが、変なことを言ってもいいですか。ずっと──……ずっと、あなたに言いたかったことがあるんです」
「う、うん……」
見るからにリースが緊張しているので、ホークアイにもそれが移ったようだ。明らかに、色恋のピンクの空気が二人の間に漂い始めた。イーグルは内心焦った。
二人とも決定的なことは口にしないだろう、というのは都合の良すぎる見立てだったようだ。祖国はどうする気なんだ。嫁に来れるのならともかく、ホークアイを婿にしたいというなら、イーグルは断固として反対せざるを得ない。止める間もなく、リースが意を決してその可憐な唇を開く。
「ホークアイ、って呼んでもいいですか」
と、リースは耳まで染めて、ホークアイは固まった。
「私ひとり、旅の仲間になったのが遅くて──……ずっと、仲の良いみんなが羨ましかったんですが、呼び方を改めるタイミングを失ってしまって……」
「…………寧ろ、壁感じて寂しかったよ」
「ご、ごめんなさい」
「なんならホークって呼んでほしいな」
「い、いえそれは、イーグルさんに悪いので」
「なんで?呼んでくれよ」
まるでこどものような会話だ。このペースならば、心配せずともこの旅を終えるまでに彼らが好意を伝え合うところまで辿り着くことはないだろう。イーグルはほっとする。
微笑ましいやりとりに、眉間に皺を深く刻んだ紅蓮の魔導師が「やめろ、耳が腐り落ちる」と吐き捨てた。
再びホークアイはトランスシェイプで全員を透明化させ、一行はエリオットを探して城内の探索を続けた。
「あ」
と、何かに気付いたホークアイは身振りでロキに合図を送る。ホークアイが指し示す先には魔物が一匹いて、ロキは音もなく背後から一瞬でそれを屠った。
ホークアイは、「幸先いいね、ラッキーだ」と屈んで魔物が落としたものを拾った。手元を覗き見ると、以前も見た、クラスチェンジアイテムの種だ。
「俺はもう使わないけど、せっかくだからみんなの分集めとこうか」
と、ホークアイは「ほい」とイーグルにそれを渡してくる。ロキがやれやれとばかりにため息をついた。
「……この種は、滅多に手に入るものではない。極めて稀少な代物だ。今のは運が良かったに過ぎんぞ」
「そう?」
「ああ。目論見が甘すぎる。全員分だと?何週間ここに籠る気だ」
と、ロキは説教混じりに苦言を呈した。かつて黄金の騎士として世界救済を成し得たこの男がこう言うのだから、普通はそういうものなんだろう、普通は。
だが幸運なことに、運に関して、ウチのホークアイは普通の豪運ではない。
「お、もう一個ゲット!これでとりあえず全員分か。ハズレや被りも考慮して、理想を言えばあと倍量欲しいトコだが……時間もないし、これくらいにしよう」
ロキと紅蓮の魔導師に次々と特定のモンスターを暗殺させて、ホークアイは種を次々と拾っていくつかをイーグルとリースに渡した。ロキは途中から驚きを見せるのもやめて無言になった。きっと、昔自分が種を集めようとした時の苦労を虚しく思っているんだろう。
ふと、紅蓮の魔導師は足を止めた。
「どうやら、時間をかけすぎたな。この気配……あの化け猫が、帰ってきたぞ」
「美獣が?」
「転送魔法が発動した気配がした。近くにいる」
ぴり、と緊張が走る。倒された神獣の力を吸うため、美獣は外に出ていたはずだ。もちろんイーグルたちの潜入に気付いたから帰ってきたと考えた方がいいだろう。ホークアイは「準備が必要だな」と呟いた。
「イーグル、二匹ほど、モンスター用意してくんない?」
イーグルはリースのマインドダウンの力も借りて、言われた通りになんとかエレメントソードとグレートデーモンを支配下に置いてホークアイに差し出した。ホークアイは「ヨトゥンの血を継ぎし狡知の神よ、その御技を──」などブツブツ詠唱して、それらにボディチェンジの魔法をかけた。すると、モンスターたちはぐにゃりと輪郭を曲げて揺らして、姿形を変える。
そしてモンスターだったものは、ホークアイとリースの姿を取った。あっという間に、ホークアイとリースの形をした、イーグルの意のままに動く操り人形の完成だ。少し指示するだけで、なんでもやってくれる。そう、なんでも。イーグルは、自分が悪党じゃなくて良かったと思った。いや悪党でなくとも男なら、強靭な理性で己を律することのできる聖人でないと、この誘惑に打ち勝つのは至難の業だろう。だがイーグルは打ち勝った。何故なら今が緊急事態で、そんなことができる場面じゃなかったからだ。
何を考えたのか悟られまいと、イーグルは頬肉の内側を噛み締めながら、本物のホークアイが「そいつらを使って、美獣の気を逸らしてくれ」と作戦を話すのを聞いていた。フェアリーと精霊達には頭の中が筒抜けなのは、正直言ってツラい。ホークアイとリースは近くに美獣がいるという緊張感にピリピリしているので尚更だ。
「火と風は吸収されるから使うな。確か土と水を苦手にしてた。紅蓮の魔導師、いけるか?」
「炎しか扱えないと思ってるのか?舐めるなよ」
「そういえば、何ができるのか知らないな。作戦に組み込みたいから、教えてくれる?」
「ふざけるなよ、なぜ私の手の内を晒さねばならんのだ。化け猫のババアはこっちで相手してやるから、ガキはそっちで好きにしろ」
「わかった。じゃあ、任せる」
任せる、というのは強い信頼だ。信じて命運を託すということだ。いつの間にかホークアイは敵だった男にもすっかり心を開いて、昔からの仲間のように扱っている。一言も食い下がらないホークアイに紅蓮の魔導師も片眉を上げて、「ふん」と鼻を鳴らした。
近くにいる、という紅蓮の魔導師の言葉通り、少し廊下を進むと、雰囲気が変わった。
「うう、ううぅ……」
どこからか、子どもの小さな泣き声が廊下に反響して聞こえる。リースは「エリオットの声だわ」と声を震わせた。
廊下の突き当たりの扉が、イーグルたちを誘うように不自然に開いている。顔を見合わせて、イーグルたちはその部屋へと足を踏み入れた。
部屋に充満しているのは、妙に濃い闇のマナだ。華美な装飾の寝室の奥に、異質な鉄檻が鎮座している。
檻の中で泣いているエリオットと、そのエリオットに向けて闇のマナを放出している美獣。その闇のマナがエリオットに絡みつき、その苦痛でしくしくと泣き声を上げていたようだ。
「ふう……邪眼の伯爵の魔力がこの世から消えたから、急いで帰ってきてみれば……そう、お前たちが?」
と、気だるげに美獣はイーグルたちを見た。美獣の手には、マナの剣が握られている。
「困るのよ、ちゃんと神獣を倒してくれないと。こっちも、神獣の力のためにリスクを負ったのだから」
などと意味のわからないことをぼやいている。「リスク?」と呟いたイーグルの顔を見て、美獣は柳眉をあげて目を丸くした。
「へぇ、まだボウヤがしつこく生きてるとは、驚いたな……随分足掻くじゃあないか、運命に。どれだけ抵抗したって無駄なのに、ご苦労様なこと!」
美獣はそう言いながら獣化する。こっちには紅蓮の魔導師とロキがいるのだ、美獣といえど舐めてかかることはできない。美獣はマナの剣からマナをいくらか吸い取って自らのものとし、マナの剣自体は空間転移でどこかに移動させた。いかにマナの剣とはいえロキを相手に剣技勝負に持ち込まれたら勝ち目がないことをもうわかっているのだ。
邪眼の伯爵戦と同じく、ロキが盾役となりながら飛び込み、その後ろで紅蓮の魔導師が詠唱を始める。宙に無数の氷塊が生成され、それが美獣目掛けて飛んだ。随分と規模が大きいが水属性の魔法アイススマッシュだ。
紅蓮の魔導師の詠唱で、急激に気温が下がり、吐く息が白く濁る。反対に湿度はどんどん上がって、過冷却された水蒸気はあっという間に深い霧となって部屋を包んだ。深い霧は視界を奪い、トランスシェイプで透明化したままのホークアイとリースを完全に隠した。
イーグルはホークアイとリースの形をしたモンスターを使役して、美獣とはつかず離れずの距離をとらせる。美獣の気を散らせられれば充分だ。攻撃されれば正体もバレるだろうが、ロキと紅蓮の魔導師を相手にしながらその余裕はないだろう。
もう見失ったが、今頃本当のホークアイとリースのふたりは、透明化したまま、霧に紛れて部屋の中を大回りしてエリオットの元へ向かっているはずだ。
紅蓮の魔導師の大技が部屋もろとも美獣の脚を氷漬けにして動きを封じ、ロキがそれを一刀両断しようと薙ぐ。美獣は尋常じゃない脚力をもって氷を割って跳んだ。空中で一回転しながら衝撃波を飛ばし、床の氷が細かく砕けてキラキラと輝いた。
「驚きだねェ、デカいだけの竜にしっぽブンブン振ってた犬っころ共が、次は人間側につくなんてね!餌をくれれば誰でもいいのかい?!」
「ほざけ、化け猫が!」
紅蓮の魔導師も美獣も黒耀の騎士も、やはりイーグルたちとはレベルが違う。イーグルの魔法耐性では、この極寒の真ん中では動けもしないだろう。
深い霧の向こうで、エリオットの檻の扉が開いたのが辛うじて見える。どうやら成功だ、あとは逃げるだけ。ホークアイはどうやらエリオットにもトランスシェイプをかけたらしく、エリオットの姿もいつの間にかやら消えている。
エリオットが檻から消えたと美獣が気付くのに時間はかからなかった。美獣が跳んでロキと紅蓮の魔導師から距離をとる。ロキの真空剣が美獣を追いかけるが、追い付く前に美獣の詠唱が終わる。部屋の中心部から、全体を巻き込む激しい爆発。爆風は霧を吹き飛ばして、視界がクリアになる。
「匂いまでは、消せてないんだよ!ボウヤ!」
「……!」
美獣の爪による衝撃波がホークアイたちを襲った。ホークアイたちの透明化が解かれ、三人の姿が顕になる。トランスシェイプのダメージ無効化の恩恵で、ホークアイとエリオット、リースは足を止めることなく手を取り合いながら氷の上を走る。王子を奪われまいと追いかける美獣の背中を、紅蓮の魔導師の氷塊が吹き飛ばす。氷塊は砕け散って周囲に吹き飛ぶ。礫がエリオットに当たってはいないかとひやりとしたが、薄い白緑の膜がホークアイたち三人をそれぞれ覆っていて、ホークアイのカウンタマジックが紅蓮の魔導師の氷を弾いているのがわかった。美獣は体勢を立て直すや否や床を蹴り、突進する。マナの剣から吸い取っていた力のせいか、同格の紅蓮の魔導師やロキの攻撃をいくら受けても体力の尽きる気配がない。
引き際だ。目的のお宝を手にしたなら即座に撤退、それが仕事のルールだ。イーグルは支配下の魔物たちを美獣に突撃させて、叫んだ。
「紅蓮の魔導師!転移できるか?!」
エリオットとフェアリーを助けたのなら、とりあえずの目的は達成だ。マナの剣はどこに転移されたのかもわからない。紅蓮の魔導師の空間移動魔法で、全員を連れて逃げるべきだ。
「特殊な磁場だ。ここは殆ど魔界だな。闇のマナが濃すぎてゲートが安定しない。この全員を転送するのは、さすがに──」
「しのご言ってないで、やれ!」
紅蓮の魔導師は不満そうに顔を歪めたが、ブツブツと詠唱に入った。ぐにゃりと空間が歪む。だが、歪むだけで穴の開く気配がない。迫り来る美獣を、イーグルの支配下の魔物たちと、ロキの大地噴出剣が足止めする。焦ったい。
「おい、早くしろ!」
「やっている!」
脱出は無理か、と諦めようとした時、唐突にゲートが開いた。紅蓮の魔導師が「これは──?!」と絶句する。開いたゲートの向こう側から、にゅっと白い手が伸びる。
「どなたか存じませんが、ありがとう。そちらの転移魔法と繋げることができました。皆さん、さぁ早く!」
見覚えのある優男が、ゲートの向こうからこちら側に手を伸ばしている。シャルロットの想い人、ヒースだ。
ゲートが安定していないのは、その揺らぎで一目でわかる。ホークアイたちが真っ直ぐにゲートに走ってくる。いつ閉じてもおかしくないそれに紅蓮の魔導師は先に飛び込み、ヒースの横でゲートの安定化を手伝う。ホークアイたちに合わせて、足止めを担っていたロキも含む全員でゲートに飛び込んだ。
ゲートを通り抜けた先は凄まじい嵐だ。どうやらダークキャッスルの玄関門の外に戻ったようだ。
「おのれ、逃がすものか!」
美獣の腕がぐんと伸びて、エリオットを掴んだ。エリオットの小さな体がゲートに引き摺りこまれる。
イーグルは本能的にエリオットの手を掴んだ。美獣との力比べか、分が悪い。絶対に放すまいと、全身全霊でエリオットの手を握って引っ張る。ロキとリースも、エリオットの体を掴もうとゲートに体を捩じ込んだ。
だがエリオットは、意外なほど強い力でイーグルの手を振り払った。イーグルたちは反動でどさどさと背中から倒れて、濡れた地面に積み重なった。
その瞬間、ゲートは無常にも、バチンと弾けて消えた。ヒースと紅蓮の魔導師は肩で息をしていて、限界だったのだと察する。あのまま上半身だけ捩じ込んだ状態でゲートが弾けていたらどうなったのか、想像するのはやめた。
「くそっ、エリオット、なんで……!」
悔しさについ悪態が出る。手を振り払われた瞬間、幼さに似合わない強い意思をエリオットの目の光の中に見た。あの王子は、高潔にもイーグルや他の者を巻き込むまいとしたのだ。
「どうするホーク、危険だが戻るか?それともいったん体勢を立て直すか──……ホーク?」
ホークアイはリースの腕を掴んで、背中に隠れるように身を寄せて青い顔で震えていた。強烈な違和感に、イーグルの心臓は大きくどくんと跳ねた。リースも青い顔をしている。
「ぼ、ぼく……」
と、聞き慣れない声がホークアイの震える口から発せられた。まだ変声期も終わらない、高い声である。
みるみる内にホークアイの輪郭はぐにゃっと曲がり、あっという間にエリオットへと姿を変えた。魔法の効果時間が切れたのか、術者と距離が離れすぎたのか、あるいは術者に何か起こったのか。いずれかの理由で魔法が解けて、本来の姿に戻ったのだ。リースは顔色を失ったまま、声を震わせる。
「っ、ほ、ホークアイは──、敵を錯乱させるためだと、言って、……」
ボディチェンジとトランプシェイプの重ねがけ。ホークアイは自らをエリオットに、エリオットを自らの姿へと変え、その上にトランスシェイプを重ね、二重にエリオットを隠したのだ。ご丁寧にカウンタマジックまで重ねて。功を奏して、美獣はまんまと騙された。イーグルの手を振り払ったのは、ホークアイだった。
イーグルの中の何かが焼け切れて、リースの「ごめんなさいっ、まさか、こんなことになるなんて──」という泣くような謝罪が遠くに聞こえる。
イーグルは即座に踵を返して、ダークキャッスルへと戻ろうとした。イーグルの肩を掴んだのはロキだった。
「死にに戻るのか?やめておけ、犬死にだ」
「放せ!ひとりでも助けに行く!」
肩を掴む力は痛いほど強く、振り払えない。苛々してくる。睨みつけるが、動じない。駄々をこねる子どもを見る親のような目が兜の隙間から見えて、更にイーグルを苛立たせる。
多少は回復してきたらしいフェアリーも『ま、待ってよイーグル……お願い、冷静になって。向こうも警戒している今、また乗り込むなんて無茶だよ!』と脳内で騒ぐ。リースだけが「イーグルさん、私も行きます」と震えながら言った。
「でも……でも、先にこの子を、安全な場所に運ばせてくれませんか。お願い、します……!」
「!」
リースを振り返ると、その腕の中には、まだ幼く戦う術もない少年が震えていた。結果的に、ホークアイはこの少年の身代わりになった。
いくらホークアイが甘ったれだからって、自己犠牲なんて馬鹿な思想はホークアイになかった。聖域でマナの剣を通し、あいつの心を見たから断言できる。あいつは、今世こそイーグルと共に生きたいと、心から願っていた。望んであんな選択をするわけがない。きっとエリオットを演じて、隙だらけの美獣に一泡吹かせてやろうとしたに違いなかった。ある意味では、成功している。最悪の形でだ。
リースはエリオットの肩をぎゅっと抱きしめる。ホークアイがその身を賭して守ったその少年は、長い監禁で頬は痩け、眼窩は窪み、髪も肌も荒れ果てて、顔色も悪い。その生気を感じさせないほどやつれた様子は、美獣から救出したばかりのジェシカを思い起こさせた。
ジェシカの兄として、リースの気持ちは痛いほどにわかる。もしも自分がリースの立場だったなら、イーグルとて城に戻る決断はできないだろう。
ヒースがエリオットの顔に手を伸ばし、治癒術を使った。
「ホークアイさんは、この子を危険に晒すのを望まないのではありませんか。ひどく衰弱しています……ウェンデルで、神官たちの治療を受けた方がいいでしょう」
ヒースのヒールライトで、エリオットの顔色がほんの少し改善する。温かなマナに触れて極度の緊張が解消されたのか、エリオットは気絶するように眠った。体も心も限界を迎えていたに違いない。崩れ落ちる小さな体をリースが大事そうに抱える。
「……──くそっ、くそぉおおおっ!」
肌を刺すように吹き付けてくる豪雨と暴風が、イーグルの咆哮をかき消した。
黒きこ「おいおいおい、なんだこいつは!王子はどうした!」
美「ああっ申し訳ありません、黒の貴公子様!このコソ泥が──」
黒きこ「言い訳するな、この役立たずめが!私の新しい器を用意するだけのことにどれだけ時間がかかってる?ローラントの王子が欲しいというだけなのに、盗賊団のボスの予定を調べるところから始めおって──馬鹿か貴様は!」
ホ(ほんっと遠回りだよな……いったい何したいのかわからんかったもん、まじで)
黒きこ「この無能!その頭に詰まっているのは脂肪か?!こい、こうしてやる!」
美「あっ、ああっ、黒の貴公子様──……♡♡♡」
ホ(あ、あー……美獣お前、そういう……?!)