イーグルの調子の悪さは、多少体を休めた後も治らなかった。サルタンへの道中、何度も窮地に陥ったのをホークアイに助けられ、イーグルは情けなさに打ちひしがれた。
時には慣れているはずの砂地に足を取られ、時には後ろに迫る魔物に気付くことができず、時には頭上から落石がイーグルを襲った。普段であればこんな道程は傷一つなく素通りできるはずなのに、間一髪ホークアイに助けられなければ、命をいくつ落としていたか知れない。
何よりも嘆かわしいのは、イーグルが繰り返すミスをフォローするために、ホークアイまでもが気を張りつめているということだ。自分のせいで、ホークアイに負担をかけてしまっている。現在、イーグルは明らかにホークアイより体力もなければ機敏さもなく、勘も働かないし役にも立たない。
丸一日走り通し、無事にサルタンについた時には、双方が疲れ果てていたのも当然だった。
「まっ、たまには調子が悪い時もあるさ。俺、レベル99みたいなもんだから任せてよ」
と、ホークアイに明るい調子で慰められる。
実際、ホークアイはかつてのホークアイに比べて見違えるほど強かった。例えイーグルの調子が万全だったとしても、今のホークアイに敵うとはまるで思えない。
追い詰められた実戦経験というものは随分と人を変えるらしい。盗みの腕ならいざ知らず、かつては戦闘という分野でホークアイに負けることはなかったため、イーグルはこの悔しさをどう処理すればいいのかわからなかった。
何の為にこんな甲冑を着ているのだろう。守りたいものに守られて、なんて情けない。
ホークアイは弟扱いされるよりも親友と称するのを好むが、イーグルはホークアイを弟同然だと思っている。物心ついたときにはすでに傍に居て、ジェシカのように華奢で小さかったホークアイをずっと守ってきた自負があったのだ。
ふがいないにも程がある、とイーグルは内心で歯を軋ませる。
ホークアイはイーグルが歯噛みしていることを知ってか知らずか、「でも、戻ってくる前の方が強かったよ。筋肉が記憶についてきてないって感じで、どうも体が重くて……」と不満そうに肩を回していた。
サルタンの港では、ナバール盗賊団が義賊としての方針を鞍替えし、貧しい者に金品を配るどころか見境なく略奪を繰り広げているという事実はもう全ての船に行き渡っているようで、船の警備は厳重だった。一般人に紛れて定期船の切符を買って、波止場を歩く。目当てのパロ経由ジャド行きの船は、出港しようとちょうど帆を上げているところであった。
「……じゃ、打ち合わせ通り、イーグルはパロで降りてローラントへ。俺はアストリアの村人を逃がしに行く。終了次第、ジャド集合。獣人がすでにジャドに来てる場合、出入り口は封鎖されるが、夜になれば警備が薄くなるから。くれぐれも気を付けて」
その時、頭上からバキッと何かが砕けるような音が波止場に響き渡った。何事だと見上げると同時に、イーグルの頭上に巨大な何かが降ってくる。避けることもできたが、人のように見えたので、つい受け止めようとしてしまった。イーグルはその落ちてきた太った巨体を受け止めきれず、その人物の下敷きとなり桟橋に倒れ込んだ。騒がしい港に、誰かの悲鳴が響く。
古くなっていたメインマストのヤードの一つが、帆を張っていた大柄な水夫の体重を支えきれずに、折れたのだった。砕けた木片がパラパラと周りに散る。
「イーグルッ!」
「いてて、俺は大丈夫だ。それより、あんた、大丈夫かっ?」
イーグルは上体を起こし、身動きひとつしない水夫の肩を揺すった。頭を打ったのか、意識ははっきりとしないようだが「うう……」とうめき声を上げる。かなりの高さだったから、イーグルが衝撃を緩和しなければ彼は死んでいたかもしれなかった。
「おいっ、ヤードがっ!」
と、船の上から水夫のひとりが、空を指差して叫んだ。イーグルとホークアイも釣られて見上げると、折れたヤードが様々なロープに引っかかって、宙に浮いている。次の瞬間、ヤードを支えていたロープの一本が切れ、それは振り子のように真っ直ぐイーグルの頭を目掛けて、折れた切っ先を振り下ろしていた。
朦朧としている水夫の巨体の下敷きとなり、動くこともままならないイーグルは眼を見開く。鋭利な木の切っ先が目前に迫った時、横から勢いよく押し倒された。頭を打って、一瞬視界が白く飛んだ。
「おおっ」と、感嘆の声が各方から漏れる。間一髪、ホークアイに突き飛ばされたのだ。またもやホークアイに助けられてしまった、とイーグルは情けなく思いながら、打った頭を抑えた。血の気を引かせて、悲愴な表情のホークアイがイーグルの顔を掴む。
「大丈夫かっ、イーグル!」
「ああ、大丈夫だ。お前のおかげで、怪我はない。また助けられちまったな」
多少頭は痛むものの無傷である。ホークアイを安心させようと微笑むと、ホークアイの顔は今にも泣きそうに歪んだ。
折れたヤードと気を失った水夫を船員たちが回収し、ざわざわとふたりの周りに人々が集まってくる。ナバールに追われている身の上としては、目立つ行動は控えたかったが後の祭りだ。港の男たちは「危なかったな、」「よくやった!」などとふたりに声をかけてきたが、ホークアイはらしくもなく動揺して言葉を失ったままだ。
船大工たちが慌ただしく修理に向かい、船はしばらく出航しそうにない。イーグルは「何処かで休憩しよう」と未だ泣きそうに顔を歪めているホークアイの腕を取った。
ぬるり、と滑った。
驚愕して手を離すと、イーグルの手のひらは真っ赤に染まっていた。べったりついていたのは、ホークアイの腕からどくどくと溢れる血だった。イーグルはさあっと血の気の引く音を聞いた。
「お前!すごい怪我じゃないか!」
「あ……あぁ、気がつかなかった……」
ホークアイは平坦な様子で「うわ結構酷いな」と肉のえぐれた腕を見た。イーグルを庇った時に、ヤードの折れた先が引っかかったのだ。大きな血管を傷つけたようで、今も傷口からは、どくっ、どくっと鼓動に合わせて血が溢れている。
「大丈夫、飴なめときゃ治るさ……」
「治るか馬鹿!来い!」
「いてっ、ちょ、怪我したとこ掴んでる掴んでる」
「止血してんだよ、馬鹿」
イーグルはホークアイの腕を掴んで波止場から離れ、人目のつかない場所に入るとホークアイの傷口に手を翳した。意識を集中させ、周囲のマナを集める。
「ヒールライト!」
詠唱の完了と共に、みるみる内にホークアイの腕のえぐれた肉がくっついて、真新しい皮膚に覆われた。光のマナの特性のひとつには、生命の治癒力の活性化を促すというものがある。イーグルの最も得意とする魔法であった。
イーグルはナバール出身の者にしては珍しいことに、魔法の才能に恵まれた。様々な種類の魔法がある中で回復魔法に重きを置いたのは、ひとえに、生傷の絶えない弟兼親友がいるからだった。
念の為にもう一度重ねておこう、とイーグルが再びマナに意識を持っていくと、その気配を察したホークアイが止めた。
「やめろって、魔力だって無限大じゃないんだ。勿体無い」
「しかし……」
「もう塞がったよ、ありがとう」
ほら、とホークアイが腕を上げて血に塗れた上腕を手のひらで拭った。えぐれて肉と血管が覗いていた場所には、滑らかな皮膚がある。傷口は確かに塞がっていたが、外に出た血までは元に戻せない。ぐっしょりと赤く濡れた服が、出血の多さを物語る。
イーグルは唇を噛み締めた。自分の不注意で自分が怪我をするのならば、自業自得なのだからそれで良い。だが、助けられ、あまつさえこんな怪我まで負わせてしまうとは!
「ありがとうは……こっちの台詞だ!本当に、すまん。俺が不注意なばかりに、お前に怪我を……」
「違うんだ、お前は悪くない」
「いいや、俺のせいだ。元はといえば、水夫を受け止めようとした俺の驕りが」
「お前のせいじゃないっ!!」
イーグルの謝罪を遮って、ホークアイが怒声にも近い声で叫んだ。イーグルは驚いて黙った。ホークアイはすぐにハッと我に帰って、「悪い」と、顔をくしゃりと歪めた。イーグルは何か言おうとして、「いや……」と、口ごもる。仕方がないのかもしれないが、ホークアイが未来から帰ってきたあの日以来、ホークアイが何を考えているのか、わからなくなることが増えた。それを仕方がない、と割り切るのは嫌だった。
「……大丈夫か?お前」
「……ちょっと、考え直したんだけどさ」
少しの沈黙のあと、ホークアイは戸惑いを声に浮かべながら言った。
「やっぱ、別行動はやめよう。一緒にローラントに行こう」
「……やはり、俺は頼りないか」
イーグル自身、ホークアイがそう言い出すのではないかと危惧していた。この助けられてばかりの現状を考えれば、イーグルをひとりにして、ローラントの人々を任せるなんてホークアイには不安に違いないのだ。ホークアイがそう言い出すのは当然で、仕方がないことだが、やはり言葉にされると苦しいものがあった。あまりに情けなくて、己を許せそうにない。
しかしホークアイは焦るように首を横に振り、イーグルの言葉を否定した。
「違うんだ、そうじゃなくて……実はナバールを出る時から、ずっと心に引っかかってる言葉がある。前の時に、占い師のばあさんに言われた言葉なんだが──」
と、ホークアイは苦々しく呟く。
「運命は99パーセント、予め決まってる、らしい。そのばあさんは、1パーセントだけど希望は残ってるから最後まで諦めるなって、そういうつもりで言ったんだと思う。でもそれは逆に言えば、99パーセント、運命は覆らないってことなんだ。そんなことは有り得ないって信じたい。でも、お前の状況を考えると──……」
と、ホークアイは手で顔の片側を覆った。手のひらで血を拭ったことを忘れていたのか、べっとりとその顔に血が付着する。
イーグルはホークアイの言いたいことをようやく察した。
「……俺の、死ぬ運命が覆されてはいないということか」
いくら古い船だとはいえ、メインマストのヤードが折れるなどよっぽどのことだ。ましてや、その折れた切っ先に突き刺されそうになるなど。ナバールを脱出してから何度死にそうになったか、早くもイーグルはその回数を数えるのをやめたほどだ。
ホークアイは悔しさに唇を強く噛んで、「そうだ」と告げた。
「ナバールを脱出する前……お前が足掻く気もなく処刑を受け入れようとしていたのも、その一環だったのかもしれない。運命がお前を殺そうと、お前の意識の中にまで働いてる。そんな気がして、恐ろしい」
「……あれは──」
そうではない、と言い切れないことに気が付いてイーグルはぞっとした。あの時、ホークアイに殴られて、霧が晴れるように、目が覚めたような心地がしたのだ。俺らしくもなかったと、そう思ったのは確かだった。自分の頭で考えていたはずなのに、今は何故自分が死のうとまで思っていたのか、わからなかった。
ホークアイに手をきつく握りしめられ、その痛みにイーグルは顔を上げた。ホークアイの金色の目が、ぎらぎらと強い光を湛えて、イーグルを映している。映る己の顔は、眉尻の下がった情けない表情をしていた。
「イーグル。お前を、殺させやしない。お前は俺が守る。必ず──……」
血まみれの姿で思いつめたように告げるホークアイに、イーグルは是非を返すことができずに黙るしかなかった。
もしも己が運命によって死を義務付けられているというのなら、この不運や疲労、そしてホークアイへの負担は、己が死ぬまで続くのだ。
*****
黒の貴公子の手によって命を絶たれて、目覚めると、アンジェラはアルテナの己の寝室の中だった。かつては見慣れていた高級品の毛布にくるまっていて、心地よさが懐かしい。エンドテーブルには豪奢な装飾の水差しと薄いガラスの花瓶、その中には鮮やかな色の花が数輪、今朝摘んだばかりの瑞々しい様子で活けられている。
一体、どういうことなのだろう。黒の貴公子の手によって、己は殺されたはずだった。もう立ち上がることもできず、痛みとも寒さともとれない感覚の中で、確かに己の死を感じたのに。
アンジェラはベッドから出て、状況を思い出そうとした。己には確かに手足があり、その感触も確かにある。最高級のカーペットの柔らかな感触を裸足で踏みしめ、幽霊などではない、と少し安心する。
アンジェラは窓に近寄り、窓の外を見た。
穏やかな気候であった。空は青く、街並みは美しい。アルテナは極寒の中の国だが、アンジェラの母、理の女王の強大な魔力によって温暖な気候を保っており、城の中庭には色とりどりに春の花が咲き乱れていた。
母によって死を宣告されて逃げ出してから、一度たりとて帰ることのできなかった故郷である。懐かしい、見慣れた風景に、アンジェラの眼には涙が貯まる。もう一度この窓からこの街並みを見ることができるとは、夢にも思っていなかった。
扉がとんとんと控えめにノックされ、「失礼します」と美しい金髪の青年が部屋へと入ってきた。アンジェラの世話係の一人、ヴィクターだ。ヴィクターはアンジェラがまだ寝巻き姿であることに気がつくと、「あっ」と頬を赤く染めて目を両手で覆った。
「ひっ、姫様!まだ、そんな格好をしているんですか!もうすぐホセじいの魔法の授業ですよ!さっさと着替えてくださいよ!」
「魔法の授業……」
なんて悠長なことを言っているのだろう、とアンジェラは世話係の青年に呆れ返った。黒の貴公子によって、世界は魔界へと変わろうとしているというのに!
「ヴィクター、何で私はアルテナにいるの?ホークアイやシャルロットは何処?黒の貴公子は?世界はどうなっちゃったの?」
アンジェラの言葉に、ヴィクターはキョトンとその青い目を瞬かせた。
「姫様、寝ぼけてらっしゃるんですか?今日はどんな夢を見られたんです?」
「…………いいわ、自分で探す。どいて」
話しが全く通じない。話していても無駄だと察したアンジェラは自室を出ていこうとするが、「あぁっ、寝巻きのままで!」と、ヴィクターによって止められる。
その時、ドォンと大きな爆発音が城の中に響いた。驚いてバランスを崩したアンジェラの肩を、ヴィクターが支えた。
「まっ、まさか、黒の貴公子が……?!」
「だから、その黒の貴公子って誰です?今のは多分、兵士たちの魔法の訓練の音ですよ。最近、紅蓮の魔導師殿による訓練が、どんどん激しくなってきていますからね……怪我人も出ているんですよ。僕は、やりすぎじゃないかって思うんですけど」
「紅蓮の魔導師ですって?」
紅蓮の魔導師は、もう随分前に死んだ。確かにこの目でその遺体を見たのだ。黒い騎士の足元に倒れる、血に濡れた真っ青な顔色の、その遺体を。
あの場には魔導要塞ギガンテスと共に多くのアルテナ兵も動員され、多くの死者を出した。ヴィクターがそれを知らぬはずもない。いったい何を言っているのか、と言葉も出ないアンジェラの驚愕した様子には気付かず、ヴィクターは緩やかに言葉を続ける。
「いよいよ、戦が近いってことなんでしょうね……戦争なんて、嫌だなぁ。でも、マナがなくなってしまったら、魔法王国のアルテナにとっては存亡の危機ですもんね、仕方ないんでしょう。フォルセナへの侵攻も、もう時間の問題でしょうね……あれっ、姫様、どうしたんですか?」
「あ、あたし……」
随分と懐かしい話題だ。声が震える。アンジェラはうっすらと己の置かれた状況を察した。
「姫様、お顔の色が真っ青ですよ……体調が悪いのなら、はやく言って下さい!今日の魔法の授業は中止だって、ホセじいに伝えて来ますね。今日は、安静にして寝ていて下さい」
ヴィクターは呆然自失とするアンジェラを半分担ぐように引っ張って無理やりベッドに押し込めて、来た時と同じように「失礼します」と声を掛けて出て行った。アンジェラは言葉もなくその姿を見送る。
何か、悪い冗談に違いなかった。己は確かに殺されたのだ。これが死後の世界だと言うならば、なんと生温い世界なのか。まだ戦争も起こらず、母に死を宣告される前、満たされないが凪のように幸せだった時代そのものだ。
しかし、これが過去だと言うならば。己は再び母に死を宣告され、辛く険しい旅に出なければならない。そんなのはごめんだった。
夢であって欲しいと泣いているうちに、泣き疲れてアンジェラはいつの間にか眠ってしまった。
日が落ちた頃に、アンジェラは目覚めた。涙の乾いた跡がパリパリとしていて心地悪い。薄暗いが、アルテナの自室であった。
「夢じゃないんだ」
小さな声は薄暗い部屋の中に吸い込まれて消える。声に出して呟いて、アンジェラは苦しい現実を受け止める。
勇気を出すのよアンジェラ、と己を奮い立たせる。あたしはもう一度やり直すために戻ってきたの、と覚悟を決める。
旅の仲間だった盗賊の青年やハーフエルフの少女の顔を思い出すと、不思議と背筋が伸びた。彼らに格好悪いところを見られるわけにはいかない。彼らもまた戻ってきているのだとしたら、彼らもまたやり直そうと旅立つに違いない。戦争を止めようとするに違いない。
アンジェラは寝巻きを着替えて、部屋の外に出た。一直線に、理の女王、母ヴァルダの元へと向かう。アンジェラの言葉など聞いてはくれないかもしれないが、それでも話さぬわけにはいかない。
兵士たちの制止を振り切って謁見の間に乗り込むと、女王の椅子に座ったヴァルダの横には紅蓮の魔導師が控えていた。アンジェラの足は一瞬恐怖に竦むが、勇気を振り絞って、「お母様!」と力強い声で言った。
ゆっくりとこちらを向いたヴァルダの目を見て、アンジェラはぞっとした。母親は昔からこんな目をしていただろうか。底知れない闇のように虚ろな瞳孔。確かに目が合ったのに、その瞳にアンジェラは映っていない。
女王としての職務を優先し、幼い頃から構ってはくれない母だった。寂しくて泣いた夜も数知れず、愛されていないのではないかと不安を抱えていたのは確かだった。
だが、こんな冷たい目をした母は知らない。母はいつも、もっと、厳しくも優しい目をしてアンジェラを見た。
力強くあたたかい母のマナが、毒々しいマナによって抑制されていることに気付いてアンジェラはハッとした。
一度目では気がつくことのできなかった、母親のマナの差異。母親の意識は、ここにはない。邪悪な者によって操られている。
アンジェラに生贄になれと宣告したあの時のヴァルダの言葉は、ヴァルダ自身の言葉ではなかったのだ。
突然息を呑んで黙り込んだアンジェラに痺れを切らし、紅蓮の魔導師が前に出た。
「やれやれ、ご乱心ですかなアンジェラ王女。しかし、呼ぼうとしていたのでちょうど良かった。私から説明しよう。我らはマナストーンのエネルギーを放出せねばならない。その為の触媒として――」
「あんたなのね、紅蓮の魔導師。あんたが──……」
母から漏れ出る、邪悪なマナ。そのマナと同じマナを、紅蓮の魔導師からも感じた。
その禍々しいほどの邪悪なマナが紅蓮の魔導師本人の物なのかは怪しい。しかし、母の精神を乗っ取っているのはこの男だと本能的に察する。
そして、現在の紅蓮の魔導師と自分自身の力量の差も、ありありとわかってしまった。精霊に力を借りなければ魔法のひとつも満足に使えない自分。片や精霊の助力なしに、理の女王の強大な魔力を抑えつけ傀儡に仕立て上げることのできる紅蓮の魔導師。今ここで紅蓮の魔導師を討とうとしたところで、殺されるのは目に見えている。
母が心神喪失の今、アルテナの実権を握っているのはこの男だ。かつてはアンジェラと同じように全く魔法の使えぬ劣等生だったのに、放浪の旅を経て何らかの方法で強大な魔力を手に入れ、アルテナに戻ってきてからは母に継ぐ権力を手に入れた。魔法王国であるこの国では、魔力の大きさが権力に比例する。
王女といえど、魔法が使えないアンジェラは軽んじられ続けていて、元々発言権も居場所もなかった。聴こえない振りをし続けて来たが、家臣らに裏で嘲笑されているのも本当は知っている。この男の言いなりとなって開戦しようとしているアルテナ兵たちも、誰ひとりとしてアンジェラの味方になってくれはしまい。
アンジェラは、この国でたったひとりだ。アンジェラは心の内でかつての仲間たちの名前を呼んだ。ああホークアイ、シャルロット!あんたたちさえいれば、こんな男なんか怖くはないのに!
紅蓮の魔導師は嘲るような表情から一転してアンジェラを睨みつけ、「私が……何かな?」と冷たい声で言った。アンジェラは首を横に振った。
「いいえ、なんでもないわ……紅蓮の魔導師、マナストーンのエネルギーの放出と言った?その件なら、あたしがやります。これでも理の女王の一人娘。お母様、アンジェラは立派にやり遂げて、王家の娘としての責務を果たしてみせます」
母の反応は当然ないが、紅蓮の魔導師は意外そうに片眉をあげた。値踏みするようにじろじろと見られ不快だったが、アンジェラは純真無垢な顔を作って母を見上げる。
紅蓮の魔導師は「元々、そのお願いの為にお呼びしようとしていたのだ」と優しい声音を作って言った。
「それはそうと……禁呪の代償については知っているのか?」
「代償?」
「いや、禁呪のやり方についてはまた知らせよう。アンジェラ王女、アルテナの未来は王女の手にかかっていますよ、ふふふ……」
マナストーンの封印解除の禁呪をした者は死んでしまうということを知らずにアンジェラが請け負ったと紅蓮の魔導師は思ってくれたようだった。触媒にする手間が省けた、と喜んでいるのが伝わってくる。
勿論アンジェラにはマナストーンをどうこうするつもりなど一切ないが、アルテナを出る口実は必要だった。前回は魔力の暴走によりワープしてしまって、気が付けば零下の雪原をさ迷っていたのだ。再現性は全くない。
「早速、雪原に出る準備をしなくては。……あたし、お母様とアルテナのために、一所懸命、頑張るから──……お母様、夜分に失礼いたしました」
と、アンジェラは空っぽの母に礼をして、謁見の間を退出した。
自室に戻り、旅路の準備をする。何が必要で何がいらないのかの判断はもう慣れたもので、最小限の荷造りを手早く済ませる。
昔はこんなことさえ満足にできずに、仲間の青年に世話を焼いてもらってばかりだった。いつからだっただろう、自分でできるようになったのは。彼らに、一刻も早く会いに行きたい。
アンジェラが荷造りを終えて自室を出ようとすると、バタンと勢いよく扉があいて、「姫様!」とヴィクターとホセと転がり込んでくる。
「姫様、ああ、禁呪をするって本当ですか?!禁呪を行った者がどうなるのか、紅蓮の魔導師は教えてくれなかったのですか?!」
動揺しきったヴィクターが早口にまくしたてた。ホセは年寄なのに全速力で走って来たのか、ぜえぜえと肩で息をしている。アンジェラはホセの丸まった背中をさすってやりながら、「死ぬんでしょ、知ってるよ」とあっけらかんと言った。ヴィクターとホセはぎょっと目を見開いて驚く。
「ええっ御存じなんですか?!じゃあ何で!」
「あんたたちだから言うけど、本当は禁呪なんてやる気は一切ないの。あたしがやるって言わなくても、紅蓮の魔導師はあたしを触媒にする気でいた。だから、やります~って言って逃げるの」
「王女を触媒に……!?そんな馬鹿な……」
「魔法の使えない王女様なんて、王家の恥だからね。アルテナの国益となる大魔法を使って名を残せれば、女王の娘として、相応しい散り様──」
それは前回、母の言った台詞だった。そう言われて、頭が真っ白になって魔力が暴走したのだ。
ホセは顔色を真っ赤にして、首を横に振ってアンジェラに訴えた。
「それは有り得ませんじゃ、姫様。理の女王は確かにあなたを愛しておられます。不器用なお方ゆえ、姫様には伝わっておらぬやもしれぬ。じゃが、あのお方が我が子を生贄にしようなど、天地がひっくり返っても有り得ぬことですぞ、姫様……」
ホセのしわくちゃの震える手が、アンジェラの手を握った。その温かさが沁みて、視界が潤む。
母は、アンジェラを殺そうとなどしていなかった。今は、それがわかる。
「──ありがとう、ホセ。そんなワケないって、今ならわかる……でもあたし、やることがあるから、行かなきゃ。仲間もいるから、心配しないで」
「姫様……!?」
アンジェラはヴィクターとホセを振り切って、アルテナを出るために城門へと向かった。
紅蓮の魔導師の傀儡となってしまった母を、何とか元に戻してやりたい。そのためには、紅蓮の魔導師に打ち勝つ以上の魔力と、以前のような精霊たちの協力が必要だ。アンジェラが強力な魔法使いとなったとアルテナ兵たちに示すことができれば、王女としての話を聞いてもらうこともできるだろう。今のアンジェラでは、戦争を止めろと言うことさえできない。
アンジェラには、かつての旅の中、ホークアイやシャルロットのように倒したい仇がいるわけでも、何か守りたいものがあるわけでもなかった。もしもマナストーン開放の人柱として殺されかけるようなことがなかったなら、アルテナから旅立つこともなく、自国の仕掛ける戦争をただ傍観者として見ていただろう。
かつてアンジェラがアルテナを出たのは、魔力が暴走した事故に過ぎなかった。アンジェラが聖剣の勇者の一行に加わったのも、魔法を使えるようになって母に認められたい、ただそれだけが理由だった。
だが、今回は己の意思でアルテナを旅立つ。アルテナの開戦は、神獣を目覚めさせる、世界の破滅への狼煙なのだ。
*****
出港は遅れたが無事にサルタンを出航し、パロに辿りついたイーグルたちは時間を惜しんで天かける道を登った。
砂漠で生きてきたイーグルにとって、こんな薄い空気も、険しい斜面も初めての体験だった。対して、ホークアイにとっては前回の旅路で何度も往復した道であるらしく、足運びも慣れたものだ。足場が崩れ転落しかけてしまうなどの事故も交えつつ、ホークアイに助けられながらローラント城を目指してバストゥークの厳しい山岳地帯を進む。
離れた斜面の下にいくつかの人影を発見したのはイーグルが先だった。妙な装備をつけているが、見慣れた顔ぶれである。ナバールのニンジャたちだ。
「どうも俺たちを追ってきたって様子じゃないな……斥候部隊か」
「それもあるけど、あの装備……眠りの花粉の採取だろう。風をとめ、花粉をばら撒くつもりなんだ」
「どうするホーク、片付けるか?」
数はざっとみて七人。イーグルには慣れない地形ではあるが、それは小隊の連中にとっても同じだ。不意を付けば倒せない数ではない。
しかしホークアイはじっとイーグルを見つめて、首を横に振った。
「いや、少しでも危険なことは避けよう。それに、先遣隊と連絡が取れなくなったら本隊も警戒する」
その真意が運命に引き摺られ続けるイーグルを心配してのことなのは明白だったので、イーグルは肩を竦めて同意する。
ナバールの小隊は花畑近くの中腹で野営の準備を始めた。大回りしてそのキャンプを避け、イーグルたちは登山を再開した。
ローラント城にほど近い斜面で、イーグルとホークアイはアマゾネスの小隊とかち合った。城周辺の魔物退治を行っていたらしい彼らは、イーグルたちを見るや否や血相を変えて取り囲み、槍の切っ先を向けてきた。
「貴様ら、何やつ!ローラントの者ではないな!」
「その肌、その乾いた砂の匂い。砂漠の者が何の用だ!」
「まさかナバールの者ではあるまいな。義賊の盛名を捨て、悪逆非道の略奪を見境なく繰り返していると聞いているぞ」
「まぁまぁ落ち着きたまえよ、お美しいお嬢さん方。俺たちは確かにナバールの人間ではあるが、既に同胞からは追われる身。ジョスター王に、大事な話があるんだ!」
ホークアイはイーグルの前に出て、敵意のない印に両手を上げた。ナバールが変わったという話は、海を越え山を越えローラントまで届いているらしい。
「みんな、待って。私が話を聞きます」
と、清涼な声を響かせてアマゾネスたちの前に出たのはまだ年端も行かぬ美しい少女だった。地面にも届こうかという金髪を緑のリボンで緩く束ね、風に遊ばせている。年少なれど、この少女がこの集団を率いていることが見て取れる。
その少女を視界にいれ、ホークアイは明らかにホッとした様子で表情を緩ませた。
「ああ、リース!助かったよ」
「……ホーク、馬鹿」
「あ」
なんて迂闊なホークアイ。周りのアマゾネスたちがざわりと警戒を露わにする。
リースと呼ばれた少女は厳しい表情で長槍をホークアイに振り下ろした。切っ先はホークアイの鼻先数ミリでピタリと止まる。殺気がなくて良かった。危うく、庇って動いてしまうところだった。
少女はピリピリと空気を張り詰めさせて、ホークアイを睨みつける。
「……怪しい男。何故私の名を?」
「……名だたるローラント王国の姫君のことくらい、存じ上げてますとも。弱冠十六の身空で、あの勇猛果敢なアマゾネス軍を束ねているって、知らぬ者などいないでしょ?盗賊あがりの下賎な身、失礼ながらうっかり敬語をつけ忘れました、ご容赦を……」
と、ホークアイが恭しく少女に膝を付いて頭を下げたので、イーグルも渋々前に倣う。イーグルには、ホークアイの様子はまるで少女をからかうようにも見えた。だが他人の目には引っかかるほどでもないらしく、少女は長槍を下ろす。
「……父への用件なら私が聞きましょう。顔を上げなさい」
と、少女はホークアイの言を認める。本当に、この少女がローラント王国の姫君であらせられるらしい。
イーグルは、正直、見えないなと思った。お姫様の典型的なイメージをいい意味で裏切られた。スプーンより重いものは持たないような、深窓のお姫様像は偏見だったらしい。
彼女は金髪も肌も健康的に日に焼いて、細身ながらもしなやかな筋肉を纏い、体躯のバランスは戦士のそれだ。ダガーなどより遥かに重い長槍を振り回し、狙った鼻先数ミリにピタリと止める腕力と握力、体幹の良さ。アマゾネスを率いているというのも、ただのお飾りという訳ではなさそうだ。部下でもあるアマゾネスたちに鍛え上げられて、王女というよりは武人の貫録さえ醸し出している。しかし頬にはまだ甘い丸みが残り、成長過程の身体はどこか危うくもある。
ホークアイは顔を上げてリース王女を真っ直ぐに見つめて、ニキータを見るときのように優しく目を細めたので、おや、とイーグルは内心驚いた。ホークアイはわざとらしい慇懃さを崩さずに言葉を続ける。
「リース王女様。ナバール盗賊団はナバール王国へと名を改め、ローラントへの侵略を目論んでおります。我々は、ジョスター王に警告に参りました」
ざわりと周りのアマゾネスたちがどよめいた。リース王女は無表情を装うが、動揺は顔に出ている。
「その言葉、真ですか?」
「山の中腹まで降りて下されば、斥候のキャンプが確認できるでしょう。しかし侵略はナバールの本意ではありません。どうか、ジョスター王に全てを説明させてもらいたい」
リース王女が言葉を失う中、血気盛んそうなアマゾネスがひとり、ホークアイの眼前に槍を突きだす。
「白々しい!お前らこそが斥候で、言葉巧み
に城内に入り込むつもりなのであろう!リース様、この様な下賎な盗賊の話をまともに聞いてはいけません」
「いいえライザ。この話、私がここで切って捨てるにはあまりにも……」
と、リース王女はアマゾネスをライザと呼んで推し留める。数人のアマゾネス達と少し相談をしてから、リース王女はイーグルたちに向き直った。
「わかりました。父に話を通しましょう。しかし、あなた達は拘束します。所持品は全て預かり、城内では目隠しさせて貰います。武器を地面に捨てなさい」
「ありがとう!リース……王女。感謝します」
と、ホークアイがダガーを地面に放ったので、多少不満ながらイーグルもそれに倣う。
「よし、捕らえ──……」
丸越しになったふたりを捕らえようとアマゾネスたちが輪を狭めたが、ホークアイはうなじの髪のたるみに手を突っ込んで、剃刀ほどのナイフを取り出して地面に放ったので空気が固まった。
更に、シャツの裏地から。腰紐の裏から。踵の底から。額あての裏から。手甲の隙間から。身軽そうに見える服装からは想像できない量の手裏剣やら針やらの暗器を次々と取り出してぽいぽいと捨てる。リース王女含むアマゾネスたちは口をぽかんと開けていた。
「ホーク……お嬢さん方が引いてる引いてる。俺も引いてる」
「え?ごめん、これで最後。ほい」
と、ホークアイは最終的にスパナを放り投げた。
キツいほどに目隠しされ、後ろ手に拘束されてぐるぐると同じ場所を歩かされ、やっと目隠しが外されたと思えば、王の間だった。白い髭を長く伸ばした年老いた王が玉座に座る横に、アマゾネス達がずらりと並ぶ。王に一番近い位置にはリース王女が立っている。王女としてではなく、アマゾネスの長としての位置取りのように見えた。
イーグルとホークアイは床に膝を付き、頭を深く下げて傅いた。父フレイムカーンの影響もあって身分差とか王制なんてものには嫌悪が湧くが、個人的な嫌悪と状況は分けるべきだ。こっちの話を聞いてもらいたいなら、尚更だ。
盲目のはずの王はしっかりと二人に目を向けて、「これ、御二方の拘束を解かんか。失礼仕ったな、ご客人」と、アマゾネスに二人の拘束を解かせた。
「砂を含んだ、懐かしい風じゃ……砂漠の嵐が、このローラントに何の御用かな。近頃のナバールの悪評は、このジョスターの耳にも入っておるよ。あのフレイムカーン殿にしては奇妙なことじゃと不思議に思っておった」
と、ジョスター王は膝をつくイーグルとホークアイに向かって穏やかな声音で言う。
どうもジョスター王の言い方では、父フレイムカーンと知り合いだったようである。親父からそんな話は聞いたことがないが、と内心首を傾げながら、イーグルは口火を切る。
「お目にかかれて光栄です、ジョスター王。私はフレイムカーンの長子、イーグルと申す者。結論から簡潔に申し上げましょう。我々は、風の王国ローラントに警告に参りました。ナバール盗賊団改めナバール王国は、ローラントへの侵攻を画策しています。どうか、防衛のご準備を」
周りのアマゾネス達の動揺がざわりと空気を揺らした。宣戦布告と受け取った数名が、イーグルとホークアイにびりびりと殺気を飛ばす。
「しかし、我々ナバール盗賊団の本意ではないことをどうか知っていただきたい。無念にも、我が父フレイムカーンは魔族の呪術により精神を乗っ取られ、傀儡と化しました。そして多くのナバールの仲間たちも、同じく自我を失いつつあります。逆らった我々は、ナバールから追われる身……ナバールは魔族に支配され、盗賊団は瓦解しました。……私は宣戦布告に来たのでも、裏切り者として貴国の加勢に来たのでもございません。我が同胞に、人殺しの汚名を着せぬために参ったのです」
ローラントの民のためなどというお為ごかしでは、見通す目を持つジョスター王には通用すまい。イーグルには、ホークアイほどローラントに思い入れはなく、ローラントに落城してほしくないのは正直に言ってナバールのためだ。
誠心誠意ぶつけた本音の意図をジョスター王はきちんと汲み取って、「なんと素直な若者じゃ」と笑った。
「しかしなんと、あのフレイムカーンともあろう大戦士が……いたわしいことになったものじゃ。だが、我が城の周囲は断崖絶壁で囲まれており、城を守る風によって難攻不落の名を欲しいままにしておる。いかなナバールの忍者軍でも、突破は不可能と心得よ」
「お言葉ですが、ジョスター王。彼らはエリオット王子を誑かし、城を守る風を止め、眠りの花粉によって防御を無力化する作戦なのでございます」
と、言葉を続けたのはホークアイだ。
「何ですって!エリオットを…!?」
爆発するように鋭い叫びを上げ感情を顕にしたのは、王の横でだんまりだったリース王女だ。ホークアイは続ける。
「確かな情報です。一刻も早くエリオット王子を保護し、安全なところへお連れください」
「お父様!」
「……城内で遊んでおるようだ。リースや、迎えに行っておやり」
ジョスター王の言葉を聞いてリース王女は「失礼します!」と走るようにして足早に謁見の間を後にした。その後に数名のアマゾネスが続く。彼らの後姿を見守りながら、ジョスター王は力なく首を横に振った。
「わしの風を感じる力は年々衰えているが、マナの変動によって更に鈍っておる。ここのところ感じていた不穏な風の正体が何なのか、ずっとわからなかった。しかし貴公らのおかげで、今はっきりと感じた……これは、死臭じゃ。死神の呼吸が、城に吹き込んでおる。御二方よ、御忠告感謝する。ローラントは、お主たちに最大限の礼を申し上げよう。ナバール盗賊団を魔族の手から取り戻す時は、ローラントも及ばずながら力を貸したい」
「ありがとうございます、陛下」
「慣れない山道で、疲れも溜まっているじゃろう。部屋と食事を用意させよう」
「いえ、所用がありまして、すぐにでも山を降りねばなりません。お心遣い感謝いたします」
話の分かる王で良かった、とイーグルがちらりとホークアイを見やると、ホークアイはパチンとウィンクを送ってきた。笑いそうになるのを耐える。
滞りなく謁見を終えて王の間から下がろうとするが、ジョスター王に「イーグル殿といったかな、フレイムカーンの御子息よ」と、改めて呼び止められる。声を抑えてヒソヒソと相談し合っていた家臣たちやアマゾネスも会話をやめ、王の間がしんと静まり返った。
「出すぎたことを言うようで、告げぬべきか迷ったが……お主、死神に魅入られておるな。最も死の匂いが濃いのは、お主じゃよ」
「!」
「死神は随分とお主にご執心のようじゃ……気をつけなされ。何とかできるとしたら、マナの女神さまくらいのものであろうが──」
と、ジョスター王は不憫なものを憐れむようにそう言った。運命は99パーセント決まっている──……イーグルの定められた運命を、ジョスター王は死神と形容して言い当てた。『マナの女神さまなら何とかできる』は、不可能を遠まわしにいう時の常套句であることは誰でも知っている。
顔色と言葉を失うホークアイに代わって、イーグルは気丈に胸を張ってジョスター王を真っ直ぐに見返した。これくらいの不遜は許されるだろう。
「お言葉ですが、ジョスター王。我々は、これからそのマナの女神さまを復活させに行くのです。御心配はご無用!」
隣のホークアイが息を呑み、熱い視線を送ってくる。ジョスター王は「ほっほっほっほっほ!」と、周りのアマゾネス達がぎょっとするほど大声をあげて笑った。
「ほほほ、いや失礼。うむ、その心意気ならば死さえも乗り越えよう。わしらも見習わなければのぉ!道中の幸運を祈っておるぞ、砂漠のつむじ風たちよ」
イーグルが「ありがとうございます、王」と深く礼をして、ふたりは謁見の間を後にした。黙ったままのホークアイの手をイーグルが引く。
「お前が言ったんだろう、聖剣を抜いてマナの女神を復活させるって。世界を救うついでに、俺の運命くらい書き換えてくれるんじゃないか?」
「……うん。その通りだ……お前の運命は、決まったわけじゃない」
死神なんかに負けるか、と呟くホークアイの言葉は、まるで自分に言い聞かせるようだ。潤んだ目を縋るように向けてくるので、イーグルは心配性の親友を少しでも安心させてやりたくて、笑顔を作った。
謁見後アマゾネス達の態度は軟化していて、取り上げられていた装備一式が返され、城門まで見送られた。ナバールで伝え聞いた噂ではローラントのアマゾネスたちは揃いも揃って筋骨隆々のゴリラだとのことだったが、蓋を空けてみれば健康的な美女揃いだ。ホークアイとふたりして愛想を振りまきながらローラント城を後にしようとすると、「お待ちくださいっ」と、高い声で引き止められた。
振り返ると、金髪を振り乱し、額に汗を浮かべ息を荒くしたリース王女が走ってくるところだった。ホークアイが思わずといった様子で叫ぶ。
「リース!エリオットはどうしたんだ!」
「えっ、弟は、乳母に預けてきました……あの、先ほどの失礼をお詫びしたくて」
「いや、君の立場なら当然のことだ。それより、早くエリオットのところに戻れ。彼から目を離すな!」
「は、はい……」
面白いことに、ホークアイは少し怒っているようだ。その剣幕を目の前にして、リース王女は少したじろぐ。
イーグルが「ホーク、言葉遣い」と窘めると、ホークアイは「あう。うっかり……」と額を覆った。しかしすぐに真面目な顔を作って、リース王女に頭を下げる。
「大変失礼いたしました、王女様」
「いいえ、お気になさらず……喋りやすい口調で構いません」
「そうかい?じゃ、遠慮なく」
と、ホークアイはにっこりとリース王女に笑いかけた。リース王女は白い頬を桃色に上気させる。少しばかり瞳がきらきらしているような気がした。
「あの、本当にありがとうございました。あなた方からお受けした御恩、決して忘れません」
「それを言うにはまだ早いさ。寧ろ、俺たちの仲間がこれから迷惑をかける……それを知りながら、城の防衛を手伝いもせずに去ることを詫びたい」
沈痛な面持ちで長い睫毛を伏せるホークアイに、リースはまた「いいえ……」と首を横に振った。
「この件が片付いたら、改めてお礼させてください。また……お会いできるでしょうか?」
「……必ず。近いうちに」
と、ホークアイが近距離で表情を甘く綻ばせ、リース王女の手を握った。王女が頬を上気させるのも仕方がない。一国の王女という立場や、女性のみで構成されたアマゾネスに囲まれた環境を考えると、こんなふうに接してくる同年代の男は皆無だろう。それに、身内の贔屓目を抜きにしたとしても、こんな美男子とは出会うのも難しい。男慣れしない年端もいかぬ少女であれば、ホークアイの顔や態度を多少刺激的に感じたとしても、決して不思議ではない。
「……あなたたちの旅路の風が、穏やかでありますように」
と、頬を染めたリース王女に見送られ、ふたりはローラントの城門を出た。ホークアイは、リース王女が見えなくなるまでキザに手を振っていた。
どことなくホークアイは上機嫌だ。リース王女は、イーグルのいない旅路の中で知り合ったうちのひとりなのだろう。ホークアイが彼女を憎からず思っているのが、彼女を見る目でわかった。
ホークアイのことならば己が一番よく知っていると自負していたが、ホークアイはイーグルのいない間に世界を大きく広げていて、それが少し寂しい。ずっと一緒だったはずの弟は成長し、いつの間にかイーグルの知らない人間になっている。
それでもホークアイはいつもと同じく、幼い頃から変わらぬ綺麗な顔を傾けて、「俺たち上出来だったな、イーグル」と、上手にできた仕事を褒めてもらいたい子どものように笑った。
*****
シャルロットは昨夜、ヒースに本を読んでもらいながら幸せな気持ちで就寝した。ヒースの選んだ本はシャルロットにとっては少し難しく、ヒースの優しい柔らかな声を聞いているうちにいつの間にかシャルロットは眠ってしまったのだ。
その朝、目覚めてみると、シャルロットは不思議なほどはっきりと己の置かれている奇妙な状況を理解していた。昨日までの幸せな日常の記憶と、正しくは自分ではない自分が経験した長い旅路の記憶とが、重なり合って存在している。
ははぁ、これはきっとフェアリーしゃんかめがみしゃまのしわざでちね、とアタリをつけて、シャルロットはベッドから飛び起きた。シャルロット自身は昨夜ヒースに本を読んでもらったばかりだが、自分ではない自分の旅路の記憶が、ヒースが愛しいヒースが愛しいとシャルロットをかき立てている。やれやれこどもみたいなやつでち、とシャルロットは記憶の中の自分に呆れ返りつつも、ヒースを探して部屋を飛び出した。
祖父である光の司祭のいる聖堂に向かえば、ヒースは祖父と向かい合って何事かを真剣な様子で話し合っていた。シャルロットは思わずその腰に向かって飛びついて、ぎゅうっと抱きしめた。ヒースの匂いを肺いっぱいに吸い込む。焦がれに焦がれた、ヒースその人だ。かつての旅の中では、拉致されてその後まみえることは終ぞ叶わなかった。シャルロットの目には、自然と涙が溢れた。
「わっ、シャルロット!……大丈夫かい?どこか、怪我でもしたんだったら見せてごらん」
ヒースは振り返って、シャルロットの涙に気が付くと、膝を床に付きシャルロットと目線を合わせた。シャルロットは首をぶんぶんと左右に振り、怪我などしていないと否定をする。しかし涙は止まらず、ぼろぼろと頬を伝ってゆく。ヒースの白い指がその一粒を掬った。
「では、悲しいことがあったんだね……シャルロットが悲しいと、私も悲しい。どうか、いつもみたいに笑ってくれない?私にシャルロットの可愛い笑顔を見せておくれ」
なんてことをいうでちか、とシャルロットは頬をさっと染めた。これで口説き文句のつもりがないというのだから恐しい。
ないてるばあいじゃないでち、とシャルロットは涙を振り落とし、ヒースと祖父に向き合う。
「ヒース、おじーちゃん、ちょっとシャルのはなしをきいてほしいでち!」
シャルロットは、フェアリーに選ばれた聖剣の勇者と共に長い旅をしたこと、ヒースが怪しい男に拐われて行方不明になっていたこと、聖域のマナの樹が倒され、黒の貴公子と名乗る魔族に負けてしまった記憶を持つことを包み隠さずヒースと光の司祭に話した。
信じてもらえないかもしれない、なんて不安は一切なかった。何といっても、祖父とヒースなのだ。
「こうしてシャルロットがもどってきたってことは、すくなくともせーけんのゆーしゃであるホークアイしゃんも、もどってきてるでち。きっとシャルロットをむかえに、ウェンデルまでくるとおもうでち!だから、ヒースとシャルロットはウェンデルをでずに、ホークアイしゃんをまてばいいでち」
要領の得ない幼い語り口ではありながらもシャルロットが長い旅路の粗筋を話し終わると、祖父はしわくちゃの顔を歪め頭を覆って、「おぉ、なんということじゃ」と嘆いた。
「にわかには信じがたいが、まさに今、最近のマナの変動、女神像の涙、湖畔に現れた眩い光、何か関係があるのか話していたところじゃった。シャルロットに突如現れたその記憶も、女神様による思し召しかもしれぬ……おぉ、こんなおさなごに、何と重い試練を与え給うたのか……!」
祖父はそう言って背後のマナの女神像を仰ぎ見た。気味の悪いことに、女神像の目からは液体が一筋伝っている。
ヒースは少し考えた後、覚悟を目に灯し、静かに告げる。
「司祭様、やはり私はアストリアに向かおうと思います。世界の終焉が始まろうとしているのに、聖剣の勇者がやってくるのをじっと待つなんて、私にはできません」
「ヒースっ、シャルロットのはなしをきいていなかったでちかっ?!ヒースはウェンデルからでたらダメでちっ、さらわれちゃう!」
「シャルロット……」
シャルロットはヒースの腕に縋り付いた。ヒースはしゃがみ込んで目線を合わせてくれ、たおやかな白い手でそっとシャルロットの手を握った。
「シャルロット、もしそのホークアイという人がシャルロットと同じように、旅の記憶を持って戻ってきているのだとしても……いや先の記憶を持っているからこそ、ウェンデルに来ない可能性がある。折角過去に戻れたのなら、やり直したいことも沢山あるだろう──……誰だって、世界を救うなんて重い運命は背負いたがらない」
「!」
ヒースは、ホークアイが聖剣の勇者という使命から逃げるかもしれない、という可能性について話しているのだ。
「ホークアイしゃんは、そんなひきょうなことは、しないでち!」
言い切ったが、しかし元々のホークアイの目的を考えてみると、ジェシカという女の子の呪いを解く方法が知りたくてホークアイはこのウェンデルにやってきたのだ。その過程でフェアリーという厄介者を抱え込み、聖剣の勇者に仕立て上げられた被害者にも等しい。しかも記憶を持っているならば、女神の力を借りなくてもいずれジェシカの呪いが解かれるのは分かっている。
記憶を持って戻ってきて、ホークアイは己の守りたい人々を放置してまで、わざわざ世界を救うという大役を受けたがるだろうか?妹同然だというジェシカや、故郷を守るのを優先するのではないだろうか?
「シャルロットの友達を悪く言って、ごめんね。でも、その彼にも、したいように人生を生きる権利がある。私たちには、彼に世界救済を強制する権利はない……可能性の話だけれどね」
と、ヒースはシャルロットの頭を優しく撫でる。シャルロットはまた涙が出そうなのをぐっと我慢して、視線を床に落とした。
「……ホークアイしゃんは、にげたりは、ぜったいしないでち。でも、たいせつな、まもるものをもってる。ゆうせんじゅんいを、どうかんがえるかはわからないでち……」
「だとしたら、誰かがフェアリーと使命を引き受けねば、世界は滅んでしまう」
「……」
「……万が一の時は、私がフェアリーの宿主となります」
ヒースの言葉に、祖父も「それが良かろう」と頷いた。
ホークアイが来ないかもしれない、という可能性はシャルロットを大いに不安にさせた。長い間、共に苦難を乗り越え、些細なことで笑い合い、旅した仲間。でも、彼にはシャルロットにとってのヒースと同じように守るべき人がおり、フェアリーを宿していない今の彼にとっては世界の救済は義務ではない。
ヒースのことさえなければ、シャルロットの方からでも彼を迎えに行きたいくらいなのだ。ホークアイは決して聖剣の勇者なんて柄ではなかったが、それでもシャルロットにとっての聖剣の勇者は彼だった。彼とだったから、シャルロットたちはあそこまで戦うことができたのだ。例え、最後の最後に力が及ばなかったとしても。
「直ぐにでも、アストリアへ向かいます。それに、獣人たちがウェンデルに侵攻してきているというなら、結界を張らなければ……」
ヒースの言葉に、ハッとシャルロットは我に返った。
「まって!シャルロットもいく!いくったらいく!」
「これ、シャルロット!お前が行っても、足手纏いになるだけじゃ!」
祖父の制止に、シャルロットは頬をぷうと膨らませる。
「しつれーでちねっ、こうみえてもシャルロットはちょーつよいでちよっ!かいふくやくとして、パーティのかなめだったんでちから!」
「駄目じゃ、神殿から出てはならん!」
「おじいちゃんのばか!わからずや!とんま!おやばかー!とめてもムダでち!」
「光の司祭様、シャルロットの言い分にも一理あります」
シャルロットと祖父の言い争いを止めたのは意外にもヒースであった。
「シャルロットは、聖剣の勇者の一行の一人だったのですから……記憶を持って戻ってきたのが女神様の御意志なのだとしたら、何かしら意味があるはずです。シャルロットが旅立つのも、運命なのかもしれません」
というヒースの口添えもあり、シャルロットはヒースとともにアストリアに赴くことを許された。
ヒースと共に行けるのは純粋に嬉しかったが、もしもホークアイがやってこなくてヒースがフェアリーの宿主になってしまったらどうなってしまうのだろうと考えると、シャルロットは不安になった。
ただ、今は、この愛しい青年を守ることだけに専念しよう、と心に決める。死を喰らう男に攫われてしまってから、終ぞ再会することはできなかったヒース。もう二度と失ってたまるものか、とシャルロットは、強くヒースの手を握りしめた。
*****
ジョスター王の放った言葉は呪いのようで、イーグルは運命という名の死神がこちらを見ているのをひしひしと感じた。
ホークアイが上機嫌だったのはローラントの城を出るまでで、バストゥークの山を下り始めてからは気を張り詰めている様子だ。ナバールの忍者軍といつ鉢合わせるかわからないし、イーグルもいつ不運に見舞われるか知れない。イーグルのたった二歩先を先導し、目を離すことがない。
何とかイーグルたちはバストゥークから降りて、漁港パロからジャド行きの船に乗った。
乗船した時は空は青く澄んでいたが、幾何も進まないうちに濃い雨雲がみるみるうちに空を覆い、風が出て波が高くなる。これからの旅路を暗示するかのようで、実に不快だ。
イーグルが突然すっころんで船から落ちでもしないかと心配しているのか、ホークアイはイーグルのすぐ脇に張り付いて来た。心配されているのは自分の方だが、まるで親鳥を追いかける子鴨のようについてくるものだから微笑ましい。
今は慣れない船旅を楽しもう、とイーグルが水面を眺めていると、ホークアイが突然顔をしかめて跳びあがった。船の縁に身を乗り出し、遠くに見えるパロの漁港を睨む。
「何だ?この匂い」
そう言われてイーグルも注意深く風を嗅いでみれば、潮の香りに混じって焦げた匂いがわずかにした。ホークアイの顔色が青ざめる。
船員と乗客たちも遅れてざわめき始めた。ローラント城から煙りが立ち上り始めたのが、海の上からも見えたのだ。
「ボートを下ろせ!パロに戻る!!」
そう叫んだのはホークアイだったが、パロに戻りたいのは他にも数名いたようだ。年嵩の水夫が「船尾にボートがある!兄ちゃんら手伝え!」とイーグルとホークアイを呼んだ。ローラントに妻がいるというその水夫を中心として緊急用のボートを海面に下ろし、我先にと数名が乗り込んでいき、ホークアイも続いた。
「イーグルっ、来い!」
小舟の上のホークアイが、躊躇するイーグルに叫ぶ。
イーグルは嫌な予感がした。ローラントから立ち上る黒煙は、ホークアイの冷静さを根こそぎ奪ってしまったとみて間違いない。
しかし、ホークアイ相手に頬を染めるリース王女の顔を思い出してしまっては、『今から行って何ができるのか』と告げることはできなかった。止められないなら、ホークアイの後に続かざるを得なかった。リース王女やローラントを助けたいと思うホークアイを止める権利など、自分に有りはしない。
イーグルもホークアイに続いてボートに飛び降りる。皆が力を合わせて漕ぎだそうとした時、定期船の上からボートを見ていた誰かが「危ない……!」と叫んだ。
風が出ていたのは確かだったが、突然の高波がボートを襲った。ボートはバランスを崩して転覆し、イーグルとホークアイを含む全員が海に投げ出される。船上からは誰かの悲鳴が聞こえる。ホークアイが「イーグル!」と手を伸ばしたのが見えたので掴もうとしたが、波にのまれ届かなかった。
砂漠育ちといえどオアシスでは時折り泳ぎもするし、苦手ではない。イーグルは冷静さを失わずに留め具を外し鎧を脱ぎ捨て、海面に上がって息を吸った。
その瞬間、死角から頭を押さえつけられ、海水を飲みこむ。悪意は感じず、おそらく同じくボートに乗り込んだ民間人が、溺れまいと手当たり次第に手の届くものに捕まろうとしたに違いなかった。パニックとなっている民間人の手を逃れて息継ぎをしようとするが体が重く、浮かばない。何か見えないものに足を引っ張られるかのように、水面が遠くなった。
意識が薄れる中、ホークアイの声を聞いた気がした。
目を覚まして、ぼんやりと霞む目を凝らすと、青い顔をしたホークアイと目が合った。ホークアイは「イーグル……」と声を震わせ、強張った表情を緩ませた。疲労困憊だとばかりに「はぁ~……」と倒れるように背を丸め、額を寝ているイーグルの胸に押し付ける。その頭が重くて、呼吸がし辛い。
どうやら、船室に薄いマットを引いただけの簡易ベッドに寝かされている。窓の外はもう嵐も過ぎ去って晴れ間がのぞいていて、数時間ほど気を失っていたと知れた。
海水に濡れた服はいつの間にか着替えさせられているが、ホークアイの服はまだ湿っていて冷たい。イーグルの世話ばかり焼いて、自分には無頓着で休憩もとっていないのだろう。
また足を引っ張って、助けられた。心配をかけた。ホークアイや居合わせた一般人さえも、運命に巻き込んで死の淵に追いやるところだった。
イーグルが情けなさに言葉を失っていることにホークアイが気が付いて、「安心しろ」と優しい声を出した。
「他の落ちた人らも、全員無事だよ。怪我人もいない」
と、イーグルを元気づけようと微笑みさえ浮かべる。ローラント城まで行った今までの努力は、水泡に帰したというのに。気丈なことだ、とイーグルは胸が苦しくなった。
リース王女やジョスター王、名も知らぬアマゾネス達の顔が浮かぶ。エリオットという王子は攫われてしまっただろうか。ナバールの仲間たちも、全員が無事というわけにはいかないだろう。人殺しの咎を背負った者もいるだろう。
こんな無力感を味わうのは初めてだった。誰も守ることはできなかったし、自分が死なないでいることさえ自分ひとりではできずに、ホークアイに頼りきりだ。休むこともなく心を砕き献身的に尽くしてくれるホークアイに、自分は一体何を返せるというのだろう。
イーグルはぼんやりとした焦点をホークアイに合わせて、「……悪いな、俺のせいで……」と掠れる声で言った。ホークアイは拳を握りしめて、首を横に振る。
「謝るな。お前のせいじゃない……俺が、馬鹿だった。冷静じゃなかった」
だがそれは、ホークアイにとって冷静さを欠くだけのものがローラントにあるということだ。それを助けに行かせてやることができなくて、とても申し訳なく思った。
「……リース王女が、無事ならいいんだが」
「お前は他人の心配してる場合じゃないだろ、馬鹿」
「でも彼女のこと、お前、気にかけてたろ」
「……リース『は』、無事だよ。良くも悪くも、前回通りだ……」
そう言ってホークアイは視線を落とした。
前回通り、という言葉が持つ意味を、イーグルもホークアイも良くわかっている。このまま運命の鎖を外すことができずに、前回と同じ轍を通るのなら。
それはつまり、イーグルには生きる道が用意されていない、と、そういうことだ。
この船は予定通りジャドに向かっているらしい。というのもこの船の船籍はジャドらしく、戦争に巻き込まれないように逃げ帰っているとのことだ。ホークアイが言うには、ジャドに着いたら着いたで、獣人に占拠される事態になるそうだ。
「ジャドまではまだ時間があるから、寝ててくれ。着いたら起こすから。慣れない船旅と登山の強行軍だったし、疲れてるだろ」
「疲れてるのはお前もだろう。お前も休め」
「ああ。少し、この後の行程を考えてからな」
なんだかんだと理由をつけて、ホークアイは寝なかった。片時でもイーグルから目を離すのが怖い、口には出さないがホークアイがそう思っているのがイーグルにははっきりと分かった。
この旅路には、仲間が必要だ。ホークアイが安心して休むためには、ホークアイが休んでいても自分が死なない保証が必要なのだ。ホークアイの負担を少しでも軽減できるような、誰か信頼できる仲間を見つけなければ、イーグルが運命に屈するよりも先にホークアイに限界がくるだろう。
イーグルが「仲間を探そう」と提案すると、ホークアイは一度目の旅路を共にした仲間について熱く語った。アルテナの王女アンジェラと、光の司祭を祖父に持つ、ハーフエルフのシャルロット。
「本当に頼れる奴らなんだ。俺が戻ってきてるんだから、絶対にあいつらも戻ってきてる。今後のためにも、色々情報交換しないとな。これからの旅には、あいつらがいないと話にならない。アストリアの件が片付いたら、フェアリーを回収して、精霊集めに世界を回る。アンジェラとは、ジャドで合流できるよ」
と、ホークアイは確信を持ってそう言った。
これから。今後のため。いとも簡単にホークアイは未来を口にする。世界の未来を背負うのが嫌で逃げるだろうなどとは、欠片たりとて疑いもしない信頼。イーグルが知らぬ間に築かれた、知らない者たちとの絆がそこにある。
少し、妬ける。
「お前は……凄いな。もし俺がお前の立場なら、自分と身内を守るだけで精一杯だろう。世界を守ろうだなんて、思いもしない」
「途中で投げ出した仕事を、最後までやりたいだけさ。俺が勇者なんてガラじゃないのはお前が一番知ってるだろ。……それに、ここで逃げ出したら、今もきっと頑張っているあいつらに怒られる──どころじゃすまないな、下手すりゃ殺されそうだ」
と、ホークアイは、イーグルの知らない仲間たちを思い出して笑っていた。
定期船がジャドに着いたので波止場に降りると、ジャドはすでに獣人たちによって占領が宣言されていた。街のそこら中を獣人が我が物顔で闊歩し、住民の多くは家に閉じ籠って、港町らしい活気はなく静まり返っている。
「宿屋に寄ろう。アンジェラとの初対面はあそこだ」
かつての仲間との再会への期待に浮足立ちながら、ホークアイはジャドの宿屋へと向かった。
結論から言えば、宿屋にアンジェラという女性はいなかった。宿屋の主人に聞いても、ここしばらくそれらしい人物は現れていないという。
ホークアイが目に見えて落ち込んだので、イーグルは「まぁ、近いうちに会えるさ」と慰めた。
「前回いたのに今回いないんだから、その彼女もお前と同じように記憶を持って戻ってきてるって証明だしな。記憶があるから、前回とは違う行動をとる。お前もそうだろ」
「……確かにな。俺たちがローラントに寄ったように、アンジェラにもやることがあるのかもしれない」
しかし状況を考えるに、旅の仲間は必須だ。ホークアイの負担ばかりが増えていき、己は足手纏いにしかなれない。
「その子ら以外に頼れそうなのはいないのか?その子らと合流できるまででの繋ぎでも、戦える仲間がいた方がいい」
「アンジェラとシャル以外の、戦える仲間か……そういえば、顔見知りが、今ならジャドにいるな」
と、ホークアイは妙案を思いついたとばかりにニヤリと笑った。
イ「お前、リース王女のこと、気に入ってるだろ」
ホ「そりゃまぁ可愛いからね。整った甘い顔に、綺麗で長い金髪に、空のような青い瞳、陶器のような白い肌。優しくて身内想いで、ちょっとキレやすいところはたまにキズだが、そんな熱い性格もイイ。しかもリーダーシップもあって、モンスターなんか相手にしない強さも兼ね揃えてる!」
イ「えっ。それ俺じゃん」
ホ「寝言は寝て言え」
イ「俺の特徴並べたててなかった?」
ホ「寝言は寝て言え」