聖剣伝説3逆行   作:畑中

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最終話:運命の終着点

 

 

 

 マナの女神を葬るため、黒の貴公子は聖域へと姿を消した。美獣の足止めを頼んだデュランたちを置いていくわけにもいかず、イーグルたちは来た道を駆け戻った。

 美獣のいた部屋に辿り着く前に、塔と塔の連絡橋の上でデュランたちと鉢合わせる。美獣を倒したにしては早すぎる。

 

「美獣は逃げた!黒の貴公子を追いかけるらしい」

 

 端的に報告するデュランの背中には、紅蓮の魔導師が負ぶわれている。意識がないようだ。よく見ると、赤いマントは引き裂かれた後があり、血を吸って赤黒く染まっている。 

 

「ホークアイは?」

「……ホークは、黒の貴公子の器にされていた。だが、まだ生きてる。あいつは聖域に行った。取り戻しに行く」

 

 デュランは苦々しく顔を歪めたが、黙って頷く。負ぶった紅蓮の魔導師を目線で示して、「こいつはここでリタイアだ」と告げた。

 

「突然ぶっ倒れた。無理してたみてぇだな」

「元々、魂が半分しか残っていないのに、血もマナも流させすぎました……しばらく目覚めないでしょう。ウェンデルでの療養が必要だと思います」

 

 と、ヒースも補足した。紅蓮の魔導師の魔法は随一なので頼りにしていたが、仕方があるまい。

 イーグルは風の太鼓でフラミーを呼んだ。嵐が去って城の付近に待機していたらしいフラミーはすぐに頭上を旋回し、橋の上に降り立った。

 乗り込もうとする一行をヒースの「皆さん、」と言う深刻な声音が止める。

 

「──私も、ここまでです」

「ヒース……!?」

 

 シャルロットがヒースの服を掴む。ヒースはシャルロットを慰めるように頭を撫でながら、言葉を続ける。

 

「もう、彼の精神支配魔法を以ってしても、自我が闇に沈むのを止められないんだ……最後まで同行できずに、ごめんね」

 

 シャルロットはヒースの腰に縋って、嗚咽を殺しながら静かに涙を流した。ヒースはただのアンデッドと化す前に、自ら消えようと言うのだ。

 

「イーグルさん。以前も言ったかもしれませんが、聖剣の勇者たる力の正体とは、この世界で唯一、運命に影響を与えることのできる特異点であるということ……──ですが考えてみれば、あなたはフェアリーに選ばれる前から、特異な存在でした。あなただけが、死神の運命に囚われ続けている。何故、あなただけが?何故、そのあなたが聖剣の勇者に?私はこれに、作為を感じずにはいられません。まるで……何かが──……」

 

 ヒースはそこまで言って言葉を濁した。同じ違和感を、イーグルも感じていた。

 

「……それは、何だと思いますか」

「……神、と称するのが近いでしょう。マナの女神様よりも遥か太古から在る、生と死を司る不可知の何か──」

 

 世界最高峰の神官にさえ不可知と言わせる何か。ヒースはイーグルの目をじっと見て、その奥にあるものを確かめようとするみたいに目を凝らす。

 

「きっとそれは、あなたに何かさせたいのだと思います」

 

 その『何か』に、ヒースは思い当たるものがあるようだった。だがそれ以上は言及せず、ヒースは話を切り上げた。

 

「どうかホークアイさんを取り戻し、黒の貴公子を倒せますように。どうか世界を救ってください、聖剣の勇者よ」

 

 ヒースはそう言って空間移動魔法を紡ぎ始める。

 

「──シャルロット。元気でね。君の幸せを、ずっと祈っている」

「ヒース。だいすきでち。ずっと、ずっと──」

 

 ヒースはしゃがんでシャルロットを最後に抱きしめてから、転移してどこかに行ってしまった。

 ここで始末を行わなかったのは、シャルロットへの気遣いだろう。こんな小さな女の子に、大切な人が消滅する瞬間を見せるのは酷だ。

 

「ヒース……」

 

 シャルロットの大きな目からはぼろぼろと涙が溢れて止まるところを知らない様子だったが、シャルロットは泣き喚いたりせずに、握った小さな拳を震わせながらも真っ直ぐ立っていた。そして一歩踏み出す。

 

「いくでち。ホークアイしゃんと、めがみさまをたすけに!」

「!……ああ」

 

 シャルロットにとってヒースは、イーグルにとってのホークアイだったはずだ。自分の命に替えてもいいくらいの特別。その人を失っても、まだ前を向いて戦おうとするなんて、本当に強い子だ。ホークアイによく似ている。

 だからこそ、一度目の運命は彼らを聖剣の勇者に選んだのだろう。どんなに苦しくても、他の誰かのために前を向ける。一度目の旅の仲間たちだけではなく、デュランやケヴィン、リースだってそうだ。彼らは世界のために戦える人間だ。

 イーグルだけが、この中で異質だった。

 

 

 

 

 一行はフラミーに乗って、意識のない紅蓮の魔導師をウェンデルまで送り届けた。

 命の半分を売り渡した報酬の魔力は、邪眼の伯爵や美獣との度重なる戦闘でどうやら底を突こうとしているらしい。竜帝の魔力は彼の体からほとんど抜け切り、変質していた心も元に戻ろうとしているのかもしれなかった。

 

 神官たちに紅蓮の魔導師を預けている間に、アンジェラとシャルロットはこの戦いは世界全体の問題だからと共に戦ってくれる義勇兵を募ろうとしていたらしい。だが、兵士も神官も軒並みライトゲイザーとの戦いで疲弊しており、怪我人ばかりだった。というのも、一向に討たれない神獣に痺れを切らし、黒の貴公子たちは自ら神獣を滅しにやってきたらしい。

 その時、奴は周りの人間のことを路傍の石ほどにも気にかけなかった。神獣を倒そうと対峙していた軍隊を、虫ケラのように神獣ごと焼き払った。幸い直撃を受けた者はおらず死者は出ていないらしいが、前線に出ていた実力者ほど重症で、助太刀を頼めそうな部隊はない。各国も同じ状況なら、他国を回ったところで同じだろう。義勇兵など募ったところで意味などなく、足手纏いが増えるだけだ。

 

 聖域に向かったのは結局、精霊を共に集めた旅の仲間たちだけだ。ホークアイだけが、そこにいない。

 

 

 

 

 聖域の扉を通り、聖域へと足を踏み入れる。一度目はマナの女神を覚醒させるために、二度目はクラスチェンジのために。これで三度目だ。マナは薄くなって、ラビは姿を消し、代わって黒い小型の魔物が湧くようになっている。美しかった聖域はすっかり変質してしまった。

 道中の魔物の相手は全部仲間たちに任せて、イーグルは魔力を研ぎ澄ませた。より深く、もっと深く潜れるように。本人ですら知り得ない、魂の本質に触れられるように。誰も知り得ない、肉体と魂と精神を繋いでいる何かを、見極められるように。

 

 聖域の中心地に着いたときには、すでにマナの樹は根本近くから倒され、枯れ果てていた。女神の気配もない。死んだのだ。

 

 見る影もないマナの樹の根元に二つの影。跪いていた美獣が、イーグルたちに気付いて立ち上がった。跪かれていたのは、愛しい親友の姿をした知らない男だ。

 

「フフフ……残念だったな。マナの女神はたった今、死んだよ」

『はぁ、はぁ、なんて……酷いことを……!』

 

 と、フェアリーがイーグルの肩の上で苦しむ。マナの樹が失われて、今までの比ではないくらい急速に、マナが世界から消えつつあるのを肌で感じた。

 だが例外もある。闇のマナ、それだけはじわじわと他のマナに置き換わり総量を増していた。どうやら、現世に重なり合うように存在する魔界から、闇のマナが自然と漏れ出ている。世界からマナが失われても魔法が使えなくなるのは人間だけで、元々魔界で生き闇の呪術を扱う魔族共にとっては、より生き易い環境となるわけだ。

 どうやらフェアリーにとっては呼吸さえも苦痛なようで、ぜえぜえと小さな喘鳴が耳元で聞こえる。だが、寧ろ今のイーグルにとっては悪くない空気だ。やりやすい。

 

 

「さぁ……古き女神の時はここに終わりを告げ、我ら魔族の新たな時代が始まる。この、魔王も神をも超えた存在、黒の貴公子の名の元に!ふはははは!」

「ホークアイしゃん、めをさますでち!そんなやつに、まけないで!」

「ホークアイ!そんな悪党にカラダを好き勝手させるなんて、らしくないわよ!」

 

 シャルロットとアンジェラが声の限りに叫ぶ。すると黒の貴公子は「うっ……!」と額に手を当て、痛みに耐えるかのように背中を丸めた。

 

「ホークアイ、聞こえているの……?!お願い、目を覚まして!」

「ホークアイてめえ、起きやがれ!」

「負けるな、ホークアイ!」

 

 呼びかけの効果を認めて、仲間たちは次々とホークアイの名前を叫んだ。何度も何度も仲間たちに名前を呼ばれて、彼はゆっくりと顔を上げて、金の目を瞬かせる。

 

「ううぅ……みんな……?俺は──いったい──?」

 

 仲間たちは「ホークアイっ!」と目を輝かせて駆け出し、イーグルは腕を水平に上げて仲間たちの足を止めた。

 

「よせ」

「えっ──」

「──……くっ、くくく」

 

 紫の長い髪を搔き上げて、見下すようにその男は目を細めた。

 

「興醒めだ。もう殺そう」

 

 一歩後ろの美獣が「はっ!」と短く応答して、みるみるうちに魔獣の姿をとる。デュランとケヴィン、リースは青筋立てて憤怒して、前に飛び出した。アンジェラはセイントビームを紡ぎ、シャルロットは怒りに任せて従魔を次々に召喚していく。

 

 美獣の相手はデュランとアンジェラが担ってくれるようだ。あのふたりは随分いいコンビになった。お互いの呼吸をもう知り尽くしていて、危うさがない。ケヴィンとリースが黒の貴公子に向かって行き、広い視野を持つシャルロットは両方の補助に回った。

 

 

 だけど、ケヴィンとリースでは、ホークアイの姿をした敵を相手にするにはあまりに優しすぎる。明らかにケヴィンの拳も蹴りも常の鋭さがなく、鈍く、軽く、顔を狙いもしない。明らかにリースの槍は急所を避け、手足を掠めるばかり。実力を少しも出せずに、翻弄されている。

 

「あははっ、優しいなぁ!私──俺の綺麗な顔に、傷なんかつけられない?感動的だよ!」

 

 黒の貴公子はそんな二人を嘲笑って、手をかざすと無詠唱で衝撃波を飛ばした。スタンウィンドだ。至近距離で受けたケヴィンとリースは吹き飛び、身体中に裂傷を作る。受け身を取って地面に降りたところに、シャルロットのヒールライトが飛んだ。

 

 ホークアイの姿をして、黒の貴公子は攻撃魔法を使った。やつが「サンダーストーム!」と言うと、あっという間に灰色の空には雷雲が立ち込め、風が渦巻き聖域は嵐の真っ只中になり、雷が縦横無尽に走る。

 

「アーククエイク!ブレイズウォール!」

 

 立っていられないほど地面が揺れ、割れて隆起した土塊がイーグルたちを突き刺そうとそこら中に飛び出た。アースクエイクで作られた地割れからマグマの柱が噴き出し、地面は半分溶岩で覆われる。

 

 ひとつひとつが、アンジェラの特大魔法よりも遥かに強力だ。それを無詠唱で、連発している。黒の貴公子は聖域を地獄のような光景にして、「あーっはっはっはっは!」と大口を開けて笑っている。

 

 嵐を目眩しに、イーグルは噴出する溶岩の柱の裏に隠れた。溶岩の小さな滴が身体中に飛んできて皮膚を焼いているが構うものか。

 このところ、自分の身体の内側が少しずつ変質しているのはわかっている。それに嫌悪感がないどころか、変質は寧ろ僥倖でさえあった。それは、より高い精度で闇のマナを扱うことを可能にした。

 

「…………──此に在るは欺瞞と混沌の秩序、彼我の境を深淵に埋め、屈伏せよ魂魄、汝の霊肉明け渡し傀儡なれ!」

 

 闇の精霊シェイドを増幅器に、純度百パーセントの闇のマナで以っての、全身全霊をかけたブレインジャック。

 長い時間をかけて研ぎ澄まされた巨大な黒い矢が空気を裂き、黒の貴公子の額を貫く。黒の貴公子は金色の目を見開いて、瞼を引き攣らせてイーグルを凝視した。

 時間が止まった。一瞬一瞬が間延びするかのように、全てが緩慢になる。

 

 

 ホークアイの中は闇に覆われていた。真っ暗な闇の中、遠くにぼんやりと明かりがいくつか見えて、イーグルはもがくように泳いだ。

 明かりに見えたのは、ホークアイの記憶の帯だった。川の水が滝壺に落ちるように、ホークアイの人生が底の方に流れて渦巻いている。ホークアイを探して、イーグルはホークアイの記憶の海を泳いだ。

 

 見えたのは、ホークアイが闇の城で敵に囚われてからの、新しい記憶だった。

 牢獄に囚われた後、ホークアイは玉座に座った男の前に投げ出された。男は頭から血を被ったかのように全身血みどろで、同じく血に塗れたマナの剣を携えていた。男は端正な顔を歪めて、ホークアイを責めた。

 

『第二の父とも言える男を、今、殺してきた──忌まわしい記憶の染みついたこの身体を捨てて、今日、新たに産声を上げようと思っていたのだ。そのために、愛されて育った、無垢なる王子の身体が欲しかったのに。お前のせいで台無しだ』

 

 自分勝手な物言いにホークアイは最初こそ憤慨したが、黒の貴公子に滔々と生い立ちを語られて、ホークアイが徐々に同情していくのがわかった。この男も、運命に囚われ、翻弄されたひとりだったのだと。

 なんて愚かなホークアイ。優しすぎる。馬鹿すぎる。闇の生き物に一ミリでも同情心なんて抱いてはいけない、やつらはそこにつけこむのだから。イーグルはホークアイが黒の貴公子に負けた理由を察した。

 そして身の毛がよだつほどおぞましいことに、男は、ホークアイの顔と肉体と人生を気に入ったようだった。

 

『王子でなくとも──愛されているな、お前は』

 

 ホークアイの体が奪われるまでの記憶を泳いで、意識の海の底まで辿り着く。何故いない。焦燥と憤懣ばかりが募っていく。いったいどこにいるんだ、もう消えてしまったのか?

 

 ──いた。

 意識の泥濘の奥深くに、沈んでいる。イーグルはホークアイの手をとって力いっぱい引っ張った。ビクともしない。

 

『ホーク、起きろ!沈むな、立ち上がれ!』

『…………──イー、グル……?俺は、どうして……?』

『気を確かに持て!黒の貴公子を追い出すぞ!』

『……!っ、そうだった。あいつ、俺の体──いつの間にか、意識が薄くなっていって……くっ、無理だ、動けない!』

 

 問答しているうちに、イーグルは意識の海から弾き出された。ホークアイも見えなくなる。イーグルは歯軋りして悔しがった。もう一度だ、何度だってやってやる。ホークアイを浮上させるのが無理そうなら、黒の貴公子の精神を屈伏させるしかない。できるか、自分に──いや、やるしかない。例え何度弾かれても。

 時間の進み方が元に戻る。現実では黒の貴公子はホークアイの身体で、嘲るように高笑っていた。

 

「あっはっはっはっは、効くか、愚か者め!くくく、だが見事な闇の呪術だな、お前の憎悪は肌にぴりぴりと心地よい。もしや貴様、魔に堕ちかけているのか?この身体は悪くないが、お前の方が遥かに居心地が良さそうだ!」

「ならばそうしろ、俺がお前の器にふさわしいのならば、なってやる!」

 

 イーグルはそう言って無防備に腕を広げた。

 ホークアイが抗えないとしても、自分の方がまだ望みがある。自分ならば、美獣の精神支配に抗った実績もある。美獣さえ称賛した闇への精神耐性、それに賭けるしかない。

 

「ははは!この男を解放するために、私を受け入れるというのか、面白い!」

 

 黒の貴公子がそう笑うが否や、ホークアイから黒い靄のような何かがずるりと出て、イーグルに襲い掛かった。靄はイーグルの中に入ってきて、身体を無理矢理あばかれる苦痛にイーグルは絶叫する。痛い、痛い、痛い!内臓が内からこねくり回されて、頭の先から真っ二つに割られるようだ。全身の神経が異物を拒絶し、雷に撃たれたような強い痺れに支配される。

 

「っ、あっ、あ、ああああああアアアアアア!!!!」

 

 黒の貴公子が出ていってホークアイは地面に崩れ落ち、フェアリーも弾かれて投げ出される。

 

「い、イーグル……!?」

『な、何が起こったの?!』

 

 全身の痛みと麻痺がようやく治まった時、イーグルの口からは自分の意志と関係なく「くくく」と笑いが込み上げた。

 

「ふははははははははは!闇の力、そして渦巻く愛憎よ!魔族と人間のちょうど境だ!この世の全てに君臨する王としてこれこそ相応しい、快適な体だよ、感謝する!」

 

 イーグルの声で、黒の貴公子が高笑う。腕が勝手に振り上げられ、炎が立ち上がりフェアリーを焼いた。

 

『あ、ああっ……!』

「フェアリーっ!!」

 

 悲鳴が上がる。フェアリーの小さな姿が黒い炎に包まれ、あっという間に灰となって宙に舞った。宿主となってからずっと感じていた、フェアリーとのつながりが消失したのを感じる。フェアリーの生命力であるマナの欠けらもない。明確な死だ。こんな簡単に、死んでしまう。

 

 勝手に手足が動く。黒の貴公子は片手でホークアイの首を掴んでいとも簡単に持ち上げ、ホークアイの足がぶらりと浮いた。

 

「うっ……!」

「安心しろ、お前も闇に染めて、飼ってやる。愛する友とずっと一緒だ、嬉しいだろう?」

 

 黒の貴公子が精神支配の呪術を紡ぐ。喉を締め付けられて顔色を赤くするホークアイの眼前に、黒い矢が生じる。意識と体が元に戻ったばかりで、ホークアイはまともに動けない。ホークアイの喉から苦しそうな呼気が漏れる。

 

 これ以上、好き勝手させてたまるものか。闇の支配を受けるのは二度目だ。抗い方も、知っている!

 

 黒い矢は、ホークアイの眉間の皮一枚を僅かに傷つけて、ぴたりと止まる。黒の貴公子が狼狽したのがイーグルにはわかった。

 

「何……?!動かん……!」

 

 イーグルと黒の貴公子の意思が拮抗して、イーグルの手はぶるぶると震えた。辛うじて開いた手からホークアイが地面に落ちる。

 

「ぬぅっ、私の支配に、抗うだと…?!」

 

 ホークアイはぜほぜほと呼吸を取り戻しながら、イーグルの中で起こっている現象を察したようだ。固まる黒の貴公子の足元から抜け出して、「イーグル、負けるな、勝て!」と激励してくる。随分と簡単に言ってくれるが、お前は意識も泥濘に沈ませて言いなりになって、まるっきり体を好き勝手させていたではないか。

 

 イーグルもろとも、なんて発想がホークアイに湧きっこないのはわかりきっている。リースとケヴィンにも。イーグルの身体の中で二つの意思が戦っているのを、ホークアイたちは、外からハラハラと見守っている。なんて愚かな連中だろう。イーグルが黒の貴公子を抑えつけている今ならば、攻撃も通るのに。

 ならば、己が意思の力で黒の貴公子を屈伏させるしかない。己が黒の貴公子に負けたなら、全てが終わる。世界も、ホークアイも。

 

 憎悪と憤怒を糧に、身体の支配権を主張する。黒の貴公子はイーグルの精神を己で塗り替えようと侵食してくる。

 これは意思と意思のつばぜり合いだ。押して押されて、最終的には胆力の強い方に軍牌が上がるだろう。魔力量では太刀打ちできずとも、この体への執着という点だけなら負けるはずがない。

 

「くくく、ますます気に入った。捩じ伏せてやろう!」

 

 黒の貴公子の圧倒的な魔力が、身体の中のマナというマナをぐちゃぐちゃに掻き混ぜる。血という血が全部逆流するようで、苦しみ喘いだ瞬間を狙われて、押される。

 

 そのときだ。足元の地面がひび割れて崩れ落ちた。地割れからは溶岩が噴き出し、イーグルの腕を灼く。黒の貴公子のアースクエイクとブレイズウォールが巨大すぎる故に、その残滓が予期しない形で黒の貴公子に跳ね返ったのだ。腕を灼く溶岩を振り払いながら黒の貴公子は飛び上がった。

 

「くっ、何だ、これは……?!」

 

 イーグルはそのとき、ようやくわかった。

 何故自分だけが執拗に死神に狙われていたのかを。何故運命は自分を選んだのかを。運命の特異点。それが──こんな意味だったとは。

 

「貴様っ──まさか、死の予言が、成就しようとしている……?!」

 

 黒の貴公子が狼狽したのをはっきりと感じる。そうだ、美獣が言っていたではないか。黒の貴公子はイーグルの死を予言したと。

 

「くっ……こんな体は要らん!こうなったら……真の姿を、見せてやろう……!」

 

 黒の貴公子がイーグルの身体を捨てようとした。逃すわけにはいかない。全身全霊を以って、イーグルの意識は黒の貴公子にしがみつく。

 

(絶対に逃がさない!俺こそがお前の器だ。お前もろとも、お前の予言を成就させてやる)

「離せっ、この下等生物が!」

 

 巨大な雷が一点に集中し、黒の貴公子もろともイーグルに落ちた。頭の先からつま先までを一瞬で引き裂かれるような熱さが走る。死ぬほど痛いが、元はと言えば黒の貴公子自身の魔法だ。自らを殺せるほどの威力にはほど遠い。

 

「ぐうっ……!」

(──ところで、黒の貴公子。お前、闇の神獣の力を手に入れ損ねただろう。闇の神獣がどこに行ったか、知っているか?)

「何……?!」

 

 暗闇の洞窟にいた闇の神獣はイーグルの精神支配を受け、大人しく闇の中に帰っていった。だが黒の貴公子がイーグルの中に入り込んだことで、その精神支配も途絶えた。たかが人間に支配され、さぞや怒り狂っているだろう。さぞや憎かろう。

 

 雷雲渦巻いていた聖域の空が、みるみるうちに真っ暗闇へと変わった。闇の中から、巨大な白い顔がぬうっと現れ、下に降りて来る。白塗りに道化の化粧のその顔に表情はないが、場を支配し始めた闇のマナからその怒気と怨嗟が伝わってくる。闇の神獣が口をばかっと開けると、その口は耳まで裂け、並んだ歯を剥き出しにする。

 

 殺意を向けられ、黒の貴公子は闇の神獣を殺そうと攻撃魔法を構築するが、イーグルが止める。ならば逃げようとするが、イーグルが動かさせない。黒の貴公子は半狂乱になってイーグルを責めた。

 

「貴様ぁあっ!正気か?!」

「イーグルっ──!!」

 

 ホークアイがイーグルを助けようと跳んだが、その足場が崩れ落ちて届かなかった。ホークアイは綺麗な顔を驚きに染めて、こちらに手を伸ばしている。残念だが、その手は取れない。イーグルはホークアイの顔を目に焼き付ける。

 

「じゃあな、ホークアイ。お前と一緒だった日々は誰にも奪えない、俺の最高の宝だったよ」

 

 最期の言葉はすんなりイーグル自身の口から出た。闇の神獣がイーグルの身体にがぶりと噛みついた。

 

「神をも超える存在のこの私が──……超神が、人間の死に巻き込まれる、だと……?そんなこと、が……──」

 

 巨大な歯列が身体に食い込んで、肉も骨も押し潰す。黒の貴公子は血反吐を垂らしながら、信じられないと呟く。

 

 そして、闇の神獣は黒の貴公子もろともイーグルを喰った。

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 ホークアイは受け身も取れずに地面に落ちて、呆然と闇の神獣を見上げたまま動けなかった。

 察したのだ。何故、イーグルばかりが死神に狙われていたのかを。運命の狙いはこれだった。今この時、こうなるために、イーグルの運命はあった。

 

 闇の神獣はイーグルの身体を黒の貴公子もろともバキバキと音を立てて咀嚼して、その歯列の隙間から血が噴き出るように漏れ、口元から顎が真っ赤に濡れる。千切れた膝下が歯に引っかかっていて、嚥下の拍子に地面にぼとりと落ちる。血にまみれたぐしゃぐしゃの何かをゴミのようにぺっと吐き出す。見る影もない、へしゃげた鉄屑になった鎧だ。内臓だったような肉片がその中に見える。

 

「……あ、ああ、黒の貴公子様……!!」

 

 美獣が吼え、闇の神獣に飛びかかる。その脇腹を、物凄い勢いで伸びてきた太い触手が抉った。気が付けばイーグルを食った本体の他に二体の道化が闇から顔を出していて、美獣を襲ったのはそれの舌だった。

 ぼだぼだと血が垂れ、その量で致命傷だと分かる。美獣は苦悶に顔と体を捩らせて、転移魔法で消えた。美獣の相手をしていたであろうデュランとアンジェラがこっちに走ってくる。

 

 空に現れた闇はいつの間にか聖域中に広がって、ホークアイたちの周りを包んでいる。

 

 そこら中から嫌な気配がして、周りを見渡すと、闇の中から禍々しい姿のグレートデーモンやグレムリンが召喚される。

 人語ではなく聞き取れないが、闇の神獣が何か言っている。闇のマナが頭上で騒めきだし、詠唱だとわかる。

 

 脳が灼き切れるような怒りが腹の底から湧き上がる。心臓が痛いほどにどくどく脈打つ。血が煮え滾って目の前が真っ赤に染まる。全身の産毛が逆立って闇の気配にざわざわ揺れる。

 

 頭の天辺から爪先まで怒りに震えながらも、真ん中の芯だけは氷みたいに冷たく静かだった。震える唇で詠唱する。対象は味方全員。ああこんなことなら自分も闇クラスにしておけばよかった。こんなに暴れたくても、今の自分じゃ決定打に欠ける。こんなに憎い相手を殺せない。

 

「形成すはレヴィアタンの鱗、其は不可視なる森羅の壁、其は命ある万象の鏡……」

 

 闇の神獣。放出された世界中のマナを吸い込み続け強力になっているが、それも他七体の神獣の力を吸い込んだ黒の貴公子よりかは遥かに劣る。一度は倒した相手で、その技も知り尽くしている。三体が形作る三角形、その闇のマナが場を支配する。

 

 闇の神獣のヘルサザンクロスが一帯のマナをぐにゃぐにゃと揺らす。前回ならば一撃で立っていられないほどのダメージだったが、カウンタマジックの膜がそれを反射する。

 

 自分が乗っ取られなければ、黒の貴公子を相手にしてもこんなふうに戦えたのに。イーグルが犠牲にならなくたって、黒の貴公子くらい倒せたのに。運命ってなんだ。何なんだよ。こんなやりかたでなきゃ、俺たちは黒の貴公子を倒せなかったのか?

 

 デュランが飛び出して、闇の神獣の白い顔を斬りつける。白塗りの皮膚はすぱっと裂けて皮膚の断面を晒すが、みるみるうちに塞がっていく。デュランは下から斬りあげるようにして、斜めに神獣の鼻を刮ぐ。神獣は大きく息を吸い込んだ。

 そして、血の混じった黒い霧を放射状に吐く。闇のマナをたっぷり含んだ、デーモンブレス。デュランの光り輝くような白銀の盾が赤黒く汚れる。その後ろからケヴィンが飛び上がり、削がれた鼻が再生する前に強烈な踵を捻り込む。頭上から舞い降りてきた見知らぬ緑の竜は何かと思えば、リースの召喚術だった。

 

「ホークアイ!」

「ホークアイしゃん!」

 

 駆け寄ってきたアンジェラとシャルロットがホークアイの両脇を支えた。自覚はなかったが倒れそうな顔色をしていたらしい。ふたりとも、涙で顔がしとどに濡れている。ぼろぼろととめどなく溢れる涙は、ホークアイの代わりに泣いてくれているような気がした。

 黒の貴公子に体を奪われてからの記憶はないが、彼らに心配をかけていたのは疑いようもない。この優しい仲間たちが、ホークアイを取り戻そうと奮闘してくれていたのは明白だ。

 だけどいちばん心配してくれただろう男は、ここにいない。

 

「……──今は、これを殺そう」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 そして、勝利した。世界は魔界に変わらなかった。

 マナの樹もマナの剣も失われたが、死んだと思っていたフェアリーはマナの樹の種だとか言って、マナの女神に生まれ変わった。新たなマナの樹となり、聖域で長い眠りにつくらしい。

 

『もし未来が私を必要としなければ、いつまでもここで、世界を見守っていることにします。さあお別れです、聖剣の勇者たち。さようなら……あなたたちの心の中のマナの剣が、いつまでも、光り輝き続けますように──』

 

 

 フェアリーだったマナの女神が姿を消しても、ホークアイは立ち上がれなかった。

 マグマのようだった激昂は冷めて硬い岩石になって、ホークアイの心臓にずしりと重くのしかかった。怒り狂っているときにもホークアイの真ん中にあった氷の芯は面積を増して、冷たさが手足の先まで行き渡っている。全身が重く冷たく、もう立ち上がることなんて一生できそうにない。へたり込んだ地面が泥沼のように沈み落ちていくような気がする。

 

 ホークアイに手を差し出してくれたのは、頬をしとどに濡らしたシャルロットだった。

 シャルロットの目に映っているのは同情ではなく、強い共感だった。ホークアイはヒースがいないことに気付く。闇の城からの脱出を手助けしてくれた彼を、確かに見た。世界救済の旅への同行を申し出てくれたような人格者のヒースが何故この場にいないのか、何故シャルロットはこんな顔をしているのか、二つの点と点を繋げるのは容易だった。シャルロットも、魂を預けられるような唯一無二を失ったのだ。

 

 ホークアイはシャルロットのか細く小さな手を取って、震える膝を叱咤して立ち上がった。衝動に任せて大声で泣き叫びたかったが、想い人を亡くしたシャルロットも気丈に立っているのに、ホークアイだけがみっともなく泣き喚くなんてできなかった。

 

 立ち上がったホークアイを、アンジェラが抱き締めてくれる。柔い体を押し付けて、「ホークアイ」と名前を呼んで、泣いてくれる。ホークアイは抱き締め返して、アンジェラの頭越しに他の仲間たちを見た。なんだか久しぶりだ。全てがやっと終わって、無事に世界も救われたのに、みんな一様に暗い顔をしている。

 

「──さあ帰ろう、みんな」

 

 無理やり上げた口角は引き攣って、笑顔にはなってくれなかった。

 

 

 

 イーグルの遺体の一部や、身に付けていた衣服らしきものは何も見つからなかった。黒の貴公子の魔法によって聖域の大地はでこぼこで、亀裂や地割れがそこかしこにある。血溜まりと、何かが地の裂け目に落ちたような形跡ならば残っている。千切れた脚や吐き出された鎧の残骸など見たくもないが、形見のひとつも残さないなんて、薄情なやつだ。

 ホークアイたちはぼろぼろの聖域を後にして、忘却の島に出てフラミーを呼んだ。

 

 別の時間軸から引き継いだ、長かった旅もこれで終わりだ。

 ここから先は、ホークアイも全く知らない世界だ。前回を越えて、ホークアイは生き残った。イーグルがされたように運命が殺しに来るようなこともなく、生きている。アンジェラも、シャルロットも。

 二度目のこの旅では、一度目にこぼれ落とした命を数多救ったが、運命が執拗に殺そうとしたのはイーグルだけだった。それが何故なのか、立ち止まって考えたことはなかった。目の前のことをこなすのが精一杯でそうしている暇がなかったし、考えたところで答えは出なかったろう。全容なんて終わってからしか見えないものだ。

 

「──99パーセント、未来は決まっている。残った1パーセントを、希望と呼ぶ……その希望が、マナの剣の勇者だ、なんて言ってさ」

 

 フラミーの上から見る景色は綺麗だ。海は光を反射して輝いて、空は透き通るように青い。世界は綺麗だ。でも、あいつがいないと、こんなに息苦しい。

 

「結局は、最初から最後まで、運命の手のひらだった。俺たちは劇場の人形にすぎなくて、繰り糸に繋がれて踊ってただけだった。バイゼルの怪しい占い師の方が正しかったってことさ、運命は100パーセント、決まってたんだ。夢も希望もなかったんだ。イーグルが死ぬのも、黒の貴公子の死に方も、俺たちが負けて戻ってきた時点で、決まってたんだ。利用されたんだ。命を、努力を、気持ちを」

 

 怨嗟は次々に口から出てきて、もう止められなかった。フラミーの上なのに、シャルロットが両手で耳を塞ぐ。浮きそうになる小さな体をケヴィンが抱えた。

 デュランが「ふざけんな」と怒気を込めて声を絞り出した。

 

「──俺は、運命なんて認めねえ。あいつが死んだのが、運命で最初から決まってたなんて、認めてたまるか。大体その99パーセントだとか100パーセントがどうとかって、そのへんの占い師のばあさんが言ってたことだろ?そんなもんテキトーだっての。インチキだよインチキ、くだらねえ」

 

 デュランの言う通りだ。ただ耳に残ったというだけで、占い師の何の意味もない常套句にすぎないのかもしれない。それに意味を持たせたのは、他ならぬホークアイ自身だ。

 

「運命なんかじゃねえよ。あいつはあいつの意思で、世界を……──お前を守ったんだ。どっちがついでだか、知りゃしねえけど」

 

 デュランはもう何も喋らなかった。ホークアイも黙った。

 イーグルが守った世界。イーグルが守りたかったナバール。これからも、ホークアイはそこで生きていかなくちゃならない。

 

 気が滅入る。ジェシカや首領、ナバールで待つ皆にイーグルのことを報告しなきゃならないと思うと、ナバールに帰るのは恐ろしかった。みんな泣くだろう。直接責め立てたりはしないだろうが、陰口なら叩くだろう。何故ホークアイはイーグルを守らなかったんだとか、何故ホークアイは生きているんだとか、死ぬならホークアイの方が良かったとか。誰かに代弁させてみたが、そう思っているのは他でもない自分自身だとふと気づいた。憂鬱だ。

 

 これから、イーグルの不在に、この空虚に、ホークアイはずっと耐えていかなければいけない。

 少しでも気を抜くと涙がこぼれ落ちそうになる。イーグルがマナの剣を抜くときに、重ねた手から、イーグルの心を垣間見た。イーグルがどれだけナバールやジェシカを愛していたか、ホークアイをどれだけ大切に想っていたか、知っている。一緒に生きようと言ってくれた。一緒に生きたかった。もう叶わない。

 

 

 

 

 フラミーをウェンデルに降ろして、ホークアイたちは神殿の前に降り立った。療養中のエリオットと紅蓮の魔導師の様子を見るためだ。

 神官たちの治療の甲斐あって、エリオットと紅蓮の魔導師は順調に回復しつつあるようだった。

 

「アルテナに連れて帰って、後は司法に任せるわ。マナの樹を失い、マナが消えてしまうこの世界で、これからアルテナに待ち受けているのは困難ばかりでしょう。労働力はいくらあっても足りないわ」

 

 一度死にかけて治療を受けたのが要因かは不明だが、紅蓮の魔導師の中にあった竜帝の闇の魔力は抜け切って、予想よりも大人しくしている。

 彼は竜帝に操られていた訳ではないが、竜帝の魔力によって思考や人格に影響が出るのはロキの件でも明らかだ。その点が裁判でも考慮されればいいと思う。せっかく、助かった命なのだから。

 

 回復しつつあるといってもまだ本調子でないエリオットをフラミーで運ぶのは酷だということで、まずはギガンテスをウェンデルに呼ぶため、アルテナに向かうことになった。ロキの遺体や、倒れた紅蓮の魔導師も運べるし、他国に散ったそれぞれの兵士たちを国に帰してやらねばならないそうだ。ホークアイが闇の城にいる間に、随分と色々なことがあったらしい。仲間たちの苦労を思うと、闇の城でやらかしたヘマが本当に申し訳ない。あのヘマがなければ、イーグルだって──……終わったことを後悔したってどうにもならないのに、どうすればこんな結果にならずに済んだのか、ぐるぐると考えてしまう。

 戻れるのなら、もう一度戻りたい。一番始めのあのときに。次こそ、上手くやれるんじゃないか。大切なものを守れるんじゃないか、なんて。

 

 再び六人でフラミーに乗り込もうとしたとき、神殿から駆けてくる人影が見えた。その姿を見て、同じく駆けだしたのはシャルロットだ。

 

「──ヒース……?!ヒースなの?!」

 

 純白の神官服、滑らかな白い髪と肌。飛びつくシャルロットをしっかと受け止めたのは、ヒースその人だ。

 

「シャルロット……!」

「うぇ、うええええええん!ヒース!ヒース!ヒースううう!」

「大丈夫だよ。もうどこにも行かないから……さあ、涙を拭いて。女神様に笑われちゃうぞ」

「う、うわ〜〜ん!びぇえぇぇ!」

 

 泣きじゃくるシャルロットをしっかりと抱き上げて、ヒースはフラミーに近づいてきた。そして「さあ早く乗ってください、皆さん」と全員を急き立てて、シャルロットを抱いたまま自らもフラミーによじ登った。フラミーは飛び立ち、あっという間に神殿は小さくなっていく。

 

 死んだと聞いていたヒースが、生きている。言葉を失っているホークアイたちに、ヒースは「女神様が、フェアリーだったときの命を授けてくださったんです」と説明した。

 

「ホークアイさん。マナの女神様は、フェアリーだった時の命を、ふたつに分けた、と仰っていたよ」

 

 心臓が、どくんと大きく跳ねた。そのままどくどくと早鐘を打つ。身体全体が心臓になったみたいだ。血は熱いし、汗がすごくてフラミーの背中を掴む手が滑る。

 

 リースが高揚して「……それ、それって──」と声を上擦らせる。ホークアイは片手でリースの口を塞いだ。

 

「ストップ。期待して違ったときに狂いそうだから、言わないでくれ」

「違うわきゃねえだろ、くそ馬鹿がよ!!」

「きゃーっ!フェアリー、ありがと〜〜!」

「びえええん!フェアリーしゃ〜〜ん!だいすきでち〜〜!」

「ウオオオオオオン!」

「み、皆さん、立つと危ないですよ……!」

 

 仲間たちはわんわん泣き出した。デュランやリースでさえ涙ぐむ。ホークアイは我慢した。だって、違ったらどうするんだ。ただでさえ生きるのが億劫になっていたのに、期待して、もし違ったら、本当に生きていけない。

 

 

 

 文字通り飛んで帰って、ナバールに着いたのは夕方だった。

 まだ飛んでいるフラミーからひとり飛び降りて、真っ赤に染まった砂地に着地する。走り出すが、砂に足が取られる。慣れているはずなのに上手く走れなくてもどかしい。

 

 広場に人だかりができている。がやがやと、「どうしてバラバラに帰って来たの?」なんて声も聞こえる。ホークアイは立ち止まった。心臓がうるさいくらいに主張している。

 

 人だかりの中から、人をかき分けて誰かがこっちに来る。そいつは夕日を背中にしょっていて、影になっていて顔が見えない。それでも、そのシルエットは見知ったものだ。

 

「──ホーク」

 

 と、聞き慣れた声がホークアイの愛称を呼んだ。

 

「──死んでから、声がしたよ。正確に言うと、声というよりかは意思というか、思念というか。マナの女神さまとはまた別の……俺たちが運命とか死神とか呼んでいた、何者かの思念だった。こうするしかなかった、みたいなことを言ってた。驚くことにそいつも、そいつなりに俺と世界を助けようとしてたんだ。俺は思ったね、全知全能なんていないんだって──」

 

 ぐだぐだとワケのわからないことを語るそいつに、ホークアイは体当たりするみたいに飛びかかった。二人して砂に倒れ込んで、砂にまみれて、そして── 泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

*****

 

 

 

 

 

 

 

 

 ──仲間の前では意地を張って泣かなかったらしいホークアイに存分に胸を貸してやって、全員無事に母国に戻って、それからしばらく。

 

 新たなマナが生み出されない世界では当然マナは循環せず、マナは目に見えて減少し始めたが、覚悟していたよりはなだらかな下り坂だ。魔法も、威力こそがくっと落ちたがまだ辛うじて使える。世界に少しマナが残ったのは、きっと、ホークアイたちがマナの減少を食い止めるために旅路を急いでくれたおかげだ。マナの女神の覚醒には繋がらなかったが、彼らのやってきたことに無駄はなかった。

 

 ウェンデルは信仰対象のマナの女神様を失ったが、新たなマナの女神様の復活を信じて待つようだ。瀕死だった光の司祭の完治や、死したヒースの復活、その彼が証言する死の淵での女神との邂逅は、神官たちにとってその信仰を増すに充分だったらしい。ヒースを女神代行とばかりに担ぎ上げる輩もいるらしく、しばらくは混乱が続きそうだ。

 一方市井にはエルフが数名棲みつき、ディオールとの交流が続いている。妖精王と光の司祭は、エルフと人間の交わりによる寿命の変化について共同研究を始めたらしい。妊娠する女性側だけでなく男性側の寿命にも影響を及ぼすのだから、何かしらの呪いの可能性が高い、とのことだ。いつか身を結ぶといいと思う。

 

 移住といえば、ナバールの数人は和解後ローラントに移住した。復興支援を通じて山岳の民族とすっかり打ち解け、かの国のために生きることを決めたらしい。元々脛に傷を持つ連中も多く、新しい地で人生をやり直したいと言われれば止める理由はない。

 ローラントは復興したが、マナの減少によって城を守る風を失った。ジョスター王は再びローラントを難攻不落にすべく日々奮闘していて、ナバールの元工匠が罠の識者として厚遇されている、なんて珍事も起こっているらしい。

 

 竜帝の亡骸をこの目で確認する、と英雄王に約束していたデュランはたったひとりでドラゴンズホールに行って、さすがに無理でとんぼ帰りしたらしい。デュランは旅のお供にアンジェラを誘ったらしいが、多忙で時間の取れなかった王女は代わりに紅蓮の魔導師を送ったらしい。是非とも、そのときのデュランの顔が見たかった。紅蓮の魔導師はかつて魔法も使えない時分に旅の途中でふと立ち寄って竜帝の死体を発見したらしいが、ひとりでどうやったのか全くもって不思議な話だったので、是非ともデュランには真相究明してほしいところだ。

 

 月のマナストーンを失った月夜の森は普通の森となり、朝が訪れるようになった。太陽は偉大で、獣人たちの気性は随分マシになった。月の光は連中にとっては興奮剤のようなものだったらしく、常夜だった森を惜しむ声さえあるらしい。勝手なものだ。

 ビーストキングダムでは獣人王が引退を宣言し、新たな獣人王を決める大会が開かれ、ケヴィンは見事に優勝した。しかし人間との和平を進める新しい王に対する不満の声は大きく、ケヴィンはこれからも二年毎に同じ大会を開くことを決めた。不満があるやつは勝って自ら王となれ、というわけだ。ちなみに、武器類の使用こそ禁止されているが腕に覚えがあれば誰でもウェルカムで、他国の人間でさえも参加可能だ。不安すぎる国家体制だが、戦闘狂の獣人共にとっては、強いやつと戦える機会を逃す方が愚かだ、ということらしい。ケヴィンは必死で鍛練を続けている。

 

 アルテナは魔法国家を名乗るのを早々にやめて、技術を前面に押し出してきた。魔力の保持量による格差はなくなったが、今度は技術者たちがデカい顔をし始めたらしい。人の業にはほとほとうんざりだ。

 魔法の使えなくなるこれから、アルテナは厳しい寒さと戦うことになる。女王もアンジェラもそう予想していたが、アルテナの寒さは寧ろ少しずつ和らいでいる。考えてみれば当然だが、ウィンテッド大陸北西部が極寒の地だったのは、この星を巡るマナエネルギーの潮流によって水のマナが集まる場所だったからだ。今は過渡期で、一年後どんな気候になっているかは誰にも予想できない。

 

 気候変動が激しいのは、火のマナの影響が消えたこの砂漠でも同じことだ。火炎の谷から噴出するマグマは冷えて固まって、谷の生態系は一変した。炎を好むモンスターたちが去りコカトリスが大繁殖し、近頃のニンジャ隊はその対処に追われている。

 

 ナバール盗賊団は砂漠の緑化を目指す非営利組織に転身した──ということになっているが、悪どい金儲けをする者がいれば容赦なく前身が顔を見せる。暗黙の了解の裏の顔だ。

 だが表の顔があれば堂々と街中を歩けるし、他国との繋がりも持てる。アルテナに技術提供を頼もうにも、盗賊相手では向こうの外聞が悪すぎる。他国の旅の仲間たちにとってナバールは盗賊団じゃない方が都合が良く、転身の背景には各国の後押しもあった。しかしつまらん政治活動や地道な緑化活動よりも裏の活動の方が、ホークアイを筆頭にみんな活き活きしている。

 

 新生ナバールは、救世の英雄となったイーグルとホークアイを旗頭に、砂漠中の各部族の族長と話をつけて、それぞれ代表を出し合って暫定政府を作った。世界情勢が目まぐるしく変化している今のところは様子見で皆大人しいが、揉めるのも時間の問題だろう。正直今から頭が痛い。

 

 そんなわけでイーグルはナバール盗賊団次期首領の称号を失って、今は救世の英雄、兼、砂漠の暫定政府代表だ。

 忙殺されている折に飛び込んできたのは、ローラントからの婚姻話。持ってきたのは父フレイムカーン。その横にはビルとベンがにこにこと満面の笑みを浮かべていた。

 

 このところてんてこ舞いで気が付かなかったが、いつの間にかやら外堀を埋められている。ナバール中から祝福やら冷やかしやらやっかみが飛んできて、イーグルは辟易とした。

 イーグルがローラントのリース王女を好いている、と勘違いしているビルベンがフレイムカーンとナバール中に触れ回ったらしい。ビルベン曰く「本人から直接聞いたのだから間違いない」らしい。情報のわずかな断片だけ見聞きして全貌を把握した気になり、吹聴するなど愚の骨頂だ。だが訂正して周るにはあまりにも広まりすぎていた。

 書面を読むと、ジョスター王も救世の勇者との婚姻に随分乗り気のようだ。本人不在のまま何故か前のめりに進む婚姻話。やたらと和睦がまとまるのが早かったのはそれか。

 

 三日ぶりに会ったホークアイは面白くなさそうな顔をしている。もちろん祝福が聞きたかったわけではないので、寧ろその顔つきは地を這っていたイーグルの機嫌を上向かせた。

 

「俺とリースの結婚は反対か?」

「そりゃ、面白いわけない」

「リースを俺に取られるのが嫌なのか?」

「両方だよ、リースをお前に取られるのも、お前をリースに取られるのもどっちも面白くない」

「ふーん……」

「それで?受けるのか」

「もう断ったさ。当たり前だろう?向こうだって周りが盛り上がってるだけでリース本人はブチ切れてるって話だ」

 

 あからさまにホークアイはほっとした顔をする。

 

「まぁ、そうだよな。というか現実的じゃない。リースはローラントを出ないだろうし、お前も今や砂漠の代表だし」

「代表なんて、英雄の称号に周りがビビってる間だけさ。ま、親父曰く、『本物の愛なら遠距離でも問題なく育める』そうだ。行き来させる気だったらしい。この距離を」

「なんだよそれ、無責任だな」

「お前なら、まぁ、問題ないかと思うんだがな、遠距離でも。拠点をここにする限りは、俺もとりあえずは反対しないし」

「……」

 

 ホークアイは黙った。何を考えているのかいまいち読めない。

 

「……ところでさ、昨日、オアシスで」

 

 と、ホークアイは話を逸らす。大事な話をこれで有耶無耶にしようとは呆れたものだ。

 

「美獣に会った」

「なんだと?!」

 

 とんでもない話の逸らし方だ。リースとの色恋沙汰の話など頭から吹き飛ぶ。

 イーグルもろとも黒の貴公子が死んだ後、行方を眩ましていた美獣が、この砂漠に。黒の貴公子に心底心酔していたあの女のことだ、復讐が目的で間違いない。

 

「──赤子を抱いてた」

「はぁ?!」

 

 嘘だろ、と言葉を失う。宿したばかりだったのなら傍目では分かりようもないが、少なくとも腹は膨らんでいなかったし、妊娠しているような素振りもなかった。そもそも化け猫の妊娠期間など予想のしようもない。

 

「誰との……」

「そりゃまぁ、十中八九……」

 

 思い浮かべる顔はひとつだ。直接見たことはないが、やつをホークアイの中から追い出そうとしてホークアイの記憶を辿ったときに見た。

 

「驚くほど穏やかな顔をしてた。恨まれてるだろうからナバールには行かないけど、一言謝りたくてね、なんて言って結局謝らずに、ありがとう、だって。意味を聞いたら、もういなくて」

 

 ナバールを瓦解させておいて、随分身勝手だ。ありがとう?いったい何に対して。

 当然やつとの子だと思ったが、あるいは──……

 

「……俺が死んだときに聞いた、思念の話なんだがな」

「よくわからんやつな」

「その思念は──まぁ、とりあえず、死神としよう。俺の運命をリセットするために、いったん殺す、なんて手段を使う碌でもない神だ。あの死神は、黒の貴公子にも同情的だった。俺にしたように、いったん殺した……とも、考えられる」

「……というと?」

「お前も言ってたろ、前回、月の精霊ルナがルガーにしたこと」

 

 ホークアイは金の目を見開く。こぼれ落ちそうだ。

 

「じゃあ、あの赤子は……」

「そういう可能性もある、という話だ」

「……──そうだと、いいな。あいつ……自分が嫌で、生まれ変わりたかっただけなんだよ。新しい何かに」

 

 身体を奪われておきながら、このお人好しは何を言ってるんだろう。どうやらあの男に同情的なのは死神と美獣だけではないらしい。イーグルは額に青筋を立てかけるが、ふうと息を大きく吐いて怒気を逃がす。

 その赤子の正体が何であれ、美獣もその赤子も金輪際この砂漠に立ち入ってほしくない。

 

 確かめようがないことを考えたって仕方がない。何故ならイーグルたちには、他にも考えなきゃならないことが山のようにある。これからの砂漠全体のこと、ナバールのこと、渉外のこと。

 

 イーグルとホークアイは、これからも、この砂漠で共に生きていくのだから。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






























イ「……それで、いい加減リースに気持ちは伝えないのか?遠距離はそんなに問題か?」
ホ「──言ったよ」
イ「え?」
ホ「フラれた」
イ「……そうか……リースが遠距離は嫌だったか」
ホ「距離の問題じゃない。トメがあまりに過干渉すぎるらしい」
イ「トメなんてお前にいないじゃないか」
ホ「…………」
イ「ああ俺か」
ホ「自覚があって何よりだよ」
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