話は少し前後する。シャルロットは、ヒースと共にフェアリーの回収の為アストリアへと赴いて、この穏やかな湖畔の小さな村が獣人によって滅ぼされてしまうことを思い出した。ヒースはシャルロットの訴えを聞くと、すぐにアストリア中の村人をかき集め、獣人が迫っている旨を告げた。
しかし村の年寄りの一部は村に伝わる滅びの伝説を口にして、「生まれ育ったこの村を捨てることなどできましょうか。滅びは定められたことなのです、神官さま」と村を出ようとはしなかった。
「??? じじばばのいうことはよくわからんでち。かぞくをかなしませてまで、こだわること?」
「この子の言う通りです。お年寄りも病人も皆、手を貸し合ってウェンデルへ向かいなさい。我々は貴方たちを受け入れます。さあ、戦える者は武器を持ちなさい。なければ鍬でも鋤でもいい。途中の洞窟は、今は魔物が出るから気を付けて」
頭の固い老人たちも有無を言わさぬシャルロットとヒースに押し負けて、「神官さまが、そうまで仰るのなら」と家財をまとめ、犬一匹残ることなく村人全員でアストリアを出て滝の洞窟へと向かったのだった。
村人全員が滝の洞窟へと入ったのを見届けて、ヒースは獣人の侵入を阻むため、洞窟の入り口に結界を張った。
獣人の斥候数名が現れたのはその時だ。獣人たちはヒースが洞窟に細工したことを察すると襲いかかってきたが、ヒースの敵ではなかった。一発のホーリーボールで獣人たちは気を失って、思わずシャルロットは悲鳴をあげた。
「ひえっ、ひ、ヒースって、こんなにつよかったんでちか?!」
「ふふ、シャルロット。ひとの力量は、そのひとが強くならなきゃわからない。強くなったね、シャルロット」
と、逆にヒースに賞賛されて、シャルロットは愕然とした。まだ20いくつの若い身空で、ウェンデル随一と称されるほどの完成された強さ。シャルロットも旅を始めた頃とは比べ物にならないほど成長し、魔法も数多く覚えた自負があった。しかし、それでもまだヒースの足元にも及ばないのだろう。
「シャルロット!」
突如ヒースがハッとして、シャルロットを抱えて地面に伏せた。その頭上で闇の魔法が炸裂し、何処からともなく、気味の悪い男の声がする。
「クックック、なかなかカンがいいネ。そういうお人形が欲しかったんですよネェ!」
背が低く骨と皮だけのピエロが突如闇から現れる。忘れもしない、前回ヒースを攫った男である。シャルロットは頭にカッと血が上る。道化が再び闇の魔法をこちらに向けていることに感じ取り、ヒースが叫ぶ。
「シャルロット!私の後ろに!」
「シャルロットだって、たたかえるでち!ヒースはさがってて!」
「いけない、シャルロット!」
シャルロットだって、ホークアイたちとの旅路を経て、2回もクラスチェンジを終えて成長したのだ。それをヒースに証明したくて、得意のホーリーボールをぶつけてピエロの魔法を相殺してやろうとマナを練り上げる。
「――んん?!」
しかし、マナが集まらない。この土地は光の神殿にほど近く、光のマナが比較的多い土地なのだ。だがいくら光のマナを集めようとしても、宙に散ってしまう。
それもそのはずだ。今までシャルロットは、魔法を使う時は精霊に力を借りていた。精霊に依存して覚えた魔法を、突然たったひとりで今まで通りに使いこなせようはずもない。
「なァ~にをやってるんですかネェ、このチビは?邪魔だヨ、どきな!」
と、ピエロの攻撃魔法がシャルロットに向かって放たれた。避けようとするが、足が竦む。
「きゃ……!」
「シャルロット!」
シャルロットはどんと突き飛ばされて、地面に転がった。手や膝を強く擦りむいて、痛みに泣きそうになりながらも「ヒース!」と素早く起き上がる。ヒースはシャルロットの代わりにピエロの魔法に直撃して、どさりと崩れ落ちた。
「ヒーッヒッヒ、足手纏いを持つと苦労しますネ!しかし思わぬいい拾い物をしましたヨ!アリガト、おチビちゃん!」
と、ピエロは黒いモヤを発現させた。ワープの魔法だ、とシャルロットは察した。あの時と同じだ。シャルロットの所為で、ヒースがやられ、攫われようとしている。シャルロットは頭の血管が焼き切れるような心地がして、目の前が真っ赤に染まった。
「ヒースにさわるなッッッ!!!」
先ほどは霧散するばかりで少しも集まらなかったマナが、激情に合わせてシャルロットの周囲を渦巻く。ピエロはぎょっと顔を引き攣らせて後ずさった。
「ヤレヤレ、こどもの癇癪には付き合ってられませんヨ!じゃ、またネ!」
と、ヒースを攫うために発動させたワープにピエロは自ら飛び込んで、跡形もなく消えた。逃げたのだ、と気付いてシャルロットはヒースに駆け寄った。行き場所を失ったマナも空気に溶ける。
外傷こそないが、ヒースの意識は戻らない。あんなふざけた格好をしているのに、あのピエロは凄腕の呪術師だ。もしヒースが身代わりになってくれなかったら、無防備なシャルロットはひとたまりもなかっただろう。
なんとかなると、思ってしまった。自分ならなんとかできると驕ってしまった。悪い癖だと知っていたのに。
シャルロットの所為でヒースがやられてしまうと知っていたのに、同じ轍を踏んでしまった。
「ヒース……!ごめんなさ……ヒース……!おねがい、おきて……」
ヒースの顔色がどんどんと土色に変わっていく。呼吸はひどく浅く、一見しただけではまるで死人のようだ。シャルロットは青ざめながらヒースを癒そうとしたが、魔法はやはり上手く発動しなかった。あまりの無力感に、シャルロットは声もなく涙を流すしかできなかった。心の内で、かつての仲間たちの名前を呼ぶ。ホークアイ、アンジェラ、彼らがいないと、自分はこんなに無力だったのか。
助けを求めようにも、頼れるものは誰もいない。ウェンデルに戻ろうにも、ヒースの張った結界がそのまま残っていて滝の洞窟に入れないし、アストリアにも村人は誰も残っていない。いつのまにか日も暮れていて、死人のようなヒースとたったふたり暗闇に取り残されて、シャルロットは震えた。
アストリアで待っていれば、きっとホークアイたちが迎えに来る。そう期待を抱き、シャルロットはヒースの体をなんとか引き摺って、今は無人のアストリアを目指した。
しかしヒースは成人男性にしては細くて軽いが、シャルロットの力では動かすことさえも難しかった。暫く引き摺って振り返れば、ほんの数十メートルも進んでいない。これは夜通しかかるだろう、と涙目になりながらまたヒースの腕を抱える。
アストリアの方向から眩い光が見えたのはその時だ。光は湖畔をふらふらと漂って、木々の間に消えていった。フェアリーだ。
シャルロットはゾッとした。力を振り絞りヒースを引っ張って光の後を追いかけた。ホークアイの到着が間に合わず、ヒースもこんな状態の今、宿主が見つからないフェアリーはきっと死んでしまう。ならば、シャルロット自身がその受け皿になってやるしか、フェアリーの生き残る道はない。
しかし意識のない成人男性を引きずりながら森の中をいくなど、シャルロットには到底無理だった。だがどんなに重くたってヒースを置いて行くわけにはいかない。ヒースを守れるのは、シャルロットしかいないのだ。シャルロットはどうすればいいのかわからなくて泣きそうになりながら、牙を剥いて襲い掛かってくるラビを相手にフレイルを構えた。
「伏せな、ガキんちょ!」
と、若い男の声がシャルロットの背後から飛んできた。とっさに伏せると、頭上からごつい剣が振り下ろされて、ラビが切り飛ばされた。驚いて尻もちをついて、ラビを切り捨てた男を見上げる。
硬そうな栗色の髪、日焼けした肌、隆々とした筋肉。フォルセナの元傭兵、デュランがそこに居た。この男にはかつての旅の中、ジャドの牢に閉じ込められた際に助けてもらった恩がある。その後も、アルテナのフォルセナ侵攻の際は共に戦った。隣を見れば、獣人ケヴィンも共にいる。この少年とも、月夜の森で獣人ルガーを相手に共闘したことがある。どちらの男も、かつての旅の中ですれ違い、少し手を貸してくれた。シャルロットは首を傾げて、「ほえ?」とつい疑問を口にした。
「なんで、あんたしゃんたちがこんなところに?」
「あ?俺らを知ってんのか?」
と、デュランは刀身の血をふき取って、さりげなくシャルロットが立ち上がるのに手を貸した。ケヴィンは「大丈夫?そのひと……」とヒースを助け起こそうとし、意識がないのに戸惑っている。
「あんたしゃんたち、とっってもいいところにきてくれまちた!そでふりあうもたしょ~のえん、いっしょにフェアリーしゃんをおうでち!さっきのひかりのたまをみたでちょ?」
「ん?フェアリー……?ホークアイも確かそんなことを言ってたな」
と、デュランの口から聞きなれた名前が飛び出す。
「あんたしゃんたち、ホークアイしゃんにあったんでちか!ホークアイしゃんはフェアリーしゃんをおいまちたか?!」
「ああ、随分焦って飛び出してったぜ。アストリアは何故か無人だったし、俺たちも奴らを追おうとしてたところだ」
シャルロットはホッとして、へなへなと地面に座り込んだ。ホークアイは間に合ったのだ、助かった。フェアリーの宿主の心配は、もういらないだろう。
デュラン達が事の重要さを理解していない様子を見るに、ホークアイは彼らに詳しい話は全くしていないようだ。恐らくはジャドでこのふたりを拾って、アストリアの村人たちの避難の件で、手を貸してくれと言ったに過ぎないのかもしれない。人手は多いに越したことはないし、善良で扱いやすそうな面々だ。とりあえず仲間にするのに否はない。
「お前、ホークアイと知り合いみたいだが……」
「しりあいもなにも、なんどもいきるしぬをともにした、せんゆーでち!ホークアイしゃんがフェアリーしゃんをひろってくれるなら、なんにもしんぱいはないでちね。アストリアのひとたちのひなんはもう、すんでるんでち。シャルロットたちはアストリアにもどって、ホークアイしゃんがかえってくるのをまちまちょ。ねぇ、ヒースをはこんでくれる?」
デュランとケヴィンにそうお願いすると、ふたりは顔を見合わせて「戦友……?」と首を傾げながらも、病人を安全なところに運ぶことに否はないようだ。シャルロットとしては一刻も早くホークアイに会いに行きたい気持ちもあったが、意識のないヒースを連れまわすのは避けたい。ケヴィンがヒースを背に背負って、デュランに道を先導されて、シャルロット達はアストリアまで戻ったのだった。
シャルロット達が森に居る間に、獣人達はアストリアにやってきて、既に去ったらしい。洞窟が通れない腹いせに村を襲撃したのだろうが、村は既に無人だ。八つ当たりをぶつける対象もなく、一部の家屋に火が放たれているに留まっている。
デュランたちは「酷え……なんてことを」と憤っていたが、前回の惨劇に比べれば被害はないにも等しい。何たって、誰も死んでいないのだ。
夜も明けて、朝焼けに照らされ薄明るい無人の村の奥に人影がぽつんと見えた。一番に発見したのはケヴィンで、ヒースを背負ったまま器用に「おおーい!」と嬉しさを前面に出して手を振った。村の様子を見ていた彼もこちらに気付き、笑顔で手を振り返す。
ホークアイだ。ついシャルロットは立ち止まって、デュランたちがホークアイに近づいていくのを見つめた。シャルロットの胸の中に温かいものが押し寄せてきて、体の中に収まりきらずに目から溢れ出る。随分と長い間、会っていなかった気がする。
デュランたちの後ろで立ち止まったシャルロットに気付かず、ホークアイは男たちに「よっ、おつかれ~」とにこやかに声をかけた。デュランがあたりを訝しげに見渡して、「お前ひとりか?」とホークアイに尋ねた。
「相方はどうした。あんまりほっとくと、呪いで死ぬんじゃねえのか」
と、心配を滲ませる。どうやらホークアイには、同行者がいるらしい。しかしホークアイはからりと笑った。
「あ~、あれ、治った。どうも、ご心配おかけしました」
「はあ?!人騒がせにも程があんだろ!」
「いや~ごめんよ。今は手分けして村の様子を見てたトコ。上手くやってくれたみたいだな。ん、ケヴィン、その人は村の人かい?重症なのか」
と、ホークアイはケヴィンの背負ったヒースに気が付いて、顔をきりりと締めた。怪我人だと思ったのだろう。ケヴィンは「怪我は、ないんだけど……」と困惑する。
デュランはくいと顎をしゃくってシャルロットを振り返った。
「俺らが付いた時には村は既に無人で、どうもこいつが――……」
デュランはシャルロットの号泣を見て、言葉尻を消してぎょっとして体を引いた。その視線の先を追って、ホークアイは漸くシャルロットの存在に気が付いたらしい。
「シャル――……!?」
と、ホークアイは荷物も放り捨てて駆け寄ってきた。シャルロットもなりふり構わず飛びついて、薄くて固い胸に顔をぶつけた。
ホークアイは力いっぱいにぎゅうと掻き抱いてくれて苦しい程だが、その力強さが嬉しかった。シャルロットは涙や鼻水をホークアイの胸になすり付けて、声をあげて泣いた。
「びえ、びええええ、ホークアイしゃんんんん、きてくれるって、しんじてた――……!」
「遅くなって悪かったよ、シャル。デュランたちと合流してくれてたんだな」
聞きなれた優しい声。いつだってホークアイは、シャルロットやアンジェラを励まして、前を導いてくれた。この声を聴くだけで、大丈夫だと思える。
「じゃあその人が、ヒースなんだな。平気なのか?」
と、ホークアイはケヴィンに背負われたヒースに視線を移して、心配そうな声を上げた。再会劇に目を白黒させていたケヴィンが、死人のようなヒースをそっと地面に寝かせた。
「うっ、うっ……ヒースは……ヒースは……」
シャルロットは、目覚めてから今までのことをホークアイに泣きながら話した。ヒースと共に、アストリアの住人をウェンデルに避難させたこと。前回ヒースを攫った道化のような男に、また襲われたこと。
「シャルロットのせいなんでち……!シャルロット、まえみたいに、まほうつかえなくて、よわくて、だからヒースが……!」
己の不甲斐なさが憎くて、シャルロットは溢れる涙で前が見えなくなった。精霊に依存して覚えた魔法を、何故今も使えると思ってしまったのだろう。何故ヒースを守れるなどと驕ってしまったのだろう。
後悔にシャルロットがホークアイに縋り付いていると、誰かがシャルロットの隣に膝をついて目線を合わせ、シャルロットの涙を指で拭った。
「シャルロット。その人は死んでもいないし、いなくなってもいないじゃないか。本来攫われていたはずのヒースを、君が救ったんだ。胸を張って前を向け。自分の弱さを嘆くのは、いつだってできる」
と、白い歯を見せて笑ったのは金色の髪と青い瞳を持つ美しい男だった。堀が深く、整った華やかな顔立ちはどことなくホークアイに似ている。シャルロットの泣き声を聞きつけて、いつの間にかホークアイの同行者も傍に居たらしい。驚きに涙は引っ込んで、シャルロットは目を点にして後ずさった。
「ほ、ホークアイしゃん、だれでちかこのイケメンは……!?まっ、シャルロットはもっとはかないかんじのびじんのほうが、このみでちけど?」
イケメンがいいことを言うので、ついときめいてしまったのが悔しくてシャルロットは減らず口を叩く。デュランが後ろで「そこかよ……」と呆れた声を上げた。その美しい男は楽しそうにくすりと笑って、ホークアイに目を流す。
「かわいいコだな」
「見た目に似合わず、たくましいコだろ?」
と、ホークアイも親しげな笑みを返す。おや、とシャルロットは思った。なんて、自然に笑うのだろう。
金髪の男は「アストリアの件は、君達がやってくれたんだな。ありがとう」と、シャルロットを優しく撫でてから、立ち上がってケヴィンに向き直った。
「自己紹介は後にしよう。その人、俺に見せてくれ」
と、金髪の男は膝を付いてヒースの脈を測り、観察するようにじっと全身を眺めた。
ヒースの顔色は先ほどよりも遥かに悪化して、紫色を帯びている。生命力が少しずつ失われていくのが目に見えて、シャルロットは何も言えず言葉を飲むしかなかった。なんて無力なんだろう。何で治癒術をかけてやることさえできないんだろう。
金髪の男はヒースの額に手をあてて、その冷たさに眉を顰めた。
「外傷こそないが、このまま放置すれば死んでしまう。闇のマナがこの人の中にまだ残っていて、それが体と精神を蝕んでいるんだ……だが、光のマナを送り込むことによって、相殺できるだろう」
「でもシャルロットは、いまは、まほーがつかえないんでち……!だから、はやくウェンデルにもどって、おじいちゃんか、しんかんたちに――」
「俺がやってみてもいいか?」
と、金髪の男はシャルロットを真っ直ぐに見据えた。
「俺は魔法に関しては独学だし、治癒術の力量は神官たちには遠く及ばないだろう。だが、この容態では、一刻を争うと思う。シャルロット、君が決めてくれ」
治癒術が一応使えるのだと、この男は言っている。しかし、生半可なマナの扱いは、逆に危険だ。今回の場合はただ治癒術を使うのではなく、光のマナを直接送り込み、闇のマナに当てて中和しなければならない。そんな繊細な作業を、独学に過ぎないという相手に任せたいとは思えなかった。名前も知らぬこの男に、大切なヒースの生死を委ねるなんてできない。だが、猶予がないことは、シャルロットも見ればわかるのだ。
シャルロットは怖くなって、隣で同じように膝を付くホークアイを見た。ホークアイがシャルロットを安心させるように、こくりと強く頷いたので、シャルロットは心を決めた。
「お、おねがいするでち!おねがい、ヒースをたすけて――……!」
「任された。君の、大切な人――……死なせはしないさ、シャルロット」
男の手のひらに、薄明るい光が灯る。光のマナの粒子が彼の意志に従って、ヒースの中にゆっくりと少しずつ入っていく。ヒースを蝕んでいた闇のマナが、一粒ずつ消えていくのが感じ取れた。
何が独学だ。何が遠く及ばないだ。精鋭ぞろいの神官たちの中にも、こんなふうに光のマナを扱える者は少ない。シャルロットが驚きに息を呑むと、ホークアイが自慢げに笑みを作ったのが目の端に写った。
暫く続けると、先ほどまで土気色だったヒースの顔色が少しずつ赤みを取り戻してくる。ヒースは瞼をピクリと動かした。
「う……」
「ヒース?!ヒース……!」
「シャルロット……?私は……」
「う、う、ヒース、うわあああああん!」
ヒースが意識を取り戻して、その薄青い目にシャルロットを写したのを見て、シャルロットはもう何も考えられずにヒースに飛びついて、ヒースの胸に顔を押し付けて泣き喚いた。縋りついた胸は温かくて、呼吸のたびにゆっくりと小さく上下する。ヒースは清浄で澄み切った固有マナを取り戻して、そのマナは傍にいることさえ心地よい。
ヒースは起き上がることもできないくらい弱っていて、力なくシャルロットの背中に手を置いた。
「心配をかけてしまったね……泣かないで、シャルロット。もう大丈夫だから……」
「ううっ、ヒース、ヒースううう!ごめんなさい、シャルロットが、よわかったから……!」
「いいやシャルロット。君が、守ってくれたんだろう――わかっているよ、ありがとう」
シャルロットは周囲の男たちの心配も困惑も気にせず泣いて泣いて、涙と声が枯れ果てるまで、ヒースの服を濡らし続けたのだった。
シャルロットが落ち着いた後も、金髪の男が「まだ完璧に闇のマナを中和できたわけじゃない。場所を変えよう」とヒースを背負ったので、シャルロットたちは焼け残っていた宿屋のベッドを借りた。ヒースを寝かせ、男は治療を続けた。ヒースの中にある闇のマナが一粒一粒、男の操るマナによって消されていく。ヒースはその技にほおと感嘆の息を吐いた。
「ありがとうございます……あなたがいなければ、私は闇に侵食され、アンデッドと化していたやもしれませんね。素晴らしい腕をお持ちだ。神殿に勧誘したいくらいです……最も、聖剣の勇者ともなれば、そんな暇はないでしょうが」
というヒースの言葉にきょとんとしたのは、それぞれ理由は違えど全員だった。ヒースは真面目な顔をして続ける。
「あなたの中に、虫羽の、小さな妖精の影が見えました……あなたが、フェアリーに選ばれし聖剣の勇者、ホークアイさんですね。シャルロット同様、未来の記憶をお持ちだとか」
と、ヒースは金髪の男とホークアイを間違えた。ホークアイは小さく挙手して「あ、それ俺です」と言って、金髪の男は楽しそうに「くっ」と喉を鳴らして笑った。
「いや、ホークより俺の方が勇者っぽいっていうのは、なんとなくわかりますよ、うん」
「す、すみません……確かに、虫羽の影を見たのですが……」
『いえ、彼がフェアリー憑きだというのは大正解なんです、神官様』
と、金髪の男の中からフェアリーがふわりと舞い出た。ヒースにべったりとくっ付いたままだったシャルロットも驚き半分喜び半分で「フェアリーしゃん!?」と跳びあがった。妖精を初めて目にしただろうデュランとケヴィンは目を点にして後ずさる。
かつて占い師の老婆でさえ、ホークアイの中にフェアリーの影を見ていたのだから、ヒースがフェアリーの宿主を当てても不思議でもなんでもない。なんたってヒースはウェンデル随一の神官であり、それは世界一と同義と言っても過言ではない。
『二度、宿主として選ばれることはできないんです。ホークアイは別の未来で既に宿主となっているから、それで、この彼に――』
「そういうことでしたか。フェアリー、あなたも別の未来から戻っていらしたのですか」
『いいえ。でもホークアイの記憶を読んだので、シャルロットのことも、彼らが歩んだ旅路のこともよく存じてます』
と、フェアリーはにっこりとシャルロットに微笑んだ。どうやら、同じ個体ではあるものの、シャルロットが知るフェアリーそのものではないらしい。
「じゃあ、はじめましてなんでちね、フェアリーしゃん。フェアリーしゃんのおかげで、シャルロットたちはこうしてやりなおすことができてるでち……だから、とってもかんしゃしてまち。こんかいも、よろしくでち!」
『こちらこそ、戻ってきてくれてありがとうだよ!よろしくね、シャルロット』
シャルロットは伸びあがって金髪の男の頭上のフェアリーに手を伸ばし、フェアリーはシャルロットの爪ほどの大きさしかない手のひらをシャルロットの差しだした手の指先に触れさせて、握手のように縦に揺らした。
「それで、ホークアイしゃんからしゅじんこうのザをうばったこのハイスペックイケメンは、どこのだれなんでち?いいかげん、しょうかいしてほしーでち」
シャルロットとフェアリーの挨拶をにこやかに見ている金髪の男とホークアイを見上げて尋ねると、ホークアイは「ああ、紹介が遅れたな」と金髪の男を指差した。
「こいつはイーグル。俺のツレで、今回の聖剣の勇者サマ。イーグル、こいつはシャルロット。光の司祭様の孫で、頼れる半永久まんまるドロップ」
「よろしく、シャルロット。先の旅では、ウチのホークアイが世話になったな」
と、男たちはお互いを身内扱いして、柔らかに笑った。シャルロットはまんまるドロップ扱いされたことを怒るのも忘れて、金髪の美しい男の顔をぽかんと見た。
イーグル、その名前に聞き覚えがある。ホークアイは故郷について多くを語りはしなかった。しかし親友の仇だという美獣を目の前にした時のホークアイの表情の数々は、シャルロットも忘れられない。
失くしてしまった、大切な人。ホークアイは守りたいものを守ったのだ。
「ホークアイしゃんのしんゆーなら、シャルロットのしんゆーもどうぜんでち。よろしくでち、イーグルしゃん!」
と、シャルロットが真っ直ぐに手を差し出すと、イーグルはにこやかにシャルロットの手を握った。握り返された手は大きくて温かい。かつて生きていた世界には、この男は既にいなかったのだと思うと、胸が少しつぶれるような心地がした。
隣では、ホークアイが頬を緩ませている。こんなホークアイの表情を見るのは、本当に久しぶりだ。旅路は後半になるにつれて過酷さを増していって、気楽に笑い合う余裕は減っていったし、ずっとホークアイはたったひとりの聖剣の勇者として、責任の重さに苦悩していたようだった。シャルロットもアンジェラも仲間なのだからもっと頼って欲しいと思っていたけれど、水臭いこの男は、シャルロットたちに苦悩している姿を見せまいと背筋を伸ばして前を歩いてくれた。
そんなホークアイが、何の気負いもなくこんな幸せそうに花を飛ばして笑うのがこの金髪の男のおかげだというのなら、少し妬けるが、大歓迎だ。
未来は変えられる。死んだはずのこの男がここに居ることが、その何よりもの証明であった。どんな運命でも覆すことができるのだという証明であった。
ヒースはベッドに手をついて上体を起こし、イーグルとホークアイに向き合った。
「ホークアイくん、イーグルくん。改めて、助けて頂いてありがとうございました。私はウェンデルの神官、ヒースと言います。どうか、私をあなた方の旅に同行させて頂けませんか。この世界の行く末を、自らの目で見届けたいのです……。あなた方に比べると貧弱に思えるでしょうが、これでも筆頭神官として司祭様を支えてきました。きっと、お役に立てると思います」
と、真剣な様子で言うものだから、シャルロットは跳びあがって驚いた。
「えっ!ヒース、ほんとのほんとでちか?いっしょにくるんでち……?!」
「本気だとも。シャルロットが頑張ってるのに、私だけのうのうとウェンデルで待っているなんて御免だ。それとも、私が居ては迷惑かい」
「ううん!ううん……うれしくて、シャルロット、ないちゃいそうでち……」
元々は、ヒースを取り戻したくて始めた旅路だった。いつの間にか世界を守るためになり、今回はヒースもそれを手伝ってくれるのだと言う。シャルロットはヒースがいれば、何だってできる気がした。ホークアイが頬を緩めて頷き、イーグルも「よろしく」とヒースに手を差し出す。
「あなたの魔力の高さなら見ればわかる。こちらからお願いしたいくらいだ、ヒースさん」
「よろしくお願いします、若き聖剣の勇者よ」
「参ったな、勇者なんて呼称は好きじゃないんだ、勘弁してくれ。それに、元々の勇者サマはホークアイの方だから、勇者扱いするならあいつさ」
「そうですか。よくお似合いなのに……」
そんなふうにヒースとイーグルが話している様子を、シャルロットは温かな気持ちで眺めた。本来なら、会うことのなかったふたりだ。ホークアイも、シャルロットと同じく感慨深い様子で、優しい目をしてふたりを見ている。
一方、シャルロットが振り返ると、デュランとケヴィンが宿屋の壁に背中をピタリと張り付けていた。どうやらじわじわと後ずさった結果、壁の端まで辿り着いたらしい。
「ヒース、ついでにゆかいななかまたちもしょうかいするでち。かいわについてこれずドンびきしてる、きんにくその1がデュランしゃん、その2がケヴィンしゃん」
「いや、フツー引くだろ!勇者がどうとか、いや、まず何なんだその小人は!?」
と、デュランは怒鳴った。ホークアイが「うーん、ごめん、話せば長いんだけど……」と迷うそぶりを見せると、フェアリーがふよふよとデュランたちの目の前まで近寄る。デュランたちが体を固めるのも構わずに、『初めまして、私はフェアリー』とにこやかに挨拶をした。
『あなたたちにも、ちゃんとした説明が必要だよね。あのね、この世界はこのままだと滅んでしまうんだ。その運命を変えるために、未来の私が、未来からホークアイたちを送り出してくれたんだ。ホークアイたちはね、この世界を救うために未来から来た勇者なんだよ』
「………………」
「………………」
「……いや言いたいことはわかる。わかるから、そんな目で俺を見ないでくれ」
「……そーかそーか、お前ら未来人だったんだな、うん。あ、俺ちょっと用事思い出した」
「だ、ダイジョブ、医者、行こう?きっと、治る……」
「待って待って。うん、やっぱそうなるよね?だから説明しなかったの。誤解誤解」
「そうだ、誤解だぞ。俺は現代人。未来人はホークとこのコだけ」
「えーいややこしい、ちょっと黙っててくんないまじで」
ドン引きするデュランとケヴィンにホークアイがなんとか説明を試みようとするが、デュランは白けた表情をしているし、ケヴィンはかわいそうなものを見る目をしてホークアイの頭をよしよしと撫でている。まぁ普通の人ならこんな反応で当然だろう、とシャルロットはやれやれと肩を竦めた。
「ま~、よっぽどのみうちじゃないと、いきなり『わかったしんじる!』とかいわれても、こわいだけでち。アタマだいじょーぶかこっちがしんぱいしちゃうでち。だから、くわしーことはあとで!」
「ええ。光の司祭様に全てを報告したい。ひとまず、ウェンデルに帰りましょう」
『私も結界を張り直すのを手伝うよ、ヒースさん。まだ本調子じゃないでしょう?』
と、フェアリーが申し出ると、ヒースは花が綻ぶように「ありがとうフェアリー、助かります」とふわっと笑った。
そうしてヒースも交えた一行は、無人のアストリアを出て滝の洞窟へと向かった。フェアリーが洞窟の結界を解き、洞窟の中に入った後、ヒースとフェアリーが協力して再び洞窟の入り口に結界を張り直した。これで、獣人たちにふいを付かれることも、祖父が病気になってしまうこともないだろう。前回の時は結界を貼り直すために祖父が禁呪を使用し、伏せってしまったのだ。
洞窟の中では道を知っているホークアイが先頭を歩き、その隣にイーグルがついた。シャルロットと万全でないヒースがその後ろを歩き、しんがりをデュランとケヴィンが務める。
滝の洞窟の魔物たちもマナの減少により狂暴化しているとはいえ、ホークアイの敵ではない。ホークアイには敵わないもののイーグルもなかなか強いようで、魔物は瞬時に倒れていく。魔物の牙がシャルロットたちまで届くことは一切なかった。
シャルロットがあくびしながら悠々と歩いていると、後ろから「あいつ、マジで『呪い』解けてるな」とデュランが不思議そうに声を上げる。
「調子も良さそうだし、迷いがなくて吹っ切れてる。別人みたいな動きしてやがる」
「いつの間にか、ホークアイとも、仲直りしてる……」
と、ケヴィンも首を傾げて前を行くふたりを眺める。言われてみれば、前をいくホークアイとイーグルは、戦いながら楽しそうですらあった。
シャルロットは不思議に思って、くるりと振り向き首を傾げた。
「ねぇねぇ、その『のろい』って、なんのことでちか?」
「あ?さあな、詳しい話をしてるヒマはなかったし聞いてねえ。運が途轍もなく悪くなってる、とか言っていたが……」
と、デュランが肩を竦め、詳しい話をしないホークアイたちへ苛立っている様子だ。フェアリーがふわりと下がってきて、シャルロットの頭の上に乗る。
『イーグルは私が憑くまで、頻繁に死にかけていたの。というのも、彼、前回は死んじゃってるでしょう。ある一部の運命は、一度変えても、また同じ道を辿ろうとする。その強制力を、『呪い』って説明してたんじゃないかな』
「おい、その『呪い』は何故解けたんだ?」
そのデュランの問いに答えたのはヒースで、「恐らく、フェアリーの宿主になったからでしょうね」と白い指を細い顎に沿えた。
「フェアリーの宿主となった者の運命は、未知数になると聞いたことがあります。それこそが、聖剣の勇者たる力の正体――……聖剣の勇者とは、この世界で唯一、運命に影響を与えることのできる特異点のことなんです」
「ほえ~、そうだったんでちか……」
『ふふ、シャルロット、あなたもその一員なんだよ。あなたは聖剣の勇者ではないけれど、あなたの魂は別の未来から来たもの……この世界に属するものじゃないから、この世界の運命には縛られない。あなたの影響を受けたからこそ、ヒースさんは攫われずに、ここに居るんじゃないのかな?』
と、フェアリーはにこやかにヒースの肩に乗った。ヒースは優しい笑みをシャルロットに向ける。イーグルが居合わせなければ危なかったとは言えど、自分もヒースを助けるのに一役かったと思っていいのだろうか。
前回攫われていなくなってしまったヒースは今、こうして自分の隣を歩いている。それが事実なのだ。
「またその未来だかなんだかの話かよ。まぁ、俺はクラスチェンジさえできるなら、お前らの正体が未来人でも、ちょっと妄想の激しい人でもなんだって構わねえがよ」
「オイラも、気にしない……ホークアイたち、いい人ってこと、変わらない。『呪い』解けて、ほんと、良かった」
「そうだな……ずっとあのままだったらと思うと、正直ゾッとしねえぜ」
デュランとケヴィンはそう言って、前を行くイーグルたちに目を向けた。今は溌溂と先頭を行く彼に、その『呪い』の影は全くない。その『呪い』と呼んだ、イーグルが死の運命に引き摺られて死にかける様を、何度ホークアイは目の当たりにしたのだろう。
「しっかし、ホークアイが言ってた『ウェンデルに迎えに行く頼れる仲間』っていうのが、こんなちっせえ子どものこととはなぁ」
「んん?ちっせえこどもって、シャルロットのことでちか?こうみえてもシャルロットは、はなの15さい!あんたしゃんたちと、そうかわらないでち!」
「15ォ?!嘘だろ!」
「お、オイラ、おないどし……?」
「かこにもどってきてることも こうりょすると、16さいでち!つまりあんたしゃんより、としうえでちね、としうえ!」
「と、としうえ……これが……?!」
「これとはなんでち、これとは!」
ぷりぷりと怒るシャルロットを宥めつつ、ヒースが「シャルロットはハーフエルフですから、体の成長が普通の人間よりも遅いんです」と説明を加えた。デュランは「しかし、なあ」とぶつくさ言う。
「例え何歳だろうが、こんな碌に戦えもしないちっせえ嬢ちゃんが危険な旅のツレとはな……俺ぁ、お守しながら戦う気はないぜ」
「お……オモリ……?!しゃ、シャルロット、こんなぶじょくをうけたのははじめてでち……!」
シャルロットは「ホークアイしゃん!」と前方を行くホークアイを呼ぶ。
「ホークアイしゃん!おじーちゃんにほうこくなんてどうでもいいから、いっこくもはやくまほーをゲット、もといウィスプしゃんをたすけにいくでち……!このきんにくバカに、シャルロットがむのうじゃないってこと、おもいしらせてやるでち!」
「んー、確かに、早く助けに行くに越したことはないが……」
逡巡するホークアイに、「ならば」とヒースが声を上げた。
「私が先にウェンデルに戻って、司祭様にことの次第を報告しておきましょう。先に避難してもらったアストリアの人々の様子も気になりますし」
「なるほど……じゃあお願いします。それなら……ケヴィン、キミもヒースさんと先にウェンデルに行くといい。司祭様に相談があるんだろ?」
と、ホークアイはケヴィンに水を向ける。ケヴィンは「う、うん。ありがとう」と礼を言った。
「ケヴィンしゃん、ヒースはばんぜんのたいちょうじゃないでちから、しっかりウェンデルまでごえいするよーに!あと、おじーちゃんによろしくいっといてでち。しんぱいしょ~でちから、きっとシャルロットのことがしんぱいで、よるしかねむれてないでち」
「きっちり夜眠ってんじゃねえか」
そうしてシャルロットたちは、ヒースとケヴィンとは洞窟内で別れ、モンスターに呑み込まれているウィル・オ・ウィスプを助けに向かった。
ウィスプは、シャルロットが得意とする光の魔法のマナを司る精霊だ。彼の助力さえあれば、シャルロットは戻って来る前に修得していた魔法をもう一度使えるようになるはずだ。
道を急ぐシャルロットに、「しかし、シャルロット」と声をかけたのはイーグルだ。
「精霊に力を借りなくたって、君なら魔法を使えるだろうに。君の魔力自体は、俺なんかより遥かに高い。きっと、コツさえ掴めば……」
と、精霊の補助無しに魔法を操る男は、いとも簡単にそう言う。言うは易し、とはこのことだ。
「シャルロットがまほーのさいのうにあふれてるなんてことは、じぶんがいちばんわかってまち。なんたってシャルロットでちからね!でも、せいれいしゃんにてつだってもらったほうが、きょうりょくなまほうをつかえるんでち!」
「だろうな。でも練習次第で、もっと……」
「いまは、れんしゅうしてるじかんなんてないでち。シャルロットはいっこくもはやく、まほうをつかえるようにならないといけないんでち……じゃないと、シャルロットは、またーー……」
「……」
道化の男からヒースを守れなかった無力感、あんなのは二度とごめんだった。シャルロットが言葉にしなかった部分をイーグルは推し量って、「そうか」と苦笑してシャルロットの帽子の上から頭に手を置いた。
「気をつけろ、もう奴のテリトリー内だ!」
洞窟を奥に進み、大きな空洞へと出ると、ホークアイがそう叫んだ。すると、空洞の真上から巨大な蟹のような魔物が振って現れ、大きな音とともに地面を揺らした。フルメタルハガーである。シャルロットは立っていられずに「きゃ……!」と尻もちをついた。
「蟹か!海に面してないフォルセナじゃあ、珍味扱いだぜ!」
この大きさなら城中の兵士に振る舞っても余りある、とデュランがその剣を甲殻の関節へと振り下ろす。しかし、デュランが思ったよりもその装甲は厚く、砕くことが出来ずに弾かれてしまう。デュランは「ちっ」と舌打ちをして後ろに飛んだ。
「めをねらうでちよ、おばかしゃん!」
早くも後ろに下がって傍観モードのシャルロットはデュランに叫ぶ。傍にいても邪魔になるだけだということは、シャルロット自身が一番わかっているのだ。
元々、シャルロットの本分は魔法だ。武器としてフレイルを手にしてはいるが、例え振るったところで、男たちの攻撃に比べれば雀の涙。こんなむさ苦しい男だらけの一行の中、魔法の使えないシャルロットにできることは何もない。
「わかってらぁ!砕いて中身を出せなきゃ食えねぇだろ、やってみただけだ!」
と、デュランはフルメタルハガーの正面で剣をもう一度構える。ホークアイとイーグルはそれを聞きながら笑った。
「食う気か?まぁ身がつまってそうではあるけど」
「巨大化しすぎたのは不味いと相場が決まってるんだよなぁ」
「ああ?くってみねえとわかんねえだろ!」
和気あいあいと戦う男たちの声を聴きながら、シャルロットは魔法も毒も届かない後方で高みの見物だ。
かつては、ホークアイのアンジェラとの3人で挑んだ敵であった。当時は随分苦労したものだったが、今のホークアイならば例えたったひとりでだって楽勝だろう。
だがシャルロットのそんな目論見は外れて、男たちは思ったよりも苦戦している。フルメタルハガーは左右への動きが案外素早く、致命傷が与えられないようだ。時には甲殻の瞼を閉じ、完全に防御の体勢を取りながら、ホーリーボールといった魔法の詠唱を行う。アイビームや毒は効果範囲が広くよけきれず、じわじわと男たちの体力を奪っていく。
シャルロットは後方からその様子をハラハラと見守った。戻ってくる前ならば、こんな魔物に手こずるホークアイではなかった。しかしシャルロットが魔法を使えなくなったように、ホークアイとて、戻ってくる前そのままの強さではなかったのだ。ヒースとケヴィンを別行動にしたのは間違いだったのかもしれない。
殆ど寝ていないという疲れも相まってホークアイの動きは緩慢で、いつものキレはない。そのフォローに回ったイーグルが、蟹の足の直撃を受けて岩に叩きつけられた。ホークアイは「イーグル!」と動かないイーグルに駆け寄った。
ホークアイはイーグルに回復薬を与えようとしたが、どうやら持ち合わせもないらしい。フェアリーがイーグルに憑くまでの道中もいろいろと危ない目にあったらしいので、使い切ってしまったのだろう。しかし、自らを治癒するのは比較的難しいとは言えど、イーグルならば自己治癒もできるはずだ。
「おいお前ら、サボってんなら退きな、邪魔だ!」
と、デュランの怒号が飛ぶ。彼はひとりで蟹の相手をしているのだ。
ホークアイがイーグルの肩を支えてデュランの言葉通り後ろに下がる。引き摺るようにしてイーグルを運んだホークアイは、「こいつ、魔力切れおこしてる!」とイーグルをシャルロットの足元に放り出した。イーグルが「ぐっ……、ちょ、もうちょい優しく……」と呻く。
ホークアイの柳眉は吊りあがり、イーグルの失態に酷く怒っている様子だ。
「シャル、この馬鹿を頼む!さすがに、デュランだけじゃキツイ」
「ええーっ、た、たのまれてもこまるでち!まほーもつかえないのに、こんなケガニン、どうしろってんでちか!」
「お前しかいない、やれ!」
と、ホークアイはシャルロットの主張を無視して駆けていった。
フルメタルハガーのジャンプによる揺れがシャルロット達のいる後方まで届いて、イーグルが咳き込んで「くっ……」と胸を抑えて吐血した。思ったよりも重症だ。叩きつけられた時に、肋骨でも折れて内臓を傷つけているのかもしれない。
「ばか?!ばかなんでちか、あんたしゃん!まりょくもアイテムもきらして、けがなんかして――……!いまのシャルロットは、まほーがつかえないっていってるじゃないでちか……!」
吐血でイーグルの口や首が汚れる。シャルロットは自分の無力さにゾッとして震えた。
ヒースを救ったと言われてそんな気になっていたが、実際に救ったのはこの男だったではないか。シャルロットは何もしていないし、何もできない。ヒースを救ってくれたこの男に対して、シャルロットは何もしてやることができない。早くホークアイたちが蟹を倒してくれないか、と祈るだけだ。そうすれば、ウィスプの力を借りて、治癒してやることができる。
しかしイーグルは青褪めるシャルロットを安心させたいかのように、口角を上げてみせる。
「君に、出来ないはずがない……君は、一度転んだからって、補助輪なしで走り出すのをただ怖がっているだけだ」
と、イーグルは力なく腕を上げて、シャルロットの頬に手のひらを滑らせた。こういう所が、ホークアイと似ていると思う。彼らは人との距離が近くて、人の肌に触れることを戸惑わない。きっと、彼らにとってはそれが普通なのだ。その優しい手の温もりが、この男がホークアイの身内なのだと思い出させた。この男は、ホークアイの大事な家族なのだ。シャルロットにとってのヒースなのだ。そんな存在の命を、ホークアイはシャルロットを信じて任せると言ったのだ。
シャルロットはイーグルの手を掴んで、全神経を張り詰めてマナの流れに意識を集中した。調度、ここの真上が光のマナストーンのある古代遺跡だ。光のマナならどこよりも溢れている。
シャルロットが魔法を使うつもりだと気付いて、イーグルは嬉しそうに薄く笑った。
「そう……マナの流れを見ろ。魔法は決して、超常現象ではない。魔力を媒体に、ほんの少し世界からマナを借りるだけ――……」
と、シャルロットの集中に追随して、次にどうするべきなのか、イーグルがマナを通じて導いてくれた。今までは、光のマナそのものである精霊がシャルロットに力を貸してくれていて、シャルロットは魔力を提供するだけでよかった。これが自らの力で魔法を使うという感覚なのだとイーグルの示す道の通り、シャルロットは意識と魔力を制御する。
「――ヒールライト!」
シャルロットの詠唱と共に、イーグルの体を光のマナが包んだ。眩いばかりの白い光はイーグルの体内もの傷を塞ぐ。「助かったよ、ありがとう」とイーグルは上体を起こして笑った。シャルロットは呆然とその姿を見る。
「つ、つかえたでち……」
「言ったろう、君ならできるとな。その感覚を覚えたなら、精霊の力を得た後も応用が利くはず……君はハーフエルフだから、俺よりもずっとすごい使い手になるだろうな。頼りにしてるよ、シャルロット」
と、イーグルは器用に片目を瞑った。一方、デュランが振り向かずに叫ぶ。
「おいっ、もう平気なら手伝え、こっちもジリ貧だ!」
イーグルはそれを受けて「悪い悪い」と駆けていく。すれ違うようにして、ホークアイが「シャル~、毒なおして~」と後ろに下がってきた。疲れこそ滲ませているが、まだ余裕が見て取れる。
冷静に考えれば、ホークアイがこの蟹に手こずる訳もないのだ。かつて倒した相手であり、行動パターンを知っている。しかし、デュランに助言もせず弱点も狙わない。この蟹はシャルロットたちが初めて倒した巨大な魔物で、印象に残っているから忘れるはずもない。ホークアイはデュランに戦わせようとしているのだ。経験を積めと言った、その言葉通りに。
デュランと蟹の戦いにイーグルも参加して、彼らは情報を交わし、蟹の目を狙い始めた。しかしそこが弱点であることは蟹も充分自覚していて、硬い殻の瞼を閉じれば攻撃は通らない。目を閉じたまま詠唱を始める蟹の背中にふたりが登って、衝撃に備える。
ホークアイが満足そうにその様子を見ていて、シャルロットはぷうと頬を膨らませた。
「……どくなんて、イーグルしゃんになおしてもらったらいいでち。ドロボーはウソつかないだなんて、やっぱりウソでちたね。まりょくぎれだなんて、てきとーいって」
と、シャルロットがぷいと顔を背けると、ホークアイは「あらら、バレてる」と笑った。
治癒術は攻撃魔法と違って、対象の体そのものに働きかける。その時、術者は被術者の体のほんの少し、覗きこむのだ。シャルロットはイーグルを癒した時、その体にまだ魔力が残っていることを感じ取っていた。
「えんぎがおじょうずでちね、ホークアイしゃん。ほんとにおこってるとおもったでち。だまされまちた」
「いや、ほんとにムカついたんだよ。怪我したフリするだけって打ち合わせだったのに、あいつ本当に肋骨折るんだから」
きっと、怪我したフリならシャルロットは見抜いただろう。歯を食いしばった表情や乱れた呼吸、肌に浮かぶ脂汗、痛みによる筋肉の硬直とマナの揺らぎ。魔法を使うことはできなくても、マナを感じることに関してはただの人間よりは遥かに得意だ。おままごとで誤魔化そうとするほどには、舐められてはいなかったようだ。
だがそれさえも、見透かされているようで腹立たしい。実戦の緊張感や責任の重さがなければ、確かに、会得できなかっただろう。今は、イーグルが導いてくれたあの感覚を他の魔法に応用できる自信がある。精霊は補助輪ではなく、増幅器となれる。
「はぁ……なかなか、いいおとこでちね。まぁ、ヒースにはまけまちけど」
と、片膝に頬杖をついてぼやくと、隣のホークアイは自慢げににやにやした。
次第にイーグルとデュランは蟹の行動パターンを察して、少し手こずりはしたものの、たったふたりで削りきった。シャルロットたち3人が戦った前回よりも時間はかかっていないように思える。あの時は、アンジェラとシャルロットは戦うことに慣れておらず、殆どホークアイひとりで戦ったようなものであった。
蟹の死骸から光の精霊ウィル・オ・ウィスプがふわりと浮かび上がり、『事情はフェアリーさんからテレパシーで聞いたッス!いや、大変ッスね。協力させてもらうッス!』と、力添えを約束してくれた。
そうして一行はウィスプの力を手に入れることに成功し、足早にフルメタルハガーの住処を後にする。魔法が使えるようになったことを、早くヒースに報告したくてシャルロットは浮足立った。デュランだけは「何だよ食べねーのかよ」とぶつくさ文句を言っていた。
シ「なんでちかこのパーティ……むさい……むさすぎるでち……」
ホ「前回の美男美女美少女パーティとは雲泥の差だよ……まさかアンジェラのことをこんなに愛しく思う日が来るとはね」
イ「自分で美男とか言わない方がいいぞ」
デ「それにしても、紅一点がこんなちんちくりんなのは大問題だろ。これを女子って言っていいのか?」
シ「ホークアイしゃーん、このきんにくのかたまりの足がくさくていっしょにあるきたくないでち」
デ「んだとこのくそガキゃあ!」
ケ「余計なこと、言うから……」