「早く湖に戻さなければいけない事は私にも分かっているんだ。だがどうしても……彼女を……」
両手て頭を抱え、弱々しく心情を吐露する領主の姿に、アセルスとジーナは互いに顔を見合わせた。
(どうしよう、ジーナ。まさか恋愛相談されるなんて想像もしてなかったよ)
(何だか私、この方が可哀想になってきました)
彼女らが領主の館にやって来たのは、十数分前の事。針の城程ではないといえ、一般的な住宅よりずっと立派な外観に揃って気後れしていたら、丁度玄関から出てくる領主に声をかけられたのだ。そこで看病しているという水の精を訊ねれば、領主は一瞬身を固くしたが二人がこのリュージョンの住人ではないと分かると硬直を解く。ここで立ち話も……と館に案内されて話し始めていたら。気が付くと領主の恋の悩みを聞くハメになっていた。
(うーん)
顔を下げたままの領主をチラリと視線を投げてから、アセルスは腕を組む。もし、無理矢理水の精を閉じ込めて帰さないつもりでいたら、自分たちは水の精を解放しろと強気で迫っていただろう。だが目の前の彼は、恋心と領主としての立場の板挟みにあって悩んでいる。苦しんでいる姿を前に、キツイ言葉を投げつける気にはなれなかった。
(アセルス様)
(ジーナ?)
(とりあえず、水の精の方とも話をさせてもらうのはどうでしょうか? というか私は、それぐらいしか今出来ることが無いような気がします)
(確かに、それしかないよね)
ジーナの言う事は尤もだ。一方の話ばかりを聞いていても埒が明かない。水の精がどう考えているのかも知っておかなくては。
「あの、水の精と話をすることはできますか?」
「彼女がいる部屋へ案内は出来ますが、ここに来て以来一度も口をきいたことはありません。話をするのは難しいかと」
「その事については……大丈夫だと思います。多分」
(一応妖魔の血が入っているから、仲間だと思って話をしてくれるよね? きっと)
(アセルス様に声をかけられて、無視するような罰当たりな方は、この世界に存在しませんよ!)
変な所で興奮しているジーナに半笑いで返していると、怪訝な顔をしながらも領主は納得してくれたようだ。此方です、と二階の一室に連れて行ってくれた。私は下で待っています、と降りていく領主を見送ってから、二人は水の精がいるドアへと手をかける。
入れば、水の精は背中を向けて少し広めの浴槽に浸かっていた。ドアの音に反応して振り返ると、不思議そうな顔をして質問をしてきた。
「高貴な妖魔の匂いがする……。二人共人間……ですよね」
「あー、それは半分だけど妖魔血が混じっているからだと思うよ」
「高貴な匂いのアセルス様……素敵……♡」
「ジーナ、香水じゃないんだから。匂いだってあの人の事言ってるんだろうし。自己紹介がまだだったね、私はアセルス。君の話を聞きに来たんだ。教えてくれない?」
「メサルティムと申します、アセルス様。このオウミの湖に住んでいましたが、網に引っかかって怪我をして以来は、ここに」
「単刀直入に聞くけれど、メサルティムは元の場所に戻りたい?」
「はい」
メサルティムは迷うことなく頷く。
「この館の人間が、気を遣って大事にしてくれていることは解っています。けれど人間の匂いは苦手です。息が詰まる……仲間の元に返りたい」
「じゃあ、決まりだね。早速領主様に、メサルティムの気持ちを報告しよう」
(アセルス様、領主様は首を縦に降ってくれるでしょうか?)
(大丈夫じゃないかな、向こうも戻さないとって言ってた訳だし。彼が悩んでいたのは、メサルティムが何も言わなかったのも原因の一つだと思うんだ。何も言われないなら、やっぱり期待しちゃうし。それでも嫌だと断られたら、もう強引に連れていっちゃおう。ここまで首突っ込んでおいて、どっちつかずはできないや)
(そうですね、そうしましょう)
「メサルティム。多分だけれど、仲間の元には戻れるよ。だからお願い、帰るときだけでいいから、ここの領主様にお礼を言って。ずっと言葉を交わさないまま戻ったら、流石に向こうが報われなさすぎる」
「アセルス様がそうおっしゃるのなら」
はたして、領主が下す決断は。
* * *
「そう……ですか。彼女は戻りたい、と。解りました」
先程会話した部屋で待っていた領主にメサルティムの気持ちを伝えれば、彼は項垂れたまま答えた。とはいえ、落胆の表情の中には僅かだが諦めも含まれていて、彼がこの結末になることは心のどこかでは覚悟していたようにも見える。
「ごめんなさい。力になれなくて」
「お気持ちお察しします」
落ち込む領主の姿にアセルス達も胸を痛め頭を下げるが、彼は「いいえ」と首を振ると顔を上げた。
「彼女の態度から、戻りたいのだという事は理解していました。何も語らないのをいいことに、都合よく解釈していたのです。だが、はっきりわかった以上は、引き止める事は出来ません。住民にも声を掛けて、直ぐにでも彼女を湖に帰す準備をします」
「ありがとうございます」
「助かります」
領主の返答に、二人は気づかれないよう胸をなでおろす。完全なハッピーエンドにはならなかったが、それでも決着の付き方としては悪くない方だと思う。
「お二人も彼女を戻すまで此処に滞在してはどうでしょう? ホテルもありますし費用は私が出しますが」
「すみません。実は、私たちは個人所有のシップで此処に来ているんです。なのでそろそろ戻らないと」
「お気持ちだけ、頂きます」
「そうですか。では、色々とありがとうございました。お元気で」
領主はシップの発着所まで見送りをしてくれ、その後近くを歩いていた住人を呼び止めると、湖と館を指差しながら説明を始める。横目でそれを確認してから発着所の門を潜れば、ちょうど運び屋が向かって歩いてくる所だった。
「おう、アンタたちか。此方の用事は終わったから何時でもシュライクに出られるぜ。どうする?」
「じゃあお願い」
「おう、任しときな!」
準備が整い、シップがシュライク向かって飛び立つ。窓から外の景色を眺めながら、アセルスは上機嫌だ。
「いやぁ、良かったよ。家に帰れて。何日ぶりなのかな? おばさん心配してなきゃいいけれど。ねぇ、ジーナ?」
隣に立つジーナに声を掛けるが、喜ぶ自分とは真逆で、彼女は浮かない顔をしていた。不思議に思って覗き込むと、ジーナは顔を赤くしながら遠慮がちに口を開く。
「あの、アセルス様。アセルス様の為に用意された服は、それだけではないのはご存知ですよね?」
「うん、なんか沢山あったよね。それがどうかした?」
「私が、ファシナトゥールに奉公に上がったのは三年前ですが、その時からアセルス様の服はもう用意されていました。親方から聞いたのですが、アセルス様の服はその……十年前から注文を受けて作っていたとか。なので……」
アセルス様がシュライクという所からファシナトゥールに来て、少なくとも十年は立っている筈なんです。
「え? 十……年? ……え?」