序章 黒い混沌
世界は滅びると、飲み屋で誰かが教えてくれた。
「帝都の夏至祭、参加したかったよな」
同期の声にそうだなと生返事する。
素っ気なくすんなよ、と同期が絡んでくる。
喧しいと上官が怒り、理不尽だと思いながらも2人で謝った。
同期が悪いと手を合わせる。別にいいよと許す。
日常でよく見られる光景だった。
午後から行われる訓練中、ふと後光が差した。
1週間前に行われた帝都の夏至祭。
帝国解放戦線なるテロリストが産声を挙げたらしいが、そんな出来事、俺たち一般の軍人にはあまり関係ない事象だった。
いや違う。正確には関係あるのかもしれないが、実感など露ほどもなかった。
エレボニア帝国。黄金の軍馬を掲げた軍事大国。俺の故郷で、ゼムリア大陸でも最強だと自負する国家で、周辺諸国全て敵に回しても打ち破れる国力を有する。
打ち倒せるテロリストなどいる筈もない。
そんな油断、慢心があった。
――――女神が嘲笑した。
「ようやく一息付けたよ。待たせてごめんな」
テロリストが放ったとされる一発の銃弾。
鉄血宰相ギリアス・オズボーンは狙撃された。
間髪を容れずに帝都を占領する貴族連合軍。
機甲兵なる最新兵器で駆逐される帝国正規軍。
俺の所属していた師団もコテンパンにやられた。どうしようもなかった。俺は初戦で軍事病院に送られて、俺を庇った同期は肉片すら残らない塵となった。
俺が漸く歩けるようになった頃、唐突に内戦は終わりを告げる。
灰の騎神なる存在、それを操るリィン・シュバルツァーなる英雄、そして何故か死んでいなかったギリアス・オズボーンによって貴族連合軍は帝都から撤退。ジュノー海上要塞に立て篭もった。
尤も、最終的に両者は和解しただけなのだが。
その後、クロスベル占領、各地で頻発する共和国との小競り合い、ノーザンブリア併合まで予定調和のように立て続けに行われた。
無論、俺も参加した。
大した戦果は挙げられなかった。仕方ない。俺は英雄ではないのだから。優れた智謀も、並外れた膂力も、圧倒的な導力魔法の才も存在しない一般軍人。機甲兵すら乗りこなせない雑魚で、そんな俺でも生き残れる戦場だった。
運が良かったのかもしれない。
それとも、内戦より温い戦場だったのかもしれない。
正直、どうでも良かったのだ。その時の俺にとっては。
「カルバード共和国を滅ぼせ!!」
七耀暦1206年、夏。
皇帝暗殺未遂事件、帝都の異変、民衆の暴動。
国家総動員法発令、カルバード共和国への侵攻宣言。
灰色の騎士は英雄の座から陥落した。
熱狂的過ぎる民衆にも、三歩進めば振り返って共和国の悪口を述べる同僚たちにも辟易しつつ、1ヶ月もの間、俺は徴兵された民衆たちに武器の扱い方を教え続けた。
皇帝陛下が暗殺されかかった。
その事実だけなら怒るのも無理はない。犯人を血祭りにするのも文句ない。むしろやれと推奨するまである。
だが、カルバード共和国に皇帝陛下を暗殺するメリットなど欠片もない。
クロスベルを占領した帝国は、既に超大国の座に君臨している。いかにカルバード共和国でも勝ち目などない。喜ばしい事にそれ程の差が生まれたのだ。
ましてや皇帝陛下暗殺の件が事実ならば、周辺諸国も共和国を非難するだろう。
敵はあまりに巨大で、味方はおしなべて存在しない。
共和国の大統領が狂わない限り、そんな大博打するだろうか。
そう上官に軽口まじりに進言したら、次の日には大尉から中尉に降格させられた。非国民、売国奴と罵られた。
よくわからない。
何が起きたのかも、何が起きているのかも。
一種の集団ヒステリーなのか。
それとも、おかしいのは俺なのか。
訳がわからないまま時間だけは過ぎていった。
一刻、そして一刻と。
使えなかった民衆を鍛え上げ、何とか一端の軍人に仕立て上げた直後、ヨルムンガンド作戦が発令された。
俺はクロスベル方面に配属され、共和国と全面戦争に参加されられた。
――――そして、死んだ。
世界は滅びると、大道芸人が教えてくれた。
「帝都の夏至祭、参加したかったよな」
長い夢を見ていた気がする。
内戦勃発、同期の死、クロスベル占領、ノーザンブリア併合、皇帝暗殺事件、帝都の異変、ヨルムンガンド作戦、そして死――。
2年と少しの間、俺は夢を見ていたのか。
よくわからない。死んだと思って目が覚めたら、目の前に死んだはずの同期がいた。思わず顔を触って確かめたら、俺にそんな趣味はねェよと気持ち悪がられた。
暦を調べる。七耀暦1204年だった。
内戦が勃発した年だ。
そして、訓練に向かう途中に同期の発した言葉。
どうしてだろうか。俺は覚えている。
普通、2年以上も前に同性の口にした言葉を覚えている輩などいない。完全記憶能力の持ち主なら話は別だし、その同性に恋心を秘めているなら一考の余地もあるが、俺は至って平凡な男で、そして普通に女の子が好きな輩だった。
つまり普通は覚えてなどいない筈なのに。
それからの展開も頭に入っていた俺は、敢えて生返事をした。同期に絡まれて、上官に怒られる。
既視感ではない。これは追体験だ。
気持ちが悪くなって、俺は午後の訓練を休んだ。
――――内戦の最中、同期に庇われず死んだ。
世界は滅びると、とあるピエロが教えてくれた。
「帝都の夏至祭、参加したかったよな」
今は夢なのか。現実なのか。
二度、死んだ。死んだ記憶もある。痛みも恐怖も覚えている。なのに目を開けて、呼吸して、布団の重みを感じて――。
生きているのか、死んでいるのか。
境界線が曖昧だ。今がいつなのか、どうなっているのかも。
同期が俺の部屋に入ってきた。
前回の内戦で俺を見捨てた男だ。最後は下品な笑い声を上げていた。ずっとテメェが嫌いだったんだよと捨て台詞を吐いて、わざと俺の脚を斬り付けて、貴族連合軍の兵士に捕まえさせた。
俺は捕虜としての待遇を求め、却下され、情報を吐けと拷問されて、最終的に人知れず首を跳ねられて死んだ。
苦しかった、憎かった、殺してやりたかった。
憎悪の衝動に身を任せた俺は、その台詞は3回目だと絶叫して、無防備な背中を押し倒して同期を殺してやった。
本当なら爪を剥がしてやりたかった。
指を切り落として、瓶の中に入れて、顔と頭にだけ蜂蜜を塗りたくって、蠅に卵を産み付けさせて、蛆虫に身体を食わせてやりたかった。
そうだ。俺がされた事を、コイツにしてやりたかったんだ。
でも出来なかった。殺すだけで精一杯だった。
俺は取り押さえられ、軍法会議に掛けられ、内戦が始まる前に処刑された。
世界は滅びると、■■■■■■が教えてくれた。
――――目覚めた。拳銃自殺した。
世界は滅びると、■■■■■が教えてくれた。
――――目覚めた。内戦で死んだ。
世界は滅びると、■■■■が教えてくれた。
――――目覚めた。灰の騎神に殺された。
世界は滅びると、■■が教えてくれた。
――――目覚めた。異形の怪物に殺された。
目覚めた。圧死した。
目覚めた。焼死した。
目覚めた。水死した。
目覚めた。壊死した。
目覚めた。惨死した。
何度も何度も覚醒した。
死んで、起きて、死んで、起きた。
今、何回目だろうか。十回を超えた辺りで数えるのを辞めたから正確にはわからない。
同じ2年間を繰り返している。
苦しい、辛い、もう嫌だ。
既に何度か発狂している。
その度に自殺した。
死んで目が覚めると、精神状態がある程度まで回復すると理解したからだ。
死ぬことは怖くなくなった。
痛いのにも少しずつ慣れてきた。
親友となり、恋人となり、上官や部下の思い出を持つ人たちから『初対面』扱いされるのも平気になった。
俺は壊れているのかもしれない。
この状況は、走馬灯の一種なのかもしれない。
早く終わってくれと乞い願うも、さりとていつもの如く七耀暦1204年の夏から再スタートするクソッタレな人生。
どうすればこの輪廻から抜け出せるのか。
考えることはそれ一つだけ。
七耀暦1206年9月9日。
その日を超えたことは一度もない。
最後は異形の怪物に殺された。
全員だ。敵味方容赦なく、蟻を踏み潰すように。
存在すら認識されていなかったと思う。
路傍の石、いやそもそも『アレ』は人間を殺しているとすら思っていなかったかもしれない。久しぶりに恐怖した。
世界がなくなるとはこういう事かと学習した。
アレを見て以来、ヨルムンガンド作戦前には自殺する事を己に課した。
もう見たくない。奴に見られたくない。
『アレ』と遭遇しない為なら拷問されてもいい。
根源に刻み付けられた恐怖心、あの姿を思い出しただけで拳銃に手を伸ばしそうになる。
――――落ち着け、と誰かが煽った。
仰天した。
誰だと叫んだ。
部屋には誰もいない。
俺だけだ。俺だけのはずだ。
思わず使い慣れた剣を探した。
ヴァンダール流。アルゼイド流。どちらを駆使するにしても、武器がなければ始まらない。槍でも何でもよかった。なのに此処にはひ弱な拳銃しかない。
目覚めたばかりだと舌打ちする。
それでも無いよりマシか。
拳銃を片手に、気配を探った。
声の主を探索して、そしてついぞ見つからない。
もう嫌だ。
もう沢山だ!
今のが幻聴なのか、それとも何かの予兆なのか。
そんなことはどうでもよかった。
一刻も早く楽になりたい。
死ぬことで逃避できないなら、この状況に諍うしかない。でもどうやって。どうやって諍えばいいんだ。
身体はそれなりに鍛えた。
知識もそれなりに蓄えた。
でも、どうしても、この世界を変えられない。
――――英雄になれ、と誰かが蔑んだ。
なろうとした。
何回も英雄になろうとした。
灰色の騎士リィン・シュバルツァーのように。
若く、格好良く、強く、優しく。まるで御伽話から出てきたような英雄に憧れて、何度も何度も繰り返す地獄の中で手を伸ばし続けた。
ヴァンダール流を極めた。
アルゼイド流を研鑽した。
けど無理だ。
無様に跳ね除けられた。
曰く、お前は相応しくないと。
足蹴にされ、諦めて、死んで、目覚める。
これ以上どうすればいいんだ!
もうすぐ訓練だぞと様子を見に来た同期を追い返して、俺は自ら生み出した幻聴に向かって吠えまくった。
泣きはしない。既に枯れている。
笑みも溢れない。既に表情筋は死んでいる。
――――無様だな、と誰かが喜んだ。
コイツは何だ。
何なんだ、コイツは。
確信した。今、確信できた。
幻聴などではない。俺の生み出した物ではない。
声は空気を震わせなかった。
音として世界に伝播しなかった。
コイツは、俺の頭に、直接語り掛けている。
一歩後ずさる。拳銃の撃鉄を起こす。
意味のない行動だ。大丈夫。理解している。それでも本能的に身構えた。気を巡らし、アルゼイド流にある身体強化術を行使する。
洸翼陣。師から絶賛された技だ。曰く、不自然なほどに洗練されているらしい。その時のヴィクターさんの目が酷く冷たかった事も覚えている。
最悪、逃げられればいい。
他者の脳内に直接声を届けられる存在だ。逃げられるかどうかも定かではない。ただ分かる。この声の主は、俺に起こっている異常事態と何らかの関わりがあるのだと。
――――北だ、と誰かが怒った。
思わず舌打ちが漏れる。
北って何だ。どういうことだ。
方角を現しているのか、それとも何かの隠喩か。
帝国領内における北なのか。ゼムリア大陸における北なのか。解らない。解らないから直ぐに問い返した。
なのに幻惑の声は返ってこない。
1秒が1時間に匹敵した。
洸翼陣を全開にしたままとにかく待った。
待ち続け、幻惑の声は一言だけポツリと返した。
――――探せ、と誰かが哀れんだ。
いや待て。何だそれは。
北、そして探せ。北の何処を。探せとは何を。
理不尽すぎる要求だった。
意味不明だと怒鳴る。
拳銃を虚空に突き付け、息を荒らげる。
洸翼陣の副作用から汗が噴く。左の目尻に垂れてきたそれを片手で拭おうとして、思わず右目が半開きになった瞬間、俺は絶叫して部屋から飛び出した。
怖い!怖い!怖い!
アレは駄目だ、アレは駄目だ。アレだけは駄目だ!
存在してはいけない。目に入れてはいけない。話してはいけない。追い付かれてはいけない。どうにかしてアレから隠れないといけない!
顔が無かった。無貌だった。
触手があったようにも見えた。
肌の黒い普通の男性にも思えた。
学者のような、女のような、魔獣のような。
一瞬で様々な物質に変化していた。
あれ以上見たら、戻ってこられないと確信した。
呼び止める同期や上官の声にも応じず、俺はひたすらに走り続けた。
あそこには戻れない。
アレがいる。アレがいるなら地獄の方がマシだ。
――――面白いな、と誰かが泣いた。
さりとて、俺は逃げられなかった。
進むも地獄、戻るも深淵。
自らの不幸を嘆き、俺は膝から崩れ落ち、慣れた手つきで拳銃をこめかみに当てて、躊躇なく引き金を引くのだった。
くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー
しゃめっしゅ しゃめっしゅ
にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん
誰かが嗤う。
誰かが紡ぐ。
誰かが傲る。
――――イシュメルガ、と誰かが飽きた。
初小説。
手慰みに書いてみました。
クトゥルフ神話っていいよね(確信)