黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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十話   至強繚乱

 

 

 

 

 

時間は少し遡る。

 

 

 

空気が澄んでいる。

深呼吸。歩きながら視線を上に向ける。

冬の夜空に映し出される数え切れない星々。ノルド高原より150セルジュ南下した帝国領に於いても星空は天を満たしていた。

子供の頃を思い出す。

俺はいつも空を見上げていた。海の向こうへ想いを馳せていた。何があるのだろうと。ゼムリア大陸の外には何が待ち受けているのだろうと。

いつか知りたいと欲した。

いつか行ってみたいと願った。

色々な大人に問い掛けた。誰もが首を傾げた。天の先には何もないと。ゼムリア大陸の外には何もないと。ひたすら空の女神を信じなさいと。

おかしいと恐怖した。信じられないと嘆いた。大人の言うことが本当なら、この世界は行き止まりでどん詰まりじゃないか。

日曜学校の友人に自論を熱弁した。トワ・ハーシェル。3つ歳下の少女と語り合った記憶がある。天体望遠鏡で夜空を眺め、不覚にも徹夜したことすらあった。

トワも最初は理解しなかった。大丈夫かと。何を言ってるのかわからないよと首を横に振る始末。さりとて長年の説得の甲斐があった。最後に彼女と会った時には『枷』が外れたように外へ興味を示していた。

長い輪廻だ。再会した時も何回かある。小柄で可愛らしい少女にしか見えないものの、名門として知られるトールズ士官学院で生徒会長を務めた才女だ。誰からも好かれ、誰からも頼られていた。そんな彼女の邪魔をしたくなくて。俺は積極的に関わろうとしなかった。

内戦時には高速巡洋艦カレイジャスの艦長を務めたとも聞く。主に帝国東部を巡航。無垢な民草を鎮撫していたらしい。最終的に貴族連合軍旗艦に対して空中戦を敢行したとも噂される有様だ。本当かどうかは知らないけど。

どこまでも広がる草原地帯。

民家もなく、街道からも離れている。

静かだ。有り難い。助かる。少し疲れた。

黒い外套を脱ぐ。シートの代わりとして草原に敷く。

仰向けに寝転がった。そよ風が気持ちいい。久し振りに独りでいることを堪能する。嗚呼、頭が痛い。額を片手で抑える。ここ3日間で色んな人間と関わり続けたせいだ。

 

「フェア」

 

名前を呼ばれた。

顔を覗き込まれる。

煌々と照らす月光が誰かに遮られた。

微笑むアルフィン皇女殿下と視線が交わった。

 

「申し訳ありません」

「何がですか?」

「直ぐに起きます」

「そのままで構いませんよ」

 

上半身に力を込める。身体を起こそうとする。

だが起き上がれない。

皇女殿下に肩を押されたのだ。グイッと。意外と力強いな。悪戯でも思い付いたような笑みが眩しかった。帝国の至宝と尊崇される理由が改めてわかる。時折見せる茶目っ気を含んだ表情は、老若男女問わずに籠絡してしまう破壊力を秘めていた。

 

「不敬となります」

「此処には私と貴方しかいませんよ」

「そもそも何故此処に?」

「天幕から離れたのを偶然見かけましたから」

 

現在、第三機甲師団は遠征中である。

ゼンダー門を出撃した目的は二つ存在する。

一つはログナー侯爵家を貴族連合から脱退させる事。もう一つはルーレ市の奪還。補給物資を大量に溜め込んでいる工業都市を手中に収めれば、第三機甲師団は当面の危機から脱却できるからだ。

ゼンダー門を出撃したのは早朝。共食い整備でどうにか動かせるようになった主力戦車15台に加えて、装甲車21台。機甲兵3体。黄金の羅刹が率いる貴族連合軍と相対するには物寂しい数と云える。

まさしく乾坤一擲の勝負。

堅実なゼクス将軍らしくない作戦。

それでも決行した。決行せざるを得ない理由があった。

武器弾薬が足りないのだ。連続した防衛戦で底を尽きはじめた。戦車も砲弾が無ければ鉄の車でしかない。歩兵の盾にしかならない。最終的に戦う事もできずに降伏する末路。皇女殿下を有する第三機甲師団全員が許容できない未来。だから討って出た。

 

「ご心配掛けましたか?」

 

皇女殿下は首を横に振った。

右頬に片手を添える。俺を流し目で見た。

 

「いえ、黒の騎士に心配など不要でしょう?」

「皇女殿下」

 

やめて欲しいと言外に伝えた。

好ましくない渾名。呼ばれる度に全身が強張る。

存在Xと存在Yの声も一際大きくなる。心を蝕まれている感覚に苛まれる。只の羞恥心か。勘違いに因るものか。

皇女殿下が隣に腰掛けた。

フワッと風が舞う。優しい匂いが鼻腔を擽った。

 

「ふふ。なら、私のことはアルフィンとお呼びになって。皇女殿下なんて余所余所しいもの」

 

予想だにしない提案。思わず瞠目した。

言葉を失う。不謹慎ながら凝視してしまった。

皇女殿下は微笑みを崩さない。有無を言わせない眼力を帯びていた。早く答えろと。拒否は許さないと。正規軍に与してから発現した威圧感が全身を襲った。

されど俺は首を縦に振らなかった。一騎当千の強者と比べたら弱風のような物だ。軽く受け流す。

 

「無理です」

「黒の騎士と呼び続けるわ」

「無理です」

「黒の騎士」

「無理、です」

「迅雷の如く駆け抜ける黒の騎士」

「アルフィン殿下で如何でしょうか?」

 

完敗だ。ぐうの音も出ない。

帝国の至宝に勝てる筈もなかった。

皇女殿下は不満そうに唇を尖らす。一転して、そうだわと楽しそうに声を上げた。可愛らしい仕草だ。戦場に相応しくない可憐さだった。

 

「エリゼみたいに姫様と呼んでも構わないけど」

「アルフィン殿下でお願いします」

 

何故か俺から頼み込む始末。

中々優れた交渉術だ。先が楽しみである。

 

「ふふ、やった」

 

皇女殿下を姫様と呼ぶなど烏滸がましい。ましてや仲良く会話する事さえ。マスコミに聞かれれば万事休すだ。低俗なゴシップネタに使われてしまう。皇女殿下の未来を汚してしまう事になる。それは決して許されない。

皇女殿下は胸の前で拳を作った。気分転換になったなら幸いである。行軍に疲れていないようで安堵した。

 

「何やら嬉しそうですね」

「お兄様とミュラーさんみたいな関係性に憧れていたから」

「畏れ多いことです」

 

オリヴァルト皇子とミュラーさんの関係。

ヴァンダール流を研鑽した輪廻から記憶を引っ張り出す。確かに二人は気の置けない間柄だったと思う。気安く。心を許せて。本音で語れる親友のような関係性を築いていた。

主君を簀巻きにするのはどうかと思うけども。

俺が皇女殿下を簀巻きにしたら殺されると思う。帝国人全員から血祭りにされる。肉片すら残らないだろうな。

皇女殿下が手を叩いた。

ねぇねぇと俺の身体を揺さぶる。

 

「良い機会だわ。お話しましょう」

「喜んでお付き合いさせて貰います」

 

雲一つない夜天。

内戦に疲弊する帝国の大地と思えない静けさ。

これから第三機甲師団は戦場に赴く。皇女殿下も巻き込まれる。最後の休息日かもしれない。不安を取り除く為にも付き合うべきだ。

皇女殿下は目を輝かせた。身を乗り出す。

 

「なら貴方について聞かせて」

「私ですか」

「殆ど知らないもの、フェアのことを」

「難しいですね。何から話していいものやら」

「大丈夫よ。私が質問するから」

「助かります」

「じゃあ、好きな食べ物は?」

「果物全般です」

「嫌いな食べ物は?」

「野菜全般です」

「年齢は御幾つ?」

「もうそろそろ21歳を迎えます」

「趣味は?」

「天体観測か、剣の手入れでしょうか」

「座右の銘は?」

「初志貫徹ですかね」

「誕生日は?」

「12月31日です」

 

お見合いみたいな問答だった。

皇女殿下が次々と質問を投げ掛ける。

心底から楽しそうだった。相槌を打ったり。驚きから目を見開いたり。クスクスと笑い声を漏らしたり。何処にでもいそうな歳相応の姿に心を痛めた。

 

「ねぇ、フェア」

 

そして――。

最後に皇女殿下が尋ねた。

 

 

「どうしていつも、死ぬ事を怖がらないの?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

アルフィンは心配だった。

昏い双眸に隠された諦観を。死を全く恐れない異質さを。不自然なほどに周囲から嫌われてしまう異常性を。理屈などわからない。理由があるのだとしても見当も付かなかった。

だから訊いた。直接、真正面から。

フェアは答え辛そうに目を泳がせた。

答えていいのか。教えていいのか。葛藤から俯いて。苦しそうに目を泳がせて。意を決して何かを口にしようとした矢先、荘厳な声音が草原に響き渡った。

 

「貴方が黒の騎士ですね」

 

二人揃って振り向いた。

白い甲冑に身を包んだ女性が近づいてきた。歩く姿は絵画のようで。堂々とした振る舞いは全てを掌握する威厳さに満ちていた。

顔は兜で覆われている。右手には騎兵槍を佩帯している。不審者だ。それでも目が奪われた。此処まで『美しい』という言葉が似合う人も居ないと思った。

 

「貴女は、誰だ?」

 

フェアが立ち上がった。厳しい顔付きだ。

右手に白い大剣を持つ。鋭い視線は謎の女性へ向いたまま。微動だにしない。一挙手一投足を見逃さないという覚悟すら滲ませていた。

左手でアルフィンを庇う。ゆっくりと彼女の前に身体を移す。謎の女性から隠すように。万が一にも傷付けないように。

こんな状況なのに胸が熱くなった。

 

「蛇の使徒が七柱、鋼のアリアンロードと申します。黒の騎士よ、貴方に幾つか問いたい事があります。お時間は宜しいですか?」

 

蛇の使徒。鋼のアリアンロード。

聞き覚えのない単語に首を傾げる。

だが、フェアは得心が言ったように肯いていた。

 

「貴女が結社最強と謳われる武人か」

「ご存知でしたか」

「名前だけは聞き覚えがある」

「深淵殿から?」

「出処は秘密だ。教える義理もない」

「そうですね。無駄な問い掛けでしたか」

 

風が止まる。

草原から音が消えた。

白銀の甲冑を纏った女性に黒い外套を羽織った男性。人外と達人が醸し出す膨大な覇気の衝突。空間が軋みをあげた。ひび割れたような錯覚すら起きた。

 

「俺に聞きたい事があると仰られたな?」

「その通りです」

「俺からも一つ問い掛けたい」

「何でしょう」

「アルフィン殿下を傷付ける気があるのかどうかを」

 

瞬間、息を呑む。思わずフェアの背中を掴んだ。

彼に不安が伝播したのだろう。大丈夫だと言わんばかりに微かに頷いた。目配せされた時、少しだけ胸が高鳴った。

鋼のアリアンロードは吐息を漏らす。

 

「ありません。私は貴方に用があります」

「偽り無いな?」

「勿論」

「ならば安心した。何が聞きたい?」

「イシュメルガという名前に聞き覚えはありますか?」

「鉄血宰相がそのような単語を口にしていたな」

「意味は理解していないと?」

「何かの固有名詞である事ぐらいしか」

「成る程。何かに取り憑かれている事は?」

「自覚している。名状し難き闇が背後にいることも」

 

冷然と交わされる言葉の応酬。

アルフィンは騎士の背後で小首を傾げた。

イシュメルガとは何か。鉄血宰相が口にしていた理由は。取り憑かれているとはどういう意味か。名状し難き闇とは何なのか。

問い質したかった。今すぐに。徹底的に。

さりとて二人の会話に割り込めなかった。何処までも事務的に問答する二人だが、次の瞬間にも斬り結びそうな重圧を互いに解き放っていた。

 

「では、ご自身の現況については?」

 

アリアンロードの声音に固さが増した。

 

「質問の意味がわからないが」

「単刀直入に申し上げましょう。フェア・ヴィルング、貴方の身体は呪いに汚染されています」

「汚染?」

「盟主曰く、約千年前に現れた『暗黒竜』のように。いや、呪いの大半を引き受けた『聖獣』のように。貴方はただ其処にいるだけで、他人を蝕む毒となっている」

「――――」

「理由はわかりません。貴方にイシュメルガの分体が取り憑いた訳も。そこまで濃縮された呪いに汚染された事も。しかし、放置はできない」

 

唐突に騎士が身動きした。

全身が強張る。片足に力が入った。

アルフィンの不安が頂点に差し掛かった時、フェアが平然とした口振りのまま尋ねた。

 

「つまり、俺を殺すと?」

「貴方に取り憑いているイシュメルガの分体諸共です。安心なさい。苦痛なく空の女神の元へ送りましょう」

「生憎だったな。空の女神など信じていない」

「ならば煉獄へ落としましょう。さぁ、構えなさい」

 

アリアンロードが騎兵槍を構える。

全てを貫く穂先がフェアの心臓に向けられた。

駄目だと確信した。

このまま放置したら後悔する。

アルフィンは勇気を振り絞った。皇族としての責務や、自らの騎士に護られているという認識を履き捨てて。絶死の覚悟を持って、アリアンロードの前に立った。両腕を広げる。静止の構えを取った。

 

「待ってください!」

「何でしょう、アルノールの姫君」

 

背後からフェアの声が聞こえた。

慌てている。驚いている。

大丈夫だ。まだ勇気は残っている。

今にも倒れそうな中、震える声で問い掛けた。

 

「フェアを殺すのですか?」

「滅しなければなりません。彼は今、帝国に広がる闘争の渦と呼応している。このまま進めば取り返しの付かない事になりましょう」

「でも、フェアは良い人です!」

 

思いっきり叫んだ。

セドリックと喧嘩した時でも出したことのない大声。淑女たる者が放つべきではない怒声。スカートの縁を掴みながら、アルフィンは言い放った。

 

「フェアは誰かを呪うなんて事できません。確かに目は澱んでいて、ぶっきらぼうで、皆さんから嫌われていますが、それでも良い人なんです。私の自慢の騎士なんです!」

「――――」

 

アリアンロードは何も言い返さない。

どのような表情を浮かべているかもわからない。

騎兵槍を強く握り締めたまま。穂先を此方へ向けたまま。いつでも刺突を繰り出す構えを保ったまま。変わらない。変えられなかった。

 

「大丈夫です、アルフィン殿下」

 

しかし、背後の騎士には届いた。

アルフィンの想いも。振り絞った勇気の尊さも。

涙目で振り返る。

外套を脱いだ男が微笑んだ。

肩に手を置かれた。ゆっくりと。優しく。貴い物へ触れるように。紡がれた言葉は今までで最も温かかった。

 

「俺は『黒の騎士』です」

 

だから、と続ける。

 

「誰が相手だろうと負けません」

 

彼の胸元に手を当てる。

ドクン、ドクンと心臓が動いている。

いつも通りだ。緊張などしていない。嘘を吐いていない。フェアには何か策があるのか。彼は根拠の無い言葉を吐くほど楽観的ではない。

きっと大丈夫だ。

アルフィンは自らに言い聞かせて、フェアの胸を叩いた。

 

「死なないと約束しなさい」

「はい。約束です」

 

フェアが穏やかに笑った。

刹那、アルフィンの意識は途絶えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

申し訳ありませんと心の中で謝る。

延髄を手刀で打った。痛かったかもしれない。

気を失った皇女殿下を草原に優しく寝かせる。風邪を引かないように外套も掛ける。目尻から流れ落ちた涙を指で拭う。

起きたら謝ろうと思った。

まだ俺が生き残っていればの話だが。

 

「俺を殺す前に、一つだけ誓って欲しい」

「どうぞ」

「アルフィン殿下には決して手を出さないと」

「誓いましょう。我らが盟主の名に懸けて」

 

鋼の聖女が鷹揚と頷いた。

とある輪廻の中、カンパネルラから聞いたことがある。盟主の名を懸ける。結社の構成員にとって最も侵しがたい誓いだと。

誇り高い武人であろうアリアンロードなら、皇女殿下に手を出すことはしない筈だ。

 

「助かる」

 

素直に頭を下げる。

鋼の聖女は辛そうに問い掛けた。

 

「心の憂いは無くなりましたか?」

 

憂いは無くならない。

心配事は幾つも残っている。

死にたくないと思った輪廻は久し振りだった。

だとしても世界は残酷だ。

こうやって理不尽に殺されることも良くある事。

有意義な問答だった。

アリアンロードに感謝する。

後は己の全身全霊を懸けて、武の至強に挑むだけだ。

 

 

「先ずはその兜、割らせてもらう!」

「意気や良し。全力で諍ってみせなさい!」

 

 

 

 

 










盟主「魔人よりも聖女の方が生き残る可能性があるからね、仕方ないね」







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