鋼の聖女を直視する。
不可解だ。どうにも解せない。
見るからに疲弊している。
数瞬前まで莫大な覇気を身に纏っていた。全てを断ち切る。遍く貫く。誰よりも強靭で。誰よりも高潔な武人に相応しい威容だった。
正直、見惚れた。心焦がれた。嫉妬した。
にも拘らず。瞬きした直後。飛び込んできた光景に目を細めてしまう。おかしいと。何かが変なのだと。
先ずは覇気が揺らいでいる。
騎兵槍は重そうで。集中も欠けていた。
何年間も戦い続けたように。
終わらない闘争に呆れ果てるように。
好都合だと思った。
彼我の戦力差を顧みる。比べるまでもなく聖女が上だ。圧倒的に。完膚無きまでに。挽回の余地はない。勝てる光景も思い浮かばない。兜を割れたとしても、恐らく数分持たずに殺される確信があった。
だが、今ならわからない。
俺に高潔さなどない。負けなければいい。勝てればいい。誇りは持たない。結果だけを求める。輪廻の先に至るには。本当の意味で死ぬ為には。醜く足掻いてでも成果を掴み取らなければならないのだから。
白い大剣を正眼に構える。
四肢の調子を確認。問題ない。万全だ。
猛毒ガスに侵された肺も既に治っていた。
皇女殿下の願いを叶える。
クレアさんと帝都で再会する。
その為にも此処で鋼の聖女を乗り越える。
「先ずはその兜、割らせてもらうぞ!」
声高に決意を表明した。
瞬間、脳内に膨大な記憶が流れ込んだ。
殺された。顔面を騎兵槍で掻き回される。
殺された。生きたまま四肢を引き千切られる。
殺された。全ての内臓を丁寧に潰される。
殺された。聖技で跡形もなく斬り刻まれる。
何度も何度も何度も。
多種多様な方法で死を与えられた。
怒りながら。泣きながら。叫びながら。
鋼の聖女は苦しみながら刺突を放っていた。
殺される記憶が延々と脳裏を流れる。
最初は諍えなかった。隔絶した膂力と技術。戦闘を開始して僅か1分で絶命した。決定的な隙を衝いた絶技も簡単に受け止められた。情けない。
復活する。二回目も同じく。復活する。三回目も同じく。変わらない。300回目で突破口を見つける。死ぬまでの時間が伸びた。十数分抵抗できた。それでも死ぬ。死にながら剣技を洗練する。600回目で様々な戦技を受け流せるようになった。それでも殺される。殺されながら聖技の弱点を見つける。900回目で渾身の聖技を相殺できるようになった。
そして前回の1225回目。
1時間以上戦闘を続けるまで成長した。中途半端だったヴァンダール流とアルゼイド流を研鑽し終えた。独立した二つの流派を俺なりに統合したのだ。膂力は変わらない。剣術だけを鍛錬した。鋼の聖女に勝てなくとも負けないだけの剣技を修得した。
「貴女は、自覚しているのか?」
今回の輪廻は何処かおかしい。
やり直す時期が変わったと思えない。目覚めた時の感覚が異なる。死ぬ時の記憶を頭に直接ぶち込まれる事など無かった。
恐らく簡易的な輪廻だと思う。
存在Xの仕業か。それともイシュメルガという奴か。どちらにしても感謝しよう。こうして経験値を積めた。殺される事は慣れているから問題ない。
「繰り返されていると自覚しているのか?」
答えはわかり切っていた。
それでも尋ねた。初めて訊いた。
確信があったのだ。
もう直ぐこの地獄は終わりを告げる。
永劫に続くと思われた仕合は終了するのだと。
「貴方こそ、わかっているのですか?」
終わらない輪廻。
極限まで諦観した声音。
聴き慣れている。
俺自身が最も口にしている声質だった。
「今は1226回目だ」
「嘘はやめなさい。全て記憶しているとでも?」
馬鹿にされた。
ハッと鼻で笑われた。
苛立ったのか。訂正しろと騎兵槍を突き付ける。
余裕が無い。疲れている。
聖女然とした雰囲気は消えていた。
「この程度、とうの昔に慣れている」
終わりの見えない輪廻。何も変わり映えしない2年。絶望したまま自殺する瞬間。覚醒してから鍛え直す時の無力感。
誰からも賛同を得ず。誰からも理解されない。
それと比べれば優しいと思う。個人的にはだけども。
トリガーとなる台詞を口にする。殺される記憶を叩き込まれる。聖女と戦う。死ぬ。復活する。トリガーとなる台詞を吐く。殺される記憶を打ち込まれる。同じ事の繰り返しだが、目標を持って戦えばいいだけだ。反省できる。終わりが見える。
「悍ましいですね」
当然だと言い切った俺を見て、鋼の聖女は心の底から気味悪そうに吐き捨てた。声が異常に低い。
兜の下で眉をひそめていることだろう。見なくてもわかる。
「知っているとも。誰よりもな」
「イシュメルガよりも」
「記憶にある。貴女の仇敵だったか」
「本当に覚えているのですね」
829回目だった。
聖女の放った絶叫と慟哭。
黒の騎神『イシュメルガ』への憎悪。
獅子心皇帝『ドライケルス』への愛慕。
俺の腹部を滅多刺しにしながら泣いていた。
「ありがとう、鋼の聖女」
「――――」
頭を下げる。感謝だ。
本気だ。嫌味ではない。
強くなれた。研鑽できた。
これなら黄金の羅刹と生身で斬り結べる。機甲兵の技量だけでなく。心身に刻み込まれた剣技で勝負できる。ルーレ市解放に自信が出来た。
しかし鋼の聖女は本気で受け取らなかった。
騎兵槍を片手に。淀んだ覇気を無理矢理奮い立たして。それでも最初と同じ鋭さで。一撃必殺の刺突を繰り出した。
見える。悠々と捉える。
大剣を振り上げる。弾き返さずに軽く遇らった。
身体能力は変わらず劣っている。弾き返してしまえば隙が生まれる。瞬間、解き放たれる騎兵槍。四肢を犠牲に躱しても最終的に殺される未来を辿る。
だから受け流す。
何度でも。幾度でも。
鋼の聖女が隙を見せるまで。致命的な瞬間を見せるまで。
一合が重い。少しずつ手足が痺れていく。
絶技を放ちたくなる。勝負を決したくなる。
鋼の聖女は限界だ。可哀想だ。早く輪廻を終わらせてやりたい。殺された。痛め付けられた。些細な事だ。鍛錬に付き合って貰ったと思えば、むしろ好感が持てる。
「――――ッ!」
1226回目の仕合。
時間にして58分が経過した。
先に痺れを切らしたのは鋼の聖女だった。
全ての戦技を相殺された。
どんなフェイントにも引っ掛からなかった。
終わらない。泥沼だ。
勝負を決めるのは互いの絶技だと察した。
聖技――グランドクロス。
絶技――覇皇剣。
闇夜の草原に轟音が響いた。
永劫に閉じ込められた時の結界。
鋼の聖女に地獄を見せた夜の帳は漸く明けた。
「あ――」
兜が割れた。
1226回目にして漸く素顔を見た。
綺麗だった。美麗だった。端麗だった。
見たことがある。数多の絵画に描かれている。
槍の聖女リアンヌ・サンドロット。獅子戦役に於いて、獅子心皇帝と戦場を駆け抜けた伯爵家の娘だ。もしかしたらと思った。獅子心皇帝への愛慕を聞いて、まさかなと邪推した。
疑問はある。どうして生きているのか。
槍の聖女は250年前に死んでいる筈だ。
「やはりな。リアンヌ・サンドロットか」
鋼の聖女は否定しなかった。
肯定もせずに驚愕したまま固まっている。
騎兵槍を落とした。膝から崩れ落ちる。
仇敵を前にした武人と思えない醜態だった。
「まさかこうなるとはね」
何度も聞いた甲高い声が響いた。
終わったのだと分かった。
根拠などない。証拠などない。だが理解した。
砕かれた兜。斬痕が刻まれた甲冑。
凄まじい絶技だった。素直に称賛する。聖技の隙間を縫うようにして繰り出された剣技。初めて見た。洸凰剣ではない。破邪顕正でもない。二つの奥義を融合して。研鑽に次ぐ研鑽から昇華して。完全に己の物とした絶技に聖女の目は奪われた。
「まさかこうなるとはね」
空間の割れる音。
視線を上に向ける。
見慣れた姿。数日振りだ。
しかし『久し振り』に見たと考えてしまった。
執行者No.0。
盟主に代わる計画の見届け役。
道化師カンパネルラが優雅に一礼した。
「『今回は』初めましてかな。僕の名前は――」
「カンパネルラだろ。挨拶は不要だ」
「まさか独りで聖女殿の兜を叩き割るとはねぇ」
「見ていたのか」
「勿論」
「相変わらず性格の悪い」
「君にだけは言われたくないんだけどな」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だよ」
古くからの知り合いなのか。
道化師も輪廻に囚われた事があるのか。
唐突に変化した現状に付いていけない。何度も頭を振る。落ち着け。意識を切り替えろ。地獄は終わった。悪夢は醒めた。リアンヌ・サンドロットから鋼のアリアンロードに成り代われ。
「カンパネルラ、彼と知り合いなのですか?」
呼吸を整える。
聖女の横に移動した道化師へ訊いた。
カンパネルラは苦笑しながら頬を掻いた。
「昔ね。いや、未来なのかな」
「早く消えろ。お前は嫌いなんだ」
言葉の節々から感じられる嫌悪の棘。
フェアは柄を握り直した。本気で嫌っている。
「酷いなぁ」
「黙れ」
「君の数少ない理解者なのに」
「これ以上囀るようなら斬るぞ」
「冗談も通じなくなってるね」
「道化師と真面目に話すと思うのか?」
「それもそうだね。一本取られちゃったかぁ」
楽しそうに哄笑する道化師。
片や、眉間に皺を寄せる黒の騎士。
対照的な二人の姿に変な違和感を覚えた。
何かが違う。
何処かが異なる。
姿形か。力量か。雰囲気か。
判別できない。判断できない。
カンパネルラが苦笑しながら提案した。
「それじゃあ帰ろうか、聖女殿」
「――私は」
「盟主から頼まれたんだよ。君を連れて帰れと」
有無を言わさない強い口調だった。
反論は許さない。拒否も不可能。命令を聞け。
鋼の聖女は危惧した。
黒の騎士は危険だ。想像以上に。何倍も。何十倍も危ない存在だと気付いた。彼は世界を滅ぼす。イシュメルガの分体と関係なく。濃縮された呪いとも無関係に。何か別の存在に導かれて。世界を滅ぼし得る厄災に成り果てる。
だとしても。
ループが再び発生したら。
今度こそ地獄から抜け出せなくなったら。
幾ら鋼の聖女と云えども逡巡してしまった。
その弱さを突かれた。
盟主が望まれているなら見逃すのも仕方ないと。
「わかりました」
本調子のアリアンロードなら。
繰り返される地獄を経験してなかったなら。
彼女は躊躇しなかった。迷わなかった。尻込みしなかった。盟主の制止だとしても。此処で殺す事が最善と信じて得物を構えたに違いない。
弱々しく首肯したアリアンロードは転移の術を起動した。指定した場所はルーレ市の近く。ザクセン鉄鉱山の麓に跳んだ。
風景が変わる。草原から山肌へ。
漸く一息つけた。
甲冑の下が汗で濡れている。
冷や汗か。脂汗か。どちらもだと嘆息した。
幻惑の炎が渦を作った。
中心に立つ道化師はやれやれと肩を竦める。
「災難だったね。時間にして3週間ぐらいかな」
「何故、知っているのですか?」
「貴女らしくないね。最初に訊きたいことはそれなのかい?」
挑発めいた台詞。
道化師は笑みを崩さない。
余裕な表情が酷く癇に障った。
「彼は、何なのですか?」
カンパネルラは首を横に振った。
「ボクも知らないよ」
「ふざけるのも!」
「詳しく知らないんだ。フェア・ヴィルングに纏わり付く闇も。彼がどうして闇に見初められたのかも」
「では――アレは何だったのですか?」
身体が震える。手足が重い。
思い出すだけで。考えてしまうだけで。
二度と体験したくない。
次は無事に地獄を切り抜けられるか不明だった。
「彼に纏わり付く闇、その力だよ」
「『巨イナル一』とはそれ程までに?」
焔と大地の至宝が融合した存在。
エレボニア帝国に呪いを齎す絶対的な力。
魔女と地精が協力しても封印できなかった。
それらを考慮すれば有り得るのだろうか。死んだ人間を復活させる。一瞬で。何度も。記憶すら保持させて。零の至宝が施した奇蹟を何の脈絡もなく。人間の考えを遥かに超える力だと思った。
カンパネルラは昏い笑みを浮かべた。
違うよ。全然違うと嘲笑した。
「巨イナル一でも、イシュメルガに因る力でもない。盟主でも見通せない『外なる神』が齎した永劫回帰の一種さ」
聖女は転移した。
青白い顔で。今にも倒れそうだった。
カンパネルラは止めなかった。
彼女に必要なのは休眠だとわかったから。
「盟主も酷な事をするなぁ」
外なる神が干渉する。
鋼の聖女に興味を持つ。
二つが組み合わさればどうなるのか。
盟主には視えていた筈だ。
それでもアリアンロードを止めなかった。
「まぁ、いいか」
北東へ一礼。
誰も聞いていないと知りながら布告した。
「これより盟主の代理として、永劫輪廻の見届けを開始する」
聖女「もうやだぁ」