二十一話 皇帝宣告
七耀暦1205年1月15日。
エレボニア帝国を革新派と貴族派で大きく二分した内戦、通称『十月戦役』が終了してから約3週間経過した。
カレル離宮の解放。煌魔城の顕現。灰の騎神と蒼の騎神の衝突。カイエン公爵の暴走。暗黒竜の再臨。緋の騎神の復活。最悪の幻獣の討滅――。
一連の死傷者は五桁を超えた。心的外傷を抱えた者を含めれば六桁に届くのではと目されている。歴史的建築物も数多く破壊され、帝都全域の被害額は財務担当の人間が意識を手放してしまう程であった。
「想像していたよりも酷いな」
「死都と化す寸前で御座いましたから」
帝都の中心に坐するバルフレイム宮。
翡翠庭園にて二人の男性が談論している。
片方は鉄血宰相ギリアス・オズボーン。心臓を撃ち抜かれても死なず。内戦を終結に導き。己すら駒として利用する傑物は後ろ腰で手を組み、恭しく頭を下げている。
重々しい報告を受けたユーゲント・ライゼ・アルノール。第87代皇帝は手摺りを掴んだ。被害に遭った帝都市民を慮るように顔を顰める。
「復興までの時間は?」
「一年は掛かる見込みかと」
「――ほう。多少なり準備していたのか?」
「万が一を想定しておりました。有り得るかもしれぬと」
鉄血宰相は出会っていた。
暗黒竜を彷彿させる純然たる毒の塊。極限まで呪いに犯された男。イシュメルガの分体に取り憑かれた哀れな被害者と邂逅を果たしていた。
故に備えた。1%にも満たない可能性に。後に想定外だったと嘯いても、到底取り戻せない被害を齎す災厄に。帝都を死の都へと変貌させる存在にも対処していた。
皇帝は納得したように首肯する。
「あの若者と会っていたのか」
「偶然にも。いえ、必然だったかもしれませぬ」
確信などない。
明確な証拠すらも。
即断即決を是とする鉄血宰相を悩ませる。
アレは黒の史書に一行も記載されていない。因果の果て。外から訪れた神の化身。塩の杭よりも遙かに危険な存在だろう。
ならば偶然など有り得ない。
因果に束縛されないなら。黒の史書すら見逃してしまうなら。全てに意味が有る。出逢いは必然だと考える事こそ建設的だ。
ユーゲントⅢ世が朗らかに笑った。
「そなたにも見通せぬか」
「我が身の至らなさを痛感するばかりです」
「構わぬ。未来など知らない方が幸せなのだからな」
諦観の声音。諦念の双眸。
それは至尊の座へ届いた男に相応しくない。
辛く、苦しく、儚い姿。
ユーゲント・ライゼ・アルノールは、血塗られた歴史の真実を知りながらも皇帝の責務を果たそうとする名君である。
黒の史書が記した『巨イナル黄昏』に至る未来。終焉の結末を定められた主君として。家族を犠牲にしなければならないと悲嘆して。獅子心皇帝の生まれ変わりである鉄血宰相に全てを委ねた。
過去形である。
オズボーンの予想通り『過去形』となった。
「陛下、やはり――」
「黒の史書、その原本を確認した。そなたの思惑通りであった。黄昏へ至る道筋が『書き変わっていた』よ」
「未来は変えられる、という事ですな」
帝国の過去未来を記載した黒の史書。
原因から結果を導き出す古代遺物の一種。
過去の真実を記し、不変の未来を突きつける。
歴代皇帝の心を叩き折った因果律記述機関は、遂に自らの間違いを認めた。初代アルノールによって起動されてから約1200年、史書の記載を初めて変化させたのである。
僅か一文。されど一文。
大いなる一歩だ。世界の終わりを回避する希望に繋がる。
鉄血宰相は内心苦笑した。皮肉な話だと。黒の思念体よりも遙かに悍ましい化け物が、単体で世界を滅ぼせる来訪者が、終末の御伽話を覆す一筋の希望になったのだから。
「あの若者のお蔭か」
「既にお会いになられたとか」
「娘からどうしてもと頼まれてな。中々楽しい一時であった。昏い眼を浮かべながらも絶望に諍う姿は好ましく感じた。良い覇気であったな」
「左様ですか」
目尻を下げる皇帝。
クスクスと笑い声を漏らす。
1週間前の事を思い出しているらしい。
オズボーンは胸を撫で下ろした。どうやら元気になられたようだと。もう大丈夫そうだと。心を縛り付ける負担が少しでも軽くなっていれば幸いである。
ユーゲントⅢ世が振り返った。
綻んでいた表情を引き締めている。
双眸に互いの目を映しながら問い掛けられた。
「アルフィン専属の騎士就任、聞いておるか?」
「皇女殿下から直に聞き及んでおります」
「妃は反対していたが、余は認めようと思う」
「3ヶ月前ならいざ知らず。今の彼を阻める者など居りますまい。私も賛同致します、陛下」
甚大なる被害を齎した内戦。
国力を大きく毀損した十月戦役。
さりとて得られた物も確かに存在する。
一つは、貴族連合軍が運用していた機甲兵だ。
他国には存在しない新概念の兵器。主力戦車と組み合わせれば、共和国の空挺機甲師団にも負けない強力無比な戦術を生み出せるだろう。既にルーファス・アルバレアは新戦術の基本骨子を作成していた。
もう一つは、貴族派の求心力低下である。
内戦を画策して、煌魔城を顕現させ、暗黒竜の再臨を幇助し、皇族並びに帝都市民を大虐殺しようとしたクロワール・ド・カイエン。『極刑』がほぼ確定された貴族連合軍主宰を筆頭に、内戦の最中にも拘らず逮捕されたヘルムート・アルバレア、アルフィン皇女が旗印となった第三機甲師団の作戦を阻害したアンゼリカ・ログナーと云う具合に、四大名門の三つが失態を犯している。
更に帝国正規軍の活躍によって、領邦軍は甚大な被害を被った。東部は壊滅。西部も満足に動かせるのはウォレス准将率いる部隊のみ。吹けば飛ぶような小貴族は勿論のこと、帝国の支柱たる大貴族すらも往年の力を失っている惨状である。
代わりに宰相の威勢は強まった。帝国の危機的状況を考え、貴族連合軍総参謀と停戦する英断。迅速に発表された帝都復興の道筋。断固たる決意で行われたクロスベル占領。ギリアス・オズボーンを讃える声は日に日に増加している。
「我が娘ながら驚いた物だ。余よりも早く将来の相手を見つけようとはな。未だ15歳だというのに」
「子供は親を超えていくものでしょう」
「オリヴァルトが意外と遅いのでな。勘違いしていたよ。アレもリベールで良き相手を見つけたと言っていたが」
同様に『救国の皇女』と『黒緋の騎士』を題材にした記事も増えている。
温泉郷ユミルで運命的な出会いを果たす二人。幽閉された家族を助けたい皇女殿下に忠誠を誓う黒の騎士。第三機甲師団の旗印となった皇女殿下の行く道を切り拓いていく。快進撃の立役者。最終的に常勝不敗の軍神を破った。とある貴族を庇って戦死したと思われたが、実際は帝都の危機を知って先回りし、皇女殿下と共に伝説の騎士人形を駆使して暗黒竜を討滅した。
事実は小説よりも奇なり。
現代に蘇った英雄譚。心躍るラブロマンス。
十月戦役で疲弊した民草を盛り上げる格好のスパイスとして、二人の関係性を邪推する記事が世間を賑わせていた。
「しかしながら、陛下」
「わかっているとも。ヴィルングに爵位を与えなくてはな」
「御意。如何に貴族勢力が弱体化したとしても、出生すら定かならない平民を皇女殿下の婿にするのは難しいかと」
皇帝はおもむろに頷いた。
腕を組み、目を閉じている。
オリヴァルト皇子の母君、アリエル・レンハイムを想い浮かべている事は明白だった。
そう、力関係の有る無しではない。
伝統と規律、調和と習慣。簡単に変えられないエレボニア帝国としての在り方。根源を突き詰めていけば人間の悪感情に至ってしまう。
妬ましい、羨ましい、許せない。
決して馬鹿にできない負の力である。
特に帝国人は突発的に『魔が差してしまう』。黒の思念体に導かれて。巨イナル一から漏れ出た呪いによって。信じられない愚行に及んでしまう。
「宰相、隠さなくてもよい。ヴィルングをクロスベルに送るのであろう?」
腕組みを解き、尋ねる。
鉄血宰相は鷹揚に首肯した。
「御明察。共和国軍がクロスベル奪還に動く頃合いです。黒緋の騎士に戦功を挙げさせる良い機会かと」
「他の騎士は本国待機か?」
「順々に送る予定になっております。彼らにも英雄になってもらおうかと。他ならぬエレボニア帝国の為に」
「――良いのか?」
ユーゲントⅢ世は知っている。
帝都解放の立役者。
灰の騎神に選ばれた起動者。
内戦を終結に導いた功労者の一人。
リィン・シュバルツァーが鉄血宰相の実子である事を。やむを得ない事情から手放した事を。今も変わらずに一人息子を溺愛している事すらも。
だから問う。
本当に構わないのかと。
息子に茨の道を歩ませても良いのかと。
「偽りの英雄の地位に溺れるなら、所詮それまでの男だったという事です」
オズボーンは顔色一つ変えずに言い切った。
既にこの身体は死に体。不死者の身。常人から掛け離れている。成し遂げねばならない使命、滅ぼさねばならない怨敵を抱えている。
心を鬼にしてでも。息子を突き放したとしても。
13年前、惨劇の夜、イシュメルガに対して魂と肉体を捧げた日に誓ったのだ。最後まで駆け抜けると。
「そなたは強いな」
「最早、引き返せぬ身ですから」
「悲しい事だ」
「――しかし宜しいのですかな、陛下」
改めて問い直す。
心残りを無くすように。
希望の光を手繰り寄せないのかと。
ユーゲントⅢ世は静かに、ゆっくりと嘆息した。
「13年前に言った通りだ。避けられぬ終末の未来ならば先ずはそなたに任せると決めた。――そう、決めていたな」
「――諍いますか?」
「そのように仰々しい物ではない」
苦笑して、続ける。
「余ではそなたに敵うまい。だからこそ未来ある若者を支援しようと考えている。諦めずに足掻き続ける『息子たち』ならば、そなたの思惑を超える可能性も高かろう」
皇帝はニヒルな笑みを浮かべた。
正面から鉄血宰相の狙いを邪魔すると告げる。
驚愕であり、歓喜でもあった。
心の底から諦めた人間は容易に立ち直れない。砕けた信念、視界を歪ませる敗北感。如何に周囲から発破されたとしても、燃え尽きた薪から新火が生まれる可能性は限りなく低いからだ。
ユーゲントⅢ世は立ち上がった。
諦念を払拭した訳ではない。
鉄血宰相を超える気概を宿した訳ではない。
だとしても――。
皇帝は萎えてしまった志を奮い立たせた。
若い頃に心折られてなければ。
今もなお終焉に諍い続けていれば。
そんな拉致もない空想に浸らせてしまうほど、ユーゲントⅢ世は叡智に富んだ力強い眼光を放っていた。
「陛下は、お強いですな」
鉄血宰相が久しく表に出さなかった本心。
長い付き合いだ。皇帝にも伝わっただろう。
故にユーゲントⅢ世は高らかに笑い声をあげた。
「世辞はやめてくれ。そなたには到底至らぬ身だからな」
事実そうなのかもしれない。
ギリアス・オズボーンはまさしく怪物だ。
元来の知恵才覚に加えて、獅子心皇帝時代の記憶も兼ね備え、人外の領域に両足を突っ込み、紅蓮の炎で身を焼かれる覚悟も完了済みと云う化物。
巨イナル黄昏は絶対に引き起こす。
地獄の大釜を開けるなど造作もない。
だからこそ考える。
終焉に諍えと。乗り越えてみせろと。本気で成し遂げようとする鉄血宰相に食い下がり、見事超越してみせるがいいと。
ユーゲントⅢ世が彼らを手伝う。
願ったり叶ったり。全てを受け入れようとも。
「宰相よ、これからも頼むぞ」
「承知しました、陛下」
一礼する。
本番は此処からだ。
同日同時刻。
寒気に覆われた帝国領内。
近郊都市トリスタの街を通り過ぎる高速列車。
鉄道憲兵隊所属クルセイダー号の後部車両に緋の騎神を載せて。道中の駅に停まる事なく。2週間前に併合されたばかりのクロスベル州へ超特急で走り続ける。
2両目、前から三番目、左側の席。
3本の緋い線が特徴的な黒い外套に身を包み、皇帝陛下から授与された宝剣ヴァニタスを佩帯。アルフィン皇女がプレゼントされたと云う緋いペンダントを首から掛け、窓際に頬杖を突きながら、齢20の青年が腰掛けていた。
第三機甲師団にて客将ながら一騎当千の活躍を見せ、皇女殿下と共に十月戦役を駆け抜け、暗黒竜を再臨させたカイエン侯爵の魔の手から帝都を救った英雄。緋の騎神に選ばれた起動者でもある。
黒緋の騎士、フェア・ヴィルング。
クレア・リーヴェルトの弟分だった、と思う。
「――――」
「――――」
気まずい。
沈黙が重い。
喧嘩した訳でも、振られた訳でもない。
クレアは見てしまったのだ。
皇城で仲睦まじく話すアルフィンとフェアを。手を繋いだ光景を。傷を付けた、付けられたと意味不明な問答で楽しそうに言い合う二人の姿を。
喩えるなら、弟がイヤらしい行為に浸っているのを目撃してしまった姉のような感覚。子供から、赤ちゃんはどうやって作るのかと聞かれたような雰囲気。
「――――」
「――――」
クロスベルまで持ちますかね、これ。
黒の史書「いや、ニャルは無理でしょ(白目)」
アルフィン「あれ、フェアは?」
ユーゲント「クロスベルへ行ったぞ」
アルフィン「!?」