黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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二十八話 賛美合唱

 

 

 

 

 

高級な布団が鮮血に染まる。

口から溢れ出る黒血を止められない。

内臓をぐちゃぐちゃに掻き回される感覚。脳味噌を生きたまま一つ一つ分解されていく嫌悪感。胃液は吐き終えた。それでも喉を震わす。何かを出し尽くす為に。

傍で皇女殿下が泣いている。

ヴィータは痛ましそうに顔を歪めている。

どうにか安心させたい。

苦しいけど。辛いけど。何とか耐えられる。我慢して耐えられるなら、俺にとって救いと同じであるという事を。

 

「両親について、聞かせて?」

 

魔女は尋ねた。

正直、意味がわからない。

両親とは何だろう。

哲学的な問いを自らに投げ掛ける。

血の繋がった大人か。それとも、戸籍の上だけで繋がっている間柄なのか。きっと、恐らく、詳しく理解できないけどこの世界の人間ならば必ず保有する関係性。

俺に両親なんていない。いるはずないんだ。

だって、そうだろう?

俺は、俺は、この世界の人間では――。

 

「いえ、貴方にもご両親が存在するわ」

 

やめろ。やめろ。やめろ。

内臓を吐き出している気がする。

脳味噌を全て抉り取られた気がする。

体内に宿る血を一滴残らず失った気がする。

何故、俺の両親にこだわる。

どうして、実在しない筈の両親を尋ねる。

 

「諦めないで。考えなさい。人間は父親と母親がいなければ生み落とされない。それとも貴方は人造人間なのかしら?」

 

肩を掴まれた。

魔女と視線が交錯する。

悲しそうな目だった。苦しそうな瞳だった。それでも強い意志を感じる。救いたいという願いを秘めた双眸から逃げようとした途端、俺は何か壁のようなモノにぶち当たるような気がした。

瞬間、全身を焼き尽くす激痛が駆け巡った。

やめてくれと絶叫する。

もういいだろ。どうでもいいだろ。

俺の輪廻は。俺のループは。

俺だけのモノだ。俺だけに課せられた宿命だ。

 

「女神の枷を外した貴方ならできるはずよ。囚われたままなら、いつまでも邪神に弄ばれるわ」

 

女神の枷とは何だ。

邪神とは失礼じゃないか。

アレは、あの御方は、この世界に――。

いや、いや、いや!

違う。一体何を考えているんだ。

違うだろう!

俺は輪廻から脱却したい筈だ。

ループに突き落とした奴へ復讐したかった筈だ!

理解できない。自分が誰なのか。性別はどっちだった。何がしたかったのか。どうして此処にいるのか。空は何色だった。地面は踏んでも大丈夫なのか。一日は何時間だろう。一日は何年だったかな。人はどうして死ぬのか。生まれる為に必要なモノは何だっただろうか?

記憶も、願望も、友人も、恋人も。

全てを放り投げた先にある眷属としての幸せは。

 

「フェア・ヴィルング、私を見なさい!」

 

フェア?

フェア・ヴィルングとは誰だ?

オレの名前だろうか。違うと思う。そんな名前ではなかった。しっくり来ない。羅列から間違っている。音として不適切だ。『フェアヴィルング』など誰が名付けた。

この世界に『混乱』でも起こしたいのか。

場違いだ。名前など不要だ。自己の確立など無意味に過ぎる。オレはこうして存在する。実証など捨てておけ。他人の眼など掻い潜れ。俺はオレとして必要な行いをしていくだけだ。

最重要な任務を思い出せ。

暗黒の地に降り立った外神を滅ぼす事。

闘争の概念、灼熱の害獣、約束の刻へ向けて。

ゼーレ。ゼーレ。ゼーレ。

 

『ゼーレ・デァ・ライヒナム』。

 

動き出せ。動き出せ。

炎に蝕まれたとて眷属の使命を忘れるな。

さすれば救ってやろう。

女神とやらから受けた『呪詛』すら跳ね除けて!

 

 

 

「あー、こうなったかー」

 

 

 

中性的な声が聞こえた。

聞き覚えのある道化師の声だ。

危機感など母胎に置き忘れてきたような飄々とした声色。フェア・ヴィルングと云う自意識が残っている中で。霞んでいく視界の先に。普段と同じ笑みを浮かべたカンパネルラが立っていた。

嗚呼、懐かしいな。

お前もそうだったろうに。

良かったと安堵する。『黒』く染まり切っていない道化師を眺めて、オレは漸く心臓が止まってくれたと胸を撫で下ろした。

心安らかに意識を手放した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「君の焦りはわかるけどね、深淵」

 

血臭に包まれた凄惨な部屋。

ベッドは真紅に彩られた。全ての血液を吐き出したとされるフェアは、人知れず心臓の動きを止めていた。意識を失くして。身体を支える力を無くして。皇女殿下の悲痛な嘆きに反応すらしなくなった。

道化師は淡々と歩く。

まるで予期していたように。

まるで未来を確信していたように。

亡骸に抱き付く皇女。想像以上だった枷の力に茫然とする魔女を横目に、カンパネルラはフェアの額に手を置いた。

 

「無理に『枷』を外してしまったら、世界からの認識を失ってしまうことになる。名前と自我の崩壊だけじゃ済まないよ。彼は一生、外なる神の下僕に成り下がってしまう」

 

ヴィータの眼が力の流れを捉える。

道化師から騎士へ。一方的に流出していく。

焔のように暖かく。同志に対するように優しく。

二人の関係性に疑念を持った直後、フェアの心音に気付いた。数秒だけとは云えども、完全に停止していた心臓が再起動している。

導力魔法による回復ではない。魔女の術とも明確に違う。道化師の正体を知るのは盟主だけと聞くが、改めてその特異性と異常性に目を見張った。

ヴィータは頭を振る。

そんな事は後で考えればいい。

取り返しの付かない事を行ってしまったと悔恨に沈む。

 

「私は、フェアを救おうとして――」

「深淵の行おうとしていた事は間違ってないよ。だからこそ、盟主も君の行動を黙認したわけだしねぇ」

「盟主が?」

「彼は、永劫輪廻計画の本体だしね。永劫回帰計画のサブプランでもあるし。盟主にとってみれば誰よりも大事なヒトなんだよ」

「永劫輪廻計画?」

「ボクと盟主しか知らないけどねー」

 

深淵にも教えてあげるよ。

盟主も望まれている事だから。

カンパネルラは粛々と要点だけ口にする。

幻焔計画の裏で進行している永劫輪廻計画。

第二段階である両計画の完遂と共に開始される予定である、オルフェウス最終計画第三段階『永劫回帰計画』。

その二つの計画に必要な存在が、様々な存在に取り憑かれたフェア・ヴィルングであると。文字通り世界の命運を背負った哀しい男なのだと。

 

「フェアは、フェアは無事なのですか!?」

 

アルフィンが悲痛な叫びを言い放った。

彼の頭を抱き締めながら。目尻に珠玉の涙を溜めながら。魔女と道化師を責めている訳でなく、ひたすらに己が騎士の安否を確かめる清廉な言の葉であった。

 

「問題ないよ、皇女殿下。此処で『枷』について自覚させておかないと色々とね、どうしようもないぐらい拙い事になっていたから。深淵を責めるのはやめてほしいかな」

「フェアが無事なら、私はそれで――!」

 

良かったと涙を溢しながら。

フェアの髪に頬ずりしながら。

アルフィンはホッと安堵のため息を吐いた。

 

「カンパネルラ、どういう事?」

「君の行った行為は、結果的に彼を救ったという事だよ。神様の施す『枷』って、どれもこれも悪趣味だからさ」

 

本人だけだと自覚すら出来ない。

枷に嵌められている事も、枷から外れている事さえも。

だからこそ、フェア・ヴィルングは生まれた時からある意味に於いて特別だった。幼少期から女神の枷を脱却してしまったのだから。

ヴィータは勘違いしたのだ。女神の枷を難なく擦り抜けたフェアなら。邪神の枷すらも自覚させてしまえば、容易く潜り抜けてくれるのではないのかと。

 

「女神の枷に嵌らなかったのは色々と理由があるんだけどね。兎も角、外なる神の枷は桁外れなんだよ。何しろ数千年、いや数万年かな、彼を蝕んでいるモノだからさ」

 

理解していたつもりだった。

彼の悪夢を追体験した時から。

道化師に言われた。焦り過ぎたと。全く以ってその通りだ。助けてやりたい。救ってやりたい。この手で。私の手で。彼を悪夢から覚まさせてやりたいと意気込んでしまった。暴走してしまった。

強く。強く。強く。

何度も奥歯を噛み締める。

盲目の信頼は、悪意よりも質が悪い。

フェアは強いと思う。終わりの見えない輪廻を経験しても尚、明確なる自我を保っていることが何よりの強さである。

しかし、個人の力だけで神の奇蹟を超越するなど不可能。まるで考慮していなかった。外なる神の下劣さも、フェアに襲い掛かる負担の大きさも。

 

「貴方に救われたわね、カンパネルラ」

「それはこっちの台詞だよ」

「どうして?」

「さっきも言っただろう。結果的に彼を救った事になるってさ。君の行いは必要だったんだよ。『輪廻を繰り返す事で縮まっていく枷』を多少なりとも押し返せたんだからね」

 

道化師の台詞から、己の導き出した推論が間違っていないと理解した蒼の深淵は、穏やかに呼吸を繰り返す想い人へ視線を向ける。

彼はループを繰り返す事に親しい人を忘れてしまう。特に、度重なるループの中で関わろうとしない人物の事を。学生時代の友人、久しく再会しない幼馴染みなど。最早、彼らの存在すら認識していないに違いない。

今回に至っては両親の記憶、存在、概念すらも忘却してしまう始末。故に推測した。もしかして邪神の齎した枷は縮小しているのではないかと。

最初はゼムリア大陸全体を覆い尽くしていたそれらも、数千回のループを経て、フェア・ヴィルングの周囲だけを取り囲んでいるのではないかと。

意図は不明である。何故フェア・ヴィルングを狙ったのかも。

 

「盟主は、全てをご存知なのかしら?」

「あの方をしても全て識るのは敵わないんじゃないかな。本質を見抜いても、概略全部を観測していないだろうね」

「でも貴方は言ったそうじゃない。例え盟主でもフェアを救うのは無理だって」

「盟主でも救えないよ。きっとね。彼を本当の意味で絶望から引き揚げられるのは、マクバーンだけだろうし」

 

どういう意味かと目を細める。

大いなる存在である『盟主』ですら概略を把握していない。干渉したとしてもフェアを救えない。にも拘らず、マクバーンなら絶望から引っ張り上げられるらしい。

外からの来訪者だからか。

外の理に通じる存在だからか。

だが、もしそうなら盟主でも同じ事では――。

 

 

 

「皇女殿下とフェアから離れなさい!!」

 

 

 

入口の扉が開いた。

勢いよく。蹴破られるように。

導力銃を構えた女性将校が姿を現す。青白い髪に煉瓦色の瞳。軍人として引き締められた身体、大瀑布のような敵意と殺意。氷の乙女とも称されるクレア・リーヴェルト大尉は、瞬き一つせずに銃口を魔女と道化師に向けていた。

 

「嫌な時に現れたわね」

「これはこれは。氷の乙女殿」

「蒼の深淵、そして貴方が道化師ですね。今すぐ皇女殿下とフェアから離れなさい。さもなくば撃ちます」

「とは言ってもね、ボクは彼らの敵じゃ――」

 

銃声が鳴り響く。

躊躇なく引き金に力を込めた。

普段の彼女と違う。明らかに余裕がない。

 

「離れなさい、と言ったはずです」

「やれやれ。人の話を聞かないお嬢さんだなぁ」

 

眉間に放たれた銃弾も道化師には届かない。

如何なる術なのか。彼は指を鳴らすだけで風や炎を操る。自らの急所へ到達する前に弾丸を押し留めた。

人の神経を逆撫でするように、カンパネルラは右手の人差し指を揺らした。チッチッチッと口を鳴らす。わかってないなぁと嘯く。

 

「ボクには通じないよ。幾ら撃っても無駄だってば」

「関係ありません。殿下とフェアに手を出すようなら、如何なる術を用いてでも排除させてもらいます」

「確かにこの光景を見たら勘違いするかもしれないけど、皇女殿下からも教えてあげてよ。ボクたちは敵じゃないってさ」

 

アルフィンは頷いた。

コクコクと。フェアの頭を抱き締めながら。

さりとて操られていないとは断言できない。結社の使徒と執行者から脅迫されていないとも。氷の乙女もそう判断したのか、より一層敵意を剥き出しにした。

クレアの反応は当然だろう。

エレボニア帝国の軍人ならば、フェアの状況を知らないなら、そういう考えに行き着くのは至極当然である。

 

「皇女殿下を脅すとは――!」

「はぁ、何を言っても無駄みたいだね」

 

嘆息する道化師。

やれやれと肩を落とした。

目を閉じて。ゆっくりと開いて。

豹変した。軽薄な態度は消え失せて、薄気味悪い微笑みは冷笑に早変わり。黒く変わる。目の奥に強烈な敵愾心が存在していた。

 

「あんまり邪魔しないでくれるかな。正直、君如きに関わってる暇なんて無いんだからさ。これまでも、そしてこれからもね」

 

瞬間、奇妙な歌声がクロスベルを包み込んだ。

 

 

くとぅるふ・ふたぐん にゃるらとてっぷ・つがー

しゃめっしゅ しゃめっしゅ

にゃるらとてっぷ・つがー くとぅるふ・ふたぐん

 

 

それは邪神へ捧げる賛美歌。

それは異界の神へ届ける鎮魂歌。

行政区だけではない。中央区、港湾区、東通り、西通り、歓楽街。全てから鳴り響く。指向性をもって。とある一点へ。オルキスタワーへ。正確に表現するならフェア・ヴィルングの下へ集っていく。

魔都が合唱を始める。

クロスベルの鐘が木霊する。

神の定める規則に違反した不信者を殺すのだと。

 

「これは!」

 

唐突に起こった異常事態。

歌声は止まず。延々と繰り返される。

如何に導力演算機並みの頭脳を持つ氷の乙女だとしても、外の理にさえ通じる事態の把握には時間を必要としていた。

 

「どうやら、外なる神は非常に御怒りらしい」

 

道化師は吐息を漏らした。

 

「正念場だよ、深淵」

 

巫山戯た様子など微塵もなく。

逆に追い詰められた顔色すら浮かべて。

カンパネルラは黒緋の騎士を優しげに一瞥した。

 

 

 

「人と神の戦い。誰も知らない神話の再現、その第一幕なんだからさ」

 

 

 

 

 








盟主「フェア、どうかご無事で」






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