「やぁ、マクバーン」
「クロスベルから離れていいのか、お前」
空を見上げる一人の男性。
赤を基調とした服装はどこか色気に溢れ、淡い緑色の長髪はさながら女性の如く艶やか。気怠げな様子で首に手を当てている。劫炎の異名を持つ執行者。名前をマクバーン。彼は背後から投げ掛けられた挨拶に対して眼鏡をカチャリと鳴らした。
振り向きもせず、適当に答える。
「もう仕上げの段階だけど、帝国方面も気がかりだからね」
「深淵が出張ってんだ。問題ねぇだろ」
「そうだねぇ。君も参加するんだから余計なお世話なのかなぁ」
対して、飄々と受け応える少年。
お互いに気心を知れた仲。長い付き合いから醸し出される悪友のような関係性。されど、含みのある台詞にマクバーンが片頬を吊り上げた。
「んだよ、何かあるのか?」
「盟主から伝言があるんだよ、君にね」
「俺に?」
「君にだよ。珍しいことにさ」
「カンパネルラ、そりゃあ『厄介事』か」
今日、両者は初めて視線を交わした。
カンパネルラと呼ばれた少年はため息を溢しそうになった。マクバーンの様子がおかしい。眼鏡の奥に潜む眼が黒くなりつつある。火炎魔人と化すにしても早すぎる。早速かと半眼になった。
「落ち着いてよ」
カンパネルラは素直に呆れた。とてもとても。
普段は執行者の中で唯一弁えているマクバーンだが、些か以上に戦闘狂の節が見え隠れしてきた。最近は特に酷い。剣帝レオンハルトが逝去してから余計に。鋼の聖女がクロスベル入りしてからなお酷くなった。
捌け口が無くなったのだ。鬱憤が溜まっているのだろう。だとしても迷惑この上ない。蒼の騎神と戦ってみたいとか言う有様。我儘にも程がある。
「盟主の厄介事ってなりゃ落ち着けねぇな」
黒い焔が一瞬だけ漏れた。
道化師は右手に幻想の炎を生み出す。
「場所を弁えてって事さ。人里離れた場所でも君が暴れたら一発だよ。今、騒ぎを起こすのは計画的にまずいだろ」
幻焔計画。
クロスベルの虚なる幻をもって、帝国の焔を呼び起こす。極めて単純。さりとて厄介。此処に至るまで結構苦労したのだ。台無しにされたら部下であるギルバートを虐めてストレス発散しても収まりがつかない。下手したら殺してしまうかもしれない。
カンパネルラの本気が伝わったらしい。マクバーンは周囲を見渡し、頭を掻きむしって肩を落とした。
「面倒くせぇなァ」
「弁えてるのか、弁えてないのか。よく分からないよね、君も」
「さっさと盟主の伝言とやらを教えろ」
偉そうな口振りも相変わらずか。
そりゃあそうかと一人納得するカンパネルラ。
何しろマクバーンは『異界の王』だ。外の理からやってきた異邦人。魔神の如き能力を扱える唯一絶対の強者である。
だからこそカンパネルラは淡々と口にした。
「来訪者が現れたそうだよ」
絶句。
沈黙は数秒。
一拍遅れて笑い声が木霊した。
「そりゃあ本当か、カンパネルラ」
「盟主様の仰られる事だからね」
「オイオイオイ。マジみてぇだな、それなら」
マクバーンは右手で顔を覆う。
溢れる笑い声。心の底から歓喜する。
自身と同じ外から来た存在。久し振りに人間としてなら全力を出せる。楽しくなってきた。計画なんて深淵とデュバリィに任せて、その異邦人へ会いに行こうと決めた。
痛快、愉快。
さぁ居場所を教えろと催促する。
カンパネルラは一息吐いて、拒否した。
「手を出すな」
「あ"?」
思い掛けない言葉に、こめかみが痙攣した。
「盟主様からの伝言なんだよ。絶対にマクバーンは近づくな。手を出すな。彼の逆鱗に触れるなっていうね」
何だそれは。
執行者はあらゆる自由が認められている。
計画に賛同するのも良し。
計画を邪魔するのも良し。
何をしようとも咎められる事はない。それだけの権限を持っている。にも拘らず、盟主は来訪者への接近を禁じた。何故だ。どうして。そもそもそれは結社の掟を破っているではないか。
「それだけ危険なんだろうね、彼は」
「テメェは知ってんのか、そいつを」
「今までに『何度か』見ているよ。見た目は平々凡々だね。古の魔力も無ければ、君みたいな異能も持っていない」
「なら、盟主は何を恐れてる」
「さぁね。其処までは教えてくれなかったよ」
カンパネルラが指を鳴らした。
転移の合図。幻惑の炎が少年の周りを揺蕩う。
マクバーンはチッと舌打ちした。
異邦人。自らと同じ境遇の存在。気になる。会ってみたい。戦ってみたい。盟主の伝言を無視することもできる。
それでもマクバーンは我を通さなかった。
「やっぱり君は弁えてるね」
「うるせぇ。さっさと消えろ」
「あはははは。機嫌を悪くしたみたいだね。ごめんごめん。じゃあ一つだけ情報をあげるよ。恐らく盟主様はこう考えているんじゃないかなぁ」
さらっと言い残して、カンパネルラは転移した。
恐らくクロスベルへ蜻蛉返りしたのだろう。そろそろ至宝が復活する。消失した幻の至宝、その代わりに産み出される零の至宝。クロイス家の妄執が生んだ人工的な七至宝の行く末を見届ける必要があるらしい。
完全にカンパネルラが消えたのを確認して、マクバーンは苛立ち混じりに焔を放った。海へ。深い深い海へ向けて。何度も何度も。異能の力で作り上げられた焔は海水を大量に蒸発させて消えていく。
近くに海都オルディスがあろうと知ったことか。
「盟主が恐れる化物か。鋼より強いんなら試す価値はあるな」
喉を震わせる。
哄笑が夜空に響いた。
仕方がない。今回は諦めよう。
一先ず幻焔計画を完遂させる。
そしてもしも真の姿に戻れなければ――。
「精々期待しとくとしようか」
――――君と彼が出会ってしまえば、次の瞬間には世界が終わってしまうってさ。
カンパネルラの愉しげな声が耳の奥で鳴り響いていた。
手に残る剣の衝撃。
腕に刻まれた幾多の斬痕。
弟子に纏わり付く昏い神気。
全てを覚えている。忘却などできない。
あの日、殺す気で剣を振るった。血を流す覚悟で絶技を繰り出した。フェア・ヴィルングは死ぬ筈だった。決められた定め。運命とも呼べる。
光の剣匠による本気の殺意、明確な敵意。
恐らく一般の兵士なら戦意を失うだろう。脚を震わして、尻餅を付き、殺さないでくれと懇願するだろう。
裂帛の覇気を突きつけられたフェア。
そよ風のように受け流した彼は愉しそうに笑う。
死など恐れていない。死は通過点に過ぎないのだと。
試験は1時間ほどで終わった。
結局、ヴィクターは彼を殺せなかった。
絶技を受け止められた事で嫌でも察した。
この者を殺すのは私の役目ではないのだと。
「アルゼイド子爵、どうしたんだい?」
七耀暦1204年、9月25日。
高速巡洋艦カレイジャスの処女航海日。
艦長に指名されたヴィクター・S・アルゼイドに向かって、皇族の一人であるオリヴァルト・ライゼ・アルノールが問い掛けた。
どうやら心配させてしまったらしい。
ヴィクターは素直に謝罪して、クルーに命令を下す。そろそろトールズ士官学院の上空だ。着陸の準備に入らなくてはならない。
「貴方が呆然とするなんて珍しいな」
「申し訳ありません、殿下」
「構わないさ。それで何かあったのかい?」
「いえ、私事ですからお気になさらず」
「まぁまぁ。アルゼイド子爵、話してみたまえ。誰かに話すだけでも気が紛れるものさ」
皇位継承権を破棄した庶子の皇族。
リベールの異変を食い止めた功労者の一人。
放蕩皇子と呼ばれる稀代の才人。
様々な言葉で表現されるオリヴァルトだが、皇族と思えないほどフレンドリーな人柄こそ最大の長所だと思う。
ヴィクターは苦笑いしつつ帽子を被り直した。
「少々迷っております」
「――カレイジャスの艦長になった事かな?」
不安げな瞳に見つめられる。
ヴィクターは首を横に振った。
「いえ。むしろ光栄に思っております。貴族派と革新派の対立を和らげる一手になれるなら、喜んで艦長としての任を全うするつもりです」
「なら何を迷っているんだい?」
「私の弟子に危うい男がいるのです」
危うい男、と怪訝そうに呟くオリヴァルト。
「名前は?」
「フェア・ヴィルングと言います」
「初めて聞く名前だね」
「ええ。何しろアルゼイドの門を叩いたのは一月前ですから」
「一月前、ね。帝国解放戦線か、結社の類か」
「お言葉ながら殿下。彼はどちらにも所属していないでしょうな」
益々眉間に皺を寄せる皇族。
ヴィクターは確信を持って断言した。
約1週間、剣を交えて気づいたのだ。
フェア・ヴィルングはテロリストになるような信念など持っていない。結社に属するような狡猾さも皆無である。ひたすらに純粋だった。純粋に救いを求めていた。
目は虚ろで、心は硝子のような男だった。
「ならアルゼイド子爵、何が危ういのかな?」
「殿下は名状し難き闇を見たことがありますか?」
見えたのは一瞬だけだ。
一度の邂逅だったが、未だに鳥肌が立つ。
多眼と無貌。似ているようで全くの別モノ。
どちらにも触手のようなモノがあった。鋼の意志を持っていても汚染されそうな昏い澱みを吐き出していた。
オリヴァルトに名状し難き闇の姿を伝える。
彼は顎に手を当てて記憶を掘り起こし、該当する存在を検索した。
「いや、記憶にない。少なくともこの世界では。ミュラー、君はどうだい?」
「影の国で類似する存在がいただろうが」
操舵席に座るミュラー・ヴァンダールが吐き捨てた。オリヴァルトも肯く。アルゼイド子爵、これは秘密だと前置きして語り始めた。
「多眼の存在は知らない。だが、無貌の闇は見覚えある。『影の国』という世界で一度助けられたんだよ」
1ヶ月後、帝国全土を揺るがす内戦が始まる。
そろそろ北に向かおう。いい加減我慢できない。
ヤツが煩くなって来た。9月中旬まで1週間に1度ぐらいの頻度で話し掛けてきた存在Xは、最近だと1日1回語りかけて来るようになった。
早く北に行け。人形を探せ。魔人を殺せ。英雄になれ。呪いを止めろ。降臨させろ。化身になれ。
要望がどんどん増えているのは気のせいか。
言葉と感情はチグハグで、でもどこか焦っている。
アルゼイド流の中伝へ至った俺はレグラムを発った。ヴィクターさんが不在で助かった。どうも苦手だ。苦手になった。何故かこの世界線では殺されかけた。絶技を防げたのは奇跡に近い。多分手加減してくれたんだろう。だとしても正面から食らえば即死だったと思うけど。
一応だが書き置きを残した。探さないでくださいと。まるで家出する少年少女みたいだ。これ以外に書くことなどなかったから仕方ない。クラウスさんも俺を薄気味悪そうな目で見ていた。居なくなって精々するだろう。仕方ないことである。
「ヨコセ、ヨコセ」
違う声も聞こえる。存在Yと名付けた。
XとYの声が被ることもある。特に最近は多い。
瞬間、意識が飛ぶ。痛みはない。
ブツリと断ち切られる感じ。もう慣れた。
直ぐに回復する。身体に異常も見当たらない。
どうやら相性が悪いらしい。どちらも悍ましい声なのだ。仲良くしろ。被害を受けるのは俺なんだぞと文句を言いたい。多分、届かないけど。
「我ノモノダ、スベテ」
誰にも相談できない。
俺一人で解決するしかない。
進まない時の流れも、この憎悪溢れる声も。
問題点は山積みで。解決策は欠片もなし。
皮肉だなと肩を竦める。
ヘイムダル中央駅。ノルティア本線に乗り換えようと駅内部を足早に歩くこと数分。絶対に会いたくない存在と出くわした。
「アァ、心地ヨイ」
黙れボケ。
俺はそんな状況にいないんだよ。
慌てて隠れる。気配遮断。隠密を最優先。
柱の隅から顔を出す。懐かしい姿だ。
彼女の職業柄、出会う可能性は存在した。考慮に含めていた。でも遭遇すると少しだけ焦る。彼女とはループに嵌る前からの知り合いだ。軍を辞めるときも一悶着あった。
「――――」
何か話している。
話し相手は部下だな。見覚えがある。二回前の世界線で共闘したからか。まぁ直ぐに死んでいたけど。
凛々しい表情は相変わらず。テロリスト対策で忙しいのだろう。多少の疲れが見て取れた。隈もある。さぞかしミハイルさんも心配しているんだろうなと邪推した瞬間だった。
――――分岐だ、と存在Xが騒いだ。
はい?
分岐ってなんの?
は、いや、ちょっと待て。
どうして脚が勝手に動くんだ!
いつの間にか気配遮断も解除されていた。
まさか存在Xか。身体を操っているのか。初めての事態。焦りから思考が纏まらない。自らの意思とかけ離れた行動。純粋な恐怖と違う。背筋がゾワゾワする気色悪い悍ましさに対処が遅れた。遅れてしまった。
「?」
彼女が振り向いた。
ゆっくりと視線が交錯する。
燕尾色の目が見開いた。
ここまで来て逃げるわけにいかない。
何度か恋人にもなった相手だ。
お説教を食らうんだろうなと憂鬱な気持ちで手を挙げる。
「久し振りです、クレアさん」
返ってきたのは鳩尾を貫く拳だった。
マジ痛い。存在X、テメェ覚えておけよ――ッ!
存在Xと呼称しておりますが、幼女戦記のそれとは違います。紛らわしくてすみません。