懐かしいと何故か微笑む。
煉瓦造りの独房。自由を妨げる黒い鉄格子。何処からか雨漏れしているのか、不規則に溜まる水溜り。小蝿が集る。溝鼠が走り回る。不衛生極まりない環境。まさしく囚人の末路だと肩を竦めた。
十アージュの高さを誇る天井。小さく枠取られた小窓。微かな隙間から紅い月が見えた。どうやら夜らしい。此処が現実世界だと仮定するならの話だけども。
脱出は不可能だ。何しろ力が入らない。
起き上がる事も、立ち上がる事も可能だが、導力器による身体能力の底上げはおろか、半年間で鍛え上げた膂力すら皆無に等しいモノへと変貌していた。
壁に背中を預け、今後の予定を練る。
直前の記憶を反芻していく。ヴィータ・クロチルダによる質問。両親という単語について尋ねられた。途端、壁のようなモノにぶつかった。四方八方から万力で押し潰されるような激痛が全身を駆け巡る。不思議な存在と押し問答していく中で気を失ったのだ。
アレは誰だったんだろうか。
初めて聞く名前だった。
ゼーレ・デァ・ライヒナムなど知り合いにいたかな。少なくとも最近の輪廻だと存在しない輩だと思う。まぁ、自分の記憶すら信用していない俺が言うのも何だけど。
「ほう。落ち着いておるようじゃな」
この声は聞き覚えある。
体感的な時間経過だと二日前ぐらいに。
少女のように甲高く、古めかしい言葉遣い。唯我独尊、傲岸不遜を体現する声色。忘れるはずなどない。異界のオルキスタワーで道を示した女だ。
「特に心乱す理由もないんでね」
鉄格子の外。浮かび上がる女性の姿。
金髪灼眼。白と黒を基調としたシックなドレスに身を包んでいる。手に持つ杖。首からぶら下げる六面体のペンダント。彼女の身に付けるアクセサリー類は、そのどれもが莫大な魔力を保有していた。
謎の女性は玲瓏な顔を歪めた。
心底忌まわしそうに吐き捨てる。
「凡庸なくせに生意気な奴じゃな」
「独房の中は慣れているんだ。懐かしいよ」
数多の輪廻に於いて。
尋問される事も、拷問される事も有った。
閉じ込められるだけなら二倍以上の確率で。
毒虫だらけの独房で一週間以上、寝床もないまま放置された経験も存在する。故にこの程度の環境なら、まさしく天国と呼んでも差し支えない範囲であった。
「お主の経験など知った事ではないわ。知りたくもないしのう。何回も何回も同じ所をグルグルと回った挙句、逃げ出したり、無駄に格好付けたりと散々じゃったわ」
謎の女性は腕を組んだ。
苛立ちからか、憎らしさからか。
可憐な脚で鉄格子を何度も蹴りつけた。
にしても今の台詞は。
もしかしてこの女性も同じなのか。
「ヴィータ・クロチルダみたいに、俺の輪廻を追体験したのか?」
「阿呆が。それよりも尚、質が悪い」
「つまり?」
「口にするのも憚られる。これ以上は訊くな」
「わかった」
絶対的な意志を感じた。
敵意とも、殺意とも違う。死んでも赦さない。死ぬことも赦さない。未来永劫、この手で苦痛を感じさせてやるという狂気を、彼女の言葉の節々から感じ取れた。
この場面で余計な一言を発したら、この女性は必ず暴走してしまうと確信した俺は、素直に首肯するだけに留めた。
「素直なのも気色悪いのう」
「どうしろと?」
「生理的に無理なのじゃ。察しろ」
「まぁ、それなら仕方ないな」
俺は肩を落とす。
反対に、謎の女性は快活に笑った。
「お主の才能は、嫌われることに関する事だけじゃからの。いやはや、それすらも黒のせいだとするなら、お主に才能など一欠片も存在しない事になるなぁ」
楽しそうだった。
心の底から嬉しそうだった。
フェア・ヴィルングという存在の事が、本気で嫌いなのだと思う。彼女は生理的に無理だと口走っていたが、恐らくだけどそのような単純な理由ではないんじゃないかな。
嫌われるのは慣れている。
今更傷付いたりしないが、嫌われる理由だけは気になった。少しだけ。ほんの少しだけである。
「黒のせい?」
「テスタ=ロッサから聞いておらぬのか?」
「全然」
「お主に蓄えられ続ける神羅万象の呪い。誰彼構わず他人に嫌われるのは、それが理由じゃ」
「呪いを振り撒くのが、黒だと?」
「黒の思念体。イシュメルガの事よな」
「イシュメルガ。鉄血宰相や鋼の聖女も口にしていた奴か」
「只の分体じゃがな。絶対悪の結晶ではあるが、それは人の子が生んだ業よ。妾の管轄から離れている。どうこうするつもりもないのう」
謎の女性は他人事のように言い放つ。
酷く淡々としていた。酷く鬱蒼としていた。
例えイシュメルガが何をしようとも。例えイシュメルガが人類を滅ぼしたとしても。まるで人間の自業自得だとでも唾棄するような発言だった。
注意深く観察してみる。漸く気付いた。
この女性、明らかに人間と云う種を超越していると。
「アンタは、人じゃないのか?」
「呆れた奴じゃな。未だ悟れぬのか。よもやこんな輩に宿ってしまうとは。大地の奴もほとほと不憫よの」
「?」
「此方の話じゃ」
「で、アンタは誰なんだ?」
「妾はローゼリア。女神が遣わした焔の聖獣じゃよ」
声高に自己の存在を告げる女性もとい聖獣。
予想の斜め上を通過していったな。まさか御伽話に出てくる存在だとは。にしても聖獣ねぇ。姿形は人間そのもの。これは人類も獣の内に入ると云う事の証なのだろうか。
「へぇ」
ともかく言葉を返す。
一言だけ。目を見開きながら、
焔の聖獣はお気に召さなかったらしい。杖で床を叩きながら、不服そうに唇の端を吊り上げる。心無しか独房内の気温も上昇したような。
「わかっておったものの、反応が薄いのう」
「空の女神とか欠片も信じてないからな」
「赦されざる発言じゃ。万死に値すると理解しておるのか?」
「空の女神が本当にいるなら、俺の輪廻を止めてくれ。そうすれば幾らでも祈りを捧げる。聖杯騎士団とやらにも加入してやるよ」
莫迦が、と聖獣は口汚く罵った。
鉄格子の隙間から腕を伸ばす。俺の首根っこを掴んで引き寄せた。恐るべき膂力だ。踏ん張る事も出来ずに鉄格子へ全身をぶつける。
間近で睨み付けられた。
ローゼリアの紅い瞳が燦々と輝いている。
「空の女神が一個人の為に何かするとでも考えておるのか。戯け。神を侮るでないわ。お主の輪廻は自業自得によるもの。他者の力を借りるなど笑止千万じゃよ」
「自業自得?」
「禁忌に触れた罰よな」
「覚えがないけど」
「今回の輪廻でなければ、妾の手で殺してやるものを。まぁ、良い。全ては予定通りよ。邪神の枷と触れ合わせる事もできたしのう」
今一度、鉄格子へ引き寄せられる。
普通に痛い。痣になりそうなほど力強い。
気が済んだのか、聖獣はパッと手を放した。解放されて尻餅を付いた俺を見下しながら、フンフンと鼻唄を奏でながら鉄格子の前を歩き続ける。
「ヴィータとやらも良くやってくれたな。多少道筋を描いてやればこの通り」
聞き逃せない発言だった。
俺は立ち上がりながら問い掛ける。
「アンタ、あの人に何かしたのか?」
「不思議に思わんかったのか。類い稀な才能を持った魔女と云えど、夢の中で他人の人生を追体験など出来よう筈もなかろうて」
「魔女の術に無いのか」
「当然。妾が見させてやったのじゃよ。多少なりとも脚色してな。お陰で上手くいったの。我が眷属を騙すようで心苦しいが、まぁ時が経てば洗脳も解いておく」
そうか。そういう事か。
「成る程なー、納得したよ」
わざと軽い口調を使う。
落ち込む心を奮い立たせる。
魔女の協力は仕組まれた物だった。
ヴィータの優しい眼は洗脳された物だった。
最初から気付いていた。何かがおかしいと。上手く行き過ぎていると。答え合わせが少し早かっただけなのに。
俺は無意識に胸の辺りを握りしめた。
「何をじゃ?」
「ヴィータだよ。俺のことを心配していた。俺を助けようとしていた。でも、何処かで本当だと思えなかった。アンタが洗脳していたからだったんだな」
「一時の夢を見られて良かったのう。お主如きが好かれる筈もなし。身の程を知るがよい、愚か者めが」
その通りだ。
何を勘違いしていたのか。
この世界は優しくない。期待するだけ間違っている。他人の協力を当てにするなど愚の骨頂。ましてや好かれるなど、天変地異が起きようとも有り得ないのだから。
素直に反省しよう。ほら、心は、痛くない。痛む心も持ち合わせていない。
「耳の痛い話だ」
「ふん。こうして対面する機会を作るだけでも一苦労する有様とは。落ちぶれた物じゃ、ローゼリアともあろう者が」
「今でも相当な力を持ってそうだが」
「往年から比べたら四分の一ぐらいじゃな。これも邪神から解放されたからではあるが。まぁ、お主を導くのに充分な力ではある」
「輪廻脱却を導いてくれるのか?」
「間接的にではあるが。お主は知らぬかもしれんがな、今回のループこそ千載一遇の好機よ。にも拘らず、お主はアルノールの娘とイチャコラするだけ。ほとほと呆れるわ!」
語尾を強くして言い切る聖獣。
抑えられない強烈な憤怒からか、絹のように繊細な金髪が逆立ち始めている。全身を覆う魔力は指向性を持って俺へと突き刺さった。
客観的に見るとイチャイチャしていたかもしれない。認める。距離が近過ぎると思っていた。それでも俺は、皇女殿下に対して恋愛感情など持っていない。畏れ多い。身分が違い過ぎる。彼女の傍にいたのは約束したから。救われたからである。他意はない。大切な人だからと云って、恋愛感情に結び付けるような思春期男子みたいな愚かしい事はしないさ。
「皇女殿下を護ると約束した。あの方の騎士として守護すると。安心してくれ。ループ脱却を諦めた訳じゃない」
「妾は時間を無駄にするなと申しておるのじゃ」
「だが、俺はあの方に救われた。例え今回で輪廻を終わらせられなくても、皇女殿下を護ると誓ったんだ」
「黙れ。お主の感情など有象無象の価値もない。ただ突き進め。機械なら機械らしく、単一の行動だけしておればよい」
「何が言いたい?」
改めて問い返す。
聖獣の悪辣な台詞など無視する。俺の感情に意味がないなど自明の理。突き進む事もとっくの昔に了承している。機械と表現されたのは初めてだけど、意外と腹も立たずにしっくり来た。
だからこそ涼しい顔で尋ねる。
ローゼリアは害虫でも眺めるような視線と共に毒付いた。
「お主、本当にアルノールの娘から好かれているとでも?」
空気が、凍った。
「――――」
「アルノールの娘が『本当の心』に従って、お主如きに好意を抱いているとでも?」
「純然たる物ではない、と気づいていたが」
「甘いわ。純然でも、不純然でもない。アルノールの娘が変貌したのは混沌による影響よ。覚えがあろう?」
俺と皇女殿下が遭遇した場所。
初めて言葉を交わした温泉郷。
リィン・シュバルツァーの故郷である。
「ユミルの里で」
「その通りじゃ。本来ならお主なんぞ信頼される筈なかった。好かれるなど言語道断。あの場には『本物の英雄』も居ったからな。リィン・シュバルツァーを差し置き、お主に懐いた理由は邪神の趣味によるものよ」
確かになと自分を嘲笑う。
薄れていく輪廻の記憶を思い出す。
特に七耀暦1206年の序盤から中盤に掛けて。
灰色の騎士として活躍するリィン・シュバルツァーは、皇女殿下の婿に相応しいのではないかと各マスコミも報じていた。彼らの仲を噂して、英雄と姫君の仲に熱狂していた。
俺がいなければ。俺が関わらなければ。
あの方はリィンと交友を育んでいた筈だ。
「おい、莫迦者」
ローゼリアが忠告するぞと続ける。
「このまま行けば、アルノールの娘も輪廻に巻き込む。お主のことを好き過ぎる故。確実にな。お主に止める術などない。そういう風に『決定』されておる」
それは駄目だ。それだけは駄目だ。
皇女殿下だけではない。誰であろうとも。
終わらない地獄を味わうのは俺一人で充分だ。
皇女殿下の細やかな笑みが脳裏を過ぎる。助けなくては。止めなくては。騎士として、救われた者としてあの笑顔を曇らせたくない。
「――どうにか、できないのか?」
一縷の望みを込めて訊く。
ローゼリアは嘆息した後、言葉短く答えた。
「現時点なら方法は有る」
「なら頼む」
「ほう。あの娘を巻き込みたくないか?」
「誰であろうと巻き込むつもりなんてないさ」
「良い心掛けじゃな」
口では褒めながらも。
眼だと小馬鹿にしていた。
ローゼリアの態度など今更だ。気にしない。
それよりも方法を知りたい。穏便だと良いのだが。
「でも、どうやるんだ?」
「簡単な話よ。アルノールの娘からお主に近付こうとする感情を、まさしくそのまま反転させてしまえばよい」
「つまり、それは――」
「邪神による影響を取り除き、アルノールの娘を元に戻す。覚悟しておけ。あの娘からしてみればお主に誑かされていたと同義。嫌われるどころでは済まぬであろうな」
目を閉じる。
俺の名前を呼ぶ皇女殿下を思い浮かべる。
楽しかった。救われた。生きる意味を持てた。歩き続ける意思も、誰かに境遇を信じてもらえる喜びも、畏れ多くもアルフィン殿下から頂いた代物である。
大丈夫。俺はこれだけでやっていける。
だから返さなくては。元に戻さなくては。
あの方の心を歪めたままなんて。あの方の将来を澱ませたままなんて。赦される限度を超えているのだから。
「アンタのお望み通り、黒緋の騎士として皇女殿下を護る必要もなくなると」
「察しが良くなったのう。まさしくその通りよ」
「――」
一息吐く。
「怖気付いたか?」
ローゼリアに笑顔を返した。
にっこりと。にんまりと。にこにこと。
本当に、久し振りに、何故か笑えた気がした。
「まさか。願ったり叶ったりだよ。皇女殿下を地獄に巻き込むぐらいなら、俺はあの方から嫌われる事を望むさ」
「殊勝な心意気じゃのう」
「あと、クレアさんの事なんだけど」
「あの娘なら大丈夫だと思うがな。良くも悪くも普通すぎる。勿論、油断できぬが。それにあの娘に宿っているのは混沌ではなく闘争じゃ。嫌われるよう改変するのは難しいのう」
確かに。彼女なら大丈夫だと思う。
何度も恋仲になった。夫婦として寄り添っていた世界線も存在する。それでも輪廻に巻き込まれなかった。
それでも――。
一抹の不安が過ぎってしまう。
「万難を排したい。どうにかできないか」
「近付かせないようにするだけなら可能じゃな」
「構わない」
「イシュメルガに関与したくないが、致し方あるまい。闘争を掻き消そう。お主の存在価値を無にする。そうすれば近寄ってこん。場合によっては嫌われるよりも酷かもしれんな。存在を認識されぬのだから」
聖獣とは凄まじい。
他者の心や魂を操るのだから。
ローゼリアは阿呆がと唇を尖らした。
焔の至宝を見守り続けた聖獣だからこそ。魂と精神を司る『紅の聖櫃』の恩恵を受けているからこそだと説明した。
成る程、だとしても規格外である。
本当にそれだけなのかと疑問に思ったが、機嫌を損ねるのも気が引けたので、取り敢えず俺は聖獣に頭を下げた。
「構わない。頼む」
「恐ろしくないのか?」
「特に何とも。嫌われていようと、存在を認識されていなくても、俺が二人を大事に想っているのは変わらないんだから。特に支障はないんじゃないかな」
「ふっ。良い感じに壊れておるな、お主」
「褒め言葉?」
「阿呆。貶しているのじゃ」
漸く機械らしくなりおったな、とローゼリアは嬉しそうに笑った。
緋の騎神「何してくれてんのォォ!?」←可哀想
黒の騎神「ざまぁ笑笑」←普通にクズ
アルフィン「――――」←ヤバい。