黒い闘争と黒い混沌に絡まれた件   作:とりゃあああ

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三十話  絶望希望

 

 

 

 

 

 

 

優しい温もりに包まれている。

目を開けるまでもなく。誰だろうかと疑問に思う必要もなく。彼女と過ごした一月半を振り返りながら、俺は震える脚を酷使して立ち上がろうとした。

異界のオルキスタワーで暴走。存在Xの施した枷と衝突。ローゼリアから一時的に心停止していたと教えられた。

本来なら数日間、絶対安静に努めるべきだけど。皇女殿下の現状を考えれば、今すぐにでも離れなければいけない。

立ち上がれ。俺の身体が壊れようとも。此処で踏ん張らずにどうする。更に皇女殿下の心を穢すつもりか。拭えない泥水を掛けるつもりか。

俺の忠義はその程度だったのか。

苦しませてはならない。悲しませてはならない。

 

 

「――――いやっ」

 

 

皇女殿下は身体を震わせた。

嫌悪感を滲ませて。恐怖心を露わにして。

まるで強姦に襲われた年頃の少女のようだった。

俺を圧倒させた覇気も破裂した風船のように萎んでいる。恐る恐る腕を持ち上げて。俺と御身の間に手を差し込み。思いっきり吹っ飛ばした。

 

「くっ――!」

「貴方は最低です!」

 

物理的な距離にして約2アージュ。

だけど、もう、手を伸ばしたとしても。言葉を巧みに使っても。貴女を守護したいと望んでも。俺が俺である限り、絶対に皇女殿下へは届かない。

 

「私は、私は貴方のことなんて――――!」

 

わかっています。理解しています。

貴女の恋心は作られた物だった。存在Xに誘導された物だった。正常じゃなくて。歪んでいて。心を捻じ曲げていた。

だからこれは喜ぶべきだ。

皇女殿下の歩むべき道が元に戻ったなら。

こうして、存在Xの影響を取り除けたなら。

輪廻に巻き込む可能性を消失させられたなら。

臣下として、騎士として、一帝国人として、俺は誰よりも貴女の回復をお喜び申し上げます。存在Xに纏わり付かれているフェア・ヴィルングが口に出せる台詞ではないけど。

 

「嫌いですッ。貴方なんて、大嫌いですッ!」

 

結構、いや蹲りたい程に痛かった。

予期していなかったら顔を歪めていただろう。

でも問題ない。身構えていた。心構えしていたから。

愛していた女性から、信頼していた仲間から憎悪の感情を向けられる。今までの輪廻で幾度も体験済み。落ち着け。切り替えろ。皇女殿下ならクレアさんやリィンに任せれば安心できる。俺は俺でやるべき事をしなければならない。

刹那、三発の銃声が轟いた。

道化師と魔女は慌てて回避する。

氷の乙女はその隙を見逃さなかった。

 

「皇女殿下!」

 

クレアさんが皇女殿下へ駆け寄った。

俺の直ぐ傍を通り過ぎて。まるで何も見えていないように。認識していないように。この場で大事な存在は、皇女殿下ただ一人であると高らかに宣言しているようだった。

改めて、ローゼリアの力に戦慄する。

容易く人の心を変えてしまうとはな。空の女神が授けた七つの至宝、その恩恵を預かっていたとしても果たして可能な所業なのだろうか。

どちらにしても、これで問題無いはずだ。

俺はホッと一安心する。懸念事項は見事に払拭された。ならば手早く行動に移ろう。宝剣ヴァニタスを杖代わりにして起立する。

入り口付近で立ち竦む二人へ視線を向けた。

 

「ヴィータさん、いやクロチルダさん。古戦場まで転移できますか?」

「可能よ。クロスベル北東の古戦場を指しているならね。だけど、どうして貴方の為に転移しなければならないのかしら?」

 

冷たい声音だった。

汚物を見下ろす視線だった。

焔の聖獣は時が経てば洗脳も解いておくと口にしていた。仕事が早過ぎる。ローゼリア曰く、手っ取り早く古戦場まで行かなければならないのに。

走るか。導力車を奪うか。騎神に乗れれば良いのだけど、アルノールの騎士と云う肩書を失った俺は起動者としての価値を喪失している。

カレイジャスも無理だろうな。そうなると――。

 

「ボクが連れていくよ。古戦場までだね?」

 

カンパネルラが名乗りを挙げた。

掴み所のない微笑。感情を悟られない口調。

相変わらず妖しい少年だった。やれやれと肩を竦めながら。まるで気安い友人の如く、俺の隣まで歩み寄ってきた。

クロチルダさんが眉間に皺を作る。

 

「ちょっと、この男の為に此処を離れるつもりかしら。貴方が言ったのよ。混沌に操られた集団が押し寄せてくるからって」

「まぁ、彼の為に行動しろって盟主から言付かってるからさ。そんなに睨まないでよ、深淵。直ぐに戻るよ」

「盟主からねぇ。本当かしら?」

「本当だって。やれやれ、信用ないなぁ」

 

道化師は俺の肩に手を置いた。

じゃあ行くよと前置き。幻惑の焔が足下から渦巻いた。原理不明。結社の人間や魔女ぐらいしか扱えない転移術。初めて経験したものの、何処となく暖かさを感じた。

視界が蕩揺する中、皇女殿下とクレアさんを盗み見る。最後だから。今生の別れだから。どうか許してほしい。

姉代わりの女性からそもそも認識されず。皇女殿下から憎悪に満ちた視線を向けられながら。俺はオルキスタワーの一室を後にした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

胸が痛い。張り裂けそうだ。

彼を押し飛ばした時から。最低だと突き放した時から。心の声に従って、大嫌いだと大声で宣言した時から。

捨てられた子犬のような表情だった。信頼していた人から暴言を食らったように落ち込んでいた。どうして。意味がわからない。貴方は私を騙していた。洗脳していた。自身が英雄となる為に利用していただけの筈なのに。

 

「どうして、私は」

 

クロスベル中から歌が響いた瞬間、私は唐突に目が覚めた。霞んでいた視界が開けた。黒いナニカに覆われていた魂が解放されたのだ。

盲目な愛。有り得ない感情。あの男の為に内戦へと介入して。己の騎士になって欲しいと浅ましく懇願して。騎神のコックピットで抱き合って。修羅へと堕ちかけていた男を救い上げた。

世間では内戦を早期終結に導き、暗黒竜を打倒した『救国の皇女』と『黒緋の騎士』と云う、悍ましい限りのラブロマンスが人気を博しているらしい。

やめて欲しい。

私はあんな男、好きではない。

好みのタイプでもなく。興味すら湧かない。生理的に無理。あまつさえ人を洗脳する外道である。二度と会いたくない。記憶すら消したい。あの男と触れ合った場所を斬り落としたいとすら考えてしまう。

 

「なのに――」

 

心が引き千切られそうで。今直ぐ謝りたくて。

軽薄そうな少年と共に何処かへ立ち去った彼を追い掛けたいと。どうか私も連れて行って欲しいと泣き叫ぶ激情が、胸の内からひたすら湧き上がってくる。

心臓が早鐘を打つ。

この恋愛感情は間違っているのに。

この悲痛な叫びはあの男を喜ばせるだけなのに。

私はフェア・ヴィルングを憎まないといけないのに!

 

【ありがとうございます、アルフィン殿下】

 

何度も何度も。

彼の笑顔が脳裏を過ぎる。

誰も信じなかったと云う御伽話を受け止めてあげた時。あの男は、フェアは心の底から救われたように微笑んだ。

あまりにも綺麗で。あまりにも清廉で。

嗚呼、この人は誰よりも強くて、誰よりも弱いんだなと確信した。助けてあげたい。護ってあげたい。一番近くで彼の軌跡を見続けたいと願った。

でも、それは嘘八百の台詞で。私の同情心に付け込んだ御伽話で。あの男は内心で嘲笑っていた筈である。

扱い易い女だ。このまま手籠にしておこうと。

あの男は女の敵である。エリゼの兄、リィン・シュバルツァーさんと正反対の人間。女性をモノとしか見ておらず、その毒牙を突き刺す事に躊躇しない悪魔。空の女神から見放された害獣。世の女性のために駆除すべき存在だと認識する。

 

『契約者ヨ、ソウ思ウノカ?』

 

脳内で緋の騎神が問い掛ける。

違うとでも。間違っているとでも。

私は漸く自我を取り戻した。切っ掛けは不明だけど、こうして本来の心を奪取した。二度と洗脳されないように。二度と手籠にされないように。二度と恋心など抱かないように。

私は、あの男を憎悪する。絶対に赦さない。

 

【私は、貴女を護ります。黒緋の騎士として】

 

やめろ。

 

【そろそろ寝ましょう、殿下。明日も会えます】

 

やめろッ。

 

【アルフィン殿下の騎士になれた事は、次の輪廻でも絶対に忘れません】

 

やめろッ!

 

『記憶ヲ否定スルノカ、契約者ヨ』

 

フェアの発言は全て嘘。虚構に塗れている。何一つとして正しくない。悪だ。アレは悪の塊だ。近寄るだけで汚染される。呪いに犯される。

身体を清めたい。全身の皮膚を剥ぎ取りたい。

だって、そうしないと――。

 

 

 

私はまた、フェアを好きになってしまう。

 

 

 

 

【私が貴方を好きになってあげるから。赦してあげるから。綺麗だと思ってあげるから。独りで抱え込まないで。私たちは、一蓮托生でしょう?】

 

 

彼は泣いていた。

親と逸れた幼子みたいに。

幼子と再会した両親のように。

あの瞳から流れ落ちた涙は『本物』だった。万感の想いが込められていて。頬を伝う滴と触れ合うだけで浄化されていく気すらした。

どちらが間違っているのか。

私か彼か。記憶か直感か。世界か己自身か。

答えは出ない。何も判別できない。もう良いと投げやりになる。忘れよう。忘れてしまおう。彼と行動を共にした記憶も、鉄面皮である彼の眩しい笑顔も、私の心を軽くした言葉の数々すら忘却の彼方に追いやろう。

エリゼと一緒に、家族と触れ合いながら、女学院で生活を始めれば、きっと以前のアルフィン・ライゼ・アルノールに戻れると信じて。

フェア・ヴィルングと再会しない事を女神に祈りながら。空虚な感情を抱え込みながら。誰にも言えない偽りの恋心を押さえつけながら。これからの人生を歩んで行こうと誓った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ヤリ過ギダ、ローゼリアッ!』

『このくらいが丁度良かろうて。それにな、妾は娘の感情を反転させただけよ。あの莫迦も愚か者ながら納得しておった』

『契約者ノ心ヲ壊ス気カ、起動者ノ心ヲ壊ス気ナノカ!!』

『喧しい。妾はどちらでも構わぬ。それにアルノールの娘を輪廻に巻き込んだ方が、二人の心を破壊する事に繋がると思うがな』

『限度ヲ考エレバ良カロウッ!』

『それ程までに大事か。人間らしくなりおったのう、テスタ=ロッサ。それで最後に苦悩するのはそなたじゃぞ』

『関係ナイ。ソノ時ハソノ時ダ』

『言うではないか。黒に力を奪われた分際で』

『――――』

『まぁ、900年前の暗黒竜の仕業だがな』

『ローゼリア、我ヲ憎ンデイルノカ?』

『アルノールの血筋だけに反応させ、舞い降りた外神を封印させた緋の騎神。黒も考えたモノよ。己の力が足りないなら緋から奪えばいいと開き直るのだからな』

『七割以上モ黒二持ッテ行カレタ事ハ反省シテイル。ダガ、今ハ二人ノコトダ。最早、起動者ハ起動者デ無クナッテシマッタゾ!』

『安心せい。その辺は考えておる。まぁ、その時もそなたは憤怒しそうではあるがのう』

『ローゼリアッ!』

『最早な、妾は人間などどうでも良い。全ては邪神を追い払う為じゃ。思い出すが良い、テスタ=ロッサ。我々の使命と果たすべき約束を』

『忘レタツモリナドナイ。ダカラコソ、我ハ貴女ヲ嫌悪スル。我々ノ尻拭イヲシテクレル者ヲ、彼処マデ痛メツケルトハ』

『奴なら這い上がってくるじゃろう。輪廻を経る度に焚刑させた甲斐もあるというものよ』

『――コレガ吐キ気カ。感謝スルゾ、初代ローゼリア。騎神デアル我ハ、刻一刻ト人間二近ヅケテイル気ガスル』

『褒め言葉として受け取っておこうかのう』

『フン。我ハ貶シテイルノダ』

『既視感を覚える言葉の応酬じゃな、誠に下らぬ物よ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

焔の聖獣曰く、クロスベル全土で木霊する歌声の矛先は俺だけらしい。混沌と化した元警備隊員、巻き込まれただけの一般人、誰もがフェア・ヴィルングを殺す為に活動していると楽しそうに教えてくれた。

勿論、ローゼリアの発言を無条件に信じた訳ではない。あの性格なら少なからず真実と虚偽を織り交ぜているだろう。だが、俺は確かめる術を持たない。

空の女神に対する想いを考慮すれば、聖獣なのは間違いないと思う。存在Xをどうにかしたいという憤りも。現状を打破したいという意気込みも。

何やら『妖しい』気配も感じたが、先に今回の事変を解決すべきだ。

古戦場まで転移してくれた道化師は、何かに納得したように首肯した。此処だったのかと呟き、どうか腐らずに頑張ってねと言い残して。カンパネルラは一足先に去っていった。

気に食わない奴だけど。好きになれないけど。どうにも時々見せる微笑みが心に突き刺さる。心配とも、好意とも違う。純粋なナニカ。不思議な感覚だった。

 

「おかしいな。静か過ぎる」

 

古戦場は荒れ果てている。

瓦礫に覆われ、雑草が生い茂り、人の気配も感じない。だからこそ予想と異なる。魔獣ならいざ知らず、存在Xに操られている元警備隊が待ち構えていると考えていたのだけど。

何にせよ、敵がいないなら好都合である。

追手が差し向けられる前に、可能な限り奥へと進んでいく。古戦場自体は然程広くない。問題は地下に在る教団の遺跡。太陽の砦も探索しないといけない事だ。

恐らくだけど幻獣も湧いているだろうな。多少面倒だが、怠けていた武技を取り戻すにはちょうど良いかもしれない。

思考を切り替え、一歩踏み出した瞬間だった。

 

 

 

「待ちくたびれたぞ。やっと現れたか、緋の起動者よ」

 

 

 

何処となく聞き覚えのある声音、口調。

決定的に異なるのは、焔の聖獣と比べて、人間そのものを慈しむような温かさに溢れている点だった。

 

「内戦の時には、ウチのセリーヌが世話になったそうじゃな。放蕩娘からも助けてほしいと連絡が来た。妾が来たからには安心せい。伊達に長生きしている訳ではないのでな」

 

太陽の砦。その隠された入口。

気絶している人々を背中に、幼女が立っている。

焔の聖獣をそのまま小さくしたような。身体から溢れる膨大な魔力も似た性質。ローゼリアの子供だろうか。

 

「え、と。どちら様で?」

「ふむ、ヴィータから聞いておらぬのか。緋の起動者に隠し事しても仕方ないのでな。心して聞くが良い」

 

金髪灼眼。紅い魔杖を手に持つ幼女は高らかに名乗った。

 

 

 

「妾はローゼリア。セリーヌが言っていた魔女の長にして、ヴィータという放蕩娘のお師匠様じゃ!」

 

 

 

 

 

 

 

 







セリーヌ「フェアって奴がねー」←己の眷属。



ヴィータ「フェアって子がねー」←心配していた放蕩娘。



2代目ローゼリア「フェアのう。え、待って。こやつ、もしかしなくても緋の起動者ではないか。それにループしてる人間じゃと。やっと見つけたー!!」←世間に疎いお婆ちゃん。







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