自称魔女の長は幼女だった。
平らな胸を反らして。褒め称えよと自慢気な笑みを浮かべて。外見だけなら背伸びしたい年頃の子供である。成長期真っ盛り。周囲の子供たちを見下したくなるような精神年齢の最中だな。
だが、仁王立ちしているだけで大気を焼却しそうな魔力は、大人版ローゼリアを遥かに超越する異次元の巨大さ。
俺は目を白黒させる。混乱していた。眼前で反応を待つ幼女はローゼリアと名乗った。頭の中で敵意を剥き出しにする妙齢な女性もローゼリアだと口にした。
果たして偶然だろうか。
まさか、そんな。何かしらの関係を疑う方が建設的だろう。年齢の違いはあれど見た目はまさしく瓜二つ。声も同様に。常人を平伏させる魔力の強大さも似た性質である。ならば、これは――。
「おい、緋の起動者」
反応が無いことに不満だったのか。
幼女版ローゼリアは半ば閉じた目で睨み付けた。
裂帛の威圧感。思わず身構える。しかし、キツいな。病み上がりには堪える。休ませろと絶叫する身体へ鞭を打ち、俺は恭しく応えた。
「何でしょうか、自称魔女の長殿」
「自称ではないわッ。妾はこう見えても歴とした魔女の長じゃぞ。――いやまぁ、眷属を分けてしまったからロリィになってしまったがのう」
地団駄を踏む魔女の長。
そういえば、と一月前を思い出す。
セリーヌ曰く、魔女の長は見た目ちんちくりんなのだとか。威厳は皆無。魔力量は破格の一言。扱える魔法の種類も桁違い。ずぼらな私生活を改めれば皆の誇れる魔女の長になれるのにとぼやいていた。
色々と合致する。この幼女な姿に威厳など感じられない。ならば自己申告通り魔女の長殿か。こんな場所で会えるとは。
「まぁ、良い。お主の境遇は把握しておる」
長殿は付いてこいと背中を見せる。
入り口付近で意識を失う人々を横目に、俺は太陽の砦へ足を踏み入れた。見慣れた通路。嗅ぎ慣れた異臭。肌を突き刺す独特の雰囲気。カルト教団の施設は吐き気を催すほど悍ましい空気に包まれている。
唐突に出現する幻獣や魔物、更に魔女の長殿への警戒も怠らない。この情勢下で出会う者を手放しで信頼できる程、俺の精神状態は心安らかな物ではなかった。
「先日の事じゃ」
我が庭のように歩く長殿。
紅い魔杖で石畳を鳴らしながら奥へ進んでいく。
「久しく連絡を寄越さなかった馬鹿娘から、お主のことを頼まれたのじゃ。驚いたぞ。あの放蕩娘が、妾に対して頭を下げたのじゃからな。晴天の霹靂という奴よのう」
「貴女の仰る娘の名前は、ヴィータ・クロチルダで正しいですか?」
「うむ。巡回魔女の任も放り投げ、犯罪組織に身を落としたと聞いた時は目眩もしたがな。好きな男が出来ただけであんなにも変わるとはのう」
ケラケラと愉快そうに笑う幼女。
クロチルダさんを揶揄する声は楽しそうで。面白そうで。それでいて人情味に溢れていて。言葉悪く罵ったとしても、本当は弟子の事を大事に想っているのだと察した。
だからこそ俺は訂正しなければならない。
クロチルダさんの想念は全て洗脳に因る物だと。
「安心せい。妾は勿論、ヴィータも知っておる」
俺の辿々しい説明に対して。
魔女の長殿は立ち止まりもせずに答えた。
淡々と。抑揚なく。さも当然であるかのように。
「え?」
「魔女の宿罪である初代ローゼリア。あの方が暗躍していることも。あの方の力で、ヴィータがお主の輪廻を追体験できたのも。妾たちは全て把握しておる」
驚いたか、と視線だけで問い掛けられる。
どう答えたら良いのだろうか。そもそも本当の話なのかと疑問符を浮かべる。焦るな。考えろ。信じられるのは自分だけなのだから。長殿の言葉を鵜呑みにするな。吟味しろ。
初代ローゼリアとは大人版金髪灼眼の女性だと思う。何となくだけど理解できた。同じ名前から察するに、長殿は2代目だったりするのだろうか。いや、本質は違う点に存在する。問題点は一つだけ。長殿の言葉が本当ならば、クロチルダさんは洗脳されていると了解した上で行動していたのだろうか。
有り得ない。思わず首を横に振る。
「難しく考えるな。ヴィータはな、洗脳される直前に妾へ連絡してきた。お主のこと、数千回に及ぶ輪廻のこと、そして妾と似た魔力を持つ黒い残滓の事を」
「そうだとしても、洗脳された事に変わりないのでは?」
「その通りじゃ。ヴィータにとっては屈辱であったろうな。洗脳されるとわかっていながら、抗えない自らの非力さに。才能だけなら歴代魔女の中でもピカイチなのじゃが、相手は正真正銘の聖獣じゃからのう」
長殿は足を止めた。
教団の紋章が刻まれた扉を見上げる。
何かを考え込んで。遣る瀬無いように嘆息して。先を急ごうかと再び歩き始めた。
「その点、妾は魔女の長じゃからな。あの方でも干渉できぬ。ふふん、今頃は悔しがっておるかもしれぬな」
「長殿、話が見えてこないのですが」
「つまりじゃ。ウチの放蕩娘はお主の事を好いておると云うことよ。洗脳されずともな。むしろ干渉された事で不純物が混じっていたとも表現できるのう」
時系列を整理しよう。頭が痛くなってきた。
先ず最初に、クロチルダさんは夢の中で俺の輪廻を追体験した。何百回、何千回と。長殿曰く、初代ローゼリアの選択した部分だけを重点的に見せられたのじゃろうなとの事。
クロチルダさんは何千回に及ぶ追想の最中、黒い魔力の残滓を感じ取った。自らの意思と無関係に操られると予想した彼女は、自我を失う前に長い間音信不通だった長殿へと連絡した。
その後、蒼の深淵は初代ローゼリアによって思考誘導を食らい、最終的には追体験の記憶を封印されてしまったらしい。
確かに、と腑に落ちる部分も存在した。
オルキスタワーでの視線と言葉。アレは好意を解くというよりも、フェア・ヴィルングと云う人間そのものを知らない反応だった。
それでも信じない。信じたくない。
頑張って。期待して。どうにか駆け抜けて。その結果として無様に裏切られるのには慣れているけれど。皇女殿下の視線を思い出すだけで身が竦んでしまうのだから。
今は唯、ひたすらに耐えるしかない。
「何にせよ」
長殿は意気揚々と頷く。
「詳しい事は本人に聞くのが一番じゃ」
「聞けるとは思いませんが」
「妾は2代目ローゼリアじゃぞ。その辺も抜かりないわ。ちと時間を要するが、まぁ放蕩娘の目を覚まさせる為なら里の皆も協力してくれよう」
特にエマは張り切るじゃろうなと続ける幼女。
「セリーヌの飼い主でしたか?」
「うむ。委員長気質で口煩いが、この娘もヴィータに負けず劣らずボインじゃぞ。ナイスバディと云う奴よな!」
「はぁ」
「おまけに美人じゃ!」
「なるほど」
「家事もできる。良妻賢母間違いなし!」
「それは良かったです」
どう反応すればいいのかわからず。
打てば響くような会話を心掛けたにも拘らず。
「――如何に妾でも、お主ほど悲惨な人間を見たことがないからどうしたら良いかわからぬ」
何故か落ち込む幼女を慰めながら。
道中に湧く悪魔を滅して。幻獣を討伐して。薄暗い教団施設を降りていく。以前のループで踏破した事もある為、特に迷わず、俺と長殿は最深部へ突き進んでいった。
魔女の長は謝りたかった。
本当に済まぬと。申し訳ないと。
焔の至宝を授けられた末裔の長として。何よりも2代目ローゼリアとして。先祖の犯した許されざる大罪を、先祖のやり残した後始末を背負い込ませてしまった若者へと頭を下げたかった。
フェアは言った。謝られても困りますと。
確かにその通りだ。今更、謝罪されても困惑するだけだろう。この若者は壊れている。表面上は生真面目な男を装いつつも、心の奥底は木っ端微塵に砕け散っている。
無限に繰り返す輪廻。何故巻き込まれたのか。既に理由などどうでもいいのだと口にした。このループから抜け出して、本当本来の意味で死にたいだけなのだと朗らかに吐露した。
これが魔女の業か。これが定めなのか。
『婆様、助けてほしいの』
先日、数年ぶりにヴィータの声を聞けた。
唐突な連絡。嬉しかった。三時のおやつを放り投げるぐらいに。それでも師匠の体裁を取り繕う為に、夜まで説教じゃと意気込んだローゼリアに対して、才能溢れる放蕩娘は時間がないのよと叫んだ。
『今夜にでも私は私でいられなくなる。悔しいけどこれ以上は抗えないわ。だからね、婆様。助けてほしい人がいるの。救ってあげて欲しい人がいるのよ』
どうかお願いします、と頭を下げた。
才色兼備で。傲岸不遜で。余裕綽綽で。まるで御伽話にでも登場しそうな生意気な弟子が、他人の為に悲痛な声色で懇願した。
ローゼリアは一も二もなく了承した。
大切な者を持てた弟子を見捨てるなど不可能。師匠として、何としてもヴィータからの願いを叶えてやると奮い立った。
詳細な内容を耳にして、魔女の長は驚愕した。
呪いから脱却した緋の騎神。初代ローゼリアの黒い影。そして、初代アルノールが魔女と地精に言い残したとされる『輪廻を繰り返す男』。
空の女神の存在を信じず。世界の枷から外れ、代わりに邪神の枷を嵌められた若人。終わらない地獄を彷徨い続けて、それでも歩き続けようとする鋼の意志を兼ね備えた人形の話だった。
『お主でも抗えぬか、あの方からの干渉に』
『悔しいけど無理ね。魔女の術だけなら抵抗できるけど、この力にはどうやら外の理も含まれているらしいの。解析できれば問題ないけど、絶望的に時間が無いわね』
『やはり妾ぐらいか、あの方に抗えるのは』
『婆様の前任者を甘く見ていたわ。焔の聖獣も捨てたものじゃないわね』
魔女の長は目を閉じた。
初代ローゼリアの邪悪な笑顔を追憶する。
遂に世に現れたかとため息を吐きたくなった。可能性として、緋の騎神が呪いから脱却したからだろう。若しくは黒緋の覇王へ昇華されたからか。
いずれにしても厄介な事になった。
フェア・ヴィルングを早急に助け出さなくては。あの方は容赦が無い。目的の為に手段を選ばない狡猾さを秘めている。放っておけば大惨事になりかねない。
『憎まれ口は健在じゃな。で、どうする?』
低い声音で尋ねると、ヴィータは哀しそうに答えた。
『正直、私が助けてあげたいけど、こんな無様な姿を見せたくないから。全て婆様に委ねるわ。悪いようにはしないでしょう?』
『当たり前じゃ。言い伝え通りの男で、本当に緋の起動者なら、初代の残滓も共に葬れるチャンスじゃからのう』
奇蹟か、天命か。
多くの宿命を背負った男が、加えて緋の騎神の起動者に君臨するとは。正しく千載一遇の機会。永らく探し続けて、一度も遭遇できず、さりとてこのような絶好の好機を得られるとは、まさしく何かに導かれているように思えてならない。
フェアは我ら魔女を赦してくれるだろうか。
初代アルノールと二対の聖獣たちによって『外なる神』を封じ込めた謀略。二つの至宝を衝突させたことで生じた『巨イナル一』。魔女と地精が造り上げた、幾多に重なる負の遺産を解消させる為に走らされていると知っても尚、彼は協力してくれるだろうか。
『そう。安心したわ』
『恐らくじゃが、お主は記憶を封印されるであろうな。フェア・ヴィルングの事を何もかも忘れてしまう』
『――嫌な人ね、婆様の前任者は』
『大崩壊以前は優しいお方だったらしいがな』
伝え聞く限りだと。
焔の眷属を慈悲深く見守っていたと聞く。
1200年前、空想が舞い降りた時から豹変してしまったと誰かが嘆いていた。聖獣と思えない暴虐な輩に変わってしまったのだと。
嘆息したヴィータが、婆様と呆れたように言う。
『どうしてその話を教えてくれなかったの?』
カチンときた。
『お主が巡回魔女の任から無事に戻ってきたら教えるつもりでおったわッ』
思いっきり机を叩く。
失敗した。地味に痛い。
赤く染まる手にフゥフゥと息を吹きかける。
床に落ちたおやつも食べかけなのに。勿体無いことをしてしまった。エマが帰ってきていたら大目玉を食らっていたに違いない。
『あらあら。それはごめんなさいね』
クスクスと笑いながら謝罪する馬鹿弟子。
『まったく。さては反省しとらんな、お主』
『フェアの為だもの。反省するわけないでしょ』
『惚れた男の為なら命を張るのが女か。いつの時代も変わらぬな。ドライケルスとリアンヌを思い出すわ』
片方は死去して。もう片方は行方知れず。
ローゼリアの胸を暖かく満たす二人の友人。
ドライケルスは女神の下へ旅立っているのか。不死者であるリアンヌは元気にしているのか。二人の顔を思い出したら寂寥感が込み上げた。
ババアは涙脆くていかんわ、と目元を拭う。
『まぁ良い。妾の方で準備しとく。封印を解く儀式ものう。言うまでもないが、お主は自己暗示を繰り返すのじゃぞ』
『いつ頃?』
『今年の5月までにはどうにかしておく』
『長いわね。もう少し短くならないのかしら?』
目の前にいたら半眼で睨んでいただろう。
『――お主な』
『冗談よ。有り難う、婆様。フェアの事、どうかよろしくね?』
『任せておけ。妾の方で保護しておく』
『エマにもよろしく伝えておいて』
『阿呆が。自分の口で伝えればよかろう』
そうしたいのは山々だけどね。
空元気な口調のまま、ヴィータは苦笑した。
恐らく頭を抑えている。頭痛を我慢するように。
『もう、無理なの。八割以上侵食されてるわね』
マジか、とローゼリアは若者口調で驚く。
残り二割しか存在しない正常な精神で、スラスラと淀みなく会話できるとは。少なくともエマには不可能だろう。エリンの里にいる魔女にも。身内贔屓かもしれないが、ヴィータの才能は歴代の魔女の中でもトップクラスに君臨すると確信した。
『負けるでないぞ、ヴィータ』
弟子を励ました。
すると、鬼才の魔女は面白そうに笑う。
『ふふ』
『どうした?』
『優しい婆様、気持ち悪い』
『お主なぁ!』
優しくしたらこの始末である。
本当、この馬鹿弟子、どうしてくれようか。
『じゃあね、5月を待ち望んでるわ』
『うむ。元気でな』
さて、と立ち上がる。
向かう先はクロスベル。
どうにか絶望の御伽話を覆さなくてはならない。
いざ行かんと意気込んだローゼリアを待っていたのは、大森林で採れた野菜がたっぷり入ったシチューを食わせようとする里の人々であった。
『野菜は嫌いじゃと言っとるじゃろうがぁ!』
里の人々「エマからも頼まれてますから」←善意
ローゼリア「いや本当、マジでいらんから!」←迫真
里の人々「美味しいですから」←曇りなき善意
ローゼリア「や、やめ、やめろぉぉぉお!!」←めぐみん風。