鋼の聖女は獅子心皇帝を愛している。
強く、深く。彼の為ならば自らの身を犯罪結社に落とす事も、永劫に続くと思われた殺し合いに於いても自我を保っていられる程に。
だからこそ、アリアンロードは蒼の深淵を責められなかった。盟主に絶対の忠誠を誓っている聖女でも、結社を裏切ることでドライケルスの魂を救い出せるなら首を縦に振ると客観的に判断できたからだ。
『使徒ともあろう者が、まさか絶縁状を叩き付けて去るとは。些か予想外です。一時的に袂を分かったという訳ではないのですね?』
使徒用位相空間、星辰の間。
数多の四角形で区切られた幻想のような壁。中央に形作られた円台。周辺を取り囲む様にして聳え立つ七つの柱という独特な場所にて、第一柱の厳かな声が響いた。
円台の中心で、道化師は肩を竦める。
「そうだね。もう二度と戻らないんじゃないかなぁ。どうやら盟主に不満が有るみたいだしさ」
盟主に不満、と聖女は眉をひそませる。
何処かヴィータ・クロチルダらしくない。焔の聖獣であるローゼリアを抜けば、歴代でも最高と謳われる魔女は理知的で用意周到な女性である。喩え、盟主に不満を持ったとしても、即断即決に至るような思考回路を有していると思えなかった。
「うふふ、その内容は分かっているの?」
新しく第三柱の座についた妖艶な女性、マリアベル・クロイスが楽しげに尋ねた。対角線状にいるせいか、先程から何処か含みのある笑みと視線を飛ばしてくる。
寒気を感じる。出来るだけ無視しようと決めた。
「ボクも詳しく知らないかなって。いやいや、そんなに睨まないでよ」
げんなりとした表情を浮かべるカンパネルラ。
第一柱から発せられている圧力を肌で感じたのだろう。勘弁してくれと云わんばかりに肩を落とした。
『睨んでなどいませんよ。盟主はその事をご存知で?』
『確かに。問題はそこだねぇ』
第六柱、F・ノバルティス博士が第一柱の疑問に追従した。
「知ってらっしゃるんじゃないかな。深淵が言うには、盟主に面と向かって辞めると告げたらしいから」
「それはまた――」
「あらあら。そんなに激しい方だったかしら?」
思わず絶句してしまう。
黙って出奔するのではなく、不満はあれど忠誠心を抱きながら行動しているのでもなく、盟主御本人に直接告げていたとは。その行動力に少しだけ感服した。
マリアベルも同様だったのか、珍しく目をパチクリとさせている。
『虫の居処でも悪くなったんじゃないかね。彼女はほら、鉄血宰相に裏を掻かれて機嫌を悪くしていたから』
「煽っていた貴方が口にしていい言葉ではないですよ、博士』
『事実を伝えていたまでさ』
悪びれもなく、あっけらかんと吐き捨てる。
自らの知的好奇心を満たすならどんな犠牲も厭わないマッドサイエンティスト。最近、お気に入りだった執行者が完全に失踪したり、お気に入りの兵器が壊されたりしている為、ストレスを溜め込んでいるようだ。
その捌け口にされたヴィータには哀悼の意を送りたい。
『反省を促す、という一点だけなら有効でしょうね』
「うーん、仕方ない一面もあると思うけど。宰相閣下殿はまさしく化け物だよ。そうだよねぇ、聖女殿」
第一柱と話しながら振られた話題。
チラリと此方を盗み見るカンパネルラ。口元が少しだけ歪んでいる。口角が僅かに吊り上がっている。趣味の悪い。いや、イイ性格をしていると表現すべきか。
動揺するな。目を逸らすな。口を震わせるな。
己に言い聞かせながら、特別な感情を込めずに答える。
「――えぇ。稀代の怪物と言えましょう」
化物、怪物、人外の極み。
それも当然。鉄血宰相の前世は、獅子心皇帝と呼ばれる帝国中興の祖であるからだ。泥沼と化していた獅子戦役を終わらせられたのは、何も運や配下の強さだけではない。ドライケルス本人が類い稀な英雄の素質を持っていたからである。
万夫不当、天衣無縫。
誰にでも優しく、風来坊な一面を見せながら、それでもいざという時に頼りになる偉丈夫。惹かれた。好きになった。将来を誓い合った。過去も現在も変わらずに愛している。
それは、彼がギリアス・オズボーンへ転生したとしても変わる事のない無償の愛だった。
『幻焔計画を奪われ、挙句に出奔とは。執行者ならまだしも、なぜ盟主は許していらっしゃるのでしょうか』
『お許しさえ頂ければ、先日完成したばかりのモノで追撃するんだけどねぇ』
「うふふ。博士、貴方にそのような自制心があるとは驚きましたわ」
『心外なッ。自制心の塊である私に何て事を言うのか!』
「そんなんだからヨルグにも嫌われてるんじゃないかなぁ、博士」
『三人とも落ち着きなさい』
根源、博士、道化師を嗜める第一柱。
重低音で厳かな声色はこういう時に役立つ。
先手を打ち、至極早い段階で冷水を浴びせ掛けたお陰か、三人が三人とも大人しく口を噤んだ。
盟主が降臨される前に、場を温めておこうと決めたアリアンロードもその流れに乗った。
「第一柱殿の仰る通りです。今は、奪われてしまった幻焔計画の修正と、遁走した第二柱について話すべきかと」
『帝国は未だに内戦の痛手から回復しておらぬのだ。単純に黒の工房諸共取り返すというのは駄目なのかね?』
「クロスベルの騒乱、エレボニアの内戦。この二つでも相克に必要な闘争は足りていなかったんだよねぇ。単純に取り返したとしても、エレボニアの焔はそう簡単に目覚めなさそうだけど」
かつて焔の至宝と大地の至宝が融合することで生まれた『巨イナル一』を、七つに分割された『騎神』の状態から元の状態に再錬成する事こそが幻焔計画の終着点であった。本来その為には『巨イナル黄昏』を起こし、世界を闘争のエネルギーで満たすという条件にて分かれた力を一つに戻す儀式である『七の相克』を行う必要が存在したのだけれど、黄昏による世界の破滅を望まなかったヴィータにより代替方法が考案されたのである。
クロスベルの騒乱と帝国の内戦による霊脈の活性化を利用して煌魔城を顕現。相克に必要な『黄昏による闘争』と『霊場』の代替にした上で蒼の騎神と灰の騎神を激突させた。
擬似的な相克を行い、これで多少なりとも『巨イナル一』が再錬成されれば、それにて幻焔計画は完遂する筈だったのだ。
だが、無残にも失敗してしまう。更に計画の要だった黒の工房を乗っ取られることで、復活したギリアス・オズボーンにより幻焔計画そのものを奪われてしまう結果に。
此処から巻き返すにはどうするべきか。
解決策を提示してくれそうな蒼の深淵が使徒を辞めた今、結社として早急に今後の方針を決定しなくてはならなくなってしまった。
『極論を述べるなら、大陸全土を巻き込む戦争を起こすしかないでしょう』
「世界大戦、ですわね」
「決断するのは早過ぎます。必要な闘争の程度を調べてからでも問題ないのでは?」
苦し紛れな言葉だと自覚している。
獅子戦役には遠く及ばずとも、エレボニア帝国全土に拡がった内戦の闘争でも擬似相克には至らなかった。
ならば結果は見えている。七の相克を満たす為に必要な闘争は、世界を破滅に導く泥沼の世界大戦しか有り得ないのだから。
ノバルティス博士は嘲笑を浮かべながら頷く。
『わかっているとも。その為に新たな神機も建造中なのだから』
それらが完成してから動き出す手筈となっているがはてさて。どこまで希望を持てばいいのか。悩める聖女の耳に、第一柱のぶっきらぼうとした声音が届いた。
『私には違う気掛かりも存在しますが』
「気掛かりって?」
カンパネルラが微笑みを携えて問う。
すると、まさしく予想外な答えが返ってきた。
『フェア・ヴィルングの事です』
「――――」
瞬間、脳裏に過るのは月夜の草原。
終わらぬ殺し合い。永劫に続く斬り結び。
思い出したくないけれど、忌々しい記憶として頭にこびり付いていた。トラウマと称しても不正解ではなかった。
何しろあれ以来、聖女リアンヌ・サンドロットはフェア・ヴィルングという名前を聞いただけで頭痛に苛まれるぐらいなのだから。
「黒緋の騎士と云う渾名の方でしたわね。そこそこイケてるとか。まぁ、私の好みからかけ離れていますけど」
『確かに私も興味を唆られる。彼の乗った騎神は高次元存在へ昇華したと聞くからねぇ。出来ることなら手許で色々と調べあげたいが』
呪いに犯されていた緋の騎神。獅子戦役時、聖女と獅子心皇帝の行く道を遮った最後の障害でもあった。
人知れず頭を振る。
どうも過去に囚われ過ぎている。ふぅと一呼吸つく。今は忘れよう。次に出会ってしまった時は、問答などせずに銀の騎神を呼び出そうと誓いながら口を開いた。
「黒緋の騎士へ接触できるのは、カンパネルラと深淵殿だけという決まりだった筈です』
『その深淵殿がいなくなったのだ。代わりを用意するのは至って当然だと思うのだが?』
「それは――」
『道理ですね。しかし、これは盟主の仰られた事です。降臨なされた際、お伺いした方が良いでしょう』
「うふふ、それがよろしいかと」
『但し』
「まだ何か?」
フェアの件はもう良いだろうに。
これ以上、彼の事を思い出させないで欲しい。そう言えたらどれだけ幸せだろうか。
頭の奥で警鐘が鳴り響く。これ以上は許容量を超えていると。数日、間を置かないと当時の記憶を詳細に反芻してしまいかねないと。
聖女の視線に、第一柱は重苦しい吐息と共に言葉を重ねた。
『私は、彼の操った騎神について疑問視しているのではありません。カンパネルラ、あなたは何か隠していませんか?』
「何かって言われてもなぁ」
『彼と盟主、そして貴方に、何がしかの関係性があるのではないですか?』
ピキリ、と。
星辰の間に亀裂が走った。
「あらあら」
『ほう?』
マリアベルとノバルティスが興味津々で見守る中にて、カンパネルラは淡々と、僅かに早口で捲し立てる。
「関係性ねぇ。盟主はどうか知らないけどさ、確かにボクは彼について興味を持ってるよ。でもそれは一個人としてだから。別段何か隠してるとかそんなんじゃ――」
『カンパネルラ。永劫輪廻、という単語に聞き覚えあるのでは?』
「――――」
『永劫輪廻?』
「初耳ですわね」
第六柱と第三柱が首を傾げている。
どうやら二人とも聞いた事すらないらしい。
聖女は知っている。例の夜、彼は似たような事を口走っていた。外なる神が齎した永劫回帰の一種だと。『永劫輪廻』とやらと近しい内容なのだろうか。
第一柱は罪人を咎めるような口調で追及する。
『どうやら聞き覚えあるようですね。さぁ、永劫輪廻計画について知っている事を話しなさい、カンパネルラ』
「それを何処で聞いたのかな?」
『これでも第一柱ですから。自ずと耳に届いてくるのですよ。それで、話す気になりましたか?』
「私も知りたいですわね、その計画について」
『永劫輪廻とは穏やかではなさそうだが。オルフェウス最終計画に関わるなら、私たちに話せないなんてことはあるまい』
「聖女様もそう思うでしょ?」
「えぇ、まぁ」
恐らく、あくまでアリアンロードの推測でしかないが、第一柱とて道化師を糾弾するのは不本意極まりないのだと思う。本来ならこのような場で問い質すつもりなどなかったのだろう。
カンパネルラは結社にて最古参の存在。その忠誠心も折り紙付き。盟主を裏切るなど非現実的だ。第一柱も当然ながら理解している。しかし、執行者はおろか使徒第二柱すら身喰らう蛇を脱退してしまうという異常事態が発生してしまった。
何事にも例外は存在する。有り得ないなんて事は有り得ない。道化師だとしても隠し事は赦さないという意思表示。最高幹部たちに身の潔白を証明してみせろと言外に伝えている。
ところが――。
「君たちが知る必要などない」
そんな第一柱の思惑など完全に無視して、カンパネルラは能面のような表情を顔に貼り付けた。似合わない。初めて見る。普段の薄ら笑いを超越する気味悪さ。加えて、聞いたこともないような声色にドス黒い感情を込めて一蹴した。
『何と?』
改めて問う第一柱。
カンパネルラは無表情で言葉を返す。
「今、口にした通りだよ。二度も言わせないで欲しいな。永劫輪廻計画はボクと盟主によって進められている。其処に部外者が立ち入ったら困るんだよ」
『成る程、私たちが部外者だと』
『そもそも君、計画の見届け役に過ぎないのではなかったかな?』
「しつこいよ。何か問題でもあるのかな。それにね、これは盟主のお考えだ。君たちがどう喚こうと何も変わらないよ。――いいや、何一つ変えられないんだ」
火に油を注ぐ口振り。
明らかに挑発している。
どの言動がカンパネルラの逆鱗に触れたのか不明だが、此処まで喧嘩腰な道化師は初めてだった。飄々とした態度を無造作に脱ぎ捨て、至って普通の青年の如く第一柱を睨んでいた。
数秒黙り込んだ第一柱は、極めて冷静に最後通牒を突き付ける。
『面白い。その啖呵を切った以上、もう後には引けませんよ』
火花の散る星辰の間。
ノバルティスは面白そうに眺めているだけ。マリアベルも同じく。隙を見て両者を焚き付けようとするだけに博士よりも質が悪いといえる。
アリアンロードはどうしようかと悩み、そして、救世主が訪れたことに感謝した。
「皆さん、お静かに。あの方が来られましたよ」
星辰の間に於いて、蛇の使徒より数段高い位置に浮かぶ一本の巨大な柱。それは、最高幹部よりも上位に君臨する存在の為に造られた祭壇である。
アリアンロードを筆頭に全員が気付いた。その巨大なる存在感を。我々を導くに値する慈悲と叡智を兼ね備えた絶対的な君臨者を。
【揃っているようですね】
天女のように透き通る声音。聞く者を安堵させる魔法の声色。それはつい先程まで荒ぶっていた第一柱と道化師すらも瞬く間に意気消沈させてみせた。
些かバツが悪そうに、第一柱は天上の主君へ言上した。
『はっ。お出で下さいませ、主よ』
その後の会合は、まさしく『身喰らう蛇』の今後を、世界の行く末を決定付ける物となった。
聖女「フェア怖いフェア怖いフェア怖い」←正常
道化師「えー、全然怖くないと思うけどなー」←異常